見つけた 犬としあわせ

ニュースのファンジン、世界のニュースのサンプリング。 一枚のCDを聴くように一枚のコラージュを眺めるようにこれを体験して欲しい。

2007/09/29

国軍に乱れがある


◇軍政側は26日以来連日、デモを武力弾圧しているが、ある民主派運動活動家はAFP通信に対し、「われわれはまた街に出る。事態はどんどん緊張するだろう」と語った。
旧首都ヤンゴン市内は29日も、異常なほどの厳戒態勢が敷かれ、兵士の数が顕著に増えている。これまでの弾圧は、ヤンゴンに駐屯する陸軍2個師団が実行してきたが、さらに、同市北東に位置するパゴから1個師団が増派された。
一方、ある外交官は28日、ミャンマー国軍内部に不服従の動きがあり、一部の兵士はデモ隊支持の意向を持っているという情報を複数の筋から得たと述べた。また、ヤンゴン駐在の外交官が29日語ったところでは、第2の都市マンダレーで事態にどう対処するかをめぐり、国軍内で意見の対立が生じているとの説もあるという。 (AFP=時事)

◇死者数は公式情報の数倍か
国営メディアは27日のデモ鎮圧で9人が死亡したとしているが、オーストラリアの駐ミャンマー大使は豪ラジオに対し、目撃者情報として、実際の死者数はその数倍だと語った。
デモの主役だった僧侶の多くが拘束されるなどしたため、この日は市民ら数千人がデモに参加。参加していた学生リーダーは「僧侶たちはよくやってくれた。今度はわれわれが続けなければならない」と話していた。 この日も当局による僧院襲撃、僧侶の拘束が続いた。
また、インターネット接続ができない状態になり、通信会社関係者は海底ケーブルの損傷が原因と説明しているが、軍事政権がデモ武力弾圧を伝える映像や情報が流れるのを防ぐため遮断したもようだ。 (AFP=時事)

◇現地からの情報によると、27日、治安部隊が発砲したのはヤンゴン中心部の仏塔スーレ・パゴタ近く。約200人の治安部隊員が銃を構えて、集まった市民に向かって行進、拡声機で「10分以内に立ち去らなければ銃撃する」と警告。これに対し、1000人以上のデモ参加者が投石などで抵抗。治安部隊とのにらみあいがしばらく続いたが、午後4時ごろ治安部隊が群衆に向け突然、発砲を始めた。
ミャンマー軍事政権治安部隊による反政府デモ制圧を取材中に死亡した日本人映像ジャーナリスト、長井健司さんが銃撃された際、治安部隊員は至近距離でほぼ正面から銃を撃っていたことが27日、明らかになった。事件を目撃した親族の話を聞いたミャンマー人男性が共同通信に語った。
男性の親族は数十メートル離れた場所から目撃。部隊が移動した直後に現場に行くと「撃たれたのは日本人で死亡した。遺体とカメラは部隊が持ち去った」と周囲の人間が話していたのを聞いたという。他の外国人ジャーナリストも同時に撃たれ腕などを負傷したようだという。
ミャンマー国営テレビは長井さんを含む9人が死亡、11人が負傷したと伝えている。しかし、親族は男性に「もっとたくさんの人が倒れていた。遺体はデモ制圧後、治安部隊が運び去り、放水車が血を洗い流していた」と話したという。
また親族は「デモ隊に乱射している治安部隊の話すビルマ語は(方言のため)分かりにくい。やみくもに乱射しており、統率が取れていないようだ。肩に担いで使用するロケット弾のような武器も使われた」と当時の状況を詳しく語った。
男性によれば、ヤンゴンの僧侶に親近感を持たない地方出身の兵士を前面に立ててデモ隊を鎮圧する作戦を治安部隊は取っているもようだ。 (共同通信)

