見つけた 犬としあわせ

こころがどきどきするもの見つけたとき、それを作品にしたり、思わずなにかの形にして人に伝えたくなります。 見つけたとき感じたしあわせ感覚がひとしずくでも誰かに伝わったら、ダブルでハッピーです。

2023/06/19

ガウディの世界

 




わたしは1976年に初めてこれに触れ、ガウディの世界を体験する

完成までにまだ100年はかかると言われたガウディのサグラダファミリア聖堂を訪れたときのことである

そして次にバルセロナを訪れることになる十年後の1986年に再びここに来た

まさか聖堂を支える内部がこれほど植物的で宇宙的な構造であろうとは夢にも想像できなかった


ガウディは1926年に亡くなった。

その10年後にスペイン内戦が勃発、サグラダファミリア聖堂も襲撃された。司祭は殺害され、ガウディの仕事場は焼き払われた。

ばらばらになった模型の断片や破片が集められ、後世の建築家たちが聖堂の建設を引き継いでいく。


9代目の主任建築家ジョルディ・ファウリはこのように伝えている。

「ガウディは完ぺきな手がかりを残した。

型はわずかしか残らなくても、ガウディはシステムを残してくれた。」

回転しているような柱の形は自然の木の形を再現しただけでなく、十分な強度も備え、ばらばらに見える柱の直径や高さなども規則的な比率があった。

コンピュータのない時代にガウディは自然の美と幾何学を組み合わせたシステムを生み出した。

「ガウディは天才であると同時に努力の人だった。将来の技術が建設を促進するとわかっていた。」

「ガウディは将来の人々を信じていた」と。


(2023年6月19日東京新聞『ガウディが見た世界』より)


東京国立近代美術館で現在開催されている『ガウディとサグラダファミリア展』で初めて展示される模型は貴重なものであるとファウリは言っている。


#ガウディ

#サグラダファミリア聖堂

#スペイン内戦

2023/06/13

コサムイで出会ったフィンランド人

 



TEIVO T.

最近ひょんなことで昔々の素敵な出会いのことを思い出す機会がありました

友人から、ウィリアム・S・バロウズの本を見つけたんだけど持ってないならあげると言われ、すでに持っている本だったが、うちの本棚にずーっと飾ってある本の表紙になっている写真のポストカードのことを思い出しました

ポストカードを送ってくれたのは当時南米にいたテイヴォ・テイバイネン

彼の聡明さと行動力を考えれば今頃はヘルシンキあたりで偉いやつになっていても不思議ありません

確かに、あの若い国では大御所的存在の、ヘルシンキ大学世界政治学教授になっていました


下記は、当時わたしが出していたフリーペーパーTAMAに掲載したテイヴォからの手紙です

当時も今も、世界はずーっと同じ仕組みで動いていることがよくわかる


◇ハロージャパニーズ from El Salvador

TEIVO T.+SAKAE Y.


彼、テイヴォとの出会いは今となってはビッグビジネスをねらう小さな観光地へと変わりつつあるタイのコサムイ(サムイ島)で彼は大学生が一年間休学して外国を旅して歩くのを率先してフォローする先進国、フィンランドで育ったいきのいいヘルシンキ大学の学生だった。

まるでビート作家ジャック・ケルアックを彷彿させる資質の感性の持ち主で実際、彼がそのとき私にくれた本がカトマンズ経由の旅人から旅人へとまさにビート的に生きてきている茶色く変色したケルアックの著書「デゾレーション・エンジェル」だった。

今回(1986年)の彼の旅はインド、ネパール、中国海南島、日本と続き、ここショーナンのルート134をヒッチハイクして東京まで帰ると言った彼の姿は「ダルマ・バム(日本では「ジェフィーライダー物語」)の語り手レイ・スミスことケルアックの姿に重なって見える。

