見つけた 犬としあわせ

こころがどきどきするもの見つけたとき、それを作品にしたり、思わずなにかの形にして人に伝えたくなります。 見つけたとき感じたしあわせ感覚がひとしずくでも誰かに伝わったら、ダブルでハッピーです。

2010/07/31

アフガンで犬死にの責任は誰に



◇アフガン・リーク:Wikileaksのアサンジュ "責任がある"とするのを否定する

アメリカの情報提供者が危害をおよぼされている証拠は何もないとジュリアン・アサンジュは言っている

ウェブサイトWikileaksの創立者は、アフガン戦争に関してリークされた9万件(実際公表したのはこのうち7万件)の機密文書を公表する結果として、人の死に対し責任があるとアメリカ政府が主張するのをしりぞけてきている。

(BBC 30 July 2010)


△写真は記者会見したときのジュリアン・アサンジュ(ロイター)

◇アフガン増派戦費の補正予算成立へ 野党の賛成票、与党上回る

米下院本会議は7月27日、オバマ政権が進める3万人規模のアフガニスタン駐留米軍増派などに伴う追加的戦費、約330億ドル(約2兆9千億円)の緊急補正予算を308対114の賛成多数で最終的に可決した。上院は既に可決済みで、法案はオバマ大統領に送られ、署名を経て成立する。

オバマ政権は昨年12月に増派を決定し、今年2月に予算要求。だが与党民主党内で戦争拡大に対する反対が強く、この日の下院採決では民主党議員102人が反対。共和党の賛成票は160で、民主党の148を上回った。

(共同通信 2010年7月28日)

◇下院の審議では、歳出委員長のデービッド・オベイ議員(民主党)らが、アフガン政府の統治能力に疑問を呈して戦費支出に反対した。オベイ議員は、米政府がこれまでにイラクで7000億ドル、アフガニスタンで3000億ドルの戦費を支出してきたと指摘。「(国際テロ組織)アルカイダ掃討のためというが、パネッタ中央情報局(CIA)長官が先月認めた通り、アフガンに残っているアルカイダ勢力は100人にも満たない。すでに他国へ移動しているのだ」と主張し た。

アフガンでの軍事作戦をめぐっては、米内部告発サイト「ウィキリークス」が25日、大量の軍事、外交資料を公開して物議を醸したが、民主党のホイヤー下院院内総務は、予算案の採決に影響はないと強調していた。

(CNN 2010年7月28日)

2010/07/29

闘牛はマドリードの文化



◇米アリゾナ州の連邦地裁は28日、同州が制定した不法移民取り締まり強化のための州法の主要部分について施行差し止めを命じ、移民問題は政府に管轄権があるとしたオバマ政権の主張を認めた。

同地裁のボルトン判事は、警官が速度違反で職務質問した相手が不法移民の疑いがある場合は、合法的な移民であるかどうかをチェックすることを義務付ける条項の施行を差し止めることに同意した。国土安全保障省によれば、アリゾナ州には46万人の不法移民が在住しているという。

同判事はまた、移民に対し米国の在住権があることを証明する文書を常時携行することを義務付ける条文や、不法移民が雇用を求めて街頭など公の場所に集まることを禁じる条文についても、施行を差し止めた。さらに、国外追放処分となりそうな罪を犯したとみられる不法移民については、逮捕状なしに身柄を拘束できるとした条文も、差し止め対象とした。

不法移民と知りながら雇用した場合の罰金強化など、その他の異論の少ない条項については、29日から施行される。

同州法については、支持者は連邦政府が不法移民を取り締まれない空白を埋めるためのものだと主張、これに対して反対派は人種差別を強めると訴えている。

(ウォールストリートジャーナル 2010年7月29日)

◇スペイン北東部カタルーニャ自治州の議会は28日、闘牛を2012年1月1日から禁じる条例を賛成68、反対55、棄権9で可決した。

可決の瞬間、議場には歓声が沸き起こった。闘牛は1991年にスペイン領カナリア諸島で禁止されているが、スペイン本土で禁止されるのは初めて。

動物愛護団体は、他州もこれに追随するよう求めている。

闘牛はスペインの国技とも言われ、闘牛士は英雄のように扱われてきた。だが近年は、若者を中心に、闘牛人気が急速な衰えを見せている。2007年のある世論調査では、国民の4人に3人が、闘牛には興味がないと回答した。

同州では人気の低下が特に顕著で、州都バルセロナで稼働している唯一の闘牛場における前年のシーズンチケット保有者数は数百人程度。首都マドリード最大の闘牛場における2万人を大きく下回った。

同州は、独自の言語と文化を持ち、スペインからの独立を求める声も多い。闘牛禁止条例は表向きは動物愛護のためとしているが、独自のアイデンティティーを強調する狙いがあるとの見方もある。

(AFP 2010年7月29日)

写真はカタルーニャでは人気が低迷するがいまだバルセロナで行われる闘牛(BBC)
昨年、議会が審議入りを小差で可決して以降、国内外を巻き込む論争が続いていた(CNN)

2010/07/27

泥沼にはまる実体をリーク



今朝のウィキリークスのトップニュースに続き、以下のメールが届いた...

◇Dear vamos、

「ペンタゴンペーパーズ」以来、アフガン戦争に関してWikiLeaksの暴露のように一触即発の世間の風潮の内に人前にすっぱ抜かれる戦争の内幕は何もない。昨夜、私たちは、ベトナム戦争を終わらせるのに役だった「ペンタゴンペーパーズ」を公表するダニエル・エルズバーグと話した。彼は言った。

「Wikileaksは、全くの再演を示すこの戦争の生き生きとした記述を私たちにもたらしてくれている。ちょうどベトナムにおいてと同様に、米国議会によって弁済され、麻薬取引によって支えられる、進んで行う意欲がめぼしい取り柄の賄賂を取る不適格なひとそろいの同盟国。私たちは疑う余地なくエスカレートする手詰まり状態の泥沼にはまる。オバマが求めてきている軍の増強は何も効果を生まないだろう。
この戦争の無益な行為を衆人に気づかせるため自分を棒に振るブラッドリー・マニングの勇気に私は感心する。米国議会にこの戦争の財源を無理やり停止させるため、この秘密の暴露を活用することによって、私たちはきっと彼の犠牲をむだにしないと駄目押ししよう。」

「リーク」は、米国議会が戦費としてさらに33億ドルをどうしても決議しようとするまさに7日間にやって来る。先月のあなた方の呼びかけや議会訪問、不退転のおかげで、行政府は彼らが要請する戦争資金手当に関して敏速な採決に持ってゆくことができないでいる。あなた方の尽力が影響を与えてきている。今度は反対する者の水門を開いて、犬死にするため私たちの兵士をさらに送るつもりである財政援助をおぼれさせないといけない。

この呼びかけの情熱をあおり立てるのに、14歳の少女を殺害してよちよち歩きの子どもに傷を負わせた道路封鎖での砲手のような出来事も、7人の子どもたちを死なせた海兵隊の空爆も含める、一般市民の死傷者に関する欄に至るリンクがほらここにある。ここで私たちのWikiLeakの話題を読むこともできる!

戦争資金手当を封じることができるかどうか、いずれにしても私たちには議会の戦争認可者と戦争反対者をはっきりと見分けることができる、つまり、彼らが8月に地元に帰ったときと11月の中間選挙の投票所で私たちは彼らを懲らしめて返報することができる。

このリークを反戦圧力の津波に変えるあなた方にありがとう、
Bonnie, Dana, Farida, Gael, Gayle, Joan, Jodie, Medea, Nancy, Rae, and Victoria

(CODEPINK 26 July 2010)

◇最新の「ペンタゴンペーパーズ」:WikiLeaksがアフガニスタン戦争の壊滅的な絵を描く9万件以上の軍機密文書を公表する

それは米軍史上最大のリークのひとつです。過去6年間のアフガニスタンにおける米軍の行動9万件以上の内部文書が不都合なことを公表する人のウェブサイト、WikiLeaksによって発表されてきています。文書はアフガニスタン戦争の手厳しい生き生きした描写を与えます。どんなふうに連合軍が報告されていない出来事で何百と一般民間人を殺してきているか、どんなふうに秘密の腹黒い特殊部隊が裁判なしに暗殺または拘留のため標的を追いつめるか、どうやってタリバン攻撃が急上昇するか、どうやってパキスタンが反乱をたきつけるか、を明らかにします。

(デモクラシーナウ!26 July 2010)

◇アフガニスタンにおける軍事作戦に関する米国防総省の機密文書約9万2000点を、内部告発サイト「ウィキリークス(WikiLeaks)」が25日公開した。パキスタンの情報機関がアフガニスタン反政府勢力を支援していた実態などが記されているとされ、ホワイトハウスは情報開示を非難する声明を発表した。

公表されたのは2004〜2010年に米国防総省が作成した文書で、これまで明らかにされていなかったアフガニスタン戦争に関する情報も含まれている。情報源は明らかにされていない。

情報漏えいについて最初に報じたのは、米紙ニューヨークタイムズ、英紙ガーディアン、独週刊誌シュピーゲルの3社で、数週間前にウィキリークスから機密文書を受け取り、同サイトが情報を掲載する25日に報道することで合意していた。

NYタイムズは文書について、「パキスタンが表面上は米国の同盟国でありながら、自国の情報機関員に(アフガニスタンの旧支配勢力)タリバンと直接会うことを許可している」事実を示唆していると報じた。また「秘密戦略セッション」として、パキスタン情報機関が「アフガニスタン駐留米軍と敵対する武装勢力のネットワークを組織し、アフガニスタン指導者の暗殺を企ててさえいた」と伝えた。

英紙ガーディアンは、多国籍軍の作戦で、タリバンだけでなく、ますます多くの民間人が殺害されている現状が克明に記されているとし、「アフガニスタン戦争の失敗を衝撃的に描写する内容」と伝えている。

ホワイトハウスは文書がウィキリークスのサイトに公表される直前、情報漏えいは米国民の命を脅かす危険があると非難する声明を発表した。

一方で、文書の内容に関しては、パキスタン情報機関とアフガニスタン反政府勢力のつながりは長く疑問視していたと指摘し、09年3月31日にロバート・ゲーツ国防長官が「(パキスタン情報機関)"三軍統合情報部(Inter Services Intelligence、ISI)"が(過激派グループと)接触していることはわれわれにとって大きな懸念」と述べた発言など、過去に軍幹部が懸念を表明した例を公表。驚くべき内容ではないとの見方を示した。

