見つけた 犬としあわせ

ニュースのファンジン、世界のニュースのサンプリング。 一枚のCDを聴くように一枚のコラージュを眺めるようにこれを体験して欲しい。

2007/09/01

go fuck yourself !


最近ケーブルTVで、ベルリン国際映画祭で監督賞を受賞し、アカデミー賞にもノミネートされた2004年の作品「イノセントボイス 12歳の戦場(Voces Inocentes )」を見た。
無名の俳優オスカー・トレスが、内戦で血なまぐさいエルサルバドルの村での少年時代の体験をつづった脚本を、メキシコ出身のルイス・マンドーキ監督が映画化したものだ。メキシコの映画会社で製作されたのは、内戦時の政府軍側が今も政権を握っており、エルサルバドルでは製作も正式な公開や販売も認められなかったという背景がある。
エルサルバドルの内戦には政府軍側にアメリカ政府の資金が大量に流れた。資金ばかりか、ヴェトナム経験者の手荒な軍人らが手ほどきした、ひどい拷問・殺人・レイプで悪名を馳せる「死の部隊」の存在がある。政府軍に参加するな!と人々にミサで呼びかけた直後に暗殺されたロメロ大司教のことも頭に浮かぶ。オリバー・ストーン監督の映画「エルサルバドル」にはこのロメロ暗殺にふれる場面がある。
脚本を書いたオスカー・トレスは祖国に家族や友人たちを残してアメリカに渡ってしまった自分にずっと罪悪感を感じていたという。
最近見た、クロアチアの戦争でひどい拷問とレイプを経験した女性を扱う映画「あなたには言える秘密のこと(この邦題はなんとも甘ったるい)」でも言っているが、生存者には肉体の傷手にまさるこころの傷手でも、生き残ったことを恥じる気持ちが一番の重荷だということ。この映画の犠牲者は優勢だったセルビア人の民族浄化とかの犠牲者ではない。同じ民族のクロアチア人兵士らによって拉致され、ホテルに監禁されてレイプやひどい拷問を受けた。国連がやってきたから解放されると思ったら違った、彼らもまた耳元で「すまない、すまない」と何度もささやきながらこれを行った。つまり、どういう戦争であれ、戦争という情況が人間をモンスターに変えてしまうということだ。

◇エルサルバドルは1969年サッカーワールドカップ予選の試合判定をきっかけにホンジュラスと「サッカー戦争」を起こしたことでよく知られる。この中米5カ国中で最も小さな国は、地主が小作人を支配する社会体制で、多くが外国、特にホンジュラスへ出稼ぎに出る。だが「サッカー戦争」を契機にホンジュラスはエルサルバドル労働者の受け入れを拒否。国内は混乱に陥り、ゲリラ活動が頻発する。1979年ニカラグアでサンディニスタ革命が起こると国内のゲリラ各派が触発され、1980年統一ゲリラ組織「FMLN ファラブンド・マルティ民族解放戦線」を結成。ソ連、ニカラグアの支援で勢力を拡大する。これに危機感を持ったアメリカ政府はエルサルバドル政府に軍事支援を開始。国内は10年におよび内戦状態となる。1992年国連の仲介で停戦に至るまでに7万5000人が死亡。特に政府軍が小作人を標的に行った2度の大虐殺はメディアに取り上げられ世界中から非難の声があがった。和平後ゲリラ組織は解体され政党となるが、依然として国内情勢は不安定のままだ。

