見つけた 犬としあわせ

ニュースのファンジン、世界のニュースのサンプリング。 一枚のCDを聴くように一枚のコラージュを眺めるようにこれを体験して欲しい。

2023/11/22

私たちが非体制的なメディアになろう

 


これまでに6405人のパレスチナの赤ちゃんと子どもがアメリカとイスラエルによって殺害された


◇カイロ 20日 ロイター:パレスチナ自治区ガザで10月7日以降、少なくとも1万3300人のパレスチナ人が死亡した。ガザを実効支配するイスラム組織ハマスの政府系メディアが20日発表した。

死者数には子供5600人、女性3550人が含まれるとした。

また、行方不明者数は少なくとも6500人で、うち4400人が女性もしくは子供という。


#11月14日、パレスチナ占領地に関する国連特別報告者フランチェスカ・アルバニーズ:

「自衛権を行使できるのは国家が他国から脅かされた場合です。ガザの件はこれに該当しない、イスラエルは他国から脅かされているとは主張していません。武装集団に脅かされている。どう修飾しようが勝手だが、占領地内の武装集団です。率直に言って、ガザとイスラエルの間の戦争ということさえ間違っています。ガザは独立した存在ではなく、占領地の一部だからです。その点を譲ったとしても、イスラエルは自国が占領している地域、占領下に置かれる地域から発する脅威に対し、自衛権を主張することはできません。」


#イスラエルの元首相エフド・バラクがCNNの番組の中でアマンプールに、「1980年代にイスラエルがアル・シファ病院の地下に大規模な地下壕を建設した」と言って、アンカーのアマンプールをたまげさせる。


◇日本郵船が運航する貨物船をイエメンの親イラン武装組織フーシー派が拿捕

フーシ派は、パレスチナ自治区ガザでの攻撃をやめるまでイスラエルを攻撃すると主張。イスラエル関連の船はすべて標的となると警告した。ガザ情勢の影響が地域の海運におよんだ形で、今後も襲撃が続く恐れがある。

船は英国の会社が所有し、日本郵船がチャーターして自動車運搬船「ギャラクシー・リーダー」として運航。イスラエルメディアによると、イスラエルの実業家が船の所有に関係している。

フーシ派は声明で、イスラエルによる「おぞましい虐殺」を受けるパレスチナ人のための行動だと主張。各国に対し、紅海でイスラエルの船と関わらないよう警告した。

https://www.tokyo-np.co.jp/article/291100


#南アフリカ議会が、在南アフリカ・イスラエル大使館の閉鎖、イスラエル大使の帰国、イスラエルとの外交関係の停止を決議した。

#ボリビアはイスラエルとの国交断絶。

トルコ、ホンジュラス、ヨルダン、コロンビア、チリ、バーレーン、チャド、南アフリカは、イスラエルとの外交の断絶と大使召還!

同国大統領は「ガザ市民に対する意図的な医薬品、燃料、食料、水の供給停止は大量虐殺に等しい」と述べた。

駐日パレスチナ常駐総代表部


#ノルウェー議会はパレスチナを独立した国家として承認するよう政府に求める法案を可決。

#ベルギーはパレスチナ国家の承認を検討している。

#スペインのサンチェス首相は政府がパレスチナ国家を承認すると宣言した。


#スペイン、バルセロナの消防士たちが、パレスチナに対するジェノサイドの停止とイスラエルへの武器禁輸を求めて今日、抗議行動に出た。


#ガザのシファ病院へのイスラエルによる侵攻を正当化する中で、ペンタゴン(アメリカ国防総省)は、病院の地下にハマスの軍事施設が隠蔽されていることを擁護するペンタゴン自身の諜報評価がイスラエルのプロパガンダの再利用に他ならないことを事実上認めた。

国防総省のサブリナ・シン報道官は11月15日、記者団に対し、アメリカ諜報機関には「戦場で実際に戦っている地上部隊」はなく、シファ病院からか、あるいはシファに関する情報を独自に収集できる諜報源もないと述べた。ハマスとイスラム聖戦が病院内で活動していると主張する機密解除された諜報ブリーフィングはワシントンの「イスラエル側のもの」を通じて得たのかとの質問に対し、彼女は回答を拒んだ。


#ヤニス・バルファキスのTwitter投稿より

病院の院長よると、イスラエルによる襲撃の最中、アル・シファ病院の“ICU患者全員”が死亡した。これ以上のコメントは必要ない。ヨーロッパの指導者たちにちょっと質問:あんたたち、夜よく眠れるか?


