見つけた 犬としあわせ

ニュースのファンジン、世界のニュースのサンプリング。 一枚のCDを聴くように一枚のコラージュを眺めるようにこれを体験して欲しい。

2007/12/15

宇宙に行ったクマムシ


クマムシって知ってますか。写真を見て興味がわきました。でもこのクマムシを宇宙に放り出すそうなんです。宇宙に存在するたったひとつの種にすぎない人間という生き物の自然界に対する傲慢な操作が気に入りません。以下、WiredScienceからーー。

◇クマムシは体長50マイクロメートルから1.7ミリメートルの8本脚のモグラのような姿をした微小な無脊椎動物。彼らはありとあらゆる状況を生き延びることができる。飢餓や乾燥もノープロブレム。真空や深海の圧力もオーケー(7万5000気圧まで耐えられる)。
151度の高温、極限の低温もノープロブレム。放射線の照射にも耐えるられる(ちなみにヒトの致死量は500だが、クマムシは57万まで耐えられる)。
必要とあれば、新陳代謝の速度を1万分の1まで落として水分消費量を通常の1%に抑えることだってできる。
クマムシに比べれば、ゴキブリも脆弱なものに思えてくる。
血気盛んな科学者ならこのクマムシを宇宙に打ち上げてみたくもなるだろう。
ESA欧州宇宙機関が「Tardigrades In Space(TARDIS:クマムシを宇宙へ)」プログラムでこの試みを実践した。
ちなみに、「TARDIS」はイギリスのTVドラマ「ドクターフー」に出てくる時空転移マシンの名前でもある。すごい出世だ。
さてこのクマムシ、生きて還ってくるものか、それとも死んでるものか?
「スペースシャトルにサルモネラ菌を搭載した実験」によると、宇宙で培養されたサルモネラ菌は通常のものに比べその毒性が4倍に増えたことが判明している。はたしてクマムシはなんとか生還して、彼らをこんな苦しい目に遭わせた弱虫の巨人どもに復讐しようとしているだろうか?
答えはまもなくわかる。クマムシを乗せた宇宙船は9月26日に帰還した。データは数ヵ月かけて分析されることになっている。

2007/12/14

ドバイのThe World



ブラッド・ピットがCNNラリーキングライヴに出演していて、復興が遅れているニューオーリンズに家を建てて近くの河の氾濫で家を失った家族を連れ戻す彼のプロジェクトについてスマートに語った。彼はもともとニューオーリンズという独特のカルチャーを持つ街が気に入っており、彼の養子のひとりの子どもがそこの出身なんだそうだ。それにまたブラッド・ピット自身が前から建築に興味があったこと、肉体労働なんかが好きなこと、いまは映画の仕事よりこれに力を注ぐのが自分の仕事などとも語った。以下ニュースからーー。

◇俳優のブラッド・ピットが3日、米NBC TVに出演し、2005年のハリケーンカトリーナが直撃したニューオーリンズ市の被災地第9区にエコ住宅を150棟建設する計画だと語った。完成予定は来年夏。
「ピット メイク イット ライト」と名づけられたこの計画。被災者向け建設予定の住宅は太陽光や風力発電を最大限に活用する地球に優しいエコ住宅設計で、通常の家屋に比べて光熱費の65%低減が可能。
ブラピは9月に500万ドル(約5億5200万円)を寄付し、計画をスタートさせた。TVで計画内容などを話したブラピは、「一般からも寄付などが集まれば建設数を増やす予定」と語った。(ヒラリー・クリントンがこのプロジェクトへの支持をいち早く表明)
ブラピは今年に入ってパートナーのアンジェリーナ・ジョリーとニューオーリンズ市内のフレンチクオーターに邸宅を購入。市当局や非営利団体とも連携しながら、遅れが目立つ同市の復興を積極的に支援している。
2人はまた、ドバイ沖に浮かぶ世界地図の形をした人工島群「The World」のエチオピア部分を11月に購入したばかり。高級リゾート開発プロジェクトの一環として作られた300の島々からなるこの人工島群。島の購入価格は600ー3600万ドル(約6億7000万ー40億円)といわれており、UKヴァージン社のブランソン会長やロッド・スチュアートなどのスターも購入済み。ブラピとアンジーの2人はこの場所を環境問題の提唱やエコライフの啓発に利用する予定。
◇ブラット・ピットが環境団体「Global Green」と協力し、ニューオリンズに建てるエコな集合住宅の案を募集。多くの応募の中から選ばれた、すでに建設中のエコ住宅プランを8月に発表している。
「2年前に起こったことは人災だった。この建物が人災から立ち直る解決手段を提供する。手ごろで上質の生活を提供することも保証する。」とブラピは言う。
このエコハウス群はある意味でコミュニティ機能の備わった場所だ。太陽光発電や風雨を計算したデザイン、光熱費を大幅にカットして被災者のくらしを圧迫しないように設計されている。また環境破壊にならない管理された森から切り出された安全な木材が使われ、大豆が材料の断熱材に、小麦から作ったボードが使われる。
◇現場で使われているシートが鮮やかなピンクであることについてブラッド・ピットは、「人々の生活が戻ってくることを最大限に主張するため」と説明した。
被災者1世帯を呼び戻すための基本費用は15万ドル。ブラピは各基金や教会、企業、社会的地位の高い人々に寄付を呼びかけた。
ロウワー9番区ではこのほか、ジャズミュージシャンのブランフォード・マルサリスとハリー・コニック・ジュニアが人道支援団体ハビタット・フォー・ヒューマニティと連携して「ミュージシャンズビレッジ」を建設した。工事は昨年3月に始まり、現在40世帯余りが生活している。
(CNN12月4日)

