見つけた 犬としあわせ

こころがどきどきするもの見つけたとき、それを作品にしたり、思わずなにかの形にして人に伝えたくなります。 見つけたとき感じたしあわせ感覚がひとしずくでも誰かに伝わったら、ダブルでハッピーです。

2008/01/29

帰還兵の殺人90%増


イラクとアフガニスタンから帰還した米兵の121人が殺人容疑で裁かれている。なじみのない遠い国の戦場から、故郷アメリカに戻っても、安堵どころか狂気はインサイドで続いていた。見慣れた街やコミュニティは彼らには国内戦線の場だった。そして家族や隣人がその標的になる。すごい現実です。
以下、1月14日デモクラシーナウ!ヘッドラインからーー。

◇故郷に帰還した退役軍人の121人が殺人罪で告発される
イラクとアフガニスタンの戦争の少なくとも121人の退役軍人が、兵役を終えて故国に戻った後に殺人を犯した容疑を受けているのを、ニューヨークタイムズ紙が暴露している。2001年のアフガン侵攻以来、現役の軍人と新たな退役軍人が掛かり合う殺人で、ほぼ90%の増加を数字が示すとタイムズ紙は報じた。犠牲者の約三分の一は配偶者、ガールフレンド、子ども、または親戚だったこと。そして退役軍人の多くが戦闘トラウマの徴候を見せる一方で、彼らが多くの場合、次のトラウマ的ストレス障害を値踏みされなかったか、殺人後まで診断されなかったと、タイムズ紙は報じる。

全米ホームレス根絶連合が退役軍人省と国勢調査局のデータをもとに推算し、昨年11月11日の退役軍人の日を前に公表した報告書によるとーー。
◇2006年、常時19万5800人の退役軍人がホームレス状態にあり、全体のホームレス人口、74万4000人の約26%にあたること。さらに同年にホームレス状態を経験した退役軍人の総数は49万5400人と推計している。
特にイラク、アフガニスタンからの帰還兵の置かれている状況は深刻。そのうちの20歳〜24歳で失業率が15%にもなっている。また2万人以上が身体に障害を持ち、イラク帰還兵の19%、アフガニスタン帰還兵の11.3%がPTSD(心的外傷後ストレス障害)など精神面での障害に悩まされていると指摘、ホームレスになる危険率が高いことを強調している。

写真は、殺人を犯したある帰還兵が常に持ち歩いたAK47とそのマガジン(弾倉)
その帰還兵は「人殺しは戦争の一部だが、国に帰ってまで人を殺したとは... 消せるものなら消したい」と話した。

2008/01/27

イスラエルの集団懲罰




ガザのエジプトとの国境壁を誰かが何カ所か崩して、そこから大勢のパレスチナ人がエジプトへ出られたとき、「やったー!」って感じで気分が清々した。
でもそのすぐあとにまたイスラエルが「許せない」とばかりにガザを急襲して、ハマスだか普通の市民だかを殺した。

◇23日、欧州議会副議長のルイーズ・モルガンティーニは次のようにコメントした。「壁が倒壊するとき、常に自由の感覚がある。」
「この数時間に何千人ものパレスチナ人がラファの国境の倒れた壁の隙間から、イスラエルがガザ市民に対して行った封鎖を突破していったのは、すべて真の抵抗の行いであり、人々の自由の肯定である。」
24日、エジプトの軍隊と警察は壁のほとんどを閉鎖したが、パレスチナ人の出入りは許されている。ムバラク大統領は、「パレスチナ人をエジプトに入れるように軍に命じた。なぜなら、パレスチナ人は飢えているからだ。武器をもたないかぎり、エジプト軍は必需品を買ったパレスチナ人をガザに戻すことになっている」と語った。エジプトの外務省報道官もガザで人道的な危機が続くかぎり、ラファの国境を開けておくと言っている。
警備にあたるエジプトの将校が「すべてがうまくいくように願っている。ここで起きてる光景を見て、しあわせだ」と答えたのを、イタリア紙の特派員が伝えている。
26日、緊急支援物資をガザに運び込んで、封鎖に抗議するイスラエルの平和団体連合は、「力の政策は失敗した、オリは破られた!封鎖の完全な解除を」と意気盛んだ。
連動してこの日、世界各地で封鎖に抗議する行動がとられた。ローマ、モデナ、ボローニャ、ナポリ、ミラノ、パリ、ポワチエ、トゥールーズ、ストラスブルグ、ボルドー、ナント、オルレアン、クリーブランド、ボストン、フィラデルフィア、サンフランシスコ、ロンドン、モントリオール、ケープタウンなどなどだ。
冒頭の欧州議会副議長モルガンティーニの声明はこう続くーー。
「壁が壊れるとき、常に自由の感覚がある。生きていくのに不可欠な食糧や医薬品などを買うためにエジプトに殺到した男性や女性のガザ南部から届く映像は、ほかでは見られない。4日間の完全封鎖と停電、イスラエルによる非人間的な包囲の自然な成り行きとして、この姿があるからだ。アッバス議長が正しく公言したように、責任はイスラエルの政策にある。閉じ込められ、人間性と国際法を完全に無視して集団的に懲罰するオリから人々が完全に消耗しながらも国境を超えたのはイスラエルの政策のせいなのだ。」
「私はオルメルト政権がこのメッセージを受け取ることを願っている。ガザの封鎖を終わらせ、急襲や軍事作戦を終わらせることだけが、どちらの人々にも安全を保障して和平の達成を尊重するのに必要な調和をもたらすのだ。」

1月25日ヘッドライン デモクラシーナウ!
◇エジプトがパレスチナのガザ地区との国境横断に断固たる措置をとる
ガザの進行中のイスラエルの急襲と全面封鎖から、ほっと安心の息抜きと救済を求めるパレスチナ人の殺到に、エジプトの部隊が断固たる措置をとりはじめている。
戦闘員らがラファの国境壁の数カ所を爆破して以来、ガザの人口150万人の半分ほどの人々がエジプトに流れ込んできている。今日早くにエジプトの治安部隊が群衆を押し戻そうとして水の大砲を使った。今日後ほど国境を非常線などで包囲する計画だとエジプトは述べた。全住民は生き延びようと努めているだけだと、ガザ居住者は言った。
ガザ居住者:「私たちは食べ物と、ガザに供給電力を持ち込むためのディーゼルエンジンを手に入れるために来た。私たちは食べたいし飲みたい、それだけです。」
イスラエルのガザへの急襲が続くとき、国境に絶望がわく。前夜、ラファ国境近くでハマスの戦闘員だと申し立てられる4人をイスラエル戦闘機が殺害した。ここ10日間にイスラエルは40人以上のパレスチナ人を殺してきている。イスラエルが燃料、食糧、医療救援物資を制限するとき、援助当局者らは人道危機について警告し続ける。イスラエル人数人が負傷しているパレスチナのロケット弾攻撃を止めるため措置を講じているのだとイスラエルは言う。ダボスの世界経済フォーラムで、イスラエルのシモン・ペレス大統領はガザは要するに「自分で自分を封鎖」しているのだと述べた。

イスラエル大統領シモン・ペレス:「われわれは封鎖していない、ガザがガザを封鎖している。彼らが発砲をやめた瞬間、どんな問題もなくなる。決してわれわれが彼らに向かって発砲を始めたのではない。われわれへの発砲をやめる瞬間、停戦となるのだ。」
ダボスではまた、アラブ連盟外相ムーサ事務局長がイスラエルの集団懲罰(虐待)を非難した。
アムル・ムーサ:「イスラエルはこの地区とその全住民を押し込めて締めつけてきている、彼らを飢えさせ、エネルギーや薬剤や食料、どんなものも与えるのを止めた、そしてこれは占領する強国としての彼らの負いめ(恩義)に反する。ご存じのようにガザとパレスチナ自治領はイスラエル軍の占領下にある、そしてこれは国際的な人道法に従うか、適用されるべきことである。イスラエル軍による重大な人道法の違反がある。その結果、住民らはカイロに行くことを除いては生き延びることができなかった、だからエジプトは彼らは助けてきている。もちろん、私たちはほかにもできることはする。」

◇武装勢力は壁の爆破後にブルドーザーで道をならし、車も通過できるようにした。住民らはエジプト側のラファのほか約40キロ離れたシナイ半島北部のアリーシュにも向かい、封鎖のために不足している乳製品や砂糖、炭酸ソーダ、たばこ、ガソリン、セメントなどを買い込んだ。
3回往復したという教師のアブムハンマド(45歳)は「まるでお祭りのようだ。生活苦の悲劇が毎日続くが、久しぶりに喜劇を体験できた」と皮肉を込めて語った。
イスラエルは昨年6月にハマスがガザを武力制圧してから、境界を全面封鎖し、人道物資以外の供給を大幅に制限している。ガザでは燃料不足のため数時間の計画停電が毎日続く。建築資材や機械のスペア製品などは輸入を禁止され、労働者は働き場を失った。
(朝日新聞2008年1月25日)

写真は、RafahToday.orgより1月26日の様子。離ればなれになっている親戚にエジプトで再会し抱擁している人たちの姿も見える。このサイトには見るのもつらい写真がたくさんある。でもそれがパレスチナ人、特にガザの人たちの現実だと思うと、なにもしないでいる自分が恥ずかしくなった。
写真はクリックすると拡大版で見ることができます。

2008/01/26

ジュゴンの勝利


◇米地裁、米政府にジュゴン調査命じる 普天間移設めぐり
沖縄の米軍普天間飛行場の移設予定地(名護市辺野古崎)の沖にすむジュゴンの生息環境が基地移設で破壊されるとして、日米の自然保護団体などが米国防総省と国防長官を訴えていた訴訟で、米サンフランシスコの連邦地裁は24日、移設による生態系への影響調査を国防総省に命じる判決を言い渡した。
判断の根拠は、米国歴史保存法(NHPA)。同法は米政府の行為が国内の文化財に影響を与える場合、事前に保護策を検討するよう求めているが、外国の文化財にも適用されるとの規定がある。原告は、日本の文化財保護法で天然記念物に指定されているジュゴンへの影響調査を行わないまま国防総省が基地建設を許可したのは違法だと主張。国防総省側は、ジュゴンは生物であって、NHPAが対象とする「文化財」にはあたらないと反論してきた。
判決で同地裁はジュゴンがNHPAで保護される文化財にあたるとの判断を示し、影響調査の方法を記した書面を90日以内に提出するよう求めた。AP通信によると、判決にあたり連邦地裁判事は、「NHPAが米国外で適用された初のケース」と述べたという。
(朝日新聞2008年1月25日)

◇サンフランシスコ連邦地裁のマリリン・パテル裁判長は、国防省がジュゴンへの影響軽減策の必要性を把握、考慮していないことを同法違反と認定。「計画が国防長官らによる最高レベルの承認を得ているにもかかわらず、ジュゴンへの影響はよく把握されていない。国防総省は引き返すことができないほど計画に関与しており、法に基づく義務履行を建設直前まで待つことはできない」と判示した。
原告の一人で、米自然保護団体「生物多様性センター」のピーター・ガルビンさんは「地裁決定に基づく見直しと、基地建設の影響が広く知れわたることで、日米両政府がジュゴンを絶滅に追いやる計画を断念することを願う」と話した。
原告の東恩納琢磨さんは「大勝利だ。米国政府に言われて見直すのは恥ずかしいことだが、日本政府はそれをやらないと、世界から大きな批判を浴びる。(基地建設に)高いハードルができたし、この判決を克服するには、相当の労力と時間がかかる。それよりは、辺野古への基地建設を見直した方が早い。ジュゴン保護区の設置を米国民にも訴えていきたい」と話した。
代替施設の建設を急ぐ日本政府に、米司法が高いハードルを突きつけた。
(沖縄タイムズ2008年1月25日)

◇ジュゴン:太平洋、インド洋の熱帯・亜熱帯海域に生息する海牛目の哺乳(ほにゅう)動物。カリブ海などに住むマナティーとともに人魚のモデルとして知られる。1日に数十キロもの海藻を食べ、成長すると体長2・5メートル、体重300キロぐらいになる。寿命は50―70年。生息環境の悪化で絶滅の危機にひんしているといわれ、ワシントン条約で国際商取引が禁止されている。

写真は沖縄辺野古沖で見られるジュゴン

2008/01/25

流浪のロボから届いた映像



2008年1月23日タイムズオンラインからーー。
これは、火星に生命があるってことなのかい?

