見つけた 犬としあわせ

こころがどきどきするもの見つけたとき、それを作品にしたり、思わずなにかの形にして人に伝えたくなります。 見つけたとき感じたしあわせ感覚がひとしずくでも誰かに伝わったら、ダブルでハッピーです。

2021/08/31

駐アフガン日本大使はどこにいる

 

画像は空港に移転して任務を続けるフランス大使館の様子

(ダヴィッド・マルティノン大使のツイートより)

日本の退避計画は「フランス、アメリカと調整せず 単独敢行」だったと西日本新聞は伝える。

東京新聞(29日朝刊)によると、日本は各国に大きく出遅れ、数百人規模を運ぶ「空前の作戦」(自衛隊幹部)は不発だった。防衛省関係者によると、省内で退避計画の検討が始まったのは首都カブールが陥落した15日前後。17日には大使館の日本人職員全員が英軍機でアフガンを出国した。“現地職員は退避させなくていいのか”との与党からの意見にスガ首相は「ほとんど関心がなかった」(政府関係者)という。


カブールの空港周辺はタリバンの厳しい検問で近づくのも難しく、自国民らを安全に移動させることが各国共通の課題だったとし、「大使館員がいち早く出国した日本と対照的だったのは韓国だ。いったんカタールに避難した大使館員が再び戻って対応した。アフガン人職員や家族ら約400人の移送に成功した」とある。また、米軍は地上を避け、ヘリで直接空港に運ぶ手段も取った。ロシアは市民権を持つアフガン人ら計約360人を軍用機で退避させた。「出国手続きを大使館で済ませ、タリバン兵に警備されたバス4台をタラップまで直接乗り付ける入念さだった」とある。


ところで、80年代に個人でヨーロッパを旅して回っていたとき、スペインに戻らなければならないのに途中でパスポートの期限が切れてしまい困っていた絵描きのカップルとパリで出会った。すこぶる評判は悪かったが、ふたりはパリの日本大使館に助けを求めに行った。「あなたたちのような無謀な旅行者は助けられない」と大使館員は言って、あきれることに「強行突破でもしてみたら」と言い放った。かねがね、日本の大使館はフリーの旅人には手を指しのべようとしないところだとは思っていたが。そうか、こういう外交手腕が問われる世界的な危機においても、仕事を放り出してさっさと逃げ出しちゃうんだな。

ところで、駐アフガン・イギリス大使やフランス大使のことはわかったけれど、駐アフガン日本大使ってどなたなんですか。


アフガンの日本大使館で働いた現地職員、JICAなど国際機関で働く日本人とアフガン人、そしてその家族を残して、日本の大使館員12人全員は17日にイギリスの軍用機でドバイに脱出した。フランスはどうかと言うと、大使館員と軍人は最後の脱出となっている。下記、フランス在住の今井佐緒里さんが伝えている。



◇フランスは今日、自国民とアフガン関係者全員の避難を完了予定。どのように退避を行ったか。日本との違い。

2021年8月27日 今井佐緒里


フランスのジャン・カステックス首相は27日でアフガニスタンからの避難はすべて完了すると、8月26日の朝に述べた。

「フランス人、なんらかの形で軍に貢献したアフガニスタン人と家族、芸術家、ジャーナリスト、約2500人を送還しました」と首相はRTLのインタビューで答えた。「明日27日の夕方からは避難をすることができなくなります」ともいう。

最後の脱出時間は、大使館員と軍人の出発に使われる。

自国民、ならびに退避を希望するアフガニスタン人と外国人関係者、そしてその家族は木曜日の夜、または金曜日まで行われる。

その数時間後、最後まで残って仕事をしていた大使館員と彼らを守っていた軍人が避難して、フランスのアフガニスタンでの退避は終わると、政府筋がAFP通信に語った。

多くのフランス人が7月にすでに退避。

つい先日までフランスの外交官は「26日夕方までには退避は完了する予定だ」と答えていた。それが半日から1日延びたのはテロ情報のせいに違いない。

25日から26日にかけての夜、アメリカ、オーストラリア、イギリスから空港周辺での「非常に高いテロ攻撃」の脅威が報告された。この3カ国は自国民にその場を離れ、さらなる指示を待つように勧告した。

