見つけた 犬としあわせ

ニュースのファンジン、世界のニュースのサンプリング。 一枚のCDを聴くように一枚のコラージュを眺めるようにこれを体験して欲しい。

2007/07/07

ヴァーモスがデッキの下にもぐった



7月1日にヴァーモスが警察犬訓練所から帰ってきた。もう報告しましたっけ。本来4ヶ月のところを10日間ほど前倒しして訓練を終えたわけですが、飼い主がもう待ちきれないからというのがその理由のすべてです。とにかく、彼は不器用というか、できるモードに入るまでに時間がかかった。トレーナーにも散歩に出かける前に十分遊びの時間をもうけてヴァーモスの興奮がおさまったところではじめてくださいと念を押されている。といっても、やっと起きた早朝にそれほど時間のゆとりはない。だから月曜の朝から家を出ても、行ったり戻ったり、途中興奮をおさえるまで待ったりと、なかなか苦労している。公園や海まで行って自由に遊ばせた後の帰りはそれはスムーズに訓練通りやれる犬になる。どちらかというと、さあ、本番はこれからだよ!とでも言いたげなリズムに乗った歩きなのだ。公園で訓練所に行く前の、子犬の頃の遊び相手に会うと、以前とそっくりの顔と態度で遊びまくる。彼はまだ、まるっきり子犬なのだ。家にいても隙あらば2階に上がってこようとする。サンバは階段下で待っていてどんなに機会があっても上がってはこない。ヒョイヒョイと軽いステップで上がれるというだけでなしに、ヴァーモスにはうちに来てすぐの2ヶ月頃に2階の仕事部屋で過ごした時期があるのだ。強度のねんざを負ったとき、始終見ててやれるからと、2階にヴァーモス専用のベッドとスペースを作ってやった。その記憶があるからだろうか。今もその頃と同じように2階の窓から外を見下ろしている。強度のねんざのあとにひじ関節の感染症まで併発してそれは大変だった。仕事の合間に隣のヴァーモスに目をやると、全身で痙攣を起こしていたのには度肝を抜いた。もうそのまま死んじゃうんじゃないかとあわててドクターにSOSを発信したのを思い出す。
さて、そのヴァーモスですが、7月4日アメリカの独立記念日に外出してわが家に戻ると、大きな顔のヴァーモスと小さな顔のサンバがそろって出迎えてくれているではないですか。あまりのかわいさに、大きなデッキに出して自由に遊ばせてやることにした。するとすぐに暑かったからだろうか、ヴァーモスがデッキの下にもぐりこんでしまった。3ヶ月、4ヶ月の頃にもよくもぐっていたが、あの頃と今とでは顔もからだの大きさも違う。出てこれないのかと思って首輪を持って引っぱり出してやっていた。でもたぶん、彼としてはそのまま放っておいて欲しかったのかもしれない。デッキの下に手を伸ばすと、もっと奥に入ってしまう。ほんとに、出れないとしたら、どうしよう。デッキの板をはがすしかないのだろうか。まあ、しかたがない、しばらくようすを見ることにした。
途中、牛乳を持て行ってそばでサンバに飲ませて誘ってみたり、ビーフジャーキーを置いて誘ったりもしてみた。1時間かそこらして、ブルブルっとからだを振る音がした。あれ、デッキの下でヴァーモスは這ってるわけだからブルブルとはできないよなー。見に行ってみると、ああ、ヴァーモスがそこにいた。クモの巣が鼻づらとかにかかっている。どこも土とほこりまみれになっている。4本脚の爪は土だらけだ。とまあ、決して飽きさせない犬であります、ヴァーモスは。

写真は、ヴァーモスが戻った翌日、いつも2匹がいる小さなデッキで「なにしてる?」のショットと、7月4日デッキの下にもぐって、よく見ると、なんか困って泣いてるようにも見えるヴァーモスです。
写真をクリックすると拡大版で見ることができます。