あれは岩?火星人の蜃気楼?それとも、地球から300億マイル離れた不毛のアジトから手を振るオサマ・ビンラディンかい?
火星の生命のいとぐちの探索で、目下、赤い惑星の表面をあちこちへころがって進んでいる流浪のロボット2機のひとつが地球にビームバックしてきた異様に生命体のような映像によって、NASAの科学者らは頭を悩ませている。
4年の任務をおびた対をなす乗物によって生け捕りにされる、ずるい緑色の男たち(マーズアタック!)の映像がないことで、これまで落胆させられていた宇宙ウオッチャーをこれは大いに喜ばすことだろう。
2007年後半に低い台地の頂上から探査機スピリットによって撮影されたパノラマ写真の一枚の左端にエイリアンのフィギュアが描かれていた。
そのロボットの乗物スピリットと対をなすオポチュニティは、2004年4月初の任務を成功で終えて以降、火星をあちこちころがりまわっていた。ロボ2機の原則に基づいたゴールは、かつて生命には快適だったかもしれない環境を示す、水の地質学上の証拠を捜索することだ。
2003年6月と7月にフロリダのケープカナヴェラルから打ち上げられたロボ2機は、岩が散らばる不毛の景色を探索し続けたその惑星の反対側の終点までそれぞれ別々に487億マイルと456億マイル旅をした。
それぞれソーラーで動く転がる乗物は、まあ言ってみれば機械で動く火星の表面を歩く地質学者に相当する。マストに据え付けられたカメラは、1.5メートルの高さになり、360度、立体的に見える人間のような視覚領域を提供する。
ロボットの腕は、肘やこぶしのある人間の腕と同様の多くの動きが可能で、関心事の対象の岩や土壌に近接して計器を設置することができる。機械で動く腕の「握りこぶし」には、地質学者が手で支えた拡大レンズと同じ目的にかなう、立体的に見えるカメラがある。
プロジェクトの予算はおよそ8億2000万ドル。
先週、よく似た探査機メッセンジャーが水星の「ダークサイド」からの最初の映像を捕らえた。それは1万7000マイルから以前には見えなかった半球を明らかにした。

写真は最初のがパノラマ写真で、丸印のあるところに映っているのが二枚目の写真の、なんとなくアフガニスタンの山岳地帯にでもいそうなフィギュアに見えるものです。

2008/01/23

ヒース・レジャーが死んだ


テレンス・マリックが30年以上も温めてきたプロジェクト「Tree of Life 」は当初ヒース・レジャーとショーン・ペンが共演ということだったらしいが、レジャーが降板して、ブラット・ピットに出演契約を交渉中らしい。 
ショーン・ペンは他にも、ガス・ヴァン・サントが監督する「Milk」で主役のハーヴェイ・ミルクを演じることになっている。ハーヴェイ・ミルクの映画はこれまでも複数あったが、ガス・ヴァン・サントとなれば話は別だ。これは愉しみな取り合わせ。
ハーヴェイ・ミルクは、サンフランシスコのゲイコミュニティ「カストロストリートの市長」と呼ばれたゲイの権利活動家、米国初のゲイの市会議員になった人だ。彼は教職にある同性愛者をその性的指向を理由に解雇できるとする「条例6」の破棄に尽力した。条例6は1978年11月、カリフォルニアの住人によって完全に否決された。
ミルクは、前の執行委員ダン・ホワイトによって1978年11月27日に市庁舎でジョージ・モスコーネ市長とともに暗殺された。
裁判でホワイトはわずか7年の禁固刑を宣告され、この評決に激怒した同性愛者らがサンフランシスコで広範囲にわたるホワイトナイトと呼ばれる暴動を起こした。
なぜ映画の話かというと、今朝ショックなニュースが飛び込んできたからだ。ヒース・レジャーが1月22日、ニューヨークの自宅で亡くなっているところを発見されたのだ。彼はまだ28歳だよ。「ブロークバック・マウンテン」での彼の演技はずっとあとまで余韻が残るすばらしいものだった。少なくともわたしはこれでファンになった。以下ニュースからーー。

◇ニューヨーク市警によると、レジャーは火曜午後、マッサージの予約を入れていたという。3時26分、自宅にマッサージ師が到着した際、手伝いの者が呼びに行ったところ、死んでいるのが見つかった。死因は薬物の摂取(オーバードーズ)と関連している可能性がある。
オーストラリア生まれのレジャーは、2005年の「ブロークバック・マウンテン」でアカデミー賞にノミネートされた。同年、共演のミシェル・ウィリアムズと婚約し、娘をもうけたが、昨年ふたりは婚約を解消している。
彼の一番の作品は「恋のから騒ぎ」の見た目不良の高校生役だったという人も多いはず。最近出演した「アイム・ノット・ゼア」ではボブ・ディランのひとりを演じて話題になった。今年、「バットマン ビギンズ」の続編 「The Dark Knight」にジョーカー役で出演する予定だった。

全米でこの夏公開のこの映画の予告を見ると、なかなかの暗いジョーカー役なんですけど。残念です。
写真はヒース・レジャー

2008/01/22

ブッシュの戦争に金は払わない


◇10万人の納税者が合流しよう!
イラクでの戦争を終わらせようと、昨年ずっと市民たちが票を投じ、ロビー運動をし、デモ行進して、直接行動に出ました。勇気ある兵士たちはその戦争で戦うのを拒否しています。なのに、議会は、戦争を続けることに何十億ドルも割り当てて、見たところ今後のイランへの軍事攻撃をいつでも喜んで正当と認めるようです。
この戦争に反対する納税者が、非暴力市民不服従で合流して、この戦争への資金を打ち切って、緊急の人々のニーズに財源を向け直す手段を、議会に示してやるときです。
米国には、戦争の重い負担に抵抗というすばらしい伝統があります。私たちの政治指導者らが国民の決意に耳を貸さないとき、個人個人が市民不服従に乗り出してきています。
2008ボストンティーパーティ連合のメンバーたち!
今日、Eメールで参加登録を!
以下は、この行動に参加する団体名ーー。
・CODEPINK: Women for Peace
・2008 War Tax Boycott coalition
・AfterDowningStreet.org
・Alliance for Democracy
・Axis of Justice
・Camp Casey Peace Institute
・Culture Revolution
・Global Woman's Strike
・Goldstar Families for Peace
・Grandmothers Against the War
・Granny Peace Brigade
・Grassroots America
・United for Peace and Justice

写真は2008ボストンティーパーティ連合のバナーです。クリックすると拡大版でご覧になれます。

2008/01/20

慈善活動にめざめたセレブたち


◇ジョージ・クルーニーが平和大使に
国連は18日、人気俳優ジョージ・クルーニー(46歳)を平和大使に任命したと発表した。スーダン西部ダルフール地方の人道危機解決を訴えてきたクルーニー氏の担当は平和維持。今後、同地で活動するAUアフリカ連合・国連合同部隊の展開促進などを呼びかけていくとみられる。
ジョージ・クルーニーはダルフール紛争の実態を紹介するドキュメンタリーを制作。安保理で同地の窮状を説明したこともあり、潘基文(パン・キムン)事務総長は「ダルフールに関する行動結集にかける情熱」を任命理由に挙げた。
(時事通信1月19日)

◇生活改善などの国連の取り組みを広く訴える国連平和大使には、俳優ジョージ・クルーニーのほかに、ノーベル平和賞受賞作家でホロコースト生還者のエリー・ウィーゼル、中国系アメリカ人のチェロ奏者ヨーヨー・マ、米国の俳優マイケル・ダグラス、アフリカの霊長類研究で著名な英科学者ジェーン・グドール、ヨルダンの故フセイン国王の娘ハヤ・ビント・アル・フセイン王女、イスラエルの世界的指揮者でアルゼンチン出身のダニエル・バレンボイム、ブラジルのベストセラー作家、パウロ・コエーリョ、日本人バイオリニストの五嶋みどり、8人が任命されている。
国連の統計によると、ダルフール地方では少なくとも20万人が紛争と飢えと病気で亡くなり、220万人が住む家を追われている。
(AFP通信 1月19日)

◇人権運動などにも力をいれているクルーニーは、特にスーダンのダルフール紛争について世界中の関心を集めるための活動などを行っており、現在もスーダンにいるという。彼はブラッド・ピットらと共に 「Not On Our Watch」という慈善団体を主宰し、スーダン難民を支援するための資金集めなども行っている。

◇ドバイ国際映画祭が昨年12月9日に開幕した。4回目を迎えるこの国際映画祭は、ジョージ・クルーニーとシャロン・ストーンをゲストに迎え、これまでにない盛り上がりぶりを見せた。
オープニング作品に選ばれた「マイケル・クレイトン」をひっさげてドバイ入りした主演のジョージ・クルーニーは、記者会見で中東の政治的な質問を浴びせられることになった。
1時間に及ぶ会見では、ダンフール紛争からアメリカの外交政策、アメリカ映画におけるアラブ人描写についての質問が何度も繰り返され、壇上で対応するクルーニーの姿は映画スターというより、外交官に近かった。
「アメリカ人はときにパニック状態に陥ることがある。でも、アメリカ人はパニックを修正することにも優れている」と、クルーニーはジョージ・W・ブッシュ大統領の中東政策について謝罪した。
「いま、私たちは過去数年間にわが国が犯したいくつかの過ちを正す過程にある。」

睡眠中の女性と子どもを殺しても無罪


昨年12月26日、イラクに駐留する米兵がパトロール中に合同で任務についていたイラク兵によって射殺されたというニュースを憶えていますか。1月6日の新聞やNHKニュースで報じていました。東京新聞では、射殺は「事故ではなく計画的だった」と述べたうえで、「このイラク兵は(反米)武装勢力の協力者だった」とのイラク軍高官のコメントを載せています。
・米軍などによると、北部モスルで戦略上の拠点施設を建設していた際、イラク兵が米兵らを射殺。イラク兵は拘束され、スンニ派武装勢力と関係があると判明した。ロイター通信によるとイラク兵が故意に米兵を殺害したことが明らかになったのは旧フセイン政権の崩壊後、初めてというーー。
そして、「米軍はイラク軍の育成強化を治安改善のカギと位置付けているが、治安部隊にはイスラム教シーア派民兵組織やスンニ派武装勢力が浸透しており、いずれ米軍へ矛先を向ける可能性が指摘されてきた。懸念が現実化したことで、米軍の今後の活動や部隊強化、治安権限移譲などに影響が出る可能性がある。」と結んでいた。
ところが、ロイターの記事は射殺にいたった経緯について別の顛末があることに触れていました。
ロイターはイラクのモスリムウラマー協会(モスリム聖職者協会)が公開した声明文を紹介していた。声明によると、「米兵がイラク人妊婦を殴りつづけたので、女性を守るためにイラク兵士は発砲した」というのです。
・彼は憤慨して、占領軍(米軍)の兵士らに「女性を殴るのは止めろ」と抗議しています。でも、通訳から伝えられた返事は「何をしようとオレたちの勝手だ」でした。そこで彼は米兵に向けて発砲しましたーー。
これについてのロイターの質問に米軍広報官は、「いまも調査は続いているが、米兵が女性に暴行を加えたことを示唆する事実は何もない」と疑惑を否定している。
日本の報道はどうも米軍とイラク軍部から出たものしか採用しなかったようだが、中国の政府系通信社はロイターの特にその部分を赤線を引くように伝えていた。見出しは、「イラク兵に殺された米兵は妊婦を殴った」である。
さらに6日のイラク独立系メディア、アスワトアルイラク(イラクの声)がウェブサイトに事件に関する記事を掲載した。ここでは別の嫌疑が米兵らに投げかけられている。
・アメリカ当局は、事件の現場に一般市民がひとりもいなかったとして、イラク兵士が発砲したのは米兵がイラク人少女に性的嫌がらせを行ったからだという嫌疑を否定したーー。
妊婦に暴行と、少女に性的嫌がらせ?イラク人女性、リバーベンドのブログを読んだことのある人なら、大いにありうる話だということがよくわかる。といっても、アスワトアルイラク(イラクの声)の情報源はよくわからない。ではこれならどうだろうか。IPSインタープレスサーヴィスに記事を書く、世界で圧倒的支持を得ているジャーナリスト、ダール・ジャマイルとチームを組むイラク人非従軍記者の速報を紹介しておく。米軍の占領以降、イラク人ジャーナリストとメディア関連の犠牲者は278人。彼はここではアリと名乗っている。
アリは事件を目撃したイラク市民を捜し出し、電話でインタヴューしている。イラク兵士の親族にも取材して事実関係を確かめた。部族長に聞いた話も事件の背景を知る上で有効的だった。