◇エルサルバドル:1980〜1994
人権、ただしワシントン流 by ウィリアム・ブルム
エルサルバドルは、1960年代まで、中米で最も裕福であると言われたが、14家族と言われる大富豪が全国土の60%を所有し、政治・経済・社会を支配する状況が続き、貧富の差は極端だった。1970年代には、農民組合や共同組合、労働組合などの草の根の組織が発達するが、これに対し、米国の支援を受けた「死の部隊」が虐殺と過酷な弾圧を加えてきた。こうした状況下、カーター米大統領にエルサルバドル独裁政権への軍事援助を行わないよう要請したオスカル・ロメロ大司教が1980年暗殺され、これを機に、すでに活動していた反政府ゲリラの武装闘争が拡大して内戦に突入する。
1980年代には、「司祭を殺して愛国者になれ」というスローガンのもと、民衆組織に参加した多くの人々とともに、カトリック教会関係者が標的とされた。1980年代の政府軍と反政府ゲリラの内戦で、人口500万人の国で死者7万人、国内外の難民は10万人に達した。1992年、両者は和平に合意。1994年には議会・大統領選挙が行われ、「死の部隊」と関連を持っていたARENA(民族主義共和同盟)が政権党となる。以来、大統領はARENAから出ている。元ゲリラの対立政党FMLNもかなりの議席を占める。現在も、経済改革・農地改革は進まず、貧しい人々は貧しいままで、人権侵害も極めて悪い状況にある。

◇自由の名のもとに犯される犯罪
ZNet 14 October 2004 by マーク・エングラー
ディック・チェイニーのエルサルバドル
2004年10月5日、チェイニーvs.エドワーズの論争でチェイニー副大統領が多数の歪曲を行なったのを私たちは承知している。けれどもチェイニーが1980年代のエルサルバドルの内戦をメチャクチャねじ曲げたことには、あまり多くの注目が注がれなかった。チェイニーがエルサルバドルの内戦を現在のアフガニスタンの困難に類するものと述べたとき、ラテンアメリカ問題の研究者はひどくショックを受けた。
「20年前、エルサルバドルが同様の状況にあった」とチェイニーは言う。「ゲリラが国の約3分の1を支配し、7万5000人が死んだ そして自由選挙を行なった 議会を代表して私は選挙監視員としてそこにいた テロリストたちが投票所にやってきて発砲したが、彼らがいなくなると有権者はすぐに戻ってきて並び、投票権の拒否など受け入れなかった そして今日、エルサルバドルは自由選挙のおかげではるかによい状況にある これはアフガニスタンにもあてはまる そしてイラクにもあてはまる」
7万5000人の人々はゲリラによって殺されたのではなく、チェイニーが支持したエルサルバドル政府とその手先である準軍事組織「死の部隊」によって殺されたという、極めて重要な関連事実を副大統領は省いた。次に重要な関連事実として、チェイニーが言及した1984年の選挙は、イカサマ選挙というので広く行き渡っていた。純粋な反対派候補の多くが殺されており、また、米国は結果を操作するのに1000万ドルをつぎ込んでいた。これが「民主主義輸出」のモデルであると言うのは、ネオコンたちがわれわれの前に何を準備しているかについて、極めて多くを語っている。
実際のところ、エルサルバドルが今日はるかによい状況にあるとすれば、それは政府に反対する運動が続いているからだ。1992年の和平協定の一環として設置された国連真実委員会は、レーガン一派が当時強固に否定し、忘れ去ってしまいたがっている事実を明確にしている。同委員会は、人権侵害の5%ほどはFMLNであるが、90%はエルサルバドル軍が行なったとしている(残りの5%は実行者が不明)。
この報告が公開された際、ニューヨークタイムズは次のように述べている:
「国連真実委員会は、レーガン政権が曖昧にしようとした真実をはっきりと示した。自由の名のもとで、エルサルバドル軍によって恐ろしい犯罪が行われたことである。報告では、1989年に6人のイエズス会士を殺すよう命じたのが元エルサルバドル国防相であったことを確認した。また、4人の米国人修道女殺害を隠蔽しようとした者の一人は別の国防相だったとも述べている。右派の政治家でジェシー・ホルムズ米上院議員の英雄でもあるロベルト・ダビッソンがロメロ大司教暗殺を命じたことも明らかにしている。」
ニューヨーク・タイムズのコラムニスト、アンソニー・ルイスはこう結論する:「米国は、殺人者たちが支配するエルサルバドル政府を支持するのに60億ドルをつぎ込んだ。われわれ米国がこれら殺人者に武器を与え、兵士たちを訓練し、その犯罪を隠蔽したのである。」
2004年のブッシュの対抗馬ジョン・ケリーは、「トンキン湾決議を振り返ってみると、カンボジアにいた兵士たち、遺体を数えた歴史、ベトナムの歴史の誤った解釈を振り返ってみると、そしていま中米の闘争を私たちがどのように解釈しているかを知り、CIAの関与を検討し、港に米国が機雷を設置したこと、コントラに資金を提供したことを考えてみると、私たちの歴史においてカンボジア・ベトナムに関与した時期と、現在中米に介入している時期との間には、直接の避けがたい並行関係が認められる。」と言っている。
ネオコンが言葉の意味をねじ曲げ続けても、並行関係は続いている。チェイニーが米国の中米介入の記録を例としてあげたことから、今後も長く「自由の名のもとの犯罪」を私たちアメリカが犯し続けることが確実にわかる。