ローリングストーン誌が40周年


ローリングストーン誌が40周年記念号ですって!
全面的に1967年と「サマー・オブ・ラヴ」にページを割いたどんちゃん騒ぎの特集号でこのマガジン40周年を祝っている。わたしが1990年に「TAMA」というサブカルチャーペーパーを発行した際、まずはアンディ・ウォーホールの「インタヴュー」誌と、このつわものマガジンに目を通したものだった。それとUK の「i-D」「ARENA」「FACE」にもだ。当時ストリートものやサブカルチャーものが売りだったほとんどがファッション写真に取って代わられるなかで、ローリングストーン誌はそれに割くヴォリュームはうんと減ったとはいえ、それなりの記事もまだあるにはあった。それにしても、ハンターSトンプソンが書いていた時代のローリングストーン誌が懐かしい。
マガジンのサイトから創始者であり発行者のヤン・ウェナーがサンフランシスコと最初の年のマガジンの存在の仕方について語るのを聞くことができる。
ところで、パールジャムは聴きますか。
エディ・ヴェダーのショーン・ペン映画への愛が、あふれるほど熱狂する対象になっている。パールジャムのフロントマン、エディ・ヴェダーがショーン・ペンが監督した新作「Into the Wild 」のためのソロ曲が入ったアルバムをリリースする。ヴェダーはこれより前にペンが死刑囚を演じた映画「デッドマンウォーキング」(「Long Road」)と人並みでない父親を演じた「アイ・アム・サム」(ビートルズの「You've Got to Hide Your Love Away 」)のために歌っている。また彼が映画の中で小さな役を演じるとのうわさも伝わってきている。キャメロン・クロウの1992年の映画「シングルス」で、はじめてマット・ディロンのバンド「シティズン・ディック」のドラマーを演じて以来のことになる。
エディ・ヴェダーは2004年にブルース・スプリングスティーン、R.E.M.らと共に「Vote For Change」ツアーに参加して反ブッシュを訴えている。現在と未来の世界が、彼には見るに耐えないものとなるのを心配している。
USA TODAY紙のインタヴューで彼は、「危険な道を走っている。どうやってハンドルを握り、ブレーキを踏むのか」と話している。テロ戦争については「世界が強欲によって危険にさらされている。娘の未来を思うと、さらに怒りがこみ上げてくる」と語った。
エディ・ヴェダーとショーン・ペンは10年来の友人。映画「Into The Wild」は9月に全米公開の予定。
パールジャムと言えばシアトル・グランジ、オルタナティヴ・シーンの重鎮。当時、グランジを代表するグループとしてニルヴァーナと人気を二分していた。
エディ・ヴェダーが過去のグランジ全盛時代を振り返ってこうコメントしている。「ついこの前のようだ。まだ酔いが醒めきれない..... あまり楽しめなかったのが残念だ。状況が整いはじめた矢先に、カート・コバーンが消えた」

2007/07/05

ガザに踏みとどまる記者の解放


7月4日、パレスチナ自治区のガザにおいてイスラム系武装勢力に拉致されていたBBC(英国放送協会)のアラン・ジョンストン記者45歳が解放され、記者本人や英国政府のみならず、解放を訴えてきたアラブ世界をも含む支援者らは一斉に安堵した。
◇開口一番「事態を報道できなかったこと」への悔しさを語る
パレスチナ原理主義組織ハマスの仲介で、「アーミーオブイスラム(イスラム軍)」を名乗るパレスチナのイスラム系武装勢力から解放されたジョンストン記者は、ハマス幹部らとの共同記者会見に疲れた表情ながらも、極めて落ち着いた態度で臨んだ。
ジョンストン氏は3月12日に現地のBBC事務所から帰宅する途上で「イスラム軍」に銃を突きつけられ、拉致された。パレスチナ自治区では過去にも欧米人が拉致される事件はあったが、同氏の拘束期間は4ヶ月と異例の長さに及んだ。
解放にあたりジョンストン記者は開口一番、ハマスとPLO( パレスチナ解放機構)最大派閥ファタハのガザ地区での戦闘と、ハマスによる6月15日のガザ地区制圧について報道できなかったことが悔しいと述べた。
同氏は「拘束されていた(武装勢力の)潜伏先で、周囲の街路での戦闘の音などが聞こえ、極度に混乱したできごとが進行中であることが分かるのに、それに関する報道ができなかったことは、さらなる悪夢となった」と解放後、BBCの電話インタビューに語った。「知ることができたのは、なにか大きなことが起こっているということだけだった。私がガザに駐在を開始して以来、最大のニュースだということは分かったのに、独房に横たわっているだけで一言も言葉を発することができなかった」
◇ガザ地区に留まり報道を続けた同記者を中東社会も評価
ジョンストン記者は2004年4月から3年間の予定でガザ地区へ駐在していた。同地区の治安情勢の悪化から、欧米メディアの記者の大半は引き上げたが、独身で子どももいない同記者はガザ地区に留まり、現地の状況を報道し続けた。同氏の拘束事件に関して、英国政府からの解放要求だけでなく、中東で対立関係にある諸国や派閥などが同じく解放を訴えて一致団結したのは、欧米記者のほとんどが引き上げるなか、ラジオやテレビ、インターネットを通じて、現地の状況を伝えてきたジョンストン氏の報道が、中東社会でも評価された結果だった。