◇1月7日、バグダッドーー。
2人の米兵がイラク兵士に殺害された事件によって、活動をともにするイラク人と米軍の関係に懸念があることが明らかになった。
昨年12月26日、北部の街モスルで、合同パトロールを行っていたイラク兵士が米兵に向けて発砲し、大尉と軍曹を殺害、イラク人通訳をふくむ3人を負傷させた。
この殺傷事件に関しては、これまで異なる報告が出ていて、互いに矛盾している。イラク兵士の叔父にあたるハジム・アルジュブーリ大佐が取材に答えた。甥のカイサル・サーディ・アルジュブーリは米兵らに女性を殴るのを止めるよう求めたが拒否されたので発砲したという。
「カイサルはプロの兵士です。アメリカ人らが女性の髪をつかんで乱暴に引きずり回したので反抗しました。彼は部族の男です。誇り高いアラブ人でもある。あのような乱暴を許すことはできません。カイサルは上官である大尉と軍曹を殺しています。自分が処刑されることは覚悟の上でした」
事件を目撃したモスルの住民が同様の証言をしている。
「アメリカ軍の大尉が、部下を連れて近所の家に踏み込むのを見ていました。女たちを怒鳴りつけて男どもはどこにいるんだと聞いていた。誰かを捜していたのでしょう。女たちが知らないと答えた。家の男たちは何も悪いことはしていないと訴えながら、恐ろしさに泣き出しました」
そこで大尉が怒鳴り始めると、米兵らは女性たちの髪をつかんで引きずり回したという。
「後になってカイサルだったとわかったのですが、イラク兵士はアメリカ人らに止めろ、止めろと大声を上げた。大尉は怒鳴り返した。するとイラク兵士は畜生ども、女たちから手を離せ!と叫んで銃を撃ちはじめました」
そして兵士はその場から逃亡したという。
スンニ派の組織、モスリム聖職者協会は、声明文を公開して、イラク兵士は米兵らが妊婦を殴るのを見て発砲したと訴えている。
協会の声明は、まず衛星放送チャンネル「アルラフィダイン」が伝え、すぐにイラク中の話題となった。イラク人の名誉を守るために犠牲となった「英雄」の物語をだれもが口々に話していた。
米軍とイラク軍は、筋立ての異なる話を伝えている。取材に応じてくれたイラク軍大将によると、カイサルが攻撃したのは「スンニ派武装グループ」とつながりがあったからだという。
また、イラク陸軍第2師団に所属する大尉は次のように述べた。
「カイサル・サーディは武装グループの手先だ。彼は、グループに命じられて軍の動きを同志に報告していた。そういう奴らは陸軍にたくさんいる。覚醒と呼ばれる(米軍が資金提供している武装グループの)部隊にも入り込んでいる」
勇敢な行為だったと陰でカイサルを讃える陸軍将校もいた。
「アメリカ人にはいい薬になっただろう」
大部族アルバガラの長、シェイク・ジュナ・アルダワルはバグダッドでこう話してくれた。
「カイサルはガヤラのアルジュブール部族の出身です。あの部族は、アメリカ人には理解できない倫理観を持っています。カイサルは、ジュブール部族だけでなく、すべての部族の誇りであり、英雄となりました。彼の名が忘れられることはないでしょう」
同様の思いを語るイラク人は多い。派閥に属さないバグダッドの政治家、モハマド・ナシルは次のように話した。
「この事件によって、イラクの人びとは絆を失っていないことがまた明らかになりました。アメリカ人たちが、手なずけた者どもを操って、政治でなにを画策しようとも、この絆は切れない。人びとはカイサルを愛し、身の安全を祈っています。彼を守るためなら、喜んで何でも差し出すでしょう」
アルジュブーリ大佐によると、カイサルは米軍と活動を共にするようになってから「あまりにひどい現実を知って我慢できなくなっていた」という。
「わたしもアメリカ人に協力しました。自分は職業軍人ですし、彼らがイラク人を助けてくれると信じてもいた。しかし1年もたたないうちに、占領軍に手を貸すくらいなら飢えて死んだほうがいいと思うようになった。アメリカ人はひどいことばかりする」
政治的に偏見がないと思われる筋からの情報によれば、アメリカとイラクの混成部隊に捕らえられたカイサルは、モスルのアルギズラニ基地に拘禁されて拷問を受けているという。
最近、占領軍の戦死者数は減少している。それでも米国防総省の発表によると、2007年には901人の米兵が命を奪われ、最も犠牲の多い年となった。

◇イラク兵による米兵射殺事件は、ハディーサ虐殺事件に象徴されるように、米兵がどんな残虐な行いをしようとも罪に問われない現状を背景としている。1月4日、射殺事件が発覚する前日、米海兵隊は、ハディーサで子どもや女性をふくむ24人の市民を殺害した海兵隊員を、ひとりも殺人罪で起訴しないと決定した。
(ワシントンポスト紙1月4日)
殺された子どもや女性のほとんどは睡眠中だった。

アリの記事はTUP ヤパーナ社会フォーラムより転載 全文はTUPでお読みください。(転載歓迎に感謝します)

写真はイラクに建設中のアメリカ(帝国)大使館。8日の予備選で勝利したヒラリーもマケインも中東政策ではよく似ている。
ヒラリーは、イラク領土に米軍基地を恒久的に置くことを2年前から示唆しており、ブッシュ・チェイニーの政策とうり二つ。マケインにいたっては1月3日ニューハンプシャーで、米軍によるイラク占領が「100年つづくかもしれない」が、「私はかまわない」と述べたのと、イランについては昨年4月サウスカロライナの講演で、ビーチボーイズの曲にあわせて「爆撃、爆撃、とにかく爆撃」と歌ったのだ。

2008/01/19

look back at 2007 地獄に堕ちたイラク


デモクラシーナウ!が、昨年一年間に取り上げた「特に気になるニュース」を振り返る特集を組んでいます。実際には一昨年の12月30日になるんだけど、こんなもの見るなんて!と、どうしても心に引っかかっていたサダム・フセインの処刑のことが一番に挙げられていたので、もう一度振り返ってみることにしました。
番組でこれを取り上げたのは2007年1月2日です。フセインの処刑について個人的に気になったコメントと、そもそも処刑にいたるフセインの罪状とはなんだったのか?これについてラムゼー・クラークが書いた書簡の一部も加えます。こういうこと知ってましたか?

◇Our look back at 2007 by DemocracyNow!
サダム・フセインの絞首刑(国際法円卓討議、米国の役割、クルド人の反応と米国のサダムとの絆について言いつくろうメディア)
エイミー・グッドマン:身の毛のよだつような光景でした。土曜日の日没後、イラクの元独裁者サダム・フセインはバグダッドで絞首刑に処せられました。携帯電話で撮影され、インターネット上に公開されたヴィデオがサダム・フセインの処刑を準備する男の人たちを見せました。

◇サダム・フセインが「人道に対する罪」で処刑されたけど、理不尽な戦争を発動して多数を死に追いやった米大統領とその支持者たちに反人道罪はないのか問いたい。世界の不条理を嘆き、怒る眼と心が必要だ。
(作家「辺見 庸氏が語る」から抜粋)

◇英BBCなどによると、現地時間30日午前6時(日本時間午後0時)ごろ、イラクのサダム・フセイン元大統領の絞首刑が執行された。1982年に同国中部のドゥジャイル村の住民148人を殺したとして「人道に対する罪」に問われた同大統領は、先月5日に一審にあたるイラク高等法廷で死刑判決を受け今月26日、控訴院が判決を支持したことで死刑が確定していた。

◇ドゥジャイル事件
ドゥジャイル事件の罪状は、1982年夏イラン・イラク戦争最中にドゥジャイルという村でサダム・フセイン大統領および他の場所でタリク・アジスを含むイラク指導部の暗殺が試みられたことへのイラク政府の反応に関するものだ。
イランはイラクの3.5倍の人口と1972年から76年に米国から購入した240億ドルの武器でイラン領内からイラクを攻略しイラク領に侵入するのに成功した。イラン国境にもバグダッドにも近いドゥジャイル村は、イランで創立されイラク政府打倒を公約したダーワ党の地下組織の中心だった。ダーワ党は、共産党と同じくイラク国内では非合法とされていた。
フセイン大統領の乗ったクルマはドゥジャイルを通過中に発砲され被弾した。何人かがイランに向かって逃げるのが目撃された。その地域では数日間にわたって銃撃戦と小規模の戦闘が続いた。イラクのヘリコプターは暗殺者が隠れた道に隣接した果樹園を爆撃した。その道は、バグダッド北部からドゥジャイル、ティクリート、サマッラ、モスル、そして戦時中重要な輸送ルートだったトルコ国境へとつながる幹線道路だった。
数日してドゥジャイルで数百人が逮捕され取調べを受けた。村の人口の2%に満たないとても限られた数だった。逮捕された人々はバグダッド近くのアブグレイブに移送された。現在のアブグレイブ刑務所はその後に建設されたものである。ほとんどの収容者は子どもが両親と切り離されないように数ヶ月以内にドゥジャイルとイラン国境の西の砂漠の中の拘置所に家族丸ごと移された。彼らのほとんどは解放されてドゥジャイルに戻る2003年までそこに留められた。

米国は、1941年12月7日の日本軍の奇襲攻撃後、1942年の2月から3月にかけて西海岸の日本人と日系アメリカ人11万人を逮捕した。彼らの所持品はすべて没収され、1945年まで不毛な拘置所に彼らを監禁し続けた。

ドゥジャイルの道路に隣接した果樹園は、イラン人やイランに同調する人々が将来隠れる可能性があるため、伐採された。皮肉にも容疑者のドゥジャイルの住民2人は破壊された果樹園の所有者だった。所有者全員が損害を補償された。
イラクの司法制度に基づき2年間の調査を完了した後、ダーワ党と自白した148人が、戦時中イランに武力支援を提供するため武装蜂起した反逆罪で告発された。2週間以上かけてイラク法廷は調査記録と自白を照査し、有罪判決を下した。彼らには死刑が求刑された。
1985年、法に基づく大統領署名による執行命令によって死刑が確定した。容疑者の何人かが処刑された。刑務所で死んだ容疑者もいた。また何人かは当時18歳未満だった可能性もあった。フセイン大統領の弁護側証人は、最近ファルージャで当時の容疑者数人に会ったと証言している。

ジョージ・W・ブッシュはテキサス州知事時代に、女性、発育障害者、ウィーン条約に違反した外国人、犯罪を犯したとき18歳未満の人など152人の死刑執行に署名した。ブッシュは刑の執行を容赦することも軽減することもいっさいしなかった。