そして25日の朝早くから、フランス軍らはカブール空港のアビーゲートを守っていると在アフガニスタンのダヴィッド・マルティノン仏大使はツイートしていた。

そして実際に26日の夜にテロは起きた。

カブール空港は滑走路をはさんで片側は軍事ゾーン、もう片側は市民ゾーンになっている。爆発は2回起きた。1回は市民ゾーン側にあるアビーゲートの外、もう1回はこのゲートの近くにあるホテル(近辺)である。

テロが起こるとしたらどの場所かまで事前情報は把握していたに違いない。


フランスと日本の行動


それでは、フランスはどのように任務を完遂しようとしていたのか。在アフガニスタンの仏大使、ダヴィッド・マルティノン氏のツイートで大体のことは判明した。以下、日本の行動とともに、時間を追って説明する。

◎8月16日

フランス大使館員が、カブール空港に大使館の仕事を移す。

◎8月17日夜

フランス大使館に避難させていた自国民やアフガニスタン人・外国人関係者とその家族が、仏警察の護衛のもと、車で大挙して大使館を出る。どこに行ったかは不明だが、空港に連れて行った可能性もあるかもしれない。

◎8月22日

フランスへの移送が、最低でも2回報告されている。

◎8月23日

フランス軍が、アメリカ軍と共に、カブールのEU代表部(大使館に相当)のスタッフや家族の退避を担当。

▲日本は防衛大臣が在外邦人等の輸送を命令

◎8月25日

カブール空港のアビーゲートで、フランス軍と仏大使館を警護する警官たちが退避しようと集まっているアフガニスタン人を朝6時から助けていると報告。テロに気をつけろという情報がもたらされる。

▲日本はC2輸送機1機がカブール空港に到着。退避を希望する人が空港にいればイスラマバードまで輸送する予定だった。

しかし、彼らは自力で空港に到着しなくてはならず、到着できないため、25日は輸送は行われなかった。

また、この日の夜には、C130輸送機2機が隣国パキスタンのイスラマバードに到着した。そのまま待機していると思われる。

◎8月26日

夜、アビーゲートと近くのホテル(近辺)で、テロが起きる。

◎8月27日

フランス、予定より半日から1日遅れて、全員避難、任務終了の予定。


日本が助けるべき人たちは、いま


情報が錯綜しているが、日本大使館で働く12人の日本人は、すでに17日英国機でアラブ首長国連邦のドバイに脱出しているという。残っている日本人は、国際機関で働く「若干名」ということだ。

今問題になっているのは、この「若干名」に加えて、大使館と国際協力機構(JICA)の現地アフガニスタン人スタッフのこと。その家族も含めると計数百人規模とのことだ。

でも、退避を希望するスタッフらは自力で空港まで移動する必要があり、実際に空港までたどりつけるかが課題となっているのだ。


成功した韓国、そして第2弾の国連


日本は初めてだから仕方がないと思うのだろうか。

しかし、韓国は韓国政府に協力して働いていた現地人とその家族391人を無事にカブールから脱出させることに成功した。

韓国の報道によると、22日に米国政府は友好国に「バスモデル」というものを提案した。米国が取引しているアフガニスタンのバス会社に協力者を乗せて、米軍とタリバンが一緒に守っている検問所を通過させようというものだ。

この米政府の提案が日本になされなかったとは考えにくい。

27日夜、NHK情報で「日本人やアフガニスタン人スタッフらを乗せたバスが26日に空港に向かったが、爆発が見えて引き返した」との報道があった。これは米政府が提案した「バスモデル」に思える。

