見つけた 犬としあわせ

ニュースのファンジン、世界のニュースのサンプリング。 一枚のCDを聴くように一枚のコラージュを眺めるようにこれを体験して欲しい。

2007/09/22

ホワイトツリーとジーナ6


ジーナ高校の6人の黒人生徒の解放を求めて9月20日、全米各地の活動家たちがルイジアナ州の小さな町に結集しました。事件を担当するリード・ウォルターズ地方検事も沈黙を破り、6人を起訴したことの正当性を公に訴え出ました。
具体的にはジーナ町立高校の白人生徒に対する黒人生徒6人の暴行をどう裁くかという問題で、当初「第二級殺人未遂」だったのが、公判中に「第二級暴行傷害およびその共謀」に下げられたものの、まだ「厳しすぎる」というので大きな問題になっています。実はこの町に渦巻く人種をめぐって対立するエネルギーには事件の布石となるルーツがありました。
白人が約80%、黒人が15%というような人種構成の、小さな町ジーナの町立高校には悪しき伝統がありました。「ホワイトツリー」と呼ばれる校庭の大きな木の下で集えるのは白人生徒に限られるという暗黙の「了解」です。
ことの発端は2006年8月末、黒人の新入生が校長に、自分も「ホワイトツリー」の下にすわっていいのかと尋ねたところ、校長は「君たちは誰でも好きなところに座っていいんだ」と答えました。このやりとりを聞いて、質問した生徒を含む何人かの黒人生徒が「ホワイトツリー」の下に座るという行動に出ました。すると翌朝、「ホワイトツリー」に首をつるための「ロープの輪がぶらさがっている」のが発見されました。
ほどなく3人の白人生徒の仕業であることが判明し、校長はこの3名の放校処分を決めました。ところが、教育委員会が介入して「思春期にはよくあるイタズラで、誰かを脅すような性格の行為ではない」と断じ、校長の決めた放校処分を破棄して「停学処分」に減刑したのです。教育委員会の決定の際のコメントが人種対立を燃え上がらせる要因になったと言われています。
ルイジアナ州を含む南部では「木にロープをぶら下げる」というのには象徴的な意味がありました。長い間存続した奴隷制度において、見せしめのために奴隷を殺害するのにこれが使われてきたこと、そして奴隷解放後も「白人の優位」を見せつけるのに黒人を迫害し続けたKKKのような白人至上主義団体が黒人をリンチするのに木のロープにつるしてきた記憶が深く残っているからでした。
黒人から見れば教育委員会が決めつけたことはウソでした、「ホワイツリー」に下がったロープは明らかに「おまえをリンチにしてやる」と人を脅す行為でした。その犯人たちが「停学」で済んだとなれば、人種問題の怒りのエネルギーが蓄積されていっても不思議ないことです。
問題の「ホワイトツリー」は切り倒されて「薪」にされたそうですが、この事件以降、ジーナでは高校生同士の人種の対立が激しくなりました。そんな中で起きたのが、冒頭にある今回の傷害事件でした。
有罪になると禁固20年という厳罰が待っていることから激しい反発が続いています。
ルイジアナ法には、「第二級暴行傷害」を立件するには「生命を脅かすような凶器の使用」という条件があるのでしたが、今回の公判では「黒人高校生たちがはいていたテニスシューズ」が「凶器」であるとされている点も問題になっています。白人が銃で威嚇しても「おとがめなし」なのに、黒人がテニスシューズをはいていただけで「第二級傷害」というのでは、差別といわれても仕方ありません。
さて、この黒人生徒6人は「ジーナ・シックス」という名で呼ばれ、人種差別の犠牲者ということで、全米からバスを連ねてデモ隊が集結することになりました。
こうした事件では必ず先頭にたってきたジェシー・ジャクソン師やアル・シャープトン師がジーナに来て陣頭指揮にあたっています。「南部的司法」から「ジーナ・シックス」を救出するために連邦議会が行動すべき!というスローガンを叫びながら、デモ行進はジーナの裁判所を取り囲みました。
もちろん、民主党の大統領候補たちはそれぞれにコメントを出しています。ヒラリー・クリントンは「司法システムの機能不全」という言い方で、ジョン・エドワーズは「人種隔離という環境で育ったわれわれ南部人にはみな、こうした人種問題に責任がある」と言って、「ジーナ・シックス」への減刑運動への支持を表明しました。
ここでオバマだけがちょっと違っています。彼はこれまでの主張、「人種間の和解」ということをこの問題でも訴えかけます。黒人側が渋々でも納得するような「裁定」が出れば、今度は白人側に怨念が残ることになる。オバマは、そうした怨念の応酬を止めさせたいという姿勢で発言してきています。 
全米から押し寄せた抗議者によって包囲された裁判所は、72時間以内にこの問題に関する公聴会を開く命令を出して、とりあえずその場を収拾させました。しかし、町は依然として人種間の刺刺しいムードにあり、来週の公聴会をめぐってはさらに緊張が高まることも予想されます。

