普通の人達が歴史を書いている
日本にも今、"希望"の持てる成長する動きがあるよ!
こんなすばらしい若者が育っていたんだ!
十代、二十代、そしてママたち、あなたたちは、すごい!
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◇アルモドバル監督、市民討論会の勝利の後、スペインの変化のために協力するよう左派を激励
市当局から中央政府まで根本的変革を求める変化を講ずるために連立を支持するよう文化の先導者らが力説する
ガーディアン紙 26 July 2015
アルモドバルは、ほぼ40年の独裁政権の束縛を脱ぎ捨てたとして彼のレンズがスペイン社会の変化を記録する、フランシスコ・フランコ大統領の死後スペインを圧倒したカウンターカルチャー(体制に反抗する若者文化)運動、モビーダ・マドリレーニャ(La Movida Madrileña)で最も有名な人物のひとりだった。
30年以上あとに映画監督のペドロ・アルモドバルはスペインが再び転換点にあると考える。「(スペインの都市の主要な広場を何千人もの人が占拠するのに遭遇した草の根抗議)15-M運動の2011年の突然の激発でボクたちは障壁を乗り越えた、それ以来、変化を求めて限界を押し開いて進んできている」と、最近、アルモドバル監督はスペインのすぐれた文化人120名が署名した公開状で書いた。
今年初めの市長選でスペイン最大都市で力を得た新しい2つの政治運動、Ahora Madrid(マドリード・ナウ)とBarcelona en Comú(バルセロナ・イン・コモン)の最近の選挙の勝利の証拠となることで、書簡は政治運動をやる点で異なるやり方が肝心だと示唆する。マドリードではひとつの政党Manuela Carmenaを、そしてバルセロナではひとつの政党Ada Colauを代表する代わりに、指導的立場の市民基盤は、左翼政党や社会的な活動家、政治団体に所属しない多数の市民の幅広い領域から人物を構成した。
政治を普通の人々に戻すとの欲求によって団結するこれらの基盤は、北部のLa Coruñaから南端Cádizまで、うまく都市に力をぐいと捕らえて常軌を逸した連中として知られる抗議者をスペイン広場から国中の半ダース以上の都市の権力のホールに動かす。
さて攻勢はスペイン政府の最高レベルに同じ類の政治変革をもたらすことに向かっている。今月、市民基盤が発進して、この幅広い左派の自治都市運動の国家バージョンを引き起こそうと計画する何千人ものスペイン人によって支援される。市民発議、Ahora en Común(ナウ・イン・コモン)に与えられた名前はこのインスピレーションにうなずいて、昨年5月に国の全域で勝利した市民基盤の名前に合流する。
「これは通りの騒ぎから生まれた」と、市民発議に味方する200人ほどの市民のひとり、アルベルト・ファブラ・バリオスは言った。彼は市の選挙での市民基盤の勝利を地方選挙と対照してみた、地方選ではPodemosのような左翼政党が人の助けを借りずに自分で立候補することを選択して第3党または第4党になった。「Podemosが他から援助を受けないで自力で行ったら及ばないと思う。市の選挙の間、この左派連合に参加したボクらの多くがこのモデルが11月の総選挙に勝つための最善の方法だと思った」と彼は言った。
今月、Ahora en Comúnの開始以来、2万6000人以上が登録した。多くが左翼政党または活動家グループに絆があるとはいえ、かなりの数がまったく政治的所属を有しない。
プロジェクトは開始後一週間、アルモドバルや他の文化人がスペインの左派にいっしょになってプロジェクトを支援するよう力説する公開状を発表したとき、スピードを上げた。「ラホイ首相や二大政党提携や厳粛処置を厄介払いするためにたどる道を地方選と市の選挙が我々に示してくれた」と彼らは書いた。「もうあと4年の追い立て、不安定、不平等を私たちは許すことができません。」