#ガザの戦争はハマスに対するものだとイスラエルは述べている。たった今、ハマスのライバル政党、ファタハと関連する難民を殺害するためにイスラエルはヨルダン川西岸にドローンを発射している。

これは戦争ではない、ジェノサイドだ。


#イスラエルはパレスチナ難民が存在するのは、国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)があるからだという立場で、UNRWAの解体を主張してきた。今回のイスラエル軍のガザ攻撃でUNRWA職員が103人も空爆で死んでいるのはイスラエルによるUNRWA敵視の現れと言っていい。

ネタニヤフ首相が「ハマスせん滅」と言って始めた戦争が、UNRWA攻撃になっているところに、軍事・民間を区別しないイスラエル軍の戦争犯罪性が表れているといえる。

もともとパレスチナ難民問題は第1次中東戦争で現イスラエル領に住んでいた70万人のアラブ人が周辺国に出たのが始まりだが、実際には戦争が終わってもイスラエルによって難民が帰還を拒否されたことから始まっている。

これに対して、当時の国連総会はパレスチナ難民の早期帰還を求める総会決議を採択した。

アメリカはUNRWAの拠出金の3分の1を捻出してきたが、イスラエルの言い分を真に受けたトランプ前大統領はUNRWAへの拠出を全面的に打ち切る暴挙に出て、UNRWAは財政危機に直面した。バイデン政権になってその支援は再開された。


#ガザの病院に秘密軍事基地の烙印を押そうとするイスラエルの試みは、かつては考えられなかった戦争犯罪である、これらの施設の暴力的占拠を正当化することだけが目的ではない。それはまた、ガザ北部の生活の中心地、特に何万人もの避難民に避難所と医療を提供してきた病院を排除し、それによって住民を強制的にエジプトに向かって南下させるというジェノサイド(大量虐殺)的な目的を隠すためでもある。ガザ北部の住民が一掃されれば、テルアビブはエジプトに圧力をかけ、避難民となったパレスチナ人をシナイ半島のテント・シティに受け入れさせ、そこに再定住させるか、西側諸国に永久に分散させる計画だ。

つまり、バイデン政権は、現代の大残虐行為、ガザの民族浄化と永続的な現実としてのイスラエルのアパルトヘイト体制強化を目的とした現代のナクバを支援しているということだ。

@TheGrayzoneNews


#イスラエルのエルダン国連大使:

「保健省職員も、国連パレスチナ難民救済事業機関職員も、救急車の運転手も、ジャーナリストも、ハマスです。

テドロス博士、国連パレスチナ難民救済事業機関のラッツァリーニ氏、国連人道問題調整事務所のグリフィス氏、その他すべての名誉毀損を行う国連組織や委員会、悲しいことに事務総長自身もまたしかり。彼らは現場の状況をわかっていません。……悲しいことに彼らは現実から完全にかけ離れた虚偽を伝えているのです。国連は何年もの間、わたしたちに現実の真実の姿を提供できる検証メカニズムを確立することを拒んできました。このようないわゆる事実とされる情報を国連に提供しているのは“WHO”なのでしょうか?

失礼しました。国連にいわゆる事実を提供しているのは“誰(WHO)”なのでしょうか?

