見つけた 犬としあわせ

こころがどきどきするもの見つけたとき、それを作品にしたり、思わずなにかの形にして人に伝えたくなります。 見つけたとき感じたしあわせ感覚がひとしずくでも誰かに伝わったら、ダブルでハッピーです。

2007/05/31

なぜ世界銀行総裁はいつもアメリカ人なのか


国連の専門機関なのに、どうして世界銀行総裁は常にアメリカ人なのだろうか。
60年も前からの古い暗黙の了解はいったい誰のためにある? 困っている国のためでないことは誰にでもわかる。国際機関がアメリカの世界戦略に組み込まれるままのあり方に、なぜうるさいほどの疑問の声がわかないのだろう。

世界銀行は、第二次大戦後の復興と途上国の開発を目的に、1944年のブレトンウッズ協定で国際通貨基金(IMF)とともに設立が決まった。
世界銀行総裁は、形式上は世銀理事会が選出するが、実際には米政府が選定、推薦した候補を理事会が承認するのが慣例となっている。これは、米国から世銀総裁、欧州から国際通貨基金(IMF)専務理事を選出するという米欧間の暗黙の了解によるものだ。
交際相手の女性厚遇問題で6月末に辞任が決まったウルフォウィッツ総裁の後任についても、すでにブッシュ米大統領が後任リストの作成に入ったと報道されている。こうした選出慣行には、非民主的で、米欧間の人事の裏取引につながるといった批判もある。
スキャンダルによる総裁辞任は前代未聞であり、世銀の信用は著しく傷ついた。後任選びなどの立て直しを通じて、信頼を回復することが急務になった。
ウルフォウィッツ総裁も2年前、米ブッシュ政権から指名された。その前はネオコン(新保守主義)の代表格として国防副長官を務め、イラク戦争を主導した。このためイラク戦争に反対の欧州などから、反発の声も上がった。米国の外交戦略に、世銀の開発政策が組み込まれることへの反発である。
こうした声を意識して、総裁は当初、加盟国の意見を尊重する姿勢を表明し、「貧困解決が使命」とアフリカ支援や災害復興に力を入れた。しかし途中から、かつての側近を次々と総裁顧問に起用したり、汚職追放を掲げて特定途上国への援助を打ち切るなど、強硬路線に転じた。ブッシュ政権がテキサス人脈で固め、援助を外交の道具としてきたのと、よく似ている。就任後に持ち込んだ「米国流」の手法にも加盟国は不満を募らせた。
欧州出身の職員らに批判が再燃し、内部対立が深刻になっていた。そこに「公正」をゆがめるような総裁のスキャンダルが表面化したのだから、不満が辞任要求まで高まったのは当然だ。「後ろ盾」の米国も、最後はかばいきれなくなった。
現行では総裁としての適性を十分審査できない。IMFも含めて、透明性のある選出のあり方を考えるべきではないか。旧戦勝国主導の世銀・IMFは、さまざまな制度疲労が指摘され、改革もまったなしだ。
日本は戦後、電力開発や東海道新幹線の建設などに世銀の資金を借りて復興した。1966年に世銀を「卒業」し、今や米国に次ぐ出資・拠出国である。

ゼーリック前国務副長官を世銀総裁指名へ 米大統領
ブッシュ大統領が、6月末に辞任する世界銀行のウォルフォウィッツ総裁の後任に、ロバート・ゼーリック前国務副長官(53)を指名する見通しとなった。米メディアが政権高官の話として一斉に報じた。大統領は30日にもゼーリック氏の指名を発表、世銀理事会での承認を経て決定する。
ゼーリック氏はブッシュ大統領の外交ブレーンのひとり。政権1期目の2001年から米通商代表部(USTR)代表を務め、世界貿易機関(WTO)の新多角的貿易交渉(ドーハラウンド)に関与。2005年に国務副長官就任後は、対中外交を重視し、中国は国際社会で大国としての責任を果たすべきという「ステークホルダー(利害共有者)論」を提唱した。
昨年6月に辞任後、米投資銀行大手ゴールドマン・サックスに転身した。
(5月30日CNNニュース、時事通信など複数のメディアが報じたもの)

ブッシュ氏は後継には米国人がふさわしいとの考えを示していた。歴代の世銀総裁は全員、最大出資国の米国から出ている。今回の人選では、諸外国や米国内からも、国籍にとらわれるべきではないとの声があがっていた。
(5月30日ロイター通信)

世界銀行はIMFの経済政策(構造調整プログラム)を具体的に実行するための機関だ。その結果、世界中の開発途上国の経済を破壊してきた。途上国の国内産業は壊滅し、外国資本と多国籍企業に占領された。電力や水道といった公共事業さえ外国資本に占領されはじめている。農業も破壊され、食糧の自給はできなくなり、輸入や援助に頼るようになった。教育、医療はなきに等しいレベルに落ちた。世界の何十億という人々が貧困と飢餓の縁に追いやられた。
途上国の悲惨な現況は、世界銀行とIMFがもたらしたものだ。世界銀行やIMFがしてきたことは、人類に対する犯罪行為以外の何ものでもない。
(こういう意見もある。)

世界銀行とIMFの両機関は、実質的にアメリカ政府がコントロールしている。加盟国の中で実質的な拒否権を持っているのは唯一アメリカだけだからだ。両機関の本部は、ワシントンDCにある。

上の写真は、京都平安神宮の鳥居です。おもわず見上げて、おがみたくなる、昨今の世界事情です。周囲にウツの人間が増えているという話を聞きますが、当然といえば当然だな、と思います。普通というのがあるとすれば、その軸は大きくウツに傾いているのではないでしょうか。アメリカ人に日本人ほどウツが多くないというのは、宗教のせいなんでしょう。ブッシュがぶれないというのも、彼を大統領に選んだ「神」のせいだと思います。

2007/05/28

B52の二人に無罪判決



イラク侵略直前にフェアフォード空軍基地に侵入して米空軍B52戦略爆撃機を使用不能にしようとした二人の平和活動家に、昨日イングランドの陪審員は全員一致で無罪評決を下しました。
オーストラリアでもイラク戦争に最も貢献してきたパインギャップ軍事基地の秘密のヴェールを暴こうと民間査察を強行して逮捕、起訴された4人の活動家の裁判(最高7年の刑もありうる)が迫っています。この戦争のウソや違法性を世界の普通の人々が拒絶してきているんだと思います。

