見つけた 犬としあわせ

こころがどきどきするもの見つけたとき、それを作品にしたり、思わずなにかの形にして人に伝えたくなります。 見つけたとき感じたしあわせ感覚がひとしずくでも誰かに伝わったら、ダブルでハッピーです。

2015/12/31

ボクサー犬のクローン誕生

写真はディラン(ボクサー犬)が元気な頃のハッピーなウエストヨークシャーのカップル
◇イギリス人カップルがクローンとして発生させる二匹の子犬の誕生に大喜びする

韓国のクローン(遺伝的にまったく同じ生物を得る技術)会社に6万7000ポンド払ったあと、ローラとリチャードは28日の朝、二匹の犬の誕生のニュースを受け取った

今年6月に脳腫瘍で亡くなった最愛のペット、ボクサー犬ディランのDNAを用いてクローンを誕生させるためにウエストヨークシャー出身のイギリス人カップル、リチャードとローラは6万7000ポンド支払った。

6月に二人はディランのDNAが入る組織サンプルを提供した、そして代理母の犬に二匹の妊娠が確認されたとのニュースを先月受け取ったとき、二人はわくわくした。

チャンスとシャドーと名づけられる子犬は二匹とも健康で、授乳して二匹の面倒を見ている母犬たちとの緊密な情緒的関係を確立している。どちらの子犬もディランとうりふたつの模様を身につける。

ボクサーの子犬たちは、死後ほぼ二週間の犬からクローンとして発生したという、科学的な後世に残るほどのことをした。犬のクローニングの以前の限度は死後5日だった。

ボクサー犬が8歳で亡くなったあと、ローラ(29歳)とリチャード(43歳)のカップルは悲しみに打ちひしがれていた。カップルはディランのクロ−ンをつくってみることに決め、問題の多いSooamバイオテック研究財団の尽力を取りつけた。そこは処置あたり10万ドル(6万7000ポンド)で商用の犬クローニングの便宜を提供する。世界で唯一のその種の研究所だ。カップルは「ミラクル(驚異)」と誕生を歓迎した。

帝王切開に立ち会ったカップルは言った。「オスの子犬を取りだしたあとも、まだわたしは起こったことがまるっきり信じられなかった。でもその子が騒ぎ立てはじめたら、これは現実だとわかった。誕生してわずか数分の子犬でも、どれほどディランに似ているか、夢みたい。その子のボディの色つけとパターンはすべてまさしくディランと同じ場所にある。」

カップルは二匹の隔離期間が終わる7月に両方の子犬をわが家に連れてくるつもりだ。二人はまた二匹の代理母の犬もイギリスに連れて戻るつもりで、代理母の犬を養子にしたいと思っている。

犬のクローニングで世界を先導する研究所、Sooamは商売上の顧客のために700匹以上の犬を生産している。

サンプルが死後12日のディランから取り出されたので二匹のクローンで発生した犬の誕生は研究所にとって興奮させられたとSooamの科学者デイヴィッド・キムは言った。「これは、細胞が非常に長い時間の後に亡くなった犬から取られた我々の最初のケースです。うまくいけば、我々がクローニングのために細胞を取り出すことができる死後の時間を延ばすのを可能にしてくれると期待されます」と彼は述べた。

人間のクローニングは違法だが、ペットのクローニングについて規制はない。そして8月、欧州議会は家畜のクローニングを非合法化することを可決した。

RSPCA(英国動物虐待防止協会)は犬のクローニングについて懸念を表明した。スポークスマンは言っている。「動物に対するクローン技術の適用に関して重大な倫理および健康な生活での懸念がある。極度に高い失敗や死亡率を伴う動物をクローンとして発生させることは痛みと苦悩を引き起こす手順を必要とする。クローンで発生した動物がたびたび腫瘍や肺炎や異常な成長パターンといった病気に罹るという多量な証拠もある。」

http://www.theguardian.com/science/2015/dec/28/second-cloned-puppy-birth-british-couple-overjoyed?CMP=twt_gu
ボクサー犬のディラン、彼のDNAからクロ−ンの子犬が二匹誕生

2015/12/25

ブルークリスマス

ルーファス・ウェインライトとルー・リードのブルークリスマス!
ルーファス・ウェインライトのコートがキュートだね!



ニューヨークのニッティングファクトリでブルークリスマスを歌うルー・リード
(2013/10/29 公開)
ケイトとアナ・Mc GarrigleのDVDのためのレコーディングのスペシャルゲスト
ルー・リードと一緒に歌うのはルーファス・ウェインライトとマーサ・ウェインライト、Mc Garrigleシスターズ、そしてローリー・アンダーソン、Chaim Tannebaum、Joel Zifkin

2015/12/23

ハッピークリスマス!