なぜ韓国と異なり、このように遅くなったのか。テロの警戒情報は25日からあり、欧米ではメディアにより26日には一般人ですら知り得た情報なのに、なぜ26日に空港に向かったのか。日本政府に遅れた理由の説明を求めたい。

さらに、カステックス仏首相によると、「他のヨーロッパ諸国や国際社会、特にUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)と協力して管理する第2段階があり、これは将来アフガニスタンを離れる難民のことです」とのことである。


付録として、フランスがどのように任務を完遂しようとしているか、フランスの在アフガニスタン大使、ダヴィッド・マルティノンのツイートを引用して報告したい。


8月19日のツイート:

「アフガニスタンの友人たちへ:フランス大使館は空港に移転しました。外交団は数日前にワジール・アクバル・ハーンの敷地を出ました。したがって、そこではビザの手続きはできません。あなたの安全のために、すぐにそこから退避してください」

この内容は、英語とペルシャ語で発信された(ペルシャ語を解するアフガン人は多い)。

「おとといの夜(17日)、フランス警察が護衛して、カブールの安全地帯のフランス大使館から、保護を提供されていたフランス人、アフガニスタン人、外国人の家族を脱出させました。大使館の外交・領事団が彼らの面倒を空港で見続け、彼らは退避します」(続々と車が出てくる映像)


8月22日のツイート:

「01:30にカブール空港を離陸。空港に入ることができた163人のアフガンの友人たちは避難しました。さらに他の69人が04:30に続いて避難します。フランス大使館は、アフガニスタンの自由の戦士たちを守るための任務を続けています」


8月23日のツイート:

「今朝、フランスの特殊部隊が、アメリカ軍と連携して、カブールの欧州連合(EU)代表部のスタッフ260人を空港内に入れることができました。搭乗前にフランス大使館の待機ゾーンに迎えられました。ブラボー、EU」


8月25日のツイート:

「今朝のアビー・ゲート。フランス大使館の警察官(RAIDオペレーターと外交官の警備員)と、特殊空挺部隊ナンバー10の軍人が、アフガニスタン人の避難を続けようとして、朝6時から現地にいます」


8月26日のツイート:

「私たちのすべてのアフガニスタンの友人たちへ:空港のゲート付近にいる方は、大至急離れて、安全を確保してください。2回目の爆発の可能性もあります」とフランス語で発信。


8月26日から27日に日付が変わるころのツイート:

「犠牲者に思いをはせます。私たちの近しい人たちへ:今日、フランスの兵士、警官、外交官はだれもアビー・ゲートで働いていませんでした」。爆発があったものの、無事を報告。


https://news.yahoo.co.jp/byline/saorii/20210827-00255196


BBCによると、イギリスの駐アフガニスタン大使、サー・ローリー・ブリストウは29日午前、イギリス人を乗せてアフガニスタンを離れる最後の便のひとつで帰国した。イギリス政府は28日、アフガニスタンからの退避支援作戦を終え、英軍をはじめ全ての英政府関係者もアフガニスタンから出国したことを明らかにした。


https://www.bbc.com/japanese/58380729

2021/08/28

カブールから撤退

 


写真は死んじゃったチャーリー・ワッツ

彼がステージ裏で踊ってる動画 見たことありますか

クールなイメージとは異なり 子どもみたいでかわいかった

報道組織はどんな状態でアフガンの同僚がカブールから逃げるのを助けたか


ニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストのような報道の発表の場のために働いた人々の避難はペンタゴン(国防総省)からカタールまでに広がる世界的な救助活動のあとに起こった。

New York Times Aug. 19, 2021


何時間も彼らは容赦ない暑さのなか、子どもやスーツケース、ベビーカーを引っ張って空港のエプロンで待った、そして手に入らない自由への飛行を願った。料理人、庭師、通訳、運転手、ジャーナリストなど、あらゆる活動領域の200人以上のアフガニスタン人がカブール空港の滑走路に集まり、政府が衝撃的な速さで崩壊した国からの脱出を得ようとした。