2003年3月18日、英国オックスフォードの平和活動家トビー・オルディッチとフィリップ・プリチャードはフェアフォード空軍基地に侵入して米空軍爆撃機B52を使用不能にしようと試みた。この平和のための直接行動に出ようとの二人の決断は、違法で不当な戦争を遂行させないための前もってのあらゆる国際的プレッシャーや骨折りが何にもならなかったという完全なるフラストレーションに対する反応だった。トビーは言った。「違法なイラク攻撃に向かう動きに抵抗する行動を起こす責務がボクたち各自にある。この人道主義の大きな災難を妨げることで残された時間はわずかしかない。」
攻撃におけるB52爆撃機のきわめて重要な役割と、幾つかの戦闘での大規模な民間人犠牲者の遺産に気がついた、フィリップとトビーはそれらを安全に無力にしようと決意した。二人は爆撃機が爆弾を落としに行くちょうど2日前に攻撃した。フィリップは言った。「この爆撃機は大量破壊兵器だ。イラクで罪のない人々を殺すのに使われないようにするのがボクらの義務だ。この戦争は違法で道義的に受け入れられない。」爆撃機に達する前に逮捕された「B52 Two 」は平和のための彼らの行動をたっぷり説明する責任能力がある。武装解除(軍備縮小)と「警告:この飛行機は地上に釘付け(飛び立てない)」の標示を終えた彼らに注意を惹き付けるために二人はホイッスルと懐中電灯を所持した。飛行機の胴体に襲いかかるのにハンマーと、エンジンを不能にするのにボルトとナットとペンキを所持した。基地の外辺部のフェンスに「コラテラルダメージ(付帯的損害)?」に分類され名称を付けられた湾岸戦争のイラク人犠牲者の写真を貼り、平和のポピーを植えた。
「B52 Two 」は2007年5月14日に裁判を受ける予定である。これは法律違反だといわれる2回目の公判、2006年10月の最初の裁判は評決することができない不一致陪審に終わった。
戦争マシーンを不能にするためフィリップやトビーや他にも人々がフェアフォード空軍基地に入ってから4年以上が経過している。イラク占領期間が続いていること、そして中東での最近のできごとで、戦争を遂行するパワーと同じくらい活発に平和を遂行することと、暴力の連鎖を断ち切ることが、もっと意味のある今日的なことになっている。
(フェアフォードの二人のウェブサイトより http://www.b52two.org/ )

写真は裁判で無罪を勝ち取った「フェアフォード空軍基地の二人」、フィリップとトビーです。

2007/05/25

日本の自衛隊も持っているクラスター弾


自衛のためと言いますが、持ってる以上は使う日が来るわけです。日本の自衛隊はどこにこのクラスター弾を投下するのでしょう。

ペルーの首都リマで23日から開かれたクラスター(集束)弾禁止条約の制定を目指す国際会議に参加するため、現地入りした米国のノーベル平和賞受賞者ジョディ・ウィリアムズさんが21日、共同通信など外国メディアと会見し、日本が条約参加への態度を保留していることについて「悲しむべきことだ」と失望感を表明した。
彼女は、日本の姿勢が「小泉前首相と安倍現首相の対米関係重視の姿勢や、憲法9条改正の動きの反映ではないか」と分析。地雷問題に熱心だった日本の国会もクラスター弾規制に関しては取り組みが鈍いと指摘した。

クラスター爆弾は一つの親爆弾から数百個の子爆弾が空中で飛散し、広範囲な目標を一気に爆撃し人間を殺傷する兵器。着弾後すぐには破裂せず、人が触れて爆発することが多く、紛争終結後も被害にあう人は後を絶たない。非人道的な兵器として使用禁止や規制、廃絶を求める声が国際的に高まっている。
報告書によると、クラスター爆弾は、昨年7月〜8月のレバノン紛争で使用されました。イスラエルがレバノンに投下した子爆弾400万発のうち、60万〜120万発が不発弾として残っています。レバノンでは、今でも毎日平均2〜3人が爆弾で殺されているといいます。

航空機から投下されると、小型爆弾や地雷などを目標上空で散布、広範囲に被害を、およぼす爆弾。(2006 Weapons School)
クラスター爆弾は、子弾の運搬・散布を行なう、言わば荷物を運ぶトラックのようなもので、ディスペンサーと呼ばれる。火薬もしくは、回転による遠心力を利用して、散布範囲を広げるタイプも開発されている。
通常爆弾より1発当たりの殺傷力は劣るが、広い範囲に分散した目標を、1度に破壊できるため、対空砲火陣地、飛行場、補給物資集積場や、散開した戦闘車両・トラック、歩兵などの攻撃に使用される。
クラスター爆弾では、大量の小弾を散布する性質上で、例え低い割合の不爆率だったとしても総数が多いことから不発弾の数も相対的に増大する。また種類や小弾の性質・運用状況にもよるが、過去の運用実績上の不発率は約5〜40%である。そしてその各々が、不発弾として「いつ爆発するか予測できない」という問題を含んでいる。

不発弾問題に関しては、非戦闘員が被害を被りやすいなどの面で非人道的であるとして、ノルウェーが呼びかけたクラスター爆弾禁止に関する国際会議で 2007年2月23日、クラスター爆弾に対し2008年までに使用・製造・移動・備蓄の禁止と同型爆弾の廃棄や使用された爆弾の撤去や被害者のケアを目指す「オスロ宣言」が採択された。なお同宣言に対し日本・ポーランド・ルーマニアは参加49ヶ国中で3国のみ、宣言に加わらない意向を示している。

2007/05/24

5月のサンバ&ヴァーモス




日曜日に、訓練3ヶ月目に入ったヴァーモスに会いにサンバを連れて行ってきました。
ヴァーモスはまた一段とたくましくなり、まぶしいほどです。トレーナーいわく、ボクサー犬はくせがある犬種なのにヴァーモスはくせもなく素直な犬、今後どんどん訓練が入っていく、からだもまだまだ大きくなりますよ、とのことだった。うわーっ!もっと大きくなるって。サンバ、どうする?君の弟は大胆で見かけも性格的にもゴージャスな犬になるぜ。
グラウンドでは、常にフレンドリーなヴァーモスにリードされて2匹は仲良しです。くつろぎモードに入るやヴァーモスは兄貴分のサンバにすり寄って、愛情表現の「なめ」を始めます。いい感じでしょ。
近所の公園もそうですが5月という季節には雑草が人間の膝たけぐらいにも伸びて可憐な花をつけます。
ボールが雑草に埋まって見つけずらいことがありますが、この季節、生きものたちに危険なのは、公園の緑に除草剤や防虫剤をまくことなんです。来週はその週なので、サンバは公園には近づけません。最近は波遊びも覚え、うんとエンジョイできる海がすぐ近くにあるのはラッキーでした。サーファーの兄ちゃんたちにすり寄っても歓迎してくれるしね。
写真はクリックすると拡大版で見ることができます。