占星学的に言うと来年は暗い年になるらしい
これを目にした誰かさんに、”クリスマス”プレゼント!
ヘッズが一番最初に録音したサイコキラー

デイヴィッド・バーン、ティナ・ウェイマス、クリス・フランツの3人だけの1975年CBSデモテープ、ジェリー・ハリソンはまだ加わっていなかった。

Talking Heads - Psycho Killer (1975 CBS Demos)



http://www.openculture.com/2014/06/hear-the-earliest-known-talking-heads-recordings-1975.html

ハッピークリスマス!

2015/12/05

"ずんぐりした頭の犬"禁止

写真:この100人の人たちはアメリカの黒人の金を全部あわせたより大金持ち

◇火事の間、負傷して倒れた飼い主のかたわらにいたピット・ブルが町から追い出されるめにあっている
ハフィントンポスト紙
“これがアメリカであってはなりません”

彼らの家が火事で燃えている間、負傷した飼い主のかたわらにいたピット・ブル(メス)が現在、家を失っています。火事のためではなく、ピット・ブルが郡に住むのを禁じる法律のためにです。

(12月)2日水曜早くに起こった火事は、メリーランド州ランドオーバーヒルズの家でした。長年にわたりあしざまに言われる、”ずんぐりした頭の犬禁止令”があるプリンス・ジョージ郡にそれはあります。

犬をどかせば、もしかして飼い主が燃えている家から救われるために犬に向かって消火器が投げられた後も犬は静かなままだったと消防士がNBC系列の地元の局に話しました。

ラット・テリアとピット・ブルの子犬といっしょに動物取締りによって運び出されるまで、その犬は外でずっとそばにくっついて放れませんでした。

二人(名前が明らかにされていない女性とその父親)がけがをしました。NBCによると、両者は回復するものと思われます。

しかしながら、プリンス・ジョージ郡の飼育禁止令のため、二匹のピット・ブルは「郡外に出されないといけない」とプリンス・ジョージ郡動物部門便宜協会の管理者ロドニー・テイラーはハフィントン・ポスト紙に告げました。

別名、その種特有の法律(BSL)として知られるピット・ブル禁止令は、アメリカ獣医医学会、アメリカ法曹協会、アメリカ動物愛護協会、疾病管理予防センターやホワイトハウスによって非難されてきました。

通常、市または郡のレベルで法律にされるこれらの禁止令は、家族にとって不適当、市民的自由にとって問題を含む、そして公共の安全度を高めることなしに法律を守らせるには高すぎるとして非難されます。

従って正当な理由でBSLは終わりに近づいています。1月にユタ州はある場所がその種特有の法律(BSL)を制定するまたは守らせることを禁ずる19番目の州になりました。国のあちこちの都市もまた、ピット・ブル条例を廃止してきています。ごく最近はカンザス州のサウスハッチンソン、オハイオ州のヤングスタウンです。

5月にさかのぼって、家庭内暴力から飼い主を救うためだとされる犬がその後、町から追放されたあと、世間の抗議の結果としてミシガン州ヘイゼルパークはピット・ブル禁止令を取り除きました。

なお、犬弁護コミュニティの者たちはこの家族のとんでもない損失がプリンス・ジョージ郡のピット・ブル禁止令の終焉に拍車をかけることを期待するとメリーランド犬連盟の専務取締役エイドリアン・レフコウイッツはハフィントンポスト紙に話しました。

「この犬たちが愛し愛される人々のもとに戻れないので、この家族のために私たちは胸の張り裂ける思いをさせられます。アメリカであってはならないこと」と、彼女は言いました。

最新版:郡外のその種特有の法律(BSL)のないエリアで、犬たちは家族といっしょに暮らすことになるとプリンス・ジョージ郡広報官がハフィントンポスト紙に話す。

http://www.huffingtonpost.com/entry/pit-bull-injured-owner-fire_565f41e0e4b079b2818cdd5f?cps=gravity_2426_2247834497559899241

2015/12/04

ISISスパイに接触

◇ISISスパイの告白 
The Daily Beast 15 November 2015

彼は、みずから宣言したIS(Islamic State)に加わってジハード戦士の歩兵を訓練し、フランス人の二人組を含む外国人工作員を仕込んだ。ところで、アブ・カリド(Abu Khaled)は、いつでも喜んで話すと言う。

