見つけた 犬としあわせ

こころがどきどきするもの見つけたとき、それを作品にしたり、思わずなにかの形にして人に伝えたくなります。 見つけたとき感じたしあわせ感覚がひとしずくでも誰かに伝わったら、ダブルでハッピーです。

2007/09/30

世界で最も忘れられたエリア


YouTubeで公開されてるヴィデオですごくまともなこと言ってるジム・キャリーがご覧になれます。ぜんぜんおかしくない彼です。
http://www.uscampaignforburma.org/

45歳の俳優・コメディアンが、まれにみる真剣モードで、人権行動センターとビルマ米国キャンペーンに代わって、新しい公益事業コマーシャルに登場。ゴールは、この17年のうち11年もミャンマー政府によって監禁されてきているノーベル受賞者アウン・サン・スー・チーを解放することだ。
「彼女は現代のガンジーやネルソン・マンデラに匹敵するのに、アメリカではまだほとんどの人がアウン・サンを知らない」と、YouTubeに掲示される映像化されたメッセージでキャリーは言う。
「憶えにくい名前だという現実を直視して、がんばらなくちゃ。ボクがどうやって憶えるかやってみせる。アウン・サンは、賛美されてない(unsung)ヒーローという意味のアンサングによく似た発音だ。」
ヤンゴンの街で長いこと自宅軟禁下に置かれるスー・チーは、東南アジアの国を支配する圧政的軍事政権を転覆するための非暴力の骨折りを評価されて1991年にノーベル平和賞を受賞した。
タン・シュエ将軍率いる軍政はミャンマー東部の3000以上の村を破壊してきている。それによって150万を超える人々が故郷を離れざるをえない。そして他のどの国よりも多い子ども兵士を補充した。キャリーは彼の持ち時間の中でこう話す。
「ちょうどマンデラが投獄されたとき支援したように、世界中の人が彼女の救援に向かう必要がある」と、ビルマ米国キャンペーンの共同創始者ジェレミー・ウッドラムは声明の中で述べた。
「このコマーシャルは、米国そして世界中くまなく、アウン・サン・スー・チーに関する活動での急激な高まりの一助となります。」

◇ミャンマー東部:知らないふりをされる残忍な行為
3000の村が破壊され、百万人が難民に、国連安保理はなにもしない
そこは世界で最も忘れられたエリアのひとつ。大量の退去難民、労働レイプ拷問の強要、あらゆる形の迫害があたりまえの現実という場所。3000を超える村の破壊はアジアで最悪の人道主義の情況に導いている。ミャンマーの暫定軍事政権は国中くまなくひるまない発展・成長の阻止を維持する。特にミャンマー東部の少数民族に関してはすっかりだ。そこの政治的支援や現金、武器が、将軍たちの権力支配の存続を確かにする、中国のような国々の支援のせいで、このひどく不快な事態は続いてこれている。

2007/09/29

国軍に乱れがある


◇軍政側は26日以来連日、デモを武力弾圧しているが、ある民主派運動活動家はAFP通信に対し、「われわれはまた街に出る。事態はどんどん緊張するだろう」と語った。
旧首都ヤンゴン市内は29日も、異常なほどの厳戒態勢が敷かれ、兵士の数が顕著に増えている。これまでの弾圧は、ヤンゴンに駐屯する陸軍2個師団が実行してきたが、さらに、同市北東に位置するパゴから1個師団が増派された。
一方、ある外交官は28日、ミャンマー国軍内部に不服従の動きがあり、一部の兵士はデモ隊支持の意向を持っているという情報を複数の筋から得たと述べた。また、ヤンゴン駐在の外交官が29日語ったところでは、第2の都市マンダレーで事態にどう対処するかをめぐり、国軍内で意見の対立が生じているとの説もあるという。 (AFP=時事)

◇死者数は公式情報の数倍か
国営メディアは27日のデモ鎮圧で9人が死亡したとしているが、オーストラリアの駐ミャンマー大使は豪ラジオに対し、目撃者情報として、実際の死者数はその数倍だと語った。
デモの主役だった僧侶の多くが拘束されるなどしたため、この日は市民ら数千人がデモに参加。参加していた学生リーダーは「僧侶たちはよくやってくれた。今度はわれわれが続けなければならない」と話していた。 この日も当局による僧院襲撃、僧侶の拘束が続いた。
また、インターネット接続ができない状態になり、通信会社関係者は海底ケーブルの損傷が原因と説明しているが、軍事政権がデモ武力弾圧を伝える映像や情報が流れるのを防ぐため遮断したもようだ。 (AFP=時事)

◇現地からの情報によると、27日、治安部隊が発砲したのはヤンゴン中心部の仏塔スーレ・パゴタ近く。約200人の治安部隊員が銃を構えて、集まった市民に向かって行進、拡声機で「10分以内に立ち去らなければ銃撃する」と警告。これに対し、1000人以上のデモ参加者が投石などで抵抗。治安部隊とのにらみあいがしばらく続いたが、午後4時ごろ治安部隊が群衆に向け突然、発砲を始めた。
ミャンマー軍事政権治安部隊による反政府デモ制圧を取材中に死亡した日本人映像ジャーナリスト、長井健司さんが銃撃された際、治安部隊員は至近距離でほぼ正面から銃を撃っていたことが27日、明らかになった。事件を目撃した親族の話を聞いたミャンマー人男性が共同通信に語った。
男性の親族は数十メートル離れた場所から目撃。部隊が移動した直後に現場に行くと「撃たれたのは日本人で死亡した。遺体とカメラは部隊が持ち去った」と周囲の人間が話していたのを聞いたという。他の外国人ジャーナリストも同時に撃たれ腕などを負傷したようだという。
ミャンマー国営テレビは長井さんを含む9人が死亡、11人が負傷したと伝えている。しかし、親族は男性に「もっとたくさんの人が倒れていた。遺体はデモ制圧後、治安部隊が運び去り、放水車が血を洗い流していた」と話したという。
また親族は「デモ隊に乱射している治安部隊の話すビルマ語は(方言のため)分かりにくい。やみくもに乱射しており、統率が取れていないようだ。肩に担いで使用するロケット弾のような武器も使われた」と当時の状況を詳しく語った。
男性によれば、ヤンゴンの僧侶に親近感を持たない地方出身の兵士を前面に立ててデモ隊を鎮圧する作戦を治安部隊は取っているもようだ。 (共同通信)

◇ミャンマー情勢、中国が影響力行使を
欧米メディアは27日、ミャンマーの事態沈静化に向け、中国が影響力を行使すべきだとする社説、寄稿を一斉に掲載した。
米ウォールストリートジャーナル紙は「中国は恥を知れ」と題したノーベル平和賞受賞者ジョディ・ウィリアムズ氏の論文を掲載。中国の経済支援抜きにはミャンマー経済は成り立たないと指摘したうえで「中国が自ら政策を転換しないのなら圧力をかけなければならない。北京の内政不干渉政策は容認できない」と強調した。
米ワシントンポスト紙は中国とロシアの反対で国連安全保障理事会の声明から軍事政権への「非難」が削除されたことについて、社説で「残忍な武力鎮圧に青信号を出したようなもの。鎮圧が進めばプーチン大統領と胡錦濤国家主席の責任だ」と断じた。
英タイムズ紙は社説で「対ミャンマー制裁を求めるブラウン英首相やブッシュ米大統領の声はほとんど意味がない。圧力をかけられるのは(ミャンマー産)ガスの顧客でもある巨大な隣国、中国だ」と指摘した。(日経新聞)

◇ミャンマー投資、仏企業は中止を
サルコジ仏大統領は26日、ミャンマーの反軍事政権デモと政権当局の対立を受け「(仏石油大手)トタルなど仏企業はミャンマーへの新規投資を中止すべきだ」と呼びかけた。
トタルは「ミャンマーでの活動は社会的に重要」として政府の要請を受け入れない意向を示している。同社はミャンマー南部で天然ガスの採掘をしており、タイなどに供給している。

◇ミャンマーへの経済制裁を検討
オーストラリアのハワード首相は27日、ミャンマーの軍事政権に対する経済制裁を検討すると発表した。豪メディアによると制裁は送金凍結が軸になるという。1988年から実施している政府高官への入国ビザ発給制限と軍事物資の禁輸措置も強化する。
首相は「ミャンマー政府が平和的な抗議活動を高圧的に抑制し、数人の死者と多くの逮捕者が出たことを憂慮する」としたうえで、制裁は「ミャンマー国民を傷つけることなく軍事政権に最大限の圧力をかけるためだ」と述べた。

◇軍政議長の妻子、タイに脱出か
タイの英字紙ネーションは26日、ミャンマー軍事政権のトップであるタン・シュエ国家平和発展評議会議長の家族が出国し、タイに入国したと報じた。
同議長の妻と子どもたちは25日、ミャンマー中部の新首都ネピドーをチャーター機で出発。議長は空港で家族を見送ったという。(時事通信)