タリバン戦闘員が混雑した空港に押し寄せたとき、集団(ニューヨーク・タイムズ、ウォールストリート・ジャーナル、ワシントン・ポストの地元従業員とその身内)は発砲を耳にした。彼らは急いで四散し、結局、だいじょうぶでなかった家に戻った。


この集団のかなりの仲間がアフガニスタンからの輸送を確保できるようになるまでに数日かかるだろう。アメリカのニュース編集室からペンタゴンの本部、カタールのドーハの王族の宮殿までに広がる世界的な救助活動のあとに起こった敵中からの脱出である。あらかじめ避難させられていたがアフガンの同僚を手伝うために軍用機に戻った元海兵隊員、タイムズの特派員は脱出の手はずを助けるために空港内にとどまった。


集団の苦しい体験は、アフガニスタンで先週を通して使い切った多くの試練のひとつだった。何年も西側のジャーナリストと共に働き、彼らの国の苦難について情報を世界に知らせてきた市民が、今ではタリバンの支配をうけて自分の身の安全と家族の身の安全を危ぶんだ。世界中の報道の発表の場が、このように容赦なく、このようにあっけなく展開するとは誰も予測しなかった状況から従業員を助けて脱出させるように高位の外交官と現場の交渉のまとめ役に呼びかけている。


近日アフガニスタンの状況が悪化したとき、タイムズ、ジャーナル、ポストの新聞社主は撤退行動に向かって団結した。警備員と編集者は朝の電話で情報を共有した。新聞社主はアフガンの同僚の輸送を助けて容易にさせるようバイデン政権に呼びかけ、結果としてホワイトハウス、ペンタゴン、国務省の当局者との話し合いが起こった。日曜までに局は閉鎖され、カブールの街路は大混乱が増していた。アメリカ軍、請負業者、警備隊が国を離れるにつれ、ニュース編集室の職員は現場の状況をだんだん確認できなくなった。一部のアフガン人従業員は、タリバン兵が一軒一軒やってきてアメリカの報道の発表の場と仕事していたとわかるジャーナリストを脅迫したり、誘拐したりすることを恐れた。


アメリカ軍はカブールの中心地からわずか数キロのところにあるハミド・カルザイ国際空港の一部を護り安全にしていたが、そこに達してターミナルへの進入路に進むことはほぼ不可能になった。


日曜、従業員とその身内を含む3紙に関係する200人以上の集団がアメリカ軍と接触を始められればと期待して空港エプロンに進んだ。彼らはそれどころか、保護を求める他の恐怖に怯えたアフガン人で大混乱の場面に出くわした。


ニューヨークとワシントンに戻り、新聞の指導者らはアフガニスタンに大使館のある国々の外交仲介者に援助を求め、従業員の安全な避難所と輸送に繋がりうる手がかりを入手しようと努めた。「失敗かまたはばらばらに壊れるか、いずれにしても多くの計画と多くの奮闘があった」とタイムズ誌のインターナショナル編集長の助手であるマイケル・スラックマン(Michael Slackman)は言った。「夜に計画を立てると2時間後には現場の状況が変わっている。」


話し合いの要点をかいつまんで話す3人によると、元国務長官のヒラリー・クリントンがチャーター便の数席をアフガン人従業員に提供したとき1つの選択肢が出てきた。ヒラリーのチームは危険にさらされているアフガンの女性たちを助けるためになんとかチャーター機を手配しようと動いていた。最後には従業員たちは飛び立たないことになった。


火曜日、ワシントン・ポストの13人(2人のアフガン人従業員とその家族、そして1人のアメリカ人特派員)は、「異なる活動領域(立場)で調整する多くの人々」の助けを借りて、カタール行きのアメリカ軍輸送機で飛び立つことができた。ポストの新聞社主フレッド・ライアンはアメリカの国家安全保障顧問ジェイク・サリバン(Jake Sullivan)に支援を求めてEメールを送っていた。