チョムスキーが確かこんなことを言っていました。アメリカの目的は民主主義の実現などではなく、アメリカに都合のいい政府の実現だ。国民にとってよい政府はアメリカにとって都合が悪い政府。そういう政府をアメリカはたたく。中米の政策はまさにそうだった。ニカラグアのサンディニスタ政権は大多数の国民の支持を得て民主的プロセスを経てできたにもかかわらず、これはアメリカの言う民主主義ではなかった。国民に平等な政策が功を奏してきたと見るや、米国がたたきつぶした。

写真は、議会で相手に「クソったれ!」と言ったチェイニーの風刺マンガ 彼はよくクソったれ!と声を上げるようです。銃もよくブッぱなすようですし。

2007/08/31

ハロルド・ピンターのスピーチ


8月7日、エイミー・グッドマンの「デモクラシーナウ!」が、「ジャーナリズム、戦争、プロパガンダ、そして黙殺」について熱く語る、映画作家でありジャーナリストの、ジョン・ピルジャーの講演を放送した。
全内容はかなりのボリュームなので、後日、メールマガジンでお伝えすることにして、シカゴの「2007社会主義運動」会議で話した中でジョン・ピルジャーがハロルド・ピンターのスピーチについて触れてる部分だけ、お伝えします。
ジョン・ピルジャーは6月15日、2年がかりで完成させた映画「The War on Democracy」をUKで上映しています。

昨年ノーベル文学賞の受賞式で脚本家ハロルド・ピンターは画期的な演説をしました。彼はなぜなのか疑問を呈したのです、彼の言葉を引用します。「スターリン主義者のロシアであっても、組織的残忍性、広くはびこった残虐行為、自主独立した人に対する冷酷な抑圧は西側でよく知られていた、なのにアメリカの国家犯罪は単に外面的に記録に残されるに過ぎない、まして詳細に報道する(文書で証明する)などもってのほかである。」そしてさらに世界の全域での無数の人間の死滅と苦しみ、受難が、おそらくは手に負えないアメリカの権力に帰する。「だが」とピンターは言った、「あなた方はこれを知ろうとしない。なかったこと。決してなかったこと。起こっていてもなかったこと。問題じゃなかった。重大なことじゃなかった。」ピンターの言葉は超現実的な雰囲気に余りあった。BBCは英国で最も有名な劇作家のスピーチを無視した。

写真はジョン・ピルジャーです。

2007/08/28

19万3千ヘクタールのケシ畑




アフガンのケシ栽培が過去最高になったことは昨年の国連の報告書にありました。
ケシ栽培は違法でも、国民の三分の一がこれ関連で食べている事実がある上に、これに代わる生活の手段がないことで、撲滅と言ってもむなしく聞こえます。今年はさらに生産高が増えているのがわかります。
以下、それを伝えるBBCのニュースより。

◇アフガニスタンのオピウム(アヘン)生産が過去最高を記録
BBC ニュース 28 August 2007 by Alastair Leithead
昨年3倍以上も増えたことで、アフガニスタンのオピウム生産が最高記録に急上昇していると、国連は述べている。