2007/05/21

ロシアでは若者はこのように使われる


駐ロシア日本大使公邸に隣接するエストニア大使館をロシアの若者300人ほどが取り囲み、昼夜、大音量の音楽を流してエストニア非難のスローガンを連呼した。
エストニア政府は先月下旬、首都タリン中心部からソ連軍戦勝記念の銅像を撤去、移設した。これに対するロシア国内の反応は尋常ではなかった。若者たちは大使館に投石し、エストニア国旗を焼いた。マリーナ・カリユランド駐ロシア大使の記者会見場に乱入して暴徒と化した。大使は「休暇」名目で国内退避を余儀なくされた。ロシア治安当局の取り締まりは形ばかりのもの。先月中旬、反政府デモを力で封じ込めたのとは大違いだった。
デモ自体が異様だった。17歳の女子高生オリガはミニスカートでタバコを片手に「ファシズム国家エストニアをつぶせ」と叫ぶ。「郊外の町から夜行列車で8時間かけて来た」と愛国心を誇るが、そばの友人は「仲間と騒げて楽しいから」と言う。
18歳の大学生アレクサンドル・カザクは「電話やメールで友達に声をかけて参加者を集めるのが役目」と話した。
パンとジュースの差し入れが届き、野営用テント近くには簡易公衆トイレが置かれる周到さだった。相当の資金力をうかがわせ、若者の自発的な街頭デモとみるには不自然だ。
新イズベスチヤ紙は、政府がお墨付きを与えたデモ参加者が「小遣い稼ぎのビジネス」と化していると伝えた。報酬は1人当たり500ルーブル(約2300円)前後という。若者たちは、政府の世論操作に動員されているフシがある。
今回の反エストニア・デモは、プーチン政権を支持する青年組織「ナーシ」「若きロシア」などが呼びかけた。リーダー格のワシーリ・ヤキメンコ35歳は「銅像撤去は第2次世界大戦の結果を書き換えようとする動きだ」とロシア外務省の公式見解を代弁していた。
ロシア政府は「ソ連軍が欧州、バルト諸国をナチスから解放した」とする戦勝国史観に立つ。バルト、東欧諸国を「占領支配」した否定的側面には目をつぶる。
歴史教科書を編集する高校教師イーゴリ・ドルツキーによると、プーチン政権下で歴史教育への干渉が強まり、エリツィン前政権時代に30冊前後あった国定教科書は7冊に絞られた。「正史」にそぐわない教科書は採用を取り消され、「教師の間にも戦勝国の美点ばかり教える自己検閲の風潮が強まっている」と同氏は危惧する。
(読売新聞2007年5月21日)

どこの国も自分の国に都合の悪い歴史からは目をそむけたがる。そして不都合な歴史的事実をうやむやにした挙げ句、それを伝えるはずの教科書から削除する。人ごとではありません。
写真は、1999年秋に始まった第2次チェチェン戦争を目撃した子どもたちが描き残した膨大な量の絵の一枚です。この絵を元にチェチェン難民の母と息子がアニメーションを作りました。ヴィデオとDVDになっています。「春になったら」と「子どもの物語にあらず」の2作品です。
今日は奥歯を抜いて気分が悪いのに、もっと気落ちするニュースを知りました。北オセチアのベスラン学校占拠人質事件関連で、過失罪で訴追されていたプラボベレズニ地域警察の警察高官3名に対する裁判が中止になるんだそうです。裁判の中止を求めていた被告に対して、ロシア議会が恩赦を決定したためで、現地では「ベスランの悲劇は決して許されない」、「FSBとロシア内務省はテロに責任を負っている」と訴える人々が抗議集会を行いました。

世界で最もやりきれないニュースのひとつ


イラクもひどいけど、パレスチナではもっとずっと前から、わたしたちの目の前で、つまり世界公認のもとってことですが、むごいことが続いています。
また、世界が、特にアメリカが、イスラエルびいきというのは公認の事実です。
以下にあるようなことがなにも特別ではない毎日を送っている人びとがいるってこと想像できますか。もちろんパレスチナ政府も無能なんだとは思います。

5月20日夜、イスラエル軍はパレスチナ自治区ガザにあるイスラム原理主義組織ハマス幹部の自宅を空爆し、8人が死亡、13人が負傷した。ハリル・アルハヤ幹部はパレスチナ評議会(国会ってことです)の議員。イスラエル軍の空爆対象はこれまでハマス軍事部門に絞られており、昨年春のハマス政権誕生以来、政治部門を攻撃したのは初めて。対ハマス作戦が一段階強まったことを示す動きだ。
イスラエル軍が発射したミサイルはアルハヤ議員宅の応接室を直撃した。議員本人は不在だったが、60歳の父親らが死亡した。
アルハヤ議員はハマスとパレスチナ解放機構(PLO)主流派ファタハとの停戦協議に参加しており、この日もエジプト政府仲介の停戦会議に出席していた。空爆後、議員は「痛みにかかわらず前進するしかない」と語り、引き続き停戦協議を進める意向を示した。 (日本経済新聞)
同じく20日、アルタス村でイスラエル軍が農民や平和活動家を襲撃する。農地を奪われかけて非暴力の抵抗をしていたベツレヘム近郊のアルタス村にイスラエル軍の大部隊が入り、ブルドーザーで農地を破壊する作業を行った。農地にテントを建てて抵抗していた農民や支援者たちは、破壊された場所に再び木を植える行動に出たが、そこにもイスラエル兵は襲いかかり、銃床や警棒で殴った。殴られた中には、参加していたバルグーティ情報相もいる。
19日土曜日、ガザ北部で住民5人がイスラエル軍に撃たれて負傷している。うち1人は重体。また、土曜の昼間には、北部のベイト・ハヌーン付近にイスラエル軍からの砲撃が続き、1人が殺され、複数の人々が負傷している。殺された人は、バラバラになっていて、身元が確認されていない。また、医師の話では、少なくとも10人が重傷となっていて、砲撃が続く中、救出されていない負傷者がいるため、負傷者が全体でどれだけになるかわからないという。
18日金曜日、ベツレヘムに近いベイト・ジャラの病院で、前日にイスラエル兵に撃たれた16歳の少年が死亡した。殺されたのは、ジアド・タカッカさんで、イスラエル兵士たちがベイト・フジャール村に侵入し、家の前で遊んでいた子どもたちに対して無差別に銃撃したとき、撃たれ、重体になっていた。
イスラエルの人権団体「ブツェレム」は、現在のイスラエル軍によるガザに対する攻撃を、集団懲罰であり、戦争犯罪にあたるとして、イスラエルのペレツ国防相に攻撃を中止するよう、緊急のアピールを出している。

上の写真は京都二条城の城壁跡地にあった樹です。

2007/05/18

水文化のこと考えてみました


「京の水文化は、都市計画や食文化だけに止まるものではない。貴船神社に代表される水の神への信仰、工芸の世界で多様されている水文様、夏に涼を呼ぶ打ち水、鴨川に並ぶ納涼床の水の風景。その全てが千年の長きに渡り、暮らしの中で育まれてきた京の水文化、水とともにある私たちの生き方である。このような水文化は、世界のどこの地域にもあったはずだ。上下水道が整い、水が見えなくなり、ある種の価値観のグローバル化が進むなかで、地域独自の水に対する思いや知恵が消えつつある。私たちは水との距離をもう少しせばめることが大切なのではないか。水文化を考慮した都市計画や河川整備をすることはもとより、日々の暮らしの中に水文化を感じる時を少しでも増やしていくことの必要性を<第3回世界水フォーラム>の場で強く伝えたい。」と考えて活動するカッパ研究会・NPO世界水フォーラム市民ネットワークというのがあるのをご存知でしたか。
その市民参加型の国際会議「第3回世界水フォーラム」 ではこんなことが話し合われていました。
この会議は2003年3月16日から国立京都国際会議場において8日間にわたって開催されたものです。過去最大の参加者だったそうですよ。(以下抜粋)

