この政権に任せておけない!
▽写真のキャプション
はっきりしゃべる:7月24日、東京の国会の外で安倍晋三首相の政権を非難する集会の間にスローガンを叫ぶ学生たち(ロイター)
◇日本の若者にとって政治的な分岐点
ジャパンタイムズ by マイケル・ホフマン
2015年7月15日は日本の歴史に残る。でも、何としてか?民主主義の衰えが逆転できなくなった日か?または民主主義の衰えが180度方向転換された日か?
これらの表現でウォールストリート紙は劇的状況の核心の成り行きをニュースとして報道した:「15日、日本の軍隊の役割を拡大するとの彼の目標に向かって安倍晋三首相は暗示的な進歩をした、乏しい国民の支持と合憲性に対する疑いにもかかわらず、安全保障関連法案を衆議院の特別委員会で可決したという事実。」「安全保障の日米合意に従って日本にもっと多くの責任を負わせる法制定を”この夏までに”承認するとの、彼がアメリカの議員にした約束について法案の通過が安倍に約束の履行をできるようにする。」
ウォールストリートジャーナル紙がここでうっかりあらわすすばらしい自己満足は安倍自身の自己満足をそのまま繰り返す。安倍の本来の説明責任は、アメリカの議員に対してではなく、日本の国民に対してであるということを誰かが指摘し重視する必要があった。日本の国民はかまわないとの冷笑的な打算は筋が立たなくはなかった。昨年12月、有権者の空前の低い投票数が、1930年代と40年代に日本の歴史が向かった大変な不幸をもたらす成り行きのあるがままに思い出を語る国民の好みにほとんど応じない超右翼保守主義の指導者に鼓舞する大多数を与えたとき、日本の民主主義のなまぬるさは最低になった。
民主主義からなる70年は、多少とも政府の干渉とは無縁の私事に留意する最も平凡な権利を超えてこの言葉の意味を豊かにしなかった。民主主義のもっと奮起させる意味あること、「人民による、人民のための、人民の政府」は、説得力を欠いて反響する。1970年代、80年代を通して日本は金もうけと金を使うことに忙しかった。不況の90年代には得られる金がないことを嘆くようになった。90年代の若者はセックスに専念した。「パラジット・シングル(親に寄生する独身者)」や「草食男子」の中へまじって、サトリ世代に自分たちがいることに気づく2010年までは、彼らは2000年代はセックスをやめ、その他多くのことをやめた。欲望そのものが消えた、そしてサトリがそもそも意味した仏教の啓発(悟り)ではなく、気のない無関心に成り下がった。
何年も過ぎ、何も現れない、そうして突然、何かが現れる、そして以前と決して同じではない。無抵抗を行動主義に変える促進剤は何なのか?以前に安倍政権は繰り返し、うまく世間一般の意見を平然と無視してきた。原発再稼働への動き、受けのよくない国家秘密保護法、国が管理する愛国教育唱道の手腕、沖縄米軍基地に対する沖縄の反対へのそっけない無視、出版の自由に対する、命令に服せ、さもなければ、とのあからさまに言わない警告。しかしながら、すべてが不満の声を喚起した、まさしくどの政府も耐えるために学んであまりあることだった。
2014年7月1日、安倍内閣は何十年も禁じ手とみなされてきたこと、”集団的自衛権”の名のもとに平和主義国家の世界的な軍の役割を容認するとして憲法を辛辣に解釈しなおす決議を閣議決定した。その時でさえ、どんな野党の挑戦に対しても数でまさった安倍連立与党として、続いて具体化を始めたことの徴候はほとんどなく、解釈変更を神聖なものとして温存する関連法案を衆議院で通過させる下ごしらえをした。目立つ聞き物が政府の説明の曖昧さと厄介な質問をする野党議員に対するぶざまないじめであった討議後、7月15日、衆議院が可決し、正確に国民に押しつけられたことについて国民が知らないままであることを正当に安倍自身が認めたと言った憲法学者や国民の疑いを一蹴した。
まさにそこが問題だ。法案可決のニュースが出たとき、23歳の明治大学の学生オクダ アキが「ねえ、国会に行かない?」とツイートした。するとすぐに大部分が学生の5000人がそこに集まった。そして“War is over!” “We will not tolerate Abe’s politics!” “私たちの子どもを殺さないで!” とあるプラカードを振って合図する。週刊紙のサンデー毎日が、太字の見出しで「始まった 30万人が国会を囲んでいる!」と思い切って持ち出した。