写真は、すでに伐られて存在しませんが、校庭にあった問題の「ホワイトツリー」です。

人間とは なにかの間違いなのだ


イランのアフメデネジャド大統領が国連総会(日本は安倍の放棄でドタキャン)に出席のためニューヨーク入りする際に「グラウンド・ゼロ」で献花したいという意向を漏らしたところ、NY市当局がこれを拒否した。
イラン大統領はコロンビア大学で講演することになっているそうなんだが、こちらのほうも米国で猛反発が起こっている。「911のテロを密かに支持し、イスラエルの滅亡を願っているような人間をNYの大学が賓客扱いするとはけしからん」 でも、911のテロを密かに支持とは米国が単に「傲慢にそう言ってる」だけですよ、あまりにもおとなげない。
どっちがけしからん!ことなのか、あきれることが多すぎる。

◇シリアが核施設を稼働させるらしいという情報を、アメリカが入手してイスラエルに渡したらしい。その情報に基づいてイスラエルがシリアの施設を空爆したらしい。それでもって、その核施設には北朝鮮が技術供与しているらしい、というニュースから:
20日のブッシュ大統領の記者会見で、この問題に関してNBCのデビッド・グレゴリーが食い下がっていたのたが、ブッシュ大統領自身がこのすべてに関して「ノーコメント」と、いつになくガードが堅いことから様々な憶測を呼んでいる。イスラエル軍が今月6日にシリアを空爆したとの情報をめぐり、イスラエル国会・外交安保委員会ハネグビ委員長は、軍情報部に対し、この情報には今後も一切言及しないように要請している。

ニューヨークタイムズ紙は12日、イスラエルは北朝鮮がシリアに核物質を移送していると見て、偵察飛行を繰り返していたと報道。英サンデータイムス紙は16日、イスラエルが空爆したのは北朝鮮から渡った核物質の地下貯蔵庫で、事前に米政府の了承を取りつけていたと報じた。英オブザーバー紙は16日、空爆は核開発を進めるイランに対する「攻撃の予行演習」だとの見方を示した。
イスラエル政府が今回異例の沈黙なのは、「シリアに警告を与えた上で、交戦を避けるため」(イスラエル軍事筋)との見方がある。シリア政府は「イスラエル軍機が領空を侵犯し、爆発物を投下した」と主張しているが、空爆の有無は明らかにしていない。
事件直後、イスラエル軍機はレバノンのイスラム・シーア派の武装組織ヒズボラに輸送している武器を空爆したとの見方が強かった。
ニューヨークタイムズは米国防総省高官の言葉を引用し「イスラエルが最近シリアに対する偵察飛行を行い、核施設と思われる場所の写真を撮影した。イスラエル高官らは北朝鮮が核物質の一部をシリアに供給したと信じている」と報じた。イスラエル高官らは北朝鮮が残った核物質の一部をシリアに販売、またイランにも核物質を売っているとみていると伝えている。
ロイター通信も米外交消息筋の言葉として、イスラエルが空襲を加えたシリア北東部のデイルエツゾール地域は、北朝鮮とシリア間の核兵器協力の現場という疑いのある場所だったと報じている。