国連の麻薬犯罪局はオピウム生産量が過去2年で2倍に増えていると報じる。
カンダハルに近いへルマンド地方が南米コロンビアのような麻薬で馳せる国々のすべてにまさり、いま世界で一番の麻薬生産地域だと述べる。
いま世界のアヘン剤の93%以上をアフガニスタンが占める。
何億という支援金や何万という国際部隊にもかかわらず、アヘンの原料となる19万3000ヘクタールのポピー(ケシの花)がアフガニスタンで育っている。
<反乱行為とのリンク>
「成り行きは非常にまずい、恐ろしいほどまずい、栽培が歴史に残るレベルにまで17%づつ増えているのだから」と麻薬犯罪局の行政局長アントニオ・マリア・コスタは言った。
「19世紀の中国の他に、こんな広さの土地が違法行為用に供される国はこれまでなかった。」
「南のへルマンド地方は残りのアフガニスタンより多くのオピウムを栽培している。生産と栽培の両方の点からみて、最大の独自の存在になっている」と彼は言った。
全体にわたる増加にもかかわらず、北と中央アフガニスタンでいま麻薬が罪に問われない多くの地方の2倍となって、ますます増えるアヘン・ケシがいまの南の反乱行為と不安定に密接に結びつくと報告は述べる。
それでどうすべきだと?報告は防護措置をこうずることでもっと断固とした奮闘を促す。
政府が腐敗にきびしくなるようにしきりにせきたてる、腐敗が麻薬取引を駆り立てていると言って、この新たな仰天の最高記録に関して、貧弱な統治、脆弱な裁判所制度、そして撲滅プログラムの失敗を列挙する。

◇アフガンの麻薬戦争での失敗 BBC ニュース by Alastair Leithead
「ガンを切り取らねばならないとわれわれみなが同意して今年われわれはもっと確固とした奮闘を委託される」アフガンの米国大使ビル・ウッド

国連はタリバンとアヘン剤生産での高騰とのつながりを報じる。
アフガニスタンで栽培されるアヘン・ケシの量を減らすための英国の奮闘に対する妨げとしてその数字は出てくる、原料はUKとヨーロッパのヘロインの大部分に向けたものなのだ。
彼らは栽培者と運び屋に対する麻薬戦争を戦う指導的立場にある国だ。
英国大使シェラード・カウパー・コールズ卿はこう述べた:「はなはだ深刻な事態を述べており、私どもは深く心配させられる。」
「麻薬問題はより深刻な病気の兆しであり、優柔不断に無秩序と反乱行為に取り組むとき、私どもはああいったあらゆる前線での非常に大きなチェレンジに直面しているが、ケシの生産が落ちるのを見ようと私どもはそれに取り組む。」
「全体にわたる結論は魔法のような解決策、銀の銃弾はないということで、忍耐が欠かせないということだ。パキスタンやタイでの経験が示すように、30年の戦争で弱ったアフガニスタン同様、衰弱させられた社会からこのようなガンを閉め出すには15年か20年かかる」と彼は言った。
腐敗・汚職が麻薬生産の急騰を駆り立てていると国連の報告は書く。撲滅の奮闘が妨げられたいつもの一年は、政府の腐敗ばかりか、地方レベルでの腐敗・汚職によるものなのだ。
<麻薬対抗策>
論議は戦略の変換を進めている、あるキャンペーングループは麻薬の生産を認めるためのプログラムの水先案内をしようと精力的に試みているし、アメリカの大使ビル・ウッドは空中散布が強大な衝撃をもたらしうると考える。
「まだ私の印象にすぎない」と彼は言った。「われわれはみな不正な麻薬はガンであり、医者が専門的助言を与えるというので同意する、あるものは強調する放射線療法、あるものは外科的手術とだ。私自身は外科医だが、ガンは取り去らねばならないことでみなが同意しており、今年われわれはもっと確固たる奮闘を委託される。」
「これに取って代わる農民たちの生計が1つ目の構成要素、2つ目の要素は阻止、3つ目は撲滅(根絶)だ。この3つの要素すべてが麻薬対抗策には欠かせない。」
そして秩序を回復して麻薬の積荷を厳重に取り締まるのにアフガン政府に非常に重きが置かれている。
名前のリストを渡していると国連は述べる、そして英国政府は「大物」のための厳重な警備の刑務所に資金を供給してきているが、まだほとんど前進はみられない。
臨時代理としての麻薬対抗大臣、コダイダド将軍は、これらの標的は追跡されるだろうが、申し立てによると政府の人間が運び屋とつながっていることで、これが起きてる現場でほとんど証拠がない、同時に司法はいまだに対面を保持することで苦労している、と言う。
「不幸にも、われわれはしくじってきている」とコダイダド将軍は述べた。
「防護でわれわれは失敗している、ドラッグ問題でわれわれは失敗している。へルマンドではいい仕事はしてきていない。防護をうまく指揮し、へルマンド地方でケシに取り組むのに、どうやって効果を上げるか、今年、われわれは戦法を変える必要がある。」

