見つけた 犬としあわせ

ニュースのファンジン、世界のニュースのサンプリング。 一枚のCDを聴くように一枚のコラージュを眺めるようにこれを体験して欲しい。

2008/05/24

クラスター弾全面禁止の圧力


◇不発弾が市民を殺傷しているクラスター爆弾について福田康夫首相が23日「もう一歩踏み込んだ対応が必要」と述べたことについて、2008年中の禁止条約締結を目指す軍縮交渉「オスロ・プロセス」に参加する各国代表団や非政府組織(NGO)は「大きな前進」と歓迎した。一方、30日に予定される条約採択までに日本が方針転換を決められるか不安視する声も出ている。
オスロ・プロセスは現在、アイルランドのダブリンで最終会議を開いている。参加している英政府代表団の一人は、ブラウン英首相が21日に英軍保有のクラスター爆弾の「見直し」を指示したことに言及し、「福田首相がブラウン首相と同じような立場を打ち出してくれたことは心強い」と話した。
また、交渉をリードするノルウェーのコングスタッド外務省国連局副局長は「日本が、西側主要国と足並みをそろえるということなら、とても前向きな動きだ」と歓迎。赤十字国際委員会のハービー軍備管理部長は「具体的にどうなるのか不明な点も残るが、ブラウン首相に続いて福田首相も動きを見せたことには勇気づけられる」と評価した。
会議では現在、禁止対象の定義をめぐって▽全面禁止を求める途上国グループ▽不発率が極めて低く、数も少ない「最新型」は例外にと主張する独仏やノルウェーなど先進国グループ▽最新型に加え、それより不発率が高い「改良型」も例外にと主張する日本、フィンランドなど4~5カ国、という構図ができている。交渉は「最新型」だけを例外とする方向でまとまりつつあり、議長国アイルランドは来週半ばまでに最終案を固める考えだ。
NGOの連合体「クラスター爆弾連合」のコーディネーター、トーマス・ナッシュ氏は「日本と同じスタンスの国は、もうほとんど残っていない。日本政府の動きは歓迎したいが、条約案確定までには残り数日しかない。それまでに結論が出るのだろうか」と、不安の表情も浮かべた。
(毎日新聞 2008年5月23日)

◇ストップクラスター:日本の声(4)民主党幹事長 鳩山由紀夫
政府は外交、安全保障問題で常に米国を意識し過ぎている。インド洋やイラクへの自衛隊派遣も米国との関係で行われた。クラスター爆弾でも日本の保有を議論する以前に、米国への配慮から全面禁止に踏み切れない。早く全面禁止に向けてかじを切り、世界をリードしてほしい。
正確性のあるクラスター爆弾は認め、不発率の高いクラスター爆弾は規制する議論がある。しかし、ある外務省職員は「良い悪いを分ける基準はない」と話した。そもそも人を殺傷する攻撃型兵器であり、「いいクラスター爆弾」などない。
超党派のクラスター爆弾禁止推進議員連盟が動き出したが、全国会議員の1割にも満たず、パワーアップが必要だ。国会決議のような何らかのメッセージが求められる。
(毎日新聞 2008年5月23日)

◇クラスター爆弾禁止条約作りを目指す「オスロ・プロセス」に参加する国際人権団体「ヒューマンライツウオッチ」(HRW)は22日、「米政府が同盟国に働きかけて、条約に<抜け穴>を作ろうとしている」と批判する声明を発表した。米国はクラスター爆弾を軍事的に有効だと重視している。HRWは開催中のダブリン国際会議で、「米国の圧力を受けたとみられる国々が、共同作戦への支障の恐れを過剰に強調している」と猛反発している。
(毎日新聞 2008年5月23日)
 
