見つけた 犬としあわせ

こころがどきどきするもの見つけたとき、それを作品にしたり、思わずなにかの形にして人に伝えたくなります。 見つけたとき感じたしあわせ感覚がひとしずくでも誰かに伝わったら、ダブルでハッピーです。

2010/06/05

リバティ号襲撃と911




◇オバマが小型船団襲撃を非難するのを拒むとき、射撃とMavi Marmara号に乗船して無情な扱いをするのを生存者たちが詳しく述べる

イスラエル小型船団襲撃をオバマ政権はおおっぴらに非難するのを拒んできていますが、急襲の生存者たちは、先導船のMavi Marmara号に懸垂下降した後、兵士らが自衛で行動したとの、イスラエル軍の主張に異議を申し立て続けます。

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http://www.democracynow.org/2010/6/4/as_obama_refuses_to_condemn_flotilla

◇アメリカ海軍の軍艦リバティ号(USS Liberty)に対するイスラエルの攻撃を生き延びて43年後、退役軍人ジョー・メドウズは、ガザ支援船団でイスラエル軍によって逮捕された

ジョー・メドウズは、月曜早朝に差し押さえられた他のガザ支援船のひとつに乗っていました。メドウズとしては、国際海域でイスラエル軍によって攻撃された船に乗船していたのは二度目になります。1967年、メドウズはUS軍艦リバティ号に乗る通信隊員でした。アメリカ海軍の電子情報が集積するその船は1967年にイスラエルの戦闘機と魚雷艇によって攻撃されました。その攻撃で34人のアメリカ人が殺されて170人以上が負傷しました。

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http://www.democracynow.org/2010/6/4/43_years_after_surviving_israeli_attack

(以上、デモクラシーナウ!4 June 2010)

△US軍艦リバティ号(USS Liberty)のイスラエル攻撃については、2002年に「35年経ったいまも隠蔽が続く(The USS Liberty: still covered up after 35 years)」という記事が記録に残る。真相はいまだ解明にはほど遠くても、被害者とその遺族の追求が続いていることがわかる。
以下は、オルタナティブメディアで紹介するロジェ・ガロディ著「偽イスラエル政治神話」(れんが書房新社1998年9月30日発行)から抜粋 
http://www.jca.apc.org/~altmedka/nise-26.html


第3章:神話の政治的利用

第1節:アメリカのイスラエル=シオニスト・ロビー

「13年間も極秘扱いされたアメリカ軍艦への攻撃」

1967年6月8日、イスラエルの空軍と海軍は、精巧な電波探知機を備えたアメリカの軍艦、“リバティ”を攻撃した。その目的は、ゴラン高原への侵略計画を察知させないためだった(訳注1)。
38人の乗組員が死に、171人が負傷した。イスラエルの飛行機は、“リバティ”の上空を6時間に渡って飛び、爆撃は70分も続いた。イスラエル政府は、これを“間違い”だったと謝罪し、事件は一定期間の極秘扱いとなった。真相が初めて公式の場で復元されたのは、13年後の1980年である。当時の状況を調査するための委員会が、アイザック・キッド提督を議長として開かれた。そこで確認された目撃証人の一人、“リバティ”の甲板将校、エネスの証言によって、“間違い”だったという公式の説明は崩壊した。エネスは、攻撃が周到な計画の下に行われたものであり、殺人であることを立証した。トマス・L・ムーラー提督は、エネスの報告書がシオニストの画策によって封じ込まれたと証言し、この犯罪行為がなぜ見逃されたのかを説明した。「ジョンソン大統領は選挙に際してのユダヤ人の反応を恐れた。……」。提督は、さらに、こう付け加えた。
「アメリカ人は真相を知ったら怒り狂っただろう」(中略)

訳注1:巻末紹介の「ユダヤ人に対する秘密の戦争」によると、当時のアメリカ国防総省安全保障局(NSA)はエジプトのナセル大統領に肩入れし、ゴラン高原向けに兵力をさこうとするイスラエル軍の動きを電波探知で分析してキプロス島のイギリス軍基地に送る過程で、実質的にアラブ軍にリークしていた。イスラエルは、その事実経過をNSAに潜入していたモグラ情報によって逐一知っており、いざとなればアラブ荷担を暴露する構えで“リバティ”を攻撃したため、アメリカは沈黙せざるを得なかった。

ーー引用終わり。

「当時の状況を調査するための委員会」が開かれたのは1980年。それ以後も、ずっと今日まで、事実のほとんどについて隠蔽が続いていることになる。

◇フリーガザ船団の共同代表グレタ・ベーリンからの連絡
現在、レイチェル・コリー号は、ガザの沖合150マイルを航行しており、予定された針路を進んでいる。基本的には土曜の朝、ガザに到着する。

レイチェル・コリー号の乗船者には以下の方々が含まれるーー。

○北アイルランドのベルファストからマレード・マグアイア(1976年ノーベル平和賞受賞):彼女は北アイルランド紛争を非暴力的方法で解決しようとした功績を認められて受賞した。彼女は21人の人道支援者が公海上でイスラエル軍に拉致された時の心の支えだった。

○アイルランドからデニス・ホリディ:1994年ー98年、ガリ国連事務総局のスタッフ。ニューヨークで国連の人材管理をした後、97ー98年にイラクの人道支援計画に携わり、議会ブリーフィング、大学などで、イラク、人権、国連改革について講演、レクチャーする。

○中国系マレーシア人のマティアス・チャン・ウェン・シエ:弁護士歴32年。マレーシアの4番目の首相マハティール・モハマドの政治秘書を務めた。幾つかのベストセラー「FutureFast Forward」、「Brainwashed for War, Programmed to Kill」、「The Shadow Money-Lenders and the Global Financial Tsunami」の著者。

○マレーシアの国会議員モフド・ニザール・ビン・ザカリア

○マレーシアTV3の取材班とジャーナリスト、サムスル・ビン・ムサ・カマル

イスラエル港アシュドッドに船は向かっているとのイスラエル当局によるウワサが流されているが、私たちはガザを目指している。

ーー引用終わり。

写真はレイチェルとそのイメージ
世界の人びとがレイチェルのことを思い出し、彼女の顔がTVのニュースで流れるのはすごくうれしい。キャタピラ社のブルドーザーに押し潰されてストレッチャーに乗るレイチェルの最後の顔は蒼白でも、赤く燃えるあとに続く勇気と尊厳を山ほどくれた。
もう一枚は1967年6月8日の軍艦リバティ