市民基盤の数が増すとき、スペインメディアの多くが新しい市民発議をPodemosに対する露骨なライバルとして枠にはめた。だが、それは断じて意図ではないとファブラ・バリオスは言った。「Podemosは変化のために一緒になるとの精神から生まれたのに、彼らは誰でもみなに旗の下で団結するよう求めている」とバルセロナの近くMolins de Rei出身の18歳の学生は言った。「まったく他の誰かさんのプロジェクトに収まるために自分たちのプロジェクトをあきらめたくない多くの人がいる。ボクらの召集はずいぶん包容力が大きい。」
新し発議を支持するファブラ・バリオスや他の多くが、ほとんどAhora Madrid(マドリード・ナウ)とBarcelona en Comú(バルセロナ・イン・コモン)で起こったことのような運動に加わるためにも、十分なスペイン人が Podemosを納得させるために登録することを期待する。
「左派を分裂させることはボクたちの意図ではない、特定の政党が代弁するように思わない人々のためにこの場を開放したい。」
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スペインの左派としては総選挙のために共同戦線を始めることが次の必然のステップのように思われるとマドリード出身の28歳の教師デイヴィッド・ガルシアは言った。「怒りの運動以来、市民に与えられる能力、政治への市民参加という増大する文化がある。普通の人々が、歴史を書いていることを痛切に感じ、結集した行動を通して事態を変えられることを自覚する。」「これは誰に対しても批判を意味しない、もっとでかい何か、もっとパワフルな何かを、一緒に築き上げることへの招待状だ。」
国が経済危機から立ち直るために苦闘するとき、この新生の政治モデルが希望という文化を引き起こしたと彼は付け加える。「貧困にあえぎ危機の中にいるスペインのような国が、今は政治的な新奇なもので成長している。それはすべて、まともな人々によって、下から作られる。」
総選挙に勝つことに加えて、Ahora en Comúnは、ヨーロッパ中の国々で後についてこれる進路を開拓することも期待する。「ボクたちは試行錯誤を通じて、議会制民主主義の限界を超えている」とガルシアは言った。「そしてヨーロッパの古い政治を書きなおしている。」
http://www.theguardian.com/film/2015/jul/26/pedro-almodovar-podemos-indignados-spain?CMP=twt_gu
△ペドロ・アルモドバル:
1949年スペインのカスティーリャ=ラ・マンチャ州で生まれる。17歳でマドリードへ。電電公社に勤めながらコミックやパンクロックバンド「アルモドバルとマクナマラ」、演劇、小説など、さまざまな分野でエネルギッシュに活動。フランコ政権崩壊後マドリッドで花開いたムーブメント「モビーダ・ マドリレーニャ」の中心人物のひとりとなる。
独学で自主制作作品「Pepi, Luci, Bom y otras chicas del monton」(80)を監督。アントニオ・バンデラスを匂いフェチのテロリスト役で起用した「セクシリア」(82)、「バチあたり修道院の最期」(83)、「グロリアの憂鬱 / セックスとドラッグと殺人」(84)、「マタドール」(86)と次々に作品を発表。「欲望の法則」(87)の制作に際して、弟のアグスティンと制作会社「エル・デセオSA」を設立。不倫に悩む女性声優役をカルメン・マウラが演じた新しい感覚のシットコム的作品「神経衰弱ぎりぎりの女たち」(88)で世界的に注目されるようになる。
98年の「オール・アバウト・マイ・マザー」でアカデミー外国語映画賞、カンヌ国際映画祭監督賞、ゴールデングローブ賞、セザール賞、英国アカデミー賞、ゴヤ賞など、多数の賞を獲得。続く「トーク・トゥ・ハー」(02)はアカデミー脚本賞を受賞、ヨーロッパを代表する名匠としての地位を確立する。ペネロペ・クルース主演「ボルベール〈帰郷〉」(06)ではカンヌ映画祭最優秀脚本賞、出演女優全員が最優秀女優賞に輝いた。「私が、生きる肌」では美しい女性を描きながら男の強すぎる愛が招く驚愕のストーリーを展開している。
http://dacapo.magazineworld.jp/cinema/82092/
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