ブラッド・ピット夫妻も購入したドバイに人工的に作られた島の群れ、実はこれに興味があった。サッカーの中田が「スマートビジネス」を模索するためいま世界のあちこちに旅を続けているけれど、彼がチョイスした、旅行地として知られていないけどすごいところ!(主にアジア圏内)に確かドバイの人口島群「The World」が出てきていたと思うのだ。さてこんなニュースがーー。

◇アラブ首長国連邦(UAE)のドバイに本社を置く衛星TV局「アジアビジネスTV」は2007年10月12日付のニュースで、10月9日、中国企業がUAEのドバイにある有名なリゾート地「The World」にある「上海島」の購入契約に調印したと報じた。
「The World」は、ドバイの沖合い4キロメートルの海上に長径9キロメートル、短径6キロメートルの楕円形の防波堤を造り、その中に世界地図を模して 300個以上の人工島を造成するもので、個々の島の面積は2万3000〜8万4000平方メートル、島と島の間は50〜100メートルの水路で隔てられ、船でないと行き来ができない。この巨大プロジェクトはドバイのデベロッパーであるナキール(Nakheel)が総工費18億ドル(約2000億円)をかけて推進しているもので2008年完成予定である。なお「The World」の正式名称はアラビア語で「OQYANA(Australasia:南洋州)と呼ぶらしい。
今回「上海島」を購入したのは上海に本拠を置く「中州国際控股集団」という民間企業。上海島の面積は7万4000平方メートル、建築可能面積は約4万平方メートルだから東京ドームの1.5倍強の広さと考えればよい。購入価格は2800万ドル(約32億2000万円)、1平方メートル当たりの価格が378ドル(約4万3500円)となり、それほど高い買い物ではないようだ。

昔々、一度だけドバイ経由でフランクフルトに行く便に乗ったことがある。トランジットで見たドバイは見渡す限りサンドベージュの砂漠だった。
ドバイは英国保護下で中継貿易の基地として栄えた都市で、古い文化と新しい文化が混在する魅力的な都市と聞く。都市の中央部をクリーク(運河)が流れ、クリークが東側の新しい町「デイラ」と西側の古い町「バール・ドバイ」をわけていた。バール・ドバイから眺めるデイラの夜景はまるで香港の夜景を眺めているみたいで砂漠の国にいることを忘れると誰かが書いていた。「クリークにはアブラという渡し舟がバール・ドバイとデイラの間を激しく行き来し、停泊中の木造の帆船ダウではクルド人の人夫たちが色々な貨物の上げ下ろしを行っていた。」
そのドバイが未来都市の映画にでも出てきそうな風景へと驚異的に変化している。海岸から380メートル離れた人工島に建設された世界最高級の高層ホテル「ブルジュ・アル・アラブ」(高さ321メートル)、前述の「The World」のデベロッパー、ナキールが建設したヤシの木の形をした人工島群「パーム・アイランド」、160階建て700メートル超の世界一の高層ビル「バージ・ドバイ」(ドバイタワー)など、どれもドバイの名を世界にとどろかす壮大なスケールのものばかりだ。

