見つけた 犬としあわせ

ニュースのファンジン、世界のニュースのサンプリング。 一枚のCDを聴くように一枚のコラージュを眺めるようにこれを体験して欲しい。

2008/05/17

ゲイカップルとサンフランシスコ市の勝利


◇カリフォルニアが同性婚禁止を取り除く
カリフォルニア州最高裁は同姓カップル間の結婚を禁止する州法は違憲だと裁定した。
「家庭関係を形成する権利」は、性別にかかわらず、すべてのカリフォルニア州民に適用されると州最高裁は言った。
同性婚禁止は2000年に有権者によって承認されたが、ゲイの権利を求める活動家やサンフランシスコ市によって異議申し立てられた。
州議会はゲイの結婚を合法化する法案を2度可決したが、アーノルド・シュワルツェネッガー知事がそれらを拒否した。
カリフォルニアの司法制度が判断を下すべき問題だと彼は言った。
7人の判事団のうち4人が、2000年の法令は差別的だと非難した原告に賛成した。
カリフォルニア首席判事ロン・ジョージは意見書の中で、「結婚の意味(指定)を男女間の結合に限定するのは憲法違反であり、法令から削除されねばならない。」と述べた。
・歴史に残る
裁定は法廷の外で同性婚支持者らから喝采で迎えられる。
「心から感謝する。これは歴史に残る日だ」と市の論拠を法廷に示したサンフランシスコ市の検事(代理人)デニス・ヘレナは言った。
「法の下に等しくすべての人に権利を与えることが、たぶんこの日を記憶にとどめておくだろう」と彼は言った。
同性婚を許すのはマサチューセッツ州に続き合衆国で2州目になる。
カリフォルニア最高裁の裁定は、今後全米にきっかけをつくらせる画期的な目標となる。
州は目下、家庭のパートナーとして登録する同姓カップルに男女間の結婚と同じ法律上の権利と責任を提供する。
他にヴァーモントやニュージャージーといった州には同類の市民結合規定(条項)がある。
カリフォルニアの有権者は2000年の住民投票で同性婚の禁止を是認した。法令は「カリフォルニアでは男女間の結婚のみが妥当、もしくは認められる」とはっきり申し立てる。
2004年初めに市長のGavin Newsomが同性婚認可証に権限を持たせて州議会は差別すると主張してから、サンフランシスコはゲイカップルが結婚できる米国で最初の場所となった。
同年8月、市長は彼の権限を踏み越えて何百という結婚を法的に無効にしたとカリフォルニア州最高裁は判断を下した。
最高裁に訴訟を起こすことで、ゲイの権利を守る団体Equality Californiaは、二十数組のゲイカップルとサンフランシスコ市を結託させた。
(BBC NEWS 15 May 2008)

◇米カリフォルニア州最高裁は15日、同性婚を禁じた州法を違憲とする判断を示した。米国で州最高裁が同性婚を法的に認めたのはマサチューセッツ州に次いで二例目。米最大の人口を抱えるカリフォルニア州が「合憲」としたことで、他州の審理や大統領選への影響も予想される。
7裁判官中、4対3と小差で決定された。多数意見に回ったロナルド・ジョージ首席裁判官は「州憲法はすべての州民に等しく基本的な市民権を保障している。誰もが生涯のパートナーと公的に認められた家族を持つ権利がある」とした。
同性婚に反対のシュワルツェネッガー知事は「州最高裁の判断を尊重する」とし「今回の決定を覆すような州憲法の改正は支持しない」とも述べた。
(東京新聞 2008年5月16日)

◇専門家は、今回の判決は米全土に影響すると見ている。米国では、カリフォルニア州、ニュージャージー州、バーモント州が同性愛カップルに夫婦としての法的権利を認める法律を持つものの、これまで同性婚を認めていたのはマサチューセッツ州のみだった。
(AFP通信 2008年5月16日)