1997年のモロッコ・マラケシュ、2000年のオランダ・ハーグに引続き、賀・京都・大阪で開催された国際会議には182ヶ国、地域から2万4000人以上の参加があり、当初予想していた8000人を大きく上回る国際会議となりました。海外からの参加者は6000人を超えています。
今回の国際会議の目的は、オランダのハーグにおいて示された閣僚宣言「基本的な水ニーズへの対応、食糧供給の確保、生態系の保護、水資源の共有、危機管理、水の価値の確立、賢明な水の統治」などについて議論し、2002年夏のヨハネスブルクサミット(持続可能な開発に関する世界首脳会議)で採択されたコミットメント「安全な飲み水を入手できない人の割合と衛生施設にアクセスできない人の割合を2015年までに半減させる」を、実現する方法をついて示すことでした。
この国際会議において特筆すべき点は、これまでの国際会議とは異なり「誰でもが参加できる国際会議」をキーワードに、NGO、国際機関、学会、市民の誰もが分科会を開催できるシステムを設けたことです。
<第3回世界水フォーラムで議論された「水と文化多様性」>
「水と文化多様性」をテーマにした分科会には約1000人が参加しました。この分科会は、ユネスコ、フランス水アカデミー、国立民族学博物館(日本)の3者のコーディネートのもと、「水と文化多様性・オープニング」、「水の文化・知識から行動へ」、「文化財を守る水の文化」、「世界の先住民族:水の精霊世界」、「水と地域:生活の中の水」、「失われた権利:水利用の伝統」の6つの分科会で構成されており、約30ヶ国から56の報告がなされました。
「環境や水の分野であれば、世界に発信できるものが日本にはある」との建築家の安藤忠雄氏の基調講演で始まった分科会では、ニュージーランドの先住民族であるマオリ族の代表が「自己紹介で名前を言わないで、川や湖の名前を伝えることがある。川や湖は部族の命であり、水とは精神的につながっている」と発言し、会場の共感を呼びました。また、ラムサール条約に関するスペインの報告者は「水には、技術、神、食などに関わる文化があり、口から口へと伝えられている。これらの文化を失うことは、地域のアイデンティティーを失うことになる」と発言。同様趣旨でもある「水は社会文化の主体であり、客体であり、表現の源になっている」などの報告が、コンゴの先住民族や京都、ベトナムなどからあり、暮らしに息づく水文化(水の知恵)の重要性が参加者の共通認識となったことは意義あることでした。
分科会の最後は「水資源の管理・開発の基本は文化である。トレードだけですまされる問題ではない。また、持続可能な開発は経済・環境・社会の3つの要素から構成されているが、その地盤は文化であり、その土壌は倫理である」との言葉で締めくくられました。
<これからの水文化とは?>
その答を今回の国際会議の報告に求めると、一つは先人から受け継いだ文化の保存や活用にあります。イタリアのシエナでは中世の地下水道に文化的価値を見いだし博物館化しており多くの観光客を受け入れています。京町家に見られる打ち水や元旦の若水などの水に関わる習慣は、一時の清涼と厳粛さを私たちに感じさせてくれます。このような空間や時間を受け継ぐことが重要であるとの報告に疑問の余地はありません。必然性が文化を生みだし、より完成された文化が時間の中で淘汰されずに継承されていくのです。
でもその一方で、新たな水文化の創造も重要なことです。今回の国際会議では、世界子ども水フォーラム・京都の7歳から15歳までの30人の「子ども特派員」が正式プレスとして認められ、世界から参加した人々にインタビューした内容をまとめた「水っ子新聞(英語と日本語)」を期間中に4回発刊しています。今回の国際会議で活躍した子ども特派員をはじめとした世界の子どもたちが、新たな水文化を創造してくれることを期待せずにはいられません。

上の写真は二条城近辺のおせんべい屋さんの軒下で京都のおいしいお水で冷やされている飲み物類です。
これを見ているだけでクールさを感じて気持ちよかったです。打ち水も心を落ち着かせてくれます。アロマセラピーとかも効果あるでしょうが、こういう普段の余裕ある行為がそれとなく癒してくれることがあるんだろうなーと思いました。

2007/05/17

ジェーン・バーキンのイングリッシュブルは最高



あたまのよい犬、おかしくて愉しい犬、ただもう善良なる犬と、犬もいろいろいます。
でも最高の部類に入る犬種としてイングリッシュブルがいると思います。
うちの近所の公園にも一匹イングリッシュブルの大吉くんがいます。暑くなると動かないし、寒くなるとまた出たがらないというので会う機会はすごく限られます。
でもこの飼い主さんが大吉くんの前にボクサー犬を飼っていたこともあり、うちのヴァーモスに興味を持ってくれて、会える時間帯にあわせて散歩に出てきてくれてました。そのご主人が、ヴァーモスに会いたくて休日の曜日に何週も来てくれていたのに会えなくて、やっと会えたときにはなにやら片腕を怪我してギブスなどをしていました。大吉くんのせいではないとのことです。最近は暑いので見かけません。
うちにはひとりイングリッシュブルの大ファンがいて、ショーナンという環境も考えずに(暑くてムシムシする)イングリッシュブルを飼おうということになったときがありました。葉山にイングリッシュブルだけをブリーディンングしている女性がいて、一度会いに行きました。ルート134を横須賀に向かう海沿いの高台にお家はありました。入り口から階段に沿ってずっとバリの魔除けの焼き物が置いてありましたから、きっとバリが好きなんだろうと思って聞くと、そうでもなく、イングリッシュブルの写真を見せてバリで作ってもらったんだが、ちっともブルになってない、とブツブツ。
確かに似てないけど、バリニーズにとってはこう見えるのではないかしら、それかこういう風にするのがバリニーズの流儀とか。
ともかく、気持ちのよい庭と、大きな犬舎とそれにつながる犬の運動場、ただし緑ではなくておしっことか排泄のことを考えてだと思うけど人工芝のような感じのものが敷いてある空間があるところでした。
犬たちはショーとかに出ていて巡業がちで家にはあまりいないのだとの説明の後、これはこういう血統で、と言いつつ、一匹のまっしろいイングリッシュブルを犬舎から出してきました。一匹終わるとまたお話があってしばらくしてからまた別のイングリッシュブルを出してくる、そうか、こうやって客に見せるものなのか、プロだなーと感心した。どれもすごい血統で、ショーとかでも活躍してるんだろうけど、うちの近所のユニディーのペットショップで見た46万円のイングリッシュブルのほうがはるかにかわいいんだけど!ここのはかわいくない。
そう思っているのを悟られたのか、散歩がお好きな方だったらイングリッシュブルはオススメしません。きっと愉しくないと思いますよ、とやんわりと断られてしまった。ここでの収穫はイングリッシュブルではなく、安全のセキュリティのために置いているというグレーのドーベルマン、彼女はここにいるあいだわたしの横から離れなかった。かっこいいし、すてきな犬だった。でも彼女も巡業によく出かけるのでここにはあまりいないそうだ。きっと巡業生活は疲れるんだろうなー。精神的に休まらないよねー。どうしてこの子はわたしのそばから離れなかったのか、この子とならうまくやって行けそうだと感じたけど、そういうこと相手も感じていたのだろうか。ともかく、わが家ではイングリッシュブルを飼うことはやめにしました。

