見つけた 犬としあわせ

ニュースのファンジン、世界のニュースのサンプリング。 一枚のCDを聴くように一枚のコラージュを眺めるようにこれを体験して欲しい。

2009/11/20

あとを引くハンドの判断



◇水曜、サッカーのスター選手ティエリ・アンリがダブリンの悪役になる

2005年10月以来アイルランド代表チームにとって最も重要な試合で、得点力のあるフランスのストライカーがゴール近くでボールをコントロールするのにハンドを使ったとき、グリーンのユニフォームを着た仲間は彼らのワールドカップの希望が打ち砕かれるのを知った。

ボールははずんでゴールラインを割るものと思われたが、アンリがボールを手ではたいて落とすと右足でアーセナルの元チームメイト、ウイリアム・ギャラスに軽くパス。ギャラスが頭で押し込んで、フランスのチケットに2010年ワールドカップの刻印を押した。

アイルランドのゴールキーパー、シャイ・ギブンが主審のところに走って、アンリが禁じ手のハンドを使ったことを断固として訴えた。選手、ファンからの嘆願、アイルランドの司法長官からの嘆願もが、試合後ますます大きくなるばかりだ。

「正直でいよう。ハンドボールだった、でも私は審判ではない」とパリのフランス競技場での試合後、アンリは言った。

(CNN 19 November 2009)

この「勝利」を恥じる。君たちを愛してる!
ーーアイルランドの新聞に寄せるフランスのサポーターの手紙の主旨

◇もともと明白であることにいつFIFAは気づくのだろう?

おもしろくない不正の軽い立腹が地球を横切るフットボールの熱心なファンの空気を汚染している。フランスはティエリ・アンリのハンドからの得点でやっとワールドカップにつながる。

彼らは出場資格を祝福しているとはいえ、ブルーのユニフォーム(仏)はありありと赤面しているように見える。

もし論議の的となる当のゴールを見ていなければ、認めるのに長くかからないだろう。数千人がオンラインでそれをじっと見守っていた、多数が憤慨したコメントを残して、ボールがラインの外に出るのを止めるためアンリがボールをハンドで処理したと信じる。

その不法な行為なしに、彼にウイリアム・ギャラスの勝利のゴールをセットアップできていたなんてのはアホらしい。そして彼の有罪に関して論争はない、というのもバルセロナのスター選手がそのように認めてきているからだ。

「正直でいよう。ハンドだった」と彼はのちに罪を認めた。しかしながら、起きたできごとを止めるのは、白状する彼の側ではなく、審判の義務(責任)だったと、彼はあくまで主張した。

もしアンリが真実を伝えるため試合の役員のところに突進していたら驚くばかりのスポーツマンシップのふるまいだったろうというのに私は同意する。捨てては置けないほどあまりにも危うくなっていた。1998年の優勝国、フランスなしのワールドカップはとても考えられないことだったはずだ。そして、アンリが介在したせいで、もしゴールが除外されたら、彼は自国でけなされていたことだろう。

代わりに、彼は他の国みなのフットボールファンの悪人になってきている。アンリの評判がそこなわれる現実の脅威がある。アーセナルでプレーした男は、ロジャー・フェデラー(テニス界の王者)やタイガー・ウッズのようなスター選手と並んで、カミソリ会社Gilletteが自社のブランドを世界中に販促するのに彼を使うほど、巧みで、スピーディなストライカー、上品で、すっきりかっこがいい。

しかしながら、このうっとりさせる穏和なパフォーマーのスポーツ死亡記事に急いでサインする前に、私たちは2つのことを心にとどめておく必要がある。

第一に、アイルランドのジョヴァンニ・トラパットーニ監督は、このできごとを見逃した審判を公然と責める代わりに、アンリをとがめる機会を与えられた。

第二に、たとえゴールが認められていなくても、アイルランド共和国は必ずしもワールドカップ本大会への資格を与えられてはいなかった。アイルランドがトップの立場を明らかにする補償のないまま、ロスタイムを補う延長時間がまだ17分残っていて、同点試合はPK戦に持ち込まれていただろう。

最終的に、試合の間に審判をアシストするためTVの録画再生を利用することを拒絶するFIFAに、「神の手」がまたもや疑いを差しはさむことになる。

フランスの"ゴール"の数秒以内に、録画再生が世界中の視聴者に真実を示した。残りの私たちにはもともと明白であることに、フットボールの理事会はいつ気づくのだろう?