写真はピンクのシートに覆われた建設中のエコハウスとブラッド・ピット、そしてすでに彼も島のひとつを購入しているドバイの「The World」、ここのサイトでその人工的なゴージャスさを知ることができます。

2007/12/13

ピースニクス


昨日、ジョンの映画「PEACE BED アメリカvs ジョン・レノン」を見てきた。それとわかる尾行や雑音の入る盗聴ばかりではない。あわや強制送還の当局の脅し&米国から出て行け!の政府の法をねじ曲げた脅しの前にも、ほんとに怖い、二人の身になにか起こるという予感があったことがわかり、つくづくこの映画のタイトルにあるとおり、当時の「アメリカ合衆国対ジョン・レノン」の構図がジョンの死を招いたんだとリアルに感じ取ることができた。
ビートルズの一員のときもそうだったが、ヨーコ・オノという同志と出会い成長したジョンの記者会見どきのコメントがずばぬけてスマートだったことに改めて感動!アイディアのスケールのでかさではヨーコもすごさを認めていた。ジョンは彼の存在を(ビートニクスにかけて)ピースニクスと言っている。平和のアーティストとして彼は一番かもしれない。ジョンの歌とメッセージは今も反戦の現場で生きているという意味で「ジョンは殺せなかった」と最後にヨーコは言ったが、ジョンが生きていたら私たちはこんなふぬけでいられたろうか。逆に言えば、平和を願わない人々にとってそれほど消したかった存在だったということだ。
元ニューヨーク州知事マリオ・コモだったか作家ゴア・ヴィダルだったか忘れたが、「平和にチャンスを!と言われて誰がノーと言える?」と言っていたが、見てくれよ、米国はふてぶてしくも一度ならず何度も「ノー」と言ってきている。

ホリデイスナップ




ロンドンのストリートばかりか、大英博物館やニューヨークのMOMA、メトロポリタン美術館などに勝手にパロディグラフィティ作品を展示してしまう「わざ」でも知られている「アートテロリスト」Banksy(バンクシー)についてちょっとーー。
大英博物館に展示して数日間だれにも気づかれなかった作品はラスコー洞窟絵画のパロディでそこにはショッピングカートを押している人が描かれている。
2005年3月ニューヨークではMOMAとメトロポリタンとアメリカ自然史博物館とブルックリン美術館の計4カ所でゲリラ的展示を行い、アンディ・ウォーホールのスープ缶をパロった作品を展示したMOMAでは3日間だれにも気づかれなかった。メトロポリタン美術館ではガスマスクをした女性の肖像 、アメリカ自然史博物館では戦闘機のような形をしてミサイルを抱えたカブトムシの標本、ブルックリン美術館では スプレー缶を手にして背後に「No War」と描かれた植民地時代の提督の肖像を展示している。
バンクシーは他にもロンドンのテートギャラリー、パリのルーブル美術館でゲリラ的に展示することに成功している。
バンクシーが、イスラエルが不法にパレスチナに建設している隔離壁(分離壁)で「ホリデイスナップ」と題して9つの作品を公開していることはご存じだろうか。
「グラフィティ作家にとってこの壁は究極の休暇をとる目的地になっている」と作家は自分の活動について説明する。
「イスラエル政府は占領地パレスチナを取り囲む壁を建設中だ。この壁は高さがベルリンの壁の3倍もあり、最終的には全長が、実にロンドンからチューリッヒまでの距離、700キロメートルになる。この壁は国際法上違法なもので、本質的にはパレスチナを世界最大の野外監獄にしかねない」(バンクシーのサイトより)
BBC Newsによると、イスラエル軍から威嚇発砲されて何度も銃を向けられたりしたそうだが、それでも彼は9作品をパレスチナ側の壁に描きあげた。
1分もかからないので、以下のサイトから彼の作品をぜひとも見てもらいたい。
http://www.banksy.co.uk/outdoors/horizontal_1.htm

