見つけた 犬としあわせ

ニュースのファンジン、世界のニュースのサンプリング。 一枚のCDを聴くように一枚のコラージュを眺めるようにこれを体験して欲しい。

2013/08/23

求む!不正を告発する人

◇オスロからヒースロー、ワシントンまで、戦争のからくりに油を注ぐこと
ICH by Norman Solomon 19 August 2013

オスロで世界で最も重要な平和賞が戦争にハイジャックされた。
ロンドンで政府当局が出版(報道)の自由に新たな一発を撃った。
そしてワシントンでオバマ政権が内部告発者、ジャーナリズム、市民的自由(政府の恣意的な干渉からの自由、言論・出版の自由など、合衆国憲法で保証されている)に対する攻撃をエスカレートし続ける。

国の平和な記憶がおぼろになるとき、プライバシーもそうだ。戦争に本気で取って代わるものを求め、民主主義の価値を支える、理想主義への肩入れは権力の最高峰から絶えず続く襲撃を受ける。

終わりのない戦争と恥知らずな監視が常態になることで、アンクルサム(アメリカ政府)とビッグブラザー(ジョージ・オーウェルが描く全体主義国家、国家権力)はもはやほとんど互角なだけではない。巨大な世界に届く能力を有する彼らは同一のものだ。

先週、私はオスロの本部でノーベル委員会の研究理事と会った。私たちは磨きのかかった長い会議用テーブルの一端に座った、隣にノーベル平和賞はブラッドリー・マニングに、としきりに促す10万人による嘆願署名の箱。

記者会見で私には前もって2時間あったので、平和賞をマニングに与えることでノーベル委員会はアメリカ政府からの独立を示すと私が激励すると、ノーベル役員のAsle Tojeは、丁寧だが冷ややかなままだった。賞がオバマ大統領に与えられて4年後、年がら年中の戦争のための彼の統率力は議論の余地がない。ところが一方、平和のためのマニングの勇敢な告発は人に影響を与え激励している。

アメリカ政府を大いに不快にした受取人は除いて、最近、私が指摘したノーベル平和賞は彼らの政府の指導者にとって強い呪いだった一部の反対派に与えられている。Tojeは、マーチン・ルーサー・キングJr.を持ち出すことで応酬した、返答はおかしなものに思えた。キングは49年前(1964)に賞を受けた、そして彼がヴェトナム戦争への最初のノドいっぱいの弾劾でホワイトハウスを怒らせる1967年4月までに2年以上ある。

私は嘆願書の山に身振りで合図した、それには、特にアフガニスタンでのアメリカの戦争行動が大規模に拡大するのに2009年オバマが賞をもらったあと、現代のノーベル平和賞の深刻な不信を反映する多数の署名者本人のコメントが含まれている。

私たちは100年以上ものあいだノーベル委員会に場所を与える飾り立てられた堂々たる建物の中にいた。外のアルベルト・ノーベルの胸像が正面入り口に名誉を与える。そして小さな環状交差路を渡ったところにアメリカ大使館、建物の3つの側それぞれに数百の窓と屋根にはたくさんの電子装置がつく、幾つか逸話のある印象的なダークグレーの存在がある。(その交差点はアメリカの監視活動のための基地と、広く重要性を知られている。)近年ますますもって、ノルウェー・ノーベル委員会建物のアメリカ大使館への物理的接近は、その政治的一致協力の適切なるメタファーである。

週末を通してイギリス政府はアメリカ政府との"特別な関係"のいっそう有害な側面を見せた。ガーディアン紙が報じるように、「アメリカ国家安全保障局による大規模な監視プログラムをあばく一連の記事を書いてきたガーディアン紙のジャーナリストのパートナーが日曜イギリス当局によって9時間あまり拘束された、彼はリオデジャネイロに帰国するにつき乗り継ぎでロンドンのヒースロー空港を通過した。」ガーディアン紙の記者グレン・グリンウォルドと一緒に暮らすデーヴィッド・ミランダは「当局が個人を釈放するかまたは正式に逮捕する前に法律が許す最長の時間、9時間のあいだ拘束された。…ミランダは解放されたが、当局は彼の携帯、ラップトップ、カメラ、メモリースティック、DVD、ゲーム機を含める電子機器を没収した。」