エルサレム発:イスラエルの右派政党リクードのネタニヤフ党首(元首相)がイスラエル軍による今月6日の「シリア攻撃」を認める発言をし、物議を醸している。シリアはイスラエル軍機の領空侵犯を公表したが、イスラエル政府はこれまで沈黙を守り、報道管制を敷いてきた。ネタニヤフ発言に政界や軍部からは「かん口令を破った」と非難が巻き起こっている。
ネタニヤフ氏は19日夜、イスラエルのテレビ局チャンネル1で「シリア攻撃」について「私は最初からこの件に関与していたし、支持した」などと発言し、事前にオルメルト首相から概要を知らされていたことを示唆した。さらに、「首相に(作戦成功の)お祝いの言葉をかけたのか」と問われると「個人的にね」と答え、攻撃の事実を認めた形となった。
イスラエル政府はこれまで一切、事実関係への言及を拒否してきた。政府や軍などにかん口令を敷き、厳しい報道管制も実施。イスラエル・メディアは連日、海外報道の転電に頼ってシリア関係のニュースを伝える状態が続いていた。ネタニヤフ氏の事務所は「具体的な作戦には言及していない」と「失言」の火消しに躍起になった。
16日付の英サンデータイムズ(電子版)紙によると、シリア攻撃準備は今春から始まっていたとされる。攻撃をめぐっては欧米メディアが「核関連施設を攻撃したとみられる」などと報じ、「北朝鮮がシリアの核開発に協力」との憶測も流れた。
イスラエルはシリア側に攻撃の詳細を表ざたにできない「事情」があると見て、反撃の機会を与えないため沈黙を続けているとの見方が有力だ。
(毎日新聞電子版2007年9月21日)

次は、日本の海自給油活動が、世界から要望されるアフガニスタンの対テロ戦争での米軍支援というより、当初からイラク戦争のために使われてきていた!との疑惑について:
「テロ対策特別措置法」に基づきインド洋に派遣された海上自衛隊の補給艦「ときわ」が2003年2月、米補給艦を通じて空母「キティホーク」に間接給油した問題で、防衛省は21日、当時の国会で政府が約20万ガロンと説明していた給油量について、実際は約80万ガロンだったと訂正した。
市民団体「ピースデポ」が20日、米側の資料を基に指摘したことを受け、防衛省が再調査したところ、「データの入力ミス」が見つかったという。(時事通信 2007年9月21日)

高村防衛相は21日午前、海上自衛隊の補給艦がイラク戦争の直前、米空母キティホークに間接給油していた問題に関し「当時も米側にアフガニスタンの対テロ作戦に使ったことを確認している」と述べ、イラクでの軍事行動への転用を否定していた。(共同通信 2007年9月21日)
米海軍の第5艦隊のウエブサイトには、「海上自衛隊はイラク攻撃を行なう艦隊のために、(80万ガロンどころか)8800万ガロン以上の石油を供給している」と記されていた。(この記述は日本側の要請で、すでに削除されているそうだ)
以下は20付日刊スポーツの記事から:
NPO法人「ピースデポ」は20日、米海軍公文書によると給油量は約79万ガロン(約2970キロリットル)で、当時日本政府が発表した量の約4倍だったと明らかにした。
航跡の分析により、給油地点がイラン沖のホルムズ海峡近くだったことも分かった。キティホークは給油の約20時間後にはペルシャ湾に入り、3月20日開戦のイラク戦争で空爆攻撃に参加。海自が無償提供した燃料が軍事行動に転用されたとの疑念が深まり、新内閣が臨む臨時国会でも取り上げられそうだ。
問題は03年5月、横須賀基地に帰港した米海軍第5空母群の司令官が、米補給艦を通じた間接補給を認めたことから発覚。防衛庁は当時「海自の給油量は20万ガロンで、空母1隻がほぼ1日で消費する量。イラク攻撃に使うことは現実的にあり得ず、テロ対策特別措置法の給油対象として問題ない」と説明していた。

インド洋の無料ガソリンスタンドと呼ばれる海自の補給艦は、米国をはじめ他国の軍隊の「(燃料)補給艦」に給油することが多いことは、以前から指摘されていた。日本のリーダーはバカバカしくもこれの延長に職を賭けた。恒久化するなど、ふざけていやしないか!

