見つけた 犬としあわせ

こころがどきどきするもの見つけたとき、それを作品にしたり、思わずなにかの形にして人に伝えたくなります。 見つけたとき感じたしあわせ感覚がひとしずくでも誰かに伝わったら、ダブルでハッピーです。

2023/02/28

ウクライナのバンクシーの絵の切手

 


◇イギリス人の40%ちかくがウクライナに寄付をしている

10人中8人のイギリス人が1年続く戦争について懸念していると回答したことが新たな世論調査で明らかになる

ガーディアン紙 26 Feb 2023

https://www.theguardian.com/world/2023/feb/26/nearly-40-of-britons-have-made-a-donation-to-ukraine?utm_term=Autofeed&CMP=twt_gu&utm_medium&utm_source=Twitter#Echobox=1677402148



◇ウクライナがバンクシーの壁画の切手を発行

切手はロシアの侵攻開始時に爆撃されたボロジャンカの破壊された壁に描かれたイギリス人アーティストの絵を目玉として登場させる

ガーディアン紙 25 Feb 2023


◇バンクシーの壁画が切手に ロシアによる侵攻1年

BBC 2023年2月26日


切手に採用されたバンクシーの壁画にはロシアのウラジーミル・プーチン大統領に似た柔道着姿の男性が子供に投げとばされる様子が描かれている。

ロシアの侵攻開始から1周年を迎えたウクライナで覆面アーティストのバンクシーがロシアの攻撃で破壊された建物の壁に描いた絵を使った切手が発行された。


壁画はウクライナの首都キーウ近郊ボロジャンカの住宅に描かれたもので、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領に似た柔道着姿の男性が子供に投げとばされている。プーチンは柔道の愛好家で黒帯の有段者。


切手の左下にはプーチンを罵倒する言葉を略したキリル文字が付け加えられた。


ボロジャンカは昨年2月24日の侵攻開始直後、ロシア軍の砲撃で大きな被害を受けた。


多くのウクライナ国民がこのバンクシーの壁画をロシアの侵攻に対する同国の激しい抵抗を表すものと受け止めている。


24日にはキーウの中央郵便局にこの切手を買おうと大勢の住民が列を作ったという。


切手を購入した26歳の女性はAFP通信の取材に、「世界にウクライナを理解してもらうクールな方法で注目を集め続けられる」と話した。


また、「バンクシーの作品のひとつが初めて切手になった」のを見られてうれしいと語った。


https://www.bbc.com/japanese/64775169



2月26日の毎日新聞によると、日本の小学4年生の女の子が本当にプーチンを投げ飛ばしたことがあった

それは2000年9月、大統領として来日したプーチンが柔道の総本山、東京・講道館を訪れた時のこと

当時の森喜朗首相との首脳会談など過密スケジュールの合間を縫っての訪問で、黒帯の柔道着姿で道場に現れたプーチンは「わが家に帰ってきたような気がする」とあいさつしたそうだ

あれから20年あまり、プーチンに投げ技を決めた女の子は、「心穏やかに暮らせる日を早く」と願っていると記事にある


2023/02/26

恐れることなかれ

 


「見るのも嫌だ」という日本の首相秘書官の最大限の憎悪表現で2013年にニュージーランドで同性婚を認める法案の最終審議と採決の際に行ったモーリス・ウイリアムソン議員の演説が注目を集める

「明日も世界はいつものように回り続けます。だから、大騒ぎするのはやめましょう。この法案は関係がある人には素晴らしいものですが、関係ない人にはただ、今まで通りの人生が続くだけです」


ハフィントンポスト紙日本版編集部がその翻訳を全文紹介している


◇「同性婚を認めても関係のない人にはただ今まで通りの人生が続くだけ」

ニュージーランドの元議員のスピーチに注目集まる

ハフィントンポスト紙 2023年2月2日


「『不自然なもの』を支援していると批判されました」


私の選挙区の有権者に、「同性婚を認める法案が通れば、その日からゲイによる総攻撃が始まるだろう」と言った聖職者がいました。


ゲイの総攻撃って、どんなものでしょうね。大勢のゲイたちが軍隊となって高速道路を攻めてくるんでしょうか? それともガスか何かが流れてきて、私たちを選挙区に閉じ込めてしまうんでしょうか?