◇ブラウン英首相は21日、英軍が実戦配備しているクラスター爆弾についての「見直し」を国防省に指示した。2008年中の禁止条約作りをめざす軍縮交渉「オスロプロセス」がアイルランドのダブリンで大詰めの交渉を行っており、このタイミングでの「見直し」は全廃への方針転換を示唆するものだ。交渉で、全面禁止に抵抗を続ける日本の孤立はさらに深まりそうだ。
首相は、禁止条約締結へ向けて「精力的な交渉」を行うよう代表団に指示、「英軍が配備しているクラスター爆弾が民間人に危害を与えないか見直す」よう国防省に求めた。
英国は昨年3月、不発率の高い「旧型」を即時使用禁止にしており、今回の指示は残る「改良型」などが対象。会議の進展次第で、使用禁止や廃棄を認める用意があることを示唆したとみられる。
オスロプロセスに参加する独仏など主要国やノルウェーは、子爆弾それぞれが目標を識別して爆破し、不発弾が極めて少ない「最新型」を除いて禁止する方向で足並みをそろえつつある。外交筋は「最新型を例外にしても、全体の95%以上が禁止対象になる」と話しており、事実上「全面禁止」に近い案だ。
(毎日新聞 2008年5月22日)

◇スティーブン・マル米国務次官補代行(政治・軍事担当)は21日の記者会見で、不発弾による民間人被害が問題視されているクラスター弾の禁止は「不可能」と断言し、アイルランドのダブリンで開かれている有志国による国際会議「オスロ・プロセス」での議論をけん制した。
同プロセスには米国や中国、ロシアといったクラスター弾の主要製造・使用国は参加していない。マル次官補代行は、同プロセスがクラスター弾禁止で合意しても「結局のところ詐欺になる」と実効性を疑問視した。
マル次官補代行はクラスター弾が「米国防戦略上、重要な位置を占めている」と使用禁止は受け入れられないと強調。一方で「現実的で、効果的な方法での問題解決を目指す」と述べ、不発率を低くする技術開発や、使用時のルール作りに主眼を置くべきだと主張した。
(共同通信 2008年5月22日)

◇イスラエル軍のクラスター爆弾、停戦後も200人死傷
国際人権団体「ヒューマンライツウオッチ」(HRW、本部ニューヨーク)は、イスラエル軍が2006年夏、レバノンのイスラム教シーア派組織ヒズボラとの戦闘で使用したクラスター爆弾についての調査報告書を発表した。停戦後もレバノン南部に残された不発弾の爆発により民間人約200人が死傷したと指摘、クラスター爆弾使用は国際人道法違反と批判している。
クラスター爆弾は空中で子爆弾が多数分散し、戦闘後も不発弾による被害が絶えない。報告書は、クラスター爆弾禁止条約について討議する国際会議が18日からニュージーランドで始まったのに合わせて発表された。
報告書によると、2006年7〜8月の約1カ月の戦闘期間中、イスラエル軍は460万発の子爆弾を含むクラスター爆弾を使用。大半は停戦が確実になった戦闘最終盤の3日間に集中的に使われたと指摘している。
調査した在ベイルートHRWのナディム・フーリー氏によると、イスラエルとの国境に近いレバノン南部では、残された不発弾が風雨の影響で爆発したり、爆弾に誤って触れた子どもたちが被害にあったりするケースが続出。停戦後、今年1月までに20人以上が死亡、約180人が負傷した。不発弾の除去は進んでおらず、主産業の農業ができないため、地域経済にも打撃を与えている。
また、レバノン南部スールに事務所を構える国連地雷除去センターのファラン報道官によると、不発のクラスター爆弾はレバノン南部ほぼ全域で発見され、その数は「285カ所」にのぼる。「毎日、新たに30カ所で発見されている」と述べた。
イスラエル軍は、ヒズボラのロケット発射拠点を攻撃するためのクラスター爆弾の使用であり、国際法違反ではないと主張している。
(2008年2月19日)