◇ミャンマー情勢、中国が影響力行使を
欧米メディアは27日、ミャンマーの事態沈静化に向け、中国が影響力を行使すべきだとする社説、寄稿を一斉に掲載した。
米ウォールストリートジャーナル紙は「中国は恥を知れ」と題したノーベル平和賞受賞者ジョディ・ウィリアムズ氏の論文を掲載。中国の経済支援抜きにはミャンマー経済は成り立たないと指摘したうえで「中国が自ら政策を転換しないのなら圧力をかけなければならない。北京の内政不干渉政策は容認できない」と強調した。
米ワシントンポスト紙は中国とロシアの反対で国連安全保障理事会の声明から軍事政権への「非難」が削除されたことについて、社説で「残忍な武力鎮圧に青信号を出したようなもの。鎮圧が進めばプーチン大統領と胡錦濤国家主席の責任だ」と断じた。
英タイムズ紙は社説で「対ミャンマー制裁を求めるブラウン英首相やブッシュ米大統領の声はほとんど意味がない。圧力をかけられるのは(ミャンマー産)ガスの顧客でもある巨大な隣国、中国だ」と指摘した。(日経新聞)

◇ミャンマー投資、仏企業は中止を
サルコジ仏大統領は26日、ミャンマーの反軍事政権デモと政権当局の対立を受け「(仏石油大手)トタルなど仏企業はミャンマーへの新規投資を中止すべきだ」と呼びかけた。
トタルは「ミャンマーでの活動は社会的に重要」として政府の要請を受け入れない意向を示している。同社はミャンマー南部で天然ガスの採掘をしており、タイなどに供給している。

◇ミャンマーへの経済制裁を検討
オーストラリアのハワード首相は27日、ミャンマーの軍事政権に対する経済制裁を検討すると発表した。豪メディアによると制裁は送金凍結が軸になるという。1988年から実施している政府高官への入国ビザ発給制限と軍事物資の禁輸措置も強化する。
首相は「ミャンマー政府が平和的な抗議活動を高圧的に抑制し、数人の死者と多くの逮捕者が出たことを憂慮する」としたうえで、制裁は「ミャンマー国民を傷つけることなく軍事政権に最大限の圧力をかけるためだ」と述べた。

◇軍政議長の妻子、タイに脱出か
タイの英字紙ネーションは26日、ミャンマー軍事政権のトップであるタン・シュエ国家平和発展評議会議長の家族が出国し、タイに入国したと報じた。
同議長の妻と子どもたちは25日、ミャンマー中部の新首都ネピドーをチャーター機で出発。議長は空港で家族を見送ったという。(時事通信)

◇ミャンマーの軍事政権が26日、反軍政デモの武力鎮圧に着手し、民主化要求デモへの軍の無差別発砲で千人以上の犠牲者が出た1988年以来の流血事態に発展した。軍政は僧侶への暴行もいとわぬ強権姿勢をむき出しにしており、民主化勢力の徹底弾圧に乗り出す構えだ。民主化勢力は猛反発しており、軍政との全面対決が避けられない情勢になりつつある。
軍政はこれまで敬虔(けいけん)な仏教徒の国民が、尊敬と信頼を集める仏教界を懐柔して親軍組織化してきた。その一方で、民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさん率いる最大野党「国民民主連盟(NLD)」を弾圧し、両者の分断を図った。
軍政は高僧たちに手厚い寄進を続ける見返りに、出家僧侶のサンガ(教団)を州・管区、地区レベルで再編成し、宗教省のもとに一元的に統制。軍政は事あるごとに「NLD が勢力拡大のために党員をサンガに潜入させている」と非難し、僧侶とNLD の連携を警戒していた。
軍政による仏教界の統制を無視した若手僧侶による反軍政デモに対し、NLD はこれまで組織的な関与を控えてきた。軍政に徹底弾圧の格好の口実を与えることになりかねないためだ。
しかし、NLD は26日、軍政の武力行使を非難する声明を発表。僧侶の身柄まで拘束したことを「歴史上、最悪の愚行だ」と痛烈に批判し、軍政に武力行使の即時中止と、民主化勢力との直接対話に応じるよう要求した。
旧首都ヤンゴンの多くの市民にとって、88年の惨事は脳裏に焼き付いている。大規模な民主化要求デモで独裁体制が瓦解したネ・ウィン将軍は「デモを続ける者に対し、軍は狙いを定めて撃つ」と宣言。その言葉通りに千人以上の学生や市民を殺害した。
同国中部の新首都ネピドーで指揮を執る軍政トップ、タン・シュエ国家平和発展評議会(SPDC)議長が、軍に徹底弾圧を指示している可能性は高く、無差別発砲という最悪の事態も決して否定できない。