カトリックの聖職者にも、私が『不自然なもの』を支援していると批判されました。面白いですね。だって、一生独身、禁欲の誓いを立てた人がそう言うんです。まぁ、私には禁欲がどんなものかはよくわかりませんけどね。


『永遠に地獄の業火で焼かれるだろう』とも言われました。間違いです。私は物理学の学位を持っています。自分の体重や体水分率を測って、熱力学の式で計算しました。もし5000度の火で焼かれたら、たった2.1秒で燃え尽きます。これはとてもじゃないけど永遠とは言えないですよね。


養子縁組についてひどい意見もありました。私には3人の素晴らしい養子がいます。養子縁組がどんなに素晴らしいか知っていますし、だから、そういう意見がくだらないものだとわかります。邪悪ないじめです。私は小学校の時から、いじめには屈しないと決めています。


「この法案が社会にどういう影響があるか、心配しているんでしょう。言わせてください」


反対する人の多くは、この法案が社会にどういう影響があるかということに関心があり、心配しているんでしょう。その気持ちはわかります。自分の家族に起こるかもしれない「何か」が心配なんです。


繰り返しになりますが、言わせてください。


今、私たちがやろうとしていることは「愛し合う二人の結婚を認めよう」。ただそれだけです。


外国に核戦争をしかけるわけでも、農作物を一掃するウイルスをばらまこうとしているわけでもない。お金のためでもない。


単に、愛し合う二人が結婚できるようにしようとしているのであり、この法案のどこが間違っているのか、本当に理解できません。なぜ、この法案に反対するのかが。自分と違う人を好きになれないのはわかります。それは構いません。みんなそのようなものです。


「関係ない人にはただ、今まで通りの人生が続くだけです」


この法案に反対する人に私は約束しましょう。水も漏らさぬ約束です。


明日も太陽は昇るでしょうし、あなたの10代の娘はすべてを知ったような顔で反抗してくるでしょう。明日、住宅ローンが増えることはありませんし、皮膚病になったり、湿疹ができたりもしません。布団の中からカエルが現れたりもしません。


明日も世界はいつものように回り続けます。だから、大騒ぎするのはやめましょう。この法案は関係がある人には素晴らしいものですが、関係ない人にはただ、今までどおりの人生が続くだけです。


最後になりますが、私のところに、この法案が干ばつを引き起こしたというメッセージが来たんです。この法案が干ばつの原因だと。ええと、私のTwitterアカウントをフォローしている方はご存知かもしれませんが、パクランガでは今朝、雨が降ったんですよ。


そしたら、今まで見たことがないくらい、大きな虹が見えたんです。ゲイ・レインボーが。


これは、しるし(法案通過の吉兆)に違いありません。あなたがもし信じるならば、間違いなく、しるしです。


結びとして、この法案を心配している全ての人のために、聖書を引用させて下さい。旧約聖書の申命記、1章29節です。


「恐れることなかれ」


https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_63db582de4b07c0c7e07db74



△今朝、わたしの選挙事務所から撮った写真。ゲイ・レインボーか?やはりお告げだ。世界は万事申し分なし

2013年4月17日のツイート

Hon. Maurice Williamson @williamson_nz


△モーリス・ドナルド・ウィリアムソンは中道右派の政党・ニュージーランド国民党に所属する元政治家。1987年ニュージーランド総選挙以来2017年までパクランガ選挙区選出の国会議員を務めた。彼は閣内外で、交通、通信、放送、地方自治、科学技術研究、建設、税関、小企業、統計、国土情報など、複数の大臣職を歴任した。現在はロサンゼルス郡サンタモニカでニュージーランド総領事を務めている。

2023/02/24

世界の片隅から日本を憂える

 


