ウルグアイのムヒカ大統領
◇今週のトゥルース・ディガー:ホセ・ムヒカ
Truthdig 18 January 2015
世界で「最も控えめな」大統領、個人的な富の点から「最も貧しい大統領」、「最も急進論者」。大いに最上級の形容句をどうやってひとりの人間が博したか?
3月1日に公職を辞す、79歳のウルグアイの大統領、ホセ・ムヒカは一見したところではうまくいきそうもない国家元首だ。左翼Tupamarosの都市ゲリラとして14年投獄される間に彼が発揮したアプローチと一致してムヒカは唯物論を退ける。Broad Front党の指導者は2010年以降ブームのラテンアメリカ国の大統領ではあったが、他の世界の指導者らが喜んで応じる権力の飾りを彼が自慢するのを見ない。彼の服は地味だ、彼の家は、十分に人員がそろった大統領宮殿のために離れるのを拒んだ今にも壊れそうな花農場。長い間彼の唯一の物質的な財産だったクルマは、わかりやすい1987年型フォルクスワーゲン・ビートル。だが、これら外面の事実が確かに最上級の賛辞またはいくらかの賛辞をエル・ぺぺにもたらしたかもしれないと同時に、他国の敬意はもちろん、国民の支持を得たのは5年の任期の間に彼が何をしたかである。
「世界で最も貧しい大統領」との称号を彼に得させた行為は、大統領の月給1万2000ドルの90%を主としてシングルマザーを援助する慈善事業に寄付した彼の決断だった。総計55万ドルになる彼の寄付は、おおよそ月額775ドルのウルグアイ人の平均まで彼の給料を下げた。「私は最も貧しい大統領と呼ばれる」と彼は言う、「でも私は貧しいとは感じない。貧しい人とは、高価なライフスタイルをなんとか維持しようとしてただ働く人、そして常にもっともっと手に入れたい人たちだ。」
「これは自由の問題だ」と彼は続ける。「たくさん所有物がないなら、それを維持するために奴隷のように一生涯働きづめる必要はない、そしてその結果、もっと自分のための時間が持てる。」さらに、かつての革命闘士は資本主義を退けないと言う、それどころか、動かすのにそれを必要とすると言う。左派の以前の仲間の幾人かが彼を批判する動きとして、ムヒカは民主的な社会主義者になっている。だが、地球の全域で富の隔たりを増大するとして責められてきている経済システムを採用する彼の理由は、大統領の精神の高潔で実用的な理由をもとに判断される。ムヒカは、最近のインタビューでガーディアン紙に「私は税金を取り立てなければならない」と語った。「重大な問題に私たちは心を傾注しなければならない。あまりにもいきなりそれに打ち勝とうとすると格闘している人々を受難に追い込む、それどころか、もっと多くのパンのために、もっと少ないパンを食べることになる。」
ムヒカと彼の前任者タバレ・バスケス(Broad Front党に所属しているのみならず、3月1日ムヒカが公職を辞したときムヒカの後任になる)の下で、国家は過去10年、農業産業と40%から12%の貧困の劇的低下によって活気づく好況に立ち会ってきた。最低賃金は50%まで増大し、ウルグアイ人の富の隔たりは狭くなってきている。さらに75%の経済増加率が社会的支出の拡大を見込む、いくぶんか教育への資金調達につかえる金は、たとえばすべての学童が自分のラップトップコンピュータを持つのを可能にした。ムヒカはまた、「私たちは現在ほとんどすべてをリサイクルできる。もしも私たちが賢明になることで身分相応に暮らしたならば、世界の70億人が必要とするすべてを持つことができる。地球上の政策はその方向に乗り出しているべきだ。」と彼が述べた2012年リオ・プラス20・サミットでの演説と一致するアプローチ、環境にやさしい政策を法律にすることや消費を制限することに焦点を合わせてきた。
だが 、Broad Front党の指導者の政策すべてが、無料ラップトップのようにすっかり歓迎状態ではない。ムヒカはまたゲイの結婚や、妊娠最初の12週中の中絶の合法化といった論議を巻き起こす法制化を承認してもいる。ことによると、彼の統治下でウルグアイは最も論議の的となるマリファナの生産と販売を合法化する最初の国になった。彼の見解では、真のドラッグの危険は消費にあるのではなく取引にあるとムヒカは説明する。一度もカンナビスを吸ったことがないというドンキホーテ的な大統領が、過去80年のあいだラテンアメリカの麻薬へのアプローチは失敗していること、そして彼の政府は代わりに、「当然のこととして、国によって果たされなければならない」マリファナ販売を管理することに決めたことを説明する。「麻薬常用者を隠れ場から連れ出して、”あなたはやりすぎている。やりすぎに対処しなければならない”と私たちが言える状況を作り出したい。それは限度の問題だ」と彼は付け加える。
