西側諸国との暗黙の了解
◇アラブ首長国連邦(UAE)ドバイで起きたイスラム原理主義組織ハマス幹部暗殺事件で、イスラエル政府高官は、同国の情報機関モサドの関与が疑われていることについて「どんな国も同じようなことをやっている」と述べた。イスラエル紙イディオト・アハロノト(電子版)が19日、匿名で伝えた。
政府高官はモサドの関与については明言を避けたが、イスラエル政府の本音ともとれそうな発言だ。
事件で偽造とみられる旅券が使われた英国などがイスラエル大使を呼んで事情を聴くなど、外交問題に発展する気配もあるが、イスラエル政府高官は「西側の国々とは”暗黙の了解”がある。批判はすぐにやむ」との見通しを示した。
モサドは国外での極秘任務にあたる組織。1972年のミュンヘン五輪でイスラエル選手団がパレスチナゲリラに襲撃され、11人が死亡した事件では、欧州などに逃亡していたゲリラの殺害作戦を実行したとされる。
(東京新聞 2010年2月20日)
◇ヨルダン川西岸の村が抗議に5年を記録する
イスラエルの催涙ガス、音響手投げ弾、悪臭スプレー、時にゴム弾や時たまの実弾の圧倒的な連発にもかかわらず、パレスチナのビリンの村で抗議する人びとはもうこれ以上近寄らせないとこらえます。
そして分離壁への最初の抗議から5年を記録するとき、イスラエルは占領する西岸のすぐ近くに建て増しをしてきている。彼らは相変わらず決然として見える。
村人たちは、イスラエル人と国際的活動家らと共に、彼らの毎週金曜日の抗議行動をパレスチナの非暴力、草の根抗議行動の先例とみなす。
(BBC News 20 February 2010 Bilin, West Bank by Heather Sharp)
写真はビリンのバリアー。不法に分離壁を建設するためビリン村の人々は土地を奪われた。キャプションには「バリアーは移転するとイスラエル最高裁が命じてきているが、村人たちはまったく彼らの農地に戻るには至っていない」とある。
▲ビリン村が勝利:イスラエル軍、数ヶ所で「壁」ルート変更に同意
2008年7月28日のHaaretz(電子版)によると、イスラエル軍当局は、ようやく最高裁の命令を受け入れ、西岸地区の数ヶ所で「分離壁」ルートを変更、一部を撤去して、グリーンラインに近い場所に移設することを決めた。対象には、ビリン村の「壁」も含まれる。
「分離壁」は、パレスチナ人「テロリスト」攻撃からイスラエル人を守ることを建前としているが、多くの場所でグリーンライン(1967年までの停戦ライン)からパレスチナ側に食い込み、パレスチナ人の市町村や農地を分断している。国際司法裁判所は2004年、「壁」の撤去を勧告、国連総会もイスラエル政府がこの勧告に従うことを求めた決議を採択した。しかし、イスラエルはこれらを無視、「壁」の建設を続けてきた。
このため、「壁」の被害を受ける地域の住民はイスラエルの人権団体の支援などを受け、イスラエル最高裁に「壁」の建設中止や撤去を求める訴訟を起し、いくつかのケースで勝訴した。
「壁」反対闘争で国際的に有名になったビリン村は、2007年に部分的勝訴、最高裁は「壁」ルートが安全保障上の必要ではなく、入植地拡大の便宜をはかったものだと認定、ルートの変更を命じる決定を行った。
2007年2月、参謀総長に就任したガビ・アシュケナージ将軍は、政治的理由で造られる「壁」を防衛するのは軍の役目ではないとして、当時の国防相に決断をせまっていたという。政府は、最近になって、最高裁の決定に従う方針を決め、ビリン村のほか、カルキーリヤの北部、ツフィンなどでも「壁」のルートを変更することになった。この結果、カルキーリヤでは260ヘクタール、ツフィンでは150ヘクタールの土地が住民らに返却される計算。
(JPMA:パレスチナ医療協会のメルマガを転載した「弱い文明」ブログより)
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