バンクシーの絵は壁がパレスチナ人の人生をまるごと「遮断していること」を感じさせるものになっている。
以下、12月9日のCNNのニュース よりーー。

◇政治的なストリートアートなどで知られる英芸術家、バンクシー氏がこのほど、パレスチナ自治区ヨルダン川西岸にあるキリスト教の聖地ベツレヘムで、クリスマスに合わせた展示イベントを開始した。パレスチナの現状に対する批判や皮肉をこめた壁画などが登場し、話題を呼んでいる。
イスラエルは「テロリストの侵入を防ぐため」として、西岸との境界線付近に「分離壁」を建設中。バンクシー氏はこの壁にグラフィティ(落書き)アートとして、「防弾ベストを着たハト」「身分証明書をチェックされるロバ」などを描いた。「西岸地区の住民の苦難にもっと目を向けてもらい、ベツレヘムに観光客を呼び戻すのが目的」と、同氏は語る。
壁によって農地などを分断された西岸の住民は、その影響で苦しい生活を強いられている。ベツレヘムはイエス・キリストの生誕地として有名だが、イスラエル軍による厳しい検問を嫌ってか、クリスマス間近になっても訪れる人はまばら。観光業界は大きな打撃を受け、失業率も上昇している。バンクシー氏が風刺のつもりで書いたロバの絵のような光景も、実は日常茶飯事だという。
バンクシー氏の本名や年齢は不詳。米グアンタナモ海軍基地の収容者をかたどった人形をディズニーランドに無許可で設置したり、「ショッピングカートを押す古代人」を描いた壁画を製作して大英博物館に勝手に展示したりと、ユニークな活動で知られる。毎年12月には芸術家仲間とともに、ロンドン中心街の小さな店舗内に設けたギャラリーで「Santa's Ghetto(サンタのスラム街)」と題したイベントを開催してきたが、今年はその会場をベツレヘムに移した形だ。
ベツレヘムの治安を懸念する声に対しては「弱虫の芸術家たちにとっても安全なほどだから大丈夫」と述べ、「より多くの人がここを訪れ、現状を自分の目で確かめてくれるよう願っている」と強調した。

写真は最初の2枚がパレスチナ人を隔離する壁に書かれたグラフィティ、3枚目がロンドンのストリートのグラフィティアート。写真はクリックすると拡大版で見ることができます。

2007/12/11

ピアノマンとMr.Nobody



しつこくピアノマンの話題です。
なぜかって?たとえばあなたが記憶喪失にでもなってどこかの海岸でずぶぬれ状態・放心状態で見つかり、補導され、精神病院送りになったとしよう。一言もしゃべらずに身元がわかるなにか、あなたを他人と区別できるなにかが見つけられたとして、はたしてこの世界で何人くらいがこれが「あなた」だと情報提供してくれるものだろうか?に興味があったからだ。
他人が見てあなたによく似た人物がこの世の中には何人くらいいると思う?
昔々、アクセサリーを買い付けによくタイに行っていた友人からポストカードが届いた。ポストカードには「おおーここに君がいた!」という感動の言葉が書かれている。ポストカードの女性はタイの山岳地帯に住む少数民族のひとつで、長い首にじゃらじゃらとシルバーやら宝石やらの首輪をいくつもして、メガネをダブルでかけて縫いものしてるしわくちゃのおばあちゃんだった。カードには「もちろん何十年も先の君」とのコメントが付いていた。わー「わたし」だ!
ピアノマンについて英BBCは以下のように報じていました。

◇ピアノマン 沈黙する謎の天才ピアニスト
先月はじめ、英国の海岸で正体不明の天才ピアニストが保護されたとして話題になっているとのこと。ことの発端は先月7日、びしょ濡れのスーツにネクタイという姿で英国の海岸を彷徨い歩いていた20〜30代の男性が保護されたことに始まる。保護した社会福祉士のマイケル・キャンプは男性から名前や身元などを聞き出そうとしたが、男は一言も喋ろうとしなかった。そこでキャンプはとりあえず男を病院に連れていき、筆談しようと紙とペンを渡したところ、男は何も言わずにただ黙ってピアノの絵を描いたという。
そして病院のスタッフらが男を病院のチャペルに連れて行くと、それまで挙動不審だった男が、あたかも「息を吹き返すかのように」ものすごい勢いでピアノを弾き始めたのである。
「チャペルにあるピアノのところへ連れて行ったんですが、まさに驚異でした。本当に素晴らしい演奏で、それから数時間におよびただもうピアノを弾き続けたんです。彼はこれまでのひと月、一言も喋っていませんが、今ではこちらの問いかけに小さくうなづいてくれるのでなんとかコミュニケーションをとれています。」
その後、この男のニュースは地元メディアなどで「ピアノマン」として報じられて話題を呼んだ。またキャンプ氏がヨーロッパ中のオーケストラ楽団に連絡し、英国行方不明者ヘルプラインなどにも男性の情報を掲示したところ、ものすごい反響を呼び、これまでにいくつかの有力な手がかりを得たということだ。
ピアノマンを診察した医師カレン・ドリーレスはこう語っている。
「彼の音楽を理解できるほどの人間は私たちのなかにいませんでした。ただクラシックの一種だということ、そして彼が非常にテクニック的に優れていることだけはわかりました。」
この事件は1996年のアカデミー賞受賞映画「シャイン」を彷彿とさせるものである。映画では、実在する神経衰弱を患う天才ピアニスト、デヴィッド・ヘルフゴットの人生が描かれている。

