見つけた 犬としあわせ

ニュースのファンジン、世界のニュースのサンプリング。 一枚のCDを聴くように一枚のコラージュを眺めるようにこれを体験して欲しい。

2010/11/26

サラ・ペイリン、あなたが怖い



◇サラ・ペイリン:"私たちの味方(同盟国)北朝鮮と共に、立ち向かわなければなりません"

北朝鮮(ノースコリア)と韓国(サウスコリア)をごっちゃにするサラ・ペイリンによる言い違いは、彼女が直面する信頼性のハードルを思いださせるものだ。

まさかサラ・ペイリンは彼女の家からロシアが見えたとは主張しなかった、それはティナ・フェイ(ペイリンのそっくりさん)だったが、朝鮮半島での緊張を論じて「私たちの北朝鮮同盟国と一緒に立ち向かわなければなりません」と話すグレン・ベックのラジオ番組で彼女は一枚うわてを行った。

ラジオ番組の写しにはこう書いてある:

聞き手:北朝鮮でまさに生じたああいった局面をあなたはどんなふうにうまくさばくつもりですか?

ペイリン:そうですね、北朝鮮、これはより大きい問題から由来しています、「あらいやだ、私たちは何をするつもりなの」と尋ねてみんながこれといって何もしないでいるとき、そして北朝鮮がするつもりであるすべての制裁に対してホワイトハウスが必要なだけ強力な政策を公表するほど、私たちにたくさんの信頼がないときに。従ってこれは私たちの国家安全保障政策の点から確かに私を怖がらせるというように、より重要な実態に言及します。でも、言うまでもなく、私たちの北朝鮮同盟国と共に私たちは立ち向かわなければなりません、条約によって私たちは義務があります...

聞き手:韓国です。

ペイリン:その通りです、私たちの盟友、韓国と共に立ち向かうにつき、私たちはまた思慮分別によって縛られます、そうなんです。

これが全くただの言い違いだったのは、彼女の先行する科白からすぐ分かったけれども、もしも彼女が2012年の確かな大統領候補になりたいならば、それはまったくペイリンがするわけにはいかないつまずきのようなものだ。

Twitterのおバカが真相を載せるまでに時間はかからなかった:

勇敢なサラ・ペイリンのように、ボクもまたノースダコタのわれらの盟友を支える


2008年大統領選挙戦に関しての著書「Game Change」には、ペイリンの知識の欠如について出所が明らかにされていない主張が、恐らくジョン・マケインの顧問のひとりから来ているとする、かなりの暴露があった。397ページのペーパーバック版は2008年9月から成り行きを記述した:

彼女の移動する一行のメンバーがバージニア州ペンタゴンシティのレーガン空港にほど近いリッツカールトンでペイリンと合流する、そして彼女が暗記と学習で多少の進歩をしていたとは言え、初歩的な事項と概念の把握が最小だったのに気づいた。ペイリンは、北朝鮮と韓国が別々の国だった理由を説明できなかった。 連邦政府機関が何をするか彼女は理解していなかった。9月11日アメリカを攻撃したのは誰か問われると、彼女は何度かサダム・フセインだと言い出した。彼女の息子がイラクで戦おうとした敵が誰であるか明らかにしてくださいと頼まれると、思い出せないで無視した。

言い違いは誰でも政治家の人生の苦労の種である:大統領選挙戦に従事するバラク・オバマに尋ねると、57州を遊説してそのことを無視するにまかされるのはめったにないと言った。同様に、仮にペイリンが共和党指名の本格的な候補者だとすれば、韓国(サウスコリア)と北朝鮮(ノースコリア)を混同するのは、ノースカロライナとサウスカロライナをごっちゃにするよりまだましだ、重大な早めの大統領予備選挙がサウスカロライナで行われる。

北朝鮮のちょんぼは別として、質問に対するペイリンの答えまるまるが外交政策の決まり文句だった:韓国を助けて中国に働きかける。全然一匹狼の独立したものでない、そしてほとんど確実にホワイトハウスがとっくにしていることだ。

(UKガーディアン紙 24 November 2010)
http://www.guardian.co.uk/world/richard-adams-blog/2010/nov/24/sarah-palin-north-korea-allies

△写真はちょんぼのサラ・ペイリン



写真:イタリアのピサの斜塔近くで、政府の教育予算削減に抗議してデモを行う学生。約30人の学生が斜塔に乱入し、「大学改革に反対!」と訴える垂れ幕をぶら下げた。この騒ぎで観光客は退去を迫られた。
(AFP=時事 2010年11月25日)

2010/11/25

手強い既成事実化



◇エルサレムの嘆きの壁開発計画は"不当"とパレスチナ人が反対する

占領下、東エルサレムの主要な観光地ぐるり領域を改良する約2300万ドルの問題の多い事業計画をイスラエルが認可

パレスチナ人によって不当(違法)と厳しく非難されてきている動きの中で、イスラエルは、ユダヤ教の最高の聖地であり、この上なく敏感なエルサレムの旧市街の論争地区、嘆きの壁ぐるりの領域を開発する約2300万ドルの5年計画を承認してきている。