写真は、イランの大統領アフメデネジャド、後ろの肖像は言わずとしれたホメイニ師

2007/09/19

インスリン マーダー


インスリンは糖尿病の特効薬としてよく知られています。脾臓で作られるタンパク質ホルモン。
でもこれで自殺しようと思ったり、これを注射して人を殺そうと思う人がいるなんて想像もしませんでした。
でも現実には、いるんです。映画「運命の逆転」もそうでした。以下、BBC News からお伝えします。

殺人兵器としてインスリンを使う
by医療保険リポーター、ジェーン・エリオット BBC News 10 August 2007

殺人や殺人の見込みで思いつくのは、銃やナイフがパッと出るだろう、ヒ素や窒息だって出るかもしれない。
糖尿病治療のインスリンを兵器とみなす人などまずないだろうが、この90年ずっと、たいてい鮮明な立場の事件の幾つかで、人殺しの兵器になってきている。
血流中の血糖値が高くなるのを止めるのに、人にはインスリンが必要だ。
糖尿病の人は十分なホルモンを創り出すことができないか、それにきちんと反応できないので、さらに必要になる。
◇殺人兵器
しかし、それが発見された1921年からわずか5年以内にインスリンは人を殺すものでもあった。
多すぎるホルモンは、脳が正しく機能できないレベルにまで、血中のグルコースの量を下げかねない。
公式の記録に残されるインスリンを使った最初の自殺未遂の事件は1927年に記録され、1963年までに全部で13件あった。
殺人兵器としての最初の使用は1957年に記録される、それ以降、世界で殺人または殺人未遂でインスリンが使われる事件が約50件あった。主として手に入れるのにそのクスリを見つけやすい医療スタッフによるものだ。
◇鮮明な立場の事件
アメリカのクラウス・フォン・ビューローとイギリスのビヴァリー・アリット事件といった幾つか鮮明な立場の事件があった。
さて、これらの裁判の幾つかで第三者として出席している世界的なインスリン専門家ヴィンセント・マークス教授が「インスリン・マーダーズ True Life Crimes」という本を書いている。
◇ビヴァリー・アリット
看護師ビヴァリー・アリットは、インスリン投与による13件の事件で殺人と子どもへの暴力で終身刑になった。「死の天使」とあだ名をつけられたアリットは1993年イングランド中部ノッティンガムシアにあるランプトン重警備病院に拘禁され、40年のおつとめを宣告された。
本の中で教授はビヴァリー・アリット「死の天使」殺人事件裁判中の体験について述べる。
看護師アリットは少なくとも4人の子どもを殺害し、他に9人を殺そうとした。
マークス教授はインスリンが実際に使われたのを促して不動のものにするよう求められ、彼の専門的な証人としての証言はアリットに対する事件の立証に決定的なものだった。
だが、その死が無作為のでたらめなものでなかったというのを、特別に招集した会議の他の医療専門家にまず納得させねばならなかったと彼は言った。

(最初に注意を引いたのは生後5ケ月の幼児の事件だった。3度目の発作の後に大人用注射器1本分のインスリンが検出されていた。これほど大量のインスリンが幼児の体内で自然発生するなどありえない。やはり誰かが殺意をもって投与したのは明らかだった。警察は13人の被害者が被害にあった当日の医療担当者を調べ上げた。そして、すべての被害者に共通する担当者を割り出した。ビヴァリー・アリットだ。逮捕されたアリットは拒食症になり、82キロだった体重が44キロまで落ちた。彼女は「ミュンヒハウゼン症候群」だった。語源は「ホラ吹き男爵の冒険」の主人公、ミュンヒハウゼン男爵で、周囲の関心を惹くために、自分を傷つけたり、病気を装ったりする症例のことだ。事件時も彼女の自傷行為は続いており、虫垂炎を偽って医者に手術させる、ハンマーで手足を潰して医者に通う、手術しないと摘出できないほどカテーテルを尿道に挿入するなどの症例が裁判で明らかになっている。ウエブサイト「理解できない動機」参照)

