見つけた 犬としあわせ

ニュースのファンジン、世界のニュースのサンプリング。 一枚のCDを聴くように一枚のコラージュを眺めるようにこれを体験して欲しい。

2010/05/07

遺憾に思うのは米国の傲慢さ


◇オキナワのもうひとつの闘争

抗議にもかかわらず、米国はあくまで島の新たな軍事基地計画を推進すると言い張る。

オキナワの軍事基地にふりかかる論争で米国は日米同盟を永久に傷つけかけている。この島を管轄する県は日本の米軍施設の四分の三を受け入れる。ワシントンは、生態学的に微妙な領域であるところにもうひとつ基地を建設したがる。オキナワ県民はそれに猛烈に反対して、先月基地に抗議して数万人が結集した。東京は板ばさみになっている、そしてまるで日本の首相が力尽きて米国の要求にくずおれたかのように思える。

チャルマーズ・ジョンソン教授

第二次世界大戦以降米国が獲得してきている地球を帯状に囲む海外の軍事基地(130カ国に700以上)の配備でも、私たちがオキナワに配置した基地以上に悲しい歴史のあるところはほとんどない。

1945年、日本はもちろん敗れた敵国だったので、どこにどうこれらの基地が配置されるかにノーを言えなかった。日本の主たる列島で、私たちは簡単に彼らの軍事基地を接収した。だが、1879年に日本が併合するまでオキナワは独立した王国だった。そして多少、米国がプエルトルコを遇するように、日本はオキナワを遇し続ける。最後の太平洋の激戦で島は打ちのめされた、米国は欲しかった領土を有無を言わせずごり押ししたというしかなく、村人から所有権を取り上げるかまたは彼らを強制的にボリビアへ移住させた。

1950年から53年までオキナワの米軍基地は朝鮮戦争を戦うため使われた、そして1960年代から1973年までヴェトナム戦争の間ずっと使われた。兵站や補給および離着陸軍用飛行場として機能したばかりか、基地は兵士らが休養や娯楽・気晴らしを取るところでもあった、そしてバーや売春婦、人種差別というサブカルチャーが生まれた。幾つかの基地周辺のアメリカの黒人兵士と白人兵士間の争いがそれは頻繁ですさまじかったので、二つのグループに娯楽などを提供するため別々のエリアが開発された。

日本の米国による占領は1952年の平和条約で終わったが、オキナワは1972年まで米軍の居留地のまま残った。20年間、オキナワ人は、日本のパスポートもアメリカのパスポートも市民権資格も与えられずに、本質的に国籍のない人々だった。日本がオキナワの主権を回復した後も、アメリカ軍が多数の基地とオキナワの領空で起こることを通じて支配を保持した。

1972年以降、日本政府とアメリカ軍は、オキナワ人が将来についてあれこれ言うのを拒むことで共謀してきているが、これがゆっくり変わってきている。たとえば、1995年に2人の海兵隊員とひとりの水兵が12歳の少女を誘拐してレイプした罪で告発された後、基地に反対する大がかりなデモがあった。1996年、米国は宜野湾の街に完全に囲まれた普天間を返還するのをいとわないとすることに同意したが、ただし、日本が島のどこか他の場所に代替えする別の基地を建設しなければならない。

このように名護選択肢は1996年に実を結んだ(日米合意では2006年まで明確な形にされなかった)。名護はオキナワ本島北東部の小さな漁村で、フロリダのマナティーと同様の絶滅危機に瀕する海の哺乳動物ジュゴンが生息するサンゴ礁の現場だ。そこに大きなアメリカ海兵隊基地を造るには、サンゴ礁を殺して、くい打ちするか埋め立てするかして滑走路を建設しなければならない。以来ずっと、環境保護主義者らが抗議してきている、そして2010年初め、名護は、街のどのようなアメリカ基地にも抵抗することを綱領に出馬した市長を選出した。

2009年に政権を取った日本の首相、鳩山由紀夫は、普天間海兵隊飛行場を放棄して島から全海兵隊が出ていくことを合衆国に求める公約でいわば勝利した。だが、火曜日、彼はオキナワを訪れて、深くおじぎすると、居住者らにどうしてもじっと苦難をこらえてくれと頼んだ。

鳩山のふるまいは臆病で卑劣だと認めるが、日本を周到かつ巧妙に屈辱的な行き詰まりに押しやることで、米国政府の傲慢さのほうを私はずっと遺憾に思う。米国は私たちの軍事基地の帝国を維持することに取り憑かれるようになってきている。私たちは基地に割く余裕がないし、いわゆる受け入れ国の増加する数がもはや基地を望まない。米国は傲慢な態度をやめて、普天間の海兵隊を(私の住んでる近くのキャンプ・ペンドルトンといった)米国にある基地に戻し、オキナワの65年の忍耐に感謝することを、私は強く申し出るつもりだ。