◇フランスのストリートミュージシャン説が浮上
有力な手がかりとしてイタリア在住のポーランド人から、ピアノマンがフランスのニースでストリートミュージシャンとして働いていたスティーヴン・ヴィラ・マソンであるとの情報が寄せられた。
情報の確認を行ったローマ市警のマリオ・ロッソによれば、情報提供者のダリウス・ディディムスキはポーランド出身の不法移民で、新聞でピアノマンの姿を確認し、警察に目撃情報を打ち明けた。
「ローマでパントマイムをやってるポーランド人の男に話しかけられたんです。彼の話では、ピアノマンは間違いなく一昔前彼といっしょにニースで働いていたストリートミュージシャン、スティーヴン・ヴィラ・マソンだそうです。当時マソンとは英語とフランス語で会話をしていたそうなんです。また彼の記憶が正しければ家族もフランスに住んでいるらしいとのことです。われわれはインターポールを通じて英国とフランスの警察に連絡を取りました。今のところ、この話の信憑性はわかりません。でも調べてみる価値はあると思います。」
◇フランス人説は否定
昨日報じられたイタリア在住のポーランド人からの情報はほぼ否定された形となったようだ。
タイムス紙のパリ支局員によれば、実際にマソンの妹と話した結果、彼女は先週、マソンと会ったばかりで、まだ彼がニースでピアニストとして働いていることなどが確認されたという。また数日前のサセックス地方のピアニストという情報も調査の結果、除外されている。
(タイムズオンライン2005年5月19日)

◇1999年カナダのMR.NOBODY事件に関連か
数年前、カナダのトロントに現れた正体不明の男とピアノマンに顕著な類似点があるという情報が提供された。この男は当時、正体不明で記憶喪失の男「Mr.Nobody」と呼ばれて話題を呼んだが、昨年8月以降、その足跡が途絶えている。
情報を提供したトロント市警の話によれば、年齢、ブリーチしたブロンドの髪、衣服からすべてのラベルが取り除かれていたこと、記憶喪失であることなど、「Mr.Nobody」にはピアノマンとの著しい類似点があった。Mr.Nobodyとの鼻の形の違いは、男がその後、整形手術を受けていたことが確認されている。以下は、Mr.Nobody事件の経緯ーー。
1999年、スケイドことMr.Nobodyはカナダのトロントにある病院に血まみれの顔でこつぜんと現れた。鼻を骨折し、明らかに何者かに殴られたようだった、財布もなく、ヨークシャーなまりの英語をしゃべったものの、自分が誰なのかわからないと語っていた。
医師は記憶喪失と診断し、スケイドは数ヶ月入院した。その後、彼には身分証明書がなかったため、英国とカナダにそれぞれパスポートを申請したものの、どちらからも拒否され、カナダ国内を転々とした。この間にポルトガル人女性と結婚、特別に一時滞在のビザを得ている。強制送還にならなかったのは彼の本国が明らかにならなかったことによる。また彼はカナダ政府に出生証明書の発行、永住許可証を求めたが拒否された。一方、世間ではスケイドの身元をめぐり様々な憶測が流れたが、ついにその身元は明らかにならず、スケイドは最後まで記憶喪失を主張し続けた。
そうして2001年のことである。あるロンドンの編集者が、スケイドがフランスのゲイポルノモデル、Georges Lechitと顔が酷似していることを指摘、彼がかつてロンドンでGeorges Lechitと名乗って活動していたゲイポルノ男優なのではないかと推測した。これは2つの事実に基づいている。ひとつは98年、99年頃にロンドンのゲイ雑誌に「Georges Lechit」という人物がモデルとして出ていた。そして98年8月にフランスでゲイの男優「Georges Lechit」からパスポートの盗難が申請されている。(以下時系列でーー。)
・1998年7月:英国でGeorges Lechitの名のパスポートを使った人物がいた
・1998年8月: フランスでGeorges Lechitのパスポート盗難が報告される
・1999年2月: 英国でGeorges Lechitのパスポートを使う男性がポルノヴィデオに出演
・1999年11月:トロントの病院にスケイドが現れる
・2001年7月: 英国の編集者がスケイドとGeorges Lechitの顔が似ていることを指摘
なお、フランスのGeorges Lechitは98年頃から消息がつかめておらず、結局フランスとロンドンに足跡を残したGeroges Lechitがフランス人であったのかイギリス人であったのか、あるいは同姓同名(同じ職種)の2人の人物であったのか、明らかにされていない。スケイド本人はいずれの説も否定しており、真相は謎のままである。
昨年スケイドは滞在期限が切れて不法移民として逮捕されたが、数日間の拘留を終えて釈放されている。その後はカナダ西部ブリティッシュコロンビアのヴィクトリアで再び不法滞在で暮らしていたと伝えられているが、その後の足取りは定かではない。
かつてスケイド事件を調査したステファン・ボーンは、当時、男は記憶喪失になりすましてウソをついていた可能性があるとしてこのように語っている。「1999年、あの男はわれわれをだまそうとしていたと思います。そしてそれは今でも続いている可能性があります。」
(トロントCBC2002年の記事より)