15%の市民がいっせいに行動すれば、社会の空気を変えることができる


世界を駆けめぐるルポライター、伊藤千尋(いとう・ちひろ)さんの名前を見つけたのは数日前の東京新聞の書籍紹介コーナーだった

彼のルポを読んでいたのは朝日新聞を購読している頃だからかなり前のことになる

今回、彼が評を書いている本は『アマゾンに鉄道を作る 電気がないから幸せだった。大成建設秘録』なるもので、著者は風樹 茂という作家、開発コンサルタントだ


 1980年代、アマゾンの奥地で悪名高い日本の政府開発援助(ODA)により「地獄の鉄道」と呼ばれた線路の修復工事が行われた。

日本式に仕事をする建設会社と現地の労働者はしばしば衝突し、「日本人は出て行け」と石を投げられた。悪党も受け入れる現地の寛容な社会は「世界の片隅にあるがゆえの強さ」を持っている。先住民は「電気などいらない。開発などまったく興味がない。ただ生き残りたい」と叫ぶ。鉄道は完成し援助の目的は達成したが、南米ボリビアの辺境にある小さな村の村人たちは「損害を被ったと恨む」とある。


80年代のボリビア、「猛烈なインフレ」とあり、84年から85年初頭にボリビアに滞在していた者としてそのすさまじさを思い出し、思わず笑った

一週間ごとに滞在するホテルに支払いをするにも、銀行に行って両手で抱えきれないくらいの荷造りした札束を持ち帰らないといけない

路上のチョコレートは昨日の何十倍にも跳ね上がり、ここでも価値のなくなった紙弊を払うことになる

そうそう伊藤さんは本書の隠れたテーマは「世界の片隅から日本を憂える」だと書いている


伊藤さんはコロナのために停止していた平和をアピールするNGOピースボートが4月に出航することで船内で講演する水先案内人のひとりとして横浜からインドネシアの区間に乗船し、アジア情勢や世界から見た今の日本について語るそうだ


以下、彼の公式サイトにあるプロフィールから抜粋:

彼は1974年、朝日新聞に入社。サンパウロ支局長、バルセロナ支局長、ロサンゼルス支局長などを歴任、40年におよび主に国際報道の分野で取材を続けた。現在はフリーのジャーナリストとして各国の取材を続け、精力的に執筆と講演を行っている。「コスタリカ平和の会」共同代表。「九条の会」世話人。

大学時代にサトウキビ刈り国際ボランティアとしてキューバで半年間働いた。4年生の夏休みに朝日新聞社から内定を得るが産経新聞社が進めていた冒険企画に応募して選考される。悩んだ末に朝日新聞の内定を断り、スペイン語とルーマニア語の知識があったことから、「東大ジプシー調査探検隊」を結成して東欧へと旅立った。

東欧では「日本のジプシー」を名乗り、現地のジプシーと交わって暮らした。日本初のジプシー語辞書を作り、帰国後は新聞にルポを連載、ジプシーを扱った映画『ガッジョ・ディーロ』ではジプシー語の監修を担当した。ジプシー調査でジャーナリズムの醍醐味を再確認し、1974年、再度入社試験を受けて朝日新聞社に入社した。

https://www.facebook.com/chihiro.ito.1069


70年代、社会の空気を変えたい若者がキューバにサトウキビ刈りに行くというちょっとしたブームがあった

政治的なフォークソングを歌っていた岡林信康もキューバに行くと言っていたが持病のためか吉田日出子との出会いからかドタキャンした

ということで、彼の著書がまた読みたくなりました

(下記参考までに)

著書から見える伊藤千尋という個性:

・燃える中南米 特派員報告 岩波新書 1988

内戦の続くニカラグア、エルサルバドル。戒厳令のくり返されるチリ。そして貧困、インフレと累積債務に悩む国々。だが、中南米は、相次いで軍政から民政への転換を果しており、カーニバルやサッカーに熱狂する民衆は陽気でしたたかだ。戦場、スラムから教会、タンゴ酒場まで、各地を3年間駆けめぐった記者がその光と影を伝える。


