見つけた 犬としあわせ

ニュースのファンジン、世界のニュースのサンプリング。 一枚のCDを聴くように一枚のコラージュを眺めるようにこれを体験して欲しい。

2009/08/29

神の欲望という教会



◇18年ぶりに見つかった女性、当時11歳の少女ジェイシー・リー・ダガードを誘拐、監禁して、2人の子どもを産ませたフィリップ・ガリドーは彼がカリフォルニア州サウスレイクタホで別の女性を誘拐して物置に閉じ込めた罪で連邦刑務所に入っていたのに妻ナンシーに行き会ったと、金曜、ネバダ保護観察および仮釈放当局者らは言った。

彼と妻が11歳の少女誘拐関連の犯罪で訴追された後、フィリップ・ガリドーの過去の詳細が浮上しはじめた。二人はダガードの誘拐に関連する29の重罪告発に直面する。

性犯罪者としてのガリドーの記録はサウスレイクタホの女性の誘拐とレイプ容疑で1976年11月23日ネバダ州リノの逮捕で始まったと記者発表でネバダ公安局の保護観察および仮釈放部署は言った。

当時25歳のガリドーはカジノで働く25歳を誘拐してネバダ州リノに連れていき、そこで彼女を閉じ込めた。

1977年3月9日連邦の誘拐罪で有罪と宣告された後、ガリドーは同年6月30日カンサス州レヴェンワースで50年の刑に服しはじめた。

刑務所にいたのに彼はナンシーに行き会うと仮釈放当局者らは言ったが、詳細は教えなかった。

だが、ガリドーの人生はハイスクールで制しきれなくなり急降下しだしたと彼の父マヌエル・ガリドーはCNNに語った。

「彼はバイク事故にあいLSDをやってまともな頭ではなかった」とマヌエル・ガリドーは言った。「彼はハイスクールでひどい事故にあって頭を打ち、それからLSDをやった。それは終わりだった。彼はクスリを売るようになった。彼は気が狂った。」

とはいえ、父と息子はいっしょでなく、ダガードを閉じ込めたと責められている家にいたことがなかったので、彼は20年間息子と口をきいていなかった、罪について聞いても驚かなかったとマニュエル・ガリドーは言った。

「なんてこった、彼は気が狂っているとわかるので驚かなかった」と彼は言った。「幼かったときは天使だったよ、べらぼうな恥だ。」

フィリップ・ガリドーの父は息子が「神に話しかけて事ができる」と信じるとも言った。

そしてガリドーは神に話しかけることを議論し、また聞こえる範囲をマインドコントロールできたと主張したブログを明らかに維持した。

今ブログにはフィリップ・ガリドーの行為とやらに激怒した人びとからのこきおろす冒涜のレスがある。

サクラメントのCNN系列KCRAによると、彼はアンティオクの彼の家をベースにした教会、「神の欲望」について言及する。

カリフォルニア州ピッツバーグでの7月の「パワフルなデモンストレーション」の間に彼が書いた8月14日の投稿には、「全世界の救済を含め、神はいずれは関心を引き起こすできごとを提供するために天使の言葉で話す能力を私に与えてくれている」とある。

「産出するのは不可能と世界が信じることをあなたも目撃することができる!」と彼は書いてメールアドレスを提供する。「見逃すな!」

事件が国際的な大ニュースになり出した木曜以降、ニューヨークタイムズ紙を含める幾つかのニュース販路がブログについて報じてきている。

別のブログに昨年投稿されたなかでガリドーは、「自分自身や他者に暴力的な行為を犯す前に、ことによるとその考えを止めて再検討する声を聞く人たちを助ける可能性のある新たな洞察力」が自分にはあると言う。

このテクニックが、2006年サンフランシスコベイに自分の子ども3人を投げ込んだ女性のような、悲劇を防ぐのを助けることができたと彼は書き、後に自分は「神の声」の指図に従ってきていると言った。

彼はまた2006年から、「私フィリップ・ガリドーは聞こえる範囲をマインドコントロールする能力を明白に立証してきており、この現象を目撃する手段を他者のために開発してきていることを断言するため」、6人の目撃者によって署名されたとかの幾つかの「断言宣言」を投稿した。