ドゥジャイル事件が持ち出されたのに、おおむね失望した。それは司法の問題であり、100万人が死んだ戦争中の事件だったからだ。暗殺計画はイラク国外では知られておらず、国内では忘れられた事件だった。イラン・イラク戦争での指導、クウェート侵攻、湾岸戦争勃発の際に蜂起したシーア派とクルド人に対するイラク政府の反応、1984年から86年にかけて北部クルド人居住地域でのイラク軍とイラン軍の毒ガスの使用こそが、どれも数万人規模の死をもたらす主要な事件であり、国際的にも認知されたことだった。ドゥジャイル事件を最初の裁判に選ぶとは信じられないと法学者に広く批判された。
(国際行動センター、ラムゼー・クラーク)

◇イラク高等法廷のサダム・フセイン大統領ならびに他の容疑者に対する非合法で不公正な審理は国際法を脅かしているーー。
ドゥジャイル事件が最初の裁判に選ばれた理由は政治以外の何ものでもない。バース党のメンバーが排除され、フセイン政権に反対する候補者だけが公職につくことができる選挙を米国が支援していると同時に、米国の一部となっているシーア派とクルド人指導者は資金を供与され表の顔になり一般国民に知られるようになった。
新しい議会でダーワ党は他の政党より大きな権力を握った。選挙後、最初のイラク首相ジャファリ、そして次の首相マリキは、いずれもイランで創立されバース党を打倒すると公言して20世紀最後の10年間と21世紀初頭にイラク政府に対する暴力闘争(今の定義で言えばテロ行為)に従事していたシーア派政党ダーワ党の指導者だ。
この裁判はイラクに対する米国の侵略戦争と不法な占領で現在権力を握ったダーワ党がその力を誇示し、復讐を実行するための、復讐劇に他ならない。
米国が保護している刑事被告人たちを保護するはずのないイラク現政権に引き渡す前に、国連の適切な機関がISTイラク高等法廷の適法性と公正さを再調査し決める必要がある。
公正さで国際基準に深刻な損害を与え、国際法の屈辱的な失敗とすでに人々を耐え難い恐怖や暴力や死でもって苦しめている内戦という二重の厄災を取り返しがつかないほど悪化させる危険に直面している。
国連総会で、ドゥジャイル事件の審理の適法性に助言的意見を与えるよう国際司法裁判所に要求すべきだ。 
(2006年10月10日、ラムゼー・クラークが各国国連大使に宛てた書簡より抜粋)
http://www.iacenter.org/Iraq/hussein-2-102006.htm

2008/01/17

デモクラシーナウ!を助けよう


アメリカのTV局MSNBCによる1月15日夜ラスベガスでの民主党大統領候補の討論会の席に、米オハイオ州選出デニス・クシニッチ下院議員の姿はなかった。NBC は先週、クシニッチ候補に対し、討論会への参加基準を満たしていると伝えていた。ところが2日後、参加基準を変更して、クシニッチが基準を満たしていないと言ってきた。デニス・クシニッチは討論会ぎりぎりまで法的戦いを続けていた。ネバダ州地裁は13日、NBCに対し、クシニッチを番組に参加させるよう命じたが、NBCが上訴した。15日の討論会の1時間前についにネバダ州最高裁は NBC側の言い分を受け入れた。
デモクラシー・ナウ!は、言論の壁を打ち破り、デニス・クシニッチに討論会に参加する機会を提供することにした。独占放送で討論会の抄録を再放映し、クシニッチが「沈黙」を強いられていなかったら受けていたであろう候補者への質問に彼が回答する機会を提供したのだ。
(この16日の独占番組はサイトから直接聞くことができます)
さて、このエイミー・グッドマンが仕切る公平なインディメディア放送、デモクラシーナウ!からとっておきのお知らせが!

◇ウイリー・ネルソン、ダニー・グローヴァー、ジャクソン・ブラウン、エイミー・グッドマン、ホアン・ゴンザレス、ジェレミー・スカヒル、そして有名人たちのホストらとの夕べに、デモクラシーナウ!があなたをご招待
2008年2月20日水曜日の限定席が入手可能
・1000ドル席:7時半の点在するスターのパフォーマンスとレセプション
・2500ドル席:上記に5時半のディナー付
・イヴェントに参加はできないが、増えて元気でいるために、デモクラシーナウ!に常置のスペースを作る手助けをしたい。
このチケットと寄付のすべてが法律の限度まで税控除が認められます。
寛大な補助金のおかげで、あなたが誓約するドルのすべてが2倍になります。デモクラシーナウ!は広告収入、企業の引き受け、政府の資金を受けていません。あなたのような個人の寛大な寄付金が私たちの記事の独立性を維持すること、インディペンデントメディアという最も貴重な情報供給源を強くするのを助けます。
New World Stages
340 West 50th Street
between 8th & 9th Avenues
New York, NY 10019

先頭に立つTV、ラジオ、インターネットニュースソースとして、何百万の人々がデモクラシーナウ!を頼りにします。同じ小さなネットワークサークルのほとんど知らないも同然の学識者にうんざりさせられるあなた方のような人たち。イラクからジーナ、ルイジアナまで、草の根のグローバル・インディペンデントメディアニュース番組の賞を受賞するデモクラシーナウ!は企業メディアから抜けている非常におもしろい種々雑多の意見を見つけ出すために真実をおおい隠すウソとごまかしを押し分けて進みます。この賞を受賞したニュース番組を見たり聞いたりする方法を解くには、democracynow.orgへどうぞ。
成長しすぎて、最愛の私たちのいまの消防署スタジオが追いつかなくなった後、私たちはマンハッタンにある古い印刷製本所を購入しました。デモクラシーナウ!はこの驚くべき未開のスペースをグリーンのデジタルアート状態のTV・ラジオ・インターネット放送スタジオとジャーナリスト訓練センターに変換させています。

画像はクリックすると拡大版でご覧になれます。

2008/01/16

兵士のラヴソングで歓迎されたブッシュ


◇世界的に有名なピアニスト・指揮者であるアルゼンチン出身のイスラエル人、ダニエル・バレンボイム氏(65歳)が、パレスチナの市民権を取得した。イスラエルとパレスチナ間の和平の見本になることを願っているという。
バレンボイム氏はここ数年、アラブとイスラエルの若い音楽家の接触を推進しようとヨルダン側西岸のラマラで活動している。
同氏は12日夜、当地で開いたベートーベンのピアノリサイタルの後「パスポートをいただけるとは大変に光栄なこと」とコメント。「イスラエルの人々とパレスチナの人々の運命は切り離せないつながりがあると信じていることも(申し出を)受け入れた理由だ」とし、「幸か不幸かわれわれは一緒に生きなければならない。私はそれは幸せなことだと思いたい」と語った。
(ロイター通信2008年1月14日)

◇BBC News ティム・フランクスのエルサレムダイアリーより
・1月14日 月曜日 THE VISION OF MUSIC
イスラエルとヨルダン川西岸を訪問中にブッシュ大統領は、独断的に一年以内の和平を予言した。
土曜の夜、ダニエル・バレンボイムは独特の立場のメッセージを伝えた。
たぶんバレンボイムはユニークなんだろう。イスラエルとパレスチナ両方の市民権を持ってる人なんてボクは彼しか知らない。彼が7歳のときに両親はアルゼンチンからイスラエルに移り住んだ。
数ヶ月前、スカラ座の音楽ディレクターで世界で最もみごとなピアニストのひとり、バレンボイムは、パレスチナ人音楽家との仕事のせいでパレスチナ名誉市民権を与えられた。彼は亡くなったパレスチナ系アメリカ人エドワード・サイードと共に中東のあちこちからの若い音楽家たちを結び合わせるウエスト・イースタン評議会を創設した。
街のカルチュラルパレス(文化宮殿)に寄付される就任コンサートに新しいシュタインウエイを演奏するためバレンボイムはラマラにいた。
彼はロンドンでの完ぺきな連作歌曲に向かって飛行機に乗り込む直前、ベートーベンのソナタ3曲を演奏した。
最高のAppassionata(熱情)に入り込むとき、ホールは人と贈り物のバラの花でかんづめ状態だった。
あとで彼は記者たちにこう話した。
「私は政治家ではない。でも、軍事的解決などない、このことはよくわかっている。いっしょに生きることを感謝するか、ののしるか... 聡明な人でなくとも、侵略はやめなくてはならないと言っている。」
同じ街でちょうど2日前に表したジョージ・ブッシュの楽観主義に仲間入りするかどうか彼に尋ねた。
バレンボイムはいつも彼の音楽的教訓を明確に伝えている男の熱情でボクを見すえると、こうなるであろうと見越す。
「長い歳月、私たちはこの軋轢のなかで暮らしてきている。いま、もし誠意をもって期待が高まり、それが実現されないとしたら... これまでにも増して意気消沈することになる。」
ステージで、アンコールとして溶かすように美しいショパンのノクターンを演奏する前にバレンボイムは客席に向かって語りかけた。
「私や私の同僚たちがラマラに演奏しにやってくるとき、それがいつも特別な機会であり続けないことが私の願いです」と彼は言った。
むしろ、彼はこの街で「正規の音楽生活」を送りたかった、「演奏する機会は特別でないので、演奏する機会が特別になるのが問題」だと。
だが、限界があった。
「音楽はこの地域に平和をもたらします。私は政治的スピーチをするためにここにいるのではありません。必要とされる交渉に音楽は関係していません。でも、音楽は各方面を豊かにするはずです。私たちが音楽に対して耳や頭脳や心をオープンにするのであれば。」
ベートーベンのAppassionata(熱情)のアンダンテを彼が演奏するのを聞いている人なら、これにアーメン(かくあらせたまえ)と言うことだろう。

・大統領が街にやってくる
ブッシュ大統領のイスラエルを威勢よく行くスウィングには音楽の象徴的意味があった。
ベングリオン空港でブッシュ氏は星条旗とHatikva=イスラエルの国歌(米国とイスラエルの国歌)に気をつけの姿勢で立った。
ラマラでは、彼はクルマから姿を現すとまっすぐ大統領官邸に向かった。前任者のビル・クリントンとは違って、彼はパレスチナの国歌を聞くつもりはなかった。
「あれは人の感情を傷つける」とTVの映像を見ていたラマラ居住者が私に言った。「むかつかせるふるまいだ。」
また、セレナードを歌うか踊るかする学童も居合わせていなかった。
あるパレスチナ政府顧問によると、それもまたアメリカの外交儀礼先発隊によって妨げられた。
前の日、イスラエルの子どもたちが歌うポンポンはねるヴァージョンのHava Nagila とShalom Aleichemのもてなしに、ブッシュ氏は感動するほどしあわせそうに見えた。
満腹でそのイベントを見ていた他の人たちは、ちっともしあわせでなかった。
でも、ホワイトハウスの外交儀礼はイスラエル軍楽隊がベングリオン空港で演奏した歓迎の曲を承認したんだ?
耳ざといイスラエル人の友人はそれがHaim Hafer による歌詞がついた「兵士のラヴソング」という1963年にヒットした曲だとわかった。
 兵士たちは町を去らなければならない...
 オレたちの愛は炎のように燃える...
 オレたちが別の人をかわいがっても
 それは世界の終わりじゃない
 オレたちは愛しい君のことを考えるだろう...
 いつ戻るかオレたちにはわからない
 でも夏までには
 君は別の人と交際できるよ
(1960年代前半のベルギーのTVから「兵士のラヴソング」を翻訳)

写真はダニエル・バレンボイム

2008/01/14

アラファトしてるトリオ



ブッシュの中東訪問の目的がアラブ首長国連邦のハリファ大統領から贈られたピカピカのキングの首飾りでないのは確かだ。(売れば大金になるだと?貧乏人め)パレスチナ西岸のイスラエルのチェックポイントを自分は「ノープロブレム」でスイスイ通過したのをジョークにするのに加え、世界の非難もなんのその、へっちゃらでどんどん進めるイスラエル入植地に(言っておくけど、占領してるのはイスラエルのほうだからね!)うなづいて見せたのと同時に、死にそうだった「イランの核の脅威」をまたここで蘇生させようとの筋書きが見えてきた。結局ブッシュもチェイニーも「イランを叩く」ことをあきらめてはいない。
中東に和平を!というのはそういうこと?