◇ミャンマーの軍事政権が26日、反軍政デモの武力鎮圧に着手し、民主化要求デモへの軍の無差別発砲で千人以上の犠牲者が出た1988年以来の流血事態に発展した。軍政は僧侶への暴行もいとわぬ強権姿勢をむき出しにしており、民主化勢力の徹底弾圧に乗り出す構えだ。民主化勢力は猛反発しており、軍政との全面対決が避けられない情勢になりつつある。
軍政はこれまで敬虔(けいけん)な仏教徒の国民が、尊敬と信頼を集める仏教界を懐柔して親軍組織化してきた。その一方で、民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさん率いる最大野党「国民民主連盟(NLD)」を弾圧し、両者の分断を図った。
軍政は高僧たちに手厚い寄進を続ける見返りに、出家僧侶のサンガ(教団)を州・管区、地区レベルで再編成し、宗教省のもとに一元的に統制。軍政は事あるごとに「NLD が勢力拡大のために党員をサンガに潜入させている」と非難し、僧侶とNLD の連携を警戒していた。
軍政による仏教界の統制を無視した若手僧侶による反軍政デモに対し、NLD はこれまで組織的な関与を控えてきた。軍政に徹底弾圧の格好の口実を与えることになりかねないためだ。
しかし、NLD は26日、軍政の武力行使を非難する声明を発表。僧侶の身柄まで拘束したことを「歴史上、最悪の愚行だ」と痛烈に批判し、軍政に武力行使の即時中止と、民主化勢力との直接対話に応じるよう要求した。
旧首都ヤンゴンの多くの市民にとって、88年の惨事は脳裏に焼き付いている。大規模な民主化要求デモで独裁体制が瓦解したネ・ウィン将軍は「デモを続ける者に対し、軍は狙いを定めて撃つ」と宣言。その言葉通りに千人以上の学生や市民を殺害した。
同国中部の新首都ネピドーで指揮を執る軍政トップ、タン・シュエ国家平和発展評議会(SPDC)議長が、軍に徹底弾圧を指示している可能性は高く、無差別発砲という最悪の事態も決して否定できない。

◇「国連安保理で緊急会議を」亡命政権の首相
ミャンマーの軍事政権打倒を目指す反政府勢力「ビルマ連邦国民連合政府」(亡命政権)のセイン・ウィン首相(米国在住)は25、26の両日、フランスのニュース専門局「LC1」に出演し、軍政に対する民主化デモを国際的に支援するため「国連安全保障理事会で緊急会議を開くようにフランスから呼びかけてほしい」と求めた。
同政府は1990年に野党の急進派議員らが結成。セイン・ウィン氏は、ミャンマーの民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさんの従兄弟にあたる。

◇日本人記者ら2人 国外退去処分に
ミャンマー軍事政権は26日、ヤンゴンで反政府デモを取材していたとして、中日新聞(東京新聞)バンコク支局の平田浩二支局長、共同通信バンコク支局の遠藤一弥支局長の日本人記者2人を国外退去処分にした。2人は今月24日、バンコクからヤンゴン入りしていた。(東京新聞)

◇つのる抗議
8月15日:軍事政権が燃料費を2倍に値上げして抗議を誘発する
9月05日:軍隊がパコックでの抗議で僧侶数人を負傷させる
9月17日:軍政が負傷者への謝罪を怠ったことが僧侶による別の抗議を招く
9月18ー21日:ミャンマーの都市における僧侶による毎日のデモ行進が徐々にかなりの規模になる
9月22日:僧侶1000人がヤンゴンのアウン・サン・スー・チン宅まで行進する
9月23日:ヤンゴンで2万人の行進にまでにふくらむ
9月24日:これまでにないヤンゴンのデモ行進は少なくとも5万人を集め、他の町がこれに加わる

◇この機会を逃したら、また暗黒の日々が続く(ビルマ市民フォーラム配信から抜粋)  
2007年9月、まもなく雨季が終わろうとしているミャンマーで見慣れないことが起こっている。連日、僧侶たちがヤンゴンの大通りを静かに行進している。プラカードもスローガンもなく、時々お経を読む意外は、ただ黙々と歩く。だがこれは、8月15日に石油、ガソリン、天然ガスなど燃料の価格をいきなり2倍から5倍に引き上げた軍事政権への抗議であり、困窮の度を深めた市民生活を見るに見かねて僧侶たちが立ち上がったものだった。国民は僧侶たちに感謝している。24日には僧侶のデモは途中参加した一般市民を含めて10万人規模にまで膨れ上がった。現地からの映像には、整然と歩く僧侶たちの両側で、手をつないで彼らを守り妨害行為を防ごうとする一般市民の姿がある。 
9月22日、僧侶たちはアウン・サン・スー・チー宅まで行進した。2003年5月30日、国民民主連盟(NLD)の党員多数が当局の意向で動く連邦団結発展協会(USDA)の襲撃によって虐殺されたディベイン事件の日から、NLD書記長アウン・サン・スー・チー女史は自宅軟禁に置かれている。僧侶の訪問を受けて彼女は門まで出てくると彼らに向かって両手を合わせた。実に4年4ヶ月ぶりに人前に姿を現した彼女を携帯で撮影した写真がロイター通信によって全世界に配信された。 
ミャンマーでは仏教僧は「人」ではなく、仏(パヤー)とみなされる。本来、彼らは政治にかかわらない。選挙権も被選挙権もない。だが僧侶は都市でも農村でも一般市民の生活と密接なかかわりを持っており、一般市民の僧侶への信頼はあつい。僧侶たちの態度が毅然としたものになった直接の引き金は、9月5日ミャンマー中部の都市パコックで軍隊が僧侶数人を負傷させた、これに対し当局から謝罪がなかったことだとされている。さらに、1988年の民主化運動で一般市民に味方する僧侶たちは青年僧侶連盟(ABYMU)に結集した。このグループは現在も国内で勢力を持ち続けているとされる。軍事政権にまっ先に抗議の声を上げたのはこうした僧侶であったと言われる。 
・88世代の学生グループ 
8月19日の元NLD副議長ウー・チーマウンの3周忌に88年民主化運動の学生指導者ミン・コウ・ナインは出席した。帰りに彼は、「バス代もタクシー代も値上がりした。オレたちにはとても払えない。歩いて帰ろう。」と仲間を誘い、歩き出した。路上で加わる人も出てきた。これが値上げに抗議する「歩くデモ」の始まりとされている。 
ミン・コウ・ナインは1988年8月に結成された全ビルマ学生連盟(バカタ、ABFSU)の委員長だ。反政府活動で逮捕され1989年3月から2004年11月まで15年間牢獄生活に耐えた。彼の名が再び登場したのは2006年9月で、他の元学生指導者4人と共に再び拘束された。このとき「88世代学生グループ」を名乗る活動家たちが、ミン・コウ・ナインを含める政治囚釈放嘆願署名運動を展開し、厳しい軍事政権の監視の下、3週間でおよそ50万人の署名を集めた。署名の数の多さと、これを後押しする国際世論に気兼ねしたのか、軍事政権は国連安保理でミャンマー問題決議案が採択される直前の2007年1月11日に彼らを釈放した。 
2007年5月27日、17年前にNLDが総選挙で大勝したのを記念する日に、ミン・コウ・ナインはヤンゴンのNLD党本部前で党員に向かって力強い演説を行なった。88世代学生グループとNLD党員たちがシュエダゴン・パゴダに参拝のため入ろうとすると、USDAを動員した軍政当局の妨害でパゴダには入れなかった。ミン・コウ・ナインが「引き返そう。どこで祈ろうと気持ちは通じる。」と声をかけて本部前に集まった1000人の群集に彼は話しかけた。軍事政権を直接弾劾する言葉はなかった。世界に恥じないミャンマーを実現しようと彼は熱く語った。 
そして8月下旬、燃料費値上げに抗議するデモの口火を切ったミン・コウ・ナインは、他の活動家たちと共に再び拘束された。代わりに僧侶たちが立ち上がった。
・ネットワーク社会 
88年と様相は似ていても、19年を経過した情況の違い、特に情報が海外に漏れ出る早さは、今後の動きにも大きく影響するはずだ。ヤンゴンの路上を燃料費値上げに抗議して88世代学生グループや市民たちが歩き始めると、その様子がインターネットを介して、その日のうちに写真あるいは動画入りで全世界に届いた。それをまた国外の報道機関が国内に届ける。1988年、ビルマ語短波ラジオ放送としてBBCとVOAがあったが、今はDVB(民主ビルマの声)や RFA(ラジオ・フリーアジア)が加わっている。そして放送を聞き逃してもインターネットでアクセスできる。 
さらに1988年以降国外へ脱出した民主化活動家たちが作り上げる組織が、それぞれ国内ルートを持ってきめ細かい情報をやはりインターネットを駆使して伝えている。こうしたネットワークを通してヤンゴン、マンダレー、モーラミャイン、バゴーなどの大都市ばかりか、ラカイン州、カチン州、シャン州などの地方都市での動きまで網羅されることになる。それがまた国内に伝えられて、「そうか、あの町でもやってるんだ。よし、私たちも」と報道統制されてるビルマの市民を力づけることになる。 
8月中旬以降、西側諸国はミャンマーの動きに注視している。1988年のように力で容赦なく弾圧を加えればただちに非難を浴びるだろう。2007年1月、中国とロシアの拒否権によって否決されたミャンマーに政治囚釈放、人権尊重、民主化促進を迫る決議案を再び安保理にかけようとする動きにつながりかねない。軍事政権はすでに燃料費値上げに抗議するデモを裏からNLDがあおっているとして非難声明を出している。2003年5月のディベイン襲撃事件の際に軍政はUSDAの仲間に僧衣を着せて殴りこませるという手段に出た。すでにアウン・サン・スー・チー女史はどこかに連れ去れたとの情報があり、行方がわかっていない。