目撃者として特定される6人のうちのひとり、ティモシー・アレンは、ガリドーは「宣言」で彼のサインを偽造したと言った。

カリフォルニア州ピッツバーグにガラス店を所有するアレンは、ガリドーは10年間彼の会社のために名刺とレターヘッドを印刷したと言った。

「私の商売の受付カウンターの外でこの男と個人的接触はなかった」とアレンはCNNに話した。「彼はやっている変なたわごとをたくさん持っていた、私はそれがなんであれ危険だとか邪悪だとか珍しく一度も思わなかった。」

注文の印刷を配達しようとするとき、ガリドーは二人の幼い少女といっしょに事務所に入ってこようとしたとアレンは言った。

(CNN 28 August 2009)

写真は誘拐で終身刑のフィリップ・ガリドー

2009/08/28

ミッシングガールが見つかった



◇行方不明の少女「18年たって見つけられる」

1991年に少女として誘拐された後、発見された米国の女性は、誘拐犯と申し立てられる男性が父となる2人の子どもを産んだと警察は述べる。

ジェイシー・リー・ダガードと11歳と15歳の子どもは「裏庭内の秘密の裏庭」に監禁された。

誘拐犯と言われているフィリップ・ガリドー58歳とその妻ナンシー・ガリドー54歳はカリフォルニアで拘留されている。

ダガードさんの身元を立証するためDNA鑑定が行われているが、とりあえず、彼女は母親と再会させられる。

ダガードさんは11歳の1991年にレイクタホの自宅の外から姿が見えなくなった、2人の人間に連れ去られたのは明らかだ。

彼女は誘拐以降、サンフランシスコ近くのアンティオクの所有地で視界から隔離されて夫婦といっしょに暮らしていたとエルドラド郡保安官代理フレッド・コラーは言う。

「裏庭のテントと離れ屋は外を見るのを禁じるのと外の接触から犠牲者たちを孤立させることをねらった配置に置かれた。」

3人は「人生の大部分」をそこで過ごしたと彼は言い、学校へ行くことも医者に診てもらうことも一度もなかったと付け加えた。

カリフォルニア大学バークリー校でガリドー氏が二人の幼い子どもと一緒なのを警官によって見抜かれた後、彼らの身元が明かされた。

登録された性犯罪者として彼は幼い子どもと一緒にいるのを許されなかったので嫌疑を起こさせた。

カリフォルニア更正および社会復帰省によると、フィリップ・ガリドーにはレイプの有罪判決があり、1999年に仮釈放された。

彼は監察官によって疑いを差しはさまれ、二人の子どもとアリッサと呼ばれる若い女性を一緒に連れて来させられる。

尋問中に彼はアリッサが実はダガードさんであるのを明らかにした。彼女もまた警官に対して自分の身元を確認した。

また誘拐当初に説明された乗物と一致する裏庭に隠された乗物もアンティオクの所有地にあったとコラー保安官代理は言った。

「こんなふうに誰かを見つけるだなんて、かなりあっといわせる顛末です。われわれが事実と決め込んだ者は死んでいた」とエルドラド郡の首席検事ビル・クラークは言った。

ガリドー氏はまた未成年者とのみだらでわいせつな行為と性的挿入、暴力によるレイプに関する調査でも拘留されていると地元警察のジミー・リー広報官は言った。

ダガードさんの明らかな再現のニュースが広まるとき、彼女の継父カール・プロービンは彼女が彼らの元に戻ってくるといま家族は確信しているとABCニュースに語った。

ただもう責任を負っている人たちを見つけたいだけと言って、「個人的には希望をあきらめていた」と彼は言った。

1999年6月10日、明らかに幼い少女が誰ともわからぬ二人に連れ去られたとき、プロービン氏は注視していた。南部の町レイクタホの自宅からスクールバスのバス停まで歩いていたとき事件は起きた。

彼女の失踪で最初に疑いをかけられ、現在ダガードの母からよそよそしくされる継父は、見知らぬ人がクルマで進んできてダガードさんをつかむと、たとえ彼女が蹴りを入れて泣き叫ぶことで抵抗しようとも、彼女をグレーのクルマに投げ込んだのを説明してきている。

男性と女性が乗物にいたとプロービン氏は信じた。間にある年月、彼女を見たとの幾つかのニセの報告にもかかわらず、ダガードさんの姿は二度と再び見られなかった。

「彼女は大丈夫のように思われる」と彼は言った。
「彼女は妻と会話をしたし、事態をおぼえている。このまるまる18年うまく扱われてきていることを願う。」
「彼女を生きて取り戻せた、そして彼女が過去からものごとを思い出している、そして人びとが捕まっている、これが身に降りかかって勝利は3倍」と彼はサクラメントビー紙に伝えた。