2008/05/16

イーノとバーンのコラボレーション復活


昨日、やっとポール・トーマス・アンダーソンの「There Will Be Blood」見てきました。せりふなしの冒頭20分にはしびれた。監督みずからそう言いたくなるほど、ぞくぞくして、それは「いい線」いってました。物語の主人公のオイルマンの憎しみが地底からじわっとしみ出る石油とともにカリフォルニアのB面を邪悪に塗りつぶしていく不安感を、レディオヘッドのギタリスト、ジョニー・グリーンウッドの音がぴたりと叙述する。
同じ神奈川県に住んでいながら、川崎チネチッタで映画を見るのは初めて。昨年は2位に落ちたというニュースで知ったことですが、これまで観客動員数でずっと1位だった映画館です。なるほど、いい映画館でした。まわりの雰囲気も「これが川崎!」とびっくりするほどしゃれたイメージに勉強して作られていました。思わずドイツビールがはずみます。上映前の待ち時間にブライアン・イーノのアルバムが流れていたのもうれしいことでした。以下、4月のイーノ関連のニュースからーー。

◇夢のアート・ロック・チーム復活
今週、デイヴィッド・バーンがずっとうわさされていた旧友ブライアン・イーノとの復活するスタジオ制作が、ほぼ完成するとアナウンスした。
夢のアート・ロック・チーム、デイヴィッド・バーンとブライアン・イーノが次なる奇妙な果実を有してまもなく復活することになると、元トーキングヘッズ・マンが最近NME.comに伝えた。

ニューヨークでのイヴェントで話すバーンは、結果として3枚のトーキングヘッズのレコードと1981年の名作「マイ・ライフ・イン・ザ・ブッシュ・オブ・ゴースト」となった70年代後半と80年代初めに育まれた関係をこの二人組が再燃させたことを明らかにした。

「30年前に仕事仲間だったミュージシャン、ブライアン・イーノとの録音を仕上げている」と4月9日のブルックリンアカデミーオブミュージックでのポール・サイモンとの共演のあとでバーンは言った。「ボクたちはいっしょに歌を録音した、そしてそれは発表されることになる。」

NYデイリーニュースは次のように付け加える:
この20年で初めて、双方が認める友人のブライアン・イーノとコラボレーションしているとバーンは語った。「ブライアンはたくさん曲を書いていたが歌詞を必要としていて、それをどうするかはボクがよくわかっている。どんなふうな音かって?エレクトロニック・ゴスペルだよ。それ以上は言わない。」

情報筋は、アルバムはどうやらNonesuch から発売されることになりそうだが、おそらく2009年になるのではないかと述べる。

同時に、デイヴィッド・バーンの出演契約エージェント、マーク・ゲイガー(ウイリアム・モリス・エージェンシー)は、バーンとイーノのライヴ公演で米国の幾つか異なるプロモーターからのオファーを求めてきている。そしてライブの少なくとも40%はイーノとトーキングヘッズ時代の曲からになると請け合う。受け手がいるかどうかはまだ教えない。ツアーの大部分がすでに申し込まれる。

Enowebから最新情報:
イーノのレーベル、Opalによれば、ブライアンがデイヴィッド・バーンとツアーに出ることはないとのこと、従って、どうも Daily Swarmの情報筋とすれ違っているらしい。
(The Daily Swarm 17 April 2008)

写真は、懐かしい頃のドリームチーム。イーノはこんなにやせていた!デイヴィッド・バーンの「狂気」の目もいまは穏やかに。
バーンは目下、ポール・サイモンとつるんでいて、「ポール・サイモンの歌をポール・サイモン以上に歌えるのはバーン」だと、NYデイリーニュースのゴシップ欄にはあります。

2008/05/14

劇場にはゴンゾの幽霊が


◇ゴンゾの映画が公開される 
昨夜、「Gonzo: The Life and Work of Dr. Hunter S. Thompson」を上映するサンフランシスコの歴史に残るカストロシアターに何千人もの人びとが詰め込まれた。映画はヴァニティフェア誌のエディター、グレイドン・カーターとオスカー受賞者のアレックス・ギブニー(受賞作「Taxi to the Dark Side」の監督)がプロデュースしたドキュメンタリーだ。