◇日本の自衛隊も持っているクラスター弾
ペルーの首都リマで23日から開かれたクラスター弾禁止条約の制定を目指す国際会議に参加するため現地入りした米国のノーベル平和賞受賞者ジョディ・ウィリアムズさんが21日、共同通信など外国メディアと会見し、日本が条約参加への態度を保留していることについて「悲しむべきことだ」と失望感を表明した。
彼女は、日本の姿勢が「小泉前首相と安倍現首相の対米関係重視の姿勢や、憲法9条改正の動きの反映ではないか」と分析。地雷問題に熱心だった日本の国会もクラスター弾規制に関しては取り組みが鈍いと指摘した。
不発弾問題に関しては、非戦闘員が被害を被りやすいなどの面で非人道的であるとして、ノルウェーが呼びかけたクラスター爆弾禁止に関する国際会議で 2007年2月23日、クラスター爆弾に対し2008年までに使用・製造・移動・備蓄の禁止と同型爆弾の廃棄や使用された爆弾の撤去や被害者のケアを目指す「オスロ宣言」が採択された。なお同宣言に対し日本・ポーランド・ルーマニアは参加49ヶ国中で3国のみ宣言に加わらない意向を示している。
(2007年5月23日)

◇フランスNPO主催の国際映画祭 テーマは「地雷とクラスター爆弾」
ドキュメンタリー中心の映画祭「シネマベリテ国際ランデブー」が今秋、モナコとパリであった。主催は仏NPO法人インスティテュート・シネマベリテ。ジョエル・ソーラー代表は「映画が次々消費される今こそ興行網に乗りにくい作品を世に伝えたい」と話す。
ソーラー氏によれば、社会問題をえぐる映画はフランスも発表の場が少ない。モナコは、カロリーヌ王女に手紙で映画祭支援を頼み、会場提供などで助力を得たという。
映画祭の主題は「地雷とクラスター爆弾」。地雷被害にあったチェチェンの子どもの記録映画、カンボジアに消えたカメラマンの一ノ瀬泰造さんを描いた「TAIZO」など約50本を上映。地雷廃絶運動でノーベル平和賞を受けたジョディ・ウィリアムズさんも駆けつけた。
ソーラー氏はイラクの故フセイン元大統領の記録映画「アンクル・サダム」で各地の映画祭で受賞。獲得資金などでパリの中華料理店だった物件を買い、50席の上映施設も作った。上映機材は日本ビクターの提供だ。
映画祭はスポンサー提供の宝飾品などを競売し26万7000ユーロ集めた。ソーラー氏は「主題を変えて毎年やる。例えば<水>も一案。ぜひ日本からも出品を」。日本企業の支援を期待し、日本語サイトも始めた。
(朝日新聞 2007年12月3日)

この、かっこいい!写真は、ヴァニティフェア誌の特集記事「RFK」よりーー。
1968年、遊説中の民主党大統領候補ボビー・ケネディとその一行です。これだけでアメリカ60年代後半の空気が伝わってきます。ボビーの結末を考えると、2008年民主党候補指名が固まりつつあることで、こちらもとてもスマートで、スタイルのよいゴージャスなカップルだけに、不安がよぎります。先日、まるで暗殺をあおるかのような共和党元大統領候補者の全米ライフル協会会員に向けた演説もありました。