ジョンストン記者は1962年にタンザニアのリンディで生まれる。英国北部エジンバラの共学私立校ダラー・アカデミーを卒業後にダンディー大学で英語学と政治学を専攻、さらにカーディフ大学の大学院でジャーナリズムを研究した。
1991年にラジオ局のBBCワールド・サービスに入社後、1993年から95年までウズベキスタンに駐在した。さらに1997年から98年にかけてはタリバン政権下のアフガニスタン首都カブールで駐在員として取材活動に携わった。その後は、BBCワールドサービスの本部スタジオで看板番組「ワールド・トゥディ」の制作に携わってきた経験を持つ。
2005年のイスラエルの一方的な占領地からの撤退、2006年パレスチナ総選挙でのハマスの勝利、同年のガザ地区へのイスラエル軍の侵入、過去数ヶ月にわたるハマスとファタハの戦闘などを取材したのは、すべてジョンストン記者だった。

ジャーナリスト保護委員会(本部ニューヨーク)によると、ガザでは2004年以降、ジョンストン氏を含めて15人のジャーナリストが拉致された。同氏以外は全員が短期間に無事解放されているが、犯人が逮捕されたケースはないという。
(CNN 04 July 2007 )

2007/07/04

What's going on



ダーティダズンの「What's going on 」聴いてますか。
ハリケーン・カトリーナがアメリカ南部ルイジアナ州・ミシシッピ州を襲ったちょうど1年後の8月29日にアメリカで発売されたこのアルバムは、マーヴィン・ゲイの名アルバム「What's going on 」を丸ごとカヴァーしたものなんだけど。マーヴィン・ゲイのは35年前のベトナム戦争の退廃ムードを反映した反戦アルバムとしても有名で、それに一筋縄では行かないタフな男たちのブラスが加わり、チャックDらが加わって、連邦政府から見捨てられたも同然の、復興がぜんぜん進んでないニューオーリンズのことを「いったいどうなってる!」と怒る、「世界はちっともよくなってない!」メッセージアルバムに仕上がっている。

◇チャックDが特別参加の<What's going on >
「さあケツをあげてなにかしようじゃないか!そしてこの国の歴史上最大級のべらぼうな重大局面を片付けよう。」(2005年9月1日レイ・ネーガン市長WWLのインタビューに答えて:このとき市長はアメリカ政府に対する怒りを感情的に公言したことで政治生命は終わったと思ったと述べている。)
「子どもは置き去りにしない(2001年施行のブッシュの落ちこぼれは作らない法案のこと)、なんだと?オレたち全員、目が見えないとでも思ってるのか?
まあカトリーナの余波は、めくらにでも見えて当然だけどな
コンゴスクエアーのように(かつて休日には奴隷が集まり情報交換していた広場として知られる、ジャズ発祥の地でもある)それについちゃこの場で知ってたさ
82%のアメリカ人がどこにも行けないんだぜ(ニューオーリンズの被災者の82%が収入と信用度が満たないせいで連邦政府の災害どき臨時融資を拒否された)
ホントにそういうことなら、どうなってんだ?
ホントにそういうことなら、どうなってんだよー?
しかもそういうことなんだ そうなんだ

写真はダーティダズンブラスバンドと、被害にあったニューオーリンズの街の一コマ、クリスマスならハリケーンの被災から4ヶ月は経っている。

2007/07/03

異質なものとの戦い



スコットランドのグラスゴー空港に車が突入して炎上した事件、それとの関連性を当局が指摘するロンドン市内の自動車爆弾によるテロ未遂事件。すでに逮捕者が出ているようで、2人が医師、留学もしくは医療活動を目的に英国に入国したものと言っている。空港に突入したほうの容疑者のひとりは、炎上した車から脱出後に焼身をはかって火だるまになったのを、そばにいたタクシードライバーがホースで水をかけて火を消した。写真の1枚はまさにそのときに撮影されたものです。
捜査当局はまた、中部リバプール市内の2カ所やグラスゴー近郊、スタフォードシャー州の各地で家宅捜索を実施し、リバプールでは5人目の逮捕者である26歳男性を逮捕した。国籍は明らかにしないまでも容疑者はアジア系であること、地元出身ではなくスコットランド居住期間も長くないとコメントしている。
グラスゴー空港は7月1日午後に再開。ロンドンのヒースロー空港は不審物発見を受け、一時閉鎖。リバプールのジョン・レノン国際空港も6月30日夜に安全対策のため一時閉鎖された。

