見つけた 犬としあわせ

ニュースのファンジン、世界のニュースのサンプリング。 一枚のCDを聴くように一枚のコラージュを眺めるようにこれを体験して欲しい。

2007/06/02

モッシュとダイブはコムニタス


月刊オルタにある「高円寺一揆」というのが気になった。昔、20代の頃に高円寺に住んでいたということもあり、「もう騒ぎはじめるしかない」というかけ声になんだかわくわくして惹かれたからでした。
「今回、選挙という制度を見事にリサイクルして、<高円寺一揆>がやってみせたのは、自分たちが実現したいと思っている社会の姿を単なる公約として語るのではなく、それを、いま・ここでリアルに体感できるものとして差し出すことだった。
..... 文化人類学が教えるように、社会的危機の時代には社会的地位や階級、財産の有無などによって分断された社会が、自由で平等な人間同士の実存的なつながりをとりもどす場が出現し、人類学者たちはそれを「コムニタス」と呼んできたが、駅前で何度も繰り返された激しいモッシュとダイヴは、まさにコムニタスだった。見ず知らずの他人となまみでぶつかり合い、お互いの身体を受けとめあうそれは、一揆後の社会の原型のように思えた。」
ということで、コムニタスにわくわく。コムニタスとは、文化人類学者のヴィクター・ターナーが考えた概念で、通過儀礼(イニシエーション)の中での人間関係のあり方を意味する。コムニタスとは、「身分序列、地位、財産さらには男女の性別や階級組織の次元、すなわち、構造ないし社会構造の次元を超えた、あるいはそれを棄てた反構造の次元における自由で平等な実存的人間の相互関係のあり方である」のだそうだ。つまり非日常的な人間関係のあり方をいい、日常的・固定的な人間関係をあらわす「構造」とは対立するものなのだ。私たちは人生の大部分を構造のなかで過ごすが、そこでは世俗的な身分・役割・職務でもって語られる一面的な存在に過ぎない。そこにとどまり続ける限り、私たちは不安や攻撃性、妬み、恐れといった情緒的反応に取り囲まれてへとへとに消耗せざるをえない。私たちはときに社会的地位や役割から自由な非日常、つまり構造と対立するコムニタスの世界に身を投じて自己の再活性化を果たす必要があるとのことだ。
しかしながら、コムニタスには社会的身分も役割もないから、常になまみがさらされる、きわめて緊張をはらんだ互いに傷つきやすい関係であり、長くそこにとどまるのは苦痛でもある。ターナーは、「コムニタス状況は長期に渡って維持されることはない」と書いている。また、コムニタスはそこを通過してあらたに社会関係へとつながっていく場でもあるんだそうだ。(もとはラテン語の「コミュニティ:共同体」が語源)
ある意味でネット空間はこのコムニタス状況に近い。インターネットはきわめて境界例と親和性が高く、とても居心地のいい空間ということになる。最近周辺に増えているように思えるウツ的人間たち(ウツ系)というのは、実は鬱病とは切り離して考えたほうがいいかもしれない、日常的な構造社会が苦手な「境界例的心性の持ち主」ではないだろうか。

もうひとつ、全国にぼちくらこういう「学びの学校」が登場していることに気づいていましたか。
■大阪コムニタス・フォロ:「ニート」「ひきこもり」など、なにかと若者をバッシングしたがるご時世ですが、バッシングしているオヤジたちも、なんだか希望をもって働いているようには見えません。私たちは、若者をバッシングするのでも、訓練するのでも、支援するのでもなく、いっしょにオルタナティブな生き方を模索していこうと、若者の居場所を設立することにしました。
変だと思う社会に自分を合わせるのではなく、自分の感じているものを大事にしながら生きていくことはできないのか? コムニタス・フォロでは、NPOや、オルタナティブな活動をしている、さまざまな分野の人たちにご協力いただき、若い人たちが生きていく足場をつくっていくことを、いっしょに模索していきます。(ここのサイトより抜粋)
たとえば、学びの例として、目を引くものをあげてみますね。
●フリージャーナリストを招き、その目で実際に見たイラクの現状や、クラスター爆弾の不発弾で吹っ飛んだ一般市民の人々の現状などの話を聞く。
●ゴミの埋立地に行ったり、犬管理事務所(保健所)に行ったり、葬儀の話を聞いたり、コムニタス・フォロでは、ある意味での「死」に関心を抱いている。日常生活から排除されたものは、その後、どうなっているのか? その現場を知りたい! そして、その現場の未踏峰に、下水道がある。日本下水文化研究会なるNPOがあることを知り、そこの支部長に話を聞く。
「下水文化は、じつに深い。世界の下水の歴史に始まり、日本の下水文化について、世界のトイレ事情など、あれこれお話をうかがった。ヨーロッパで歩道が整備されていたのは、車道部分に糞尿を垂れ流していたためだったこと、ヨーロッパでは19世紀まで糞尿のために非常に不衛生だったこと、それに比べ日本は鎌倉以降、糞尿を肥料として活用したため、きわめて衛生的かつ合理的な都市を形成していたこと。また、飛鳥時代から奈良時代にかけて20回も遷都したのは、都が糞尿にまみれて耐えきれなくなったからだという説など、歴史を下水から考えると、いままでにない視点で見えてくることがたくさんあった。話は、どれも興味深く、下水文化の深さを堪能した。
とくに興味深かったのは、人糞を肥料にしていたのは中国、韓国、日本だけで、しかも人糞に経済価値を見いだして、制度的に取引するシステムをつくっていたのは、鎌倉以降の日本だけだという話だった。しかし、この偉大なるシステムも、戦後の日本では廃棄され、高コストで、しかも江戸に比べれば不衛生な、下水システムにとって代わられた。」
●映画の時間もあるんですよ。