(CNN Blog 19 November 2009)

◇前回準優勝のフランスは、欧州PO第2戦でアイルランドに0-1と敗れ、2試合合計1-1で延長戦へ突入。延長前半13分、FWティエリ・アンリ(32)が、左手を使ってボールを止める「神の手」で、DFウィリアム・ギャラス(32)の決勝点をアシストした。

アンリが「禁じ手」を使った。延長前半13分、MFマルダがFKでペナルティーエリア内へロングボール。選手が交錯した裏に走り込んだアンリが、 ゴールラインを割りそうなボールを左手で内側へはたき落とし、右足でゴール前へパス。ギャラスが頭で押し込み、勝ち越した。勝負のかかったヤマ場で、86 年W杯でマラドーナが見せた「神の手」のようなプレーだった。

行為を目の当たりにしたアイルランドGKギブンは血相を変え、スウェーデン人のハンション主審に詰め寄った。ベンチ前のトラパットーニ監督は大声 で抗議を繰り返し、相手サポーターからは「チート(英語でいかさま師)」の声が飛んだ。それでも主審は判定を覆さず、試合を再開。国際Aマッチ117試合目の偉大な主将が、良くも悪くも勝負を決めてしまった。そして試合後には、悪びれた様子もなくハンドを認めた。
アンリ:「ハンドだったが、私は審判ではない。2人のアイルランド人の後ろにいたが、ボールが跳ね返り私の手を打った。審判はホイッスルを吹かなかったのでプレーを続けたが、もちろん、ハンドだった。」

ホームのフランスは90分で敗退してもおかしくない内容だった。個々の能力ではアイルランドを上回るものの、前半32分に失点すると、その後も連係のまずさが目立った。幸運な決勝点にドメネク監督は「何も見ていない」と答え、その場を取り繕うかのように「アイルランドはすばらしい。南アに行くに値するチームだった」と持ち上げた。

サルコジ大統領、代表OBのジダン氏らが見守る中で、後味の悪さが残った。苦戦続きのフランスを象徴するかのような結末にも、アンリは「今さら何も変わらないし、喜びが損なわれるものではない。最も重要なことはW杯出場を取ること。困難を乗り越えた分、価値は大きい」と居直った。

(日刊スポーツ 2009年11月20日)

2009/11/19

ロナルドがワールドカップにいる



◇ワールドカップの優勝の目星をポルトガルが請け負う

フランス、ポルトガル、そしてアルジェリアがワールドカップ出場を決めた!
アルジェリアは宿敵エジプトを破り、6大会ぶりの出場
ポルトガルがボスニアヘルツェゴビナに勝ったというのは、負傷者リストに登録されたクリスティアーノ・ロナルドがワールドカップにいるということだ!

(BBC 18 November 2009)

2009/11/18

Oba-Mao Tシャツ



◇"Oba-Mao" Tシャツ

いわゆる「共産主義者のオバマ」Tシャツのボクらの物色は、北京の市場をくまなくあさりまわる有能なインターンで着手した。そのTシャツはMao(毛沢東)首席で有名になった「中国共産主義者風」いでたち、人民解放軍の軍服を着たバラク・オバマ大統領を描く。前には中国語で「人民に奉仕する」とある。後ろには英語で"Oba-Mao"とある。

ボクらの北京での最初のスキャンはなにも発掘しなかった。でも情報がシンコンプレイスの地下にボクらを案内した。気取らない土産物店でボクらは特大サイズのTシャツを見つけた。大統領の到着をニュースとして取材するため、北京から上海まで飛行するとはいえ、アメリカ大統領を不快にするかもしれないとの心配のまっ最中に中国政府によってTシャツが禁止されたとニュースの電撃作戦が知らせた。

ありがたや、間に合った!

だが、政府が棚から本当にそのTシャツを取り払ったのを確認する方法がなかった。だから、ボクらは自分たちで調べることにした。オバマ・ブランドの商品を求めてボクらは地下鉄上海駅のヤタイシンヤン市場に向かった。

中国人は「共産主義者のオバマ」のイメージを目玉にする財布や交換カードも作る。前にこれらの商品を売らなかったのを確かめられなかったことを除いては、なにも見つけられなかった。それで、ボクはタイミングよくそのTシャツを手にした写真をカメラに収めることにした。まずい手?たぶん。でも、それは最後にTV大画面になった。

「これがだれでも皆がウワサしているTシャツです。」とボクがカメラのアナウンサーをつとめた瞬間、2人の警備員が通り過ぎた。そして来るものが来た。警備員がボクらめがけてあわただしく行動してボクの手からそのTシャツをなんとか引き離そうとした。ボクは譲らなかった。

建前上、ボクらには市場で撮影する許可がなかった。そして警備員は先に許可を得てないためにボクらを叱った。

わずかな叫び声と乱闘も同然があった。ボクのプロデューサー、ジョー・ケントはボクらの立場を断固として申し立てた。カメラマンのミゲル・カストロはクールな状態を続けた。この段階まで、ボクらにはすべてが記録されたテープがあった。

ボクらはついに市場の寒々とした迷路のなかで2時間足止めされることになった。群衆がまわりに集まった。さらに多くの警備員、そうして警察が現れた。彼らはボクらの記者証とパスポートを欲しがったが、なにより、彼らはTシャツをほしがった。

結局、ボクらが合法的に中国で報道しているまったく「本物」のジャーナリストであるのを彼らは確認した。だからって彼らは、ボクらを叱ったり立ち去ることを非常に難しくさせるのを止めなかった。繰り返しTシャツを要求した後に、最後の要求をボクは断った。

ついに、彼らはボクらを行かせる。ふうっ!

