イスラエルが燃えている
#パレスチナで起こっていることは戦争でなく、人間の破壊。わたしたちは毎日、人々が苦しんでいるのを知りながら食べ物を食べたり、他の人々が安全でないことを知りながら安全を感じている。多くの人々が苦しんでいると知りながら、美しいものを享受するのは苦痛(パティ・スミス)
#アメリカ国務省部局の大幅削減(4月24日東京新聞):
4月22日、ルビオ国務長官によると、世界各地で人権や民主主義推進の役割を担った部局などを廃止する。ルビオは、民主主義や人権推進の部局が各地で反リベラル派の指導者に対する報復拠点となっていると問題視。イスラエルへの憎悪を、イスラエルに対する武器禁輸政策に転化する手段として利用されたとも主張。国務省が公表した組織図によると、戦争犯罪の調査や地域紛争抑制の役割を担う部局も廃止となる。
また、WHO世界保健機構は22日、アメリカの脱退表明に伴って予算の大幅減少が見込まれることを受け、現在76ある部門を34にする計画案を加盟国に向け提示した。
#トップの画像:エルサレム西方で4月30日、山火事が複数箇所で発生した。イスラエルの国内治安機関シャバクが捜査を開始したとされ、放火による「テロ行為」との見方も浮上している=中部ベトシェメシュ近郊(AFP時事)
下記は2021年のメーデーのインタビューをもとにした番組デモクラシーナウ!の記事
1971年のメーデー、ベトナム戦争に反対する市民的不服従抗議運動が遥か彼方のことに思えるいまのアメリカ、これこそが“取り戻すべきアメリカ” の姿ではないのか!
⌘May Day 1971:ダニエル・エルズバーグが、ノーム・チョムスキー、ハワード・ジンと共に歴史的な反戦の直接行動に乗り込む
デモクラシーナウ!MAY 03, 2021
今年のメーデーは1971年のメーデー抗議の50周年にあたります。その時、ワシントンDCではベトナム戦争に反対して数万人の抗議者がデモを行い、市民的不服従の行為により首都の大部分が麻痺しました。その大規模なデモはニクソン政権を震えあがらせ、警察はアメリカ史上最大の大量逮捕者となる1万2000人以上を逮捕することになりました。このメーデー抗議行動に参加したペンタゴンペーパーズの内部告発者ダニエル・エルズバーグは、それはいわば何百万を動員した戦争についての大衆の不満の波だったと述べています。「世界で起こっていることは間違っている、変えなければならないと感じた若者の運動がありました。そして若者たちは自分たちのキャリアや命を危険にさらす覚悟ができていた。そしてわたしたちにはいままさにそれが必要です」とエルズバーグは述べます。彼は最近、ペンタゴンペーパーズ発表50周年にあたるイベントで番組司会者のエイミー・グッドマンと対談しました。その会話から抜粋したものを再生しますが、それには国家安全保障局の内部告発者エドワード・スノーデンも含まれます。
アメリカ史上最大の抗議者逮捕が起こった今から50年前のメーデー。そう、ワシントンDCで行われたベトナム戦争反対のメーデーです。3日間の市民的不服従の間に1万2600人が逮捕され、その多くがRFKスタジアムで起こりました。ニクソン政権が首都に2万人の兵と将校を配置した5月3日だけで7000人が逮捕されました。この抗議行動のキーとなる主催者にはPeople’s Coalition for Peace and Justiceのレニー・デイビスとデビッド・デリンジャー、War Resisters Leagueのジェリー・コフィンがいました。歴史家のLAカウフマンは後に、この抗議活動は「その後数十年におよぶ草の根運動に影響を与え、分散化したイデオロギー的に多様で直接行動によって推進される一種の新しい急進主義の基盤を築いた」と記しています。
抗議者たちは関心・目標などを共にするグループを結成することや市民的不服従に乗り出すよう駆り立てられました。そんなメーデー抗議活動のグループの1つには歴史家のハワード・ジンとマリリン・ヤング、言語学者のノーム・チョムスキー、ダニエル・エルズバーグが含まれていました。これはエルズバーグがペンタゴンペーパーズ公表後、アメリカで最も有名な内部告発者になる直前のことでした。
さて、メーデーの土曜日にマサチューセッツ・アマースト大学で開催されたバーチャル会議「真実、異議申し立て&ダニエル・エルズバーグの遺産」の一環としてダニエル・エルズバーグとNSA内部告発者のエドワード・スノーデンにインタビューしました。この対談の抜粋は今後放送する予定です。また2日間の会議の全容はこちらでご覧いただけます。democracynow.org