上の写真は、京都祇園にあったおせんべい屋さんのショーウインドーです。
量り売りのおせんべい屋さんって減りましたね。変わったおせんべいがあったので、どんな味かしら?ちょっと食べてみたいねー、とくっちゃべっていたら、店番のおじいさん、こぼれたおせんべいを出してきて味見させてくれました。おいしい!たくさん買いました。

2007/06/01

さよならアメリカ シンディの辞任の手紙


「反戦の母」と言われてきたシンディ・シーハンがその活動を停止したことをDaily Kosに書いています。
以下はそのほぼ全訳です。(29 May 2007)
それにしても、すごくいやーなやつになることを楽しむ風潮とかがあるんでしょうか。シンディ母さんの息子が死んだ戦争は、始まる前に世界中が反対した戦争なんです。ブッシュには彼女の息子が死ななくてはならなかった理由を説明する責任があるはずです。

息子のケーシーがイラクで殺されて以降、特に私がアメリカの反戦運動の「顔」とやらになって以降、私はたくさんの中傷と憎悪に耐えてきました。特に民主党の手に帰している縁を切って以降、デモクラティック・アンダーグラウンドといった「リベラルなブログ」で無用の者とさんざんなぐられてきました。「注意の売春婦(アテンションホア)」と呼ばれること、「いい厄介払い」だと言われるのは、寛大な叱責以上のものです。
この戦没者記念日の朝、私はひどくつらい結論に達しました。私の抗議をジョージ・ブッシュと共和党に限定さえすれば私は左派とやらの愛情を一身に集めている人だったというのが最初の結論です。もちろん、私は民主党の「道具」だと右派によって誹謗中傷されました。このレッテルは私と私のメッセージを社会の主流から取り残し社会的に無視するためのものでした。どうやって女性はオリジナルの考えを持てるのでしょう、または私たちの「2大政党」システムの外でどう役に立つことができるのでしょう?
しかしながら、私が共和党を支えたと同じ規範で民主党を支え始めたとき、私の主張(大目的)のための支援が減退し出して、右派が使ったのと同じ侮辱で左派が私にレッテル付けを始めました。平和と、理由もなく人が死ぬことの論点は、「右か左か」の問題でなしに「正しいか間違ってるか」の問題だと私が言ったとき、誰も私に注意を傾けなかったと思います。
等しく民主党と共和党によって支援されたウソに基づく戦争のために何十万という人間が死んでいるとき、党派心の強い政治は路傍に捨てられるべきだと信じるから、私はラディカル(急進派)に重きを置いたのです。論争で活発な人々やレーザービームのようにウソや虚偽の陳述(誤伝)や政治的方便(ご都合主義)に注意を集中できる人々が、党となるとわが党のウソや虚偽の陳述や政治的方便を認めるのを拒絶することに私はびっくり仰天します。どちらの党で生じるにせよ、盲目的な党の忠義は危険です。私たちが政治指導者らにひどく流血をともなう許容範囲を許すせいで、世界の人々は物笑いの種として私たちアメリカ人を見ています。そして、もしこの腐敗した「二大政党」システムに取って代わるものを見つけなければ、議員代表共和政体は死ぬことになり、私たちがどんどん身を落としていっているただのチェック機能もバランス機能もないファシズム的集合体の不毛時代に取って代わられるでしょう。人物を見るときに私は所属の党や国籍を見ないせいで悪霊に取り憑かれます、私はその人の心を見ます。もし着ているものや振る舞いや話や投票が共和党員のように見えるとして、その人が自分自身を民主党員と呼ぶせいで支援に値するというのはなぜなのでしょう?