第二神殿(Second Temple)の最後の跡としてユダヤ人によって崇めたてられる西の壁、または嘆きの壁は、毎年大勢の観光客を引き寄せる。祈るため、または歴史的な石と石の間のすき間を割って紙の切れ端に祈りの言葉を手書きするユダヤ人礼拝者のたわごとを見物するために。

イスラエル閣議によって承認された計画は、程近い考古学の遺跡に加えて壁と周囲の広場へのアクセスを向上させて、右肩上がり数の見学バスや専用車に満足を与えて、ためになる施設を備えつけることになっている。それは2004年に承認された初期の5年計画の継続だ。

「西の壁はユダヤの民族の最重要の遺産(先祖伝来)の場所」とネタニヤフ首相は言った。「老いも若きも、イスラエルと世界中からの巨万の訪問者にとって霊感の源であり続けることができるように、私たちはそれの開発と維持をゆだねられる。」

壁のすぐ上は、ハラムシャリーフ(Haram al-Sharif)として知られるイスラム教徒の居住区域だ、そこには岩のドーム(Dome of the Rock)やイスラム教徒にあっては第3の聖地のアルアクサ(al-Aqsa)モスクに場所を与える。その場所はユダヤ人には神殿の丘として知られた。

計画の発表はパレスチナ人から鋭い批判を引き出した。

「エルサレムの占領地域でのどんなイスラエルの活動たりとも違法」であるとパレスチナ自治政府の Ghassan Khatibはハーアレツ紙に告げた。

「和平はどうしても東エルサレムの占領の終わりを要求するものなので、和平プロセスが懸念されるほどにそれは有益でない」と彼は言った。

その領域ぐるりのユダヤ人の建設工事は、従来、抗議と暴力を誘発してきている。

エルサレムのキーとなるイスラム教徒とユダヤ人とキリスト教徒の聖地は、グリーンライン(敵対する2つの地域の境界線)または1967年以前の境界のほんの東側、旧市街のあちこちにある。国際社会によって承認されない行動でイスラエルは、1967年の6日戦争において東エルサレムを攻略し、後で併合した。

(ガーディアン紙 22 November 2010)

△写真:ユダヤ教超正統派のユダヤ人がエルサレムの旧市街にある西の壁または嘆きの壁で祈りをあげる(Photograph: Atef Safadi/EPA)

http://www.guardian.co.uk/world/2010/nov/22/israel-western-wall-plan-jerusalem

2010/11/22

29歳の自殺協定



◇双子姉妹の自殺協定はコロンバイン高校無差別殺人に関連づけられるかもしれない

歴然たる協定で死んだKristin Hermelerは無差別狙撃のあとすぐにコロンバインの生存者に手紙を書いたと警察は言っている

コロラドの射撃場で彼女ら自身をねらって撃ったオーストラリア人の双子の姉妹の歴然たる自殺協定(心中の約束)の原因となる動機を捜し求める刑事らは、それが1999年のコロンバイン高校無差別殺人に関連づけられるかもしれないと真に受ける。

姉妹の所持品の中から警察は、狙撃から一カ月後の1999年5月に出たタイム誌の表紙を発見した。表紙は「The Monsters Next Door What Made Them Do It」と見出しをつけられ、コロンバインの2人の銃を持った殺し屋と13人の犠牲者を特集した。

KristinとCandice Hermeler(29歳)は、11月15日射撃練習場で互いに撃ちあった、そこはコロンバイン高校から約20マイル離れている。Candiceは頭部に損傷を受け、まだ入院中、一方Kristinは事件で死んだ。二人は遺書をなにも残さなかった。

警察はまた、Kristinがコロンバインの惨劇の生存者のひとりブルックス・ブラウンに2通手紙を書いて、殺し屋のひとり、エリック・ハリスの味方だったことにありがとうと言ったのを明らかにしてきている。「生まれてこの方、拒絶され、いじめられ、追放されっぱなしの人間として、エリックにチャンス与えるあなたに、私はありがとうと言いたい。」

手紙はコロンバインの狙撃からちょうど2カ月後の1999年6月に書かれ、それが生じた時期にKristinがひどく無差別殺人に関心を持ったのを暗示する。

姉妹は南アフリカ共和国出身の両親と共に、見える苦労もなく、ほとんどメルボルンに近い中流社会の家庭でおとなになった、そして友人らによってかなり教養があり、好ましいと形容された。二人は三カ月間アメリカを旅行して、コロラドで5週間過ごした。

二人は明白な心中の約束の2週間前に射撃練習場から銃の修行を得た。狙撃の日、二人は22口径の銃を彼女ら自身に向ける前に、射撃場で1時間ほど過ごした。

(UKガーディアン紙 22 November 2010)

△写真はコロラドの射撃訓練場で死んだKristin Hermeler(Photograph: Ho/Reuters)

http://www.guardian.co.uk/world/2010/nov/22/twin-sister-suicide-pact-columbine-massacre

▲11年前の衝撃的事件、13人が殺されたコロンバイン高校の襲撃関連のニュースがこのブログの前身となるフリーペーパーTAMAのサイトにあります
●どこの学校にもあるファゴット(ゲイ)いじめ
http://www.fair-port.com/tama/news2.html
●学校が吹っ飛ばされた日
http://www.fair-port.com/tama/news3.html
事件の背景に興味があれば ぜひ、お読みください