60年前のイラン クーデター
◇イランのクーデターに味方したのをCIAが認めている
1953年の軍の作戦での役割をついに白状する。
フォーリンポリシー by マルコム・バーン 18 August 2013
60年前の今日、1953年8月19日、アメリカとイギリスが味方するクーデターがイランのモハメッド・モサデク首相を倒したとき、イランの近代史は決定的転換に向かった。その重大事発生の余韻は何年もの間その演出者らを悩ませてきており、1979年初期のシャーの追放と同時に起こった反米主義の一助となり、その年もっとあとのテヘランのアメリカ大使館を奪ったイラン人に影響を及ぼしてもいる。
だが、論議の的となる転覆に味方したことをアメリカの諜報界が公然と認めるのにほぼ60年かかっている。今日ここに(国家安全保障アーカイヴのウェブサイト上に)公開されたのは、情報公開法を通して文書を入手したCIA組織内部の歴史家による1970年代半ばに用意された内部報告書「イラン戦争(The Battle for Iran)」からの短い抜粋である。
文書は1981年に初公開されたが、クーデターそのものを記述する部分、「隠密行動」と題される第3項のすべてを含め、そのほとんどが削除されていた。第3項の大部分は隠されたままだが、この新バージョンは私たちが初めて知るCIAの参加の事実について正式に公開する。「モサデクと彼の国民戦線内閣を打倒する軍事クーデターはアメリカの外交政策の行為としてCIAの指導の下に遂行された」と史実が書いてある。「ソ連の侵略にイランをさらす」リスクが、「アメリカを仕方なく… TPAJAXの計画と実行に従わせた」と付け加える。
TPAJAXがCIAの転覆計画のコードネームだった。それはすべての段階で地元協力者をあてにした。それは幾つかの段階からなった。政治的にモサデクを陰険な手段で傷つけるためにプロパガンダを活用し、シャーを説いて協力させ、国会議員をワイロで抱き込み、治安部隊を組織して公衆のデモを扇動する。最初の試みは実のところ失敗した、だがひどくバカげた奪い合いの後にクーデター軍勢が組織を立て直し、8月19日、二度目のトライで要求に応えた。
なぜCIAがついにその役割をいさぎよく白状することにしたか、あまりにも長い間この情報を保持していた理由と同じくらい不明瞭だ。CIAとイギリスの工作員が作戦について本や記事を書いている、著しくはクーデターのCIAチーフ監督官、カーミット・ルーズベルトだ。ほんのこの数年の幾冊かを含め、学者たちがより多くの著書を出している。さらに、二人のアメリカ大統領(クリントンとオバマ)が、おおやけにクーデターにおけるアメリカの役割を認めてきている。
(中略)
最後に、特に諜報の分野では、同盟国との良好な関係を維持するという優先事項がある。数年前からイギリスの記録が(国家安全保障アーカイヴの今日の投稿を参照)外務省(とおそらくクーデターの計画と遂行を助けたMI6)が、その関与についてどのような公式の言葉も滑らさぬよう切望していたことを示す。外部のオブザーバーにも、あまりにも長い間イラン人がロンドンの役割を肩代わりしていることを考慮すれば、この逃げ口上は滑稽に近い。それでも、彼ら自身の歴史についてアメリカ人の理解の結果にかかわらず、たいていの指標によって、アメリカの諜報界は進んでいく。
少なくともここまで、CIAがいま方向の転換を選んでいる事実は、かなり歓迎される。今日まだ重要事項であるトピックスに関する歴史の記録を開放するとの同様の決定にCIAが至るのを、人は期待するしかない。
http://www.foreignpolicy.com/articles/2013/08/18/cia_admits_it_was_behind_irans_coup?page=full
◇アメリカ共和党のマケイン上院議員は8月18日放送のCNNテレビの番組で、エジプトの騒乱を「大虐殺」だと非難し、オバマ政権はエジプト政府への軍事援助を停止すべきだと主張した。
マケイン氏はこの中で、「彼ら(暫定政府側)は組織的に大虐殺を行っている」と指摘。年13億ドル(約1270億円)の対エジプト軍事支援を中止し、アメリカの「影響力」を行使する必要を強調した。
エジプトでは、18日に新たに110人以上の死亡が確認された。治安部隊が14日、モルシ前大統領支持派の座り込みを排除してからの死者数は900人を超えた。
http://www.huffingtonpost.jp/2013/08/18/egypt_maccain_n_3776991.html?ncid=edlinkusaolp00000003
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