ウィキリークスには以前も、イラク・バグダッドで米軍ヘリコプターが市民を銃撃する極秘映像が公表され、米軍兵が情報漏えいの罪で起訴された。

(AFP 2010年7月26日)

◇ワシントン:内部告発情報を公開するウェブサイト「ウィキリークス(WikiLeaks)」が、大量の軍事機密文書を暴露した問題で、米軍の捜査 当局は26日、7月初めに米軍の機密情報を不正入手したとして訴追した陸軍情報アナリストのブラッドリー・マニング容疑者が情報源ではないかとみて、捜査を行っていることを明らかにした。

マニング容疑者はイラクに駐留していたが、ウィキリークスで公開された文書はすべてアフガン戦争に関するものだった。だが、捜査当局は同容疑者が使用していたコンピューターを調べ、アクセス可能だった文書や転送した文書の特定に努めている。国防総省のスポークスマンは、マニング容疑者が捜査対象となっていることを認め、「マニング容疑者には大きな関心を寄せている」と述べた。

一方、ウィキリークスの創設者であるジュリアン・アサンジュ氏は26日ロンドンで記者会見し、機密文書の提供者の名前を明らかにすることや、同提供者がどのようにして文書をコピーし流出させたのかについては論評を拒否した。ただアサンジュ氏は、マニング容疑者の弁護士費用を負担していることを明らかにした。

(ウォールストリートジャーナル 2010年7月26日)

◇アフガニスタン戦争ログ:Wikileaks創立者ジュリアン・アサンジューー「戦争犯罪の証拠が見えてくる」

リークされる無数のアフガニスタンからの米軍ペーパーズは、切実に調査されなければならない、ありうる戦争犯罪の証拠に等しいと、ロンドンでの記者会見の席上でWikileaksの創立者ジュリアン・アサンジュは言っている。

(ガーディアン紙 26 July 2010)

http://www.guardian.co.uk/world/video/2010/jul/26/afghanistan-war-logs-wikileaks-assange
△ジュリアン・アサンジュのクールなロンドンでの約5分の記者会見がここで見れます↑

写真はアフガニスタンのアメリカ海兵隊(ガーディアン紙)

2010/07/25

地獄だった



◇少なくとも19人が死亡(BBC)

ベルリン時事:ドイツ西部のデュイスブルクで24日夕刻、世界最大級のダンス音楽イベント「ラブパレード」の観客がパニックに陥って転倒し、警察によると少なくとも18人が死亡、80人が負傷した。

現場は会場に向かうトンネル付近で、観客が殺到したため、警察が通行を制限した直後に事故が起きたという。イベントには主催者発表で140万人が参加。現場にいた観客の一人はDPA通信に対し、「呼吸もできないほどの混雑ぶりで、押し合いへし合いの状態だった」と語った。

(時事通信 2010年7月25日)

写真はダンスミュージックフェスティバル「ラヴパレード」の人が殺到するトンネル付近(BBC)

2010/07/24

To Shooting an elephant



◇To Shooting an elephant:象の射殺

・概要

 「. . . のちに、言うまでもなく、象の射殺について果てしのない論議があった。像の飼い主は激怒したが、彼はただのインド人で何もできなかった。その上、私は合法的に正しいことを行ってきている、狂暴な象は、飼い主が抑えられなければ、狂犬のように息の根を止めないといけない。」

 「To Shooting an elephant」はガザ地区からの報告の目撃証人だ。2008年12月27日のキャストリード作戦、21日間の象の射殺。パレスチナの一般市民と一緒に、ガザ地区の救急車内に埋め込まれたままでいることに決めて処理する、唯一の外国勢からの不眠の差し迫った映像、卑劣で、ぞっとさせる映像である。
(ジョージ・オーウェルの「Shooting an elephant」は元々、1948年New Writing にて出版される。)


・背景

ガザ地区は、イスラエルが「敵なる存在」と公言した2007年6月以来、包囲下に置かれる。国際的な活動家グループが包囲を破る運動、”フリーガザ運動”を組織した。彼らの尽力のおかげで、現場でキャストリード作戦を報道して目撃する外国人記者と人道支援活動家へのイスラエルの禁止(追放)にもかかわらず、国際的な志願者グループ、”国際連帯運動(International Solidarity Movemen)”の自ら組織したメンバーたちが爆撃が始まった2009年12月27日にガザにいた。アルジャジーラ・インターナショナルの2人の国際通信員(Ayman MohyeldiとSherine Tadros)と共に、包囲されるパレスチナの細長い土地の内部でなにが起こっていたか、いくつかのラジオ局のためにどうにかして記録し、撮影して、報告する、彼らは唯一の外国勢だった。

彼らはジャーナリストだった?彼らは活動家だった?だれが気にする!彼らは目撃者になった。ジャーナリストも、あなたがどう感じるか次第の者もみな。あなたがどうにかしてより広範の視聴者にあなたとあなたの周囲にいる人たちが経験することを共有させることは道義にかなう責任だ。ジャーナリストであってもなくても、もっと正確に言えば想定以前、呼び名以前の、それはあなたをプロの職業に至らせるあなたの腕前に係るものだ。

視聴者に知らせる。あなたが聞いて知ってもらいたい人々にあなたが気づいたことを聞かせて知らしめる。すなわちジャーナリストだ。 プレス(報道機関)と書かれた名刺を持っているのも、本俸をもらうのも、カメラまたはペンを使って目撃者であることに必要不可欠ではない。中立性は無視しろ。客観性は無視しろ。私たちはパレスチナ人ではない。私たちはイスラエル人ではない。私たちは偏見を持つ。私たちはただ正直でいようと努めるだけで、私たちが見たことや私たちが知っていることを報道しようと努めるだけだ。私はジャーナリストだ。だれかが傾聴するなら私はジャーナリストだ。ガザの場合、「公式のジャーナリスト」は(すでに中にいたジャーナリストを除いて)ひとりもガザに入るのを認可されなかったので、私たちが目撃証人になった。それに関して全責任を有している。

私は常にジャーナリズムを「暗い部屋の中のあかりをひねる手」と理解してきている。ジャーナリストは好奇心の強いやつ、疎ましい質問者だ、反感を持つカメラとペンが政権を握る人たちを居心地悪く感じさせる。しかもそれがガザでの私の仕事のコンセプトだ:世界中で最も語られる争いで任務を遂行すること、ハマスによって発射されるロケット弾に対する仕返しで領土の全住民の上にイスラエルによって負わされている包囲と集団的懲罰の説明は、決して十分な正確さで語られることはない。このために、人の記憶(記録)に残される必要がある。イスラエルが私たちを入れさせないよう企てて、私は政権を握る連中によって「体よく」退去するよう求められたにもかかわらず、私はガザ内部にこっそり入った。すなわち私のジャーナリズムの思想である。彼であれで彼女であれ、誰かが見事に理解することを今にも掲載しようとしてカメラだのペンを持って歩き回ることについて世界中すべての政府がびびる。民主主義の重要な柱のひとつ、情報の為に。
 
これは埋込み型のフィルムである。軍隊の内部にはめ込まれるジャーナリストとの想像上の意見交換で見えてくる、「救急車の内部に埋め込まれる」ことで、私たちは解決した。一人残らず彼らが報道したい側を自由に選択できる。けれども判断には往々にして偏見があるものだ。撃って傷つけて殺すことが仕事の連中より、負傷者の救助に従事する一般市民のほうが状況の正しい見方をはるかにありのまま提供してくれるものと私たちは判断した。私たちは軍人と言うより衛生兵の方を好む。私たちは武器を持った連中より武器を持たない救助者の勇敢の方を好む、また興味深くはあるが、殺すため入隊する人の経験談を道義上拒絶できる。それは焦点(的を絞る)にかかわる問題だ。恐怖やトラウマ、選択の自由のある連中の反論に私は関心がない。故国にとどまる選択の自由や戦争反対と唱える選択の自由だ。

(July 20, 2010)
http://www.informationclearinghouse.info/article25972.htm

△Alberto ArceとMohammad Rujailahによるドキュメンタリーフィルム「To Shooting an elephant」ともっと詳細の記事は以下のサイトからご覧になれます。
http://toshootanelephant.com/

2010/07/22

餓死するマゼランペンギン



◇南米で厳しい寒波 20人死亡

日本は本格的な夏を迎えていますが、南半球の南米は厳しい冬の寒波に見舞われていて、少なくとも20人が寒さで死亡したほか、めったに雪が降らない地域でも記録的な大雪となり、市民生活に影響が出ています。

南半球にある南米大陸には、偏西風の影響で南極からの冷たい空気が大量に流れ込み、先週から厳しい寒波に見舞われています。アルゼンチンの首都ブエノスアイレスでは、先週、7月の平均の最低気温より8度ほど低い氷点下1度5分を記録し、路上で生活していたホームレスなど20人余りが死亡しました。このほか、パラグアイやボリビアでも死者が報告されています。また、めったに雪が降らないボリビア中部などでは記録的な大雪が降り、車が路上で立往生するなど、交通機関がまひして、市民生活にも大きな影響が出ています。こうしたなか、大西洋に面するブラジル・サンパウロ州の海岸では、およそ530羽のマゼランペンギンの死がいが見つかりました。生物学者が詳しく調べたところ、ペンギンの胃の中は空っぽの状態でした。マゼランペンギンはこの時期、南米大陸の南端から、温かい水温を求めてブラジル沿岸などに北上しますが、専門家は、潮流の変化や寒波による水温の低下によって、エサとなるカタクチイワシなどの魚が大幅に減り、ペンギンが餓死した可能性もあると指摘しています。

(NHKニュース 2010年7月21日)

◇ペンギンの死骸、大量に漂着

サンパウロ時事:ブラジル南東部サンパウロ州の海岸に20日までに、南米大陸の南部に生息するマゼランペンギンやウミガメなどの死骸(しがい)が大量に漂着した。原因は不明だが、大半が餓死しているため、寒波や気候変動によるとみられる海水温の低下で、食料となる魚が減少したことが影響しているもようだ。

報道によると、死骸で打ち上げられたのはマゼランペンギン530羽、イルカ5頭、 ウミガメ3頭など。マゼランペンギンはこの時期、アルゼンチン沖から餌を求めて北上するが、例年より低い海水温や強い海流で魚が減り、疲弊して餓死した可能性が強い。乱獲に起因する恐れもあるという。

(時時ドットコム 2010年7月21日)

写真はブラジル南東部サンパウロ州の海岸に打ち上げられたペンギンの死骸(AP)

2010/07/20

トップシークレット アメリカ



◇”トップシークレット(最高機密)アメリカ”