報道の自由を襲撃することは、現在オバマ大統領がこれまでにもましてあからさまに遂行している広範囲にわたる予定表の一部である。AP通信の記者の電話記録を差し押さえることから、フォックスニュースの報道記者をスパイすること、ニューヨークタイムズ紙の記事の情報源を記者のジェームズ・ライセンに無理に従わせて明らかにさせる連邦裁判所の決定を求めて首尾よく戦うことまで、オバマのジャーナリズム戦争は行政部の免責に力を尽くしている。基本的に憲法修正第4条を侵害する監視のために、暴力と戒めの武力によって世界をさらなる血に汚れたカオスに突き動かす絶え間ない戦争のために。

これらの政策の破壊的結果は数えきれない。そして道すがら、ノーベル委員会にはこれまで以上に戦争は平和である。世界の全域で、公式のワシントンによって脅迫されて緊密に協力する(あるいはいずれか一方の)多くの政府が、戦争・監視多国籍企業状態を容易にする政府である。そして市民的自由や戦争に取り組むとき、ますますワシントンの政府上層部でモラルコンパス(倫理指針)は真南に行っている。

△ノーマン・ソロモンは、RootsAction.orgの共同創設者で、Institute for Public Accuracy(国民の正確さのための協会)の創立理事です。彼の著書には「War Made Easy: How Presidents and Pundits Keep Spinning Us to Death.(簡単に生じる戦争:大統領やお偉方がいかに私たちを戦争へと誘導しつづけるか。)」があります。この本に基づくドキュメンタリーについての情報はこちらから。→www.WarMadeEasyTheMovie.org.

http://www.informationclearinghouse.info/article35904.htm

2013/08/20

マフィアにも礼儀はあった


ガーディアン紙の記者のパートナーがヒースロー空港で9時間拘束される!
これも調査報道記者への締め付けの一部か!
世界はかなりやばい状態になっている…

写真は、記者のグレン・グリンウォルドとパートナーのダヴィ・ミランダ
いい感じ!

◇テロリズム法の下、イギリスがボーイフレンドを拘留することでグレン・グリンウォルドを懲らしめる
truthdig 19 Aug 2013

エドワード・スノーデンのリークを最初に報じたグレン・グリンウォルドを脅しつけて彼に迷惑をかける露骨な奮闘で、イギリス当局は日曜、彼のパートナー、デイヴィッド・ミランダがヨーロッパからリオデジャネイロの二人の家に帰国する間、ミランダを9時間近く拘留した。

できごとに応酬してグリンウォルドが書くように、「マフィアにだって、おびやかされると感じた人々の家族を標的にするのを禁じる倫理規則があった。」

自分は"ヒースロー空港保安担当者"とだけ明らかにする男性が、"2000年テロ法7条目のもと"、ミランダは拘束されていると述べたとグリンウォルドは言う。これはテロリズムに立ち向かわせるはずの法律で、まさかジャーナリストをどぎまぎさせるものでない。さらにひどいことに、ミランダはイギリスに行ったのではなかった。彼はベルリン発の便から待ち合わせでブラジルに行くことになっていた。

この脅しの行動が彼の仕事をやめさせはしないとグリンウォルドは言う。これらの文書が暴くことについて果敢に報じ続けることから、このような戦術が、ともかく私たちを阻止するだろうとか怖じ気づくだろうとイギリスやアメリカの政府が考えるなら、彼らは裏切られる以上だ。仮にあるとして、逆の効果だけだろう、私たちをさらにいっそう大胆にすることだ。

http://www.truthdig.com/eartotheground/item/uk_punishes_glenn_greenwald_by_detaining_his_boyfriend_under_terrorism_law_/
19日付ブラジル紙エスタード、フォーリャ、ならびにグローボ局サイトから記事をまとめて掲載するニッケイ新聞(2013年8月20日付)によると:(要約)