すっかりISISに留意するにもかかわらず、内部の仕組みについては、ほとんど知られていない。だが、ISとやらの保安部門のメンバーだと主張している男が内部の光景を提供すると申し出た。このシリーズはこのISISスパイとのインタビューからなる特筆すべき日に準拠する。

パート1:イスタンブールで面会

イスタンブール 納得させるのに時間はかかったが、私たちがアブ・カリドと呼ぶ男は、ついに身の上話を語ることになった。私たちがこの前、シリア革命の初期のもっと期待される日に互いに遭遇してから、あきあきするほど長い間のスカイプとWhatsAppによる議論がまずまずの彼の伝記を固めた。彼がISとやらの軍隊に加わり、イスラム国保安部門Amn al-Dawlaに勤務した時から、ジハード戦士の歩兵と外国人工作員を訓練した。現在、彼を要注意人物にする離脱者としてISISを出たと彼は言った。だが、彼はシリアを出たくなかった、そしてThe Daily Beastは世界の誘拐と斬首の中心地に私を行かせるつもりがなかった。かつて、ISISが出現する前、私はシリアの交戦地帯で彼を信用してもいいと思うほどよく彼に会った。しかしそれだけではない。二人が互いのまわりでもっとリラックスするようになったあと、彼が大胆にも「アメリカ人が身代金を払わないとは運がいいね」と言って必然的にISISの人質を取る問題が話題に上った。冗談だよと彼は言った。

彼が真実を語っているとすれば、実のところ誰が担当しているのか、彼らはどうやって行ったり来たりするのか、戦士と全住民の分類にどんな仕切りがあるのか、ISISが活動する方法について彼に並外れた粒状の情報があったことが私たちのデジタル活用からわかった。

シリア人の祖国の大きな帯状の土地を占領するISIS指導部に関して、実質上イラクや他の外国の精鋭集団の植民地風傲慢に等しかったと彼が言ったものを、アブ・カリドはじかに会得した。ひとりよがりの国の中で官僚機構の陳腐さや、ISISが人々を監視するためにまた互いに監視し合うために創設した多様な安全保障の異常な野蛮状態を彼は説明する立場にあった。彼はまた、少しも残虐行為やウルトラバイオレンスからひるまずに得意の絶頂にある全体主義カルトになぜそれだけ恩義を受けるままであるのか私に教えることができた。 

ISISの旗じるしのため、アブ・カリドは何百もの外国人補充兵と共に働いた、その幾人かは敵国の中に秘密のスパイの種をまくグループの奮闘の一部としてすでに彼らの故郷に戻っていった。

だが、アブ・カリドは戦いのさなかにあるアレッポ郊外に入手したばかりのアパートメントと妻を置いていきたくなかった。彼はこのトルコの港町への長い旅を危険覚悟でやってみたいと思わなかった。ISISを脱出して以降、ジハード戦士の元僚友と戦うために自分の78人の katibaまたは大隊を築き上げるのに忙しかったと彼は言った。

現代のトルコ史で最悪のテロ爆破が首都アンカラの通りでISIS工作員によって実行されたばかりだった、NATO加盟国で100人以上を殺害し、推定上のカリフの統治という中心核のイデオロギーの着想のひとつにさらにもう一度勢いをつけた。国境はすたれた、そしてISISはどこにいてもあなた方に近づくことができる、だれでも皆に知ってもらいたいということではあるが。アブ・カリドがまだISISのスパイで、新しい人質を集めるための作戦の一部だった可能性はいずれにせよあった。

私に本当のことを話しているなら、リスクはアブ・カリドにとってよほど大きかった。ISISは”不信心の国”の中までずっと彼を追跡してそこで彼を処罰するかもしれない。現実に10月末 Sanliurfaで斬首されたラッカ出身のシリア人活動家に対し、ISISはまさにそれをやった。そしてそこにはアブ・カリドが自分で訓練した、”敵の戦列に味方する”仕事口のためにシリアやイラクを出発したスパイがいた。

「保安部門に従事しているとき、すべてが支配される」と彼は私に告げた。「あなたはまったくISのなわばりを出ることができない。」すべて国境は彼が勤めた国の保安組織によって支配されたので、彼には特に厄介だっただろう。「オレがこの連中を訓練したんだ!ほとんどがオレのことを知っていた。」

「オレはイスラム教徒だった、そして今は(イスラム教徒からみた)異教徒だ。イスラム教徒から異教徒に、二度とイスラム教徒には戻れない。」支払う代価は死である。

このようなものすべてに説得力があるように聞こえたが、アブ・カリドがなんであれ確信を持ってわかったことをつかむために、私には何度も何度も彼に質問する機会を持つ必要があった。彼の判断のどのような矛盾についても尋ねられることを必要とした。私は彼のボディランゲージ、神経のたかぶり、イライラを見届ける必要があった。そしてそれは実物でしかできなかった。