2008/05/23

日本の調査捕鯨は窃盗罪


◇日本が鯨肉「窃盗罪」の真相にメスを入れる

東京地検が、日本の調査捕鯨から捕鯨船(日新丸)乗組員らが何トンもの鯨肉を横領するとの主張を調査する。
環境保護団体グリンピースによって告訴状が提出された違法行為の申し立てを検察官らが審理に乗り出すことを、BBCが調べた文書が確認する。
文書には、乗組員らが盗んだ鯨肉を宅配便の箱で自宅に送ったとある。
捕鯨船隊運営者の共同船舶は、ごく普通に、捕鯨終了の「みやげ」として少量の鯨肉を乗組員に与えていると言う。
水産庁は、共同船舶と政府の調査捕鯨の母体となる財団法人日本鯨類研究所(ICR)によって別々の徹底的内部調査が命じられていると言った。それは一週間以内に行われることになっている。
独自の内部調査のために、検察官の問題に関してICRはコメントを辞退した。
国際捕鯨規定の科学上の目的の捕鯨を許可する条約の下、日本は南氷洋で鯨を捕獲する。
・個人の手荷物
東京地検は、捕鯨船日新丸から12人の生産労働者(クジラ解体のベテラン)を調査することで確認した。
日新丸から送られた47個の箱を追跡した後、グリーンピースによって正式に提出された刑事告発で、労働者らは南氷洋の捕鯨から鯨肉を横領した罪で告訴される。
環境保護団体はまた、政府に指名された共同船舶とICRの職員らが窃盗を知っており、政府が正式に販売用に放出する前にレストランや取引業者が捕鯨船から直接、肉を買うと主張する。
推定11万円から35万円相当の23.5キロの鯨肉が入った箱を含め、先週、グリンピースは詐欺といわれるものの証拠を明らかにした。
ひとりの乗組員が自宅に送った4個の箱のひとつには、中に「段ボール」の入った個人の手荷物と記載されていた。代わりに、それにはクジラのベーコンに使われる貴重なもの、「ウネス」が入っていた。
グリンピースジャパンのクジラキャンペーン調整役、佐藤純一は、その科学的な調査捕鯨プログラムがどのように行われているかを検察官の調査が「初めて」日本の国民に示すことになるだろうと述べた。
「どうやって納税者の金がこのプログラムで悪用されるかを、いま日本の国民は知ることになります」と彼は言った。
水産庁の岩田毅は、「この調査捕鯨プログラムで納税者の金の悪用があるとは思わない」と言って、この主張をはねつける。
調査のあいだ、プログラムに補助金を支給するのを停止して共同船舶の捕鯨許可を一時停止にするよう、佐藤氏は日本政府に求めた。
だが、岩田氏は、調査が完了する前に政府が捕鯨許可を一時停止にすることは「全然ない」、すべての調査捕鯨は計画通りに続けられると言った。
南極船隊は港に戻っているが、北太平洋の捕鯨がこの時期解禁される。
・船荷の列
その間に、警察はまた運送会社西濃運輸からの苦情調査もしている。青森の北部の街の営業所から鯨肉の入った箱を盗んだと運送会社はグリンピースを非難する。
横領の主張を立証するため、箱を途中で横取りしたことをグリンピースは認めるが、日本の法律ではそのような取扱いは窃盗罪という性質ではないと言う。
箱を無断で借用したことを謝罪する手紙を西濃運輸に書いたと佐藤氏は述べた。
「会社の本社に謝罪の手紙を送りました」と彼は言った。「なぜ私たちがこれを行う必要があったかを、理解してくれるよう会社に頼みました。」
調査捕鯨を実行するため日本政府によって認可される非営利組織、ICR(鯨研)のために共同船舶は鯨肉を集め、加工処理し、販売する。共同船舶が水産庁に報告する。
南氷洋の捕鯨のみやげとして10キロほどの肉を乗組員各々に与えると会社は述べる。だが、グリンピースが追跡した47個の荷物は贈り物とは別だったとグリンピースは主張する。
・捕鯨の法的見地
反対(異論):国が正式にIWCの活動の一時停止に反対して適用の免除を宣言する。例:ノルウェー
科学上の調査:国が一方的な科学上の認可証を発行する、IWC加盟国はどこもこれができる。例:日本
原住民:IWCは最低限の生活の糧を理由に原住民グループに認可証を与える。例:アラスカのイヌイット
(BBC NEWS 22 May 2008 by Justine Parker)

◇調査捕鯨全貌の真相究明をーー。
見つかった「横領鯨肉」を水産庁などは「みやげ」と釈明している。だが、「みやげ」は冷凍にされ、大井水産埠頭からクール宅急便で運ばれたそうだ。青森で見つかった常温塩蔵の「ウネス」は、やはり横領鯨肉だったのではないか。複数の内部告発が、鯨肉を大量に南氷洋現地で捨てていると申し立てる。