また、私がこういうことをしているのが「注意の売春婦」だからなら、献身的である必要があるという結論にも達しています。私はすべてを注ぎ込んでいます、なんとかして国に公正に平和をもたらすことに私はのめり込んできました。彼らが息子を殺したとき、「感謝に満ちた」国が私にくれたお金から得た利用できる小銭をことごとく、そして講演や本の印税で受け取ったすべてを費やしてきました。私は29年の結婚生活を犠牲にし、ケーシーの兄弟姉妹から遠く離れて長期間旅してきました。そして私の健康が犠牲になりました、罪のない人間を虐殺するのをこの国になんとか止めさせることに私の全エネルギーを費やしてきたせいで、ほとんど死にそうになった昨年夏から病院の支払いが積もりにつもっています。私は卑劣な人間が考えつく見下げはてた名前ことごとくで呼ばれてきていますし、私の命は何度も脅されてきています。
しかしながら、今朝、私が達したさんざんな結論は、ケーシーがまったく無駄死にしたということでした。私たちが考えることをコントロールさえする戦争マシーンによって動かされ恩義を受ける自分の国によって殺された彼の尊い生命のもとは愛する家族から遠く離れた国で尽きました。以来、私は彼の死になんとか意味を見いだそうとしてきました。民主党と共和党が人命で政治ごっこをするなか、この先数ヶ月でどれだけ多くの人々が死ぬことになるかより次のアメリカの崇拝の的に誰がなるかのほうに関心を持つ国のためにケーシーは死んだのです。何年もこのシステムに巻き込まれたことを知るのは私にはとても苦しいことです。そしてケーシーはその国家の忠誠の義務のために犠牲を払いました。私は最愛の息子をなくしました、そのことが一番つらいです。
しばしば、平和と人命より当人のエゴを優先させる平和運動の範囲内で役立とうとやってもみました。この団体はあの団体とは一緒にやらない、彼女がここにいるつもりなら彼は参加しない、そしてとにかく、なぜシンディ・シーハンが全注意を引くのか?まさしくその運動があまりにもたくさん意見の不一致がある名をとって命名されるとき、平和のために役に立つのは困難です。
女性も男性もイラクにいる勇敢な若者たちは、破壊についてのチェスボード上のポーンのように兵士たちを動かす臆病な指導者らによっていつまでも無期限に見捨てられてきています。そして人よりも選挙について心配する人々によって、イラクの人たちは死にいく運命と死よりも悪い運命を定められているのです。しかしながら、5年、10年あるいは15年、わが国の軍隊は別の見下げはてた失敗で、くたくたに疲れて帰国することでしょう。そしてそれから10年か20年して、私たちの子どもの子どもたちが愛する家族が理由もなく死んだのを理解することになります。なぜなら祖父母らもまた腐敗したシステムに巻き込まれたからです。ジョージ・ブッシュが弾劾されることは決してないでしょう。民主党が深く掘りすぎても彼ら自身の墓に数体の骸骨を発見するのが関の山で、システムは永久に不滅でしょうから。
なんであれ私が残してきたものを引き受けるつもりでいます。自宅に戻り、残された子どもたちの母親になるつもりでいます、そして健康など失ったものを回復するつもりです。旅で見つけたとても前向きな人間関係を維持し、育てていくつもりです。
キャンプ・ケーシーはその目的を満たしています。売り出し中です。テキサス、クロフォードの5エーカーの美しい土地を買いたい人は?妥当な申し出を考慮に入れますよ。ジョージ・ブッシュもまた、まもなく引っ越すつもりだと聞きます。資産価値が上がるのでは。
これはアメリカの反戦運動の「顔」を辞任する私の手紙です。アメリカの帝国によって傷つけられる世界の人々を助けようとすることは絶対にあきらめません。でもこのシステム内、またはシステム外で役立つことは終えます。このシステムは助けられることに激しく抵抗し、なんとか助けようとする人々を食い尽くします。それが私や私が愛する人々や残りの私の資産をすっかり消費し尽くす前に、私は出て行きます。
さよならアメリカ.....アメリカは私が愛する国ではありません、私の犠牲の大きさなど気にしないことにやっと合点がいきました。あなたが望まない限り、私にはどうにもできません。
あなた次第です。