ブラジリア時間の18日早朝4時5分頃、リオ在住のブラジル人学生、ダヴィ・ミランダ(David Miranda)が、ロンドンのヒースロー空港で「テロリスト防止法」違反容疑で逮捕された。彼(28歳)はテロ容疑のために弁護士もつけられず、突然拘束されたという。この背景には、現在世界を揺るがしているアメリカの世界的なスパイ疑惑がある。


アメリカの中央情報局(CIA)と国家安全保障局(NSA)の元局員、エドワード・スノーデンのことはブラジルでも大きな注目を集めている。


というのも、6月スノーデンのリーク文書をもとにイギリスの新聞ガーディアンに暴露記事を書いたアメリカ人フリージャーナリスト、グレン・グリンウォルド(リオ在住)が「スパイ活動はブラジルにも及んでいた」と証言したからだ。そして今回、ヒースローで拘束されたミランダは、グリンウォルドのパートナーだった。


ダヴィ・ミランダは、アメリカ人のドキュメンタリー作家、ローラ・ポイトラスのスノーデン絡みの仕事を手伝うためにドイツに行き、ブラジルに帰国の途中、ロンドンを経由して逮捕された。


だが、「テロリスト防止法」を適用したと言いながら、彼が訊かれたのはグリンウォルドに関することばかりだったという。


彼は空港で9時間ほど身柄を拘束され、コンピュータや携帯電話、その他の電子機器も一時押収されたために、弁護士との連絡さえ取れなかった。ガーディアン紙が派遣した弁護士も彼の供述の最後の15分あまりしか聞けなかったという。ブラジルのメディアでは「テロ容疑とは名ばかりで情報漏洩への報復をしているよう」との論調で報じている。


この事件を聞いたグリンウォルドは、「報道の自由への攻撃であり、威嚇行為にほかならない」と断言すると共に、ボリビアのエヴォ・モラレス大統領に起こった事件と比較した。モラレス大統領は今年7月2日、ロシアでスノーデンの受け入れに前向きと解釈できる発言を行った後、帰国の途についたが、その途中、スノーデンが同乗しているのではと疑われ、ポルトガル、スペイン、イタリア、フランスの4カ国から領空飛行を拒否されて、オーストリアに緊急着陸。スノーデンが乗っていないことを確認後に先の4カ国の領空飛行が認められた。

ブラジルのアントニオ・パトリオッタ外相は、アメリカのジョン・ケリー国務長官がブラジルに訪れた際、スパイ問題について詰め寄る一幕を見せた。ダヴィ・ミランダの一件でも、ブラジル側のアメリカに対する対応がどのようなものになるか、注目される。


ブラジル政府はグリンウォルドがアメリカに帰国すれば、様々な意味の危険を伴うと判断し、本人が望む場合は、アメリカやその同盟国からの圧力に対して擁護するとの意志表示をしている。

(引用元:ブラジル人をテロ防止法で逮捕=英ロンドンで9時間も事情聴取=スノーデン氏絡みで拘束、ニッケイ新聞)
http://www.nikkeyshimbun.com.br/2013/130820-01topic.html

60年前のイラン クーデター

◇イランのクーデターに味方したのをCIAが認めている
1953年の軍の作戦での役割をついに白状する。
フォーリンポリシー by マルコム・バーン 18 August 2013

60年前の今日、1953年8月19日、アメリカとイギリスが味方するクーデターがイランのモハメッド・モサデク首相を倒したとき、イランの近代史は決定的転換に向かった。その重大事発生の余韻は何年もの間その演出者らを悩ませてきており、1979年初期のシャーの追放と同時に起こった反米主義の一助となり、その年もっとあとのテヘランのアメリカ大使館を奪ったイラン人に影響を及ぼしてもいる。

だが、論議の的となる転覆に味方したことをアメリカの諜報界が公然と認めるのにほぼ60年かかっている。今日ここに(国家安全保障アーカイヴのウェブサイト上に)公開されたのは、情報公開法を通して文書を入手したCIA組織内部の歴史家による1970年代半ばに用意された内部報告書「イラン戦争(The Battle for Iran)」からの短い抜粋である。