告発された横領鯨肉を、水産庁、(財)日本鯨類研究所、共同船舶が「みやげ」としている問題について19日、グリーンピースジャパンは参議院議員会館で緊急集会を開き、問題全般の真相究明をあらためて訴えた。保坂展人衆院議員(公共事業チェック議員の会、社会民主党)は「調査捕鯨全体になにが起きているのかの問題だ。調査捕鯨の調査が必要なことを衆院法務委員会などで訴えていく」と受け止めた。
証拠品確保の手法が問われている問題についてグリーンピースは、西濃運輸や青森支店に対して文書でお詫びをしたことを明らかにした上で、検察や裁判所などの判断に従う意思を示した。顧問弁護士は「外形的には窃盗に見えるかもしれないが、それより問題なのは意思。不法領得の意思はなかった」と語った。塩蔵常温の「ウネス」23.5キロは現在、東京地検の要請により厳重保管中だ。

・「みやげ」も本来、国際条約違反では?
高値で取り引きされる横領「プレミアくじら」 解体部門の組織的関与かーー。
今回、横領鯨肉の問題が表面化し、水産庁などが「みやげ」などと釈明する事態は、複数の情報提供者やグリーンピースジャパンが懸念していたことだ。だが、複数の内部告発とグリーンピースの調査によれば、「みやげ」はクール宅急便(ヤマト運輸)で運ばれ、塩蔵された横領鯨肉は西濃運輸の常温宅配便(カンガルー便)で運ばれる。両者はまったく別物なのだ。
そして「みやげ」も、国際捕鯨条約(第8条)に違反していると思われる。調査捕鯨は、国の特別許可書に基づいて行われるが、「みやげ」は許可書の記載外だからだ。商業捕鯨以来の慣行がズルズルと続いてきたとしか思えない。水産庁は、横領鯨肉疑惑問題が明らかになるまで、この「みやげ」慣行を把握していなかった。
冷凍されない塩蔵の「ウネス」などは、いわば「プレミアくじら」として珍重され、函館、釧路、札幌、長崎、下関、広島、鹿児島、東京など各地のレストラン、鮨屋、高級料亭などに高値で出回っている。広島県内では「横領鯨肉」を入手し客に提供している寿司屋が見つかり、「永田町」にも出回っているとの情報もある。
解体現場の横領で「生産」された「プレミアくじら」は、年に6トンから8トンが流通していると想定され、鯨肉の高値横流しで家を建てたとウワサされる船員もいる。グリーンピースが調査した結果では、鯨肉の横流しが確認された船員12名はすべて「製造手」だ。クジラの解体現場のベテランばかりで、部署の組織的な関与も疑われる。OBに送られた「プレミアくじら」の存在も確認された。

・問われる日本の南氷洋「調査」捕鯨
鯨肉横領疑惑が明らかになって以降、グリーンピースインターナショナルの呼びかけに応じ、外務省には海外から届く真相究明などを求めるメールがすでに3万通を超えていた。真相究明が待たれるのは、証拠品確保をめぐる窃盗容疑ではなく、日本の南氷洋調査捕鯨という年に約5億円の公費が支出される公共事業そのものなのだ。
国際捕鯨委員会(IWC)が商業捕鯨モラトリアム(一時中止)を決定した後、ノルウェーなどと異なって日本は異議申し立てをしなかった。アメリカ政府の説得に応じてモラトリアムを受け入れ、1987・88年に始まったのが南氷洋の調査捕鯨だ。300頭もの捕獲計画(当初)には、「多すぎる」という声が当時からあった。
調査捕鯨は本来、調査目的が果たせないときのみ、やむを得ず年に多くて10数頭を捕殺することしか考慮にない。何百頭ものクジラを捕殺、鯨肉を広範に販売、非正規のモノまで出回るような事態は想定外なのだ。諸外国や人びとが日本の調査捕鯨を「制度の悪用」などと非難してやまない理由はそこにある。
しかも複数の提供情報によれば、ミンククジラで800頭を超える捕殺目標を設定した2005・2006年以後、20頭以上とれた日にはほとんどの鯨肉、7トン超ちかくを南氷洋に捨ててくるという。「鯨肉投棄」の現場は以前、グリーンピースインターナショナルによって写真撮影もされており、今回の内部告発はそれを裏付ける形となった。
調査目的からすれば捕殺は疑わしく、鯨肉は大量にあまって各地の給食やイベントなどに廉価で提供されている。しかも解体現場での横領疑惑まで明らかになった。検察や会計検査院、国会などは、今こそ「調査捕鯨」の実態そのものにメスを入れるべきではないのか。
(JANJAN 2008年5月20日 記事 by 荒木祥)