ワシントンポスト紙の調査が、大規模で手に負えない、外部委託されるアメリカ合衆国諜報システムをあばく

本日ワシントンポスト紙に掲載された一触即発の調査シリーズは、「2001年9月11日のテロ攻撃に応じて作り出す政府の最高機密の分野が、あまりにも広範で、実に手に余り、秘密主義のため、それにいくらかかるか、どれほどの人を雇い入れているか、内部に幾つの計画があるか、または幾つの政府機関が同じ業務を遂行するか、誰にもわからないほどになってきている」と始める。研究結果の1つで、概算85万4000人が最高機密の保全許可を所有する。1200余りの政府組織と2000近くの民間企業が1万の所在地で報復テロ行為、国家安全保障、諜報活動に関連したプログラムを手がける。

(デモクラシーナウ!19 July 2010)

◇トップシークレット(最高機密)アメリカ
人知れぬ世界、コントロールの及ばないところに右肩上がり
By Dana Priest and William M. Arkin

これらは、アメリカ合衆国に取って代わるジオグラフィーに等しいものをさがし出したワシントンポスト紙による2年の調査の研究結果のいくつかで、国民の視野から隠され、徹底して漏れのない最高機密アメリカだ。類のない支出と拡大から9年のちに、アメリカ合衆国を安全にしておくため、しかるべきところに置かれるシステムが、その有効性を決定するのが不可能なほどに肥大化する成り行きだ。

調査のほかの研究結果には以下が含まれる:

*約1271の政府機関と1971の民間企業が、アメリカ合衆国の至る所、およそ1万の場所で、報復テロ行為、国家安全保障、諜報に関するもくろみで働き続ける。

*ワシントンD.C.に住む人と同数の1.5倍近くが最高機密の保全許可を保有した。

*2001年9月以来、ワシントンとその周辺エリアに最高機密の諜報業務に備える33のビルの集合体が建設中かまたは建設されてきている。それらはひっくるめて、ほぼペンタゴンの3個分かまたはアメリカ国会議事堂の建物22個分に相当する約1700万平方フィートのスペースを占有する。

*多くの安全保障と諜報機関が同じ業務を行い、余剰とムダを作り出す。例えば米国15の都市で操業する51の連邦機関と軍司令部がテロリストネットワークへ行き来する資金の流れを追跡する。

*対外と国内のスパイ行為によって手に入れる文書と会話の意味を理解する分析者らは、毎年出版の5万の諜報機関報告書を介して彼らの判断を共有する、 たいへんな量なので多くがごく普通に無視される。

(ワシントンポスト紙 19 July 2010)

2010/07/19

エスコバルの息子




今朝の朝日新聞によると、コロンビアの麻薬王、パブロ・エスコバルの息子がいま、父が殺害した犠牲者の遺族を訪ねる旅を続けている。エスコバルの長男、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスの建築家フアン・セバスチアン・マロキン(フアン・パブロ・エスコバル)33歳は、「遺族に許しを請い、対話によって暴力の連鎖を私たちの世代で止めたい」と話している。

◇ブエノスアイレス:1993年に射殺されたコロンビアの麻薬王パブロ・エスコバルの息子、フアン・パブロ・エスコバル氏が、出演したドキュメンタリー映画で父親が犯した犯罪を振り返り、謝罪の意を表している。

この映画は「Sins of my Father(父親の罪)」というタイトルで、アルゼンチンで今週始まる映画祭で上映される。

フアン氏は、父親が治安部隊に殺害された翌年にコロンビアを離れ、その後はセバスチャン・マロキンという名前で、建築家としてブエノスアイレスに暮らしている。

フアン氏はロイターに対し、「エスコバル一族の一員として、過去に起きたことの責任を受け入れ、父親の犯罪でコロンビアが受けたすべての被害について許しを請わなければいけない」と話した。

コロンビアでは、1980─1990年代に力を持った大規模な麻薬カルテルが衰退し、その後勢力を伸ばした密輸ギャング団と治安部隊とのせめぎ合いが続いている。

フアン氏が実名を明かすことにしたのは、そうした母国に和解をもたらしたいからだとしている。

かつて、世界最強の犯罪組織の1つだったメデジンカルテルを率いたパブロ・エスコバルは、敵対する組織メンバーなど数千人を殺害し、閣僚や大統領候補も暗殺。フォーブス誌によると、麻薬取引で築いた資産は30億ドルを超えていたという。

(ロイター 2009年11月12日)

世界有数の麻薬供給基地、南米コロンビアを支配するのは暴力の論理だ。豊富な資金とテロリズムを駆使した麻薬カルテルの力は政府を凌駕し、彼らに逆らう者は政府要人であろうとも容赦なく殺される。そのなかで頂点を極めたメデジンカルテルの頭目パブロ・エスコバルは、コカインをアメリカに大量輸出することで富を築き、1989年には「フォーブス」誌で“世界で7番目の資産家”とランクされるまで麻薬ビジネスを発展させてゆく。自国におけるコカインの蔓延を憂慮したアメリカ政府は、麻薬撲滅を掲げてコロンビアへの介入を開始。DEA(アメリカ麻薬取締局)、CIA、陸軍の精鋭スパイ部隊セントラスパイク、 対テロ特殊部隊のデルタフォースがコロンビア政府の結成した特捜隊を支援し、パブロの追跡・暗殺を目指す。だが入念に計画された急襲作戦も失敗を重ね、 卑劣なテロ攻撃による犠牲者が続出、殺害は困難を極めることにーー。
(「パブロを殺せ―史上最悪の麻薬王VSコロンビア、アメリカ特殊部隊」より)

△パブロ・エスコバル(19491月12日ー1993年12月2日):
メデジンの貧しい家庭に育った少年エスコバルは、頭の良い家族思いのやさしい子供だったが、10代で犯罪に目覚め、自動車盗、強盗、誘拐に手を染め始めた。その後、コカイン取引が金になることを知って、1970年代までに「 El Cartel de Medellín 」と呼ばれる強力な麻薬カルテルを築きあげた。


・カルテルの拡大

1980年代、メデジンカルテルは販売ルートを拡大し、ペルーとボリビアから持ち込んだ良質のコカインをメキシコ、プエルトリコ、ドミニカに売り込んだ。その後も販売ルートを拡大して、南北アメリカ大陸や一部アジアとも取引するようになりコロンビア政府やアメリカ政府と激しく対立するようになる。
最盛期のメデジンカルテルは、世界のコカイン市場の8割を支配し年間最大250億ドルの収入を得ていたと見積もられ、エスコバル自身も世界で7番目の大富豪としてフォーブス誌に取り上げられたこともある。エスコバルはコロンビア政府やアメリカ政府の敵であったが、貧困層の住宅建設、サッカースタジアム建設などの慈善事業に熱心で、貧困層を中心とした一部のメデジン市民の支持を得て彼らの英雄となった。援助を受けたメデジン市民の中には、自ら警護役や見張役をかって出てエスコバルの身を官憲から守る者もいた。一時的ではあったが、国会議員を務めたこともある。

・テロ

1980年代後半、コカイン流入に頭を痛めたアメリカ政府は、「エスコバルの引渡しとアメリカ国内での裁判」を条件にコロンビア政府と協定を結んだ。これに激しく反発したエスコバルは「plata o plomo (贈賄か暗殺か)」と称し、政治家・役人・裁判官への贈賄工作を活発化させる一方、敵対者への暗殺・テロを敢行した。1985年に発生した左派ゲリラによるコロンビア最高裁占拠事件はエスコバルの関与が噂された。さらに1989年、メデジンカルテルは、大統領候補者3人の暗殺、アビアンカ航空機203便の爆破、ボゴタの治安ビルの爆破を実行している。そしてライバル組織であるカリカルテルとの抗争も激化し、メデジン周辺は無政府状態に陥った。

・刑務所への収監

1991年に、政府や敵対者との抗争に疲れたエスコバルは、5年の服役とアメリカへの引渡忌避を条件にコロンビア政府と合意すると、自ら建設した個人用の 「La Catedral(教会)」と称される豪華な刑務所に収監された。サッカー場やディスコさえ備えられていた「La Catedral」での生活は快適で、エスコバルは今までどおり組織に指示を与え、メデジン市内に外出しては買い物やパーティ、サッカー見物を楽しんだ。1992年に「La Catedral」内での2件の殺人事件が表面化すると、さすがに世論も沸騰し、別の刑務所への移管が計画された。1992年7月22日移管の日、エスコバルは刑務官の前を堂々と歩いて「La Catedral」を出るとメデジン市中に姿を隠した。

・殺害

潜伏したエスコバルは、コロンビア政府、アメリカのデルタフォース、カリカルテルに追われる身となったが、独裁的なエスコバルの追い落としを目的とする 「Los Pepes(パブロ・エスコバルに虐待された人々)」と称する闇のグループからもつけ狙われた。「Los Pepes」は、エスコバルの家族や手下300人以上を殺害してメデジンカルテルに大打撃を与えた。犯行現場には必ず「Los Pepes」の署名を残したという。エスコバルは味方には多くの恩恵を与えたが、敵対者を殺害する前に指を切り落とすなどの残虐行為を犯したため、多くの人々の恨みもかっていた。
その後政府はエスコバルの一部の家族の身柄を確保し、さらに1993年12月2日、コロンビア治安部隊の電波調査斑が中産階級住宅街の隠れ家から息子と携帯電話で通話するエスコバルの居場所を突き止め、治安部隊の特捜チームが突入して屋根の上に逃れたエスコバルに一斉射撃を加えて殺害した。エスコバルの脚と背中、さらに耳の後ろに致命傷の銃弾痕が残っていたという。
なお、「密かに出動していたデルタフォースの狙撃手がエスコバルを仕留めた」と信じる者や、「自殺した」と信じる者、さらには、「射殺されたのは別人でエスコバルは逃走して優雅な生活を続けている」と信じる者がいる。エスコバルは死によって伝説化され、今もってメデジンの英雄として信望する者が多い。 エスコバルの妻子は敵対者の報復を恐れて各地を転々としたが、現在、名前を変えてアルゼンチンに住んでいるという。

・遺体の確認

発掘に反対していた母エルミルダ・ガビリアの死後2日経った2006年10月28日エスコバルの遺体が甥のニコラス・エスコバルの要請で掘り出され、遺体が実際にエスコバルのものであったことが確められ、DNAも採取された。エル・ティエンポ紙の報道によれば、エスコバルの先妻マリア・ビクトリアは、ビデオカメラで発掘を記録していた。家族の何人かは、エスコバルが自殺したと信じている。


エスコバルの死後、メデジンカルテルは分断され、そのリーダー達も90年代半ばまでに殺害または逮捕され、現在、コカイン市場はカリカルテルの支配下に移っている。エスコバル亡き現在、コカインの単価は低下し、取引量は増加の一途をたどっている。

写真はキング・オブ・コカインことパブロ・エスコバルと、建築家の長男

2010/07/16

退職年金基金の投資先



今朝届いたメールより

Dear vamos,

今度の火曜7月20日、CREFがニューヨーク市で年次総会を開催します。これは、TIAA-CREF(Teachers Insurance and Annuity Association-College Retirement Equities Fund)指導部が、基金加盟者に不本意ながら従って自ら彼らの懸念を聴く年に一度の機会です。私たちにはイスラエルの占領について懸念があるのはもちろんで、私たちは彼らがこの疑念について明瞭に聞き取るのを確かめたい。

今週、イスラエルのブルドーザー(米キャタピラー社製)が東エルサレムのパレスチナ人家屋をブルドーザーで平らにすることを再開しました。もしパレスチナ人が苦しみに耐えれば、TIAA-CREFが利益を得ます。なぜTIAA-CREFはキャタピラー社に投資するのか?