◇世界の声は他人事
26日、軍政の実力行使によって、現在までに僧侶を含め10人の死亡が確認されている。このまま民主化を望む国民とそれを支える仏僧の声は武力によって蹴散らされ、また元の木阿弥に戻るのだろうか。今朝、ニュージャージの作家からこんな見解が届いた。以下抜粋:
けれども、事態の先送りは難しいかもしれない。というのも、ミャンマーの軍政は昨年に突如、遷都を発表し、ヤンゴンから600キロ離れたピンマナという町を「ネピードー」と改称して、そこに首都機能を移転しつつあるのです。最大都市ヤンゴンで持ちこたえられないほど現軍政が民意を得られていなかったのは明らかです。また、軍事評論家の神浦元彰氏が指摘しているように、仏教に帰依していない少数民族の兵士を治安部隊に投入しているとしたら、これも政権の末期症状のあらわれと言うしかありません。
「この機会を逃したらもう二度と、、、」というせっぱ詰まったミャンマー国民の気持ちと、欧米の政権の非難の声には、ものすごい隔たりがある。欧米
からは基本的には「他人事」である。中国は諸々の事情でスパッと現政権を切れないとなると、幾つかの点で、日本政府の役割は大きいように思える。
●過去50年間に総額6000億円以上というODAを供与
●現在60社の企業が進出し、家族共々の駐在員を含む650人が在住
●長井記者射殺事件(それも至近距離から狙い撃ち)という悲劇を抱え、政治的には強く出る立場にある
●相互の国民に親近感がある
とにかく独裁のメカニズムを理解することなく、原則論ばかりが横行するアメリカから見ていると、そんな期待感を持つのです。(冷泉彰彦氏のUSAレポートより)

2007/09/28

傲慢だから嫌われる



イラン大統領アフマディネジャドのニューヨーク訪問で今週は誰もがうるさかった。CODEPINK(コードピンク)はアフマディネジャドのコロンビア大学での講演と国連総会一般討論演説の両方を聞きました。彼が言った多くの事がらで同意しないと同時に、まさにブッシュ大統領が私たちを代表しないのと同様に、アフマディネジャドがイラン国民を代表しないことに私たちは気づかせたかった。では私たちの指導部が私たち国民をこれほどみじめに失望させたとき、市民としてどうするか?私たちは立ち上がる。私たちは行動を起こす。市民外交的手腕が、指導者たちに話し合いを強いて戦争をさせなくさせる動機の影響力になりうるのを、私たちは示します。
写真は、CODEPINKの25日ニューヨークでの成果、ブッシュを逮捕する市民警察官としてのアピールから。

◇ニカラグアのオルテガ大統領は25日、国連総会の一般討論演説で「米国は広島と長崎で罪のない人々の頭上に核爆弾を落とした世界唯一の国だ」と批判した上で、北朝鮮やイランが「軍事目的の核エネルギーを求めたとしても、異議を唱える権利が(米国に)あるのか」と語った。
冷戦時代に反米革命政権を率い、今年1月に権力の座に返り咲いたオルテガ氏は、反米強硬派として知られるベネズエラのチャベス大統領やキューバと良好な関係を築いている。昨年の一般演説ではチャベス氏がブッシュ米大統領を「悪魔」と名指しして物議を醸したが、今年は日程の都合で総会出席を取りやめたチャベス氏の「代役」をオルテガ氏が務めた格好になった。(時事通信9月25日)
◇イラクのアフマディネジャド大統領は25日、国連総会の一般討論演説で、IAEAのアプローチが正しいと主張し、国連安全保障理事会が威圧的な一部国家の影響で正義を維持しておらず、イラン国民の権利を保護していないと批判。国連安保理が「独占的大国」に影響され、無能になった国際組織の筆頭だと発言した。
この他に大統領は名指しを避けながら、米国のイラク戦争や秘密収容所設置、令状なき盗聴などのテロ対策を批判し、「人権は特定大国によって著しく侵害されている」と述べた。さらに、「大国」が世界各地の情勢不安や分断、道徳の低下を招いたとしたうえで、「尊大さと悪魔への服従の道から、神の信仰の道に戻るべき時ではないか」と問いかけ、平和に向けたイランとの連携を各国に呼びかけた。
アフマディネジャド大統領が米国に言及したのは、「米国民の権利や尊厳も権力者の自己中心的な欲望の犠牲になっている」と述べた箇所のみ。しかし米代表団は演説の最中、書記の女性を除いて全員欠席した。

かたやブッシュの演説には「キューバはまもなく自由な国になる」というくだりがあり、これに不快感を表してキューバ代表団が退席する一幕があった。
キューバのグアンタナモ基地の捕虜収容所ではひどい人権侵害が堂々とまかり通っているというのに、なんて傲慢なんでしょ!

2007/09/26

ミャンマーが動いている


ミャンマーが動いている。僧侶たちのきっぱりとした態度には、真摯というか思い詰めたというか、しばらく忘れていたエネルギーを感じる。ミャンマーには普通の市民の心をつかむ僧侶が50万人いるそうだから、ミャンマーの革命、少なくとも国に何らかの変化が起きて不思議はない。
これまで軍政が強硬手段に出なかったのは、どうもブッシュアメリカの威勢のいいかけ声でなしに、表だっては沈黙している中国の圧力のせいらしい。
ともかく、世界は今度こそミャンマーの人々を支援しなければ!と思う。
以下はミャンマーの抗議行動を追ったニュースのカットアップ:

◇僧侶によるデモが続くミャンマーの最大都市ヤンゴンでは24日、市民が次々とデモに加わり、目撃者によると10万人以上が参加、軍政に対する抗議行動としては、過去最大規模となった。
行進は二手に分かれて行われ、3万人以上が加わった片方のグループは、市中心部を練り歩いた。軍施設の前も通り抜けたが、兵士は敷地内から監視するだけで、阻止には動かなかった。
もう一方のグループには10万人近くが参加。幹線道路を埋め尽くし、北方のパゴダ(仏塔)に向かった。この行進により、交通は遮断された。 (AFP=時事 9月24日)
◇軍事政権は、24日夜の国営放送で、デモを先導する僧侶に対し強硬措置で臨むことを初めて明らかにし、これ以上のデモ拡大を容認しない姿勢を示した。今後、軍政による僧侶の拘束も予想され、情勢は一層の緊迫局面を迎えた。(すでに300人弱の人々が当局によって拘束されている)
在ヤンゴン消息筋によると、トゥラ・ミン・マウン宗教相が24日、同国仏教界で最も権威のある高僧らと面会。「抗議デモは高僧の教えに背くもので、矯正されないのであれば(軍政が)法に基づいた措置を取る」と説明し、高僧は了承したという。また、「国民は(犠牲者が出た)88年の再来を望んでいない」とも述べ、現段階では、僧侶に対し直接武力を行使する考えがないことも示したという。(読売新聞9月25日)
◇軍政は、当局の許可を得ない5人を超える集会を、扇動に当たるとして法律で禁じている。この日は、広報車やハンドマイクで法律を読み上げ、拡大する反軍政デモを「違法行為」と決めつけた。(東京新聞9月25日)
◇米国務省は24日、軍政に対し、自制的な行動と、民主化運動指導者らとの「真摯な対話」に直ちに臨むよう求める声明を発表。ライス国務長官はロイター通信とのインタビューで、ミャンマー問題解決に向け「国際社会はこれまで以上に立ち上がるべきだ」と述べ、国連安全保障理事会への働き掛けを強める方針を示した。(東京新聞9月25日)
◇ミャンマー国営テレビは24日、僧侶の反軍政デモに関し、トゥラ・ミン・マウン宗教相が「(最大野党の)国民民主連盟(NLD)や反体制グループ、外国メディアが運動を大きくしようとしている」と非難したと伝えた。
宗教相は仏教界の高僧との会合で「外国にいる反体制の僧侶が運動を組織している」と説明。「燃料値上げへの抗議から(自宅軟禁中の民主化運動指導者)アウン・サン・スー・チー解放など、要求をエスカレートさせた」とし、デモが収まらなければ強硬手段も辞さないとの考えを示した。
国営メディアはこの数日、急拡大するデモについて全く報じていなかった。(共同通信9月25日)
◇ミャンマーの軍事政権は25日夜、僧侶や市民らの反政府デモが続く最大都市ヤンゴンと第2の都市マンダレーに夜間外出禁止令を出した。5人以上の集会も改めて禁止した。デモは軍政の警告を無視する形で続いており、軍政は26日以降のデモを抑えるために具体的な措置を取り始めた。ヤンゴン市街地には25日夜から多数の兵士も配置され、デモがさらに続けば軍政が実力行使に出る可能性もある。
夜間外出禁止や集会の禁止は、軍政当局者が25日夜、車に搭載した拡声機などを通じて両都市の市民に伝えた。外出禁止は午後9時から午前5時までで、26日から60日間とした。AFP通信によると、軍政当局者は抗議デモに対する措置であることを明言。両都市を「軍の直接の統制下に置く」とも伝えたという。
また、軍政は25日夜から、ヤンゴンのデモの集結地の一つであるスーレー・パゴダ(仏塔)など数カ所に多数の武装兵士らを配置。26日未明にはデモを激励した国民的人気コメディアンのザガナル氏を拘束した。強硬手段を辞さない姿勢を明確にし、デモ参加者を威嚇するねらいがあるとみられる。ヤンゴンでは26日にも午後からデモが予定されている。
軍政は24日、デモを「違法行為」として参加しないよう強く警告したが、25日のデモはそれを無視する形で行われた。学生や少数民族の代表ら国民のより広い層を巻き込む勢いとなっており、軍政側の危機感は日を追うごとに強まっている。(朝日新聞9月26日)
◇ ミャンマー軍事政権は東部国境で少数民族、カレン族の反軍政組織と対峙していた部隊などを撤退させ、ヤンゴンに送り込んだもようだ。タイ字紙クルンテープトゥラキット(電子版)が25日、報じた。
一方、タイ政府はミャンマー在住のタイ人の避難に備え、大型輸送機を用意した。
軍政は今のところ武力弾圧に踏み切っていない。米CNN、英BBCなどは、ミャンマーと政治的、経済的に緊密な関係にある中国が自制を求めていると分析している。中国は北京オリンピックを来年に控え、自国や友好国の人権問題が取り上げられるのに神経質になっているという。