この情報は公平で公正な第三者からのものなのか?答えはノーです。この理事会が受け取る現地の状況に関するあらゆる情報がガザにいる国際的な国連職員ではなく、ハマスからのものなのです。

保健省と呼ばれる組織からの数字はすべてハマスからの数字です。ガザで働く国連パレスチナ難民救済事業機関職員の多くもハマスのメンバーです。国連が提供した“事実”という神話を打ち砕く時が来たのです。この理事会は、ほんの34日前に何千人もの罪のないイスラエル人を故意に殺害し傷害を負わせたのとまったく同じテロ組織からウソの匙を投げられているのです。

ハマスによってガザ全域が完全なテロ支配下に置かれています。救急車の運転手の多くはハマスのメンバーです。国際的なメディアへの地元からの寄稿者はハマスのメンバーです。今週、ロイターやニューヨークタイムズの罪のないフォトジャーナリストたちがハマスの恐怖を記録しただけでなく、イスラエルに渡ってテロリストどもと一緒に撮影しているのを見ました。…」


#イスラエルのエルダン大使は10月24日の安全保障理事会でグテレス事務総長を非難し、辞任を求めた。


#24日の安全保障理事会でグテレス事務総長は冒頭、「パレスチナの人々は56年間、息苦しい占領下に置かれてきた」と述べ、ハマスによるイスラエル攻撃は歴史や文化的な背景のなかで起きたことを認識する必要があると強調した。グテレス氏は、パレスチナ自治区ガザの人道危機を巡って「(イスラエル軍の攻撃は)明白な国際人道法違反だ」との認識を示した。


#10月30日の国連安全保障理事会の会合にイスラエルのエルダン国連大使はナチス占領下の欧州でユダヤ教徒が着用を強制されたシンボルの黄色い星を着けて出席した。

エルダン氏とイスラエルの代表団のメンバーは、安保理の沈黙に対する侮辱として、中央に「二度と繰り返さない」と書かれた黄色い星を身に着けていた。

「あなたたちがハマスの残虐行為を非難し、人質の即時解放を要求するまでこの星を身に着ける」とエルダンは語った。

https://www.cnn.co.jp/world/35210967.html





#アル・シファ病院の緊急事態監督者:

「ベビーミルクとか保育器について、イスラエルが主張していることに関してわたしたちはなにも受け取っていません」

コミカルで全部大文字の英語で書かれた“MEDICAL SUPPLIES”はまさしくこのプロパガンダの本当のターゲットについて知らせているにほかならない

イスラエルはアル・シファ病院への食糧、水、燃料、支援をすべて遮断しました!


#ハマースは1987年に発生した占領地の第一次インティファーダ(反イスラエル民衆蜂起)を機に結成された。

母体となったのは汎アラブのイスラム主義組織「ムスリム同胞団」のパレスチナ支部でその歴史はPLO(パレスチナ解放機構)より古い。

2006年、パレスチナ自治区の国会にあたる自治評議会選挙でハマースは第一党となる。PLO主流派ファタハの腐敗に対する批判票が集まった結果に思われる。


#たった今起きているこの虐殺に抗議すると逮捕されるとわかっていても、とにかくデモをする勇敢なドイツ人たち

西側メディアは意図的にこれらの抗議行動を報道しません!わたしたちみなが既存のメディアに代わる非体制的なメディアになりましょう


#アルバート・アインシュタインは1948年にシオニストを“犯罪者”と呼んだ! 彼は正しかった


#イスラエル軍がヨルダン川西岸のジェニン難民キャンプを爆撃。決してハマスではない、言い訳があってはならない、まったくのジェノサイドと民族浄化。沈黙したりこれを勢いづかせる西側指導者は全員がこれを可能にさせた。







占領パレスチナまたはイスラエル

 



ガッサーン・カナファーニーの『ハイファに戻って』の解説で、日本のアラビア文学者、奴田原 睦明(ぬたはら のぶあき)が、「まるでカナファーニーのもうひとつの作品を見るような気がしてならない」と述べ、一人の無名のパレスチナ人を紹介している

そして、「この一個人の生の中にパレスチナの歴史そのものが生々しく息づいているからに他ならない」と書く

それはこんな感じに続く……


 「私の名はガジ・ダニアル。24歳です。イエス・キリスト生誕の町、ナザレの生まれです。

 いま、私には国というものがありません。2種類の難民証明カードがあるだけです。1つはレバノン領内のパレスチナ難民業務に関するレバノン総務管理局発行のもので、もう1つはUNRWA(国連救済事業機関)が私にくれたものです。

 1番目のカードによると私は整理番号332、身分証明番号2734番とあり、国籍はパレスチナとなっています。

 2番目のカードは私だけのものではなく、私の家族全員のためのものです。そのカードによると私の登録番号は3254/3201で、それにもまた私の国籍はパレスチナとなっています。

 なぜ、私はこんなことをあなた方に話そうとしているのでしょうか?