・歴史は急ぐ 東欧革命の現場から 朝日新聞社 1990

平和革命を達成したチェコスロバキアと流血革命になったルーマニア。2つの対照的な革命を通して、統合へ向け加速する東西ヨーロッパの政治状況をつぶさに検証する。


・バルセロナ賛歌 朝日新聞社 1992


・狙われる日本 ペルー人質事件の深層 朝日文庫 1997

1996年12月、ペルーの首都リマで発生した日本大使公邸人質事件。この大事件は、なぜ、今、ペルーの地で、日本を巻き込む形で起こったのか? 朝日新聞の元中南米特派員が事件の経過を報告し、この事件が暴き出した、世界と日本の政治・経済の現状と問題の本質を解説する文庫オリジナル。


・「ジプシー」の幌馬車を追った 気ままな探検隊が見た自由を生きる東欧の民 大村書店 1998

自由でありたい、生活も精神も。だから出かけよう、すべてを捨てて自由な旅に。決まっていた就職をとりやめ、「ジプシー調査探検旅行」に飛び出した著者が、迫害の中にも力強く生きる流浪の民・ロム(ジプシー)と過ごした青春の記録。そこで見つけた、ほんとうの自由、ほんとうの人間らしさとは。


・太陽の汗、月の涙 ラテンアメリカから問う すずさわ書店 2000

ラテンアメリカの社会に生きる人びとの中には、現代の私たちが失いかけた人間の真の姿がある。南米ペルーのインカ帝国では金を「太陽の汗」、銀を「月の涙」と呼んだ。昼は汗を流して働き、夜は物思いにふける。それが人間ではないか。輝く女性たち、「寅さん」の世界のような中南米から「緊張社会」日本を見すえる。


・たたかう新聞「ハンギョレ」の12年 岩波ブックレット 2001

1988年、軍政下の韓国でユニークな新聞が生まれた。その名は「ハンギョレ(1つの民族)」。“国民の声と民族の良心を代弁する勇気ある新聞”をモットーとする同紙は財政的困難ものりこえ、今日、全国紙10紙中、第4位の部数(60万部)を確保している。その誕生と苦闘、今日の新しい課題を現地取材にもとづいて報告。


・人々の声が世界を変えた!特派員が見た「紛争から平和へ」大村書店 2002

20年信念を貫いた女性歌手、銃弾をかいくぐる少年、闘う神父、スズメバチで米軍に刃向かう村人、大統領にただ一人反対する女性議員、広場で抗議する母、そして平和を輸出する国コスタリカ…信念を貫いて、彼らはいかに平和を勝ち得たか。世界63カ国の現場を歩いた朝日新聞記者の渾身のルポルタージュ。


・君の星は輝いているか 世界を駈ける特派員の映画ルポ

シネフロント社 2005

世界65カ国を現地取材したジャーナリストである著者が、「シネ・フロント」誌に連載してきたルポルタージュが1冊の本になった。グローバルな体験と視点から、映画を通して世界の躍動が伝わってくる。


・反米大陸 中南米がアメリカにつきつけるNO! 集英社新書 2007


・活憲の時代 コスタリカから9条 シネフロント社 2008

人はだれも愛される権利がある。アフリカ沖の9条の碑からコスタリカまで、憲法を活かす世界の人々の姿を熱く語る。ほか『シッコ』『白バラの祈り』2編を収録。


・世界一周 元気な市民力 大月書店 2009

日本の常識は世界の非常識。生きづらい社会に我慢する必要はない。


・ゲバラの夢熱き中南米 君の星は輝いているか シネフロント社 2009

今、中南米に実現するゲバラの夢! 中南米を見つづけること38年。現地報道の第一人者が明らかにするアメリカから自立した中南米の激動の歩み。映画雑誌「シネ・フロント」に掲載した記事などのうち、中南米に関するものをまとめた1冊。


・変革の時代 理想は実現できる!シネフロント社 2010

世界から基地は消えている。「平和を創る-基地はなくせる!」「変革の先頭に女性がいた、芸術があった。」「ベネズエラ-変革の現場から」など、自分たちの住む社会を自分たちの手で変えようとする人々の姿を語る。


・一人の声が世界を変えた!新日本出版者 2010

憲法を盾に獄中でも書き続けたチリの記者。チャウシェスクの大演説に一人で非難の声を上げた技師も。9・11後の米国では、アラブ系の子どもたちを守ろうと日系人が立ち上がった――社会変革の歴史にはいつでも一人一人の、この世界を変えたいという意志と行動があった。世界68カ国をめぐる記者がしるす熱き闘いのルポ!