2007/09/24

サラを乗せクルーニーが衝突


ジョージ・クルーニーと同乗者 バイク事故で負傷
22 September 2007 TheAge.com
ニュージャージ発:ニューヨーク市からハドソン川を渡った狭い道路でジョージ・クルーニーとその連れの乗ったバイクがクルマと接触して2人が負傷した。
今日の衝突で、クルーニーが乗せた客のサラ・ラーソンが足を骨折したと同時に、クルーニーが肋骨を折り、かすり傷を負った。
2人はノースバーゲンのパリサデス・メディカルセンターで治療を受け、苦痛から解放されたと、クルーニーのスポークスマン、スタン・ローゼンフィールドは述べた。
「彼は元気だ」とローゼンフィールドは言った。「彼は肋骨を折っており、非常に痛いし、痛みをいやすのに長くかかる。」
右折しようとしていたクルマの右で、クルーニーとラーソンが追い越すため加速したとき衝突が起きたとシーン・ケリー巡査部長は言った。2人ともヘルメットを着用していた。
誰かはすぐには発表されなかったクルマの運転者(28歳の男性)が、右折表示のウインカーを使ったかどうかはわかっていないとケリーは言った。事故は調査中だった。
「いまは、彼の言い分、彼女の言い分だが、ニュージャージではどこだろうが右の追い越しはできない」とケリーは言った。
クルマが左手に曲がる合図を出したのに右折してクルーニーのバイクにぶつかり事故は起きたとローゼンフィールドは言った。
「そのクルマは左の合図を出していた。クルーニーは右を走っていた。運転者はふいに右折することにしてジョージを強打した」とローゼンフィールドは言った。
46歳の俳優は、コーエン兄弟のダークコメディ「Burn After Reading」の撮影でニューヨークエリアにいた。映画の共演者はブラッド・ピット、ジョン・マルコヴィッチ、フランシス・マクドーマンド。
クルーニーの回復はプロダクションのスケジュールを中断させないとローゼンフィールドは言った。
クルーニーの新作「マイケル・クライトン」は来月公開予定。彼とサラ・ラーソンは幾つかの映画祭やここ最近のプレミア上映会でいっしょにスポットライトを浴びている。

写真は、うわさの彼と彼女。なんでもサラは羨望のシンデレラガールとか。ラスベガスで働くモデルだかの端くれが、「オーシャンズ13」のパーティでクルーニーと出会って、どこにでも2人で現れる仲になったそうなんだ。ゴシップちょい好き!

ゴードン・スローン 北京で死す


◇ビッグブラザーのスター 謎の死
by John Garnaut & Andra Jackson
17 September 2007
新たな証拠が本人の意志に反して薬物を盛られたと示すのに関して、オーストラリア政府は、元ビッグブラザー(TV番組「ビッグブラザー」シリーズ一回目)の競争相手(番組の同居者)ゴードン・スローンの死を調査するよう中国当局に求める。
イラクで「人間の盾」として活動したオーストラリアのセレブが中国のナイトクラブで薬物を盛られたのは明らかなようだと、The Age 紙は聞いている。ゴードン・スローンの血液中に謎の有毒物質を発見したのを医師らが確認している。
ニュージーランド生まれのスローン氏は9月1日土曜、北京のナイトクラブの壁にぶつかり転倒しているのを発見されて病院に運ばれた。彼は12日間、生命維持装置をつけられコーマ状態のままだった。中国に飛んだ両親、兄、姉が彼に付き添い、先週水曜、生命維持装置のスイッチを切る決断をした。
2001年、最初の「ビッグブラザー」家族でスターになったとき、オーストラリアで人がよく知る人物になったスローン氏は、ビジネスで北京にいた。(彼は有名になる前は建築家として働いていた)
北京のニュージーランド大使館で領事業務を担当しているジャッキー・ブラッキーは、医師らがスローン氏の体内に有毒物質を見つけたと言った。その薬物は彼に無断で投与されたはずだと彼女は言った。「彼がアンチドラッグだったのを知っているし、十分知っていてそれを服用するはずがない」と彼女は述べた。
昨夜、スローン氏のニュージーランドの両親はオーストラリアに帰る息子の遺体に同行するため、奮闘していたが、搭乗できる便を見つけるのに難航していた。
以下はゴードンの仲間でありイラク活動のパートナーだった、ドナ・マルハーンのメッセージです。

◇ゴードンの人生をたたえる
by ドナ・マルハーン 19 September 2007
イラクでの私たちの活動の一部だった私の友人であり仲間、ゴードン・スローンの悲劇の死については、先週のニュースで多くの方が聞いているはずです。
あなた方は、最初のオーストラリアでの「ビッグ・ブラザー」シリーズで有名なゴードンを想起されるかもしれません、デザイナーらしい彼のツンツンしたヘアスタイルは忘れようにも忘れられるもではありませんでした!
でも私たちは、どちらかというと、彼のすごいヘアスタイルよりも、彼のすごいハートのせいで、彼のことを憶えています。
いわば人間の盾としてイラク戦争に抗議するため2003年に彼をイラクに至らしめるほど、ゴードンには強い正義感がありました。彼はチームの一員として私たちが守るべき現場を選び、それらが私たちの基準にかなうのを確かにし、戦争のあいだ私たちがそこで暮らせるように準備する、いわばチームの責務であったので、彼は運動の成功に絶対に必要でした。
2003年11月、バグダッドのストリートキッズや孤児たちのシェルターを設立するプロジェクト「私たちのホーム・イラク」の一部になるため、彼はイラクに戻りました。私たちがイラクに出発する前、シドニーで行ったビッグな資金集めのディナーで彼がMCだったのを憶えている方もいるでしょう。
あの企画の成功では、ゴードンのエネルギーと創造性と懸命な働きが、主要な役割を演じたのです。
建物を見つけ、デザインし直し、塗装し、マットレスを購入するといったロジスティックなことから、子どもと遊ぶこと、食料や衣服を買い、料理を習う手助けをするなどの楽しい事柄まで、すべてを彼はやりました。
男の子たちはゴードンが大好きでした、彼といっしょに遊ぶのがレスリングをするのが大好きでした、たいてい彼に飛びかかるだけなのに。
そして、ゴードンは男の子たちが大好きでした。
交戦地帯でこのプロジェクトをなんとか動かそうと努めることで私たちが直面した困難な仕事にもかかわらず、ゴードンはこの子どもたちの安全を確保する決心でした。
彼はまた、米軍占領下のバグダッドで暮らす普通のイラク人の情況とその恐怖を、
ドキュメンタリー映画にすることにものめり込んでいました。
明日、9月20日木曜日、ゴードンの人生をたたえる葬儀がシドニーで執り行われます。
そこでは彼の人生の情熱に集中することでしょう。音楽、デザイン、人道援助、そして正義と。