◇「国連安保理で緊急会議を」亡命政権の首相
ミャンマーの軍事政権打倒を目指す反政府勢力「ビルマ連邦国民連合政府」(亡命政権)のセイン・ウィン首相(米国在住)は25、26の両日、フランスのニュース専門局「LC1」に出演し、軍政に対する民主化デモを国際的に支援するため「国連安全保障理事会で緊急会議を開くようにフランスから呼びかけてほしい」と求めた。
同政府は1990年に野党の急進派議員らが結成。セイン・ウィン氏は、ミャンマーの民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさんの従兄弟にあたる。

◇日本人記者ら2人 国外退去処分に
ミャンマー軍事政権は26日、ヤンゴンで反政府デモを取材していたとして、中日新聞(東京新聞)バンコク支局の平田浩二支局長、共同通信バンコク支局の遠藤一弥支局長の日本人記者2人を国外退去処分にした。2人は今月24日、バンコクからヤンゴン入りしていた。(東京新聞)

◇つのる抗議
8月15日:軍事政権が燃料費を2倍に値上げして抗議を誘発する
9月05日:軍隊がパコックでの抗議で僧侶数人を負傷させる
9月17日:軍政が負傷者への謝罪を怠ったことが僧侶による別の抗議を招く
9月18ー21日:ミャンマーの都市における僧侶による毎日のデモ行進が徐々にかなりの規模になる
9月22日:僧侶1000人がヤンゴンのアウン・サン・スー・チン宅まで行進する
9月23日:ヤンゴンで2万人の行進にまでにふくらむ
9月24日:これまでにないヤンゴンのデモ行進は少なくとも5万人を集め、他の町がこれに加わる