◇ウイリアム・アーチャード
看護師のウイリアム・アーチャードは他の多くのあやしいと疑われる殺しの他は、彼の甥と7人の妻のうちの2人の殺害で1968年有罪を認めた。
その殺しのひとつでアーチャードは、皮下注射器で武装した強盗が彼の家にやってきて彼と3番目の妻ゼラの両方に注射したと主張した、妻は後に死んだ。
「私を除いてはほとんど誰も、会議の冒頭で自ら身を危険にさらし確かにきたない殺人が犯されたと述べる準備をしてなかったのは明白だった」と教授は言った。
「3回かそれ以上、大量のインスリンを注射されていた生後5ヵ月のポール(命をとりとめた)を基礎として私はこれをやった。」
◇不当な判決
マークス教授は、社交界の淑女たらんとする妻を2度も殺そうと企てた男、フォン・ビューローの事件でも助言した。
◇クラウス・フォン・ビューロー
最初が1982年、次が1985年と、クラウス・フォン・ビューローは妻のサニーを2度殺そうと企てた。最初の殺人未遂で彼は有罪を認めて30年の判決を宣告された、これは後に破棄された。2度目の裁判で彼は無罪放免になる。
彼が一度は罪を認め、後に無罪になったのは当然と、マークス教授は感じる。
「単に専門知識に欠けるのと裁判官と陪審員に複雑な科学的事実を伝達する困難さのせいで、まったくメリットがなく、そもそも絶対に提出されるべきでない起訴事件が、どうやって実在しない犯罪で有罪と宣告される無実の人という結果に導かれるかを、フォン・ビューロー事件は強調する。」と彼は言った。
フォン・ビューローの妻は、検察当局が異常なインスリン注射によって引き起こされたと主張したコーマ状態(植物人間)に陥った。
だがマークス教授は、彼女の状態はそれよりもおそらく重度のアルコール消費と関係があると主張した。
インスリンは殺害に使えるが、実はとても不十分な殺人兵器だとマークス教授は言った。
使用したその正体を見破るのは困難だったが、多くが不可能と想定されたわけではない。
「たいへんけっこうな武器というのではない、インスリンで赤ちゃんや老人を殺すのは簡単だが、大人はそうはいかない。」

(クラウス・フォン・ビューローはデンマーク出身のイギリスの法律家で演劇評論家。妻マルタ・フォン・ビューロー、愛称サニーにインシュリンを過剰投与し殺害を図った容疑で起訴されたが、無罪となった。ビューローとは母方の苗字で、ドイツ貴族の家系。指揮者ハンス・フォン・ビューローは親類である。父スヴェン・ボルベアは劇作家でナチ共鳴者として知られた。
1982年、米国ロードアイランド州ニューポートの自邸で妻サニーの殺害を図った容疑で起訴される。クラレンドン裁判所で行われた公判でクラウスは有罪となり、懲役30年を宣告されたが、高名なハーヴァード大学教授アラン・ダーショヴィッツを雇って控訴。ダーショヴィッツとその弁護団は一審で最も有力とされた証拠や証言を覆し、1984年にクラウスは無罪になる。1985年の再審で陪審はクラウスを全ての容疑で無罪にした。
今、クラウスはロンドンに住み、美術批評や演劇評論で活躍している。サニーは今なおニューヨークの病院で植物人間として生き続ける。
ダーショヴィッツが事件について書いた本は、映画「運命の逆転」となる。クラウスを演じたジェレミー・アイアンズはこの演技でアカデミー主演男優賞を獲得した。「理解できない動機」参照)

写真は、これがインスリン!

