見つけた 犬としあわせ

ニュースのファンジン、世界のニュースのサンプリング。 一枚のCDを聴くように一枚のコラージュを眺めるようにこれを体験して欲しい。

2010/06/04

ガザっ子にはラブボート



「これはlove boatではなく、hate boat(いやがらせの船)だった」
 ーーイスラエルのネタニヤフ首相(BBC 3 June 2010)

◇殺害される小型船団の犠牲者全員が銃弾を受けた:死者のひとりは19歳のアメリカ市民

ガザ支援小型船団への攻撃でイスラエル軍によって殺された9人の活動家の遺体がトルコに帰ってきています。科学捜査の専門家は、9人全員が銃で撃たれたのを確認してきています。犠牲者の8人がトルコ国民で、ひとりがトルコ生まれのアメリカ市民でした。アメリカ市民は19歳のFurkan Doganであると身元が確認されています。伝えられるところでは彼は頭に4発、胸に1発の銃弾を受けました。残る活動家の約450人も、イスラエルの拘束から解放された後、今日早くにトルコに到着しました。負傷した多数の活動家が治療のため、ただちにトルコの病院に急送されました。兵士らが船に懸垂下降する前に船に射撃を開始したことで、襲撃の生還者たちはイスラエルを非難し続けます。水曜、アルジャジーラ放送のカメラマン、Issam Zatariはベルギーに帰国した後、はっきりしゃべりました。
Issam Zatari:「船の地表にチョッパーからジャンプし始めたイスラエル兵士は射撃を開始していた、空中から無差別に射撃を開始した、そして次には化学爆弾、音響爆弾とガス爆弾を投げた、同時にたくさんの騒々しい成り行きを聴くことができる。そして、なりゆきのすべてを撮影していたので私はラッキーだった。そしておよそ6分して彼らは私たちの船を攻撃し始める。」

(デモクラシーナウ!3 June 2010)

◇第一目撃者の証言

血も涙もない攻撃を受けて死者全員がここから出た、トルコ船籍のMavi Marmara号に、1歳になる赤ちゃんといっしょに乗船したトルコ人、ニルフェル・セティン(Nilufer Cetin)のほか、数名の平和活動家が1日の時点で解放された。以下は、イスラエルの新聞ハーアレツに掲載された2人の記者とAP電による記事が伝える目撃者証言の一部である。

Nilufer Cetin:「この計画に参加すれば危険がともなう可能性があるのは承知していました。でも、ガザにも何千人と赤ちゃんがいます。何事もなくガザに着いていれば、今ごろはその子たちと一緒に遊び、船に積んでいたものを食べてもらえたはずなんです... 」
彼女によれば、イスラエル軍の船は、前日の31日夜10時ころから2時間にわたって船団にいやがらせの行為を続けた。そして、翌1日の午前4時ごろに戻ってくると、警告の発砲を始め、船団に引き返すよう命じた。

Sfendoni号に乗船したディミトリス・ギエラリス:「Sfendoni号の船長は持ち場(舵)を離れるのを拒んだため、めちゃくちゃなぐられ、事態を撮影していたカメラマンは銃身で目を強打された。もちろん、誰もこんな戦争状態になるなんて思ってもみなかった。」

Mavi Marmara号のすぐ後ろにいたフリーメディテラニアン号(Free Mediterranean)のギリシャ人活動家とクルー:「Mavi Marmara号には空と海から兵士が襲いかかっていた。銃声も聞こえた。私たちの船では、イスラエル軍がブリッジに上がってくるのを止めようとした者が電気ショック棒とプラスティック弾の攻撃をくらった。抵抗はいっさいしていない。抵抗したいと思っても、抵抗できる手段がなかったからだ。」

http://www.haaretz.com/news/diplomacy-defense/the-ship-turned-into-a-lake-of-blood-says-activist-on-gaza-flotilla-1.293339

Mavi Marmara号に乗船したアラブ系イスラエル人の国会議員ハニーン・ズービー(Haneen Zoubi)は、ナザレで行なわれた記者会見で次のように証言した。

イスラエル海軍の船がMavi Marmara号を取り囲み、数分間発砲を続けたのち、ヘリコプターから特殊部隊が直接、船の上に降り立った。

乗客の多くが甲板から船室に追いやられた。乗客で武器を持っている人はひとりもいなかったし、私が気づいた限りでは、乗客側からはいかなる挑発も抵抗もなかった。

イスラエル軍の急襲が始まって数分とたたないうちに、私を含むほとんどの乗客が閉じ込められていた上甲板の主船室に3人の遺体が運び込まれてきた。2人は頭に銃弾を受けていた。これは"処刑" だと思った。