写真のイングリッシュブルはジェーン・バーキンの愛犬です。女優として歌手としてそして女性として、ジェーン・バーキンが好きです。彼女のイングリッシュブルも最高です。前からと後ろからと2枚アップしておきます。ほんと、これ以上ない!という愛くるしさのイングリッシュブルですね。パリで飼っているんですよ。写真をクリックすると少しだけ大きい画像で見ることができます。

2007/05/16

ジブラルタル海峡に海底トンネル


スペインとモロッコの両政府が、ジブラルタル海峡の海底に鉄道のトンネルを通してアフリカ大陸とヨーロッパをつなぐという大掛かりな構想を進めているそうなんです。
昔、ジブラルタル海峡をフェリーで渡ったことがあります。モロッコのタンジールに行くためでした。当時はまだ若かったから格安のルートを選択してパリからバスに乗ってスペイン最南端の港町アルヘシラス(アフリカ大陸までわずか14キロの距離で肉眼でも確認できる)まで行きました。パリでセルジュ・ゲンズブールのコンサートがあって、とにかくチケットをゲットするため販売ブースまで行ったのですが、すでにソールドアウト。その後しつこくどうしたら手に入れられるか食い下がっていたら、急遽追加のコンサートが決まり、なんともラッキーなことに最前列の席を手に入れることができたのです。(ゲンズブールの唾とシャンペンのバブルが飛んできた!)でもコンサートまでには一ヶ月ほどあります。それで、昔ニューヨークのハンターカレッジのクラスメートが絶対にイスラムの国へ行け!すばらしいインスピレーションを得ることができるから!と言っていたのを思い出し、その間、タンジールに行こう!ってことになったのでした。タンジールのカスバにはビート作家のバロウズが住んでいたこともあり、ストーンズのブライアン・ジョーンズも入り浸った街でしたから、迷いはありませんでした。バスの旅の途中に何度もトイレ休憩があり、簡単な食事ができるのですが、バゲットにハムがはさまったサンドイッチを頼んだイスラム教徒の一家が豚肉は食べられないことに気づいて、どうかこのサンドイッチを買ってくれないか、と乞われたことがありました。気づくとバスの中は顔や手に刺青を入れたモスリムの女性たちで占められていました。とにかく、見慣れない彼らの文化にドキドキわくわくしました。今のようにテロリストと結びつけて異文化を敵視するような風潮も当時はなかったですし、街のなかで聞こえる音も匂いも、ガンバピリピリの料理も、刺激的ですごく気に入りました。
話を戻して、この海底トンネルができると、朝8時の高速列車でスペインのセビリアを出ると9時半にはタンジールのオフィスに着くというのです。そうやって通勤する人の需要が増えているということなんです。フェリーに比べると三分の一に短縮されるそうですから。
でもね、パリを出て、一昼夜かけて目をさますと、怪しげな黒いカフタンで顔を隠した女性たちに囲まれている、そしてフェリーの中で入国審査を受け、着いたところがこれまた怪しげな雰囲気の石の街という、文化の変化を肌で感じることはできませんよね。
ああ、ジブラルタル海峡が懐かしい。

写真は宇宙空間から見たジブラルタル海峡です。左が大西洋、右が地中海。ちょうど地中海への入り口になります。

2007/05/15

ブラッド・ピットの頬が触れた


「アモーレスペロス」と「21グラム」を作った監督、アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥの映画「バベル」を見た。日本人には菊池凛子の演技で、その他の世界ではブラッド・ピットとケイト・ブランシェットの競演で、話題を呼んでいる。
さすがイニャリトゥ監督だ。911以後のアメリカの病的なまでの恐怖のありようが、いろいろに招く悲劇的情況を描いている。
アメリカ人観光客を乗せたバスが、父親がオオカミを殺すために買った銃が言われる通りの長い距離まで射抜くことができるものか、試していたまだ少年の兄弟の標的になったにすぎなかった事件が、いまの世界の恐怖を反映してアメリカ人観光客を狙ったテロの可能性があるとしたモロッコ政府とアメリカ政府間の政治的思惑により、救急車一台呼べない情況が続くこともそうだが、たまたま弾が当たってしまった妻と心が通わなくなっていた夫の子どもたちを留守宅の米国で預かるメキシコ人ベビーシッター(家政婦)、アメリアおばさんの人生が気になった。
不法就労者とはいえ、彼女のアメリカでの16年間が夜の国境検問所で一瞬にして吹っ飛んでしまうのだ。どういえばいいのだろう。物理的にはともかく、今後彼女は生きることにどうやって前向きになればいいというのか。もしかして、そもそもアメリカ人夫婦の子どもたちを乗せて国境を越えざるをえなかった理由の、息子の結婚式での昔の男友達とのちょっとした情事が生き甲斐になるとでも言うのか。まったく理不尽な展開だったが、日常的によくある話には違いない。もちろん、モロッコでアメリカ人観光客が銃撃されたという物語の核となるニュース(テロ攻撃だ!という恐怖)があって、アメリカ・メキシコ間国境の検問が警戒を呼ぶことになったんだが。
物語の発端である銃の持ち主としてひとりの日本人男性が浮上し、その父親(役所広司)と娘(菊池凛子)との物語が交錯するのだが、この親子の住んでいる湾岸の高層マンションからの眺めには自殺を呼ぶような誘惑がある(男の自殺した妻は銃で頭を撃ったのだ)。そこの空気は、マイケル・マンの95年の作品「ヒート」でデ・ニーロが女性を誘惑する場面に使われたときのものによく似ていた。
ところでブラッド・ピットですが、出演場面が少ない、物足りない、とどこかに書いてありましたが、どうして存在感は十分でしたよ。
この映画のブラッド・ピットとはちょっと違っていましたが、最近、体調を壊して苦しかったときに、夢に彼が出てきたんです。そっと頬に彼の顔が触れました。
うわー、やったー!こんな夢が見れるなんて夢にも思わなかった!これ以後、体調が戻りました。これほんと!です。
いやーそれよりなにより、若くもないのに、こういう夢がまだ見れることにびっくり。うれしかったなー。
ということで、写真はブラッド・ピットです。かっこいいでしょー、最高です。
クリックすると彼を拡大して見ることができますよ。