◇アブダビからの報道によると、ブッシュ大統領は「イランはどの国の安全にとっても脅威だ。手遅れになる前に、米国は友好国とともに安全に対する責任を果たしていく」と述べ、ほころびが指摘される「イラン包囲網」の再構築を訴えた。UAEなど6カ国でつくる「湾岸協力会議(GCC)」が先月の首脳会議にイランのアハマディネジャド大統領を招き、イランとの関係改善に動いているのを、けん制する狙いがあるとみられる。
また、イランがレバノンやイラク、パレスチナのテロ組織に巨額の資金を提供する一方で、イラン国内では国民が抑圧と貧困に直面しているとブッシュ大統領は指摘。UAE国内に事務所を構える1万以上のイラン企業で働くイラン人を念頭に「イラン国民が自由と正義を大切にする政府を持つことができたら、米国は最良の友人になる」などと述べ、体制の変革を暗に求めた。
(東京新聞2008年1月14日)

◇今週ブッシュのイスラエル訪問中に、イランがリアルな核の脅威を提起するとの核心をイスラエルはブッシュ米大統領にはっきりさせるのに成功したと、土曜日イスラエル国防当局は述べた。
「われわれの考えでは情況を彼に見せようと精一杯やってみた」とバラク国防大臣の政治顧問で予備軍司令官のアモス・ジラドはイスラエル公共ラジオに語った。
「プロの観点から、イランの核の脅威があるとの情況は明白だ」とジラドは言った。
水曜日、イランは「世界の平和に対し脅威」を提起したとブッシュは述べ、核兵器製造のノウハウを開発するのを許すべきでないと言った。
イランは核兵器を得ようとするのを猛烈に否定し、イランの核プログラムはまったく平和的なエネルギー確保が目的だと迫る。
昨年12月、米諜報機関の報告が、2003年にイランは核兵器プログラムを中止したと伝えた。
ジラドは、「あらゆる選択肢をよく考えなければならない」と言い、問題にされるイランの核プログラムに関してイランへの軍事攻撃を除外しなかった。
「いまは、外交的オプションのほうを選ぶ。だが、米大統領が常に言っていたように、あらゆる選択肢が検討中だ」と彼は述べた。
(AFPエルサレム 13 January 2008)

◇米大統領ひとりに、警官の数1万人以上、国旗の数1500本、ホテルの部屋数237
ブッシュ氏はエルサレムの旧都市の180度の眺望を誇るキングズロイヤルスイートを占有した。
だが、身の安全を考慮して、ブッシュ氏は歴史に残る都市の中心を訪れるつもりはなかった。そこの住人の大多数がパレスチナ人である。
警察はまた、ブッシュ氏がオルメルト首相にエルサレムと西岸のユダヤ人入植地を譲渡するよう求めるかもしれないと、いかなる譲歩の可能性にも怒るイスラエルの右翼政党の支持者らのことも心配する。
ブッシュ氏の訪問中に幾つかのデモが計画される。
・スナイパーの危惧
米大統領が中東訪問のトリップを開始した火曜夜、亡くなったパレスチナの指導者アラファト議長が頭にかぶるアラブ式スタイルのブッシュ氏とオルメルト氏とイスラエル大統領シモン・ペレスを描いたポスターを掲げた後、活動家グループが逮捕された。
ポスターは、星条旗のイメージの上に3人のリーダーを「テロに対する協力者」とラベル付けした。
西岸の都市ラマラではパレスチナ警護当局者らが木曜のブッシュ氏訪問の準備をしている。米大統領はヘリコプターで街に到着すると思われる。
道路は閉鎖され、パレスチナ自治政府が運営するラジオ局「ヴォイスオブパレスチナ」はラマラ居住者にパレスチナかアメリカのスナイパーによって標的にされるかもしれないので屋根には立たないようにと警告した。
大統領公館のある敷地内Muqataaもまた新しいペンキの一塗りでこぎれいにされている。
イスラエル政府とパレスチナ自治政府のそうほうがブッシュ氏をデラックスな赤いカーペットで丁重に迎える用意をしている。
金曜にブッシュ氏が去って道路の封鎖が解かれたとき、普通のイスラエル人と普通のパレスチナ人の多くが喜んだ。
(BBC News 9 January 2008)

写真は、1500本の国旗がずらり並ぶエルサレムのストリートと、「アラファトしてる」3人組の写真は逮捕に値するほどのものだったとキャプションがつくBBCのニュースから

2008/01/12

ドルが死ぬ日


今朝は怖いニュースが眼に飛び込んできました。アルジャジーラ放送のピープルパワーという番組のヴィデオなんですが、アメリカのエコノミスト、ポール・クレイグ・ロバーツなども昨年から言ってることで、アメリカの「ドルが死ぬ」日が近づいているということです。
多国籍企業がUSドルで受け取りたくないと言って、ユーロ取引しかしなくなっている話は聞いていました。いよいよ来るかなー。

◇人が群がるチェックポイントでブラックウオーターの社員が毒素を投下
傭兵請負業・民間軍事会社ブラックウオーターワールドワイドがまた新たなイラクでの非合法的な活動の申し立てに直面している。今回は2005年5月にバグダッドの人が押し寄せるチェックポイントにきびしく制限された暴動鎮圧用ガスを投下したというのだ。ニューヨークタイムズ紙によると、ブラックウオーターのヘリコプターと装甲車からのCSガスの投下(発射)は、運転者や歩行者、チェックポイントで任務についていた少なくとも米兵10人を一時的にめくらにした。ブラックウオーター社はすでに昨年9月に17人のイラク民間人を殺害したバグダッドの大量狙撃で監視下にある。ブラックウオーター社の人員は彼らのルートをふさいでいた交通渋滞を取り除くための手段としてガスを放ったようだと軍の目撃者は言う。ガスは危険な情況においてのみ使用権限が認可されている。ガスには、やけて目やにが出る、皮膚炎症、咳と呼吸困難、悪心、嘔吐などを含める作用がある。ブラックウオーター社は、米大使館にこのことを報告した、そして事件は調査されたと述べる。だが、米当局は調査が行われたのを確認できなかった。
(デモクラシーナウ1月10日ヘッドライン)

◇CSガスは、法律で強制された戦闘地帯にいる軍隊によって使用される最も通常の催涙ガスのひとつだ。
神経ガスといったもっと有毒な物質での報復に輪どめ役ができるとして、戦争でのCSガスの使用は1993年に調印された1997年化学兵器協定によって禁じられている。「1975年の大統領令が、防衛的な情況に限定した戦争地帯において米軍にこれの使用を許す、ただし大統領または大統領によって指名された上級士官による認可を有する。」とタイムズ誌は注をつける。
ヘリから投下されたCSガスは10人ほどの米兵と数人のイラク人の足下とクルマの中で破裂した。
「催涙ガスによく似たその化学薬品にさらされて医療処置を要求したアメリカ兵はいない、イラク人がさらされたかどうかは明らかでない」とジェームズ・リーザンはニューヨークタイムズ紙に書く。
「これは議論の余地なくぶざまで、ひじょーに危険」だと、現場の上級士官キンシー・クラーク大尉が後に書いたとジェームズ・リーザンは言った。
しかしながらブラックウオーターのスポークスマンはガスの投下は誤りだった、そして国防省がすでに事件を調査したと主張。イラクの軍当局に報告書を提出したとはいえ、ワシントンはそれを確認できなかった。
(therawstory 10 January 2008 by John Byrne)

写真はブラックウオーター社のヘリ

2008/01/11

ケニアの試練


大統領選の結果をめぐり、ムワイ・キバキ大統領とライラ・オディンガ氏ら野党勢力との間で暴動が続くケニアで1月10日、アフリカ連合主導による仲裁協議が不調に終わった。今後、キバキ大統領とオディンガ氏はコフィ・アナン前国連事務総長と協力して問題解決にあたっていくことで合意、暴力や事態沈静化を阻害する可能性のある行動は即時中止することで合意が得られた。(AFP 通信)
ところで野党勢力を率いるライラ・オディンガは「Change」旋風を巻き起こしたアメリカのバラク・オバマと親戚なんだそうだよ。ということは、チェイニー副大統領とも(8世代さかのぼる)遠縁にあたるということだ。

◇ケニアのナイロビで記者会見する野党指導者のライラ・オディンガ氏は英BBCラジオとのインタビューで、米大統領選の民主党有力候補であるオバマ上院議員とは親せき関係にあると語った。(時事通信1月8日)

◇大統領選の結果をめぐり国内に暴動が広がるケニアに対し、国際社会は2日、危機的状況の打開に向け外交努力を加速させた。選挙後の暴動は部族間抗争に発展する様相を見せつつあり、これまでに数百人が殺害されたほか、数万人が国内外への避難を余儀なくされている。
・内戦状態への移行を懸念
ケニア大統領選では接戦の末、現職キバキ大統領が勝利し、12月30日に宣誓したが、これに反発して全国に暴動が拡大。その多くは部族間の対立に基づき、敗れた野党候補オディンガ氏は、キバキ大統領に「選挙は盗まれた」と主張している。
キバキ大統領は同国最大部族キクユに属する一方、オディンガ氏は2番目に大きいルオの出身。選挙後の暴動は明らかに部族間の様相を呈し始め、報復攻撃や標的が絞られた放火などにより、さらなる部族間抗争へ発展する可能性が懸念されている。
「殺害を犯した者を逮捕するなどの措置が緊急に取られない限り、ケニア情勢は混迷を深め、想像を絶する規模の虐殺が起こったアフリカ諸国と同様の内戦状態になりかねない」と、2日付の日刊紙「デイリーネーション」は警鐘を鳴らした。
国内の医療関係者、警察関係者、遺体安置所職員などの話からAFPが独自に集計した統計によると、選挙投票日から現時点までの死者は316人に上る。中でもオディンガ候補が広い支持を集めた西ケニアにおける暴動が最も激しい。
・殺害を恐れ隣国ウガンダへ
隣国ウガンダ当局の報告によると、ケニアからキクユ族の住民数百人が、オディンガ候補に忠誠を誓う暴徒たちによる殺害を恐れ、国境を越え避難してきているという。
紛争や武力衝突の多いアフリカの周辺地域の中で、ケニアは一般的に民主主義の旗手とみなされ、安定している国。今回の暴動のレベルは異常事態といえる。
首都ナイロビ中心部では1週間の混乱からようやく通常に近い状態を取り戻している。スーパーやガソリンスタンドには長蛇の列ができ、人々は仕事に戻り始めた。
(AFP 通信1月3日)

◇多民族が混乱抑制要因か
2003ー2006年、駐ケニア米大使を務めたマーク・ベラミー氏は「ケニアの民族構成の特徴は多様性。ルワンダやブルンジとは異なる」と指摘する。
1990年代に民族紛争から数十万人が犠牲となったルワンダとブルンジは主にフツ族とツチ族から成るが、ケニアでは少なくとも42の部族が存在している。
不正操作の疑惑を持たれながらも前週再選を果たしたキバキ大統領は、キクユ族の出身。ケニアでは最近、キクユが政財界を支配してきた。
キクユは、人口3700万人のケニアにおける最大民族であるが、全人口の22%を占めるにとどまっている。これは、ほかの民族を差し置いて完全に支配できる民族はないことを意味する。
・政治家らの資金源は国内に
ケニアの弁護士で政治評論家のジョン・オティエノ氏は「皆が民族間の争いとみているが、そうではない。絶対権力を有する政府は存在しないという事実を含めた、国民の権利を実現している社会の問題なのだ」と強調する。
ケニアの政治学者マリ・ムツア氏は、野党を率いるオディンガ氏は近く政策を転換すると予測。「死者が増加することで、オディンガ氏は孤立し、国民が彼を英雄とみなすことができるような方法で、混乱を解決しようとするのでは」という見方を示している。
またほかの専門家は、ケニアには政治家たちが外に向かって「ふていな冒険」に打って出られない障壁があるという。それは「政治家たちの利害関係が国内にあって海外にない」という点だと指摘。
ある駐ナイロビ外交官は「ケニアの有力者らは国内に資金を有しており、それが、同国を崩壊させない理由だ」と解説する。
(AFP 通信1月4日)