手間をかけるだけの価値があった。そのTシャツは放送中注意を引き、オンラインで熱狂を起こさせた。それどころか、ホワイトハウス要員のメンバー幾人かとアトランタの同僚数人が現にTシャツのためにボクを買収しようとした。

あれやこれやで、共産主義と民主主義の並列におよぶものはない。また仕事に精を出すだけ。

(CNN 13 November 2009)

写真はクリックすると拡大版でご覧になれます。

2009/11/17

バイバイ、消防署スタジオ



◇さよなら、消防署:ダウンタウンのコミュニティTVのランドマークで8年、デモクラシーナウ!が新しいホームに引っ越します

NYダウンタウンコミュニティTVの由緒ある消防署から放送を続けて8年、デモクラシーナウ!が新しいスタジオに移っています。911攻撃の直前にDCTVのケイコ・ツノとジョン・アルパートがアメリカの主要なコミュニティTVセンターのひとつに私たちを置いてくれて、私たちに最愛の拠点を提供してくれました。私たちは2週間オンザロードにあって、そのあと、新しいスタジオから放送が開始されます。そこは何年も印刷機に占領された古いグラフィックアートの建物にあります。

エイミー・グッドマン:今日、私たちは最愛の消防署になごり惜しい別れの挨拶をします。そこはこの8年間、私たちの家庭でありわが家でした。そしてその持ち主であるケイコ・ツノとジョン・アルパートに別れの挨拶をします。
私たちはここに911攻撃の直前に引っ越しました。私たちはグラウンドゼロに最も近い全米放送番組でした。消防署はあらしの避難所になり、この8年間というものずっとそうでした。この消防署の全フロアーを私たちは占領してきていると思います。私たちは最上階の部屋で始まりました。そうして、ホアン、下の階に移ったの、おぼえてる?

ホアン・ゴンザレス:そう、私たちは一階に移った。

エイミー・グッドマン:そこは消防車が出たり入ったりしてました。消防車は馬に引かれてたと言うべきね。馬は消防署の仕切りを出たり入ったりしました。そして今私たちは3階に、すぐ上の階にジョンとケイコが住んでいます。二人がブロッコリーを料理していると番組中に匂ってきました。二人のコーヒーマシーンが壊れたとき、私たちはしたたるばかりでした。

ホアン・ゴンザレス:そして犬が吠えると、私たちに聞こえる。

エイミー・グッドマン:そして犬は、彼がありがたく思わない意見でよく吠えます。ところで、ケイコとジョン、私たちは、アメリカの主要なコミュニティセンターのひとつとしてこの消防署の成長に同行し続けます。私たちはまた、毎朝挨拶を交わすラビア・アルガニにもなごり惜しい別れの挨拶をします。私たちは2週間巡業に出て、そのあと、古いグラフィックアートの建物にある新しいスタジオから放送することになります。そこは、私たちが21世紀にそれらを受け入れるように、何年も印刷機によって占領されていました。

(デモクラシーナウ!13 November 2009)

2009/11/16

スーチーが自由になるまで...



◇ASEAN首脳会議、オバマ氏がスー・チー氏解放を要求

米国と東南アジア諸国連合(ASEAN)の初の首脳会議が、15日に当地で開かれた。オバマ米大統領はミャンマー(ビルマ)軍事政権のテイン・セイン首相に対し、14日の東京での演説と同様、ミャンマーの民主化運動指導者アウン・サン・スー・チー氏など政治犯の無条件解放を求めた。

米国は従来のミャンマー政策を転換し、同国軍政と直接対話する姿勢にある。今回の首脳会議をめぐっては、オバマ大統領とテイン・セイン首相の個別会談につながるのではないかとの観測が浮上したが、米当局はこれを慎重に否定した。

各社報道によると、テイン・セイン首相は米国の関与政策を歓迎すると述べるにとどまり、スー・チー氏には言及しなかった。同首相とオバマ大統領の個別接触はなかったという。

彼女は1989年からこの19年の13年を自宅軟禁状態に置かれてきており、医師を除いてはめったに訪問者を許されない。

(CNN 15 November 2009)

写真はスーチーさん
だいぶ前のインターヴュー記事でフランスの女優ジェーン・バーキンが手首のブレスレットを指さして、アウン・サン・スーチーが解放されるまで、「これは外さない」と言っていた...