◇パキスタン国境付近に約80のヘロイン精製所が新設され、アフガンはケシ原料輸出国から商品のヘロイン輸出国へと転換しつつある(毎日新聞2007年8月28日)

アフガン政府によると、主な生産地はヘルマンド州や東部ジャララバード付近で、タリバンや関連する武装勢力が勢力を伸ばしている地域。米国は昨年、ケシ対策に植物を枯らす特殊薬剤の空中散布をアフガン政府に提案したが、カルザイ大統領は「市民の健康などに悪影響を及ぼす」と拒否し、抜本的な対策は打つ手なしの状態だ。
一方で近年、ケシの「原料輸出国」だったアフガンが、ヘロインの「生産国」へと変化しているという。
薬物の密輸を空港や国境で取り締まっているアフガン国境警備隊幹部によると、2年前からパキスタン国境付近を中心にケシからヘロインに加工する秘密工場が増え始めた。その数は確認されただけでも約80と言い、「実際はその何倍もの工場が乱立している可能性が高い」と指摘した。
幹部によると、ヘロインの主な密輸ルートは国境を接するイランやパキスタン、中央アジアへの陸路だが、国際空路の相次ぐ開設で空からの密輸も増加。特にインド、アフリカ、中国への便の搭乗者の摘発が多い。アーモンドの中やじゅうたんの編み込みの間、靴底、体の中に隠し持つケースが目立っている。
麻薬がタリバンの資金源になっているとの批判が強いが、タリバンのアフマディ報道官は毎日新聞の電話取材に対し、「麻薬ビジネスは政府や州政府幹部こそが手を染めている。彼らの関与なくして麻薬は国境を越えられない」と反論している。