写真は一枚目の上がトロントの病院に現れたスケイド(Sywald Skeid)と下がピアノマン、二枚目はゲイのポルノ男優 Georges Lechit。この人物とスケイドは記者が指摘するとおり、まるで同一人物に見える。

2007/12/10

カヌーマンとピアノマン


数日前にCNNで盛んに流れていたニュースがあり、2002年にカヌーで溺死したとされ行方不明のまま死亡が確定した夫の保険金を受け取った妻がパナマで不動産を買っており、そのアパルトマンで死亡したとされる夫の姿を目撃した住人から話を聞いていた。これはイギリスで連日報じられ一躍有名になった「カヌーマン」の話である。この57歳の男性が詐欺容疑などで逮捕されることになったのは、5年半ぶりに警察署に姿を現して、自分は行方不明の男のようなのだと名乗りを上げたためだった。妻いわく、事情を知らない息子たちにどうしても会いたくなったんでしょう、彼は自分には「2000年から記憶がなく、どこでどうしていたかまるでわからない」と警察に事情を説明した。以下ニュースを追ってみるーー。

◇英国でカヌーで北海沖に出たまま姿をくらまし、死亡保険金を騙し取った疑惑が持たれているジョン・ダーウィン容疑者の妻が9日、渡航先から英国に帰国したところを逮捕された。警察関係者がCNNに語った。
ジョン容疑者は8日夜、旅券不正申請罪と送金詐取罪で起訴された。10日にハートルプール治安判事裁判所に出廷する。
(CNN 2007年12月10日)
◇5年前に行方不明になり、死亡宣告を受けた英国の元刑務官が記憶喪失のまま今月1日警察に出頭した奇跡のような話は、実は全部ウソだった。しかも、死亡保険を受け取った妻とパナマに移住するなど計画的だった。地元警察が詐欺とパスポート偽造の疑いで逮捕、厳しく調べている。ドラマのような筋書きに英メディアは「カヌーマン」と呼び、連日大きく報道している。
「カヌーマン」ことジョン・ダーウィン被告は1日、ロンドンの警察署に「過去の記憶がないんだ」と出頭した。人相や背格好が、02年3月21日に英北東部ハートルプールでのカヌー海難事故で死亡したと思われた人物と一致した。だがダーウィン被告の地元クリーブランド署は9月から内偵捜査を進めており、事故を装った詐欺事件として立件した。
調べで、ダーウィン被告はあっさりと事故の偽装を白状。15万5000ポンド(約3565万円)の死亡保険を妻に受け取らせていたことを認めた。また、刑務官だったため英政府から死亡退職手当、遺族年金も支給されていたことも明らかになった。
供述では1万ポンド(約230万円)の借金があり、その穴埋めで事故を偽装したとしている。失踪から1年後に英中部の自宅に戻り、壁続きとなる隣家に昨年まで潜伏。妻の部屋のチェストをずらすと隠れ家につながる忍者屋敷さながらの細工をしていた。
逮捕が決定的となったのは1枚の写真。ダーウィン被告は「ジョン・ジョンソン」の名前でパスポートを偽造、昨年7月以降にパナマに夫婦で渡り、購入した家の前で記念写真をパシャリ。出頭時には「5年ぶりの生還」として父親らの喜びのコメントが掲載されたが、問題の記念写真を大衆紙ミラーが特ダネ掲載して事態が一変した。また、今年4月に妻が帰国し、10月に自宅を売却した29万5000ポンド(約6785万円)のフランスの銀行への不審な送金も捜査対象となった。
イブニングスタンダード紙では、警察関係者の話で「これは妻がすべての金を巻き上げたことに腹を立てたジョンの仕返しという可能性もある」としている。
(日刊スポーツ2007年12月10日)