マリファナ法が彼の国に引き起こした波紋にもかかわらず、ムヒカはさらに先進諸国にウルグアイの先例にならい、彼らのドラッグ政策を調整するようせきたてた。この大胆なアドバイスは、彼がそう呼ばれる「世界で最も過激な大統領」が彼の敵役に勇敢に立ち向かい全面的変更を要求した唯一の例ではない。それどころか、アメリカとキューバ関係の最近の転換で、ムヒカは重要な役割を果たした。ムヒカは幾度かバラク・オバマ大統領がキューバに対してアメリカの政策を見直すよう促した。ウルグアイ人はまた、収容所閉鎖を加速するためにグアンタナモ湾で拘束される多くの抑留者を受け入れると申し出てもいる。ムヒカは同僚の大統領に対する率直な接し方をやめない。ウルグアイの立法措置がタバコ製品に警告ラベルを貼ることや公衆エリアでの喫煙禁止を義務づけることから、大手タバコ会社フィリップモリスがウルグアイを訴えている事実にもかかわらず、彼は「人殺し」と呼んでタバコについて遠慮なく主張する批評家であり続けた。他の国際的な争いが進む限り、かつて政治運動への戦闘的なアプローチにもかかわらず、ウルグアイ大統領は現代の戦争に嫌悪を公言するが、また”幸福に輝いた戦争反対主義”を潔しとしない。この点で、彼は彼を仕込んだ過去からずっと成長した、とはいえ、時々、多彩な言語の使用や弱い者いじめをする者に反抗する彼の傾向によって証明される、彼の国がますます堕落していった1960年代にTupamarosゲリラ運動(Movimiento de Liberación Nacional、またはMLNとしても知られる)に加わるきっかけになった、革命をもたらす気力を彼は失っていなかった。
可能なときは必ず暴力を避けたとムヒカは言うが、彼らのルーツであるスラム街に分配するために食品配送トラックをハイジャックする過去のいきさつのせいで、かつて”ロビンフッド・ゲリラ”と呼ばれたMLNは、好戦的な政府の反応に直面すると、ついに激しく暴力的になった。その活動は、腐敗を暴くための銀行強盗から、誘拐や目標に向けられる爆破までもの一連のテロリスト作戦として説明されるものに至る。Tupamarosについて、1970年代のウルグアイの独裁政権の高まりを非難するまでにおよぶ批評家もある。警察によって6回撃たれ、独裁政権まるまる全部を独房監禁で過ごしたムヒカは、今日、彼の行動について遺憾に思わない。大統領選挙戦の間、彼は自分の過去を隠さなかった、また現在それに顔をそむけない、そしてTupamarosゆえに選ばれたのではなかったと言うが、「もし獄中であの日々を生きながらえなかったら、今の自分ではなかった」と認めもする。彼の拷問について、彼らに対して悪感情を持たない、なぜなら彼らは単に「他の人びとを支配する手先(道具)にすぎないから」と言って、同じく冷静な感想を表す。
ウルグアイの法律の下、大統領は連続して二期目5年の任期をつとめることができない、だが、この制限は彼にとってまったく不満のもとではないとムヒカは言う。大統領職を去ったあと、国の上院の席に再び就く間、彼は元Tupamarosの闘士、妻のLucía Topolanskyと3本脚の犬、Manuelaと一緒にもっと多くの時間を過ごすつもりである。
http://www.truthdig.com/report/item/truthdigger_of_the_week_jose_mujica_20150118
△ムヒカ大統領の生涯に迫ったドキュメンタリー「Ultimo Heroe(最後のヒーロー)」をユーゴスラビア出身の映画監督エミール・クストリッツアが撮影中だと発表される。
労働者を救うための戦い
ウルグアイは福祉国家として成功を収めていたが、主要産業である畜産業が低迷し、状況が急速に悪化。虐げられる労働者の権利を守るために活動を始めたのが、Tupamarosだった。過激な活動によりウルグアイは内戦に突入。鎮圧した軍部が力を増し、国内は一時軍事政権となる。ムヒカ大統領が収監されたのはこのときだ。
その後、前大統領タバレ・バスケス氏が軍事政権から権力を取り戻したのちにムヒカは農牧水産相として活躍、2010年に先代を継いで大統領となった。
地球サミットで問いかけた疑問
2012年リオデジャネイロで開催された地球サミットで、世界のほとんどのリーダーらが立ち去った後に行われた彼の最後の演説は、多くのメディアに取り上げられ、世界中の人々の心を揺さぶった。
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