◇この機会を逃したら、また暗黒の日々が続く(ビルマ市民フォーラム配信から抜粋)  
2007年9月、まもなく雨季が終わろうとしているミャンマーで見慣れないことが起こっている。連日、僧侶たちがヤンゴンの大通りを静かに行進している。プラカードもスローガンもなく、時々お経を読む意外は、ただ黙々と歩く。だがこれは、8月15日に石油、ガソリン、天然ガスなど燃料の価格をいきなり2倍から5倍に引き上げた軍事政権への抗議であり、困窮の度を深めた市民生活を見るに見かねて僧侶たちが立ち上がったものだった。国民は僧侶たちに感謝している。24日には僧侶のデモは途中参加した一般市民を含めて10万人規模にまで膨れ上がった。現地からの映像には、整然と歩く僧侶たちの両側で、手をつないで彼らを守り妨害行為を防ごうとする一般市民の姿がある。 
9月22日、僧侶たちはアウン・サン・スー・チー宅まで行進した。2003年5月30日、国民民主連盟(NLD)の党員多数が当局の意向で動く連邦団結発展協会(USDA)の襲撃によって虐殺されたディベイン事件の日から、NLD書記長アウン・サン・スー・チー女史は自宅軟禁に置かれている。僧侶の訪問を受けて彼女は門まで出てくると彼らに向かって両手を合わせた。実に4年4ヶ月ぶりに人前に姿を現した彼女を携帯で撮影した写真がロイター通信によって全世界に配信された。 
ミャンマーでは仏教僧は「人」ではなく、仏(パヤー)とみなされる。本来、彼らは政治にかかわらない。選挙権も被選挙権もない。だが僧侶は都市でも農村でも一般市民の生活と密接なかかわりを持っており、一般市民の僧侶への信頼はあつい。僧侶たちの態度が毅然としたものになった直接の引き金は、9月5日ミャンマー中部の都市パコックで軍隊が僧侶数人を負傷させた、これに対し当局から謝罪がなかったことだとされている。さらに、1988年の民主化運動で一般市民に味方する僧侶たちは青年僧侶連盟(ABYMU)に結集した。このグループは現在も国内で勢力を持ち続けているとされる。軍事政権にまっ先に抗議の声を上げたのはこうした僧侶であったと言われる。 
・88世代の学生グループ 
8月19日の元NLD副議長ウー・チーマウンの3周忌に88年民主化運動の学生指導者ミン・コウ・ナインは出席した。帰りに彼は、「バス代もタクシー代も値上がりした。オレたちにはとても払えない。歩いて帰ろう。」と仲間を誘い、歩き出した。路上で加わる人も出てきた。これが値上げに抗議する「歩くデモ」の始まりとされている。 
ミン・コウ・ナインは1988年8月に結成された全ビルマ学生連盟(バカタ、ABFSU)の委員長だ。反政府活動で逮捕され1989年3月から2004年11月まで15年間牢獄生活に耐えた。彼の名が再び登場したのは2006年9月で、他の元学生指導者4人と共に再び拘束された。このとき「88世代学生グループ」を名乗る活動家たちが、ミン・コウ・ナインを含める政治囚釈放嘆願署名運動を展開し、厳しい軍事政権の監視の下、3週間でおよそ50万人の署名を集めた。署名の数の多さと、これを後押しする国際世論に気兼ねしたのか、軍事政権は国連安保理でミャンマー問題決議案が採択される直前の2007年1月11日に彼らを釈放した。 
2007年5月27日、17年前にNLDが総選挙で大勝したのを記念する日に、ミン・コウ・ナインはヤンゴンのNLD党本部前で党員に向かって力強い演説を行なった。88世代学生グループとNLD党員たちがシュエダゴン・パゴダに参拝のため入ろうとすると、USDAを動員した軍政当局の妨害でパゴダには入れなかった。ミン・コウ・ナインが「引き返そう。どこで祈ろうと気持ちは通じる。」と声をかけて本部前に集まった1000人の群集に彼は話しかけた。軍事政権を直接弾劾する言葉はなかった。世界に恥じないミャンマーを実現しようと彼は熱く語った。 
そして8月下旬、燃料費値上げに抗議するデモの口火を切ったミン・コウ・ナインは、他の活動家たちと共に再び拘束された。代わりに僧侶たちが立ち上がった。
・ネットワーク社会 
88年と様相は似ていても、19年を経過した情況の違い、特に情報が海外に漏れ出る早さは、今後の動きにも大きく影響するはずだ。ヤンゴンの路上を燃料費値上げに抗議して88世代学生グループや市民たちが歩き始めると、その様子がインターネットを介して、その日のうちに写真あるいは動画入りで全世界に届いた。それをまた国外の報道機関が国内に届ける。1988年、ビルマ語短波ラジオ放送としてBBCとVOAがあったが、今はDVB(民主ビルマの声)や RFA(ラジオ・フリーアジア)が加わっている。そして放送を聞き逃してもインターネットでアクセスできる。 
さらに1988年以降国外へ脱出した民主化活動家たちが作り上げる組織が、それぞれ国内ルートを持ってきめ細かい情報をやはりインターネットを駆使して伝えている。こうしたネットワークを通してヤンゴン、マンダレー、モーラミャイン、バゴーなどの大都市ばかりか、ラカイン州、カチン州、シャン州などの地方都市での動きまで網羅されることになる。それがまた国内に伝えられて、「そうか、あの町でもやってるんだ。よし、私たちも」と報道統制されてるビルマの市民を力づけることになる。 
8月中旬以降、西側諸国はミャンマーの動きに注視している。1988年のように力で容赦なく弾圧を加えればただちに非難を浴びるだろう。2007年1月、中国とロシアの拒否権によって否決されたミャンマーに政治囚釈放、人権尊重、民主化促進を迫る決議案を再び安保理にかけようとする動きにつながりかねない。軍事政権はすでに燃料費値上げに抗議するデモを裏からNLDがあおっているとして非難声明を出している。2003年5月のディベイン襲撃事件の際に軍政はUSDAの仲間に僧衣を着せて殴りこませるという手段に出た。すでにアウン・サン・スー・チー女史はどこかに連れ去れたとの情報があり、行方がわかっていない。