私たちはやっと請願の署名集めをスタートしています、そして今朝現在で5900人の署名を越えてきています。投下資本引き上げに賛成する1万人の署名と共に、火曜日、私たちが基金の取締役を出迎えるのに、手を貸してください。

TIAA-CREFは私たちを真剣に受け止めていると理解していますが、これはほんの発端です。ますます多くのみんなが不公正を取り除くのを求めているとTIAA-CREFに知らしめて私たちの勢いを増し続けるには、あなたの応援が必要です。

私たちは非常にたくさんのポストカードを持って火曜日総会に行っています。尽きてしまうくらい群れをなしてポストカードをくれと求めてください。どうか私たちのオンラインの請願に署名してください。

サンクス
シドニー・リービ(Sydney Levy)
Jewish voice for peace

オンライン署名はここに↓
http://salsa.democracyinaction.org/o/301/p/dia/action/public/?action_KEY=4048

△TO TIAA-CREF
以下のことによって、人権または国際法の違反に貢献するどんな会社にも投資するのを控えてください:
 ・ 東エルサレムを含むガザ地区とヨルダン川西岸地区のイスラエルの占領からじかに利益を得ること、あるいは占領の一助になること
 ・どちら共に国際法のもとに違法の、イスラエルの入植および分離壁の建設と維持に貢献するプロダクツまたはサービスの提供
 ・一般人を標的にする暴力による行為に寄与する、またはその行いを許容するプロダクツまたはサー ビスの提供
私はまた、今後はそのような投資はどれも除外する、投下資本基準をあなた方が設立することを懇願もいたします。
世界最大の金融サービス会社のひとつとして、方針を改めることが、平和と正義を捜し求めるパレスチナ人とイスラエル人に希望のメッセージを送るでしょう。

△TIAA-CREF:Teachers Insurance and Annuity Association-College Retirement Equities Fund(米教職員保険年金連合会・大学退職株式基金)
TIAA-CREFは、世界最大の退職年金基金であり、運用資産は2900億ドルを超え、米国でも大手の機関投資家である。オープンエンド型の資産運用会社としてSECに登録されている。主にパッシブ(インデックス)運用に特化しており、株式ファンドの場合は大型および中型株を対象に長期投資を行っている。

TIAA-CREFは、「長期的な株主価値の向上は、投資先企業の取締役会が社会的責任と公共の利益を慎重に考慮することと一致する」との基本的な考え方を打ち出し、企業に次に対する方針の確立と実践とを求める。
・企業の操業及び製品の環境へのインパクト
・すべての人口セグメントの雇用機会の平等
・従業員教育と能力開発
・地域社会の公共の利益にネガティブな影響を与える企業行動の評価

2010/07/15

ポランスキー自由は国益



◇ロマン・ポランスキーの米国引き渡しをスイスが拒否

報道によれば、現在ポランスキーはスイス・アルプスにある彼のバンガローから出発している

スイス当局は、1977年にさかのぼる事件の判決に直面させることで映画監督ロマン・ポランスキーを米国に引き渡さないことに決めている。

76 歳のポランスキーは決定まで2009年12月以降スイスの彼のバンガローで軟禁状態にある。

映像作家は13歳の少女との非合法セックスの有罪判決をめぐってカリフォルニアで指名手配される。

米国はスイスの決定に「深く失望し た」と司法省上級職員は言った。

ポランスキーをロサンゼルスに戻そうと努めてきたロサンゼルス地方検事スティーヴ・クーリーの検事局もまた公式の声明を手短かに出すものと思われた。

スイスの裁決のあとにポランスキーは彼の支持者に 「最高の感謝」を表明した。

「私を擁護してくれた彼ら全員に心の底からただもうありがとうと言い、私の大満足を知らせたい」と弁護士のHerve TemimeによってAFPフランス通信社に公表される声明でポーランド生まれのフランス人映像作家は言った。

また報道によれば、ポランスキーはどことも明かされない行き先に向かってGstaadのリゾート地にあるぜいたくな彼のアルプスのバンガローを出発した。

 ・国益

7月12日の早い時期に、「ポランスキー氏の自由を制限するためとられた措置はすでに解かれてきています、電子標識装置は外されています」とスイスの法務大臣Eveline Widmer-Schlumpfは述べた。

アメリカ当局がポランスキーの最初の判決に関する手続きに関して信任を得ている証言を用意できなかったと司法省は言った。

 「決定の根拠は、アメリカの(国際間逃亡犯罪人)引渡し依頼においての過失を必要不可欠の確信をもって考慮に入れないのは不可能だったとの事実にある。」

ポランスキーは本来、1977年の事件によってレイプとソドミー(異性間の異常性行為)を含める6つの罪状で告発された。

1978年、彼は司法取引の後に非合法セックスに対して罪を認めた。彼はアメリカの刑務所で42 日間服役した。

短い刑を約束されたと彼は常に主張してきている、だが、判事がもっと長い刑期を彼に再宣告しようとしているとのウワサを聞いたあとに彼はアメリカから逃げた。2度とアメリカに戻らなかった。

12日、アメリカ当局は全く刑の長さの発行を明らかにしてこなかった、よって、引き渡しの納得のゆく申し立てを解決してこなかったと、スイスは言った。

決定に国益が考慮されたことを司法省は付け加えた。

 アメリカはこの決定に控訴できないとスイスの当局者は言った。

・狂喜

ポランスキーはチューリッヒ映画祭の席上で生涯功績賞を受け取るためフランスから移動した昨年9月、スイスで身柄を拘束された。

ポランスキーの妻、フランス人女優Emmanuelle Seignerは、決定に狂喜したと言った。

「私の夫の解放をとにかく知ったことで大満足。私と子どもたちには9カ月余り続いた悪夢の終わり」と彼女は言った。

「計画を立てることができ、もう一度普通の家族生活をもてるのを本当に心待ちにしています。特に、この苦悩を受けるに足らない子どもたちとの家族の暮らしを」と彼女は声明で加えた。

ポランスキーの解放はフランスの政治家とアーティストによっても喜んで迎えられた。

「偉大なポーランド系フランス人監督は今後は友人や家族と再会できるし、彼の芸術家肌のプロジェクトで完全に働き続けることができる」とフランスの外相ベルナード・クシュナーは言った。

ポーランド外務省もまたスイスの決定を歓迎した。

◇ガザ艇隊襲撃「失策」をイスラエルが認める

ガザ行きの援助艇隊に対する海軍の襲撃を取り調べるイスラエル軍の調査は、特別奇襲部隊が準備不足で、上層で間違いが生じたと言っている。

軍事行動は欠陥のある情報収集とお寒い計画がもとで損害を被ったと報告は書かれている。

だが、それでもなお、特別奇襲部隊が関係したのを褒めそやし、艇隊を止めるため武力行使以外になかったと根拠を置く。

重大な抗議を誘発した公海での海軍の襲撃でトルコ人8人とひとりのトルコ系アメリカ人が死んだ。

もしもの場合に予備の方策をもうけないとして、報告は軍事行動の立案者を責めた。

けれども、任務は失敗ではなかったし、どのような解雇も勧告しなかったと書かれてもいた。

・プロフェッショナルで勇敢

軍人と諜報機関組織の間に調整が欠乏しており、5月31日船の乗っ取りのための準備が不充分だったと言っている。

ヘリコプターから一隻の船、マビ・マルマラ号の甲板に降下したとき、イスラエル部隊はこん棒やナイフや少なくとも一丁の銃で武装した船上の一部から激しい歓迎に出くわしたと報告はくだした。

テルアビブのメディアに研究結果を提供する調査委員団の議長を務めるGiora Eiland退役将軍は、批判も称賛も示した。

「この調査で、諜報機関と意志決定過程の両方と、ある作戦上の失策に関して、いくつかの職業上の間違いがあったのを私たちは認めた」と彼は言った。

「けれどもまた私たちは非常に肯定的な研究結果も手に入れた、念を押されるべきことは、イスラエルの特別奇襲部隊がふるまった非常にプロフェッショナルで勇敢なやり方だ。」

報告は、今後起こるかもしれない類似の状況にイスラエルを備える助けになるのを意図したものだとEiland将軍は言った。

6月7日作業に取りかかったEiland委員会は襲撃の軍事面を詳しく調べた。

国際的なオブザーバーを含める独立した調査は、軍の急襲を通じて国際法が破られたかどうかを調べている。

声明でイスラエル軍参謀総長Gabi Ashkenazi中将は、Eiland調査は失敗も過失も明らかにしてきていないが、「今後の出来事のため欠点などを矯正しなければならぬ失策を持ち出す」と言った。

どうしても偏ると言って、イスラエルは国連主導の襲撃調査の要求に抵抗してきている。

軍事行動は国際的な反発を喚起し、以前の親密なイスラム教の同盟国トルコとのイスラエルの交わりをひどく緊張させてきている。

非難の最中にイスラエルはガザ地区の道路封鎖を緩和して、何より一般人の欲しかったものを通すのを許す。

海軍の包囲はしかるべきところに居残る。イスラエル曰く、それはガザを支配するイスラム教徒の活動グループ、ハマスの手に武器を渡らせないようにするのに不可欠な措置とのことだ。