2007/09/18

国のない男ヴォネガット



日本でやっと翻訳本が出ました。2005年ニューヨークタイムズのベストセラー「a man wihtout a country 」(邦題:国のない男 NHK出版)
結局これが4月11日死去したカート・ヴォネガットの遺作となりました。
どなたか彼に捧げましたでしょうか、「いまカートは天国にいるよ」と。
これは、カートがアイザック・アシモフの追悼会でそう言って会場が大爆笑して以来、彼の大のお気に入りのジョークなんです。
いままともな雑誌はこれくらいとカートに言わせた In These Times に掲載される、ブッシュやチェイニーがふんぞり返る、堕落して貧欲で残酷なアメリカを見かぎる彼のコラムに、わたしはすごく魅せられ元気づけられました。
カート・ヴォネガットの「スローターハウス5」はアメリカのティーンエイジャーにはサリンジャーの「ライ麦畑をつかまえて」より支持されています。
以下、「国のない男」よりーー。

カート・ヴォネガットはドレスデン大空襲のとき、そこにいました。「空襲前の街を見て、地下室に入り、地下室から出て、空襲後の街を見たわけだ。声をあげて笑うしかなかった。こころが何かから解放されたくて、笑いを求めたのだと思う。」と書きます。でも1968年になるまで、このヨーロッパ史上最大の虐殺について書けませんでした。「1945年2月13日、ドレスデンでは約13万5000人が殺された。イギリス空爆隊によって、ひと晩のうちに。とことん無意味で不必要な破壊だった。すべてが燃えた。あの殺戮を行ったのはわれわれではなくイギリスだった。あれは一種の軍事実験で、焼夷弾をばらまくことで全市を焼き尽くせるかどうか試したかったのだろう。」とあります。
23年さかのぼりドレスデンを書く気にさせたのはヴェトナム戦だった。「アメリカの指導力と動機がいかにいかがわしく、どうしようもなく愚かなのがこれによって明るみに出た。このとき初めてドレスデンについて語れるようになった。想像を絶する極悪人たち、つまりナチの連中に対して、われわれがひどいことをしたというのを。わたしが見たもの、わたしが報告すべきことが、戦争がいかに醜いかを教えてくれる。事実には実に大きな力がある。われわれが望んでいないほどの力が。」
この成り行きが、「ボクの本よりよくできてる」とカートがコメントするほどの映画にもなった小説「スローターハウス5」でした。監督はジョージ・ロイ・ヒル、音楽はグレン・グールド。
また、彼は無類の音楽好きです。傲慢さのゆえに世界中から憎まれていても、それでも外国人がアメリカを愛してくれているのはジャズのおかげだと書きます。
アメリカの奴隷時代、奴隷所有者の自殺率は奴隷本人の自殺率をはるかに超えていた、なぜか。奴隷たち黒人には絶望の対処方法があったからで、白人にはそれがなかった。つまり、黒人たちは自殺という疫病神をブルースを演奏したり歌うことで追い払っていた。なるほど、ブルースは絶望を家の外に追い出すことはできないが演奏することでそれを部屋の隅に追いやることはできたのだ。
カートは、いまの若い人たちが気の毒でかける言葉もない、とも書きます。「精神的におかしい連中、つまり良心がなく、恥も情けも知らない連中が政府や企業の金庫の金をすべて盗んでわがものにしている、それがいまの世の中だ。」
だから、カート・ヴォネガットはアメリカを見かぎり、図書館員とIn These Times をよるべにしたのです。
最後にカートからひと言、魔法を使ってでも、「できればあなた方すべてにナバホ族やナイジェリアのイボ族のような大家族を授けてあげたい。大家族に見守られるあかちゃんになりたいと思わないか」
もうひと言、いい?「みんな頭がおかしい。いま地球の免疫システムはわれわれを排除しようとしていると思う。わたし自身、地球はわれわれを排除すべきだと思う。人間っていうのは実に恐ろしい生き物だよ。」