(ロサンジェルスタイムズ紙 6 May 2010 by Chalmers Johonson)

△チャルマーズ・ジョンソンは、「Blowback」や、まもなく出版の「Dismantling the Empire: America’s Last, Best Hope.」を含める、幾つかの本の作者です。

http://closethebase.org/2010/05/06/chalmers-johnsons-op-ed-in-the-la-times/



◇デニス・クシニッチ下院議員の声明

日本の人々への連帯メッセージ 在日米軍基地をめぐって


沖縄の人々は長い間、在沖米軍基地再編に反対を表明してきました。彼らのその強い意志は、本年初頭の稲嶺進氏を市長に選出した選挙での圧倒的な票に明らかです。稲嶺氏は名護市に米軍基地を建設しないとの公約で選挙運動した候補者です。

先週、私は米下院歳出委員会防衛小委員会の委員長に手紙を送り、普天間基地に駐留する米軍海兵隊の名護市への移転計画についての私の懸念を表明しました。海兵隊がその部隊を名護市へと移そうとするに際し、その議論には地元住民の視点がまったく存在していないのだ、と。

稲嶺市長の選出は、自分たちの環境と暮らしを守ろうとする地元の人々の勇敢なる闘いにおける重要で象徴的な勝利でした。沖縄の人々の懸念が考慮されなければなりません。基地移転への彼らの強い反対、そして新たな軍事基地建設から生じるであろう環境上、経済上の損害を脇に押しやることはできません。その地の海洋生物に自然の生息地を提供してきた脆弱な珊瑚礁は、地元漁民の経済的基盤と共に脅かされています。

私は沖縄の人々の懸念が米国連邦議会の中に確実に伝わるよう、沖縄の人々の闘いを支援し、彼らの土地と環境を擁護する努力を続けます。

(CLOSE THE BASE 25 April 2010)

http://closethebase.org/2010/04/25/congressman-dennis-kucinichs-message-of-solidarity-with-the-japanese-people/

2010/05/04

The Ghost Writer



◇カリフォルニアの検察官による合衆国に引渡せとの要請を拒むよう求めるスイス当局への個人的訴えをロマン・ポランスキーが公表してきている。

「もはや黙ったままではいられない」と、日曜、ポランスキーは友人のフランス人哲学者バーナード・アンリ・レヴィが運営するウェブサイトの投稿で言った。

ポランスキーに対するセックス訴訟事件を却下するよう求める犠牲者(46歳)の嘆願書をカリフォルニア控訴裁判所判事ピーター・エスピノーサが拒んだ10日後に、オスカー受賞監督の手紙が出てきた。

「どのような仲介者もなしに私自身の言葉であなた方に向けて直接話しかけるために沈黙を破ることに決めました」と彼は書いた。

「ピアニスト」や「ローズマリーの赤ちゃん」の監督、ポランスキーは、引渡し(送還)要請は売名につとめている検察官によって政治的に誘導され、すでに彼は服役してきているので不公平だと主張した。

1977年、彼は13歳の少女との背徳な性交渉を持ったことで罪を認めたが、判決を下される前にヨーロッパに逃げた。米国の逃亡者令状に基づいて昨年9月にスイスで逮捕されて以降、彼は国際間の逃亡犯罪人引渡し闘争の対象になってきている。

12月初めにスイス当局は、合衆国への「引渡しまで」、450万ドルの保釈金で監督を刑務所から釈放した。

「私たちみなにあるように、私にもドラマと喜びの分担がありました、そして私の運命を哀れんでくれるようあなた方に請おうとしているのではありません。」とポランスキーは書いた。「私はただ他の人のように公平に扱ってくれと頼んでいるだけです。」

彼の有罪答弁と引き換えに得られると予想した短い刑期に判事が同調しないかもしれないと知った後、ポランスキーは国外逃亡した。

最近のドキュメンタリー映画「ロマン・ポランスキー:Wanted and Desired」は、もしポランスキーを刑務所に送らなかったら世間のイメージが傷つくのを心配した検察官とメディアに取り憑かれた判事とのあいだの1977年の裏工作取引を描写した。

ドキュメンタリー映画が「攻撃されてきたと感じてスイスから私の引渡しを要請すると決めた、ロサンジェルス当局の憤りを招いた」から、彼の訴訟事件が「30年以上のまどろみからよび起こされた」とポランスキーは言った。