△分析
BBCの外交特派員ジョナサン・マルクス

部隊がマビ・マルマラ号を襲撃したとき物事がひどく道を誤ったのをこのイスラエル軍の調査は確認するが、海軍特別奇襲部隊を気前よく免除する。

しかしながら、重大な誤りが確認された研究結果は、軍事行動を是認したイスラエルの政治指導者らにも求められる必要があることを問いただす。

Eiland報告はただ1つの調査ではない。前の最高裁判事Jacob Turkelは軍事行動の適法に打ち込んで調査している。

イスラエルがこの組職を信頼せずに、たぶんそれと関係があることはなんでも拒絶するだろうが、国連人権会議が自分の調査に乗り出すのはもっともだ。調査を信用できるように見せることでプレッシャーがイスラエルにある。

Turkel裁判官は彼の調査に本物の探求心旺盛な法的実行力を捧げようと努めている。この点で彼はたぶんイスラエル法廷によって戻されるだろう。けれども、これは徹底した国際的調査に彼らの主義を貫いてきているトルコ人をますます満足させないと言っても差し支えない。

 (以上、BBC 12 July 2010)

写真は、また新しい心臓をゲットしたディック・チェイニー(BBC)
金持ちは永遠に生きるってか
ディック・チェイニーは37歳のときから5回心臓発作に見舞われてきている
少なくともイラク戦争以前に彼の心臓が止まっていたら、それは多くの人たちが今も生きていることだろうに
拡大して見たい人はいないと思うが、写真はクリックすると拡大版で見ることができる

2010/07/12

マンデラの大会 アフリカの花火




◇ヨハネスブルグ:ワールドカップ(W杯)で優勝するのは、どのチームにとっても簡単ではない。だが、いずれも初優勝をかけた世界最高の2チームの対戦ともなれば、なおさらだ。

したがって、80年間ものいら立たしい年月を過ごしてきたスペインにとって、何よりも愛するこの競技で世界チャンピンになるための決勝点を挙げるのに、余分な時間がかかったとしても仕方なかっただろう。

11日に行われたサッカーW杯決勝戦、スペイン対オランダ戦は、スペインが1対0でオランダを破り、W杯初優勝を果たした。待望のゴールは、延長後半に入ってから11分後にようやく生まれた。スペイン代表ミッドフィールダー(MF)イニエスタが、オフサイドラインぎりぎりの微妙な位置から右足でシュートを放ち、オランダ代表ゴールキーパー(GK)ステケレンブルフがボールを左手で触るも、ゴールを阻止するには至らなかった。審判のお粗末な笛裁きで荒れ模様となった試合の最後にふさわしく、オランダ人選手が審判団にオフサイドの判定を求めて詰め寄ったが、オフサイドフラッグは決して上がらなかった。

ゴールは、延長後半開始から5分、オランダ代表ディフェンダー(DF)ヘイティンガがこの日2枚目(チーム全体で9枚目)のイエローカードを受け、退場となった直後に生まれた。これはオランダにとって予選を含めた過去25試合で初の敗戦であり、W杯で準決勝まで無敗で勝ち残ったチームが決勝で負けるのも今回が初めて。

スペインは、ブラジルと並んで今W杯優勝の最有力候補に挙げられており、これまでとは異なるシナリオを描く覚悟で今大会に臨んでいた。決勝直前の3試合をすべて1対0で勝利しており、決勝も同じスコアだったが、その内容は他の3試合と大きく異なるものだった。

サッカーにおいては、決勝戦のようなハイレベルの戦いともなるとその意志の強さが試される、両チームが互いのスタイルを押し通そうとするチェスのような試合展開になる。戦いはボールだけでなく、試合のペースやリズム、流れの支配をめぐって繰り広げられる。激しいぶつかり合いになろうとも、また短くコントロールされたパスであろうが、サイドラインぎりぎりのロングパスであろうが、フォワード(FW)もDFも力一杯追いかける。

W杯が始まって1カ月、スペインは相手チームにかかわらず、自らのスタイルを押し通してきた。スイスに負けを喫した初戦でさえも、スペインはボールとゲームを支配し、サッカーをハイクラスの鬼ごっこに変えることで相手チームにボールを追いかけさせ、体力を消耗せざるを得ない状況に追い込んでいった。

だが決勝戦では、オランダも断固として自らの意志を押し通そうとした。スペインのペースを崩そうと体当たりやタックル、けりなどを盛んに仕掛け、相手選手に対してボールに近づこうとすれば格好の的となり、スパイクの裏ですねをけられるか、頭にひじ打ちを食らうかしかねないとの恐怖心を植え付けようとした。

それは決して美しい行為ではない。だが、2年前にファンマルバイク監督がチームを引き継いだときから、オランダは美しいサッカーを捨てた。同監督は、勝利よりも芸術性を優先してきた過去40年を捨て、泥臭く勝つことを学ぶときだと宣言した。

試合前半をとおして、オランダは相次ぐ激しいタックルでスペインを攻撃した。前半中盤にはオランダ代表DFデヨングが、スペイン代表MFシャビアロンソの胸をスパイクの裏でけるという、あわやレッドカードかと思われるようなプレーもあった。

オランダは最終的に全部で9枚のイエローカードを受けた。だが、オランダがスペインを自らのプレースタイルに引きずり込むのに成功した証拠に、それまで6試合でイエローカードが累積3枚と最もフェアなチームの1つであったスペインが、この試合の最後には結局8枚ものイエローカードを累積することになった。

オランダにとってのチャンスは、試合開始60分にやって来る。オランダ代表FWロッベンがスペインゴールから30ヤードの地点で絶妙なスルーパスを受け、ゴール前に抜け出す。だが、スペイン代表GKカシージャスがゴールから飛び出し、ロッベンの足元付近に滑り込み、右足でわずかにボールに触ってコースをそらす。ボールはそのまま左のゴールポスト外側に転がっていく。

その23分後、再びロッベンがゴール前に抜け出すも、またもやカシージャスに阻まれ、結局シュートにまで持ち込めずに終わる。

やがて試合は延長戦に入り両サイドでいくつかチャンスが生まれるが、運やGKの素晴らしいセーブ、屈強なディフェンスなどに阻まれ、いずれのサイドもフィニッシを決めきれずに時間が過ぎていく。だが延長後半11分、オランダのペナルティーエリアの混乱からゴールが生まれる。スペイン代表FWトーレスのクロスが、オランダディフェンスにクリアされ、スペイン代表MFセスクの足元に落ちる。セスクがすかさずパスを送るとイニエスタが右サイドからフリーで抜け出し、ゴールから5ヤードの地点でボールを受け、軽くトラップした後、ネットにたたき込む。

ボールがネットに刺さるのを確認すると、イニエスタはシャツを脱いでピッチの隅に走り寄り、80年かけて達成したW杯の優勝を祝福し始めてしまう。その6分後、試合終了となり、スペインの優勝はこの時点で正式なものとなった。

W杯の決勝は毎回そうだが、今回も素晴らしい試合となった。だがこれまでのW杯と違うのは、今回はアフリカ大陸で初めて行われた決勝だったことだ。決勝の地、サッカーシティー競技場に集まった8万4490人のサポーターはこの決勝が単なる試合以上の意味を持つことを、キックオフの1時間ほど前に思い起こさせられた。

めったに人前に姿を現さない南ア初の黒人大統領、ネルソン・マンデラ氏が会場を訪れたのだ。現在91歳のマンデラ氏は、明るい表情を浮かべていたものの、やや弱々しく見えた。3番目の妻、グラサ・マシェル夫人とともにカートに乗り込み、観衆に手を振りながら競技場を1週した。

マンデラ氏は、南アでのW杯開催に向けてロビー活動を支援したが、競技場に現れるのは今回が初めてだった。1カ月前のW杯初戦に来場を予定していたが曾孫の1人が交通事故で亡くなったため、急きょキャンセルされた。だが、われわれはマンデラ氏の存在をW杯を通じて終始感じることができた。アフリカのあらゆる人種の人たちが、マンデラ氏の運動に賛同し、このイベントを、南アとアフリカ大陸の一種の正当性を宣言する方法として利用した。

その3時間後、手を振っていたのは今度はスペインの選手だった。花火が盛大に上がり、紙吹雪が舞い散る中、チェスのキングから、サッカー界の王者となった選手たちはピッチの上を踊り回っていた。

(ウォールストリートジャーナル日本版 2010年7月12日)
http://jp.wsj.com/Life-Style/node_81394

写真は試合前のセレモニーにカートに乗って登場したネルソン・マンデラ(CNN)
優勝トロフィー授与のセレモニーが始まる間、スタジアム全体にボブ・マーリーの曲が流れていたのもアフリカならではのもの
誰がなんと言おうと、この大会はマンデラのものだ
そしてカーシージャス、あんた とっても かっこよかったよ!

2010/07/11

ハイチ地震から6カ月...




◇ハイチでは難民が極限状況にしがみつくまま放置される

地震から6カ月、ポルトープランス区域では多数の家族が道路の中央分離帯で生き続ける

ポルトープランス、ハイチ:Route des Railsとここで呼ぶ、ひどく混雑した海岸通りの中央分離帯づたいに置かれる、もろい掘っ建て小屋の一列縦隊に多数の難民家族が危険に生活する。

ポルトープランスの約10マイル北にあるCorail-Cesselesseの計画されたテント設営地は現在、前のキャンプが洪水または土砂崩れの危険にさらされる約5000人の難民のわが家だ。

(NY Times 10 July 2010)
http://www.nytimes.com/2010/07/11/world/americas/11haiti.html?_r=1&th&emc=th

△写真はクリックすると拡大版でご覧になれます

今夜はファイナル、もちろん南アのワールドカップ
ああ、どうしてもスペインに勝ってもらいたい!