 それは、私が300万人の同胞と同じ不幸を分け合っているからであり、私たちはこの非常に重大なパレスチナ問題に対する正しい解決の道を探し求めていますが、あなた方にもそれに加わってほしいと願うからです。」


 「私の同胞の話をすると、それは絶え間ない収奪の歴史ということになってしまいます。

 イギリスは第一次世界大戦以後、私の国を支配下に置きました。彼らはパレスチナに委任統治制度をうちたて、私たちが自らの運命を自由に決定する権利を奪いました。

 とかくするうち、ヨーロッパにいたユダヤ人たちの中には、パレスチナは自分たちの土地だと言い出す者がいました。彼らはシオニストと称しました。

 彼らは、ほぼ2000年前に自分たちと同じ宗教を奉じた人たちがパレスチナに住んでいたのだと言い、故に彼らは私の国パレスチナに対して権利があるのだと言いました。」


「私たちは最初、ユダヤ人の移住者を温かく迎えました。ユダヤ人は過去何世紀もの間、私たちと共に平和に暮らしてきたのです。

 これまでパレスチナの地を一度も踏んだこともないのに、私たちの手から私たちの国を奪おうとしている人がいるだなんて、いったいどうして私たちに考えられたでしょうか。

 私が9歳の時、私の家族は愛する祖国を去ることを余儀なくされました。

 私たちは無一文の難民となって、レバノンに行きました。そこで私は少年期を過ごしました。

 イギリスは、パレスチナを委任統治下に置く前に、シオニストと取引きをしました。中東におけるイギリスの権益を保護するというシオニストの約束の見返りとして、イギリスはパレスチナの地にシオニストの民族的郷土を建設する約束をしたのです。

 イギリスはそんな約束をする権利など持っていないし、ヨーロッパに住むシオニストはパレスチナにいかなる権利も持たない、さらに、パレスチナに住み、その主人である私たち当人には何の相談もなく、彼らは勝手に協定を結んだのです。」


 「私たちの物語は絶え間のない収奪の歴史だと私は前に言いました。

 私たちは、新たに波のように押し寄せる移住者たちに抵抗しはじめました。それは、私たちがユダヤ人を憎んだからではなく、彼らが私たちのものを奪おうとしたからです。

 1919年、1921年、1923年、1936年、1939年と次々に国家的規模の蜂起に私たちは立ち上がりました。

 私たちの同胞は独立を擁護することに敗れましたが、はっきりと私たちの祖国への愛と自由への希求を現しました。」


 「1947年までに、ユダヤ人移住者の数は数百から数万人までにも急増しました。

 彼らはついに私たちの国の総人口の三分の一になり、国土のおよそ7%ほどを所有するようになりました。その土地の一部は彼らが購入したものですが、大部分は公用地で、イギリス当局からもらい受けたものでした。

 その次の年にイギリスはパレスチナから撤退することになりました。イギリスは第二次世界大戦によってすっかり弱体化していたのです。あまりに多くの事柄に関与したあげく、イギリスは軍を撤退せざるを得なくなったのです。

 いずれにしろ、その時すでにイギリスはユダヤ人の民族的郷土を建設するという約束を果たしてしまっていたのです。

 シオニストたちの手による、私の同胞のパレスチナ人たちの虐殺が、その後、続いて起こったのです。

 その一カ月後に、シオニストたちはイスラエル国家樹立を宣言しました。それは、とりもなおさず、人間の血による洗礼によって生まれた国です。」


 「ハイファは、昼も夜も近くの丘陵地帯から砲撃を受けていました。砲撃は無差別になされ、辺り一帯には死臭が立ちこめていました。

 私の父は、イギリスがシオニスト勢力と共謀して結んだ取り決めに反対して生じた1936年の市民的不服従の運動に加わりました。それは全国的なストライキとなり、174日に及びました。おそらく、史上類を見ない最も長い国家規模のストライキではないでしょうか。