写真は、デザイナーぽい、ツンツン頭のゴードン君、でもなぜ彼は死ななければならなかったのか。

2007/09/22

ホワイトツリーとジーナ6


ジーナ高校の6人の黒人生徒の解放を求めて9月20日、全米各地の活動家たちがルイジアナ州の小さな町に結集しました。事件を担当するリード・ウォルターズ地方検事も沈黙を破り、6人を起訴したことの正当性を公に訴え出ました。
具体的にはジーナ町立高校の白人生徒に対する黒人生徒6人の暴行をどう裁くかという問題で、当初「第二級殺人未遂」だったのが、公判中に「第二級暴行傷害およびその共謀」に下げられたものの、まだ「厳しすぎる」というので大きな問題になっています。実はこの町に渦巻く人種をめぐって対立するエネルギーには事件の布石となるルーツがありました。
白人が約80%、黒人が15%というような人種構成の、小さな町ジーナの町立高校には悪しき伝統がありました。「ホワイトツリー」と呼ばれる校庭の大きな木の下で集えるのは白人生徒に限られるという暗黙の「了解」です。
ことの発端は2006年8月末、黒人の新入生が校長に、自分も「ホワイトツリー」の下にすわっていいのかと尋ねたところ、校長は「君たちは誰でも好きなところに座っていいんだ」と答えました。このやりとりを聞いて、質問した生徒を含む何人かの黒人生徒が「ホワイトツリー」の下に座るという行動に出ました。すると翌朝、「ホワイトツリー」に首をつるための「ロープの輪がぶらさがっている」のが発見されました。
ほどなく3人の白人生徒の仕業であることが判明し、校長はこの3名の放校処分を決めました。ところが、教育委員会が介入して「思春期にはよくあるイタズラで、誰かを脅すような性格の行為ではない」と断じ、校長の決めた放校処分を破棄して「停学処分」に減刑したのです。教育委員会の決定の際のコメントが人種対立を燃え上がらせる要因になったと言われています。
ルイジアナ州を含む南部では「木にロープをぶら下げる」というのには象徴的な意味がありました。長い間存続した奴隷制度において、見せしめのために奴隷を殺害するのにこれが使われてきたこと、そして奴隷解放後も「白人の優位」を見せつけるのに黒人を迫害し続けたKKKのような白人至上主義団体が黒人をリンチするのに木のロープにつるしてきた記憶が深く残っているからでした。
黒人から見れば教育委員会が決めつけたことはウソでした、「ホワイツリー」に下がったロープは明らかに「おまえをリンチにしてやる」と人を脅す行為でした。その犯人たちが「停学」で済んだとなれば、人種問題の怒りのエネルギーが蓄積されていっても不思議ないことです。
問題の「ホワイトツリー」は切り倒されて「薪」にされたそうですが、この事件以降、ジーナでは高校生同士の人種の対立が激しくなりました。そんな中で起きたのが、冒頭にある今回の傷害事件でした。
有罪になると禁固20年という厳罰が待っていることから激しい反発が続いています。
ルイジアナ法には、「第二級暴行傷害」を立件するには「生命を脅かすような凶器の使用」という条件があるのでしたが、今回の公判では「黒人高校生たちがはいていたテニスシューズ」が「凶器」であるとされている点も問題になっています。白人が銃で威嚇しても「おとがめなし」なのに、黒人がテニスシューズをはいていただけで「第二級傷害」というのでは、差別といわれても仕方ありません。
さて、この黒人生徒6人は「ジーナ・シックス」という名で呼ばれ、人種差別の犠牲者ということで、全米からバスを連ねてデモ隊が集結することになりました。
こうした事件では必ず先頭にたってきたジェシー・ジャクソン師やアル・シャープトン師がジーナに来て陣頭指揮にあたっています。「南部的司法」から「ジーナ・シックス」を救出するために連邦議会が行動すべき!というスローガンを叫びながら、デモ行進はジーナの裁判所を取り囲みました。
もちろん、民主党の大統領候補たちはそれぞれにコメントを出しています。ヒラリー・クリントンは「司法システムの機能不全」という言い方で、ジョン・エドワーズは「人種隔離という環境で育ったわれわれ南部人にはみな、こうした人種問題に責任がある」と言って、「ジーナ・シックス」への減刑運動への支持を表明しました。
ここでオバマだけがちょっと違っています。彼はこれまでの主張、「人種間の和解」ということをこの問題でも訴えかけます。黒人側が渋々でも納得するような「裁定」が出れば、今度は白人側に怨念が残ることになる。オバマは、そうした怨念の応酬を止めさせたいという姿勢で発言してきています。 
全米から押し寄せた抗議者によって包囲された裁判所は、72時間以内にこの問題に関する公聴会を開く命令を出して、とりあえずその場を収拾させました。しかし、町は依然として人種間の刺刺しいムードにあり、来週の公聴会をめぐってはさらに緊張が高まることも予想されます。

写真は、すでに伐られて存在しませんが、校庭にあった問題の「ホワイトツリー」です。

人間とは なにかの間違いなのだ


イランのアフメデネジャド大統領が国連総会(日本は安倍の放棄でドタキャン)に出席のためニューヨーク入りする際に「グラウンド・ゼロ」で献花したいという意向を漏らしたところ、NY市当局がこれを拒否した。
イラン大統領はコロンビア大学で講演することになっているそうなんだが、こちらのほうも米国で猛反発が起こっている。「911のテロを密かに支持し、イスラエルの滅亡を願っているような人間をNYの大学が賓客扱いするとはけしからん」 でも、911のテロを密かに支持とは米国が単に「傲慢にそう言ってる」だけですよ、あまりにもおとなげない。
どっちがけしからん!ことなのか、あきれることが多すぎる。

◇シリアが核施設を稼働させるらしいという情報を、アメリカが入手してイスラエルに渡したらしい。その情報に基づいてイスラエルがシリアの施設を空爆したらしい。それでもって、その核施設には北朝鮮が技術供与しているらしい、というニュースから:
20日のブッシュ大統領の記者会見で、この問題に関してNBCのデビッド・グレゴリーが食い下がっていたのたが、ブッシュ大統領自身がこのすべてに関して「ノーコメント」と、いつになくガードが堅いことから様々な憶測を呼んでいる。イスラエル軍が今月6日にシリアを空爆したとの情報をめぐり、イスラエル国会・外交安保委員会ハネグビ委員長は、軍情報部に対し、この情報には今後も一切言及しないように要請している。

ニューヨークタイムズ紙は12日、イスラエルは北朝鮮がシリアに核物質を移送していると見て、偵察飛行を繰り返していたと報道。英サンデータイムス紙は16日、イスラエルが空爆したのは北朝鮮から渡った核物質の地下貯蔵庫で、事前に米政府の了承を取りつけていたと報じた。英オブザーバー紙は16日、空爆は核開発を進めるイランに対する「攻撃の予行演習」だとの見方を示した。
イスラエル政府が今回異例の沈黙なのは、「シリアに警告を与えた上で、交戦を避けるため」(イスラエル軍事筋)との見方がある。シリア政府は「イスラエル軍機が領空を侵犯し、爆発物を投下した」と主張しているが、空爆の有無は明らかにしていない。
事件直後、イスラエル軍機はレバノンのイスラム・シーア派の武装組織ヒズボラに輸送している武器を空爆したとの見方が強かった。
ニューヨークタイムズは米国防総省高官の言葉を引用し「イスラエルが最近シリアに対する偵察飛行を行い、核施設と思われる場所の写真を撮影した。イスラエル高官らは北朝鮮が核物質の一部をシリアに供給したと信じている」と報じた。イスラエル高官らは北朝鮮が残った核物質の一部をシリアに販売、またイランにも核物質を売っているとみていると伝えている。
ロイター通信も米外交消息筋の言葉として、イスラエルが空襲を加えたシリア北東部のデイルエツゾール地域は、北朝鮮とシリア間の核兵器協力の現場という疑いのある場所だったと報じている。

エルサレム発:イスラエルの右派政党リクードのネタニヤフ党首(元首相)がイスラエル軍による今月6日の「シリア攻撃」を認める発言をし、物議を醸している。シリアはイスラエル軍機の領空侵犯を公表したが、イスラエル政府はこれまで沈黙を守り、報道管制を敷いてきた。ネタニヤフ発言に政界や軍部からは「かん口令を破った」と非難が巻き起こっている。
ネタニヤフ氏は19日夜、イスラエルのテレビ局チャンネル1で「シリア攻撃」について「私は最初からこの件に関与していたし、支持した」などと発言し、事前にオルメルト首相から概要を知らされていたことを示唆した。さらに、「首相に(作戦成功の)お祝いの言葉をかけたのか」と問われると「個人的にね」と答え、攻撃の事実を認めた形となった。
イスラエル政府はこれまで一切、事実関係への言及を拒否してきた。政府や軍などにかん口令を敷き、厳しい報道管制も実施。イスラエル・メディアは連日、海外報道の転電に頼ってシリア関係のニュースを伝える状態が続いていた。ネタニヤフ氏の事務所は「具体的な作戦には言及していない」と「失言」の火消しに躍起になった。
16日付の英サンデータイムズ(電子版)紙によると、シリア攻撃準備は今春から始まっていたとされる。攻撃をめぐっては欧米メディアが「核関連施設を攻撃したとみられる」などと報じ、「北朝鮮がシリアの核開発に協力」との憶測も流れた。
イスラエルはシリア側に攻撃の詳細を表ざたにできない「事情」があると見て、反撃の機会を与えないため沈黙を続けているとの見方が有力だ。
(毎日新聞電子版2007年9月21日)

次は、日本の海自給油活動が、世界から要望されるアフガニスタンの対テロ戦争での米軍支援というより、当初からイラク戦争のために使われてきていた!との疑惑について:
「テロ対策特別措置法」に基づきインド洋に派遣された海上自衛隊の補給艦「ときわ」が2003年2月、米補給艦を通じて空母「キティホーク」に間接給油した問題で、防衛省は21日、当時の国会で政府が約20万ガロンと説明していた給油量について、実際は約80万ガロンだったと訂正した。
市民団体「ピースデポ」が20日、米側の資料を基に指摘したことを受け、防衛省が再調査したところ、「データの入力ミス」が見つかったという。(時事通信 2007年9月21日)

高村防衛相は21日午前、海上自衛隊の補給艦がイラク戦争の直前、米空母キティホークに間接給油していた問題に関し「当時も米側にアフガニスタンの対テロ作戦に使ったことを確認している」と述べ、イラクでの軍事行動への転用を否定していた。(共同通信 2007年9月21日)
米海軍の第5艦隊のウエブサイトには、「海上自衛隊はイラク攻撃を行なう艦隊のために、(80万ガロンどころか)8800万ガロン以上の石油を供給している」と記されていた。(この記述は日本側の要請で、すでに削除されているそうだ)
以下は20付日刊スポーツの記事から:
NPO法人「ピースデポ」は20日、米海軍公文書によると給油量は約79万ガロン(約2970キロリットル)で、当時日本政府が発表した量の約4倍だったと明らかにした。
航跡の分析により、給油地点がイラン沖のホルムズ海峡近くだったことも分かった。キティホークは給油の約20時間後にはペルシャ湾に入り、3月20日開戦のイラク戦争で空爆攻撃に参加。海自が無償提供した燃料が軍事行動に転用されたとの疑念が深まり、新内閣が臨む臨時国会でも取り上げられそうだ。
問題は03年5月、横須賀基地に帰港した米海軍第5空母群の司令官が、米補給艦を通じた間接補給を認めたことから発覚。防衛庁は当時「海自の給油量は20万ガロンで、空母1隻がほぼ1日で消費する量。イラク攻撃に使うことは現実的にあり得ず、テロ対策特別措置法の給油対象として問題ない」と説明していた。

インド洋の無料ガソリンスタンドと呼ばれる海自の補給艦は、米国をはじめ他国の軍隊の「(燃料)補給艦」に給油することが多いことは、以前から指摘されていた。日本のリーダーはバカバカしくもこれの延長に職を賭けた。恒久化するなど、ふざけていやしないか!