2010/07/09

Wikileaksの信用をクソまみれに



◇アメリカ陸軍分析者がWikileaksの事件でとがめられる

通報者(不都合なことを公表する人)のウェブサイトWikileaksに機密のビデオと文書をリークすることに関連して、陸軍諜報機関の分析者が非難されてきています。 米軍の戦闘ヘリコプターが2人の子どもを含めて手当たり次第に12人のイラク人を殺害して他に幾人かを負傷させた2007年7月の攻撃のビデオを公表したとして、陸軍特技兵ブラッドリー・マニングが告発されます。マニングは合わせて、国務省の50のケーブルを通じて人に伝えたと非難されもします。彼は投獄52 年の刑に立ち向かいます。アメリカ政府の無数の機密文書と一緒にビデオをWikileaksに送ることで彼には責任があったと知人が話したあとに、マニングは5月イラクで任務についてる間に拘留されました。マニングには一般の弁護士はついていませんし、軍の被告側代理人によって代行されています。先月、デモクラシーナウ!とのインタビューで、「ペンタゴンペーパーズ」通報者のダニエル・エルズバーグは、マニングがWikileaksの情報源になるはずであるため彼の擁護を強く主張します。
ダニエル・エルズバーグ:「すでに若いころに私がやろうと選択してリークしたよりもっとタイムリーにだが、私は40年間、私がリークしたスケールの情報を誰かが出してくれることを願ってきた。そして、彼が犯罪とみなす大量のケーブルを出したのが真実なら、マニングは40年でそれをやる最初の人となるだろう。しかも、それが事実なら、私は非常に満足していると彼に伝える。また、彼が最後の人でないことを願う。」

◇マクリスタル論争の後に米軍はメディアに近づくことを制限する

先月、マクリスタル司令官をお払い箱に追いやった雑誌記事の余波でペンタゴンは新たにメディア規制を負わせてきています。新しい規則のもとにトップレベルの米軍当局と軍人はどんなインタビューも公然の誓約や承諾を与えるより先にまずは正式の許可をもらわなければなりません。彼と彼の部下が政府の高官についてこき下ろす意見を述べる記事を 「ローリングストーン」誌が掲載したあとに、アフガニスタンのトップの司令官としてマクリスタルは外されました。記事はまた、アフガン戦争をめぐって文民と軍人との間の長年の不一致をすっぱ抜きました。新しい規則の発表で、ロバート・ゲーツ国防長官は、リーク者を起訴すると断言し、極秘情報の公表についても警告を発しました。

◇NATO軍は誤爆でアフガン兵士5人を殺す、道ばた爆弾で米兵3人が死ぬ

アフガニスタンからのニュースで、NATO軍がぶざまな空襲で誤ってアフガン兵5人を殺してきています。アフガン兵は砲火を浴びたときGhazni州で軍事行動をとっていました。別々の事件で、3人の米兵が報道によればアフガニスタン南部の沿道の爆弾で今日早くに殺されました。

◇司法省が反移民法をめぐってアリゾナ州を提訴

証明書を持っていない移民ではないかと思う誰にでも、引き止めて尋問することを警察官に命じるアリゾナの反移民法をめぐって、オバマ政府は連邦訴訟を提出してきています。司法省の訴訟は、違憲で連邦法に相いれないとアリゾナを告訴します。そして正当な身分を証明できない住民のいやがらせに至らせるのみならず、どうしても出入国管理の執行を害することになると非難します。法令は月末に実施される予定にあります。

◇ネタニヤフ会談でオバマはイスラエルの「節度」 を賞賛する

7月6日、5月のガザ行き援助艇隊へのイスラエルの生命を奪う襲撃以来初めてオバマ大統領はホワイトハウスでイスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相をもてなしました。オバマとネタニヤフはイスラエルとアメリカ合衆国の「破られることのない」きずなを強調して、ヨルダン川西岸地区でのイスラエル入植をめぐって最近の米国・イスラエルの緊張を軽く見ました。進行中のイスラエルの入植拡大、道路封鎖、通行止め、艇隊攻撃にもかかわらず、オバマはイスラエルが「自制を示してきている」とみなすと言いました。
オバマ大統領:「直接会談に就く私たちの見通しのためになっていると考えるこの数カ月を通じて、さまざまな政府の実体と管轄権の重ねによって努力するイスラエル政府は自制を示してきていると私はみなします。そして私の期待は、一時的停止が終わるよりかなり先にいったん直接会談に取りかかっていること、皆さんが成功裏に大投入と感じる雰囲気を作り出せることです。どちらか一方によるアクションはどれも会談に参加しない理由として受け入れないので最後にはいっそうの信頼によってもっと大きい余地がもたらされることになります。」
両国政府間のきずなは強固のままであると言って、ネタニヤフは、米国・イスラエルのぐつぐつの緊張状態のうわさを軽視し続けました。
イスラエルのネタニヤフ首相:「この点で私は、米国・イスラエルの特別な関係の終焉に関する報道はちょっと早まったのではなくて実に全く不適当であるとマーク・トウェインを言い換えなければならないだろう。我々が公表しない我がチームの話には、年中口に出されるこの関係の深さと立派さがある。公開されるのはただ、最良の家族、最も親密な家族の時々の相違点を主張できることだけ、それが発表される。」
昨年、イスラエルの22日間ガザ強襲から4つの別件でイスラエル軍検察官が懲戒と訴追に乗り出すとき、ネタニヤフのオバマ会合が起こります。

◇英国が米国の外国人捕虜拷問での役割に関する調査を公開、被害者に償うと誓約

米国に拘留される外国の囚人の拷問を英国軍勢が手伝ったかどうかの独立調査を英国政府が発表してきています。英国のデービッド・キャメロン首相は英国議会の面前で公表しました。
デービッド・キャメロン:「例えば、911以降、フードと足かせの使用のような虐待に彼らが立ち合ってきているかもしれないのを含めて英国の人員の行いについて約12の事例が法廷に持込まれてきています。これは拘留者の虐待に英国が共謀してきているかもしれないとの申し立てに至らせます。遠く過去にさかのぼるこれらの疑問は、自由と公平性と人権の価値を認める国として私たちの信望に対する大きな汚点に相変わらず答えのないままです。」
調査とは別にキャメロンは、英国の法廷に訴えを提出している若干の拷問の被害者に英国は賠償を支払ってもよいはずだとも言います。声明でアメリカ市民的自由連合は英国の出方を称賛して、オバマ政権にこの例にならうよう強く主張しました。「オバマ政権は拷問する人の説明責任と生還者の当然の報いをじゃまする取組みをやめるのみならず、英国の先例に従って本国での調査を広げるべきである」と言います。

(以上、デモクラシーナウ!ヘッドライン 7 July 2010)

◇米ロが「スパイ交換」で合意、逮捕の10人を国外退去処分へ

ニューヨーク:米司法省は8日、ロシアのスパイ容疑で逮捕した10人を国外退去処分にすると発表した。引き換えに、ロシアでスパイ罪に問われ服役していた4人を釈放することで、米ロ間の合意が成立した。

この発表に先立ち同日に米連邦裁判所で開かれた公判では、ロシアのスパイとして逮捕された10人全員が司法取引に基づき罪状を認め、実名と国籍を明かした。10人中9人がロシア国籍だった。スパイ活動によって得た資産は没収される。

司法省によれば、米政府は10人が有罪を認めることと、米ロの合意履行を条件に、取引に応じることを決めた。交換条件としてロシア側が釈放する4人のうちの3人は、欧米側の情報機関と接触したとして国家反逆罪で有罪判決を受け、同国で服役していた。中には健康状態が悪化している受刑者もいるという。

合意事項には、米ロ関係の強化と米国の国家安全保障強化のための措置も盛り込まれた。この部分の合意は、米政府が被告人や弁護人に相談することなく決めたとされる。

一方、ロシア側が釈放する4人のうちの1人とみられるイーゴリ・スチャーギン氏は8日にロシアを出国し、オーストリアの首都ウィーンに到着した。同氏は米国のスパイとして2004年にロシアで有罪判決を受けた。ただし米国務省報道担当のマーク・トナー氏は、スチャーギン氏がスパイ活動を行っていたことを否定している。

(CNN 2010年7月9日)

写真はロシアのスパイとやらのひとり、アンナ(CNN)

2010/07/06

イラン戦争 挑発にノー!



◇英独とUAEなど、イラン旅客機向け燃料供給拒否

ドバイ:イラン学生通信によると、英国、ドイツ、アラブ首長国連邦(UAE)などの空港が数日前からイランの旅客機向けの燃料供給を拒否している。イランに石油精製製品を供給する外国企業を対象とする米国独自の制裁法の成立を受けた措置とみられる。イラン側が対抗措置に出る可能性がある。

イラン航空会社連盟の幹部が5日明らかにした。イラン国営通信はクウェートも供給を拒否していると報じた。ただ、ロイター通信によると、UAEの空港当局者はイラン機への供給を続けていると述べた。

オバマ米大統領は1日、国連安保理決議を無視してウラン濃縮を続けるイランに対する米国独自の制裁強化法案に署名、同法が成立した。イラン経済の根幹であるエネルギー分野に踏み込んだ内容で、同国が輸入に依存するガソリンなどの供給を禁じている。

欧州や中東の各空港当局は石油精製製品の一種であるジェット燃料の供給も制裁法に抵触すると判断したとみられる。イラン国家安全保障外交政策委員会のファラハトピシェ委員は5日、「我々には報復の権利がある」と警告した。今後、独ルフトハンザやUAEのエミレーツ航空などイランに乗り入れる航空会社への燃料供給を拒否する可能性もある。

(日経 2010年7月5日)

◇反イランの挑発と戦争のおどし
 戦争が差し迫る?( 2010年7月1日)

6月最終の2週間に、アメリカ合衆国とイスラエル、イラン・イスラム共和国を巻き込む中東におけるいくつか重大な新事実を私たちは見てきている。米国の主流報道機関によってほとんど完全に無視される間に、世界、とりわけ中東を囲んでかなりの不安がある。これら新しい進展のいくつかは類がなく、米国・NATOとイスラエルの反イラン作戦行動、あるいは全面戦争たりとも、におけるはっきりした段階的拡大の記号であり得た。

反戦と前進する世界の人たちと組職は、次に述べることに注目すべきだ。

*6月18日、報道によれば少なくとも1隻のイスラエル船によって付き添われてアメリカ海軍の空母群団がスエズ運河を通り抜け紅海にそしてペルシア湾に向かって進んだ。ハリー・S・トルーマン航空母艦突撃部隊には、空母と誘導ミサイル巡洋艦、イージス艦クラスの駆逐艦、ドイツのフリゲート艦GGSヘッセンが含まれた。

*イランのファールス通信社によると、イスラエル空軍が近ごろTabuk市内に近いサウジアラビアの基地に軍事上の装置を積み下ろした。さらに不吉に、サウジアラビアはイランと交戦の場合にはイスラエル機のため空中回廊を考慮に入れたミサイル防衛システムを再編成してきていると報道される。

*中央アジアの国アゼルバイジャンに配置されるアメリカ部隊がイランとアゼルバイジャンの国境づたいにまとまってきている。いわゆるテロとの戦いの一部であるアメリカ部隊はアフガニスタンでの戦争を支えることになっている。イランの革命防衛隊は戦争警戒態勢に等しい領域に戦車や対空砲火装置を蓄えてある。

*7月1日、バラク・オバマ大統領はイランとその経済への制裁で歩調をそろえる国連安全保障理事会での交渉妥結に署名した。しかしながら英国放送協会(BBC)はたぶん中国が制裁の効果をそこなうだろうと公然と心配した。