 私の両親は、子どもたちをみな連れてレバノンに移る決心をしました。」


 「私たちがレバノンに着いたのは、1948年5月12日でした。それは祖国を出た最後の日となってしまいました。

 イスラエルという国の樹立が、パレスチナの地で宣言されたのです。」


 「名前などというものがさほど重要でないことはわかっています。けれど、“パレスチナ”というのは、すばらしい意味を持った美しい名前です。

 パレスチナというのは、異なる民族間の寛容、そこに住む者の繁栄、そして豊かな精神的遺産を意味しているのです。

 それなのに、なぜパレスチナをイスラエルと呼ぶのでしょう?イスラエルという名は、“差別”を意味するのに。その名は人種差別と不正を表しています。私には、それがよくないことなのがわかっています。世界は第二次世界大戦でナチズムとファシズムと戦ったのですから。」


 「レバノンへの道は危険でいっぱいでした。私たちはバスに乗り、ロバを使い、そして歩きました。国境まであと20キロという地点で、私たちは這って進まなければなりませんでした。シオニストの狙撃兵は、私たちをまず国内で射殺しようとし、撃ち漏らした時には国外に出る時に目的を果たそうとします。」


 「普通の子どものそれとは違って、私の少年時代は悲しい思い出でいっぱいです。

 レバノンに着いて2,3カ月もすると一文無しになり、他の2000人の住む処を持たぬパレスチナ人と同じように難民キャンプに移らなければなりませんでした。国連救済事業機関の食糧配給に頼って、一年中、小さな1つのテントの中に11人の一家が住むということは、ほとんどの人間の忍耐を超えるものです。」


 「ゴールド・メイア(イスラエル元首相)は、“パレスチナ人とはいったい誰のことか?”と言っています。

 私たちがパレスチナ人です。ゴールド・メイアは自答します。“そんなものは存在しないのだ”と。

 私たち、300万の人間が存在します。もし今置かれている状態のまま、私たちがあきらめてしまえば、私たちの存在はメイア一味によって常に無きものにされるでしょう。私たちはこれまでの体験から正当な論拠を主張するだけでは十分でないことを悟りました。1人1人がはっきりと道義的勇気を持ち、実際に不正と戦わなければならないことを学びました。

 私は自分が300万の人間のうちの1人であり、私たちを迫害する者たちと戦い、迫害の根を絶つこと以外に私たちの取るべき道がないことを知ったのです。

 パレスチナの抵抗運動とは何なのか、なぜ私がパレスチナ民族解放運動に加わったか、これでおわかりいただけたでしょうか。

 それは、パレスチナ人が祖国に帰還するための戦いであり、パレスチナの相異なる民族同士の間に寛容の原則に基づいた、誰も他から収奪されることのない新しい社会を築くための戦いなのです。」

(PLO東京事務所の資料より)


下記、参考までに
  

◎イギリスの三枚舌外交

イギリスは、戦争を遂行する上でユダヤ資本の援助を必要としてバルフォア宣言を発してユダヤ人のシオニズムによる国家(ホームランド)の建設を約束した。その一方で、アラブ人に対してもフセイン=マクマホン協定を出して大戦後の独立を約束した。

イギリスの委任統治:イギリスのパレスチナ政策は矛盾するものであったため、後にユダヤ人・アラブ人の双方が主権を主張することとなり、このイギリスの「二枚舌外交」が現代に続く「パレスチナ問題」の原因となった。さらにイギリスは、実際にはそのいずれにもただちに独立を認めることはなく、これも大戦中にフランスと密約したサイクス=ピコ協定によって西アジアを分割する意図を持っていた。

第一次世界大戦後のセーヴル条約によって、イギリスとフランスはオスマン帝国領のアラブ地域を分割し、委任統治とすることにした。パレスチナは1922年からイギリスの委任統治が始まり、ユダヤ人は約束に基づいてパレスチナの地に移住してきた。イギリスは1917年のバルフォア宣言でユダヤ人に対する大戦後のパレスチナにおけるの「ホームランド」の建設を約束したが、それは必ずしも国家を意味するものではなく、また移住に際してはパレスチナ人(アラブ居住者)の権利を侵害しないことという条件が付けられていた。

(世界史の窓より)

https://www.y-history.net/appendix/wh0101-055_1.html