文書は1981年に初公開されたが、クーデターそのものを記述する部分、「隠密行動」と題される第3項のすべてを含め、そのほとんどが削除されていた。第3項の大部分は隠されたままだが、この新バージョンは私たちが初めて知るCIAの参加の事実について正式に公開する。「モサデクと彼の国民戦線内閣を打倒する軍事クーデターはアメリカの外交政策の行為としてCIAの指導の下に遂行された」と史実が書いてある。「ソ連の侵略にイランをさらす」リスクが、「アメリカを仕方なく… TPAJAXの計画と実行に従わせた」と付け加える。 

TPAJAXがCIAの転覆計画のコードネームだった。それはすべての段階で地元協力者をあてにした。それは幾つかの段階からなった。政治的にモサデクを陰険な手段で傷つけるためにプロパガンダを活用し、シャーを説いて協力させ、国会議員をワイロで抱き込み、治安部隊を組織して公衆のデモを扇動する。最初の試みは実のところ失敗した、だがひどくバカげた奪い合いの後にクーデター軍勢が組織を立て直し、8月19日、二度目のトライで要求に応えた。

なぜCIAがついにその役割をいさぎよく白状することにしたか、あまりにも長い間この情報を保持していた理由と同じくらい不明瞭だ。CIAとイギリスの工作員が作戦について本や記事を書いている、著しくはクーデターのCIAチーフ監督官、カーミット・ルーズベルトだ。ほんのこの数年の幾冊かを含め、学者たちがより多くの著書を出している。さらに、二人のアメリカ大統領(クリントンとオバマ)が、おおやけにクーデターにおけるアメリカの役割を認めてきている。

(中略)

最後に、特に諜報の分野では、同盟国との良好な関係を維持するという優先事項がある。数年前からイギリスの記録が(国家安全保障アーカイヴの今日の投稿を参照)外務省(とおそらくクーデターの計画と遂行を助けたMI6)が、その関与についてどのような公式の言葉も滑らさぬよう切望していたことを示す。外部のオブザーバーにも、あまりにも長い間イラン人がロンドンの役割を肩代わりしていることを考慮すれば、この逃げ口上は滑稽に近い。それでも、彼ら自身の歴史についてアメリカ人の理解の結果にかかわらず、たいていの指標によって、アメリカの諜報界は進んでいく。

少なくともここまで、CIAがいま方向の転換を選んでいる事実は、かなり歓迎される。今日まだ重要事項であるトピックスに関する歴史の記録を開放するとの同様の決定にCIAが至るのを、人は期待するしかない。

http://www.foreignpolicy.com/articles/2013/08/18/cia_admits_it_was_behind_irans_coup?page=full

◇アメリカ共和党のマケイン上院議員は8月18日放送のCNNテレビの番組で、エジプトの騒乱を「大虐殺」だと非難し、オバマ政権はエジプト政府への軍事援助を停止すべきだと主張した。
マケイン氏はこの中で、「彼ら(暫定政府側)は組織的に大虐殺を行っている」と指摘。年13億ドル(約1270億円)の対エジプト軍事支援を中止し、アメリカの「影響力」を行使する必要を強調した。
エジプトでは、18日に新たに110人以上の死亡が確認された。治安部隊が14日、モルシ前大統領支持派の座り込みを排除してからの死者数は900人を超えた。

http://www.huffingtonpost.jp/2013/08/18/egypt_maccain_n_3776991.html?ncid=edlinkusaolp00000003

2013/08/19

オバマの冷静

◇オバマのエジプト演説:殺しのライセンス
The National Interest by ジェイコブ・ハイルブラン
15 August 2013

マーサズヴィンヤードからの今朝のオバマ大統領のさえない挨拶はエジプトの重大事発生をあたかも休暇への無礼な負担とみなしているかのように感じさせた。断固たる明確な方針を系統立てて述べる代わりに、彼は予定の方向からはずれるのを完全な民主主義が到来する前アメリカにあったもがきをめぐる論考で方向転換するよりも先に陳腐から決まり文句へと進ませた。