サンフランシスコ映画祭のクロージング作品でNRDCのために10万ドル以上を調達した映画は、鋭敏でまったくしらふのレンズ越しにハンター・S・トンプソンの知性と著作のひねりのきいたすぐれた才能を熟視する。りっぱなドクターの長年の友であるジョニー・デップがナレーターをつとめる。作家のトム・ウルフ、アーティストのラルフ・ステッドマン、伝記作家のダグ・ブリンクリー(ヴァニティフェア誌の寄稿編集人)を含め、ドクターの同僚と同時代人らがインタヴューを受ける。

目下のできごとに照らしてトンプソンのニクソン時代の嫌悪(と畏怖)のすべてがあまりにも予言的すぎるのに出くわして、この国の最もリベラルな都市のひとつ、ここサンフランシスコで実のところ共鳴に見舞われた。当惑させるほど類似したイラクとヴェトナムのイメージを映すフレームに画面が分割されるとき、どいつもこいつもパタゴニアのシャツを着たワインをがぶ飲みするヤッピー映画愛好家のその腕に痛みが走るほど、ぞくっと寒気を感じても不思議なかった。ゴンゾの幽霊が劇場にいた。

映画が終わり、ヴァニティフェア主催のひと組のクロージングパーティ会場、プラナレストランとテンプルバーに向かって映画好きがさわやかな海岸の空気のなかを進むとき、まだ鳥肌は立っていた、そのけば立ちはなにかと便利だ。

約600人のゴンゾファンがテンプルでパーティをした、同時に他の300人がハワードストリートを渡ってまっすぐ、なんかこうもっとプライベートなノリのプラナに向かった。プラナの参加者にはヴァネッサ&ビリー・ゲティ、デニス・ヘイル、フェスティバルディレクターのグラハム・レゲット、ステファニー&ピーター・コヨーテ、パブリッシャーのフィル・ブロンステインのようなベイエリア社会に長く居座っている人たちが含まれた。部屋がサンフランシスコSummer of Loveバンド、ジェファーソン・エアプレーンによるリミックス版の「Somebody to Love」をたたき出したとき、この有名なトンプソンの引用のことを考えるのは難しくなかった。「60年代は最高のリアリティの時代だった。オレは催涙ガスのニオイが恋しい。ぶちのめされる恐怖が恋しい。」そしてもうひとつ、「オレはディスコについて、ヘルペスで感じるのと同じように感じる。」
(ヴァニティフェア誌 May 9, 2008 by Claire Howorth)

◇ヤン・ウェナーとコーレイ・シーモアによって書かれる、このハンター・S・トンプソンの口述伝記は、ケンタッキーでの彼の幼年時代に始まり、2005年コロラド州ウッディクリークでの彼の死で終わる。
ある人たち、特に目に見えてトンプソンの2番目の妻は、この口述伝記はトンプソンを見苦しく描写すると不平を述べている。誤解させるトンプソンのイメージを与えることに関して、ボクは人材がゆがめられているかどうかを言う立場にない。トンプソンは型破りな人生を送った非凡な才能ある作家だったとボクは思う(ボクのお気に入りの本は1966年に出版された「ヘルスエンジェルス」だ)。そしてこの本を読むことでボクが学んだことが、彼は人間としてこうだったに違いないと想像するものと一致してないようには思えない。彼は友人たちにひどく忠実だったが、おそらく口ぎたなく、つらく当たりもした。彼の最初の妻、サンディは本のために広範囲にインタヴューされた。そしてあるときは愛すべき人物で笑わせていたのが次にはひどく軽率になる、きわめてカリスマ性のある男として、彼女のトンプソンの叙述は、本に彼らの顛末を提供した他の大部分のオピニオンをそのまま繰り返すように思える。
しかしながら、トンプソンと友達だった人たちのほとんどが生涯彼と友達のままだったと言及するのは興味深い。彼の欠点にもかかわらず、彼の気前のよさと愛とが、よくある行儀の悪いひと期間の埋め合わせをした。次にあるのはトンプソンの(むこうみずな)寛大さの一例だ。