ウォール・ストリート・ジャーナルの3人の特派員は火曜日に国を離れていた、そして新聞は十数人のアフガン人従業員の避難に取り組み続けていた。木曜にスポークスマンは「3人には前向きな進展があり、わたしたちの同僚は安全な輸送に近づいている」と述べた。


アフガニスタンとアメリカ合衆国の双方と結び付きがある国、カタールの政府が支援に同意したとき、タイムズの128人の集団に突破口が訪れた。カタールはアメリカ軍基地の本拠であり、カブールに大使館もある上、タリバン指導者と交友関係がある。


ニューヨーク・タイムズの社主A.G. Sulzbergerは、カタール政府に対して新聞社は「深く感謝している」と述べた。カタール政府は「アフガン人の同僚とその家族が無事に来られることで計り知れぬほど貴重でした。」


「同僚の苦境に個人的な関心を持ってくれた多くのアメリカ政府高官と国からの脱出を助けてくれたカブールの軍人にも感謝している」とSulzberger氏は声明で述べた。「今もなおその国のなかで危険にさらされる多くの勇気あるアフガン人ジャーナリストのために国際社会が働き続ける必要性をわたしたちは強く主張します。」


ニュースの発表の場は、ある場合には雇用が数十年前にさかのぼるアフガン人の支援に集中するものとなる。中にはカブール外の都市に閉じ込められ、空港まで進むことができないかまたはタリバンの検問所を通過できないでいる人たちもいる。タリバン兵がさまざまなゲートを封鎖しているため、カブール空港自体は国外への飛行を求めるアフガン人が波のように殺到したままだ。


木曜は夜通し、タイムズの従業員とその身内が新たに空港に進もうと試みた。最初はタリバンの検問所であふれんばかりの群衆と警備員によって引き返したが、集団はついに出入り自由の進入通路を見つけた。


この集団はタイムズ紙の在外特派員Mujib MashalとThomas Gibbons-Neffの二人組みに手助けされた。Neff氏は元海兵隊員で最初はアメリカ人避難者の一巡目でカブールを出発していた。だが、彼は後に軍用機でカブールに戻ってアメリカ軍が占拠する空港のウイングにとどまり、そこで同僚たちにいつどのように取り掛かるかについて助言した。


「ワシントンとカブールの双方の国務省官僚は、記者、従業員、系列会社を安全に連れてくるための取り組みについてアメリカを拠点とするメディア組織と絶えず24時間体制で連絡を取り合っている」と木曜、国務省は声明のなかで述べた。「それはわたしたちの優先事項であり、わたしたちは今日のニュースを歓迎する」と。


ニュースの発表の場にとって次なる手段は不確かだ。カブールに残っている英語を話す特派員にとって今なお展開している記事(ニュース)を報道することはさらに危険が増していた。


木曜日にロサンゼルスタイムズの報道写真家Marcus Yamと別のアメリカのニュースの発表の場の写真家が、撮影したどんな画像もカメラから消去せよと迫ったタリバン戦闘員によって打ちのめされた。写真家は英語を話す戦闘員が彼らが西側メディアのために働くことを十分に理解して釈放するまで、20分間拘留された。


一部の放送ジャーナリストは今は装甲車の代わりに人目につかないタクシーを頼みにする。せんさくや不必要な注目を避けるほうがよい。タリバンが政権を手にしたあと、CNNのクラリッサ・ワードは街路でアフガン人と話し続けるために床まで届くアバヤに着替えた。CBSニュースのRoxana Saberiは公の場で自由にインタビューを行うことが難しくなりすぎたとしてズームに切り替えた。


遠く離れて報告するほうがまったく報告しないよりましかもしれないが、報道の権利を擁護する団体はタリバンの断固たる措置が国の内部でなにが起こっているかを知ることから世界を遠ざけると心配している。「地元のことを知っているアフガン人ジャーナリストの情報はとって替えられない」とジャーナリスト保護委員会事務局長のジョエル・サイモンは声明で語った。