2008/05/21

「ナクバ」を世界の言葉にしよう


悪趣味というかサイテーの話ばかりが聞こえてきます。この手の狂気に終わりは見えない。
以下、デモクラシーナウ!2008年5月19日のヘッドラインよりーー。

◇オバマが撃たれると、ハッカビーがからかう(しかも、どいつもこいつも銃をぶっぱなしたくてうずうずしているような連中の眼前で言うとは!)
共和党の元大統領候補者、マイク・ハッカビーがニュースに戻る。金曜日、全米ライフル協会の面前で行うスピーチの中で、誰かが「バラク・オバマを暗殺する」とからかった。
マイク・ハッカビー:「だが現実は、そして私は気をもむ、というのも率直に言って、つまづいてびっくりするのはバラク・オバマだったのを、超えない(背景で大きな音)からだ。彼が話す用意をしていると、誰かが銃の照準を彼に向けた。そして彼は、床に沈んで見えなくなる。」

◇米国はアフガニスタンに40エーカー(1エーカー=4046.8平米)の敷地の刑務所建設を計画
カブール近くのアフガニスタンに米軍は新たに40エーカーの刑務所関連施設を建設するつもりでいる。6000万ドルの敷地がバグラム軍事基地の間に合わせの刑務所に取って代わることになる。現在、バグラムには米国が約630人の囚人を拘束している。バグラムの囚人には告発なしに5年間拘束されている人たちがいる。

◇サウジアラビアが核保有国計画を進めるのを米国が助ける
一日あたり原油30万バレルを追加増産するとのサウジアラビアによる約束にもかかわらず、原油価格は記録的高値のままである。ブッシュ大統領がサウジのアブドラ国王と会っている最中の金曜日、サウジアラビアが発表した。これと交換にブッシュはサウジの核保有国計画への米国支援を誓約した。この取引の一部として、サウジが原子炉に必要な濃縮ウランを買い入れるのをワシントンが助けることになる。

◇ナクバ(大惨事)60周年をはっきり示すパレスチナ人たち
金曜、パレスチナ人がナクバ、あるいは大惨事と呼ぶ、パレスチナ建国60周年をはっきり示すため、多数のパレスチナ人とアラブ系アメリカ人たちが国連に集結した。
コロンビア大学の学生 Saifeedan Anmousa:ナクバは60年前に起こった歴史上のできごとではありません。私たちがこれを記念している理由はそれなんです。単に歴史の話ではないということ。これは今日にまで続いている現実のことです。アラブ世界中のどのパレスチナ難民キャンプにも、ヨルダン川西岸のどのチャックポイントにも、ナクバはいまも弱まることなく保たれている、ガザに爆弾が投げ込まれるたびに、西岸で子どもたちが殺されるたびに、ナクバは消えずに生き続けます。」

◇「ナクバ」という言葉の使用をやめるようイスラエルが国連に促す
国連事務総長によるコメントの後、イスラエルが国連に「ナクバ」という言葉の使用を止めるよう求めているとアラブニュースが伝える。イスラエルの国連大使代理Danny Carmonはイスラエルのラジオに次のように述べた。「ナクバは、イスラエル国家樹立の正統をひそかにむしばむのに使われるアラブのプロパガンダの道具である。それが国連の語彙の一部であってはならない。」