「この訴訟事件を扱っている、私の引渡しを要請してきた新しい地方検事は、自分の選挙運動をしていて、メディアの注目を必要としている!」と彼は書いた。

ロサンジェルス郡地区検事のスティーヴ・クーリーは現在、カリフォルニア検事総長の候補者だ。

33年前にカリフォルニアのチノ刑務所で全部の刑に服してきているとポランスキーは書いた。

「あの期間が私の刑期の全体にあてはまることになっていた」と彼は言った。「私が刑務所を出るまでには判事が考えを変えていて、チノで服役した期間は刑期全体を満たしていないと主張した、そして私が合衆国を出たのを正当化するのがこの方向転換だ。」

1977年に彼の訴訟事件を担当していた退職した検察官によって2月宣誓して差し出された封印された証言を、彼は証拠として挙げた。

チノでの45日間の監禁は単にポランスキーが心理学者によって評価されたにすぎないと検察官らは主張した。

「引渡しの根拠がないこと、そして私が家族と再会し当然平和を見いだせること、そして故国で自由に生きられることをスイスが事実として受け入れるとの有望な見込みをあなた方の前途に感じさせたらと願う、事実はそんなもの」とポランスキーは書いた。

彼の最新映画「The Ghost Writer」に関するポストプロダクション(フィルム撮り後上映までの制作)はポランスキーがスイスの獄中にある間に終えた。

逮捕前フランスに住んでいたポランスキーは、スイスのクシュタートの彼の田舎家で自宅軟禁状態にある。

刑務所に戻ることで彼のルールに則った反対論拠を法廷が認めることができる前に、ポランスキーは合衆国に戻らなくてはならないと、1月、ロサンジェルスの判事が裁定した。

地区検事代理デイヴィッド・ワルグレンはその時、「被告は逃亡者」と言った。「未解決の令状に屈することで、彼、犯罪者がこの法廷の法律の認める権限を認めるまで、児童レイプ犯の逃亡者...には、この法廷に要請するどのような能力または権限も与えられるべきでない。」

週末までずっと、ロサンジェルス郡地区検察局はただちに批評に手が届かなかった。

(CNN 3 May 2010 by CNN Correspondent Alan Duke)

△上の画像はポランスキーの新作「The Ghost Writer」のポスター
YouTubeで予告編みてください
ぞくぞくもの!です

2010/05/02

イスラエルを締め出せ



◇日本が「平和と繁栄の回廊」にすると宣伝し続け、イスラエルの協力の下で開発プロジェクトを続けているパレスチナ西岸地区のヨルダン渓谷地域で、パレスチナ人の村が今まさに消されようとしています。

この新たな民族浄化の動きは、同地域で20年以上ぶりに新たに建設されているマスキオット入植地の極右入植者とイスラエル軍・警察が共同で行っているものです。

ネタニヤフ首相は今年3月にもいかなる「和平」においても同地域を「手放さない」ことを明言しており、今回の動きはヨルダン渓谷の併合、「ユダヤ化」の既成事実化を狙ったものだと考えられます。

関係当局に、マリーハ村のパレスチナ人に対する軍民一体の暴力を直ちに停止するよう、働きかけてください。

http://www.jordanvalleysolidarity.org/
http://jvsj.wordpress.com/

◇パレスチナ人を彼らの土地から追い払うマスキオット入植者を止めて
ヨルダン渓谷、西岸、2010年4月29日


パレスチナと世界中のインターナショナルのメンバーから支援者へ緊急の呼びかけ


この3週間、ヨルダン渓谷北部のパレスチナ人たちは、一斉に行われる嫌がらせと脅迫の一連の作戦行動にあってきている。近くのマスキオットのイスラエル人入植者らがパレスチナ人コミュニティからさらにいっそう土地を盗みたいと思っていること、そしてイスラエルの軍と警察によって支援され、けしかけられていることが、まったく明白になっている。

4月11日、農民たちが作物に水を引けないようにバルダラ村で水が止められた。それから翌12日、イスラエル占領当局がアイン・アルマリーハ・エリアに軍事禁止ゾーンを宣言して農民や羊飼いが彼らの土地に入れないようにした。イスラエル占領当局がキルベト・アルファリシーヤを急襲して地元農民たちのものである4つの給水ポンプを没収した15日にも脅迫は続いた。