ある通信社がアフガニスタンでスタッフを増やしている。カタールを拠点とする報道機関で24時間放送のTVネットワーク、アルジャジーラだ。


アルジャジーラの編集長モハメド・モアワド(Mohamed Moawad)は、今週、彼の特派員はアフガニスタンでほとんど制約なく動くことができ、ドーハや近隣諸国から移動する者を含め、さらに多くの記者を派遣したと述べた。


「今まさにアフガニスタンに集中させることは、タリバンが公開して率直に言った言質について彼らに責任を負わせることで、アフガニスタンの人々にとって生きるか死ぬかにかかわり、極めて重要である」と彼は言った。


だが、モアワド氏は、状況が悪化して彼らのアフガン人の同僚といっしょに外国のジャーナリストがもはや安全でないと感じるとき、アフガニスタンの世界的な報道は姿を消すかもしれないと懸念を表明した。「だいじょうぶ、きっと報道は続く、手段を講じないといけない」と彼は言った。


https://www.nytimes.com/2021/08/19/business/afghanistan-news.html

 

2021/08/17

パティ・スミスの M Train

 


今朝はベルベットの“Sunday Morning”を聴いて
ルー・リードがこの世を去った瞬間についてローリー・アンダーソンが語っていたことに思いを馳せました

「彼は日曜の朝、木立を見つめつつ、ミュージシャンの手を宙で動かし太極拳の有名な21形式を行いながら、息を引き取りました」

「ルー・リードはファイターだった」とも

ついこのあいだヘブンに旅立ったわたしの友人も気合の入った「ファイター」でした 
仕事もそうだけど、遊び方がしゃれていた…


下記は、そんな朝に目についた記事です


◇パティ・スミスの特に好きなもの

伝説のミュージシャンであり作家である彼女がいくつか寵愛するものについて話します


ウォールストリートジャーナル Aug. 1, 2016 by Patti Smith


「それはポラロイド・ランド250。ハリケーン・サンディの直前にロッカウェイビーチで同類のカメラをなくしたの。わたしは60年代から断続的に写真を撮ってきているけど、夫が亡くなった後、1990年代半ばにいっそう多くの写真を撮り始めた。左端に1927年マーティン・パーラーギターがある。わたしたちのバンドで数年間演奏した詩人のオリバー・レイからもらったものよ。1967年、わたしの21歳の誕生日にロバート・メイプルソープがタンバリンを作ってくれた。山羊の革をピンと伸ばしリボンを結んで山羊座のシンボルを入れ墨してある。リボンは色あせているけど、今でもとてもしっかりしている。手描きの木箱の上でくつろぎを得ている。木箱はね、娘が亡き父との結婚30年の記念日にわたしにくれたもの。わたしは留めておくものを替えるの。ちょうど今は他のものにまじってロバートの鉛筆削りや夫のギターカポ、小さな川石などがある。老眼鏡はわたしにとってとても貴重よ、本はわたしの人生の中心で、メガネなしには読むことができなかった!これはÉtienne Carjatが撮影したシャルル・ボードレールの珍しい名刺代わりの写真(carte-de-visite)、わたしがパリで買ったの。わたしの朗読またはレクチャーの報酬の一部または全部をなにかを買うことに費やすのが好き。父の誕生日のためにロンドンのチャールズ・ディケンズの家で磁器のコーヒーカップを買った。父はイギリス人だったので大事にしてくれた。それは死ぬまで彼のコーヒーカップだったのよ。鉛筆はスペインに住んでいるわたしの友人からの贈り物です。鉛筆は作家の最も謙虚な道具。わたしは最初ぜんぶ手書き文字で書くの。この本はジェームズ・ジョイスが緑色のインクでサインしたフィネガンズ・ウェイクの初版よ。ほとんど読めないけどオブジェクトとしてそれは美しい。真ん中のチェーンは1978年の誕生日にわたしが兄のトッドにあげたIDブレスレット。トッドはね、巡業中のわたしのツアーマネージャーだった。わたしたちには ‘Because the Night’のヒットソングがあって、祝うべきすべてを象徴するために彼にそれを買った。これら全部がそれぞれ記憶のすべて。どれもみな誰かのことを物語る。」