シンディ・シーハンの本は、「Peace Mom: A Mother's Journey through Heartache to Activism 」とシティ・ライツから出ている「Dear President Bush 」の2冊です。

2007/05/31

なぜ世界銀行総裁はいつもアメリカ人なのか


国連の専門機関なのに、どうして世界銀行総裁は常にアメリカ人なのだろうか。
60年も前からの古い暗黙の了解はいったい誰のためにある? 困っている国のためでないことは誰にでもわかる。国際機関がアメリカの世界戦略に組み込まれるままのあり方に、なぜうるさいほどの疑問の声がわかないのだろう。

世界銀行は、第二次大戦後の復興と途上国の開発を目的に、1944年のブレトンウッズ協定で国際通貨基金(IMF)とともに設立が決まった。
世界銀行総裁は、形式上は世銀理事会が選出するが、実際には米政府が選定、推薦した候補を理事会が承認するのが慣例となっている。これは、米国から世銀総裁、欧州から国際通貨基金(IMF)専務理事を選出するという米欧間の暗黙の了解によるものだ。
交際相手の女性厚遇問題で6月末に辞任が決まったウルフォウィッツ総裁の後任についても、すでにブッシュ米大統領が後任リストの作成に入ったと報道されている。こうした選出慣行には、非民主的で、米欧間の人事の裏取引につながるといった批判もある。
スキャンダルによる総裁辞任は前代未聞であり、世銀の信用は著しく傷ついた。後任選びなどの立て直しを通じて、信頼を回復することが急務になった。
ウルフォウィッツ総裁も2年前、米ブッシュ政権から指名された。その前はネオコン(新保守主義)の代表格として国防副長官を務め、イラク戦争を主導した。このためイラク戦争に反対の欧州などから、反発の声も上がった。米国の外交戦略に、世銀の開発政策が組み込まれることへの反発である。
こうした声を意識して、総裁は当初、加盟国の意見を尊重する姿勢を表明し、「貧困解決が使命」とアフリカ支援や災害復興に力を入れた。しかし途中から、かつての側近を次々と総裁顧問に起用したり、汚職追放を掲げて特定途上国への援助を打ち切るなど、強硬路線に転じた。ブッシュ政権がテキサス人脈で固め、援助を外交の道具としてきたのと、よく似ている。就任後に持ち込んだ「米国流」の手法にも加盟国は不満を募らせた。
欧州出身の職員らに批判が再燃し、内部対立が深刻になっていた。そこに「公正」をゆがめるような総裁のスキャンダルが表面化したのだから、不満が辞任要求まで高まったのは当然だ。「後ろ盾」の米国も、最後はかばいきれなくなった。
現行では総裁としての適性を十分審査できない。IMFも含めて、透明性のある選出のあり方を考えるべきではないか。旧戦勝国主導の世銀・IMFは、さまざまな制度疲労が指摘され、改革もまったなしだ。
日本は戦後、電力開発や東海道新幹線の建設などに世銀の資金を借りて復興した。1966年に世銀を「卒業」し、今や米国に次ぐ出資・拠出国である。

ゼーリック前国務副長官を世銀総裁指名へ 米大統領
ブッシュ大統領が、6月末に辞任する世界銀行のウォルフォウィッツ総裁の後任に、ロバート・ゼーリック前国務副長官(53)を指名する見通しとなった。米メディアが政権高官の話として一斉に報じた。大統領は30日にもゼーリック氏の指名を発表、世銀理事会での承認を経て決定する。
ゼーリック氏はブッシュ大統領の外交ブレーンのひとり。政権1期目の2001年から米通商代表部(USTR)代表を務め、世界貿易機関(WTO)の新多角的貿易交渉(ドーハラウンド)に関与。2005年に国務副長官就任後は、対中外交を重視し、中国は国際社会で大国としての責任を果たすべきという「ステークホルダー(利害共有者)論」を提唱した。
昨年6月に辞任後、米投資銀行大手ゴールドマン・サックスに転身した。
(5月30日CNNニュース、時事通信など複数のメディアが報じたもの)

ブッシュ氏は後継には米国人がふさわしいとの考えを示していた。歴代の世銀総裁は全員、最大出資国の米国から出ている。今回の人選では、諸外国や米国内からも、国籍にとらわれるべきではないとの声があがっていた。
(5月30日ロイター通信)