写真は、アヘンを抽出するケシの花とアフガニスタンの一面のポピー畑、そして何千人ものイギリス部隊がへルマンド地方に配置される様子。

2007/08/27

あばた顔のノリエガ元将軍


パナマのノリエガ元将軍もまた米国にひどい目にあわされた一国のトップのひとり。
いいように利用されて、ちょっと調子に乗ってアメリカの親分にたてつくと、フセインのように悪役にされて抹殺されるか、ノリエガのように悪役にされて獄中に投げ込まれ死んだも同然にする。
いや、久々にノリエガ将軍の名前を聞いたもので、ちょっとメランコリックな気分になりました。これまでいったい何人の一国のリーダーがこういう憂き目にあってきたものか、とね。アメリカという国は、さんざん仲良くしておいて、ひとたび邪魔となると、なんでもする国だということです。その結果、パナマの一般市民も多数殺されました。でもこれについてはまったく報道されていません、アメリカでもですが。事実を公表する報道写真が残ってないそうです。日本人の女性が貴重な写真を撮影しています。ネットで探してみてください。
今朝のニュースから:
◇麻薬取引などの罪で米国で禁固刑を受けているパナマの元最高実力者マヌエル・ノリエガ元将軍が仮釈放された後の扱いについて、米フロリダ州の連邦地裁は24日、帰国を要求する元将軍の申し立てを退ける判断を下した。このため、身柄移送を求めていたフランスへ引き渡される可能性が高まった。
ノリエガ元将軍は同州の刑務所を9月9日に仮釈放される予定で、弁護士は戦争捕虜としての扱いを求め、釈放後の即時帰国を要求していた。一方で、フランスではマネーロンダリングの罪で被告不在のまま禁固10年の有罪判決を受けており、同国が引き渡しを求めていた。
ノリエガ元将軍は89年の米軍によるパナマ侵攻後に投降し、連邦地裁で禁固40年の有罪判決を受けていたが、その後、刑期を短縮されていた。
(朝日新聞2007年8月25日)
以下はフリーのウィキペディアより、米国のパナマ侵攻:

◇パナマ侵攻は1989年にアメリカ合衆国が中米のパナマに軍事侵攻した事件。
マヌエル・ノリエガ将軍の軍事独裁化にあったパナマでは、麻薬交易の温床となっているとされており、非民主的な政治体制が中米各国の中でも孤立していた。
1989年1月に就任したブッシュ米大統領(ブッシュのオヤジ)は麻薬撲滅を掲げていたが、89年10月に発生したヒロルディ少佐ら軍の一部によるクーデターを支援せず、ヒロルディは鎮圧され失敗に終わった。しかし、12月20日になって米国は米軍2万4000人をパナマに侵攻させ、エンダラを大統領に就任させた。ノリエガの率いるパナマ国家防衛軍との間で激しい戦闘が行われたが、米軍によって首都パナマシティが占領され、翌1990年1月、ノリエガは米軍に投降した。
ノリエガはその後米国に身柄を移送され、1992年4月にフロリダ州マイアミにて麻薬密売容疑等により禁錮40年の判決を受けた(後に30年に減刑された)。また、パナマ国防軍は解体され、非軍事的性格の国家保安隊(国家警察隊、海上保安隊及び航空保安隊で構成される)に再編された。
侵攻作戦は麻薬撲滅を掲げて行われたが、1999年に米国がパナマへ返還しなければならないパナマ運河に関する交渉を有利に進めるためのものとも考えられている。一部では、ブッシュ大統領がCIA長官時代にノリエガの中南米撹乱協力の見返りにコロンビア産コカインの密輸入を秘密裏に容認していたため、自身の政治生命を守るために電撃的に発動したとされる。なお、麻薬撲滅という大義名分を掲げての侵攻だったにも関わらず、21世紀初頭のパナマの麻薬流通量はノリエガ時代の2倍に増えている。これはそれまで「国家」によって統制されていた麻薬の取引網が開放されたためと伝えられる。
この戦争において、アメリカは露骨な情報統制を行い、侵攻期間中の4大ネットワーク各局は、攻撃を受けたパナマ市民への取材はほとんど行わず、侵攻に賛同する裕福な白人住民層の意見を中心に放送した。また、米軍の被害、死傷者数は積極的に報道したが、パナマ軍・パナマ市民がどれほど被害を受けているかについては、米国内向けにはほとんど伝えられなかった。この情報戦略は2年後の湾岸戦争でも十分に発揮されることとなる。
以下はネットーサーフィンの成果からカットアップ:

◇1989年12月20日午前0時45分、武装ヘリ部隊がパナマ市内6カ所に対し爆撃を開始し、パナマに侵攻した。ブッシュ米政権は、パナマのノリエガ将軍を麻薬密輸の容疑で逮捕するというのが名目だった。
アメリカの兵力は、パナマに駐留していた南方軍、本土降下部隊など2万4500人、 20日未明にパナマ国内27カ所を同時に攻撃し、パナマ市街では市街戦となって 3日間の戦闘でパナマ側は民間人を含めて400人〜2000人の死者出たという(4000人とも言われる)。
最大の攻撃目標は、パナマ国防軍本部だったが、隣接するエルチョリージョ地区も爆撃され、労働者街のサンミゲリート地区も焼け、民間人に多大な被害をもたらした。
これに対し、ハイテク兵器を駆使した米軍側の死者はわずか23人だった。
なお、パナマは1994年に軍隊を廃止し、警察力だけになっている。