その数字、30万は、用意周到に重要だ。私たちを1960年5月に連れ戻す。当時の首相(まもなく追い出される)は岸信介だった、岸政権は目下の安保法制の安倍の取扱いにある意味では著しく類似した改正された日米安全保障条約を国会で強行させた。30万人は、首相官邸の前に集まって岸の首を叫ぶ、怒れる群衆の普及する推定の数だ。岸は1カ月後に辞任した。
当時6歳だった安倍にとってこれは生きた歴史である。彼は岸の孫。彼は祖父と親しく、祖父の崩壊の目撃者だ。2006年の本「美しい日本へ」の中で、気持ちのうえでは彼が明らかに自分自身を代弁すると感じた昔のサムライの不屈の精神で「私は間違っていない。私が殺されるなら、それは私の切なる願いである。」と言って祖父を生き返らせる。
現在、事態は非常に緊張に満ちて平静ではない。抗議者たちは変化を求めてスローガンを繰り返し唱える、そして仕返しを求めていない。その数は増えているが、30万人には大分隔たりがある。安倍はこれまで自己犠牲を連想させることを何も言っていない。だが、このように長いこと政治的に不活発だった国に、何かが起きていると言って差し支えない、革命ではないとしても、漸進的変化が。注視するべき団体は、頭文字SEALDs(自由で民主的な社会を守るための学生緊急アクション)だ。特定秘密保護法に対する怒りの返答で昨年起こったそれは、一握りのツイッターとして始まったが、すぐにデモ参加者の群衆にふくれあがった。
主催者のひとりがオクダ アキ、日曜、毎日新聞に「ボクらはこの政権に任せておけない。この国で最も強力な男として安倍は憲法違反の戦争法案を通そうとしている。しかも民主主義はどうなってしまうのか?」と話す。
いかにもじゃないか?仲間のSEALDs主催者と名前を挙げられない明治大学の学生が付け加える、「インターネット世代はヴァーチャルの世界にこもったとみんな言う。ナンセンス!」
それを証明しよう、そしてあえてそのようなことを言う私たち輩は、丁寧に、そしてうれしい謝罪を申し出る。
△マイケル・ホフマンのブログ:
www.michael-hoffman-18kh.squarespace.com.
http://www.japantimes.co.jp/news/2015/08/01/national/media-national/political-turning-point-japans-youth/#.Vb7SFUUcOUe
設立 2014年2月1日
詳細
SEALDs(シールズ:Students Emergency Action for Liberal Democracy - s)は、自由で民主的な日本を守るための、学生による緊急アクションです。担い手は10代から20代前半の若い世代です。私たちは思考し、そして行動します。
私たちは、戦後70年でつくりあげられてきた、この国の自由と民主主義の伝統を尊重します。そして、その基盤である日本国憲法のもつ価値を守りたいと考えています。この国の平和憲法の理念は、いまだ達成されていない未完のプロジェクトです。現在、危機に瀕している日本国憲法を守るために、私たちは立憲主義・生活保障・安全保障の3分野で、明確なヴィジョンを表明します。
日本の政治状況は悪化し続けています。2014年には特定秘密保護法や集団的自衛権の行使容認などが強行され、憲法の理念が空洞化しつつあります。貧困や少子高齢化の問題も深刻で、新たな生活保障の枠組みが求められています。緊張を強める東アジアの安定化も大きな課題です。今年7月には集団的自衛権等の安保法整備がされ、来年の参議院選挙以降自民党は改憲を現実のものとしようとしています。私たちは、この1年がこの国の行方を左右する非常に重要な期間であると認識しています。
いまこそ、若い世代こそが政治の問題を真剣に考え、現実的なヴィジョンを打ち出さなければなりません。私たちは、日本の自由民主主義の伝統を守るために、従来の政治的枠組みを越えたリベラル勢力の結集を求めます。そして何より、この社会に生きるすべての人が、この問題提起を真剣に受け止め、思考し、行動することを願います。私たち一人ひとりの行動こそが、日本の自由と民主主義を守る盾となるはずです。
基本情報
私たちはより幅広いイシューをもって、この国の自由と民主主義を破壊する勢力への政治対抗をする必要があると判断しました。このSEALDsはSASPLの後継団体として、これから様々なアクションを行っていくつもりです。
詳しくはHPをご覧下さい。
http://www.sealds.com/
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