オバマの話から満足を得た聴き手はもっぱら、オバマがほとんど極端に言葉を削ったあいまいな言い方で言及したエジプトの将軍どもだったに違いない。半年ごとの軍事演習の終結は、カイロの軍事政権をおどしてエジプト人を虐殺するのを控えさせることになっている?カイロのクーデターについて一語たりとも言わない?エジプトとの継続する約束が民主主義を引き起こすのを助けると述べたが、彼自身はほとんど起こる激変と交戦すると思われない。彼にできたのはせいぜい、彼の"国家安全保障スタッフ"が、もう少し問題を調査すると発表することだった。

もしも彼が気づかっていたならば、シシ将軍は緊張を解くことができる。オバマは話したが、殺しのライセンスどころではないと将軍どもが解釈する言葉を話さなかった。2009年6月、カイロでのモスリム世界に向けての演説のなか、新たな始まりについてのオバマの高尚な表現はその程度のもの。

昨年にかけてエジプトで起こったことの歴史についてオバマはあいまいだった。彼は"状況の複雑さ"に言及した。だが、実はそんなに複雑ではない。どちらも特に人の心に訴えない2つの側の権力闘争が起こっている。それは長く続くと、もっと急進的になるモスリム同胞団が生まれる。これはエジプトのためにもアメリカのためにもならない。

オバマはアメリカとエジプトの間の数十年の関係に言及することから始めた、でもこれは本当の友好に基づくものではない。代わりに、それは帰するところアラブの春を通じてわけなく打倒された独裁政権に資金を供給するワシントンということだ。数十年のムバラク政権への慈善の援助を、多くのエジプト人が特別喜んで気に留めるなんてありそうもない。オバマはさらに、起こっていることを「アメリカ合衆国は強く非難する」とはっきりさせることでエジプト人を慰めようとした。そりゃすごい。非難に値するのはオバマの冷静、受け身だ。力のこもった措置はエジプト軍への援助を停止することだろう。これまでワシントンは継続の援助から強化ゼロの結論を得てきているようだ。オバマが行動するまで、エジプト軍は彼の怠慢を残忍な処置への黙認と解釈するだろう。

オバマの外交政策が帰するところ何になるか、それは重大事発生に対する受け身の降参と思われる。エジプトはシリアではない。アメリカは長いことエジプトの問題に直接、親密に携わってきている。しかしオバマは彼があたかも無実の傍観者であるかのようにふるまっている、そして彼が目撃しているのに実は重大事発生に影響力を及ぼそうと努めることができない恐ろしい事態に悲痛のあまり自分の手をもみしぼる。「アメリカはエジプトの将来を決定することができない」とオバマが述べたのはむろん正しい。だが、これではわら人形だ。アメリカはエジプトの将来を決定できると誰が言った?試みることができるのは、エジプトを妥協に向かって少しずつ押すことだった。今では遅すぎるかもしれない。エジプトに警告を出しているようにオバマはふるまっていたかもしれないが、結局、将軍どもが気づくことになるのは、もっぱらオバマの冷静、受け身ばかりだ。

http://nationalinterest.org/blog/jacob-heilbrunn/obamas-abadication-listless-egypt-address-8898

◇イスラエルとエジプトがテロで協力
ウォールストリートジャーナル 13 August 2013

ここだけの話だがイスラエルとエジプトは国境に沿ってイスラム教徒の活動家(戦闘員)を鎮圧するために協力していると西側諸国の当局は言う、不安定な関係は、先週末エジプト領土内の破壊的なイスラエル無人機襲撃によって解明される。

エジプト当局は否定し、イスラエル当局は確認も否定もしない、シナイ半島でのイスラエルの介入は、西側当局によると、イスラエルとエジプト軍と情報部上官との間のハイレベルの対話の最もはっきりした現れだ。アメリカの同盟国間のそのような協力は、先月エジプトのモルシ大統領の追放以降、増えてきていると、この当局者らは言う。

http://online.wsj.com/article/SB10001424127887324085304579010990544276768.html