カート・ヴォネガットのMITの卒業式のスピーチとして、おそらく2000以上のウエブサイトに掲載されている気の利いたスピーチがあるのはご存じでしたか。
でも実際にはカート・ヴォネガットのものではなかった。シカゴ・トリビューン紙のコラムニスト、Mary Schmich が自分のコラムに創作として書いたものでした。歌にもなり、本にもなっているそうなんですが、これを気に入ったMITが翌年の卒業式にカート・ボネガットとMary Schmich を招待したというのです。
ちょっとだけ紹介してみます。
みなさん、卒業おめでとう。お祝いとして私からいくつかアドバイスを贈ります。
将来のことを悩んではいけない。悩んだところで、なんの役にも立ちません。頭を抱えるような深刻な事件というのは、ある日突然やってくるからです。不測の事態とはたいてい、なんてことない火曜日の午後4時に不意打ちの形で襲ってくるものです。
「人生の目標がない」と嘆いてはいけない。私がこれまで出会った人のなかでおもしろい人物は例外なく、22歳のときに自分の目標がわからなかった。いや、なかには40歳を過ぎても人生の目標が明確でない人も多い。だが、生き生きとしている人がいるものだ。
せいぜい自分のからだを活用しなさい。他人がどう思おうが、あなたに与えられた最高の道具です。
ダンス!踊る場所がないなら、自宅のリビングでもかまわない。
友人は簡単にできるし、簡単にいなくなる。でも、二三の本当に貴重な親友はこの限りではない。たとえ遠くに住んでいても、生活環境が違っても、親友とのつきあいは努力して続けなさい。年をとるにつれて、若いときの自分を知ってくれている友人ほどありがたいものはない。
一度はニューヨークに住みなさい。人間が鍛えられる。だが、鍛えられすぎる前にニューヨークを離れること。
旅行しなさい。

写真は、本の中にもある、カートのイラストや手描きの文章をシルクスクリーンで作品にしたもののひとつで、オフィシャルサイトから購入できます。
このようにi-Podに貼り付けるサービスともつながっていて、アルミに焼き付ける彫塑作品もあります。スカルプチャーはタイトルが「ワスプのくびれ」

2007/09/17

トーキョーのおそまつ君



阿倍の辞任会見後、「株価が上がった」というのがおかしかった。これはジョークではありません。
辞任会見後すぐに自民党から出てきた健康不安説については、NYタイムズがAPECではあんなに元気だったのに... と、そんな言い訳通用しないとばかりに受け流していたのが印象的でした。世間一般には安倍氏の辞任決意がマンガすぎたせいからか、こんなうわさも耳にしました。
安倍氏の母上が、なんとかって宗教に深くはまっていることでの話です。
決意が突然だったのは、もしや「お告げ」があってのことだったからではないか?

日本のリーダーのタイミングをわきまえない辞任宣言は世界にはどう映ったのか、についてはメールマガジンのほうで紹介するとして、もうひとつ気になるニュースをお伝えしておきます。
9月13日の読売新聞が、安倍がいよいよ苦しくなる理由のひとつに触れています。以下抜粋ーー。

◇安倍はこの日(辞任を発表した日)「週刊現代」から取材を受け、午後7時までに回答を求められていた。安倍の後援会が父親の安倍晋太郎・元外相から引き継いだ資産に対する、相続税の脱税疑惑に関するものだった。安倍事務所は12日、「報道は全くの誤りだ」とし、週刊現代を発行する講談社に記事不掲載を求める文書を発表した... 。

◇一説には、「週刊現代」が安倍自身の「政治とカネ」の大スクープをつかんでいて、その暴露を恐れての辞任とのウワサも出ている。ウワサによると、91年に父親の安倍晋太郎が亡くなった時に、安倍晋三は莫大な遺産を相続するハズだったのに、それをすべて自分の政治団体に寄付した形にして、億単位の相続税を免れたとの疑いがあるそうだ... 。この疑惑について「週刊現代」の編集部は、安倍晋三側に質問状を送付しており、その回答期限が「12日の午後2時」だったそうなのだ。
(ブログきっこの日記でこれに触れてる箇所)

写真は、米軍を支援する海自の給油艦船、ヒエーっとなりませんか。隣国がやきもきするのもわかります。まるで戦前の日本海軍のイメージですよ!
もう一枚は、空自です、この前のグアムでの訓練で本物の爆弾を本物の小さな島に投下した際に「シャック」アタック!と言って自信を誇示した自衛隊員。

2007/09/16

撤退の始まり


APECで安倍首相が世界に向かって、海自の給油活動がとぎれるようなことがあってはならない(と国民じゃなくブッシュアメリカにアピール)、対テロ特別措置法の延長に「職を賭す」と言えちゃうほど、世界とアメリカが熱い視線を向けて期待していることなのかー?と思っていたら、得意の読み違えで職を辞しちゃったよ。