世界銀行はIMFの経済政策(構造調整プログラム)を具体的に実行するための機関だ。その結果、世界中の開発途上国の経済を破壊してきた。途上国の国内産業は壊滅し、外国資本と多国籍企業に占領された。電力や水道といった公共事業さえ外国資本に占領されはじめている。農業も破壊され、食糧の自給はできなくなり、輸入や援助に頼るようになった。教育、医療はなきに等しいレベルに落ちた。世界の何十億という人々が貧困と飢餓の縁に追いやられた。
途上国の悲惨な現況は、世界銀行とIMFがもたらしたものだ。世界銀行やIMFがしてきたことは、人類に対する犯罪行為以外の何ものでもない。
(こういう意見もある。)

世界銀行とIMFの両機関は、実質的にアメリカ政府がコントロールしている。加盟国の中で実質的な拒否権を持っているのは唯一アメリカだけだからだ。両機関の本部は、ワシントンDCにある。

上の写真は、京都平安神宮の鳥居です。おもわず見上げて、おがみたくなる、昨今の世界事情です。周囲にウツの人間が増えているという話を聞きますが、当然といえば当然だな、と思います。普通というのがあるとすれば、その軸は大きくウツに傾いているのではないでしょうか。アメリカ人に日本人ほどウツが多くないというのは、宗教のせいなんでしょう。ブッシュがぶれないというのも、彼を大統領に選んだ「神」のせいだと思います。

2007/05/28

B52の二人に無罪判決



イラク侵略直前にフェアフォード空軍基地に侵入して米空軍B52戦略爆撃機を使用不能にしようとした二人の平和活動家に、昨日イングランドの陪審員は全員一致で無罪評決を下しました。
オーストラリアでもイラク戦争に最も貢献してきたパインギャップ軍事基地の秘密のヴェールを暴こうと民間査察を強行して逮捕、起訴された4人の活動家の裁判(最高7年の刑もありうる)が迫っています。この戦争のウソや違法性を世界の普通の人々が拒絶してきているんだと思います。

2003年3月18日、英国オックスフォードの平和活動家トビー・オルディッチとフィリップ・プリチャードはフェアフォード空軍基地に侵入して米空軍爆撃機B52を使用不能にしようと試みた。この平和のための直接行動に出ようとの二人の決断は、違法で不当な戦争を遂行させないための前もってのあらゆる国際的プレッシャーや骨折りが何にもならなかったという完全なるフラストレーションに対する反応だった。トビーは言った。「違法なイラク攻撃に向かう動きに抵抗する行動を起こす責務がボクたち各自にある。この人道主義の大きな災難を妨げることで残された時間はわずかしかない。」
攻撃におけるB52爆撃機のきわめて重要な役割と、幾つかの戦闘での大規模な民間人犠牲者の遺産に気がついた、フィリップとトビーはそれらを安全に無力にしようと決意した。二人は爆撃機が爆弾を落としに行くちょうど2日前に攻撃した。フィリップは言った。「この爆撃機は大量破壊兵器だ。イラクで罪のない人々を殺すのに使われないようにするのがボクらの義務だ。この戦争は違法で道義的に受け入れられない。」爆撃機に達する前に逮捕された「B52 Two 」は平和のための彼らの行動をたっぷり説明する責任能力がある。武装解除(軍備縮小)と「警告:この飛行機は地上に釘付け(飛び立てない)」の標示を終えた彼らに注意を惹き付けるために二人はホイッスルと懐中電灯を所持した。飛行機の胴体に襲いかかるのにハンマーと、エンジンを不能にするのにボルトとナットとペンキを所持した。基地の外辺部のフェンスに「コラテラルダメージ(付帯的損害)?」に分類され名称を付けられた湾岸戦争のイラク人犠牲者の写真を貼り、平和のポピーを植えた。
「B52 Two 」は2007年5月14日に裁判を受ける予定である。これは法律違反だといわれる2回目の公判、2006年10月の最初の裁判は評決することができない不一致陪審に終わった。
戦争マシーンを不能にするためフィリップやトビーや他にも人々がフェアフォード空軍基地に入ってから4年以上が経過している。イラク占領期間が続いていること、そして中東での最近のできごとで、戦争を遂行するパワーと同じくらい活発に平和を遂行することと、暴力の連鎖を断ち切ることが、もっと意味のある今日的なことになっている。
(フェアフォードの二人のウェブサイトより http://www.b52two.org/ )

写真は裁判で無罪を勝ち取った「フェアフォード空軍基地の二人」、フィリップとトビーです。