◇パナマ侵攻の暗い影
国連総会でパナマへの軍事介入は非難された。アメリカは国際法を無視して侵攻した。
侵攻の意図は、パナマ運河を抱えるパナマの内政をコントロールするという歴史的思惑がらみのもので、内政干渉にあたる。
新兵器が実験目的で使用された可能性。ステルス戦闘爆撃機、アパッチヘリ、レーザー誘導ミサイルなどの度を越えた使用が指摘されている。
人口密集地区チョリージョがなぜ空爆されたのか。ノリエガ一派が隠れているという理由で焼かれたが、その結果、市民に多数の犠牲者が出ることになる。
パナマ側の死者は10年以上経ついまも公表されていない。
米軍はパナマのラジオ局、テレビ局を占拠し、パナマのジャーナリストを逮捕したため、侵攻時の映像が残っていない。

◇パナマ侵攻と日本
ノリエガ元将軍の回顧録において、彼は「米軍のパナマ進攻は日本の影響力拡大が引き金」だと話している。「米国人の凶暴さに対抗して資金力のある日本をパナマ運河に引き込むことで、アメリカをけん制」しようとした。そのため、パナマ運河の将来の管理が日本の支援でパナマの手に落ちるのを阻止することが狙いで、米軍は侵攻したというのだ。
当時、「第2パナマ運河計画」というのがあった。日本主導のこの第2パナマ運河計画に期待したノリエガ政権は、パナマ市内のオマール公園に当時の日本の首相、大平正芳の胸像を作った。また、パナマ市内の繁華街には「大平通り」もある。

◇1980年11月、大統領がカーターからレーガンに代わり米政権はパナマ運河返還反対に転換する。トリフォス将軍の乗る飛行機が墜落し死亡すると、CIAは後継者のノリエガ将軍を傀儡(かいらい)にパナマを再植民地化しようと試みるが、ノリエガはこの策に乗らず、独自の路線を歩んでいく。レーガン大統領はノリエガ逮捕とパナマ在住のアメリカ人保護の目的で1989年5月、海兵隊1800人を派遣。だが、ノリエガ将軍の逮捕には失敗する。
同年12月17日には新たに就任したブッシュ大統領がパナマへの大規模侵攻を決定。ノリエガ将軍の独裁政治に対して民主主義の確保、在留アメリカ人の保護、運河の安全確保、ノリエガ将軍の逮捕を目的とした。12月20日「オペレーション・ジャスト・コースト」が発動され500人のパナマ軍防衛隊に2万4000人のアメリカ軍精鋭部隊が殺到した。
パナマに基地を持ち軍事的にも優位な米軍は次々と目標を制圧。わずか1日で作戦のほとんどを達成する。だがこの作戦ではノリエガ将軍を逮捕できず、以後特殊部隊によるノリエガ将軍の捜索作戦が展開される。この作戦で初めて海兵隊の艦隊付対テロ部隊FASTが投入された。
この後も散発的な戦闘は続いたものの、24日にはノリエガ将軍がバチカン大使館へ亡命。翌年1月3日にアメリカ軍に投降した。パナマ運河の利権争いから麻薬問題など、アメリカ政府の策謀が巡ったこの作戦はノリエガ将軍の逮捕で幕を閉じたが、皮肉にもパナマからの麻薬流入はノリエガ将軍逮捕後2倍近くに倍増。この作戦の真意は不鮮明なものとなった。