結局、アブ・カリドは折れた。クルマとバスによるアレッポからイスタンブールまで行ってまた戻る750マイルの長旅をするために約1000ドル借りた。私たちは10月末に会った。そして長い三日間、ヨーロッパと中東のあいだの断絶上にある国際都市のカフェやレストランや大通りで、彼がタバコに次々と火をつけるときの煙のもや越しに、ビターなトルココーヒーをひとすすりし、私をまともに見る彼を私は観察した。そしてアブ・カリドは歌った。

「オーケー、生涯ずっとオレはイスラム教徒、でもイスラム法にのめりこんでないし、非常に信心深くはない」と彼は会話の早い時期に言った。「ある日、鏡の中の自分の顔を見たんだ。長いあごひげがあった。自分だとわからなかった。ピンク・フロイドのようだったよ。頭の中に誰かいるけどそれはオレじゃない。」

多くの回復中のジハード戦士には”脳障害”について完全な再現能力がない。だが、アブ・カリドは殉教を求める若く未熟な熱狂者ではなく、過去の軍事的鍛錬を含め、ISIS指導部が役立つと気づく天分の彼は教養のある多言語を話す中年のシリア国民である。

(中略)

彼の多くの同胞のように、彼はトルコ南部に拠点を置く5年間続いた戦争の大部分に時間をささげた。アメリカ主導の合同作戦Inherent Resolve(生来の不屈)が、ISISがその首都に保つ東部県ラッカへの空爆作戦行動を拡大して約一カ月後、2014年10月19日にISISの仲間に加わったと彼は言った。

アメリカは圧制者バシャル・アサドにずっと政権を握らせ続けるイランとロシアによって先導される世界的な陰謀の共犯者だと思ったのでアブ・カリドは仕方なく参加したという感じがした。アメリカがスンニ派とだけ戦争を行っていること、そしてほとんどあらゆる手段で大量殺人を犯したアラウィ派支配政権を放置してイランのシーア派軍がもとのままなのを他にどう解釈されればよかったのか?

またアブ・カリドは好奇心が強かった。「冒険も同然でそこに行った」と彼は言った。「どんな人がいるのか見たかった。正直に言って後悔しない。彼らを知りたかった。今では、彼らはオレの敵で、オレは彼らを非常によくわかっている。」

彼をISISの軍隊の中に入れる手順は入念に用意された。それがISISの支配下にあったとき、トルコとシリアの国境の町 Tal Abyadで、彼は検問所に近づいた。「どこに行くのか?と彼らはオレに聞いた。ラッカだと言った。彼らは理由を聞いた。ISISに加わりたいと言った。彼らはオレの荷物をチェックした。」

ラッカで一度だけ彼はすべてのシリア人が問い合わせしなければならなかったISIS行政ビルの名前、”ホムス大使館”に行かないといけなかった。彼はいわゆる”国境管理部”に移された後、そこで二日間過ごした。こういうことすべてが、もはや存在しないとISISが彼に教えた彼の国でのこと。

「カリフの統治の外で生きてきたので、彼らはオレを移民とみなした。」だからアブ・カリドは最初に市民権を与えられないといけなくて、アブ・ジャベルという名のイラク人によって行われる市民権面接に合格しないといけなかった。「なぜ、聖なる戦士になりたいと思うのか?」と彼は聞かれた。十字軍戦士・異教徒と戦うことについて彼はなにかおざなりのことを言ったのを思い出す。どうやらアブ・ジャベルの嗅覚試験に合格したらしい。

次の段階は教化だった:「オレは二週間イスラム法の法院に行った。授業を受けなければならない。彼らは人を憎む方法を教える。」アブ・カリドは笑って言った。非イスラム教徒はイスラム教信仰コミュニティの敵であるから死ななければならないとのISIS版のイスラム教を彼は教わった。「それは洗脳」と彼は言った。

この教化に責めを負うべき聖職者は外国出身の反知性主義の排外主義者の若造だった。「リビア出身の男がいたのを憶えている、彼はたぶん二十代中頃だろう。」そしてシリア人はだれでもどこにいたのか?