・地球を活かす 市民が創る自然エネルギー シネフロント社 2011

政治家が権力争いのための不毛な論議をしている中で、世界はすでに脱原発の道に入っている。私たちが今すべきは福島の教訓から学び行動すること…。3・11後の新しい社会をどう創るか。世界の事例から提案する。


・観光コースでないベトナム 歴史・戦争・民族を知る旅 高文研 2011

小国が超大国に勝ったベトナム戦争。あれから40年、戦争の傷跡がいまも残る中、果敢に、ダイナミックに新たな国づくりに励むベトナムの「今」を伝える。いまベトナムは、世界で一番エキサイティングな国。戦争を知らない若い世代に、ベトナム戦争が青春だった団塊の世代に、経済交流で南へ向かうビジネスマンに―贈るベトナム案内。


・辺境を旅ゆけば日本が見えた 新日本出版者 2012

世界各地を取材してまわる特派員人生。辺境を東奔西走して出会った人びとは、複雑怪奇な世界情勢の荒波にもまれつつもしたたかに生き、強烈に自分の主張を訴え、貧しいながら輝く心をもっていた。日本の私たちはどうだろう?カネ儲けだけじゃない、真に豊かな社会をみんなの力で手に入れよう! 読む者を励ます応援歌的紀行文。


・キューバ 超大国を屈服させたラテンの魂 高文研 2016


・凛とした小国 新日本出版者 2017

世界に通じる価値観を持ち、胸を張って独自の国づくりをする凛とした小国。人権や民主主義を勝ち取ろうと支配権力に立ち向かう姿は、人間の尊厳を感じさせる。そこに注目して、中米のコスタリカ、民主化したばかりのミャンマー、米国と国交を回復したキューバ、シルクロードの中心地、中央アジアのウズベキスタンを巡る!


・今こそ問われる市民意識 わたしに何ができるか 女子パウロ会 2018


・9条を活かす日本 15%が社会を変える 新日本出版者 2018

世界の82の国を現地で取材してきた著者は体験と実感から、15%の市民がいっせいに行動すれば、社会の空気を変えることができると言う。米国の9・11、ベルリンの壁の崩壊、南米の民主化等の経験を生き生きと語る書。安倍改憲の野望を打ち砕く、さまざまな力がこの日本に息づいていることが実感できる、渾身の書き下ろし。


・凛としたアジア 新日本出版者 2019

私たちが理解しやすいのは遠い大国よりも近隣のアジア。それも小さな国。しかし、侮ってはならない。そこには日本が抱えている問題を見事に解決した見本のような例もあれば、知るべきなのになおざりにしてきた歴史もある。日本と似ているようで違うことも多い韓国、ベトナム、フィリピン、スリランカを活写した書き下ろし。


・世界を変えた勇気 自由と抵抗51の物語 あおぞら書房 2019

抑圧や人権侵害とたたかった人々の経験をまとめた本。身におよぶ危険や不利益をかえりみず行動した人々の物語が、全51話、世界7地域(南米、中米・カリブ、米国、ヨーロッパ、アフリカ、アジア、日本)に分けて綴られている。現状を憂える日本人に、あきらめなければ明日はよくなる、だれにでもできることがある、と呼びかける。


・連帯の時代 コロナ禍と格差社会からの再生 新日本出版者 2020


・心の歌よ!歌から見える世界 新日本出版 2021

中南米、ヨーロッパ、アメリカ、アジアなど、世界を駆け回った「歌の探偵」記。



写真は1984年ボリビアに渡る前に寄ったジャマイカのバーの様子です

この時に移転前のボブマーリーのスタジオやサードワールドのスタジオに行きました


2023/02/21

“しょうがない”とする国民性

 