2005年にやはりメディアをにぎわせた「記憶喪失」にまつわるもっとおもしろい話。「ピアノマン」って憶えていますか。以下、当時のデイリーミラー紙からカットアップでお伝えします。

◇ピアノマンの正体がついに判明か
これまで4ヶ月におよび沈黙を続けたピアノマンがついに自白、ニセ物であることが明らかになった。最新の報告では「実際にはピアノマンはピアノがまったく弾けなかった」という情報も伝えられている。そして今、ピアノマンは彼を保護していた精神病院のスタッフに自分の正体を明らかにした。彼はドイツ出身のゲイだった。
ピアノマンの告白
父親はドイツで農場を経営しており彼には2人の姉妹がいる。今回イギリスで保護される前はパリで働いていたが、職を失い、ユーロスターでイギリスに向かった。そして4月、イギリスの海岸で自殺しようとしていたところを警察に保護された。
先週、やっとピアノマンはドイツに帰国した。彼を世話するために大金をかけてきたイギリスの病院は今後彼を起訴するつもりである。また医師によれば、ピアノマンはかつて精神病院で働いていた経験があり、そこでおぼえた患者の症状の特徴をまねながら彼独自の症状を作り上げることで医師らをうまくだまし続けてきたものと推測している。
ピアノマンは発見されてまもなく病院のスタッフから渡された紙にピアノの絵を描き、病院のチャペルで「驚くべき才能」でピアノを演奏したと伝えられた。だが今回の情報によれば、実際にはピアノマンはたった一つの鍵盤を繰り返し叩き続けていただけだった。そしてまた彼の自供によれば、彼がピアノを描いたのは「単にそれが最初に頭に浮かんだから」というのである。
病院関係者はこのように語っている。「彼の話によれば、警察に保護されたとき彼は自殺しようとしていた。そのとき彼は確かに心神喪失の状態にあり、警察になにも喋らなかった。そしてそこからすべてが始まったわけです。」
「これまでの多くの報道とは裏腹に、彼はピアノを上手に弾いたことなど一度もなかった。ただ単にひとつの鍵盤を叩き続けていただけなんです。それに彼はまったくピアノは弾けないと認めています。」
メディアとピアノマン
2005年4月8日、その日海岸を彷徨してたその男は、年齢20代から30代、身長180cmほどで心神喪失の状態にあり、警察に対し一言も発することはなかった。男はいったんケントのジリンガムに運ばれた後、ダートフォードの精神病院へ護送された。その後ピアノマンの話題は世界中を席巻し、ドイツから日本までの報道関係者が病院を訪れ、行方不明者連絡会のもとには数千件にのぼる電話や手紙が寄せられることになった。
有力な情報としてフランスのミュージシャン説からチェコのピアニスト説などに基づき、ピアノマンの正体を突き止めるべく情報収集が行われたが、彼の身元はおろか名前さえ明らかにならなかった。
後にこの男性は何らかの心的外傷後ストレス障害(PTSD)を患っていると診断され、さらに自閉症の症状だと推測された。自閉症者の中にはピアノマンのように外部とのコミュニケーションを閉ざす一方で、数学や絵画などに驚くべき才能を発揮する人々がいることで知られている。また保護された当初、ピアノマンの衣服からはラベルがすべてはぎ取られており、靴のブランドラベルもこすって消されていたが、これもまた彼が自閉症者であるとの推測に結びつくことだった。
ピアノマンが手渡された地図のオスロを指さしてノルウェー語の通訳から話しかけられた際にかすかな反応を示したことから、アイルランドからノルウェーに渡ったドミニクという留学生ではないかとの推測もあった(これはドミニク本人によって否定された)。またチェコのピアニスト、トマス・ストルナドではないかとの推測もあったが、これも本人がチェコのTVに登場し、否定した。