ジエチレングリコールが混入



5月10日のWeb版 徳島新聞にこういうニュースがありました。
パナマで販売されたせき止め薬に中国製の有毒な原料が含まれ、服用した少なくとも100人が死亡していたと、米紙ニューヨーク・タイムズなどが9日までに伝えた。米国では中国産の原料を使ったペットフードを食べたネコや犬が死んでおり、中国産食品や原材料への不安が高まっている。
同紙などによると、昨年秋、パナマで原因不明の死亡例が相次いだため、パナマや米当局が調査したところ、せき止め薬に使われた有毒な化学物質が原因と判明。365人の死亡者が薬を服用したとの報告があるという。
せき止めシロップに甘味料として使われるグリセリンのかわりに、中国の業者が安価な産業用「ジエチレングリコール」を使用、「グリセリン純度99・5%」と偽って輸出していたとみられる。
中国当局は8日、「無認可の業者が、医薬品として使えない化学原料を製造した」と中国企業の関与を認めた。(ニューヨーク9日共同)

ニュースにある昨年秋の騒動とはこのようなものだった。
パナマにおける謎の疾病 原因はジエチレングリコール 2006年11月28日
米国疾病予防管理センター(CDC)の国立環境衛生センター(NCEH)で働く科学者らは、2006年9月以降、パナマで多数の死者が出た謎の疾病について、パナマ社会保障機関(政府機関)が製造した無糖咳止め・抗アレルギーシロップ剤に混入された「ジエチレングリコール」が原因であったことを突き止めた。
疾病は下痢と発熱で始まり急性腎不全、麻痺、死亡に至るもので、患者の多くは高齢の男性だった。パナマ保健省は医師らの疾病報告に基づき対応を協議し、米国CDCや米国食品医薬品局(FDA)などに原因究明のための国際協力を要請した。
CDCチームは感染症の可能性も調べると共に、患者宅で見つかった高血圧用の薬や咳止めシロップなどの医薬品を分析。CDCチームがパナマに到着して9日後にジエチレングリコールが原因物質として浮かび上がり、疫学調査の結果、咳止めシロップが患者らに見られる共通因子のひとつであることが判明した。
パナマ保健当局は、ジエチレングリコール混入医薬品及び混入の疑いがある医薬品を病院から直ちに回収すると共に、国民に対してそれらの使用を中止するよう緊急告知した。問題の医薬品はすべてパナマ社会保障機関の工場で製造されたものであり、現在、これらの医薬品になぜジエチレングリコールが混入したのか、その原因について故意、事故などの観点から調査が進められている。
なお、同様な事件が10年前にハイチでも発生している。1995年11月から翌年6月にかけて109人の子供が急性腎不全などを患い、そのうち88人が死亡している。CDC、FDAなどとの共同調査の結果、ハイチ当局はアセトアミノフェンシロップに配合されたグリセリンがジエチレングリコールで汚染されていたこと、また、このグリセリンは中国から輸入されたものであったことを発表した。

食品でもこのジエチレングリコールが絡んだ事件がある。
1985年、オーストリアにおいて、極甘口のデザートワイン市場に目を付けた一部のワイン業者が、糖度の足りないワインに数g/L濃度でジエチレングリコールを混ぜて市場に出していたことが発覚。これを機に日本においても検査が開始されると、ジエチレングリコール混入輸入ワインが見つかり、その後、輸入品に止まらず国内品からもジエチレングリコールが検出された。ジエチレングリコールは甘味があり、粘度の高い無色の液体なので、日常的に消費する普通のワインにこれを添加すると舌触りがとろりと甘くなり、高級感を感じさせることができたようなのだ。当時、これによる健康被害に関する報道はなかった。

問題の「ジエチレングリコール」とは:
エチレングリコール(HOCH2CH2OH)2分子が脱水縮合したHOCH2CH2OCH2CH2OHの化学構造式で示される水溶性の無色無臭の粘稠な吸湿性液体で、甘味がある。医薬品原料、食品添加物として使用が認められている国はない。工業用溶剤、ブレーキ液、不凍液、燃料添加剤などさまざまな用途に用いられる。中毒例の多くは経口摂取によるものであり、中毒症状は吐き気、嘔吐、頭痛、下痢、腹痛で、大量のジエチレングリコールに暴露されると腎臓、心臓、神経系に影響を及ぼす。ヒトに対する経口致死量は体重に対して1000mg/kg。

上の写真は、京都東福寺の方丈庭園の一部です。苔と石が市松にデザインされた小市松は残念ながら時期的に苔の部分のボリュームが足りず、意図した美しさには至っていませんでした。
桜は早朝散歩した京都御所の桜です。写真はクリックすると拡大画面で見ることができます。