入植地のイスラエル軍と警察によって支援されるマスキオット入植地の武装した入植者らが、アルマリーハのパレスチナのベドウィン・コミュニティの入口からわずか10メートルのところにテントを建設してベドウィン(遊牧民)・コミュニティに土地から出ていくよう命じた4月25日、事態はさらにいっそう深刻になった。4日間、このコミュニティは所有物の窃盗を含める継続的に受ける虐待、嫌がらせ、脅迫にもかかわらず、彼らの土地を去るのを拒んだ。次には29日木曜早朝に軍が暴力のおどしと窃盗への返礼を入植者らに与えた。彼らはそのエリアに軍事禁止ゾーンを宣言してベドウィンの家族に強制的に家を解体させ去らせた。

これより前の夜、近くのパレスチナ人コミュニティでパレスチナ人の幼い子ども2人がイスラエル軍のジープに轢かれて殺された。地元の人々は先のアルマリーハのできごとに関連があると考える。軍のジープはそのエリアを巡回しており、地元コミュニティを通りかかっては絶えず威嚇してきていた。そして子どもたちにまっしぐらに突進する前、ジープは子どもたちが乗っていたトラクターを旋回していた。

次に何が起こるか、地元コミュニティが非常に心配しているのに加えて、このエリアの情況はいま非常に深刻だ。彼らはこの2週間、繰り返し支援を訴えてきている。そして支援が得られて、彼らがさらなる攻撃を受けるとすれば、みんなが非常に迅速に行動できることを彼らは知っておく必要がある。

このエリアにいるブライトン・トゥバス・フレンドシップ&連帯グループのテレジアは、こう訴えてきている。

「脅威にさらされるこのコミュニティにやってきて支援するインターナショナリストが私たちには死に物狂いで必要です。他のエリアでも入植者たちが同じ戦術を使おうとするのが心配ですし、パレスチナのインターナショナリストがヨルダン渓谷のコミュニティを支援するため迅速に応じられることが本当に重要です。」

私たちに何ができるか?
まずはメールとファクスを送ること:
(例文:I am so concerned about the ongoing illegal actions
of the Maskiot settlers, and demand that the Bedouin
community should be allowed to stay free from
violence and intimidation.)

・Ehud Barak(エフード・バラク副首相、国防相)

Deputy Prime Minister and Minister of Defence
Ministry of Defence

Fax: +972 3 691 6940
 +972 3 696 2757
 +972 3 691 7915
email: minister@mod.gov.il

ehudb@knesset.gov.il 

pniot@mod.gov.il 
www.mod.gov.il

・Benjamin Netanyahu(ベンヤミン・ネタニヤフ首相)

Prime Minister
Office of the Prime Minister

fax: +972 2-6496659

emails: bnetanyahu@knesset.gov.il

PM_ENG2@pmo.gov.il

PMO.HEB@it.pmo.gov.il

pm_eng@pmo.gov.il

・岡田克也外務大臣
Fax:03-5501-8430
ご意見メールフォーム
https://www3.mofa.go.jp/mofaj/mail/qa.html


(インターナショナルソリダリティUK 30 April 2010)

◇4月30日早朝3時頃、パレスチナ・ヨルダン渓谷のジフトリーク村の家にイスラエル軍が押し入り、パレスチナ人の住民を一人を逮捕しました。

同日午後現地を訪れると、村の逮捕者の家の前にイスラエル軍および国境警察のジープが何台も入り込み、村人たちが数百メートル離れた場所で様子を見守っています。現地にさらに近づくと、逮捕者の家の敷地の一角をショベルカーなどで深く掘り下げ穴を掘っていることがわかります。実際にそこに危険な何かがあるという風ではなく、嫌がらせのため人々を追い出してひたすら穴を掘っているように見えます。

このイスラエル軍のすぐそばで、数名の外国人が写真やヴィデオを撮っていました。最初はパスポートを見せ撮影をしてよいことになってはずなのに、その外国人のうち2人がとり囲まれて、事実上拘留された状態で「カメラを出さないと逮捕するぞ」の脅しの下にカメラを没収されるという事態に陥っています。

夜になる前にイスラエル軍はジフトリーク村から撤収し、村人たちが村の中に戻っていました。28日、マスキオット入植地の武装入植者がすぐ隣のアルマーレに住んでいる遊牧民(ベドウィン)を追い出し、無理矢理境界線をつくったという事件がありました。遊牧民は避難した状態が依然として続いています。遊牧民とその支援者たちが行った抗議行動の中で、パレスチナ人支援者の一人が逮捕されています(現在釈放されています)。

なお、28日にイスラエルのジープによって、故意ではないとされているものの、二人のパレスチナ人の子どもがひき殺されました。5歳と10歳の女の子の姉妹です。30日夜に弔問に訪ねたところ、多くの住民がひっきりなしに訪れていました。

(jvsj 2010年5月1日)

写真は2人の子どもをひき殺したイスラエル軍のジープ