ほかに2人、主船室にいた人でひどく出血している人がいた。このままでは死んでしまうと思い、窓を開けて、ヘブライ語で「医者を呼んでくれ」と叫んだが、イスラエル兵は無視した。私が確認したところでは、重傷者は少なくともほかに7人いた。

「周到に計画された作戦です。イスラエルは、何人も殺すことで、今後、いかなる支援船団もガザ包囲を突破することはできないというメッセージを送ろうとしたのです。」

イスラエル軍はMavi Marmara号を制圧したのちに、船内を捜索したが、武器はいっさい発見されなかった。

(The Electronic Intifada 2 June 2010 by Jonathan Cook)
http://electronicintifada.net/v2/article11311.shtml

Mavi Marmara号に乗船したドイツの元議員Norman Paechの証言:「月曜の早朝4時30分、周囲をイスラエルの小型攻撃艇に囲まれたと思ったら、爆発音が聞こえて、ヘリコプターから兵士が甲板に降りて来た。兵士は全員がマスクをつけ、大きな銃を携行し、非常に残忍だった。私は3人の活動家が抵抗したのを見ただけで、ナイフも斧もなく、ただ自衛として棒切れを使っただけだった。だが、船の他のところで別の武器が使われた可能性は排除できない。」

Mavi Marmara号のすぐ後ろを航行していたFree Mediterranean号は多数のギリシャ人とスウェーデン人活動家を乗せていた。
ギリシャ人活動家、Aris Papadokostopoulosの証言:「トルコの船、Mavi Marmara号は、空から、海から、そこら中から、銃撃を含むひどい急襲を受けていた。他の船では奇襲部隊が活動家たちをひどく殴打したが誰も重傷は負わなかった。車イスや建築資材、医薬品の積み荷を積んだ Free Mediterranean号では誰も抵抗しなかった。何人かは棍棒や電気ショック棒で殴られた。取調中に、多くの人が目の前で酷く殴られるのを見た。」

いまも拘束されている人の中には、多数のジャーナリスト、政治家、医者の他に、長いことパレスチナ支援を続けてきているグループの創立者などタフな活動家が含まれる。

◇31日の事件でイスラエル政府は、船団の船に乗っていた約600人を拘束し、同国内の拘置施設に収容していた。その後国際的な批判の高まりを受けて2日には外国籍の乗員をすべて出国させた。現地の活動家4人は釈放されていない。

イスラエル軍当局が2日明らかにしたところでは、だ捕された船舶が輸送していた支援物資はガザには届けられなかった。パレスチナ側の情報筋によると、イスラエルからガザ地区境界のラファにトラックが到着したが、物資の持ち込みを許可されなかったという。

こうしたなか、6月2日には救援物資を積んだ新たな船がパレスチナに向けて出港している。数年前にガザで死亡した米国人活動家にちなんで「レイチェル・コリー」と名付けられた救援船が、セメントや教材、玩具、医療物資などを積み、4日遅くに現地に到着する予定だ。これとは別に、欧州の別のガザ支援団体も2日、ガザへ向かう新たな船団の最初の3隻分の資金が集まったと発表している。

(CNN 2010年6月3日)

◇アイルランドからガザへ新たな支援船

支援船「レイチェル・コリー」に乗船しているデニス・ハリデー元国連事務次長補は3日、CNNに「航行は中止していない。イスラエルに強制されない限り、中止する予定もない」と語った。また、イスラエル側に阻止された場合は抵抗せず、乗船者が武装していないことを明確に示すつもりだと述べた。

アイルランド政府もイスラエルに対し、介入を避けるよう要請している。

支援船は同氏ら11人を乗せ、ガザで破壊された学校や民家などを再建するためのセメント550トンや教材、玩具を運んでいる。

4日夜または5日朝にガザ到着を目指していたが、船を所有する支援団体「フリーガザ・ムーブメント」の活動家がCNNに語ったところによると、予定を遅らせていったん非公開の場所に寄港した。イスラエル側が阻止を明言しているため、急襲などの事態に備えて船上の様子を撮影できるカメラや衛星通信設備を調達したという。

イスラエルは支援船に、同国のアシュドット港に入港するよう求めている。積み荷は同国当局が検査した後ガザに届けるとの案で、交渉がまとまりつつあるとしているが、乗船者らはこれを否定している。だ捕された船団も、イスラエルからの同様の提案を拒否していた。

イスラエル軍が公海上で船団を急襲、だ補したことに対し、国際調査を求める声などが高まっている。これに対し、イスラエル側は合法的な行動だったと主張。リーベルマン外相は3日、船団は多額の現金を運んでいたことが分かったと述べ、人道目的とされる活動に疑念を示した。

(CNN 2010年6月4日)

写真は、イスラエルから500人以上の活動家を乗せて飛行するトルコ航空機