2月18日の東京新聞「視点」は中国のTV局ディレクターの質問の話しが出てきておもしろかった 

いや、まったくその通り

昨年11月の横田基地公害訴訟の提訴後に開かれた記者会見でのこと

横田基地の米軍機の騒音被害を受けている市民の数は推定では50~60万人、「なぜ原告団は244人しかいないのですか」

「基地問題でも物価高の問題でも日本人にインタビューすると、よく“しょうがない”という言葉を口にする。イヤなことがあってもがまんする国民性が原告の少なさに関係しているのですか」

じゃあ、中国の社会はどうなのかと筆者がそのディレクターに詰め寄ると「でも日本は民主主義の国じゃないですか」と答が返ってきたというのだ

続けて「アメリカも韓国も不満があれば国民が声を上げる」と言われ挑発的な質問をした自分を恥じたとある

横田基地の騒音を巡る訴訟については1976年以来提訴は14回目となり、米軍機の飛行差し止めは退けられてきた

問題は、よその国とは異なり、日本では日米地位協定が一度も見直されず、むしろ強固になっていることだ

“しょうがない”ではなく、一市民がこの理不尽な現実に声を上げる権利が日本にはある

中国のTV局ディレクターは「ここ数十年停滞している日本の経済発展も日本人は“しょうがない”と思っているんじゃないですか」



◇RSF(国境なき記者団)全チームはあなたとあなたの愛する人たちがハッピーで幸運であるよう願います!


過去20年間に1668人(毎年平均80人)のジャーナリストが殺害されたことを報告する記者発表でRSFは2022年を終わりました。この数字の背後には情報収集や真実の追求、ジャーナリズムへの情熱に命をかけた人々の顔、個性、才能、そして献身があります。彼らに敬意を表し、どこで働いていようと世界の現実を立証することに耐えるジャーナリストの安全に最大限の関心を訴える時期です。


RSFの掛かり合い、責任は、これまで以上に必要とされています。2023年にわたしたちが直面する課題は計り知れないけれど、課題に立ち向かうわたしたちを手伝うあなたの支援を頼りにできることをわかっています。ジャーナリストを守るだけでなく、報道の自由に有利な法的枠組みを展開するために、わたしたちは戦い続けます。わたしたちは調査報道に欠かせない条件を約束するために戦います。そして脅されたり嫌がらせを受ける、あるいは妨害を受ける報道機関、その独立性を維持するために戦っている報道機関を支援します。


あなたがわたしたちに置く信頼にとても感謝します!

 

国境なき記者団チーム


https://rsf.org/en


2023/02/04

He Was Tom Verlaine

 


  • パティ・スミスがInstagramに書いています
  • 70年代の彼女とヴァーレインの写真を挙げて
  •    “これは、すべてが可能に思えた瞬間。
  •      さよなら、トム、オメガの上空に。”
  • NYパンク、CBGBの音楽シーンを象徴するバンド、テレヴィジョンのトム・ヴァーレインが1月28日に亡くなりました
  • パティ・スミスの娘、ジェシーがローリングストーン誌にトムが亡くなったことを認めたとあります

   パティ・スミスはトム・ヴァーレインのギターの音を「千羽の青い鳥の鳴き声」と書きました


◇He Was Tom Verlaine

ニューヨーカー誌 January 30, 2023 by Patti Smith


一滴の水を、ともかくも音楽を生む詩に変えてしまう、子どもの才能を所有した友人のことをパティ・スミスは忘れずにいる。



彼は錆びた流しにぽたりぽたりと落ちる水の音で目が覚めた。下の通りは中世の月明かりにまんべんなく覆われ、静寂を響かせる。夜が中国のすだれのように広がるとき、彼は美の恐怖と格闘しながら横たわっていた。
“マーキームーン”の歌詞とメロディーが、一滴一滴、一音符一音符、静かながら不吉な興奮状態から生まれたとき、一瞬よぎるエイリアンと天使の動きに釘付けになり、彼は身震いしながら横たわっていた。彼はトム・ヴァーレイン、そして絶妙な鋭い苦痛、それが彼のプロセスだった。


トーマス・ジョセフ・ミラーとして生まれ、デラウェア州ウィルミントンで育った彼は親の家を出て名前を捨てた。ハイスクールではサックスを吹き、ジョン・コルトレーンとアルバート・アイラーを喜んで受け入れた。彼はホッケーもやり、飛んできたパックが前歯を折ったときサックスをしまってエレキギターに専念するしかなくなった。