2007/05/12

慢性硬膜下血腫という病気


わが家には9年前に脳卒中をわずらい、左片麻痺状態のおじいちゃんがいます。
からだは不自由でも頭はしゃんとしており、「毎日がリハビリ」だと言って一日おきのヘルパーさんの介助つきお散歩も暑くても寒くても欠かさずに、歩けることを愉しみにしているおじいちゃんです。
気圧の変化とかでたまに歩行が不調になることはあっても、大きな崩れもなく、大きな変調もなく、週3日のデイサービスでは自分専用のテーブルもちゃっかり用意してもらってひとり勝手に切り絵をやり、あとの3日をヘルパーさんとのおしゃべりも弾み、午後にはリクエストに応えたおいしい夕食も作ってもらって、それなりに楽しく過ごしていました。
もし高齢のおじいちゃが家族にいて、そのおじいちゃんが脳梗塞や脳卒中の経験者で、飲んべえだったなら、そしてある日突然こういう症状が出たなら、陽気のせいだとか高齢だからそういうこともあるよとかのんきなことを言ってないで、至急、総合病院の脳神経外科に行き、CTスキャンを撮ってもらってください。
うちのおじいちゃんは、ある日突然、歩行困難になり、ぷらぷらでまったく機能してない悪い方の脚(左側)は、機能してなくても補足靴で固定して、歩くときにはそれなりに持ち上がって付いてきていたのが、ほとんど持ち上がらずに、よいほうの脚の機能も引っぱって、車いすでしか移動ができなくなった。
そうこうするうちに、朝5時には朝食、夜9時には就寝という規則正しい毎日の生活パターンが狂い出し、夜中過ぎにも寝室でうろうろしてるから、「どうしたの?もう夜中すぎてるよ」と聞くと、「まだ寝る時間じゃないから」と答える始末。もっとすごいのは、袖や頭を通すところがわからなくなり、服が自分では着れなくなったこと。どこをどう通したのか、拘束着みたいなことになっていて、そのまま車いすに平然と座っているのを見つけたときには度肝を抜いた。ジャケットの襟が下になって裾が襟の側になって着ていたこともあった。
おじいちゃんにしても、変なことはわかっているけど、何度やりなおしてもこういうことになっちゃうのであきらめたというか、途中で忘れちゃうみたいなのだ。
おもわず、お笑いでもやってくれてるのかと思って笑っちゃうこともあった、もともとユーモアのセンスはあるおじいちゃんだったから。
ヘルパーさんも、どうしたのかしら?とは思っても、もしかして冗談言ってる?と、はじめの頃はどうとらえていいか迷ったそうなのだ。尿失禁という症状もあった。頭をドアにぶつけたり見当が狂うということもあった。カレンダーはまだ4月なのに5月の13日の日付に病院へ行くと書いてある。今日は何日?と聞いてみると、2月のカレンダーを開き、2月13日だ、と答える。
そう、まさに痴呆症の症状だ。突如やってくる進行性の痴呆症かと思った。
やばいなー、やばいぞ、これは。どうする?おじいちゃんもそうだろうが、周囲もパニックっぽくなった。痴呆症はこうやって来るものなのか?困ったなー困ったぞ!
かかりつけの医師は、「この陽気だからねーしかたないよ。」「頭もおかしくなるよ」とぶつぶつ、こういう手があると言って、血行が良くなるクスリを処方した。それでもあんまりおかしいから、CTは撮っておいた方がいいのでは?ということにして紹介状を書いてもらった。
陽気のせいでも高齢のせいでもなく、この悪さを引き起こしている事態が右脳のなかで進行していた。これは「慢性硬膜下血腫」というちゃんとした病気だ。
原因は1〜2ヶ月前に頭部をぶつけたことによる外傷、二重の袋に包まれた血腫が脳を圧迫して、歩行困難やまるで痴呆症の症状を引き起こしていたのだ。
高齢者の男性に多く、高齢者の場合にはうちのおじいちゃんのような症状になるが、若い人だと頭痛や吐き気になるそうだ。
自然に治ることはまずない病気で、頭を5センチほど切開してドリルで穴をあけ、ドレインで血腫をすべて吸い出す手術をすることになる。即入院で翌朝手術となった。1時間20分ほどの手術になり、血腫が思ったより多くて全部を取り出せず、ドレインを付けたまま一昼夜自然に流れ出てくるのを待つことになった。
翌朝もまだまだ出てくるので、ドレインの位置をずらしてもう一日待つことに。この間、おじいちゃんの顔はまんまるお月さんのように腫れ上がっていた。目も開けられないほどだった。(そういえばだいじなことなのだが、様子がおかしくなったとき、顔がむくんでいた。)
でも翌日には全部とれて、傷口を縫っておしまい。顔も以前のうちのおじいちゃんの顔に戻っている。頭の方も戻ったよ。右脳をおそうじしてもらったので前より少しだけよくなっているかもね。(いまのところ前と変わりない。)
この病気は10万人に一人か二人の割合で起きてるそうだよ、でも増え続ける傾向にあると脳神経外科のオフィシャルサイトにはあった。
また再発もある。10%のリスクある人にうちのおじいちゃんは入る。すでに脳が萎縮しているし、出血しやすいし、血行をよくするクスリを飲んでいる。
もう酒はやめよう。転倒しても頭をぶつけたことをほとんどの人が憶えてないそうだ。うちのじいちゃんはよくベッドからだるまさんのように転がり落ちていたからね。酒を飲んでうとうといい気持ちになってベッドの上でお座りしていると、腕も脚も左側が利かないから、そのままコロリンとベッドの下まで落ちちゃうんだ。
まあ、とにかく、痴呆症とかではなくてよかった。
病名がわかったとき「すべては病気だったんだよ、よかったね、治るんだから」
まだ頭のおかしいおじいちゃんにこう言って家族は喜んだ。

上の写真は、先日京都に行った際のものです。二条城の北側の駐車場の脇道で見つけた「大泥棒」というかりんとうみたいなお菓子のお店、なつかしい「みかん水」を飲みました。これ、おいしいよ!

2007/05/10

リバーベンドがバグダッドを去る



バグダッドから発進するブログ「Baghdad Burning」の作者、二十代の女性と言われるリバーベンドの一家が、いよいよバグダッドから脱出するそうなんです。とりあえず出国する先はシリアかヨルダンしかないということで、国境で追い返されることも十分ある、命がけの賭けであるのと、通過したその先の国でいったいなにをするというのか?捨て去っていくもののあまりの大きさに不公平、理不尽と感じる、そのすべてを飲み込んでしまう時を迎えているということなんです。

隔離のための万里の長城(リバーベンドの日記 26 April 2007)
現行のイラク政府がアメリカ人の支援とガイダンスでもって建設している壁は、隔離のための万里の長城である。壁が崩壊する前のベルリンや現在のパレスチナのように、今こそアメリカにとっては物理的に分割して征服する時になった。このようにして彼らは「シーア派地区」からスンニ派を、「スンニ派地区」からシーア派を追い出し続けることができるというわけだ。
戦争を支持するイラク人たちは、彼らの宗教的に偏向した派閥政党がこのスンニ・シーアの抗争を煽っているということを信じようとしない。今のこの状況が戦争と占領によって起こされた直接の結果であることを彼らは認めようとしない。安全な場所に身を置く彼らは外国のメディアに向かってイラクの歴史について饒舌に語り、スンニとシーアがいつも争いあってきたかのようにまことしやかに説明しているけれど、私にはそれが許せない。祖国を捨てて何十年もたつ一握りの国外居住者がイラクに実際に住んでいる人々よりずっとよくわかっているふりをしていることに私は我慢がならない。
戦争の前の、どこにだって住むことができたバグダッドのことを私は憶えている。隣人の宗派がなんであるかなんて知らなかったし、そんなことを誰も気にしなかった。でも、私たちの生命は現在そんなつまらないことのために振り回されている。私たちの生存は、尋問で止めたり、夜中に家捜ししたりする、覆面の男たちのグループによって、宗派を隠したり、はっきりさせたりすることで、決まってしまうのだ。

ちなみにイラク政治の専門家、東京外語大大学院教授 酒井啓子さんによると、今のイラクは革命後の恐怖政治だということ。そしてまた「シーア派vsスンニ派」報道はあまりにも単純すぎる。「アメリカにしても国際社会にしても、イラクで混乱してるのは宗派対立だと思ってきたでしょ。でも今はどちらかというと、革命政権の中の派閥抗争、つまりシーア派内部の対立が一番問題になっているんです。今の革命政権はシーア派だけど、シーア派だという以上にむしろイスラーム主義を掲げる勢力です。」(SIGHT リベラルに世界を読む SPRING 2007の記事より抜粋)

上の写真は、今日あたり退陣を発表するはずのイギリスのトニー・ブレア首相です。3年前のまだまだ勢いのある頃のブレアと、ボノとのツーショットです。
1997〜2001年のノリに乗った前進期にはすばらしいアーティストたちがダウニング街を訪れていました。すごい!ですね。
Sting
Elton John
Bono
David Bowie
Bob Geldof
Mick Hucknall
Lord Attenborough
Joan Collins
Dame Judi Dench
Cilla Black
John Birt
Sir Richard Branson
Delia Smith
Stephen Fry
Kevin Keegan
Source: Downing Street list of guests at Chequers between 1997 and 2001

