見つけた 犬としあわせ

ニュースのファンジン、世界のニュースのサンプリング。 一枚のCDを聴くように一枚のコラージュを眺めるようにこれを体験して欲しい。

2022/06/17

ナワリヌイはいまどこに

 


◇伝えられるところによればアレクセイ・ナワリヌイがロシアの重警備刑務所に移動させられる

彼の居場所に関して秘密厳守にする当然の結果として虐待で知られている最も重警備の流刑地への野党指導者の移送


ガーディアン紙 15 Jun 2022


刑務所監視委員会の委員長によれば、刑務所に閉じ込められたロシアの野党政治家、アレクセイ・ナワリヌイは重警備刑務所に移送された。


6月14日火曜日、地域の公共監視委員会の委員長セルゲイ・ヤザン(Sergei Yazhan)を典拠として引用し、ナワリヌイがウラジミール地域のメレホボ(Melekhovo)村の刑務所 IK-6 に移されたとロシアの通信社が報じた。


伝えられるところによれば、広く行きわたった拷問と虐待の主張でIK-6 には悪名高い評判がある。


ロシアでの刑務所移送には時に数日かかることもあり、秘密におおわれている。ロシアの大統領ウラジーミル・プーチンの最も断固とした政敵、ナワリヌイの所在に関する情報の欠如は、彼の盟友(支持者)をいらいらさせた。


ナワリヌイの最も親しい盟友レオニード・ボルコフ(Leonid Volkov)はテレグラム(ロシア人が開発したインスタントメッセージアプリ)で、ナワリヌイの弁護士が火曜早くに刑務所の彼を訪ねに行ったところ、「ここにそのような囚人はいない」と告げられたと伝えた。


ナワリヌイはドイツから戻る2021年1月に逮捕され、仮釈放違反で2年6ヶ月の刑を言い渡された、クレムリンを非難した彼は神経ガスを盛られ、ドイツで神経ガス中毒から回復していた。


2022年3月、詐欺と法廷侮辱罪、政治的動機や彼を可能な限り長く拘束しようとする当局による試みとして拒否した責任で、ナワリヌイは懲役9年の刑を言い渡された。


裁判官は彼に重警備刑務所で新たな刑に服するよう命じた。彼は控訴に負けたあと、そこに移送されることになっていた。


新たな有罪判決は、当局がしきりにすべての反対意見を抑圧したがっているように見えることで、ナワリヌイの支持者や他の野党活動家および独立系ジャーナリストに対するクレムリンの1年にわたる取り締まりへと続いた。


ナワリヌイの親しい仲間は刑事告発に直面し、多くが国を去った。同時に彼のグループのインフラ、腐敗に反対する財団と全国的な地方事務所のネットワークは、過激派組織のレッテルを貼られたあと、破壊されてきた。


火曜日の移送まで、ナワリヌイはロシアの首都から約60マイル東に位置するウラジミール地域の流刑地 IK-2 にいた。ポクロフ(Pokrov)の町にあるその施設は、何時間も直立不動の姿勢で立つことを含め、特に厳格な受刑者の日常生活のためにロシアの刑務所の中でも際立っている。


囚人移送に関するロシアの秘密厳守は人権擁護派から批判を受けてきている。


△AP通信とロイター通信がこの記事を寄稿


https://www.theguardian.com/world/2022/jun/14/alexei-navalny-has-gone-missing-from-russian-prison-say-allies?utm_term=Autofeed&CMP=twt_b-gdnnews&utm_medium=Social&utm_source=Twitter#Echobox=1655224782


▲ダニエル・ロアー監督のドキュメンタリー映画「ナワリヌイ」

6月17日新宿ピカデリー、渋谷シネクイント、シネ・リーブル池袋ほかで緊急ロードショー

https://transformer.co.jp/m/Navalny/

2022/06/13

京都 アナザーワールド

 


京都 アナザーワールド

『BRIAN ENO AMBIENT KYOTO』を体験しに京都に行ってきました

そもそも旅に出るのはコロナ以降初めてのこと 京都を訪れるのも5年ぶりほどになります




許容する日常の世界から抜け出し、別の世界に身をゆだねることで、わたしたちは想像力を鼓舞させておけると感じている。

ブライアン・イーノ

By allowing ourselves to let go out of part of every day, and to surrender to another kind of world,we are feeling ourselves to allow out imaginations to be inspired.

BRIAN ENO





 1960年代に美術学校の生徒だった頃にわたしは光であそびはじめた、音であそびはじめたのとほぼ同じ時期です。これらのフィールドに関わるテクノロジーは当時いずれも素朴でした:まさに最初のシンセサイザーが登場したばかりの頃で(自分にはあれを買う余裕はなかった)光をコントロールする唯一の手段は巨大な舞台装置をともなった。わたしのはじめての音楽楽器はシグナルズ・ジェネレーター(信号発生機)、機器測定のために電圧を発生する装置でした。それが発生するひとつの音色を装置の中央にある大きなつまみひとつを回しさっと変化させることができた。使いみちは多くなかったが、あの装置に音楽的な歴史が一切なかったことがせめてもの救い、つまり、あれを使って自分の望むままをやることが可能だった。


 60年代以降わたしは音楽と光の双方を相手に活動し、そのふたつの興味は並行しながら発展し部分的に重なり合い、双方の間をアイディアが行き来した。『Discreet Music』というアルバム、実は最初の「アンビエント」アルバムがそれ、を作ったとき、わたしは非同時性システムの無尽蔵なポテンシャルを実感した。


 わたしはこの「無限大の音楽」なる概念に興奮させられ、そして同じ時にそれと同様のアイディア、「果てしなく変化していく絵画」というアイディアに光を用いて取り組んでいた。事実、70年代から80年代を通じてそのふたつの作業はどんどん接近していき、ついにはわたしのインスタレーション作品において完全に重なり合うことになった。


 わたしはこれまで、人びとの反応ぶりを眺めながら自作のインスタレーション空間で長いときを過ごしてきた。ごくわずかな間しか留まらず、変化が起きているのにそれすら気づかない者もいます。腰をおろすや携帯電話を引っ張り出して写真撮影をはじめる者(わたしたちはなにかが実際に起きている最中にそれを存分に楽しむことを犠牲にしてまでも、その体験にしがみつかなければと気が気でない「体験の消費者」になった)もいますが、そんな彼らも、インスタレーションは絶え間なく変化し続け、いま目にしているものは二度と繰り返さないことがはっきりしてくるにつれ落ち着き、これらの体験は「失われて」も構わないという点を受け入れはじめる:新たな体験が生まれるからこだわらなくてもいいと。


 あなたになにかが起こるのを許し、それにしがみつき所有しようとするのではなく、身を委ねるということ、これもよい体験なのではないかと思う。

  

ブライアン・イーノ 2022年

カタログ『BRIAN ENO AMBIENT KYOTO』より一部抜粋







画像は77 Million Paintings, Brighton, England, 2010




京都でみつけた



平安神宮の神苑:ちょうど花菖蒲の季節でした 睡蓮はこれからです

最初にカモ、次に池では亀、鯉、カモが、重なり合って泳いでいました




『BOWIE KYOTO SUKITA』:平安神宮の帰り、通りの写真ギャラリーの壁に鋤田正義によるボウイの写真展のポスターをみつけました

6月25日から美術館「えき」KYOTOで始まります




重森三玲庭園美術館:




京都最古の禅寺 建仁寺:ここの「双龍図」はみごと!細川護熙によるダルマ絵をみつけました 現在、彼の襖絵が展示されています