写真は、フォトジャーナリスト広河隆一の、40年間記録し続けた数万枚の写真と1000時間の映像から生まれたドキュメンタリー映画「NAKBAナクバ」の写真
http://nakba.jp/

2008/05/19

ハンガーストライカー



◇映画「Hunger」は力づよくアイルランドに目をやる
カンヌ映画祭でイギリス映画「Hunger」は肯定的な論評が見えてくる。
「ハンガー」でボビー・サンズを演じるマイケル・ファスベンダーは、医療によって調整される突貫工事の急激な減量を続けた。ターナー賞を受賞するアーティストのスティーヴ・マックィーンが監督する映画は、IRAのハンガーストライカー、ボビー・サンズの生涯の最後の6週間にきびしい目を通す。(ターナー賞は現代美術界で最も重要な賞のひとつといわれ、秋の授賞式はTV中継され、翌日の新聞で受賞者が大々的に報道されるなど、英国の国民的行事となっている)
1981年、サンズは政治犯という特別な身分を要求するために始めた行動で、6週間食べずに通した。
IRAの囚人たちは、犯罪者ではなく、政治犯として扱ってもらいたかった。
要求は、マーガレット・サッチャー首相によって短い懺悔を言い渡された。サッチャーは「政治上の殺人、政治上の爆弾投下、政治上の暴力などというものはありません。」と言った。
「犯罪的な(けしからぬ)殺人、犯罪的な爆弾投下、犯罪的な暴力があるだけです。」
66日間食べずに通した後、サンズは27歳で北アイルランドのメイズ刑務所で死んだ。
北アイルランド当局の簡潔な声明には「メイズの囚人、ロバート・サンズ氏が本日午前1時17分に死亡」と書いてある。
家族に付き添われる彼は、医療スタッフによって死亡が宣言されるまで、48時間コーマ状態のままだった。
・苦闘
2ヶ月のあいだ新聞やニュースの定時放送で優位を占めた彼の記事は、ウエストロンドンに住む11歳の少年の心にしっかりと残った。
その少年は1999年にターナー賞を受賞することになるマックィーンだった。
そのアーティストで映画作家は、アイルランド共和国の囚人の苦闘の身の上話は一度も忘れたことがないと述べる。
「その下部に番号がついたTVに出た画像がこのボビー・サンズと呼ばれる男だった」と彼は回想する。
いまマックィーンはこの伝記を木曜夜にカンヌ国際映画祭の「ある視点」でプレミア上映された彼の初の主要映画にしている。
ある10分間の連続ショットの撮影は、撮影初日に北アイルランドで撮影されたもので、完ぺきにする試みで俳優マイケル・ファスベンダーとリーアム・カニングハムを使った。
マックィーンはこの二人のキーとなる登場人物の相互作用を、同時代の伝説のジミー・コナーとジョン・マッケンローのウインブルドンでの決勝の試合になぞらえる。
・動揺
「観客はどちらに同調するかわからずに、誰が優位に立つことになるかまたは不利な立場になるかわからずに座らされる。」
「ある意味では、彼らは登場人物と同じくらい会話にかかわり合うことになる。」
映画が結論に達するに従い、観客の体験はどんどん動揺することになる。
飢えでそこなわれ、傷でおおわれた、サンズの骸骨の姿は、最近の記憶のなかで最も挑戦的でむずかしいショットだ。
ファスベンダーはそのシーンを撮るために、医療によって調整される突貫工事の急激な減量を続けた。
「体重がもとに戻り始めた後、ボクの医師は、ボクが激やせ中に受付係が彼のところにやってきてボクが本物の病気ではないのか?ガンかなにかで死ぬのでは、と言ったのを教えてくれた」とファスベンダーは回想する。
「それを聞いたとき、ちょっとうれしかったから、変だったよ。」
それほど重くサンズと仲間のハンガーストライカーの身の上話に集中することで、映画はパルチザン(一味の者)だとの言いがかりに直面しそうだ。
とはいえ、マックィーンはそれが「彼の核心ではない」と言う、そして政治的な武器として彼らの肉体を酷使する人々の「ジレンマ」に彼は興味があると付け加える。
・緊張
「映画監督として、人がやりたいのは、その種の問題を持ち出すこと」だと彼は言う。
「私がおもしろいと興味を持つ普遍的対象は、聞き入れてもらうために、食べない人たち。」
ファスベンダーは、アブグレイブやグアンタナモベイにサンズの顛末に匹敵する現代のものがあることに同意する。
同時に、政治的武器として肉体を使うという考えは、中東やロンドンやニューヨークでの破壊的結果に使われてきている。
だが、彼は、映画が北アイルランドの古い緊張を復活させないことを願う。
「当座はすばらしい雰囲気がある」と、母親が北アイルランド東部の州のラーンという海岸の町出身の俳優は言う。
「あの敵対(争い)と面倒ごとの年月のすべてを修繕するのは、実際には旅の途中だ。」
そのような重大な主題に取り組むことが多くの初監督をひるませるのを証明してきているというのに、マックィーンは挑戦を楽しんだ。
「やってることで微塵も神経質にならないのは、時にはすばらしい、恐れがないからだ」と彼は言う。
(BBCエンターテイメントニュース 16 May 2008 by Razia Iqbal)