*6月28日、イランはこの際に、ガザのイスラエル封鎖に異議を唱えるつもりはないと発表した。人道支援を運ぶイランの艇隊とイスラム教徒の赤十字社に相当する赤新月の飛行は、イラン海軍の艦船によって付き添われてガザへ行く途中だった。報道によればこの出軍にはロシアとトルコ両方ともの外交的支持があった。

*6月30日、イスラム共和国の副大統領で核プログラム長官のアリ・アクバル・サレヒが、イランはさらに20パーセントに濃縮した37ポンドのウランを産出していると発表した。イランは署名した核不拡散条約の下、これを行う権利がある(そしてイスラエルはこれに署名してきていない)。彼らの核プログラムは平和目的のためとイランは主張する。意味ありげに、濃度20パーセントは核兵器を生産するのに必要とした濃度よりはるかに低いものだ。

*新たな制裁を実施するために米国とNATOがイランの船を詳しく調べるのをねらうとしたら、生じる衝突は戦争に通ずるかもしれない。

*米国の意図についてしっかりした警告を発してきている世界の指導者のひとり、フィデル・カストロは、核兵器を含めて貴国に軍事攻撃が迫っているというようなことを確かに認める。6月27日掲載の「リフレクション」の中で、彼はキューバ国民に関する重大性と、もしかしたら米国イスラエルのイラン戦争という成り行きのこともあった最も恐ろしい大災害ですら、どこにもここにも応じる準備ができている進行に重きを置いた。「最悪の状態は、前もってそんな発展性についてどのようにもニュースで聞き知ることなく、突然、本格的な成り行きのニュースに気づかされることだ。それによって当惑とパニックに陥る... 」
  
ほとんど分析は疑いなく、新しい進展より先の重大性を決意させることが不可避だ。この必要とする数ヶ月の段階での押し並べて広範な軍事行動が仮に積年ではなくても綿密周到な計画のであるのを忘れないでいるべきだ。ペンタゴンが主流メディアに彼らの計画を漏らすことを望んできていない事実は、そんな段取りが存在しないことを意味しない。けれども、世界を取り巻く反戦と反帝国主義者の最も直接の骨の折れる仕事はワシントンから由来するこれら挑発にすぐに応酬することだ、そしてイランに戦争をしかけるどのような企てにもすべて抵抗する覚悟をすることだ。

ただちにとりかかろう!
Sign the Petition - http://www.stopwaroniran.org/petition.shtml

(「Stop War On Iran」のメールより)

写真は燃料補給を断られるイラン航空機(BBC News)

2010/07/04

過去52年で最低のでき



◇前途を思いやる不運なマラドーナ 

ドイツによって彼のチームがコテンパンにノックアウトされたあとに、アルゼンチンのコーチ(監督)として彼の将来性を斟酌しているのをディエゴ・マラドーナは自ら認めてきている。

 「多分あしたやめるだろう」と、4−0準々決勝敗退のあとで彼は言った。

 「それについて慎重に判断しないといけない、また私の家族や選手たちと相談するつもりだ。この点で沢山の問題がある。」

選手として1986年にアルゼンチンをワールドカップの栄光に導いたマラドーナは、「だれが私の後を継いでも」チームの攻撃スタイルに従うべきだと言った。

だが、そのゴールに向かっての投入は、フォワードをすみやかに破ってカウンター攻勢に有効に出るより早くヨーロッパ人が完全な投入で守るとき、ドイツによってやすやすと無効にされた。

FIFAの年間最優秀選手ライオネル・メッシがちょくちょくセンターバックからのボールを取りに行くまで格下げされたケープタウンでの支離滅裂のパフォーマンスのあとに、アルゼンチンのストライカー、カルロス・テヴェスはちょうどそのように認めて、少しも言い訳しなかった。

「彼らの勝利に関してオレたちに言えることは何もない」とアルゼンチンが52年で最低のワールドカップ敗戦の経験をしたあと、テヴェスは言った。

「あんな風に負けるのは非常につらい。オレたちはヘタにプレーしたし、往々にして間違いをやらかしたときはいつでもホームグラウンドに帰る。」

マンチェスターシティのストライカーは付け加える。「どうしてもこじれることになって彼らがオレたちに攻撃させない経験をした。」

戦術的プランに注意を払うというよりも本能と想いによって、あるいは敵対力によってチームをリードするとしてトーナメント前にマラドーナはアルゼンチンであざけられた。

その批判の大部分は南アフリカでの4連勝で押し流されたが、彼のチームのプレーの集団的な本来の姿と言うよりも、ドイツが個々を容易に摘発したあとの今、頭をもたげるかもしれない。

「アルゼンチン人全部と同じくらいに私はがっかりする」と彼は言った。「私の国がフットボール試合に負けるのを見るのはシャツを着ている人間にとって非常につらい。」

ドイツに対するチームのパーフォーマンスに納得したかどうか質問したとき、マラドーナは「ふざけてるのか?」と加えた。

「こちらはフットボールで人生を十分に楽しみ、ひと息つかせる国なんだ。チームが4−0で負けるとき、だれも満ち足りてるとは思わない。」

(BBC 3 July 2010)

2010/07/03

代償を払っているのは誰



◇イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相は7月1日、2006年にイスラム原理主義組織ハマスに拉致されたイスラエル軍のギラド・シャリット伍長の解放と引き換えに、収監中のパレスチナ人1000人を釈放する用意があると述べた。

ネタニヤフ首相はテレビ演説で、「イスラエルは国家としてシャリット伍長の解放に高い代償を支払う用意があるが、いかなる代償でも支払うというわけではない」と発言した。

ハマス側は戦闘員を含む数百人のパレスチナ人の釈放を要求しているが、イスラエルはイスラエル人殺害に関与した人物の釈放には消極的。ネタニヤフ首相は、過去25年間に捕虜交換で釈放したパレスチナ人が再びイスラエルへの攻撃を実行する例が多かったと指摘し、「収監者の釈放決定は難しく複雑だ」などと語った。

イスラエル国内ではシャリット伍長の解放を求める世論が高まっており、シャリット伍長の家族と数千人の支援者は政府に圧力をかけようと、6月27日にイスラエル北部を出発しエルサレムまで約200キロの道のりを12日間かけて行進している。

(AFP 2010年7月2日)

◇イスラエルのギラド・シャリット・デモ行進が数千人を引き寄せる

捕まったギラド・シャリット兵士の解放を訴えるイスラエル中のデモ行進に2万人が参加してきていると主催者は話す。

デモ参加者らは国の至る所12日間のデモ行進の半ばにあり、デモはベンヤミン・ネタニヤフ首相の自宅外で終わる。

ネタニヤフ氏はパレスチナ囚人1000人を解放すると申し出ているが、兵士を捕らえるハマスには「どのような代償」にも報いない。

囚人交換にイスラエル社会から圧力が上がるのを軽減しようとしてネタニヤフ氏はスピーチを用意した。

だが、金曜のデモ行進に2万人が合流したと主催者が言っている限りでは、その措置が仇となるかもしれない。

「首相のスピーチが人々に影響を及ぼして一役買う決心をさせた」とフリー・シャリット・キャンペーン統率者のShimshon LiebmanはAFP通信社に語った。

シャリットの両親と支援者らはエルサレムまで行進する。彼らはネタニヤフ氏の官邸外で野営をするつもりである。彼らは現在23歳の息子なしでは引き揚げないと断言してきている。

兵士の父、ノーム・シャリットはネタニヤフ氏のスピーチを非難してきている。

「ギラドがハマスの秘密の地下室で生気を失ってきている4年の結果として、ベンヤミン・ネタニヤフ首相が何とかやってのけてきているのが彼の前任者の記者会見をリサイクルするだけなのを、私たちは残念に思う」と彼はイスラエル北部Rupinで言った。

ドイツの調停者を介してイスラエルとハマスとの刑務所交換取引に関する会談は昨年末に失敗した。

イスラエルが「人の死に対し責任がある」という数名をハマスが自由にしたがる限りでは、双方の側が囚人リストに承知できなかった。

彼らはまた捕虜が解放される場所についても不和だ。イスラエルは解放される捕虜をガザ地区に送りたい、ほとんどパレスチナ人は移動できないか、またはその領域より強制退去してきているために。ハマスはヨルダン川西岸地区出身者は西岸に帰還させたい。

ネタニヤフ氏のスピーチに応じて、ハマスは、シャリット曹長をめぐってイスラエルからどのような耳新しい申し出も受けてきていないと言った。

△写真はデモ5日目、金曜日の抗議デモのひとつ
(BBC 2 June 2010)

◇首相に難題 拉致された兵と囚人を「交換」 譲歩求め1万人デモ

パレスチナ自治区ガザ地区でイスラム原理主義組織ハマスに4年間監禁されているイスラエル兵の解放を求める世論が、同国のネタニヤフ首相を窮地に追い込んでいる。最大1万人に達するデモ隊は北部を縦断中で、8日にはエルサレムに到着する。ハマスは、イスラエルに収監されているパレスチナ人囚人1000人との「交換」を要求しているが、首相は、人選を含めてどこまで譲歩するかの判断を迫られそうだ。

兵士は06年6月にハマスの武装勢力などに拉致されたギラド・シャリト曹長(23)。ドイツがかねて解放交渉を仲立ちしている。

拉致から丸4年がたったのを機に、交渉停滞に焦る両親らが積極的にメディアに出演し、世論を盛り上げた。また、政府が曹長の解放をガザ封鎖の主要な目的の一つに挙げていたのに、先月中旬以降、封鎖を緩和したことも国民の怒りを買っている。

行進は先月27日、家族が先導して同国北部を出発。最大紙イディオト・アハロノトが賛同者名簿を連日掲載するなどキャンペーンを張り、閣僚3人も加わると宣言した。同紙の世論調査によると、国民の72%が「交換」に賛成している。

ネタニヤフ首相は1日、テレビ演説で「家族と痛みを分かち合いたい」と話し、「1000人」との交換に応じる意思を表明した。しかし、ハマス側の要求には、イスラエル側が「第一級のテロリスト」と呼ぶ一部パレスチナ組織幹部らの釈放が含まれ、これは拒絶する構え。特にパレスチナ解放機構(PLO) の「次期指導者」と期待され、パレスチナ人の間で人気が高いマルワン・バルグーティ氏の釈放については応じないとみられる。演説でも「殺人者を釈放すれば、(新たな)犠牲者を生む可能性がある」と語り、世論を見極めようとしている。

国民皆兵のイスラエルでは、捕虜となった自国兵士を取り戻すことは重大な内政問題だ。人数に大差がある条件でも過去にしばしば交換が行われた。

・イスラエル兵拉致事件:
イスラエル軍のギラド・シャリト曹長(当時は伍長)が06年6月25日、同国南部のガザ境界近くでハマスの軍事組織などとの戦闘の末に拉致された。軍は同月28日にガザに侵攻、11月の停戦までに民間人を含むパレスチナ人400人以上とイスラエル兵5人が戦闘で死亡したが、曹長は救出できなかった。生存の可能性は高いとみられるが、正確な居場所は把握されていない。

(毎日新聞 2010年7月3日)

2010/07/02

マラドーナに勝ってほしい



南米のために、キューバのために、マラドーナのアルゼンチンに勝ってほしい!