◇オディンガ氏は7日、国際社会の仲裁活動が本格化してきたことを受け、同国全土で行われていた抗議活動を中止すると発表した。事態の鎮静化に向けキバキ大統領側から直接会談の提案が出されるなか、前年12月27日以来続いている暴動の死者数は600人以上に達している。
また、オディンガ氏は、アフリカ連合主導による仲裁協議が9日に開始されることも明らかにした。これに関し、ガーナのジョン・クフォー大統領の側近も、AU議長と同大統領が9日に仲裁のためケニア入りすることを明らかにしている。
さらに、ケニアの大統領報道官は7日、キバキ大統領が大統領選挙後初めてとなる直接会談を行うためオディンガ氏を招請したとする声明を発表した。会談は、ほかの5つの党の指導者も参加して11日午後2時30分に行われる予定で、事態の沈静化や国民融和について話し合われるという。
国連機関からは集団虐殺の様相を呈しているとの声もあがっている。また、これまでに約25万人が避難を余儀なくされているという。
(AFP 通信1月8日)

◇ケニアの港町モンバサでは7日、略奪者らが略奪品を返したり捨てたりするケースが相次いでいる。警察当局によると、略奪品に「呪いがかけられた」とのうわさが広がり、略奪者らが恐怖にかられたからだという。
うわさは、略奪の被害者たちが「盗人に罰が下るよう」呪術師に呪いをかけさせたというもの。警察もこのうわさを確認しており、「呪術師のおかげで略奪者を摘発しやすくなった」と語っているという。
モンバサの住民は、アフリカの多くの共同体と同じく、呪術師の力に絶大な信頼を寄せており、呪術師には悪霊を呼んだり退散させたりする魔力があると信じている。
TVのニュースでは、略奪者らが青ざめた表情でベッドやソファなどを所有者に返す様子が映し出されている。(AFP 通信1月8日)

◇エルドレット(ケニア西部リフトバレー州):大統領選を巡って混乱するケニアで暴動被害が最も深刻な西部リフトバレー州に7日入った。襲撃対象となったキバキ大統領の出身民族キクユの住民や地元の人権団体職員は、同州内での襲撃について、対立する地元のカレンジンの村々の首長らが選挙の混乱に乗じ実行した組織的犯行だったと証言した。民族対立は泥沼化している。
同州には元々、カレンジンが住んでいたが、政府が70年代にキクユの集団入植を進め、現在は混住する。両者は土地所有などを巡って以前から対立し、大統領選ではキクユがキバキ氏、カレンジンが野党「オレンジ民主連合」のオディンガ氏を支持して緊張が高まっていた。
エルドレット近郊のシレット村には選挙結果発表(30日)の翌日午後1時ごろ、近隣の村々のカレンジンの若い男約200人が押しかけ、キクユの家々に放火した。同村のキクユの小学校副校長、ピーター・カグタさん(45)宅にも男たちが来たが、中にかつての教え子がいた。
カグタさんによると、教え子は「村長らが出席した会合でキクユを襲うことが決まり、動員された」と告白し、襲撃対象のキクユの名が書かれた紙を見せた。カグタさんの名もあったが、教え子は「先生を殺すことはできない。早く逃げて下さい」と言い、立ち去ったという。カグタさんは「暴動は周到に準備された」と言う。
エルドレット近郊のキアンバ村では1日、キリスト教会が放火され、避難していたキクユ約30人が殺害された。現場にいた地元の人権団体「RPP」職員、ヘンリー・マイヨさん(39)は、放火の様子をノートに克明に記録していた。
記録によると、キアンバ村に隣接するカレンジンの村から他の村々へ「集合」するよう伝令が走り、カレンジン数百人が教会前に集まった。リーダー格の男が「教会を焼く」と宣言し、何人かは放火に反対し教会内のキクユの子供を外へ逃がそうとしたが、そのまま火は放たれた。
カレンジンのマイヨさんは「カレンジン有力者の中には入植者のキクユを追い出したいと考える人がおり、大統領の不正選挙でキクユの立場が弱まるのを狙って襲った。でも、なぜ子供まで」と目頭を押さえた。
(毎日新聞1月9日)

◇ケニアは1991年、1党独裁から複数政党制に移行。92年、民主化をめぐる対立が表面化し、カレンジンと他民族の衝突が激化し、93年にはリフトバレー州では約1000人が死亡、25万人が家を失った。
ケニアはサファリ観光で世界的に人気が高く、安定した国と見られている一方、42民族の混在という火種を抱える。今回は大統領選が原因だが、貧富の差やはびこる汚職で人々は不満を抱えており、爆発のきっかけは何でもなりうる。背後で政治家が金銭で対立をあおっているとも言われる。
エルドレトからナイロビに向かう幹線道路は数キロにわたり、町の主流派種族カレンジンが石や電柱で封鎖。男性が通行者の身分証明書を確認し、キクユ族を捜していた。
沿道では、全焼した白いワゴン車の横に黒い物体が二つ見えた。近付くと、男性2人の遺体だと分かった。すぐに百数十人の男らが、ナタやこん棒を手に集まってきた。
男らによると、ワゴン車は救急車。31日、「遺体を運搬中」と言って通ろうとしたが車内に遺体はなく、運転手らはキクユ族だった。約50人が2人を殺害し、ガソリンで燃やしたという。
大統領選をめぐる対立は解決の見通しが見えない。内外からの説得工作はあるが、キバキ、オディンガ両氏とも様子見を続けている状態だ。避難民キャンプでも居場所が民族ごとに分けられ、聞こえてくるのは互いの悪口ばかりだ。

写真は石で封鎖をするエルドレトからナイロビに向かう幹線道路

2008/01/10

21世紀の国家のかたち



国連暫定統治下にあるセルビア・コソボ自治州の議会(定数120)は1月9日、昨年11月の議会選挙で第1党になったコソボ民主党(37議席)のハシム・サチ党首(39)を首班とする新内閣を賛成85票で承認、新内閣が発足した。
サチ新首相は議会で演説し「今年の早い段階でコソボを独立国家とする準備を進めている」と述べ、欧米の支持の下で「われわれの夢と権利を間もなく実現する」と訴えた。
ロイター通信によるとサチ新首相は議会終了後、記者団に「数週間以内に独立を宣言する」などと述べた。
(中日新聞2008年1月10日)
以下はBPnetの経営コンサルタント 大前 研一のコラムから抜粋ーー。

◇コソボに見る21世紀の国家の形 by大前 研一(2008年1月9日)
2007年12月中旬、欧州のEU外相理事会でコソボ問題が話し合われた。コソボ問題とは、言うまでもなくセルビアにあるコソボ自治州独立の問題だ。EUの多くの国では、コソボ自治州を独立させてやろうという考えである。
英国、ドイツ、フランス、イタリアなどは、「交渉は行き詰まった」と言い、EU単独でも独立容認を検討する考えでいる。
それに対して、もう一方の当事者であるセルビアは、当然ながら独立には反対で、「戦争も辞さず」という姿勢を崩していない。ロシアもまた、独立に反対の立場である。
バルカン半島に位置するセルビアは、むかしはユーゴスラビアと呼ばれていた。
ユーゴスラビアでは、多くの民族や宗教が混在していた。そのため共和国ごと、地域ごとにいろいろな顔を持っていて、国内の紛争も絶えなかった。その結果、 90年代に入ってから独立が相次ぐ。91年スロベニア、93年マケドニア、95年クロアチア、同じく95年ボスニア・ヘルツェゴビナ、06年モンテネグロという具合で、残されたセルビアも独立宣言をし、現在に至っている。つまり、現状でさえも旧ユーゴスラビアから7つの独立国が誕生した状態ではあるが、そのほかにコソボも独立させてしまおう、というのがEUの考え方である。
・スロベニアの成功が刺激に
なぜこんなことができるかというと、大きく分けて二つの理由がある。一つはスロベニアの独立が成功したことである。人口200万人しかいないスロベニア(首都リュブリャナ)は独立したあとにハイパーインフレなどの苦渋を味わったが、ユーゴ北部の工業地帯でもあったために貿易は黒字に転じ、経済政策もしっかりしたものになって、いち早くEUに加盟し、続いて通貨もユーロに切り替えてしまった。いまでは新興EU加盟国の優等生といわれている。
つまり、もしEUに入れる可能性があるなら、そして「やがてはユーロ」ということになるのであれば、国の大きさは関係ない。ルクセンブルグなどは人口も46万人と小さいが、EUの有力メンバーである。また今ではEUのほかにもEEA(欧州経済領域)というものがあり、アイスランド(人口30万人)やリヒテンシュタインなどはEUに入ることは拒否しているが、経済的にはいろいろと互恵関係を結ぶということも可能になってきている。特に人口3万4000人しかいないリヒテンシュタインはスイスの拒否しているEEAには加盟しながら、通貨はスイスフランである。
だから、むかしのように一定の大きさでないと国が経営できないという観念、そして最大公約数を取ることに伴うさまざまな(人種的、宗教的、政治的)妥協などするくらいだったら、まとまりのいい小単位で独立し、経済政策を充実させて外資を呼び込み、その勢いでEUに加盟しようというゴール(着地点)が見えるのである。これが一種の安堵感となり、いまこうした小国が煩わしい歴史的きづなを断って独立、という選択肢につながっているのである。
新しいEU加盟国であるブルガリアやルーマニアを見ていても世界中からカネが流れ込み、いまでは不動産を筆頭に相当なバブル経済となっている。これらの国は賃金が月300~500ドルくらいのレベルであるから、裕福なEUメンバーの10分の1以下である。にもかかわらず、ソフィアやブカレストには1億円のマンションが次々に建てられている。ブルガリアはこの1月1日から所得税を10%のフラットタックスにしてしまった。多くの旧共産圏諸国(ロシア、バルト3国、カザフスタンなど)がそうであるように、フラットタックスにすると地下経済が地上に出てくるし、金持ちには多くの可処分所得が残り消費・景気が盛り上がる。
クロアチアはその風光明媚な海岸と情緒溢れる都市(ドブロブニク、スプリット、シュベニック、オパチア、ロブニなど)から欧州でも有数の観光地になってきているし、英国人などの老後の住まいとしても古い家屋が飛ぶように売れている。その南隣のモンテネグロも独立するやいなやロシアからの投資が殺到し、いまではリゾート開発などをロシアの金持ち企業が行う、という盛況である。
同じことは伝統的にロシアの金持ちが資金隠しに使ってきたキプロスでも起きている。キプロスはかって1974年にトルコとギリシャの支配する地域が互いに母国を巻き込んで戦争をし、84年には北キプロス・トルコ共和国が宣言されるなど紛争の絶えない地域であったが、今では74万人の人口の85%を占める南部のギリシャ語地区はEUのメンバーとなり、今年1月1日からマルタとともにユーロ通貨に参加した。観光、経済ともに好調である。
・独立しても差し障りはない
コソボがなぜ今独立か、という問題を考えるときに、伝統的なセルビアとの問題、宗教対立、などの延長で考えるよりも、EUという大きな機構が経済的なセーフティネットとして機能し始めている、と考えることが重要である。小国であっても「独立して経営していける」という事例が次々に周辺諸国、しかも、ひとむかし前の連邦形成国、あるいは紛争地で実証されていることが大きい。
ちなみにコソボはこうした小国の一つではあるが、人口は200万人くらいになると推計されており(独立を恐れるセルビアが正確な統計データを公表していないため推計しか分からない)、そのうち90%がアルバニア系であるといわれている。セルビア政府の統計では66%ということであるが、これは今から40年くらい前の数字であるといわれている。コソボの独立運動をしてきた人々は、独立後に隣のアルバニア(人口300万人)と合体してアドリア海へのアクセスを確保し、人口500万人というバルカンでは大国として生きていこう、と考えている人も少なくない。
旧ユーゴの連邦を形成していた共和国や自治州がなぜ独立を指向するのか、という理由の2番目は、「独立したい」という必要条件ではなく、独立してもあまり差し障りがないという十分条件側である。
・ボーダレス化と世界の余剰資金
一方、もともと経済植民地みたいな所は地場企業もないので、外資に積極的に入ってきてもらい自由気ままにやってもらうという、まさに規制緩和を超えた、規制撤廃、という大胆な政策がとれるということである。
モンテネグロ、マケドニア、そして(独立すれば)コソボもそうした政策を推し進めるであろう。コソボは欧州では数少ないイスラム圏となるはずであるから、中近東のオイルマネー、イスラム金融を狙った政策を次々と打ち出すであろう。EUに入ればトルコのEU加盟の試金石ともなる。
ロシアがコソボ独立に反対する理由はまさにこうした小国の独立が自分たちの抱えるチェチェンや南オセチアの問題と二重写しになるからである。ましてやコソボの独立が成功したら、ロシアのイスラム地域を勢い付かせる、との危惧があるのは想像に難くない。またルーマニアやブルガリアのような貧しい旧共産国がEUメンバーとして生まれ変われば、ベラルーシ、(西部)ウクライナ、グルジアでもEU加盟の動きが加速するであろう。
そうしたさまざまな国のさまざまな思いが錯綜するのがまさに欧州の火薬庫と呼ばれたバルカンである。しかし第一次世界大戦のころと決定的に違っているのは、国民国家という概念が薄くなり、経済はボーダレス化したことである。紛争で疲弊したところにひとたび平和が訪れると世界中から一斉にカネが流れ込むという新しい状況である。第二次大戦後の復興には米国のガリオワ・エロアという資金の流れが必要だった。いまは凹んだところを虎視眈々と狙っている余剰資金が世界中に6000兆円もある。コソボ=平和=独立=新しい制度設計、という情報だけでグローバルな資金は流れ込むのである。その大きな安全装置がEUやユーロである。
・人々が求めるものと新しい国家の形
この新しい流れに、アジアや米国はいまだ気づいていない。19世紀的な国民国家の概念や、自由と民主主義という理念で他国を支配することはできない。
結局人々が求めているのは「豊かな生活+安全+安心」である。コソボのアルバニア人が見ているのは10年前の紛争当時とは様変わりで、民族の自立とかセルビアの呪縛からの解放、ましてやイスラムの大義、などではない。旧ユーゴスラビアの共和国が次々と調子よくグローバル経済に飛び込んでゆく。新しく作られた税制や国家運営のシステムが面白いように受け容れられ、世界から企業や資金が押し寄せる。その先にはEUへの加盟、ユーロ通貨の採用、などが見えている。現にスロベニアはそうなったし、クロアチアやモンテネグロもEU加盟の審査過程に入っている。
つまり、今回のコソボ独立の背景にあるのは民族自立という表だった理由よりも「グローバル経済の恩恵を受けたいという願望」ではないか、というのがわたしの観察である。
そうなると、国家という19世紀の概念にしがみついているセルビアやロシア、つまりコソボ独立反対派は何をしているのか、ということになる。彼らもまたEUに負けない新しい概念を提供して勝負しない限り、カネと労力の浪費を続けるだけ、というわたしの予想もまた同時に付け加えておきたい。