◇第61回カンヌ国際映画祭で15日、「ある視点」部門に出品されたスティーヴ・マックィーン監督の作品「Hunger」がプレミア上映された。
IRAの活動家ボビー・サンズが主人公の伝記映画。北アイルランドのメイズ刑務所で、サンズら活動家は政治犯としての権利の復帰を目指してハンガーストライキを実行し、サンズはその66日後に死亡する。映画は、看守たちの過酷な暴力、そしてサンズの身体がやせ衰えていく様子も刻々と描く。
英国内では「テロリストの殉死を賞賛する映画」との批判が相次いでいるが、監督は「サンズを英雄とか殉教者扱いしているわけではない」と語る。「大人のとりすまされた世界で何が起こっていたかを人々に思い起こしてほしいと思って、この映画を作った。サンズの行動がいいか悪いか、わたしにはわからない。映画は、よい決定だろうが悪い決定だろうが何かを決定する人々、そしてその結果を描いている。」
その一方で、1981年に閉鎖されたメイズ刑務所で起きたことと、キューバのグアンタナモベイ米軍基地収容所、イラクの旧アブグレイブ刑務所で起こったことには共通点があると監督は言う。
サンズは、北アイルランドの英国からの分離・アイルランドへの併合を求めるIRAの武装闘争に参加し、銃器所持の罪で逮捕・収監された。サンズらは獄中、政治犯としての権利を剥奪されたことに抗議して、衣服の洗濯の拒否、房内の壁に糞尿を塗りたくる「ダーティープロテスト」など、様々な抗議活動を展開。
「どんな場合でも、人は何か手元にあるものを使うものだ。この場合は、身体であり、糞尿であり、とにかく使えるものはそういうものに限られていた」とマックィーン監督。
だが、当時の首相、マーガレット・サッチャーが要求をのまないと知るや、今度はハンストに突入する。このニュースが報じられると、世界中で同情論が起こるとともにサンズの人気は高まり、英下院議員に選出されるほどだった。だが、やがて帰らぬ人となる。ハンストでサンズを含む10人が死亡したことを受け、IRAはテロ活動を活発化させた。
1996年にサンズの自伝映画「Some Mother's Son」がカンヌで上映された際も、賛否両論を呼んだ。
マックィーン監督は、戦争画家としても知られ、1999年には現代美術アーティストに贈られるターナー賞を受賞している。最近では、イラク戦争で戦死した兵士の顔をプリントした切手のシリーズを製作して物議をかもした。
(AFP通信Rory Mulholland 2008年5月16日)

写真は、映画「Hunger」のワンシーンと監督、カンヌのオフィシャルサイトより