◇世界の声は他人事
26日、軍政の実力行使によって、現在までに僧侶を含め10人の死亡が確認されている。このまま民主化を望む国民とそれを支える仏僧の声は武力によって蹴散らされ、また元の木阿弥に戻るのだろうか。今朝、ニュージャージの作家からこんな見解が届いた。以下抜粋:
けれども、事態の先送りは難しいかもしれない。というのも、ミャンマーの軍政は昨年に突如、遷都を発表し、ヤンゴンから600キロ離れたピンマナという町を「ネピードー」と改称して、そこに首都機能を移転しつつあるのです。最大都市ヤンゴンで持ちこたえられないほど現軍政が民意を得られていなかったのは明らかです。また、軍事評論家の神浦元彰氏が指摘しているように、仏教に帰依していない少数民族の兵士を治安部隊に投入しているとしたら、これも政権の末期症状のあらわれと言うしかありません。
「この機会を逃したらもう二度と、、、」というせっぱ詰まったミャンマー国民の気持ちと、欧米の政権の非難の声には、ものすごい隔たりがある。欧米
からは基本的には「他人事」である。中国は諸々の事情でスパッと現政権を切れないとなると、幾つかの点で、日本政府の役割は大きいように思える。
●過去50年間に総額6000億円以上というODAを供与
●現在60社の企業が進出し、家族共々の駐在員を含む650人が在住
●長井記者射殺事件(それも至近距離から狙い撃ち)という悲劇を抱え、政治的には強く出る立場にある
●相互の国民に親近感がある
とにかく独裁のメカニズムを理解することなく、原則論ばかりが横行するアメリカから見ていると、そんな期待感を持つのです。(冷泉彰彦氏のUSAレポートより)

2007/09/28

傲慢だから嫌われる



イラン大統領アフマディネジャドのニューヨーク訪問で今週は誰もがうるさかった。CODEPINK(コードピンク)はアフマディネジャドのコロンビア大学での講演と国連総会一般討論演説の両方を聞きました。彼が言った多くの事がらで同意しないと同時に、まさにブッシュ大統領が私たちを代表しないのと同様に、アフマディネジャドがイラン国民を代表しないことに私たちは気づかせたかった。では私たちの指導部が私たち国民をこれほどみじめに失望させたとき、市民としてどうするか?私たちは立ち上がる。私たちは行動を起こす。市民外交的手腕が、指導者たちに話し合いを強いて戦争をさせなくさせる動機の影響力になりうるのを、私たちは示します。
写真は、CODEPINKの25日ニューヨークでの成果、ブッシュを逮捕する市民警察官としてのアピールから。

◇ニカラグアのオルテガ大統領は25日、国連総会の一般討論演説で「米国は広島と長崎で罪のない人々の頭上に核爆弾を落とした世界唯一の国だ」と批判した上で、北朝鮮やイランが「軍事目的の核エネルギーを求めたとしても、異議を唱える権利が(米国に)あるのか」と語った。
冷戦時代に反米革命政権を率い、今年1月に権力の座に返り咲いたオルテガ氏は、反米強硬派として知られるベネズエラのチャベス大統領やキューバと良好な関係を築いている。昨年の一般演説ではチャベス氏がブッシュ米大統領を「悪魔」と名指しして物議を醸したが、今年は日程の都合で総会出席を取りやめたチャベス氏の「代役」をオルテガ氏が務めた格好になった。(時事通信9月25日)
◇イラクのアフマディネジャド大統領は25日、国連総会の一般討論演説で、IAEAのアプローチが正しいと主張し、国連安全保障理事会が威圧的な一部国家の影響で正義を維持しておらず、イラン国民の権利を保護していないと批判。国連安保理が「独占的大国」に影響され、無能になった国際組織の筆頭だと発言した。
この他に大統領は名指しを避けながら、米国のイラク戦争や秘密収容所設置、令状なき盗聴などのテロ対策を批判し、「人権は特定大国によって著しく侵害されている」と述べた。さらに、「大国」が世界各地の情勢不安や分断、道徳の低下を招いたとしたうえで、「尊大さと悪魔への服従の道から、神の信仰の道に戻るべき時ではないか」と問いかけ、平和に向けたイランとの連携を各国に呼びかけた。
アフマディネジャド大統領が米国に言及したのは、「米国民の権利や尊厳も権力者の自己中心的な欲望の犠牲になっている」と述べた箇所のみ。しかし米代表団は演説の最中、書記の女性を除いて全員欠席した。

かたやブッシュの演説には「キューバはまもなく自由な国になる」というくだりがあり、これに不快感を表してキューバ代表団が退席する一幕があった。
キューバのグアンタナモ基地の捕虜収容所ではひどい人権侵害が堂々とまかり通っているというのに、なんて傲慢なんでしょ!