写真は、嘆きのイラク人母の姿。WHO世界保健機関は1月9日、2003年3月のイラク戦争開戦後のイラク人の死者数が2006年6月までに、15万1000人に上ったとの推計を発表した。
ただしCNNでは見られないニュースを集めた独立系メディアICHの報告によれば、米軍のイラク侵略以降イラク人犠牲者の数は116万4650人、米軍の死者数は3921人となっている。
次の写真はニューハンプシャー州予備選で勝ったヒラリー。「劇的なカムバック」(CNN TV)などと、米メディアは、ニューハンプシャー州予備選を制し、起死回生の勝利をつかんだ民主党のクリントンと共和党のマケイン両上院議員の勝因分析に躍起になっている。
ワシントンポスト紙は、「ヒラリー・クリントンの勝利は民主党の争いがこの先も驚きに満ちていることを思い知らせた」と指摘。クリントン氏が支持者の前で涙を浮かべた瞬間を「キャンペーンの最後の数時間に繰り返し放映され、候補者がめったに見せなかった一面を露呈させた」と述べたほか、ウォールストリートジャーナル紙も冷徹な印象の彼女を「人間らしく見せた」と、クリントン氏の「涙」に注目した。
今後、15日のミシガン州、19日ネバダ州、26日サウスカロライナ州、29日フロリダ州の各予備選をへて、2月5日のメガチューズデーまで熱い選挙戦が繰り広げられそうだ。

2008/01/08

スウェーデンする


スウェーデンしよう!
キャーっ、おもしろそう!日本では観客層を間違えた宣伝の仕方でコケたと言われている前作「恋愛睡眠のすすめ(個人的には「セロファンはアナーキー」)」もわたしは好きでした、ミッシェル・ゴンドリー監督。新作はやってくれたぜ!「Be Kind Rewind:どうぞ巻き戻してちょーだい」 米国では公開前にもかかわらず、「Sweding:スウェーデンしよう」が大流行なんだって。えっ、チープにそのへんのものを使ってローテクで映画を作り直すことです。
とにかく公式サイトから予告編をごらんください。
きっとあなたも「スウェーデンしたく」なりますよ。
http://www.bekindmovie.com/
監督&脚本:ミシェル・ゴンドリー(代表作:エターナルサンシャイン)
出演:ジャック・ブラック、モス・デフ、ダニー・グローバー、ミア・ファロー
2008年1月28日全米公開の予定(日本公開は決まってます、ホッ)

◇ニュージャージの貧乏な町に古くてダサいレンタルビデオ屋があった。ビデオしか置いてないそこはDVDプレーヤーが買えない貧乏人やローテクなじいさん&ばあさんに重宝がられていた。店の常連のジャック・ブラックが高圧電線に触れて強烈な磁気を帯びることになり、店のテープを全部消去してしまう。
そこに常連のミア・ファローばあちゃんがやって来て、「ゴーストバスターズ」って映画はあるかと聞く。
困ったモス・デフ店長、わかるもんか、「自分で作っちゃえ!」と思いつく。
そしてジャック・ブラックや近所のアホ連中とこんな感じだったよなーというノリで「ゴーストバスターズ」をビデオで撮り始める。アルミホイルや本物のマシュマロ、段ボール、光線は糸のモールと、すべてがローテクだ。
ミア・ファローばあちゃんの甥っ子、ストリートギャングの悪ガキどもが店にやってきて、例の自前の「ゴーストバスターズ」をカウンターにたたきつける。
ウソがばれて殺される!と思ったモス・デフ 思わずしどろもどろで言い訳するジャック・ブラック
これが違って見えるのは、「あのー、えーと、スウェーデン製なんです。そう、スウェーデンからの逆輸入なんです」
「おもしろいじゃん。他にスウェーデン製ある?」
ナベをかぶった「ロボコップ」、「2001年宇宙への旅」、「ボーイズンザフード」、段ボールの「ライオンキング」に「キングコング」と、リクエストに応えて彼らは制作費数ドルの世界で「スウェーデン製」を作り、大当たりすることに! 

アメリカでは公開前なのに「金をかけないでガラクタや段ボールで何かを作ること」を「Sweding:スウェーデンする」と呼び始め、すでにYouTubeには「スウェーデンする」映画が登場しているという話だ。おもしろい!

2008/01/07

下水汚物と闘うコーンウォールのサーファー



今朝BSで、「下水と闘うサーファーたち〜イギリス コーンウォール」という番組を偶然目にした。
びっくりしたのはイギリスでは1980年代まで家庭や工場の下水がほとんど未処理のまま海に流されていたという事実。この海の環境保護と闘うサーファーの団体SASを率いるリチャード・ハーディは下水による海水汚染のせいで皮膚の病気や耳、鼻、喉の病気に悩まされるサーファーの一人だった。
うちの近所のサーファーショップの店長が中心となって、ここでもサーファー仲間が、海岸の清掃からムダにあいた浜辺の一角に子どもたちの遊び場、スケボーの技を磨くローリングボードを創って設置したり寄付を募ってお花畑を提案したりと活躍しています。そのリーダーも言ってました、海が汚れて一番に影響をこうむるのがボクたちサーファーなんだと。とにかく、気持ちよくサーフィンするためにも海のこと環境のこと考えざるを得ないんだと。

◇沿岸をおびやかす「難破船の残骸」に抗議
SAS(Surfers Against Sewage)下水汚物と闘うサーファーのメンバーが英自由民主党(キャンベル党首)の影の内閣でミリバンドのシャドーとして抜擢された環境大臣ノーマン・ベイカー議員と会う。
サーファーたちはミュールハイムのミニチュア版を運輸省に寄付した。
沿岸が汚染されるリスクを警告するコーンウォールの圧力団体によって「難破船の残骸」が官庁の外に設けられている。
SASは昨年、運輸局の正面階段にコーンウォール南西の岬(岩石の多い海岸線が美しい観光地)で座礁したRMSミュールハイムを再現したのだ。
油で汚れたサーファーたちがぐしゃっとつぶれたミニチュア版の船を海運大臣デイヴィッド・ジェイミソンにゆだねた。
このキャンペーン実施者らは南西沿岸はリスクが残ったままだと主張する。
座礁事件から今週で1年経っているにもかかわらず、ミュールハイムのオーナーの犯罪訴追手続きがいまだに行われていないとSASのメンバーは述べた。
・RMSミュールハイム
その船は解体するためコーンウォールの海岸にほっておかれている。
昨年の夏、海洋事故調査支局によって公表された報告が、船の死の一因となった幾つかの欠点を強調したとグループのメンバーらは述べた。
地元当局による沿岸のクリーンアップにもかかわらず、その地域のビーチに現れるミュールハイムから出たプラスチックや鋳型をサーファーたちは報告し続けた。
「ミュールハイムからの廃棄物は海洋環境で簡単に分解しないように、何年にもおよびボクらについてくる」とSASは言った。
「そもそもこれらの災難が起こるのを止めるのに、なかなかうまく処理できないことでよく知られる法律制定者の議員らにいま重きを置く」とキャンペーンを指揮するリチャード・ハーディは言った。
「もしかすると有害かもしれない積荷を運ぶ大型船舶のリスクからそのかけがえのなさを守るためにその領域を特別要注意海域にするのに助力してくれるようSASは大臣に求めている。」
海岸に打ち上げられたミュールハイムの残骸はいまも海によってばらばらにされている。
(BBC 24 March 2004)

◇SASは、UKコーンウォールのビーチを使うとき彼らが直面する健康損害のおそれについてますます心配するようになっていた熱狂的ウオータースポーツ・ファンらによって1990年に創設された。
海に注ぎ込まれる人間の廃棄物と有害な廃棄物が重い病気を引き起こしていた、そしてビーチに行く人たちは海に入るたびに自分の健康に対して「ロシアンルーレットをやっている」と感じた。
SASはウエットスーツにガスマスクをつけてリーフレットを手渡しする公のイヴェントにサーフボードを持って行くことで問題を人々に警告した。彼らはわけなくメディアと英国中に点在するウオーターユーザーの注意を惹きつけて、海や河川や湖に未処理の廃棄物を投棄するのを禁じるよう政府に圧力をかけることができた。キャンペーンを開始してわずか8年、この団体は1998年には政府が英国の水環境をクリーンアップするのに85億ポンド費やすことに同意するほど、上々のできだった。
SASはクールなイメージを獲得してきている。1999年にハリウッドのブロックバスター、レオナルド・ディカプリオが主演した映画「ザ・ビーチ」の監督はディカプリオのバックパックにSASのロゴを使いたがった。しかしながらSASは許可するのを拒んだ、なぜなら映画製作がタイの小さなトロピカルアイランド、ピピ島にもたらした環境破壊を心にかけたからだ。
(ブリティッシュカウンシル:英国文化振興会のサイトより)

◇SASが「グリーン」ゲームに着手する
もしかして気候変動の影響かもしれないのを一年かけて調査した後、SASはUKのサーファーが病気になってもおかしくないことを心配する。
このアニメーションゲームで遊ぶことで、波に乗る連中はどれほどのエネルギーが難なく節約されているかについていいアイディアを得られるはずだ。
サーファーのような連中を将来スポーツのためになるさらなる二酸化炭素削減の行動に出るための誓約と見なすことにSASは熱心だ。
とりわけ私たちは、もっとクルマを共有しよう、長距離フライトなしにもっと国内でサーフィン小旅行に出よう、そして再生できるエネルギー生活用品に乗り換えようと、彼らに励まされている。
「これは波乗りを満喫する誰もがやってみるべき楽しいゲームだよ。気候変動の衝撃を徹底的に調査しているのは将来波に乗りたくて思わずやること、意味を伝えて二酸化炭素を削減しエネルギーを節約するために、サーファーのようなコミュニティはスポーツ界で指導的役割を演じなければならない。ヤカンに必要なだけの水を沸かすと自分に念を押すだけでこのサイクルは自宅で始められ、旅の選択にビーチを考慮に入れることで完了する。」と、SASキャンペーンを指揮するリチャード・ハーディは言う。
(BBC 25 October 2007 )

写真は、コーンウォールの波、ほんと、かけがえのないものです。続いて大臣にミュールハイムのミニチュア版を寄付するSASメンバーたち。常にサーフボードを持っているのがいい!