写真は、イランの大統領アフメデネジャド、後ろの肖像は言わずとしれたホメイニ師

2007/09/19

インスリン マーダー


インスリンは糖尿病の特効薬としてよく知られています。脾臓で作られるタンパク質ホルモン。
でもこれで自殺しようと思ったり、これを注射して人を殺そうと思う人がいるなんて想像もしませんでした。
でも現実には、いるんです。映画「運命の逆転」もそうでした。以下、BBC News からお伝えします。

殺人兵器としてインスリンを使う
by医療保険リポーター、ジェーン・エリオット BBC News 10 August 2007

殺人や殺人の見込みで思いつくのは、銃やナイフがパッと出るだろう、ヒ素や窒息だって出るかもしれない。
糖尿病治療のインスリンを兵器とみなす人などまずないだろうが、この90年ずっと、たいてい鮮明な立場の事件の幾つかで、人殺しの兵器になってきている。
血流中の血糖値が高くなるのを止めるのに、人にはインスリンが必要だ。
糖尿病の人は十分なホルモンを創り出すことができないか、それにきちんと反応できないので、さらに必要になる。
◇殺人兵器
しかし、それが発見された1921年からわずか5年以内にインスリンは人を殺すものでもあった。
多すぎるホルモンは、脳が正しく機能できないレベルにまで、血中のグルコースの量を下げかねない。
公式の記録に残されるインスリンを使った最初の自殺未遂の事件は1927年に記録され、1963年までに全部で13件あった。
殺人兵器としての最初の使用は1957年に記録される、それ以降、世界で殺人または殺人未遂でインスリンが使われる事件が約50件あった。主として手に入れるのにそのクスリを見つけやすい医療スタッフによるものだ。
◇鮮明な立場の事件
アメリカのクラウス・フォン・ビューローとイギリスのビヴァリー・アリット事件といった幾つか鮮明な立場の事件があった。
さて、これらの裁判の幾つかで第三者として出席している世界的なインスリン専門家ヴィンセント・マークス教授が「インスリン・マーダーズ True Life Crimes」という本を書いている。
◇ビヴァリー・アリット
看護師ビヴァリー・アリットは、インスリン投与による13件の事件で殺人と子どもへの暴力で終身刑になった。「死の天使」とあだ名をつけられたアリットは1993年イングランド中部ノッティンガムシアにあるランプトン重警備病院に拘禁され、40年のおつとめを宣告された。
本の中で教授はビヴァリー・アリット「死の天使」殺人事件裁判中の体験について述べる。
看護師アリットは少なくとも4人の子どもを殺害し、他に9人を殺そうとした。
マークス教授はインスリンが実際に使われたのを促して不動のものにするよう求められ、彼の専門的な証人としての証言はアリットに対する事件の立証に決定的なものだった。
だが、その死が無作為のでたらめなものでなかったというのを、特別に招集した会議の他の医療専門家にまず納得させねばならなかったと彼は言った。

(最初に注意を引いたのは生後5ケ月の幼児の事件だった。3度目の発作の後に大人用注射器1本分のインスリンが検出されていた。これほど大量のインスリンが幼児の体内で自然発生するなどありえない。やはり誰かが殺意をもって投与したのは明らかだった。警察は13人の被害者が被害にあった当日の医療担当者を調べ上げた。そして、すべての被害者に共通する担当者を割り出した。ビヴァリー・アリットだ。逮捕されたアリットは拒食症になり、82キロだった体重が44キロまで落ちた。彼女は「ミュンヒハウゼン症候群」だった。語源は「ホラ吹き男爵の冒険」の主人公、ミュンヒハウゼン男爵で、周囲の関心を惹くために、自分を傷つけたり、病気を装ったりする症例のことだ。事件時も彼女の自傷行為は続いており、虫垂炎を偽って医者に手術させる、ハンマーで手足を潰して医者に通う、手術しないと摘出できないほどカテーテルを尿道に挿入するなどの症例が裁判で明らかになっている。ウエブサイト「理解できない動機」参照)

◇ウイリアム・アーチャード
看護師のウイリアム・アーチャードは他の多くのあやしいと疑われる殺しの他は、彼の甥と7人の妻のうちの2人の殺害で1968年有罪を認めた。
その殺しのひとつでアーチャードは、皮下注射器で武装した強盗が彼の家にやってきて彼と3番目の妻ゼラの両方に注射したと主張した、妻は後に死んだ。
「私を除いてはほとんど誰も、会議の冒頭で自ら身を危険にさらし確かにきたない殺人が犯されたと述べる準備をしてなかったのは明白だった」と教授は言った。
「3回かそれ以上、大量のインスリンを注射されていた生後5ヵ月のポール(命をとりとめた)を基礎として私はこれをやった。」
◇不当な判決
マークス教授は、社交界の淑女たらんとする妻を2度も殺そうと企てた男、フォン・ビューローの事件でも助言した。
◇クラウス・フォン・ビューロー
最初が1982年、次が1985年と、クラウス・フォン・ビューローは妻のサニーを2度殺そうと企てた。最初の殺人未遂で彼は有罪を認めて30年の判決を宣告された、これは後に破棄された。2度目の裁判で彼は無罪放免になる。
彼が一度は罪を認め、後に無罪になったのは当然と、マークス教授は感じる。
「単に専門知識に欠けるのと裁判官と陪審員に複雑な科学的事実を伝達する困難さのせいで、まったくメリットがなく、そもそも絶対に提出されるべきでない起訴事件が、どうやって実在しない犯罪で有罪と宣告される無実の人という結果に導かれるかを、フォン・ビューロー事件は強調する。」と彼は言った。
フォン・ビューローの妻は、検察当局が異常なインスリン注射によって引き起こされたと主張したコーマ状態(植物人間)に陥った。
だがマークス教授は、彼女の状態はそれよりもおそらく重度のアルコール消費と関係があると主張した。
インスリンは殺害に使えるが、実はとても不十分な殺人兵器だとマークス教授は言った。
使用したその正体を見破るのは困難だったが、多くが不可能と想定されたわけではない。
「たいへんけっこうな武器というのではない、インスリンで赤ちゃんや老人を殺すのは簡単だが、大人はそうはいかない。」

(クラウス・フォン・ビューローはデンマーク出身のイギリスの法律家で演劇評論家。妻マルタ・フォン・ビューロー、愛称サニーにインシュリンを過剰投与し殺害を図った容疑で起訴されたが、無罪となった。ビューローとは母方の苗字で、ドイツ貴族の家系。指揮者ハンス・フォン・ビューローは親類である。父スヴェン・ボルベアは劇作家でナチ共鳴者として知られた。
1982年、米国ロードアイランド州ニューポートの自邸で妻サニーの殺害を図った容疑で起訴される。クラレンドン裁判所で行われた公判でクラウスは有罪となり、懲役30年を宣告されたが、高名なハーヴァード大学教授アラン・ダーショヴィッツを雇って控訴。ダーショヴィッツとその弁護団は一審で最も有力とされた証拠や証言を覆し、1984年にクラウスは無罪になる。1985年の再審で陪審はクラウスを全ての容疑で無罪にした。
今、クラウスはロンドンに住み、美術批評や演劇評論で活躍している。サニーは今なおニューヨークの病院で植物人間として生き続ける。
ダーショヴィッツが事件について書いた本は、映画「運命の逆転」となる。クラウスを演じたジェレミー・アイアンズはこの演技でアカデミー主演男優賞を獲得した。「理解できない動機」参照)

写真は、これがインスリン!