2007/05/08

キャプテンハリバートンはいつ退場するの


世界銀行のウォルフォウィッツ総裁が交際相手の女性職員を昇進や昇給で厚遇したとされる問題で、世銀の特別調査委員会は5月7日、総裁が世銀の倫理規定に違反したとの報告書をまとめた。複数の米メディアが報じた。
総裁は「規定に違反していない」と主張し、辞任を拒む姿勢を強調してきたが、調査委の報告書で一段と厳しい立場に立たされそうだ。世銀理事会は、報告書を踏まえ、週内にも総裁への処分を決定する見通し。
一方、世銀は同日、総裁側近のケルムズ上級顧問が辞意を表明し来週中に辞任すると発表した。同顧問は総裁が米国防副長官だった時代から仕え総裁とともに世銀入りしたが、「側近政治」との批判が強まっていた。(毎日新聞より)
ここまできても、ポール・ウォルフォウィッツは世界銀行総裁の職を辞する必要はないとブッシュ大統領は擁護する。
アメリカの戦争を主導してきたネオコングループの中心的存在のポール・ウォルフォウィッツが辞任を要求されている。2005年3月、国防副長官だったウォルフォウィッツは世界銀行総裁へ転出。その彼に恋人優遇スキャンダルが持ち上がったのは今年4月上旬のことだった。総裁就任にともなって恋人がアメリカ国務省へ出向、その際に世界銀行の規定を上回る昇給があったと報道され、辞任を要求する声が高まったのだ。アメリカ政府は彼の支持を表明しているものの、イギリスやドイツなどはアメリカに同調していない。
渦中の女性、シャハ・リザは、2001年あたりから世界銀行で中東・北アフリカ地域の広報を担当。ウォルフォウィッツは妻と30年以上も別居していることからリザとの交際は容認されていた模様。実際、総裁就任の際にウォルフォウィッツがふたりの関係を公表しても大きな問題にはならなかった。規則に従ってリザが国務省へ出向させられただけのことだった。だが今回は規則に反した昇給が指摘され、スキャンダルに発展した。つまり2005年の昇給で彼女の年収は約4割増え、コンディ・ライス国務長官の18万ドルを上回る19万3590ドルになったというのである。
だが問題はこれだけでない。リザと軍需産業との関係が浮上してきたのだ。有力軍需企業SAICによると、国防総省政策担当次官オフィスが2003年、同社に対してリザを雇うように指示してきた。この会社で彼女は働いていたと政府監視団体GAP(政府説明責任プロジェクト)も主張しているのだが、ダグラス・フェイス政策担当次官はこの件に関して「記憶にない」と言う。ちなみに、当時の国防副長官はウォルフォウィッツ。ペンタゴン側は問題ないとしているが、疑惑を招くできごとだったことに間違いはない。
その頃、リザはイラクを視察、アメリカ軍による軍事侵攻後のイラク再建について世界銀行の幹部に報告している。このため、アメリカ政府は「イラク復興」に世界銀行の資金を利用しようと計画していたのではないかとの憶測も生まれている。
今年4月中旬、リザの出向先に注目が集まる。彼女はエリザベス・チェイニーの下で働いた。エリザベス・チェイニーとは、ディック・チェイニー副大統領、つまりイラクへの軍事侵攻で最も利益を得たといわれる軍需企業ハリーバートンのCEO(最高経営責任者)だった人物の娘なのだ。そしてエリザベスの上司はC・デイビッド・ウェルチ中東問題担当次官補だった。
エリザベスは「未来基金」なる政府系の組織を本格的に始動させようとしていて、中東地域に「民主主義」を広げるため、草の根組織を育てることを目的としているんだそうだ。アメリカ政府が言うところの「民主化」や「民主主義」がどういうことを意味するか、あるいはどういう世界をもたらすかは、その他の世界には痛いほどよくわかっている。(いい加減にしろ、こりごりだ!)
4月14日付ワシントン・ポスト紙によると、基金のオフィスで実際に働いているのはリザだけなんだそうだ。今年から彼女は正式に基金の仕事を始めているが、まだ世界銀行から給与をもらっているとも報道されている。
ウォルフォウィッツは親イスラエル派であるが、もうひとり、辞任を要求されている人物にイスラエルのオルメルト首相がいる。彼の方は今回なんとか首をつないだようである。
上の写真は、久々のWard Suttonの作品でーす。キャプテンハリバートンだい。金儲けには長けているかもしれないが、どう見てもマヌケ。
 
 

2007/05/06

Save the Dugong



辺野古は、沖縄の美しい海でも、派手さのない反対側にある海です。
一昨年、沖縄に来ているのに、体を張ってここに米軍基地は作るな!とがんばってる地元の人びとを激励しに行かないのは失礼だと思い、ナビを頼りに向かったのですが、土地に不慣れなので莫大な占有率の米軍基地に阻まれて辺野古の湾に下りていくことができませんでした。なので山の上の方から眺めるだけになりました。そのときは目立った活動はなかったようでした。しばらくニュースにならないな、と思っていたら、「重大な局面を迎えている」とのメールが今朝、飛び込んできました。

絶滅危惧種ジュゴンの棲む沖縄本島北部、辺野古/大浦湾の沿岸に、巨大な米軍基地を建設する計画。その計画が今、重大な局面を迎えています。
那覇防衛施設局は、基地建設に向けて「環境アセス」の手続きを開始しようとしており、また契約コンサルタント各社はすでに「事前調査」に着手しています。
私たちは、適切な環境アセスが行われれば、辺野古/大浦湾の豊かで貴重な自然環境に米軍基地が建設されることは不可能であると確信しています。
しかし今回の事前調査や環境アセスが、基地建設を進めるための道具としてむしろ使われていくのではないかと、私たちは深い懸念を持っています。
国際社会に恥じない事前調査と環境アセスを、那覇防衛施設局と契約コンサルタント各社に実施させるため、私たちの署名運動へご協力下さい。
ジュゴン保護キャンペーンセンター/市民アセスなご
ジュゴンを守るための環境アセスを!
petition at
http://www.thepetitionsite.com/takeaction/511549172.

絶滅のおそれのある海の哺乳類ジュゴン。現在、沖縄の海に残る、国内最後の個体群を保護するため、さまざまな活動が行なわれています。WWFジャパンではジュゴンの写真パネルを作成しています。ここのウエブサイトでジュゴンの写真を見ることができます。
上のペティションは3000人の署名を目標にしています。どうか、ご協力を!

上の写真は、最近のうちの犬たちです。サンバを連れて訓練中のヴァーモスのところへ遊びに行った際のもので、暑くてバテ気味の2匹はちょっとした木陰でだらだらモード、たまに会うだけなのに、なかよし、なんです。クリックすると大画面で見ることができます。