彼はわたしが育ったところから28分のところに住んでいた。わたしたちはそれぞれフランス象徴主義者の詩の本を抱え、どこか田舎の直線コースで会っていてもおかしくなかった。でも、セントマークスの教会の向かい東10丁目(イースト10thストリート)で彼が立ち止まってわたしに「きみはスミスだね」と言った1973年までふたりは出会わなかった。彼は長髪で、わたしたちは互いに認め合った、どちらも未来を反響させていて、もう着ていない服を着ていた。わたしは彼の長い腕とそれと同じくらい長くて美しい手に気づいた、そうしてわたしたちは別々の道を行った。それは1974年4月14日イースターの夜までだった。レニー・ケイとわたしは、“Ladies and Gentlemen: The Rolling Stones”の初演を見たあと、Ziegfeld Theatreからタクシーでバワリーに向かった、“テレヴィジョン”という新しいバンドを見るために。


そのクラブはCBGBだった。ほんの一握りの人がいるだけだったが、レニーとわたしはビリヤード台と狭いバーと低いステージのあるそこがすぐに好きになった。その夜わたしたちが見たものは類似しているわたしたちの未来であり、詩とロックンロールの完ぺきな融合だった。トムの演奏を見て、わたしが男の子だったら彼になっていただろうと思った。


テレヴィジョンが演奏する時はいつでも見に行った。ほとんどはペールブルーの目と白鳥のような首をしたトムを見るために。彼は頭を下げて彼のジャズマスターを握っている。ギターをしめころすことを除いて、すべてが彼の長い指を通して変容する。


次の数週間でわたしたちは近づいていった。街の通りを歩きながら進行中の物語、ふたりの“アラビアンナイト”を即興で作る。ふたりとも、アルメニア系アメリカ人作曲家Alan Hovhanessの曲が大好きで、お気に入りは“Prayer of St. Gregory(聖グレゴリーの祈り)”であることに気づいた。お互いの本棚を吟味すると、なかなか見つけにくい作家の本であっても、ほとんど同じ本であることがわかって驚いた。Cossery、Hedayat、Tutuola、Mrabet。わたしたちはどちらもインディペンデントな文学の探索バチだった、そしてふたりの秘密の情報源を共有するようになった。


彼は詩をむさぼり読み、ダークチョコレートでおおわれたEntenmannのドーナツをむさぼり食い、コーヒーとタバコをのみほした。時々、彼は夢見るようで遠く離れているように見えると同時に突然、笑い声をあげた。彼は天使のようでありながら少し悪魔的で修道士の優雅さを備えたマンガのキャラクターだった。当時、わたしは彼とつきあい、彼を熟知していた。わたしたちは手をつないでFlying Saucer Newsの棚を何時間も眺めて過ごし、48丁目に行ったり、彼には絶対に買えないギターを眺めた、CBGBでの3セット後にスタッテン・アイランド・フェリーに乗り、東11丁目のアパートの踊り場までの階段6段を上る、マットレスに一緒に横たわり天井を眺めながら雨の音を聞いたり、なにか別の音を聞いていた。


トムのような人はいなかった。彼は一滴の水を、ともかくも音楽を生む詩に変えてしまう子どもの才能を所有した。最後の日々、彼には献身的な友人たちの無私の支えがあった。子どもがいなかった彼は、わたしの娘ジェシーと息子ジャクソンから受けた愛を喜んで受け取った。


最後の数時間、眠る彼をじっと見守りながら、わたしは時間を遡った。わたしたちはアパートにいて、彼がわたしの髪を切っている、髪の毛があっちこっちにつきだして、彼はわたしのことをWingheadと呼んだ。あとに続く数年間はただWingのみ。年をとっても、いつでも永遠にWing。そして、決して大人らしくふるまわない少年の彼は、鮮やかな紫の光の中のゴールデン・フィラメント、オメガの上空にいる。♦


Published in the print edition of the February 13 & 20, 2023, issue.

https://www.newyorker.com/magazine/2023/02/13/he-was-tom-verlaine