異質なものとの戦い
スコットランドのグラスゴー空港に車が突入して炎上した事件、それとの関連性を当局が指摘するロンドン市内の自動車爆弾によるテロ未遂事件。すでに逮捕者が出ているようで、2人が医師、留学もしくは医療活動を目的に英国に入国したものと言っている。空港に突入したほうの容疑者のひとりは、炎上した車から脱出後に焼身をはかって火だるまになったのを、そばにいたタクシードライバーがホースで水をかけて火を消した。写真の1枚はまさにそのときに撮影されたものです。
捜査当局はまた、中部リバプール市内の2カ所やグラスゴー近郊、スタフォードシャー州の各地で家宅捜索を実施し、リバプールでは5人目の逮捕者である26歳男性を逮捕した。国籍は明らかにしないまでも容疑者はアジア系であること、地元出身ではなくスコットランド居住期間も長くないとコメントしている。
グラスゴー空港は7月1日午後に再開。ロンドンのヒースロー空港は不審物発見を受け、一時閉鎖。リバプールのジョン・レノン国際空港も6月30日夜に安全対策のため一時閉鎖された。
リバプールの国際空港にジョン・レノンの名前がついていたのをご存知でしたか。
わたしはジョン・レノン・ファンであるにもかかわらず、このニュースで知るまで気づきませんでした。ジョンが撃たれた日、そのニュースを聞いた日は、東京青山のボウイという会社で仕事をしていました。ショックで友人に電話したり、胸騒ぎがして仕事どころでなかったことを憶えています。以下は英国政府観光庁のサイト「visitBritain」で見つけた観光用ピーアルです。アンダーグラウンド文化も含め、文化は立派な観光源になるのです。
◇リバプール(visitBritain PR)
リバプールがポップ・ミュージックの都としての地位を確立したのは、1960年代初頭のこと。地元出身のマッシュルームカットの4人組、ビートルズが登場して世界のミュージック・シーンを席巻。ビートルマニアと呼ばれる熱狂的ファンを生み出し、その後登場する何百万というミュージシャンたちの素晴らしい音楽に影響を与えた。
1970年代にはエルビス・コステロや、ジュリアン・コープが在籍したティアドロップ・エクスプローズ、そして1980年代にはエコー&ザ・バニーメン、ハーフ・マン・ハーフ・ビスケット、フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドといったアーティストたちがこの町から登場。多彩なサウンドで人々を魅了した。
1990年代に入ると、ザ・ラーズやライトニング・シーズ、そしてブー・ラドリーズ、シャック、キャストといったブリットポップ・グループが才能を発揮。近年ではザ・コーラル、レディトロン、そしてザ・ズートンズなどのニューカマーが活躍し、リバプールはブリティッシュ・ミュージックの中心としての地位を維持し続けている。
◇リバプールの音楽ミニ情報
1) ビートルズの名曲、「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」と「ペニー・レイン」の両A面シングルは、英国チャートではナンバーワンにならなかった。ペニー・レインは、リバプール郊外に実在する活気ある通りの名前。またストロベリー・フィールズも実在する(2005年3月に閉鎖)孤児院の名称だが、曲はストロベリー・フィールズそのものについてではなく、ジョン・レノンの当時の心情を映し出したものかもしれない。
2) テクノポップ・バンドOMD(オーケストラル・マヌーバーズ・イン・ザ・ダーク)のシングル「スタンロウ」は、英国中をツアーした後、地元リバプールに戻ってきたことを実感させてくれる目印のような建物であるマージー精油所について歌ったもの。
3) エルビス・コステロは、初めてニューヨークを訪れた後、リバプールの波止場に思いを馳せながら代表曲「ニュー・アムステルダム」を書いた。
4) リバプール国際空港は2001年、地元出身の天才ミュージシャンをたたえるべく、リバプール・ジョン・レノン空港と改称され、妻のオノ・ヨーコが出席して記念式典が行われた。この空港は、個人の名前がつけられた英国初の空港となった。
5) スザンヌ・ベガは1990年春、リバプールに滞在した際に教会の鐘の音を聞き、マージー川の景色を眺めたことにインスピレーションを得て、「イン・リバプール」という曲を書いた。
すばらしいですね、英国政府観光庁のみなさん、リバプールに行きたくなりましたもの。国際空港といっても、グーグルアースで見る限り、広々としたなかにほとんどなにもないような簡素な空港のようです。
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