写真は、米軍によるパナマ侵攻前の89年11月、パナマ市で取材に応じるノリエガ元将軍(AP) このあばた顔、いまはどうなっているんでしょう。

2007/08/26

ギリシャが燃えている


山火事と酷暑で、ギリシャが燃えています。
◇6月から連日40°以上の記録的酷暑が続く中、山火事が続発しているギリシャ南部のペロポネソス半島で23、24の両日、大規模な火災が2件相次いで発生、AFP通信によると、逃げ遅れた観光客ら少なくとも計16人が死亡した。
半島西部のイリア県ザチャロ一帯では24日午後、火が急速に燃え広がり、消防隊員3人を含む10人が死亡。当局者は「世にも恐ろしい光景だ。クルマの中で火に巻かれている人を見た」と地元テレビ局に語った。
一方、半島南端の観光名所マニでも、23日からの火災で、ホテル付近に取り残された人ら6人の死亡が確認された。
また25日、首都アテネ中心部から約10キロ東方のイミトス山付近でも出火、強風にあおられて火の手が市街地近くまで迫っているが、死者は出ていない。
(時事通信2007年8月25日)
◇アテネからの報道によると、ギリシャ各地で24日から25日にかけて起きた山火事の死者は、同日夜までに計47人に上った。依然、連絡のつかない集落があり、死者はさらに増える可能性が高いという。
ギリシャでは来月16日に総選挙が予定されているが、英BBC放送は「選挙は延期せざるを得ないだろう」とする複数の政治評論家の見方を伝えた。政党の選挙運動は事実上、中断しているといい、総選挙に大きな影響が出そうだ。
政府関係の建物は25日、半旗を掲げ、プロサッカーの試合はすべて中止された。
捜査当局は火事の多くが放火とみており、消防庁報道官によると、南部アレオポリで6人が死亡した火事に関し、65歳の男性が25日、放火と殺人容疑で逮捕された。動機などは不明。
(共同通信2007年8月26日)

実はこの山火事、6月の時点で相当の猛威をふるっており、EUに支援を要請しています。2ヵ月以上も燃え続けていることになり、たとえ鎮火しても、美しいパルニサ山など、景観でも環境でも、すっかり変わってしまうでしょう。
以下、EU委員会の報告よりーー。
◇6月27日夕方、山火事に苦しむギリシャから市民保護の支援要請があり、ただちに、イタリア、フランス、ポルトガルが消火飛行機を送る支援を始めた。
山火事および野火は、中央ギリシャ、西ギリシャ、テッサリア、アッティカ、ペロポネソス各地方で120カ所におよび、乾燥した空気と強風により拡大したものである。
◇7月18日夕方、山火事に苦しむギリシャから市民保護の支援要請があり、ただちに、フランスが消防飛行艇を送る支援を始めた。
ギリシャが消火支援を要請したのは、6月27日、7月5日に続いて3度目となる。
キプロスなど他のEU諸国の中にも、山火事に見舞われている国々がある。
(欧州委員会環境総局)

ギリシャ国内では大変なことになっています。
◇アテネ近郊で緑深く、人々の休日のピクニックの場として、また山頂にはアテネ唯一のカジノ「モン・パルナス」そしてケーブルカーもある、パルニサ山。
アテネ市が属するアッティカ県で最も高いこの山で先週水曜日山火事が発生し、いまだ火の勢いは止まるところを知らず、大問題となっている。
(山の下にはアテネ市近郊の閑静な住宅地キフィシアがあり、夜も燃えさかる火の手はかなり接近している。)
ギリシャ国内でも有数の森林地帯がいま消失の危機に瀕しているとあって、事は単なる山火事でなく、ギリシャ政界をも巻き込む騒動に発展。

火事の多くが放火!だと報道にはありますが、どういうことなのか。
◇南欧では、放火して森林を更地にし住宅を不法に建築する例が少なくない。今回の山火事ではすでに3人が放火の疑いで取り調べを受けている。
(共同通信)

写真は25日、首都アテネの南西約320キロの村で燃え続ける山火事