けれども今日は4月7日に90齢になったダニエル・エルズバーグに話を伺います。まずはもう一つの大きな抗議行動、ベトナム戦争を終わらせるための1969年のモラトリアムについての話で始めます。
ダニエル・エルズバーグ:反戦運動最大の達成は1969年の秋、彼らがモラトリアム(一時停止)と呼ぶことを選んだものでした。
明るく晴れた土曜、フットボールの週末の土曜ではなく、平日に200万人が仕事や学校を休んでデモ行進をしたという事実、1969年10月15日のことです。ニクソンは核兵器の脅しをかけていました、それははったりでも本気でもなく、次のストライキの11月3日に彼は実行するつもりでした。彼らはゼネストを決めたので、それを通常通りの行動ではなくモラトリアムと呼んだのです。69年にニクソンが核兵器を使ってエスカレートするのをやめさせました。
これがわたしの最初の公然の逮捕になるはずでした。71年のことです。退役軍人たちは勲章をフェンスに投げ捨てており、平和運動において非常に重要な時期でした。そしてわたしたちはそこにいました。わたしは刑務所に入るものと思っていました。わたしには非常に影響を受けた本があり、バーバラ・デミングの「D-E-M-I-N-G、革命と均衡」です。これはわたしを非暴力に、ガンジーと非暴力に転向させた本です。「まあ、刑務所で本を読ませてくれるなら、この本を持っていこう」と思いました。
朝4時に出かけると、実際、ほとんどが黒人のタクシードライバーがわたしたちを自発的に乗せてくれました。金を取らず、「あんたたちの味方だよ」と言って。わたしたちが14丁目に出かけると、そこで最初に遭遇したのが、知っている著名な小児科医(平和活動家)ベン・スポックとバーバラ・デミングでした。わたしが持っていたこの本にこの時点でわたしのヒーローであるこのふたりにサインをしてもらいました。
オーケー、その後、マーク、ハワード・ジン、チョムスキー、マリリン・ヤング、フレッド・ブランフマン、ミッチェル・グッドマン、マーク・プタシュネらが14丁目の真ん中に座っていました。
その日の午後、要するに行動が鎮圧された後、1万3000人が逮捕されることになりました。そして皮肉なことに、RFKスタジアムに収監されました。彼らがしたことはジョージタウンを徹底的に調べ上げ、若者を片っ端から逮捕したことです。その多くは議員の子供で、最終的にはそれが有利に働きました。
ハワードはジョージタウンで若者を殴っていた警官に「何してるんだ?」と口にしたせいで、その日の午後遅くに逮捕され、もちろんスタジアムに入れられました。
そういう雰囲気でした。そして1ヶ月後、わたしたちはペンタゴンペーパーズを力を奮い起こして伝えようとしていたときでした。わたしたちと一緒に働いていた人たちみなが、FBIがわたしたちを追っている間、滞在場所を見つけようと奔走していました。そしてわたしたちはさらにペンタゴンペーパーズの複製を伝えようとしていました。滞在場所を見つけるには誰でも長髪の人に尋ねればいいことでした。当時は男性も女性も、若者はほぼ全員が長髪でした。そして「わたしたちは戦争を終わらせる助けになるかもしれないことをしています、小さなチャンスだし、法的にはかなり危険かもしれない。手伝う意思がありますか?」と聞くと、誰もがすぐに、「はい」と言ってくれました。
当時、社会的・政治的運動がありました。そしてそれは世界で起きていることは間違っている、変えなければならないと感じた若者の運動でした、それは人種に関してもしかり、実際に公民権運動と共に出現しました。そして彼らは変えようとやってみるためにキャリアや命を危険に晒す覚悟でした。そしてわたしたちはいままさに、それを必要としています。
番組司会者エイミー・グッドマン:メーデーの土曜日、マサチューセッツ・アマースト大学で開催されたバーチャル会議「真実、異議申し立て&ダニエル・エルズバーグの遺産」で話をするダニエル・エルズバーグでした。わたしは彼とNSA内部告発者エドワード・スノーデンと共にこのイベントの司会を務めました。
University of Massachusetts Amherst Department of Special CollectionsとW.E.B. Du Bois Library の大学アーカイブに心より感謝申し上げます。https://www.democracynow.org/2021/5/3/amy_goodman_daniel_ellsberg_edward_snowden