パティ・スミスの回想録“M Train”は、8月23日にペーパーバックで出版される。


https://www.wsj.com/articles/patti-smiths-favorite-things-1470069472


△日本では2020年11月24日に河出書房新社から「Mトレイン」として翻訳本が出版されている。現在、オンライン書店で購入可能。

ニューヨークのパンクシーンでデビューした彼女は“パンクの女王”として知られており、写真家メイプルソープとの出会いと別れ、カウンターカルチャーの天才たち、Wバロウズ、ギンズバーグとの交流を描いた初のエッセイ「ジャスト・キッズ」(2012年12月発売)は全米図書賞ノンフィクション部門を受賞している。

2021/08/12

メッシが PARIS へ

 


メッシがバルサからいなくなる!えーーっ困った!

パリサンジェルマンに行ったら、現状の契約ではTVで見れない


「私の全ての人生はここにある。とてもつらい。まだ心の準備ができていない」

20年以上をともにしてきたチームとの望まぬ別れをすることになったメッシ 
会見でこらえきれず涙を流しました(写真)


◇メッシの年俸が“サラリーキャップ制”でバルサの重荷に

なぜバルサからパリへ(日刊スポーツ)


メッシはバルセロナと新契約で合意したもののリーグの財務規定により認められず、5日に退団が発表されていた。ここで問題とされたのが、スペインリーグが導入している「サラリーキャップ制度」とみられる。このサラリーキャップ制とは、トップチームの予算は年間収入から諸経費を差し引いた額以内に制限されるというもの。コロナ禍で大幅に経営が悪化したバルサは、半減に納得したというメッシの年俸が重荷になった。


一方でパリSGも、無限にお金が使えるわけではない。欧州連盟(UEFA)は2014年にファイナンシャル・フェアプレー(FFP)を正式導入している。移籍金、人件費は制限され、違反すれば罰則がある。ただ、コロナ禍で多くのクラブが等しく大幅な経営的打撃を受けた現状では有名無実化しているともいわれる。もともとパリSGはカタールの王族、ナセル・アルケライフィ会長の就任以降、カタールの政府系投資会社を通じクラブを実質的に経営しており、他のクラブとは経営的基盤、その手法が大きく違う。さらに、同会長はUEFAの幹部の1人でもある。


https://news.yahoo.co.jp/articles/f900d22d2f7be5cb8d7abb2460df19a906e227b3



◇自宅療養中の死者数、厚労省「把握していない」

朝日新聞 2021年8月10日

https://www.asahi.com/articles/ASP8B6S34P8BUTFK01K.html


これには卒倒した!

毎日発表される死者数に自宅療養中の死はカウントされてないってこと

スガは「死者数が減った」と繰り返し述べていたが、自宅療養を基本にしたら、災害時だと言って切り捨てられたわたしたち国民は死んでも数にもならない

2021/08/05

五輪に夢中


だれが倉持先生を批判できますか? よくぞ言ってくれました!