リバプールの国際空港にジョン・レノンの名前がついていたのをご存知でしたか。
わたしはジョン・レノン・ファンであるにもかかわらず、このニュースで知るまで気づきませんでした。ジョンが撃たれた日、そのニュースを聞いた日は、東京青山のボウイという会社で仕事をしていました。ショックで友人に電話したり、胸騒ぎがして仕事どころでなかったことを憶えています。以下は英国政府観光庁のサイト「visitBritain」で見つけた観光用ピーアルです。アンダーグラウンド文化も含め、文化は立派な観光源になるのです。
◇リバプール(visitBritain PR)
リバプールがポップ・ミュージックの都としての地位を確立したのは、1960年代初頭のこと。地元出身のマッシュルームカットの4人組、ビートルズが登場して世界のミュージック・シーンを席巻。ビートルマニアと呼ばれる熱狂的ファンを生み出し、その後登場する何百万というミュージシャンたちの素晴らしい音楽に影響を与えた。
1970年代にはエルビス・コステロや、ジュリアン・コープが在籍したティアドロップ・エクスプローズ、そして1980年代にはエコー&ザ・バニーメン、ハーフ・マン・ハーフ・ビスケット、フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドといったアーティストたちがこの町から登場。多彩なサウンドで人々を魅了した。
1990年代に入ると、ザ・ラーズやライトニング・シーズ、そしてブー・ラドリーズ、シャック、キャストといったブリットポップ・グループが才能を発揮。近年ではザ・コーラル、レディトロン、そしてザ・ズートンズなどのニューカマーが活躍し、リバプールはブリティッシュ・ミュージックの中心としての地位を維持し続けている。
◇リバプールの音楽ミニ情報
1) ビートルズの名曲、「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」と「ペニー・レイン」の両A面シングルは、英国チャートではナンバーワンにならなかった。ペニー・レインは、リバプール郊外に実在する活気ある通りの名前。またストロベリー・フィールズも実在する(2005年3月に閉鎖)孤児院の名称だが、曲はストロベリー・フィールズそのものについてではなく、ジョン・レノンの当時の心情を映し出したものかもしれない。
2) テクノポップ・バンドOMD(オーケストラル・マヌーバーズ・イン・ザ・ダーク)のシングル「スタンロウ」は、英国中をツアーした後、地元リバプールに戻ってきたことを実感させてくれる目印のような建物であるマージー精油所について歌ったもの。
3) エルビス・コステロは、初めてニューヨークを訪れた後、リバプールの波止場に思いを馳せながら代表曲「ニュー・アムステルダム」を書いた。
4) リバプール国際空港は2001年、地元出身の天才ミュージシャンをたたえるべく、リバプール・ジョン・レノン空港と改称され、妻のオノ・ヨーコが出席して記念式典が行われた。この空港は、個人の名前がつけられた英国初の空港となった。
5) スザンヌ・ベガは1990年春、リバプールに滞在した際に教会の鐘の音を聞き、マージー川の景色を眺めたことにインスピレーションを得て、「イン・リバプール」という曲を書いた。

すばらしいですね、英国政府観光庁のみなさん、リバプールに行きたくなりましたもの。国際空港といっても、グーグルアースで見る限り、広々としたなかにほとんどなにもないような簡素な空港のようです。

2007/07/02

ヴァーモスが帰ってきた!



7月1日、オーストラリアのジョン・ハワード首相が2008年2月にイラクからオーストラリア部隊の撤退を開始することをひそかに計画しているとオーストラリアのメディアが報じました。まだブッシュアメリカには言ってないそうです。
先日の、民間人が大勢犠牲になる誘導ミサイルによるイラク爆撃を止めるため、自分の国の実質米国が管理する基地でいったいなにが行われているかをオーストラリア国民に知らしめる目的でパインギャップ秘密軍事基地に侵入した4人に有罪判決が下っても、検察が求めた実刑には無理があるとの判断で軽い罰金刑になったことや、国民そしてメディアの関心の高さから導き出された結果かもしれません。傍聴席で歓声と拍手喝采、ハグが交わされるなか、サリー・トーマス判事はこう言いました。
「4人は全員、非常に純粋に自らが信奉する大義を追求しています」

写真は60人以上が死亡、20万人が家を失った、雨をもたらすモンスーンの到来でさっそく洪水による被害が出たパキスタン南部カラチ郊外。あたり一帯、泥水におおわれてます。(AFP=時事)
そしてイラクに駐留するオーストラリア部隊の兵士。(ロイター)
どちらも目の前の現実に圧倒されてるように見えます。
ついでに7月1日、うちのボクサー犬ヴァーモスが警察犬訓練所から帰ってきました!昨晩はほぼ4ヶ月間一人っ子を満喫していたサンバの、突然割り込んできたじゃまもの(弟分)に対するジェラシーからくる攻撃的態度に悩まされましたが、夜中見てみると、鼻面がいまにもくっつきそうなくらい頭をつきあわせて眠っていました。ヴァーモスは暑さが大の苦手、早朝5時半には散歩に行きます。きついけど、大きな顔と小さな顔の2匹の顔に迎えられると、すべてが吹き飛びます。ハッピー!