いよいよピアノマンは詐欺師ではあるまいかとのウワサに対し、先月ケント西部の当局者が明確に否定してこう語った。
「彼は今でも非常に弱っており、神経質な状態が続いております。彼がウソつきに思える要因はまったくありません。」
さらに英国自閉者協会の医師ジュディス・グールドはこのように語っている。
「彼の姿はわれわれが知る自閉症患者の姿とほぼ一致しています。絵画やピアノを延々と続けることや、衣服のラベルを切り取る行為も、彼が自閉症患者であることを連想させるものです。また彼は人のことをじっと見つめる傾向がありますが、それもわれわれがよく知る自閉症患者の症状です。」
英エジンバラ大学臨床心理学者のステファン・ローリーはこのように語っている。
「この種の緊張型症状を見せる患者は統合失調症か自閉症の可能性が高いでしょう。彼の場合には、自閉症の症状である可能性が非常に高いと思われます。あるいは慢性的な鬱症状である可能性も考えられます。」
社会福祉士のマイケル・キャンプは「彼は非常に緊張しているので、そばに近寄ることもできない。」と語っている。
◇ピアノマンの父親、騒動を全く知らず
どうやらピアノマンはアンドレアス・グラッスルという名の人物であるらしい。また、ようやく再会した父親のジョセフ・グラッスル46歳はこれまでの4カ月間、農業が忙しくてTVを見る暇がなかったため、息子が世界中の話題になっていたことをまったく知らなかったというのだ。だが、息子が精神病であったことは明らかであり、現在、世界で報じられているように彼が詐欺師だとはとうてい考えられないと述べている。
「25年間、ただもう一生懸命に農業を営んできただけです。TVや新聞を見ている暇はありませんでした。私たちはこれまで月に一度はケイタイ電話でしゃべっていたんですが、いつからか連絡が取れなくなったので、今年の5月、行方不明として警察に届けを出しました。」
父親の弁護士クリスチャン・バウマンによれば、父ジョセフは先週末、はじめて今の息子(ピアノマン)の写真を見せられたが、それでもまだピアノマンが息子であると認識することができなかったという。
「写真では彼の髪はブロンドではなく白髪でした。そして彼がいつもかけていたメガネをかけていなかったからでしょう。また彼がゲイであったという事実については特にコメントしていません。でも私自身は彼がゲイだとはとても思えません。」
さらに、身元発覚後報じられたようにアンドレアスがピアノを弾けないという事実はおそらく間違いであると指摘している。
「彼は家にいたとき独学でキーボードを練習して何曲か弾けるようになっていました。なのでピアノは弾けると思いますが、プロ級とは思いません。」
優秀な少年時代
かつての友人たちによれば、彼は学校では非常に優秀な生徒であったようだ。特にフランス語と生物学にすぐれていた。
「でも彼は卒業証書も受け取らず、なんにも言わずに、社会奉仕活動を行うためザールブリュッケンに行ってしまったんです。」
また友人らによれば、アンドレアスは熱烈なネットユーザーでチャットルームでは「スキャットマン」のハンドルネームで知られていたという。
彼はザールブリュッケンの病院での奉仕活動(徴兵制を免除するための奉仕活動)を終えた後、フランスに渡り、そこで幾つかの仕事を転々とした。父親と弁護士によれば、その頃アンドレアスに精神障害の兆候が見られ始めたらしい。そしてまもなく彼はフェリーと列車を乗り継いでイギリスに渡り、今年4月シェピーの海岸を歩いていたところを発見され「ピアノマン」として世界中を騒がす存在となった。
(英テレグラフ紙)

写真は楽譜を持ったピアノマン