「レムデシビルや抗体カクテル療法の薬も数が足りないので入院でしか使うなと厚労相から通達が出ている。」


軽症者は自宅で休んでいろ!という国民への通達は、そもそも軽症者で使ってはじめて効果のある抗体カクテルなどは普通の人には使えないんだという政府のメッセージに聞こえる


◇3日夕に放送されたTBS系報道番組「Nスタ」で、インターパーク倉持呼吸器内科院長の倉持仁氏が、菅義偉首相と小池百合子都知事に「2人とも至急お辞めになった方がいい」と怒りの発言をし、「倉持先生」がツイッターのトレンド1位にランクインした。


コロナ患者の入院対象を重症者らに限定し、重症化リスクが低い中等症患者は自宅療養とするという政府の方針転換を受け、コロナ治療の最前線にいる立場から「言っていることがめちゃくちゃ」と語った。


倉持医師は、「中等症2とかで治療に介入していてはもう間に合わない。より早い段階で治療に介入しなければいけないので抗体カクテル療法を承認したはず。その治療は軽症者のうちにしなければならないが、入院しなければ薬は使えない。言っていることがめちゃくちゃです。」


菅首相、小池都知事について「この2人がおっしゃっていることというのは国民にまっとうな医療体制を供給しませんよというメッセージだと思う。こういう人たちに国を任せては国民の命は守れませんから、2人とも至急お辞めになった方がいい。」この直言に星浩スペシャルコメンテーターは驚いた表情で固まり、キャスターのホラン千秋も「あの…」と一瞬沈黙した。


ホランが自宅療養への不安について質問をすると、倉持医師は「デルタ株はより手ごわくなっているのに、酸素飽和度の(機器)だけ渡して1年半もたっているのに、こんなことを言っているというのが医療現場からすると信じられないですし、まっとうじゃない」と語った。


現場の声として「医療現場に治療薬を早く渡していただきたい」とし、「ぜひ自宅でも外来でも治療できるような体制を至急構築することで重症化せずに、『普通の軽い病気だったね』と初めてなる。」また「レムデシビルや抗体カクテル療法の薬も数が足りないので入院でしか使うなと厚労相から通達が出ている。外来にたくさん患者さんが来ていて、早く使ってあげたいがそれができないので非常に困っている」と訴えた。

(日刊スポーツ)



◇7月31日、自民党の河村元官房長官が東京五輪で「日本の代表選手が活躍すれば秋までにある衆議院選に向けて政権与党に力となる」と述べた。

「五輪をやっていなくてもコロナが増えていたと思う」と主張し、「五輪がなかったら、国民の不満はどんどんわれわれ政権が相手となる。厳しい選挙を戦わないといけなくなる」とも語った。(共同通信)


一方、オリンピック村では7月以来一日の感染者が最高27件で合計220件となりました

2件は選手村に滞在していた選手と大会関係者です


◇日本の首相は東京オリンピックと急増する感染症とに関連性はないという

共同通信ニュース Jul 30, 2021


日本の首相 菅義偉は金曜日、東京都で急増するCOVID-19の感染と開催中の東京オリンピックに関連性はないと述べ、競技のために訪日する選手やスタッフからの感染拡大を防ぐにあたり適切な対策が講じられていると強調した。


「これらの措置を徹底的に実施しているので、(オリンピックが)感染の急増の原因だとは思わない」と、彼は現在の非常事態宣言を東京を超えて拡大することに決めた後、記者会見で述べた。


高度に人から人にうつりやすいウイルスのデルタ変異株は東京や他の幾つかの地域で毎日のCOVID-19の患者を記録的な高い数字に突き動かしている。


組織委員会によると、感染したアスリートのひとりはアメリカの陸上競技チームに所属している。2度の世界チャンピオン、棒高跳びのサム・ケンドリクスは木曜にCOVID-19の検査で陽性とわかったあと、競技から撤退した。


組織委員会によると、3人の選手の他に検査で陽性となったのは、15人の請負業者、4人の競技関連職員、4人のボラティア、1人のメディア社員。


委員会の数値には、日本の政府や地方自治体が発表した数値は含まれていない。


水曜日の時点で、海外から3万9853人が競技に参加するため日本に到着しているとのことである。


https://english.kyodonews.net/news/2021/07/0ea07500ca16-breaking-news-tokyo-olympics-see-27-more-covid-19-cases-highest-daily-count.html