***

ISISとの最初の数週間に、アブ・カリドはドイツ人、オランダ人、フランス人、ベネズエラ人、トリニダード人、アメリカ人、ロシア人と知り合いになった。ISISの唱えるマントラが人びとに受け入れられるように、そして真正の信仰の管理者であると、”生き残って拡大する”ために、全員が新たに到着した。推測されるようにこのジハード戦士インタナショナルへの新規追加には会話体のアラビア語すらないので、多言語に通じたボランティア、例えばアブ・カリドは、特に評価された。彼は流暢なアラビア語、英語、そしてフランス語ができた、従って通訳としてすばやく押さえられた。「オレは2つのグループを受け持った。左にフランス人がいて、アラビア語からフランス語に翻訳していた、右にアメリカ人がいて、アラビア語から英語に翻訳していた。」と彼は言った。

アジテーションとプロパガンダの一部として、ISISはよくムジャへディーン(イスラム戦士)または外国の戦士を見せる、そして戻ることがないのをはっきりと表示しようとのもくろみで彼らのパスポートを儀式で燃やす。ブルージュであろうとバトンルージュであろうといずれにせよ彼らは、信仰と平和の世界、Dar al-Islamの住民になるために、戦争と堕落と不信心の世界、Dar al-Harbの国籍の一切を放棄した。だが、これは主として誇示のためだ。あらかじめ、ほとんどの新人が自分のパスポートを持ち続けるかまたは譲り渡すかどちらかだった。誰に譲り渡すのか?「人事管理部門」だとアブ・カリドは言った。

だが、比較的ゆったりする人事担当部局の方針が近日は変化した。かなりが巨大な損失の戦いに負けだしたとき、ISISはますます制限するようになり管理するようになる。

昨年クルド人の町コバニを得るための戦闘の前、カリフの統治には無敵のオーラがあった、そして救世主的な勝利の黒旗にくるまろうと世界中から人が殺到していた。だが、何ヶ月も続いたその戦闘で、アメリカの空軍力に支援されるクルド人民兵組織(クルド人民防衛部隊)はよく戦った。少なくともアブ・カリドが特徴を述べる限りでは、ISISはどのような戦術上の(いわんや巧みな戦略などでない)事前の考慮もなく、不必要に彼らの虐殺に何千人も送った。ジハード戦士軍は非シリア人がほとんどの戦闘員4000人から5000人を失った。「この数の二倍が負傷して、もう戦えなかった」とアブ・カリドは私に話した。「彼らは手や足をなくした。」当時、移民は砲弾の餌食として徴用されるのか?彼はうなずいた。昨年の9月、ISISの外国人新兵補充の高まりの絶頂で外国人の流入が彼らを迎え入れる者たちをも驚かせたと彼は言う。「ISISの仲間に加わるために毎日到着した外国人戦闘員をだいたい3000人くらい迎えた。毎日ってことだよ。それが今では、だいたい50人か60人くらいも迎えない。」

この突然の不足量は、シリアやイラクの範囲外の住民がどのように一番うまく大義にかなうことができるかについてISIS最高司令部による念入りな再考をもたらした。「最も重要なことは彼らが世界中で(現在は全く活動せず)将来の特命に備えている諜報員の支部を作ろうとしていること」だとアブ・カリドは言った。ISIS指導部は”自分の国にとどまってそこで戦え、市民を殺害し、建物(なんでも吹き飛ばせるもの)を吹き飛ばせと人々に要求した。あなた方は来る必要はない。”

アブ・カリドの指導による影響下にあるジハード戦士のかなりはすでに彼が説明する国、al-Dawlaを出て彼らの出身国に戻った。彼は30代前半の二人のフランス人を挙げた。二人の名前は知らないとアブ・カリドは主張した。「オレたちはその種の質問はしない。オレたちは全員、”アブなんとか”だ。ひとたび個人の経歴について聞き始めたら、これはひどくいらだたせる究極の危険信号だ。」

トルコでの合流からほぼ一カ月後に起こった11月13日のパリ・テロ攻撃の当然の結果として、私はアブ・カリドに接触した。現在アレッポに戻っている彼は、私に、第二次世界大戦以降最悪の非道、同時攻撃にこのフランス国籍の一方または両方がある点で関与していたことをかなり確信していると述べた。国際報道機関で公表される二人の写真を見るのを彼は待ちかまえていると言う。

その間に、彼は二人の身体的描写を申し出た。一人は北アフリカ、おそらくアルジェリアまたはモロッコ出身、はげ頭、身長と体重は平均的。もう一人は背が低くブロンドの髪とブルーの瞳のフランス人、おそらくイスラム教への改宗者、彼には妻と7歳の息子がいた。

それはISISに逆らうように見えるのが有益と感じる、まあそんな情報のように思えた。だから私はアブ・カリドに尋ねた、この二人について誰かに警告したかと。「そうだ」と彼は応酬したので、そのくらいにしておいた。

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