2007/09/26

ミャンマーが動いている


ミャンマーが動いている。僧侶たちのきっぱりとした態度には、真摯というか思い詰めたというか、しばらく忘れていたエネルギーを感じる。ミャンマーには普通の市民の心をつかむ僧侶が50万人いるそうだから、ミャンマーの革命、少なくとも国に何らかの変化が起きて不思議はない。
これまで軍政が強硬手段に出なかったのは、どうもブッシュアメリカの威勢のいいかけ声でなしに、表だっては沈黙している中国の圧力のせいらしい。
ともかく、世界は今度こそミャンマーの人々を支援しなければ!と思う。
以下はミャンマーの抗議行動を追ったニュースのカットアップ:

◇僧侶によるデモが続くミャンマーの最大都市ヤンゴンでは24日、市民が次々とデモに加わり、目撃者によると10万人以上が参加、軍政に対する抗議行動としては、過去最大規模となった。
行進は二手に分かれて行われ、3万人以上が加わった片方のグループは、市中心部を練り歩いた。軍施設の前も通り抜けたが、兵士は敷地内から監視するだけで、阻止には動かなかった。
もう一方のグループには10万人近くが参加。幹線道路を埋め尽くし、北方のパゴダ(仏塔)に向かった。この行進により、交通は遮断された。 (AFP=時事 9月24日)
◇軍事政権は、24日夜の国営放送で、デモを先導する僧侶に対し強硬措置で臨むことを初めて明らかにし、これ以上のデモ拡大を容認しない姿勢を示した。今後、軍政による僧侶の拘束も予想され、情勢は一層の緊迫局面を迎えた。(すでに300人弱の人々が当局によって拘束されている)
在ヤンゴン消息筋によると、トゥラ・ミン・マウン宗教相が24日、同国仏教界で最も権威のある高僧らと面会。「抗議デモは高僧の教えに背くもので、矯正されないのであれば(軍政が)法に基づいた措置を取る」と説明し、高僧は了承したという。また、「国民は(犠牲者が出た)88年の再来を望んでいない」とも述べ、現段階では、僧侶に対し直接武力を行使する考えがないことも示したという。(読売新聞9月25日)
◇軍政は、当局の許可を得ない5人を超える集会を、扇動に当たるとして法律で禁じている。この日は、広報車やハンドマイクで法律を読み上げ、拡大する反軍政デモを「違法行為」と決めつけた。(東京新聞9月25日)
◇米国務省は24日、軍政に対し、自制的な行動と、民主化運動指導者らとの「真摯な対話」に直ちに臨むよう求める声明を発表。ライス国務長官はロイター通信とのインタビューで、ミャンマー問題解決に向け「国際社会はこれまで以上に立ち上がるべきだ」と述べ、国連安全保障理事会への働き掛けを強める方針を示した。(東京新聞9月25日)
◇ミャンマー国営テレビは24日、僧侶の反軍政デモに関し、トゥラ・ミン・マウン宗教相が「(最大野党の)国民民主連盟(NLD)や反体制グループ、外国メディアが運動を大きくしようとしている」と非難したと伝えた。
宗教相は仏教界の高僧との会合で「外国にいる反体制の僧侶が運動を組織している」と説明。「燃料値上げへの抗議から(自宅軟禁中の民主化運動指導者)アウン・サン・スー・チー解放など、要求をエスカレートさせた」とし、デモが収まらなければ強硬手段も辞さないとの考えを示した。
国営メディアはこの数日、急拡大するデモについて全く報じていなかった。(共同通信9月25日)
◇ミャンマーの軍事政権は25日夜、僧侶や市民らの反政府デモが続く最大都市ヤンゴンと第2の都市マンダレーに夜間外出禁止令を出した。5人以上の集会も改めて禁止した。デモは軍政の警告を無視する形で続いており、軍政は26日以降のデモを抑えるために具体的な措置を取り始めた。ヤンゴン市街地には25日夜から多数の兵士も配置され、デモがさらに続けば軍政が実力行使に出る可能性もある。
夜間外出禁止や集会の禁止は、軍政当局者が25日夜、車に搭載した拡声機などを通じて両都市の市民に伝えた。外出禁止は午後9時から午前5時までで、26日から60日間とした。AFP通信によると、軍政当局者は抗議デモに対する措置であることを明言。両都市を「軍の直接の統制下に置く」とも伝えたという。
また、軍政は25日夜から、ヤンゴンのデモの集結地の一つであるスーレー・パゴダ(仏塔)など数カ所に多数の武装兵士らを配置。26日未明にはデモを激励した国民的人気コメディアンのザガナル氏を拘束した。強硬手段を辞さない姿勢を明確にし、デモ参加者を威嚇するねらいがあるとみられる。ヤンゴンでは26日にも午後からデモが予定されている。
軍政は24日、デモを「違法行為」として参加しないよう強く警告したが、25日のデモはそれを無視する形で行われた。学生や少数民族の代表ら国民のより広い層を巻き込む勢いとなっており、軍政側の危機感は日を追うごとに強まっている。(朝日新聞9月26日)
◇ ミャンマー軍事政権は東部国境で少数民族、カレン族の反軍政組織と対峙していた部隊などを撤退させ、ヤンゴンに送り込んだもようだ。タイ字紙クルンテープトゥラキット(電子版)が25日、報じた。
一方、タイ政府はミャンマー在住のタイ人の避難に備え、大型輸送機を用意した。
軍政は今のところ武力弾圧に踏み切っていない。米CNN、英BBCなどは、ミャンマーと政治的、経済的に緊密な関係にある中国が自制を求めていると分析している。中国は北京オリンピックを来年に控え、自国や友好国の人権問題が取り上げられるのに神経質になっているという。