9月10日、11日と、ペトレイエス・イラク駐留多国籍軍司令官とクロッカー駐イラクアメリカ大使の2名を召喚して米上下両院の公聴会が開かれていた。そしてこれを受けた形で行ったブッシュ大統領の演説から米国の当面のイラク政策の道筋が見えてきた。
13日の演説で大統領は、来年夏までに現在17万弱の駐留米軍を13万5000人程度まで減らせるとの見通しを示した。「増派」が成功したとアピールし、さらに成果があれば部隊を追加帰還させると訴える内容だった。
米国のゲーツ国防長官は14日の記者会見で、イラクの治安が現在のペースで改善すれば、2008年末までに米軍の駐留規模を10万人に減らせるとの「希望」があると述べた。
14日議会に提出されたイラク米軍増派の最終報告書によると、イラク政府の治安改善・復興努力をはかる「達成基準」18項目のうち、満足すべき進展があったのは9項目にとどまった。
7月の中間報告から進展があったのは旧バース党員の扱いを巡る措置だけ。基準は「復職を促すための法制化」だが、今回の報告では「新法は成立していないが、政府内部で合意に達した」ことを理由に進展を評価する苦しい内容になった。
(日経新聞2007年9月16日)

ブッシュ政権の方針とイラク駐留米軍の報告がひとまず議会を通ったということで、この先もこれまで通りに行くかといえば、実態は非常に巧妙な言葉を組み合わせた「撤退の始まり」に等しい。まず、ただちに始まる最大3万人の兵力削減だが、これについては「期限を切っての増派」が完了したことによる「自然な削減」だと言っている。また「新たな増派は行わずに自然の削減に任せる」ことでは、「増派が成功した」からという理由がつけられている。そして都合よく、イラクの治安回復がいっこうに進まないことはほとんどがイラク政府の責任にされている。
このように表面的には「ブッシュ政権の方針は正しかった」、「今やっていることには意味がある」といった言葉を並べながら、実は政治的な失点を最小限にしながら「撤兵」への道筋をつけようとしているのは明白だ。公聴会では、ペトレイエス司令官とクロッカー大使に対して共和党の議員団から非常に厳しい追求が浴びせられた。イラク戦争反対に回れないまでも、彼らがこのまま泥沼化することに危機感を持っているのは明らかだ。つまり、保守層も含めて、アメリカの民意は「撤退」に大きく傾いているということだ。
911から6周年を迎えたアメリカでは、政界からも社会からも「戦時の殺気」が消えている。なので「給油」が継続できなければ「国際公約に背く」とか「反テロ戦争への裏切り」といった日本の一部の政治家のかたくなな思いつめは、テロ戦争をぶちあげた当人の、アメリカ社会のいまの雰囲気から見ると、「困惑する」というのが一番ふさわしい。
政治的そして軍事的スローガンとしての「反テロ戦争」がよい意味で解体されつつあるのは明らかだ。日本の政治家が「日本人の犠牲者も24名いる」と叫びながら「給油は国際公約」だと言い張る姿は不自然としか言いようがない。そうした言動が政治的はずみを得るためのジェスチャーであるなら単に不誠実なだけですむのだが、国際社会を理解する上での情報不足、時間的感覚のズレがそこにあるのだとしたら、これは日本にとって恐ろしいことだ。
(ニュージャージ在住の作家、冷泉彰彦氏のUSAリポートから抜粋) 

写真は昨年のワールドカップ・ドイツ大会決勝でフランス代表のMFジダンがイタリア代表マテラッツィに頭突きを見舞った瞬間です。この後ジダンは退場処分になり、フランスは敗れた。なぜいまジダンかといえば、ロイターによると、8月18日、イタリア代表DFマルコ・マテラッツィが、気の短いジダンがキレるような身内を侮辱した汚い発言の内容を明かした。イタリアのメディアが18日に伝えた。マテラッツィはジダンに、「売春婦のお前の姉の方がいい」と言った。