2008/01/05

change




昨夜のアイオワでの党員集会から、いまの大多数のアメリカ人の気持ちがブッシュ政権下のアメリカからの「Change」とリセット!であるのがよくわかる。最初の勝利を手にしたバラク・オバマはまったくの未知数なところが、これまでやはり未知数だった若者からの票を得て、支持された。その割を食ったのが既存政治家として経験のあるヒラリー・クリント。そして善戦したのがエドワーズだったのではないだろうか。目立つ2人のあいだにはさまれて彼の可能性にはあまり時間とページが割かれてないように思えるのは、彼の企業に厳しい姿勢、その企業にはメディアコーポレイトも含まれてることが主な理由なのかもしれない。
以下、昨夜のニュースと、私が個人的に注目するエドワーズを推薦すると最近ブログで告白しているマイケル・ムーアのコメントから抜粋ーー。

◇08年大統領選は「変化」への熱い思いで幕を開けた。全米に先駆けて3日、中西部アイオワ州で行われた党員集会は、ともにブッシュ政権のリセットと「希望」を掲げた民主党のオバマ上院議員、共和党のハッカビー前アーカンソー州知事が勝利を収めた。参加者数も予想を大きく上回り、米国を変えたいという草の根の意思が伝わってきた。
この日、州内約1800カ所で開かれた地区党員集会(コーカス)会場のひとつ、アイオワシティーの高校には、零下10度近い厳寒のなか、住民が続々と集まった。民主党会場では開始予定の午後7時を回っても参加者が途切れない。ホールの客席をロープで仕切った「陣地」を、人々が埋めていく。
最終集計でオバマ陣営はリードを広げたが、クリントン陣営はエドワーズ陣営にも抜かれ3位に。オバマ陣営のジム・コンガーさん(67)は「この7年で多くのアメリカンドリームが失われた。他の誰よりオバマはそれを取り戻してくれる」。
州全体で民主党の党員集会には23万人以上が参加。過去最高レベルだった前回04年のほぼ倍で、30歳以下の参加率は3倍だったとの情報もある。
アイオワ大学のコビントン准教授は「オバマ氏が勝ったのは、新たな票の掘り起こしに成功したから。肯定的なメッセージが人々を集会に向かわせた」と分析した。
オバマ氏の「勝利演説」に集った支持者は若者が目立った。クリスティナ・ソラウェツさん(22)は「女性としてクリントン陣営からの働きかけもあったけれど、彼女は言葉がきついし、ワシントンの政界に入りすぎている」。
クリントン氏は全米レベルで当初から優位に立っていた。だが、アイオワ州では出遅れた。夫のクリントン前大統領ともども、手あかのついた旧世代の政治家というレッテルはぬぐえなかった。
「変化」のメッセージを打ち出したのは、共和党でトップになったハッカビー氏も同じだ。
3日夜、勝利を受けて「アイオワ州民の選択は変化だった。民主党員とか共和党員とかでなく、米国人であることに再び誇りを抱けるようにすることがこれからの挑戦だ」。オバマ氏のお株を奪う言い回しで、党派対立を乗り越えた統合の大切さを訴えた。
党員集会を通じては、米国の政治の現状に対する不満と、変化を求める思いが党派を超えてはっきりと示された。ただ、次の関門である8日のニューハンプシャー州予備選をはじめとして、今後の指名獲得レースにどんな影響を与えるかは一様ではなさそうだ。
民主党では、オバマ、エドワーズ、クリントン各氏の「三つどもえの接戦」が崩れる可能性が指摘されるのに対し、共和党では、混戦模様が続くとの見方が支配的だ。
「<現状>が敗退し、<変化>が勝利を収めた」。この日の党員集会の意義は、エドワーズ元上院議員が語ったこの言葉に尽きるといえる。
州都デモインで集会に参加した民主党支持者の一人、リンダ・ベーコンさんは「ブッシュ政権があまりにもひどいので、(有権者から)<ノー>を突きつけられたのだ」と説明した。
「現状」に対する不信の矛先は現政権にとどまらず、「既成候補者」と見られたクリントン、ロムニー(共和)両氏にも容赦なく向けられた。
なかでも、クリントン氏の低調ぶりは大方の予想を超えるひどさで注目を集めた。
ニューヨークタイムズ紙(4日付電子版)は「指名獲得は既定の流れだと示そうとする(クリントン陣営の)戦略はズタズタになった」と指摘。米タイム誌エディターのハルペリン氏に至っては「これでオバマ氏が次の大統領になる可能性が強まった」とまで言い切った。
(朝日新聞2008年1月4日)

◇ローリングストーン誌が指名獲得に最も近い3人の民主党候補者にマイケル・ムーアがなんでも聞いていいよ!という企画をムーアに持ち込んだ。その際、3人ともがこれを受けるのが条件だった。バラク・オバマとジョン・エドワーズはこれを受けた、ところがヒラリー・クリントンが参加しないと言ってきた。これで企画はおじゃん。「オレに聞かれちゃ困るってか!」ヒラリーを推薦しない理由のひとつにマイケル・ムーアはこのことを挙げている。では彼がバラク・オバマを推薦しない理由についてはどうなんだろう。以下、彼のブログからーー。

「バラク・オバマは有能で人を奮起させる男だ。なんて気分をさわやかにしてくれるんだ!この国の事態をなんとかまともにしようとする彼の誠実さや肩入れは疑いようもない。だが、彼を知ってるか?つまりすごいスピーチをするって以外にだよ?どれくらいの国民が現実に彼のことを知っているか?彼がイラク戦争に反対だったのは知っている。どうやってそれがわかるか?開戦前の彼のスピーチでだ。でもな、上院に仲間入りして以降、彼は一方で撤退すべきだと言いながら、イラク戦争への資金拠出に賛成した。彼は重要でない微力の人を擁護すると言うが、重要でない微力の人の子どもが中国製のおもちゃの鉛の入った塗料を飲み込むとき、集団訴訟を起こすのをますます困難にさせる大企業に味方する法案に賛成する。それどころかオバマはウオールストリートが腐った有害なところとは思わない。彼は健康保険企業にオレらが新しい医療ケアプランを創出する手助けをしてもらいたがっている、そもそもこの混乱を引き起こしてきたのと同じ会社にだぜ。彼はまあどちらかといえば気苦労のないしあわせな状態だ、もし選ばれでもしたら、共和党候補者には朝飯前だろうと思うよ(ブッシュの懐刀カール・ローブはオバマに選挙戦の助言をしている。つまり彼が民主党大統領候補に指名されれば共和党にも勝ち目があるとみたのだろう。いくらでもつぶす手はあるってことだよ)優秀なスピーチなんかしていられなくなるぜ。」

では彼がジョン・エドワーズを推薦する理由についてはどうなんだろう?

「あまりにも多くの人々の暮らしをそれは惨めにさせている富裕な権力層と徹底的に対決し通している男であることに気づく。<この企業の食い意地と企業権力が私たちの民主主義の破ることのできない急所を握っていると完全に信じている>ってなことを言う候補者だ。ドードー。少なくとも世論調査の上位にいるやつで、このようなことを話すのを聞いてきていない。エドワーズがアイオワでうまく支持を集めているのはこのせいじゃないかと思う、他の2人が持つ金の隠し場所にはとうてい近づけないとはいえね。彼は企業の政治献金から高額チェックを受け取らない。それに選挙資金に制限を設けるのと公的資金の供給に同意するのは上位3人の候補者で彼だけだ。製薬会社と石油会社とアメリカの労働者を困らせている企業はどこもあとを追い回すと、彼はずばり言っている。メディアは明らかに彼を脅威と見ている、たぶんメディアの独占的権力もまた彼が追い回すだろうからだ。これはいわばルーズベルトとトルーマンの会話だ。そこがアイオワの有権者を共鳴させているところだ、オバマやヒラリーほどには注意を向けられてないけどな。彼に関する報道の欠如が明日の夜の第一位を損なわせるかもしれない。
先頭を行く3人のなかで唯一エドワーズだけに、他のすべての文明国にある共通の基準の支払人のようなものへ導く万人共通の健康保険介護計画がある。彼の計画はオレがほしいようには進んでいないが、健康保険会社が害であり、連中が地位を保つべきでないと正確に指摘しているのは彼だけなんだよ。」
(maichaelmoore.com 02 January 2008)

写真は3日のアイオワの様子。クリックすると拡大版で見ることができます。

2008/01/03

今年も「いぬ年」



いよいよ明日(日本時間)です。2008年米大統領選の幕開けとなる米アイオワ州党員集会をCNNはウルフ・ブリッツァー、アンダーソン・クーパー、ルー・ダブスが共同司会を務める特別体制でニューヨークに新設された「CNN選挙センター」から報道します。
1月1日付地元有力紙デモイン・レジスターが発表した世論調査によると、民主党候補の支持率はオバマ32%、ヒラリー25%、エドワーズ24%の順で、オバマ候補が両候補を上回った。オバマ氏は1日、記者団に対し、「もうちょっとで特別な何かができそうだ」と勝利への自信を強調している。
一方、CNN TVが1日明らかにした世論調査の結果ではヒラリー33%、オバマ31%、エドワーズ22%で、ヒラリーがオバマをリード。米国政治の改革を訴えるオバマ候補と、政治経験をアピールするヒラリー候補の支持率の差が、現段階でもほとんどないことをうかがえる。
1日のローリングストーン誌の国内ニュースには、デニス・クシニッチ民主党候補が自分の支持者をオバマに入れろと客引きをしているとあります。

◇クシニッチは彼のアイオワの支援者に、もしそれぞれの選挙区に「クシニッチ」が存立できないようなら2番目の選択としてバラク・オバマを支持するよう求めている。これは指名の期待を民主党の基盤の左翼にぐいと引き寄せているエドワーズにとって痛い一撃である。

これに対する読者からの書き込みのなかに、
「もしアイオワに住んでたら、グラベルのほうにかたむいているだろうな。彼は池に石を投げたぜ。」とあった。
グラベル候補はほんと、ペンタゴンペイパーズを託された唯一の人物、グラベルにしか渡せなかったということで信頼できる人物なはず。だから絶対に彼が指名されることはない。

ということで、今年もよろしく
写真は2008年1月1日いつもの公園で出会った仲間が撮影してくれたうちのサンバとヴァーモスです。ヴァーモスの隣のラブラドールはジェナおばさん10歳です。うちは今年も「いぬ年」です。