昨年のカンヌ上映にこぎつけたエミール・クストリッツァ監督のドキュメンタリー映画「マラドーナ」をやっと見た。撮影開始は2005年のマラドーナの娘の誕生日だが、途中、マラドーナが死にそうになったり、いろんなことがあって、結局、2007年までかかる。
まさに二人の闘士(ひとりは映画を商売からアートに取り戻そうと闘う、ひとりはフットボールで血に染まった西側諸国のずるさと闘う)は会うべくして出会った。

まもなくドイツ対アルゼンチン準々決勝のキックオフ
間に合ったら、この映画を見てからの観戦をすすめる。

http://www.maradonafilm.com/
2008年の映画(2005年〜2007年に撮影)
マラドーナと監督エミール・クストリッツァ、同志の出会い

英国チャールズ皇太子の会いたいとのオファーを「彼は血に汚れている」と言って断り、アメリカとキューバからの功労賞のオファーにはキューバからのみ受け取る男、マラドーナ。もちろんカストロとも会って満面の笑み。そして世界の政治家でもカストロだけは違うと断言した。

エミール・クストリッツァは、マラドーナはフットボール選手というより革命家、まるでセックスピストルズのようだとも言う。実際、イングランド対アルゼンチン戦は「フォークランド紛争のあだ討ち」だったとマラドーナ自身が告白する。あの紛争で死んだ若者たちのために戦った、試合に勝利したとき、仕返ししてやった!と思ったと述べている。

2005年11月4日、当時のブッシュ大統領がアルゼンチンに来るというので、「やつをアルゼンチンには入れない!」大反米集会が起こった。監督もマラドーナ、ボリビアのモラレス大統領らと同じ列車で向かった。この列車のなかの熱気がすごい、監督も言っていた、目の前で起こっていることに身が震えたと。大集会を仕切るのはベネズエラのチャベス大統領、彼もまた「マラドーナが来てくれた!」と興奮して紹介する。

ラスト、ストリートでマヌ・チャオが「マラドーナになりたい、マラドーナのようにプレイしたい」という曲を歌うとき、ストリートにいたマラドーナが実に感慨深くマヌ・チャオに近づき、向き合う。(わたしはマヌ・チャオの大ファン)すごいシーン!これだけでも見応えあり!ストリートでマラドーナを迎え囲むひとりにニール・ヤングの姿があった。

1986年Wカップ、イングランド戦で5人抜きの世紀のゴールを決める。
イタリアリーグ・セリエAのナポリに移籍、初優勝に導く。
だが、90年のWカップ・イタリア大会でイタリアと対戦し勝利した後、イタリアとの関係が悪化、その後コカイン使用が浮上して15カ月の出場停止処分を受ける。これについては(ナポリのオーナーとFIFA会長がなにやら企む)はめられたと言っている。
コカイン中毒、極度の肥満、アルコール依存症、危篤状態、もろもろを経て、いま、マラドーナはアルゼンチンの代表監督として南アで元気な姿を見せている。
マラドーナの「神の手」教というのがあり、おもしろい。
「コカイン中毒さえなかったら、まだプレイできていたと確信できる... ボールは汚れていない。」

◇マヌ・チャオが“クレイジー”なCDをプロデュース
アルゼンチンの「ラ・コリファタ」
vendredi 1er février 2008, par nahoko

「このディスクは、僕のキャリアでもとりわけ重要なものの一つになると思うんだ」マヌは語り始めた、絶えることのないほほえみ、ルポライターのタンタンのような風貌で。ラテンアメリカに恋をして、世界を渡り歩くミュージシャン。彼は2007年12月、アルゼンチンにいた、アルバムを、前代未聞のアーティストたちと録音するために。そう、ブ エノスアイレス、ラ・ボルダの精神病院の患者たち、自らのラジオ局「ラ・コリファタ」を運営し、そこでクレイジーな土地のスラングで話している彼らだ。 1991年、アルフレッド・オリベラという若い精神科医によって設立されたこのラ・コリファタは、アルゼンチンでは大いに成功し、海外にもファンがいる。 毎週土曜日、番組は、施設の壊れかけの壁の向こうに閉じこめられた500人の患者たちの隔離と苦痛を打ち破る。病院の権威者たちは無関心を装うが、この電波によるセラピーはなかなかの結果を出している。ラジオにかかわる何人かの慢性患者たち、いうなればコリファトスたちのうちには、施設を離れ家での療法に切り替えることが可能になった者がいるのだ。

「彼らは僕を激変させたんだ、初めて録音で聴くことができたその日からね。一目惚れだね、僕らは友人になったんだ。」マヌ・チャオはそう語る。 「言葉の壁はあるけど、世界中の人に聴いてもらいたい。彼らは僕にいろいろなことを教えてくれたんだ。彼らには幻覚を起こさせるような正気があるんだ、それによって人生の問題、愛、そして政治なんかを三言で総括する。それっていうのはね、純粋な状態でのポエジーなんだ、プレヴェールのね。それから、彼らの間にはかなりの寛容性があって、誰もが他の誰かのキチガイぷりを受け入れてるんだ!ぼくはといえば、キチガイの境目っていうのがわからない。僕にとっては、境目はそのキチガイが苦痛となったときだ。苦痛がないなら、何か問題あるかい?」

・スーパーわんぱく

お祭り騒ぎのここ数日間だ、ブエノス・アイレスから数キロ離れた田舎にある家、録音スタジオが隣接するここで、アルゼンチンのロックグループ、ロス・ピオホス(しらみたち)に参加している。バミューダパンツにひらたいカスケット姿の46歳、スペール・チャンゴ(超わんぱく)と、アルゼンチンの日刊紙がマヌ・チャオに名づけたまさにそのままにして彼は子供のように夢中になっていた。ここにいるのは自分の部族、ピオホスのメンバーたち、ラディオ・ ルーツのメンバーたち、バルセロナのストリートで出会ったアルゼンチンのミュージシャンたち、そしてコリファトスが12人ほど。

唄う者もいれば、詩を引用する者、その場で講演を始めだす者もいる。「アサド」(南米の肉のロースト)、伝統的な肉のグリルの後では、チームに分かれてベイビーフット(台についた棒で操作するサッカーゲーム)で仕事前のプレイだ。裸足で花柄ショーツのコリファトの1人、ユゴーは、怖じ気づきだした。彼はマイクという習慣がないのだ。

彼の脇に座ってマヌ・チャオは彼を元気づける。「オレは意地悪で、残酷で、エゴイストで、偏見に満ちていて、すべてを握っている。銀行も、石油も、水道も、戦争も起こす、人類なんて滅ぼして、たったひとりこの惑星の主人となりたいのだ、オレが神なのだ!」ユゴーがぜえぜえと息を切らせる。彼がこの、 ジョージ・ブッシュに捧げられた歌の作詞者だ。少し離れたところでは、エデュアルド、ビートと呼ばれ、にかっと笑うと歯が欠けている、彼が自分の番を待っている。「マヌは兄弟のようだ。俺らは離れて暮らしているのだが、けれども彼のお陰で自分たちを大事な者として感じることができる。だからさ死なせてなるもんかと決めたのさ。」

コリファタのメンバーとともに、マヌ・チャオはマリのグループ、アマドゥ・エ・マリアムとしたのと同じように仕事をした。そのアルバムをプロデュースし、彼らの歌やラジオのクロニークを録音しまた音楽を追加した。「コリファトスは、自分自身による収入源が必要だったんだ。僕は助手役はいやなんだけど、彼らにお金が入ってくるディスクならさ。」

ブエノスアイレスでは、マヌ・チャオはコンサートを行わなかった。ファンたちはクチコミでボルダの庭で夜更けまで彼を聴くことが出来る場所を知ることができた。あるいはプレス・コンフェレンスの間、自分の最新作「ラ・ラディオリーナ」について語っていた。その歌の一つ、「ラ・ビダ・トンボラ」は、アルゼンチン人を魅了したディエゴ・マラドーナだ。マヌ・チャオは2年前、エミール・クリストリッツァの助けで彼に会っている。

このセルビア出身の映像作家は、彼をナポリに招待した。そこで彼は、アルゼンチン人のアンファン・テリブル(恐るべき子供)たるフットボーラーのためのフィルムの一部分を回していた。彼こそマヌ・チャオが歌を捧げたその人だ。そこから、クリストリッツァが「レイニン・イン・パラダイス」のクリップを制作し、そこでラ・コリファタのメンバーに出会ったのだ。

現代というものが、常にこのミュージシャンの話すことのなかに存在している。「ラテンアメリカには希望がない、ヨーロッパにないのと同じように。」彼はそう評価する。彼は嘆く、「ヨーロッパ人たちは、ますます保守的になっていくんじゃないか。」ベネズエラで起こっていることには強く印象を受けたという、「若い子たちと話ししてると、何かが動いているニオイがしてくるよ。」

彼はヨーロッパのメディアを厳しく批判する。「ウゴ・チャベスをメディアにさらし、ベネズエラ大統領のポピュリズムを語る。だが、この国でほんとうに起こっていることには完全沈黙。これは情報じゃない、操作だ。」

マヌ・チャオはアルゼンチンには10月と11月に戻ってくることを考えている。ラ・コリファタのアルバムのプロモーションのためだ。それを待つ間、フランスのステージに戻るともアナウンスしている。彼が必要だと考えて戻ってくる、長い不在のあとで。「特に今、この政府だからこそ」と、彼は指摘する。 「事態はひどく緊迫している、若者にはもう未来が見えていない。これはラテンアメリカと同じたぐいの暴力ではないけれど、底知れぬ怒りの爆発なんだ。」

by クリスティーヌ・ルグラン
http://manuchao.jp/dossier/spip.php?article33