2007/09/18

国のない男ヴォネガット



日本でやっと翻訳本が出ました。2005年ニューヨークタイムズのベストセラー「a man wihtout a country 」(邦題:国のない男 NHK出版)
結局これが4月11日死去したカート・ヴォネガットの遺作となりました。
どなたか彼に捧げましたでしょうか、「いまカートは天国にいるよ」と。
これは、カートがアイザック・アシモフの追悼会でそう言って会場が大爆笑して以来、彼の大のお気に入りのジョークなんです。
いままともな雑誌はこれくらいとカートに言わせた In These Times に掲載される、ブッシュやチェイニーがふんぞり返る、堕落して貧欲で残酷なアメリカを見かぎる彼のコラムに、わたしはすごく魅せられ元気づけられました。
カート・ヴォネガットの「スローターハウス5」はアメリカのティーンエイジャーにはサリンジャーの「ライ麦畑をつかまえて」より支持されています。
以下、「国のない男」よりーー。

カート・ヴォネガットはドレスデン大空襲のとき、そこにいました。「空襲前の街を見て、地下室に入り、地下室から出て、空襲後の街を見たわけだ。声をあげて笑うしかなかった。こころが何かから解放されたくて、笑いを求めたのだと思う。」と書きます。でも1968年になるまで、このヨーロッパ史上最大の虐殺について書けませんでした。「1945年2月13日、ドレスデンでは約13万5000人が殺された。イギリス空爆隊によって、ひと晩のうちに。とことん無意味で不必要な破壊だった。すべてが燃えた。あの殺戮を行ったのはわれわれではなくイギリスだった。あれは一種の軍事実験で、焼夷弾をばらまくことで全市を焼き尽くせるかどうか試したかったのだろう。」とあります。
23年さかのぼりドレスデンを書く気にさせたのはヴェトナム戦だった。「アメリカの指導力と動機がいかにいかがわしく、どうしようもなく愚かなのがこれによって明るみに出た。このとき初めてドレスデンについて語れるようになった。想像を絶する極悪人たち、つまりナチの連中に対して、われわれがひどいことをしたというのを。わたしが見たもの、わたしが報告すべきことが、戦争がいかに醜いかを教えてくれる。事実には実に大きな力がある。われわれが望んでいないほどの力が。」
この成り行きが、「ボクの本よりよくできてる」とカートがコメントするほどの映画にもなった小説「スローターハウス5」でした。監督はジョージ・ロイ・ヒル、音楽はグレン・グールド。
また、彼は無類の音楽好きです。傲慢さのゆえに世界中から憎まれていても、それでも外国人がアメリカを愛してくれているのはジャズのおかげだと書きます。
アメリカの奴隷時代、奴隷所有者の自殺率は奴隷本人の自殺率をはるかに超えていた、なぜか。奴隷たち黒人には絶望の対処方法があったからで、白人にはそれがなかった。つまり、黒人たちは自殺という疫病神をブルースを演奏したり歌うことで追い払っていた。なるほど、ブルースは絶望を家の外に追い出すことはできないが演奏することでそれを部屋の隅に追いやることはできたのだ。
カートは、いまの若い人たちが気の毒でかける言葉もない、とも書きます。「精神的におかしい連中、つまり良心がなく、恥も情けも知らない連中が政府や企業の金庫の金をすべて盗んでわがものにしている、それがいまの世の中だ。」
だから、カート・ヴォネガットはアメリカを見かぎり、図書館員とIn These Times をよるべにしたのです。
最後にカートからひと言、魔法を使ってでも、「できればあなた方すべてにナバホ族やナイジェリアのイボ族のような大家族を授けてあげたい。大家族に見守られるあかちゃんになりたいと思わないか」
もうひと言、いい?「みんな頭がおかしい。いま地球の免疫システムはわれわれを排除しようとしていると思う。わたし自身、地球はわれわれを排除すべきだと思う。人間っていうのは実に恐ろしい生き物だよ。」

カート・ヴォネガットのMITの卒業式のスピーチとして、おそらく2000以上のウエブサイトに掲載されている気の利いたスピーチがあるのはご存じでしたか。
でも実際にはカート・ヴォネガットのものではなかった。シカゴ・トリビューン紙のコラムニスト、Mary Schmich が自分のコラムに創作として書いたものでした。歌にもなり、本にもなっているそうなんですが、これを気に入ったMITが翌年の卒業式にカート・ボネガットとMary Schmich を招待したというのです。
ちょっとだけ紹介してみます。
みなさん、卒業おめでとう。お祝いとして私からいくつかアドバイスを贈ります。
将来のことを悩んではいけない。悩んだところで、なんの役にも立ちません。頭を抱えるような深刻な事件というのは、ある日突然やってくるからです。不測の事態とはたいてい、なんてことない火曜日の午後4時に不意打ちの形で襲ってくるものです。
「人生の目標がない」と嘆いてはいけない。私がこれまで出会った人のなかでおもしろい人物は例外なく、22歳のときに自分の目標がわからなかった。いや、なかには40歳を過ぎても人生の目標が明確でない人も多い。だが、生き生きとしている人がいるものだ。
せいぜい自分のからだを活用しなさい。他人がどう思おうが、あなたに与えられた最高の道具です。
ダンス!踊る場所がないなら、自宅のリビングでもかまわない。
友人は簡単にできるし、簡単にいなくなる。でも、二三の本当に貴重な親友はこの限りではない。たとえ遠くに住んでいても、生活環境が違っても、親友とのつきあいは努力して続けなさい。年をとるにつれて、若いときの自分を知ってくれている友人ほどありがたいものはない。
一度はニューヨークに住みなさい。人間が鍛えられる。だが、鍛えられすぎる前にニューヨークを離れること。
旅行しなさい。

写真は、本の中にもある、カートのイラストや手描きの文章をシルクスクリーンで作品にしたもののひとつで、オフィシャルサイトから購入できます。
このようにi-Podに貼り付けるサービスともつながっていて、アルミに焼き付ける彫塑作品もあります。スカルプチャーはタイトルが「ワスプのくびれ」

2007/09/17

トーキョーのおそまつ君



阿倍の辞任会見後、「株価が上がった」というのがおかしかった。これはジョークではありません。
辞任会見後すぐに自民党から出てきた健康不安説については、NYタイムズがAPECではあんなに元気だったのに... と、そんな言い訳通用しないとばかりに受け流していたのが印象的でした。世間一般には安倍氏の辞任決意がマンガすぎたせいからか、こんなうわさも耳にしました。
安倍氏の母上が、なんとかって宗教に深くはまっていることでの話です。
決意が突然だったのは、もしや「お告げ」があってのことだったからではないか?

日本のリーダーのタイミングをわきまえない辞任宣言は世界にはどう映ったのか、についてはメールマガジンのほうで紹介するとして、もうひとつ気になるニュースをお伝えしておきます。
9月13日の読売新聞が、安倍がいよいよ苦しくなる理由のひとつに触れています。以下抜粋ーー。

◇安倍はこの日(辞任を発表した日)「週刊現代」から取材を受け、午後7時までに回答を求められていた。安倍の後援会が父親の安倍晋太郎・元外相から引き継いだ資産に対する、相続税の脱税疑惑に関するものだった。安倍事務所は12日、「報道は全くの誤りだ」とし、週刊現代を発行する講談社に記事不掲載を求める文書を発表した... 。

◇一説には、「週刊現代」が安倍自身の「政治とカネ」の大スクープをつかんでいて、その暴露を恐れての辞任とのウワサも出ている。ウワサによると、91年に父親の安倍晋太郎が亡くなった時に、安倍晋三は莫大な遺産を相続するハズだったのに、それをすべて自分の政治団体に寄付した形にして、億単位の相続税を免れたとの疑いがあるそうだ... 。この疑惑について「週刊現代」の編集部は、安倍晋三側に質問状を送付しており、その回答期限が「12日の午後2時」だったそうなのだ。
(ブログきっこの日記でこれに触れてる箇所)

写真は、米軍を支援する海自の給油艦船、ヒエーっとなりませんか。隣国がやきもきするのもわかります。まるで戦前の日本海軍のイメージですよ!
もう一枚は、空自です、この前のグアムでの訓練で本物の爆弾を本物の小さな島に投下した際に「シャック」アタック!と言って自信を誇示した自衛隊員。

2007/09/16

撤退の始まり


APECで安倍首相が世界に向かって、海自の給油活動がとぎれるようなことがあってはならない(と国民じゃなくブッシュアメリカにアピール)、対テロ特別措置法の延長に「職を賭す」と言えちゃうほど、世界とアメリカが熱い視線を向けて期待していることなのかー?と思っていたら、得意の読み違えで職を辞しちゃったよ。

9月10日、11日と、ペトレイエス・イラク駐留多国籍軍司令官とクロッカー駐イラクアメリカ大使の2名を召喚して米上下両院の公聴会が開かれていた。そしてこれを受けた形で行ったブッシュ大統領の演説から米国の当面のイラク政策の道筋が見えてきた。
13日の演説で大統領は、来年夏までに現在17万弱の駐留米軍を13万5000人程度まで減らせるとの見通しを示した。「増派」が成功したとアピールし、さらに成果があれば部隊を追加帰還させると訴える内容だった。
米国のゲーツ国防長官は14日の記者会見で、イラクの治安が現在のペースで改善すれば、2008年末までに米軍の駐留規模を10万人に減らせるとの「希望」があると述べた。
14日議会に提出されたイラク米軍増派の最終報告書によると、イラク政府の治安改善・復興努力をはかる「達成基準」18項目のうち、満足すべき進展があったのは9項目にとどまった。
7月の中間報告から進展があったのは旧バース党員の扱いを巡る措置だけ。基準は「復職を促すための法制化」だが、今回の報告では「新法は成立していないが、政府内部で合意に達した」ことを理由に進展を評価する苦しい内容になった。
(日経新聞2007年9月16日)

