見つけた 犬としあわせ

こころがどきどきするもの見つけたとき、それを作品にしたり、思わずなにかの形にして人に伝えたくなります。 見つけたとき感じたしあわせ感覚がひとしずくでも誰かに伝わったら、ダブルでハッピーです。

2022/06/13

京都 アナザーワールド

 


京都 アナザーワールド

『BRIAN ENO AMBIENT KYOTO』を体験しに京都に行ってきました

そもそも旅に出るのはコロナ以降初めてのこと 京都を訪れるのも5年ぶりほどになります




許容する日常の世界から抜け出し、別の世界に身をゆだねることで、わたしたちは想像力を鼓舞させておけると感じている。

ブライアン・イーノ

By allowing ourselves to let go out of part of every day, and to surrender to another kind of world,we are feeling ourselves to allow out imaginations to be inspired.

BRIAN ENO





 1960年代に美術学校の生徒だった頃にわたしは光であそびはじめた、音であそびはじめたのとほぼ同じ時期です。これらのフィールドに関わるテクノロジーは当時いずれも素朴でした:まさに最初のシンセサイザーが登場したばかりの頃で(自分にはあれを買う余裕はなかった)光をコントロールする唯一の手段は巨大な舞台装置をともなった。わたしのはじめての音楽楽器はシグナルズ・ジェネレーター(信号発生機)、機器測定のために電圧を発生する装置でした。それが発生するひとつの音色を装置の中央にある大きなつまみひとつを回しさっと変化させることができた。使いみちは多くなかったが、あの装置に音楽的な歴史が一切なかったことがせめてもの救い、つまり、あれを使って自分の望むままをやることが可能だった。


 60年代以降わたしは音楽と光の双方を相手に活動し、そのふたつの興味は並行しながら発展し部分的に重なり合い、双方の間をアイディアが行き来した。『Discreet Music』というアルバム、実は最初の「アンビエント」アルバムがそれ、を作ったとき、わたしは非同時性システムの無尽蔵なポテンシャルを実感した。


 わたしはこの「無限大の音楽」なる概念に興奮させられ、そして同じ時にそれと同様のアイディア、「果てしなく変化していく絵画」というアイディアに光を用いて取り組んでいた。事実、70年代から80年代を通じてそのふたつの作業はどんどん接近していき、ついにはわたしのインスタレーション作品において完全に重なり合うことになった。


 わたしはこれまで、人びとの反応ぶりを眺めながら自作のインスタレーション空間で長いときを過ごしてきた。ごくわずかな間しか留まらず、変化が起きているのにそれすら気づかない者もいます。腰をおろすや携帯電話を引っ張り出して写真撮影をはじめる者(わたしたちはなにかが実際に起きている最中にそれを存分に楽しむことを犠牲にしてまでも、その体験にしがみつかなければと気が気でない「体験の消費者」になった)もいますが、そんな彼らも、インスタレーションは絶え間なく変化し続け、いま目にしているものは二度と繰り返さないことがはっきりしてくるにつれ落ち着き、これらの体験は「失われて」も構わないという点を受け入れはじめる:新たな体験が生まれるからこだわらなくてもいいと。


 あなたになにかが起こるのを許し、それにしがみつき所有しようとするのではなく、身を委ねるということ、これもよい体験なのではないかと思う。

  

ブライアン・イーノ 2022年

カタログ『BRIAN ENO AMBIENT KYOTO』より一部抜粋







画像は77 Million Paintings, Brighton, England, 2010




京都でみつけた



平安神宮の神苑:ちょうど花菖蒲の季節でした 睡蓮はこれからです

最初にカモ、次に池では亀、鯉、カモが、重なり合って泳いでいました




『BOWIE KYOTO SUKITA』:平安神宮の帰り、通りの写真ギャラリーの壁に鋤田正義によるボウイの写真展のポスターをみつけました

6月25日から美術館「えき」KYOTOで始まります




重森三玲庭園美術館:




京都最古の禅寺 建仁寺:ここの「双龍図」はみごと!細川護熙によるダルマ絵をみつけました 現在、彼の襖絵が展示されています