ローリングストーン誌の元ニューヨーク支局長、ティム・フェリス:あの頃、ボクはデイヴィッド・ボウイとツアーに出ていてニューヨークを離れていた。ローリングストーン誌のエディター、ヤン・ウェナーはニューヨークだった、そしてボクらはミーティングをした。ボクは空港に行く途中に立ち寄ったからカバンを持っていた。そしてヤンはボクを首にした。景気下降の間中ずっと定期的にこういうことがあった。ボクがOwl Farm(フクロウ農場)に電話したとき、サンディーが出て、ウォーターゲートの自分の部屋にいたハンターと話をしていたところだと言った。仕事ははかどってるかと彼女に尋ねると、彼女は「ほとんど申し分なし、でもお金のことが心配だったの。それについて話していたところだった。私たち銀行に残金が400ドルしかなくて、次にどこから金が入ってくるんだかわからない。」と彼女は言った。もうちょっと話をしてから受話器を置くと、すぐにハンターから電話があった。彼は「どんなだい?」と言った。「ヤンに首にされたところだ。」とボクは言った。するとハンターが「金が必要だろ?400ドルなら貸せる。」と言った。

この本はトンプソンの的確な記述に限りなく接近すると、本能的な感触がボクに教える。ボクが正しいか正しくないか、いずれにせよ、それはまったく熱狂的傾向をもたらした。それを手に入れあけたとたん、どうにも読むのを止められなくなった。そしてボクは二日で一気に467ページを読破した。
(BoingBoing 14 January 2008)

ラウシェンバーグが死んだ


◇アメリカンアートのタイタン、ロバート・ラウシェンバーグが死んだ、82歳

画家、写真家、版画制作者、舞踏振付師、舞台の上でのパフォーマー、舞台デザイナー、そして最近はコンポーザーでもあったラウシェンバーグ氏は、アーティストがひとつの媒介やスタイルに固執するとのトラディショナルな考え方に大胆に反抗した。彼は押し分けて進み、つつき、たまに彼がやってのけた媒介のすべてを再想像した。(NYTimes 14 May 2008)

写真は、ロバート・ラウシェンバーグによる背景幕の前で踊る、アシュレイ・チェンとマーサ・カニングハムのダンサーたち
「ラウシェンバーグ氏は彼のアートによくクルマや宇宙船をほのめかした、本物のタイヤや自転車を組み込んだりもした。」
「これはいわば、彼自身の落ち着きのなさ、渡り歩くイマジネーションを反映したものだ。彼がダンスやパフォーマンスに従事したとき、必然的にムーヴメントというアイディアに全力を出した。」
Photo: Ruth Fremson/The New York Times

写真はクリックすると拡大版で見ることができます。

2008/05/13

オバマ The Game Changer


発売されたばかりのタイム誌の表紙
「And The Winner Is ...」とあります。

QUAKE 揺れるレバノンと中国



◇マグニチュード7.8の地震が中国南西部を襲ったとき、少なくとも1万人が死亡したと中国国営メディアは伝える。(BBC 12 May 2008)

◇国営メディアによると、四川省を震源とするマグニチュード7.8の地震により、同省では少なくとも学校8校、複数の化学工場、少なくとも1つの病院が倒壊、数百人が生き埋めになっているという。
中国にとって過去30年で最悪となるこの地震による死者数は、今後も増加する見通しで、四川省の省都・成都から約100キロにある震源地のブンセン県付近には、道路や鉄道の切断のために救援活動が届かない状態となっている。
同省の都江堰市では3階建ての学校が崩壊し、約900人の生徒が生き埋めになった。政府は救援活動のため軍隊や医療チームを派遣。温家宝首相も被災地入りした。
四川TVによると、死者数の7000人以上は同省北川県に集中し、同県では建物の80%が崩壊した。(ロイター2008年5月13日)

◇米国はレバノン国軍の向上に手を貸す用意があるのでヒズボラを無力にできるとジョージ・W・ブッシュがBBCに述べた。(BBC 12 May 2008)

ベイルート──レバノンのイスラム教シーア派原理主義組織ヒズボラ率いる反政府民兵は、与党支持者との市街戦を展開していた首都ベイルートから撤退したものの、11日に近郊の山地で新たな戦闘を開始した。
レバノン治安部隊によると、8日に始まった反政府民兵と与党支持者の衝突による死者は少なくとも44人、負傷者は140人以上にのぼった。11日の死傷者は含まれていない。当初ベイルートに集中していた戦闘は全国に拡大し、1991年の内戦終結以来では最悪の派閥抗争に発展した。北部の港湾都市トリポリでは停戦合意が成立したが、発効の可能性は不明だ。(CNN12 May 2008)