(BBC NEWS 27 August 2009)
http://news.bbc.co.uk/go/pr/fr/-/2/hi/americas/8225621.stm

◇同州エルドラド郡のフレッド・コラー保安官代理は記者会見で、「女性の健康状態は良好だが、18年間監禁されていたことを考えると、体に負担はかかっているはずだ」と話した。

また、ダガードさんの義理の父親は、発見の知らせを聞いたとき、ダガードさんの母親と「10分間泣き続けた」と、テレビで話した。

ガリドー容疑者は、1971年の誘拐とレイプ事件によりネバダ州で服役している。地元紙によると、近所の人はガリドー容疑者について、テントで宗教の集会などをする奇妙な人物だったと話している。

(ロイター 2009年8月27日)

写真は逮捕されたガリドー容疑者の自宅。広大な屋敷の一角でジェイシーとその子どもたちは「奴隷のような状態(警察当局者)」で監禁されたと見られる(ロイター)
ガリドー容疑者は印刷業者とか

2009/08/25

マイケルのミルク



◇検死官の予備調査結果:マイケルはプロポフォールをやりぎた

裁判所記録によると、マイケル・ジャクソンが死んだとき、彼の血液には致死量の麻酔薬プロポフォールがあった。

写真は、全身麻酔薬として静脈(点滴で)から投薬されるジェネリック名プロポフォールで知られるディプリバン

(CNN NEWS 25 August 2009)

◇6月25日に急死した歌手マイケル・ジャクソンの死因について、ロサンゼルス郡検視当局は毒物検査の結果、強力な麻酔剤プロポフォール(商品名ディプリバン)の過剰投与だとの判断を示した。24日にテキサス州ヒューストンで公表された捜査令状および報告書で明らかになった。

AP通信は捜査当局者の発言として、検視当局がジャクソンの死を殺人と位置づけたと伝えた。検視当局はこの報道について何もコメントしていない。

捜査令状は32ページで、ジャクソンの専属医コンラッド・マーレー医師が、不眠症を訴えるジャクソンに死までの6週間、毎晩プロポフォール50ミリグラムを静脈注射していたと供述したことが明らかにされている。ジャクソンが依存症に陥ることを懸念したマーレー医師は、プロポフォールを他の薬品と併用して投与。6月22日に投与されたのは、プロポフォールと催眠鎮静剤のアティバン、ベルセドだった。23日はアティバンとベルセドのみ。死亡当日の25日は22日とほぼ同じ薬品の組み合わせだったものの、アティバンとベルセドが効かなかった。

マーレー医師がロサンゼルス警察に供述したところによると、25日午前1時に同医師はバリウム10ミリグラム、午前2時にアティバン2ミリグラムをジャクソンに注射。午前3時にベルセド2ミリグラム、午前5時にアティバン2ミリグラム、午前7時半には血中酸素濃度を計測しながらベルセド2ミリグラムを投与した。

午前10時40分頃、マーレー医師はジャクソンからの度重なる求めに応じてプロポフォール25ミリグラムを投与し、ジャクソンはようやく眠りに就いた。同医師はジャクソンの様子をそばで観察していたが約10分後にトイレに行くため席を外した。約2分間後に戻ってくるとジャクソンの呼吸は停止しており、同医師はジャクソンに人工呼吸を施したものの、効果は表れなかった。このため同医師は午前11時18分から午後12時5分まで、当局に3回通報した。

報告書がジャクソンの遺体搬送先であるカリフォルニア大学医療センターのスタッフの発言として明らかにしたところによると、マーレー医師はジャクソンに、アトリバンの効果を打ち消すフルマゼニルを投与したことを認めたとされる。

マーレー医師は、ジャクソンにプロポフォールを投与したのは自身が最初ではなく、ドイツ在住の医師2人も投与していたと主張。ジャクソンが白い液体状のプロポフォールを「ミルク」と呼んでいたことも明らかにした。

遺族の弁護士は、ジャクソンの治療義務をめぐる重大な違反があらためて確認されたとコメント。また、遺族の関係者は声明で「正義が果たされることを望む」と述べ、検視当局や検察当局、警察を全面的に信頼する姿勢を表明した。

(CNN 2009年8月25日)