2007/09/24

サラを乗せクルーニーが衝突


ジョージ・クルーニーと同乗者 バイク事故で負傷
22 September 2007 TheAge.com
ニュージャージ発:ニューヨーク市からハドソン川を渡った狭い道路でジョージ・クルーニーとその連れの乗ったバイクがクルマと接触して2人が負傷した。
今日の衝突で、クルーニーが乗せた客のサラ・ラーソンが足を骨折したと同時に、クルーニーが肋骨を折り、かすり傷を負った。
2人はノースバーゲンのパリサデス・メディカルセンターで治療を受け、苦痛から解放されたと、クルーニーのスポークスマン、スタン・ローゼンフィールドは述べた。
「彼は元気だ」とローゼンフィールドは言った。「彼は肋骨を折っており、非常に痛いし、痛みをいやすのに長くかかる。」
右折しようとしていたクルマの右で、クルーニーとラーソンが追い越すため加速したとき衝突が起きたとシーン・ケリー巡査部長は言った。2人ともヘルメットを着用していた。
誰かはすぐには発表されなかったクルマの運転者(28歳の男性)が、右折表示のウインカーを使ったかどうかはわかっていないとケリーは言った。事故は調査中だった。
「いまは、彼の言い分、彼女の言い分だが、ニュージャージではどこだろうが右の追い越しはできない」とケリーは言った。
クルマが左手に曲がる合図を出したのに右折してクルーニーのバイクにぶつかり事故は起きたとローゼンフィールドは言った。
「そのクルマは左の合図を出していた。クルーニーは右を走っていた。運転者はふいに右折することにしてジョージを強打した」とローゼンフィールドは言った。
46歳の俳優は、コーエン兄弟のダークコメディ「Burn After Reading」の撮影でニューヨークエリアにいた。映画の共演者はブラッド・ピット、ジョン・マルコヴィッチ、フランシス・マクドーマンド。
クルーニーの回復はプロダクションのスケジュールを中断させないとローゼンフィールドは言った。
クルーニーの新作「マイケル・クライトン」は来月公開予定。彼とサラ・ラーソンは幾つかの映画祭やここ最近のプレミア上映会でいっしょにスポットライトを浴びている。

写真は、うわさの彼と彼女。なんでもサラは羨望のシンデレラガールとか。ラスベガスで働くモデルだかの端くれが、「オーシャンズ13」のパーティでクルーニーと出会って、どこにでも2人で現れる仲になったそうなんだ。ゴシップちょい好き!