イスラム教シーア派民兵組織ヒズボラなど「親シリア派」と「反シリア派」の衝突が続いたレバノンの首都ベイルートに11日入った。政府軍の要求に応じ、ヒズボラなど各派武装メンバーは市内から撤退。だが、親シリア派が制圧後に政府軍に引き渡した反シリア派の拠点にはいまも親シリア派の旗がはためき、住民はシリアへの憎悪をあらわにした。
西ベイルート随一の繁華街、ハムラ通りの南の高台には反シリア派の有力指導者サード・ハリリ氏(イスラム教スンニ派)の邸宅がそびえ、北には同じく反シリアのシニオラ首相(同)が入居するマンションがある。反シリア派の牙城とも呼べる地域だ。
しかし、ハムラ通りには親シリア派の「シリア社会民族主義党」の党旗が残る。「衝突の初めからヒズボラはいなかった。シリアの連中ばかりだ」。文具店経営のハリルさん(78)はそうつぶやき、衝突はシリアによるハリリ氏攻撃だと示唆した。
裏通りには空の薬きょうが散らばり、雑貨店の店先には狙撃手に射殺された少年(16)の葬儀を知らせるポスターが張られていた。親シリア派の武装メンバーは姿を消したが、無線機を手にした若者たちが通行人に目を光らせる。
親シリア派は街頭からの撤退後も、空港へのルートなど主要道路の封鎖を継続。空港の機能はマヒし、レバノンに入る経路はシリアに接する北部国境しか残されていない。
国境に近い北部ハルバでは10日、反シリアのハリリ氏派支持者がシリア社会民族主義党事務所を襲撃し、14人が死亡。同日深夜から周辺の村の住民とハリリ氏派がロケット弾を撃ち合うなど激しく衝突した。この村はシリアのアサド大統領と同じイスラム教アラウィ派が多数を占める。
ベイルートでの衝突はいったん収束に向かっているものの、レバノン国内の反シリア派のシリアに対する憎悪は、野火のように燃え広がっている。
レバノンでは、75年の内戦ぼっ発後、隣国シリアが20年近く実効支配を続け、いまも影響力を維持している。国内政治勢力は反シリア、親シリアに分かれて対立。反シリア派はイスラム教スンニ派、ドルーズ派、キリスト教徒などからなり、現シニオラ政権の支持母体になっている。親シリア派はイスラム教シーア派民兵組織ヒズボラが中核。(毎日新聞 2008年5月12日)

写真は中国四川省での地震のつめあと

2008/05/11

ジーナ・ブッシュな精神状態


ヴァニティフェア誌のカルチャー欄にこんなコラムがありました。
アメリカの今の気分というので、ちょっと「しゃれてる!」と思いました。

◇ジーナ・ブッシュな精神状態(アルタードステイツ・オブ・ジーナブッシュ)
VF DAILY May 9, 2008
寂しくなるよ、ジーナ。過去8年間におよび国のあちこちのもぐり酒場でのお祭り騒ぎ、ダンス、失敗、人生に没頭するのを知ることで、私たちを笑わせてくれた。君は君のオヤジの政権の人間らしい顔だった。低いアルコール含有量があったにしても、血管には血が流れていた証拠だ。ところで、彼の任期が終わるのに従って、共和党の飼いならされてない美しいユニコーンとしての君のランも終わる。君の前ヒザはまっすぐにされて横隔膜にはカバーがついている、そして君はいまではもう著作を発表する作家で、読み書き能力活動家だ。君はラドローストリートからセサミストリートに移ることになる。そして君の変換に最後の封印を添えるため、明日、結婚する。だれあろう、カール・ローブの元助手のヘンリー・ハーガーのために。

君の出発に敬意を表して、私たちは大陸横断のはしご酒をオーガナイズしてきている。そしてこれを知って君のオヤジがとてもがっかりしていた、NY市警の君の最高の時を記念して、この国の全域に最後の喜びの種をまきちらして綴じることにする。
ジーナ、君の健康を祝して、絶対禁酒者にはならないと、これだけは請け合う。