その後アメリカのウエストコーストに渡り一度はフィンランド大学に戻ったもののいつのまにやらまた南米に飛んでいた。

つい最近届いた便りはエル・サルヴァドールからのもの、彼はサルヴァドール大学の連帯評議会に参加するためそこにいた。その大学は「過剰な暴力行為」と人間も含め生き物を殺す「開発事業」や「自然搾取」といったことで死ぬのは真っ平だとして闘っていた。 彼はニューヨークのウオールストリートで「ウオールストリートを閉鎖しろ」と烈しいデモンストレーションを展開して逮捕されたらしいが、そのことを誇りに思っていると書いてある。この闘いのアイディアは環境破壊と経済発展にともなった大事業とのあいだに横たわるつながりをはっきりさせること。

彼の生き方、そのビートの瞬間を感じ取るには彼のいきのいいイングリッシュをそのまま受け止めるしかないだろう。 それはこんな具合だ........


The people of El Salvador fight hard, so hard, so beautiful, so long ........I'm here to participate in the [Solidarity Conference of the University of El Salvador ], the University that refuses to die. Too much violence, exploitation that killes. SHIT, we should shut down the Wall Street, YES. That's what we tried, [Shut Down the Wall Street ], an intense demonstration in New York last week and I arrested too, I'm proud, to get arrested protesting against the Wall Street is wonderful. The idea was to make clear the connection between ecological destraction and big enterprises. Hey hey no no corporate greed that got to go.


●TAMA- 2 掲載、1990年

http://tama-newsfanzine.opal.ne.jp/people2.html



◇ハロージャパニーズ from Finland

TEIVO T.


そっちはどう?こっちはヨーロッパのことでもちきりだよ。

第9回ヨーロッパ核軍縮協定(44カ国の平和運動家が参加する非公式会議)に行って来たんだ。ヨーロッパの平和運動というその会議はThe End 。多くの活動家が語りながら困惑していく.....というのにはほんとわくわくしたよ。

ヘルシンキで始まりエストニアのタリンで幕を閉じたんだけど、バルカン諸国の民族自決の発行物などに関わる人たちで一杯だった。

僕はラテンアメリカであるワークショップを取りまとめていたんだ。「500年間ヨーロッパと共に生きて:今日のラテンアメリカの危機」っていうね。

二日間のワークショップに6人の演説者を迎えた。ニカラグアのサンディニスタ政権の元外務大臣ミグエル・デ・エスコト、彼はサンディニスタはニカラグアで依然として強力な政治的力があると力説した。エル・サルヴァドールの左翼の大統領候補グイレルモ・ウンゴ、エル・サルヴァドールのゲリラFMNL を代表するアントニオ・マルティネス、そしてエクアドルの神父にヘルシンキ大学のスペイン系アメリカ人研究センターを代表する僕らだ。

今、インドアフロラテンアメリカでのヨーロッパの植民地搾取その500年の結果が熱い論争になっている。

公式の記事で「いかにしてヨーロッパの征服者たちが新世界の野蛮人居住者に文明をもたらしたか」という語り口で報道してるやつだ。

でもポイントは今からどうしていくかだろ。どうやって搾取を止めるか。債務危機についてはどうするか。貧しい者を助けるという意味で彼らの貧困にまともに向かい合うこと。アマゾンの熱帯雨林の破壊をどう食い止めるか。

差し迫る1992年。そうなんだ1992年10月12日に支配者たちはセビリアで祝賀会を開催するつもりでいる。すべての多国籍企業と他のとんでもない累積センターがどんどんリッチになっていくその継続を祝って。

500年のあいだインドアフロラテンアメリカはそのゴールド、シルバー、労働、愛を搾取する者に与え続けてきた。血管にぽっかりあいた口がふさがる間もなく口をあけ続けるというわけさ。

ねえ、僕らも1992年を祝おうよ。レジスタンス500年の祝賀を。

500年の圧政者との苦闘に抗議するセレブレーションを。(10月12日はコロンブスが到着した日)


●TAMA- 3 掲載、1990年

http://tama-newsfanzine.opal.ne.jp/people4.html


△写真はバロウズの本と、今のTEIVO TEIVAINEN

https://www.helsinki.fi/en/about-us/people/people-finder/teivo-teivainen-9017075

https://twitter.com/TeivoTeivainen