ゴードン・スローン 北京で死す


◇ビッグブラザーのスター 謎の死
by John Garnaut & Andra Jackson
17 September 2007
新たな証拠が本人の意志に反して薬物を盛られたと示すのに関して、オーストラリア政府は、元ビッグブラザー(TV番組「ビッグブラザー」シリーズ一回目)の競争相手(番組の同居者)ゴードン・スローンの死を調査するよう中国当局に求める。
イラクで「人間の盾」として活動したオーストラリアのセレブが中国のナイトクラブで薬物を盛られたのは明らかなようだと、The Age 紙は聞いている。ゴードン・スローンの血液中に謎の有毒物質を発見したのを医師らが確認している。
ニュージーランド生まれのスローン氏は9月1日土曜、北京のナイトクラブの壁にぶつかり転倒しているのを発見されて病院に運ばれた。彼は12日間、生命維持装置をつけられコーマ状態のままだった。中国に飛んだ両親、兄、姉が彼に付き添い、先週水曜、生命維持装置のスイッチを切る決断をした。
2001年、最初の「ビッグブラザー」家族でスターになったとき、オーストラリアで人がよく知る人物になったスローン氏は、ビジネスで北京にいた。(彼は有名になる前は建築家として働いていた)
北京のニュージーランド大使館で領事業務を担当しているジャッキー・ブラッキーは、医師らがスローン氏の体内に有毒物質を見つけたと言った。その薬物は彼に無断で投与されたはずだと彼女は言った。「彼がアンチドラッグだったのを知っているし、十分知っていてそれを服用するはずがない」と彼女は述べた。
昨夜、スローン氏のニュージーランドの両親はオーストラリアに帰る息子の遺体に同行するため、奮闘していたが、搭乗できる便を見つけるのに難航していた。
以下はゴードンの仲間でありイラク活動のパートナーだった、ドナ・マルハーンのメッセージです。

◇ゴードンの人生をたたえる
by ドナ・マルハーン 19 September 2007
イラクでの私たちの活動の一部だった私の友人であり仲間、ゴードン・スローンの悲劇の死については、先週のニュースで多くの方が聞いているはずです。
あなた方は、最初のオーストラリアでの「ビッグ・ブラザー」シリーズで有名なゴードンを想起されるかもしれません、デザイナーらしい彼のツンツンしたヘアスタイルは忘れようにも忘れられるもではありませんでした!
でも私たちは、どちらかというと、彼のすごいヘアスタイルよりも、彼のすごいハートのせいで、彼のことを憶えています。
いわば人間の盾としてイラク戦争に抗議するため2003年に彼をイラクに至らしめるほど、ゴードンには強い正義感がありました。彼はチームの一員として私たちが守るべき現場を選び、それらが私たちの基準にかなうのを確かにし、戦争のあいだ私たちがそこで暮らせるように準備する、いわばチームの責務であったので、彼は運動の成功に絶対に必要でした。
2003年11月、バグダッドのストリートキッズや孤児たちのシェルターを設立するプロジェクト「私たちのホーム・イラク」の一部になるため、彼はイラクに戻りました。私たちがイラクに出発する前、シドニーで行ったビッグな資金集めのディナーで彼がMCだったのを憶えている方もいるでしょう。
あの企画の成功では、ゴードンのエネルギーと創造性と懸命な働きが、主要な役割を演じたのです。
建物を見つけ、デザインし直し、塗装し、マットレスを購入するといったロジスティックなことから、子どもと遊ぶこと、食料や衣服を買い、料理を習う手助けをするなどの楽しい事柄まで、すべてを彼はやりました。
男の子たちはゴードンが大好きでした、彼といっしょに遊ぶのがレスリングをするのが大好きでした、たいてい彼に飛びかかるだけなのに。
そして、ゴードンは男の子たちが大好きでした。
交戦地帯でこのプロジェクトをなんとか動かそうと努めることで私たちが直面した困難な仕事にもかかわらず、ゴードンはこの子どもたちの安全を確保する決心でした。
彼はまた、米軍占領下のバグダッドで暮らす普通のイラク人の情況とその恐怖を、
ドキュメンタリー映画にすることにものめり込んでいました。
明日、9月20日木曜日、ゴードンの人生をたたえる葬儀がシドニーで執り行われます。
そこでは彼の人生の情熱に集中することでしょう。音楽、デザイン、人道援助、そして正義と。

写真は、デザイナーぽい、ツンツン頭のゴードン君、でもなぜ彼は死ななければならなかったのか。