ブッシュ政権の方針とイラク駐留米軍の報告がひとまず議会を通ったということで、この先もこれまで通りに行くかといえば、実態は非常に巧妙な言葉を組み合わせた「撤退の始まり」に等しい。まず、ただちに始まる最大3万人の兵力削減だが、これについては「期限を切っての増派」が完了したことによる「自然な削減」だと言っている。また「新たな増派は行わずに自然の削減に任せる」ことでは、「増派が成功した」からという理由がつけられている。そして都合よく、イラクの治安回復がいっこうに進まないことはほとんどがイラク政府の責任にされている。
このように表面的には「ブッシュ政権の方針は正しかった」、「今やっていることには意味がある」といった言葉を並べながら、実は政治的な失点を最小限にしながら「撤兵」への道筋をつけようとしているのは明白だ。公聴会では、ペトレイエス司令官とクロッカー大使に対して共和党の議員団から非常に厳しい追求が浴びせられた。イラク戦争反対に回れないまでも、彼らがこのまま泥沼化することに危機感を持っているのは明らかだ。つまり、保守層も含めて、アメリカの民意は「撤退」に大きく傾いているということだ。
911から6周年を迎えたアメリカでは、政界からも社会からも「戦時の殺気」が消えている。なので「給油」が継続できなければ「国際公約に背く」とか「反テロ戦争への裏切り」といった日本の一部の政治家のかたくなな思いつめは、テロ戦争をぶちあげた当人の、アメリカ社会のいまの雰囲気から見ると、「困惑する」というのが一番ふさわしい。
政治的そして軍事的スローガンとしての「反テロ戦争」がよい意味で解体されつつあるのは明らかだ。日本の政治家が「日本人の犠牲者も24名いる」と叫びながら「給油は国際公約」だと言い張る姿は不自然としか言いようがない。そうした言動が政治的はずみを得るためのジェスチャーであるなら単に不誠実なだけですむのだが、国際社会を理解する上での情報不足、時間的感覚のズレがそこにあるのだとしたら、これは日本にとって恐ろしいことだ。
(ニュージャージ在住の作家、冷泉彰彦氏のUSAリポートから抜粋) 

写真は昨年のワールドカップ・ドイツ大会決勝でフランス代表のMFジダンがイタリア代表マテラッツィに頭突きを見舞った瞬間です。この後ジダンは退場処分になり、フランスは敗れた。なぜいまジダンかといえば、ロイターによると、8月18日、イタリア代表DFマルコ・マテラッツィが、気の短いジダンがキレるような身内を侮辱した汚い発言の内容を明かした。イタリアのメディアが18日に伝えた。マテラッツィはジダンに、「売春婦のお前の姉の方がいい」と言った。

2007/09/14

いまこそ、Whole Lotta Love


アーメット・アーティガン(1923−2006)へのたむけのコンサートで、英ロックバンド、レッド・ツェッペリンが19年ぶりに再結成する。それを見れるのはロンドンO2アリーナでたった一度だけ。
11月26日に1回のみ行うと発表したコンサートで、主催側は13日、世界中の約2000万人がウェブサイトですでにチケット購入の手続きを終えたと述べた。
1分間に8万人の割合で増えているという。購入申請の手続きは9月17日が期限、チケットの当選者は抽選で決める方針。料金は125ポンド(約2万9000円)。
公演は、昨年死去したアトランティック・レコーズの共同創立者アーメット・アーティガン氏を追悼する催しで、売上金はアーティガン氏の名前がつく教育基金に寄付される。英米と、同氏の母国であるトルコの大学生への奨学金として使われる。
レッド・ツェッペリンはアトランティック・レコーズと契約していた。コンサートにはバンド結成時からのメンバーであるボーカルのロバート・プラント、リードギターのジミー・ペイジ、ベースのジョン・ポール・ジョーンズが出演する。このほか、ザ・フーの元メンバーらも特別ゲストで加わる。
レッド・ツェッペリンは1980年にドラマーの死去を契機に解散している。
(CNN News)

◇レッド・ツェッペリンのゴッドファーザー的な存在だったアーティガンは、昨年10月、ローリング・ストーンズの楽屋で足を滑らせ頭部を強打し、ひと月半ほど昏睡状態に陥った後亡くなった。4月にニューヨークで行なわれた追悼式は、エリック・クラプトン、クロスビー・スティル・ナッシュ&ヤング、ベン・E・キング、フィル・コリンズらがパフォーマンスし、ミュージック界の重鎮ならではの音楽葬となった。

◇ツェッペリン・ローラーコースターが誕生
来年春、サウスカロライナにオープン予定のロックンロールをテーマにした遊園地ハードロックパークにレッド・ツェッペリン・コースターが誕生することになった。高さ155フィート(約47メートル)で、かなりスリリングな乗物になる。
このテーマ・パークの企画・運営は名前の通り、ハードロックカフェだ。同社のCEOは「許される範囲で最高の高さにした。(上空を飛行中の)パイロットの目をひくのは間違いないね」と話している。プロジェクトには、ジミー・ペイジ、ロバート・プラント、ジョン・ポール・ジョーンズらツェッペリンの全メンバーが協力、コースターにはバンドのロゴがフィーチャーされる。最高速度は時速104キロで、6分半の楽しい経験の間、シートの頭部に埋め込まれたスピーカーからツェッペリンの「Whole Lotta Love」が流れる。ワオー!
50エーカーという広大な敷地に建設されているハードロックパークは、世界初のロックンロールをテーマにした遊園地。ツェッペリン・コースターのほか、レゲエリヴァーフォールズ、パンクピット、マジックマッシュルームガーデンなどの乗物もできる。

マジックマッシュルームガーデンってどんな乗物?さぞかしサイケデリックなひとときが体験できるんでしょうね!いいな!
写真は、コンサートのお知らせ、アーメット・アーティガンに捧げるページのイメージからいただきました。

2007/09/12

待望のPTAの新作


ローリングストーン誌のこの秋の映画新作案内ーその5 by 映画評論家ピーター・トラヴィス
◇The Kingdom
全米公開は9月28日
イスラムのジハードに対して身近に引き寄せて自分の知識を得たいなら、アメリカ人がまともに向かい合っている中東戦争を酷評する議論を呼ぶスリラー、ピーター・バーグの「The Kingdom」の公開日を調べることだ。リヤドにあるアメリカの囲いを巡らした敷地内で爆発した爆弾を配置したのは誰か、犯人を捜し出すために現地に向かう、ジェニファー・ガーナー、ジェイソン・ベイトマン、クリス・クーパーを含める、FBIチームをジェイミー・フォックスが先導する。映画は、手に余る映像を考慮に入れない、はなはだしい死者の数と強烈面がある。だがバーグの撮影第一のスタイルは、後でかみしめるためのマテリアルをたくさん与えてくれる。

◇There Will Be Blood
全米公開初日は12月26日
アプトン・シンクレアの小説「オイル」を基にしたポール・トーマス・アンダーソンの新作は極端で信じがたいとのうわさだ。それって誰かを落胆させるという意味かい?群衆を見張る覚悟のできた石油帝王として精力的な人ダニエル・デイ・ルイスと、ポール・ダノが演じる説教師の姿をしたゴッド(神)に加えて、「ブギーナイト」「マグノリア」のアンダーソン監督は怒りでこんチクショーとなるまで障壁を高めないと満足しない。

「ギャング・オブ・ニューヨーク」以降ずっとスクリーンから遠ざかっていたダニエル・デイ・ルイス、うわさではイタリーだかで靴職人として腕を磨いていたそうだ。ポール・トーマス・アンダーソンと組んでの彼を見るのは愉しみ。監督のほうも、ファンには待ちこがれた新作だ。前作「パンチドランク・ラブ」から4年もたっている。結婚、子供の誕生など、プライベートの変化があってのブランクだそうだが。音楽はレディオヘッドといううわさ。「パンチドランク・ラブ」の音楽もよかった、映画はもちろん。冒頭のシーンでアダム・サンドラーが倉庫から外に出て道路をボーっとながめていると、突然クルマが横転して、オルガンが道路に降ってくるのが最高でした。
写真は、最近のダニエル・デイ・ルイス

2007/09/11

クローネンバーグとヴィゴ 再び



ローリングストーン誌のこの秋の映画新作案内ーその4 by 映画評論家ピーター・トラヴィス
◇Eastern Promises
全米公開は9月14日
刺青を入れた、ぶっきらぼうなヴィゴ・モーテンセンが、ロシアの犯罪同盟の一員として連中をなぐり、いばるのを見ることで、「指輪物語」のアラゴルンのファンよりさらに多くの客を「Eastern Promises」に引きつけることだろう。だが実際に人を引きつけるのは、デイヴィッド・クローネンバーグ監督の過激なエネルギーと再び関係する、天性のずばぬけた才能のあるモーテンセンをここで見ることだ。2年前、痛烈で、きわだった映画「ヒストリーオブバイオレンス」で、2人は家庭の神聖な義務という難題に挑んだ。今回の家庭はロンドンのロシア人マフィアだ。モーテンセンのニコライは女性売買に基づいて進行するおぼつかない計画をくじくかもしれない助産婦、ナオミ・ワッツという厄介に巻き込まれる。

9月6日から15日までカナダで行われる第32回トロント国際映画祭の3日目、9月8日にサットン・プレイス・ホテルで映画「Eastern Promises」の記者会見がありました。それを伝える一連の写真には、仲よく並んで質問に応えるクローネンバーグ監督とヴィゴ・モーテンセンが手を握りあってるのがありました。自然な信頼関係の表れなんでしょう。ここにあるのはまた別の場面でのワンショットなんですが、2人の関係がにじみ出ているようで気に入りました。もう一枚は映画の中の一コマです。

2007/09/10

イスラエルにネオナチ



イスラエルにネオナチ?それでユダヤ人を襲撃だと?
イスラエル警察は9日、ネオナチと思われるグループのメンバー8人を逮捕したと発表した。メンバーは全員旧ソ連からの移民で、外国人とユダヤ教徒を狙った攻撃を行っていたとされ、ユダヤ人国家の同国では衝撃が広がっている。
イスラエル警察のミッキー・ローゼンフェルド報道官はAFPに対し、グループのリーダーと思われる人物を含む16歳から21歳の男性8人を、1年におよぶ捜査の末逮捕したと伝えた。
ローゼンフェルド報道官によると、グループは「ユダヤ人、アジア人、ほか外国人に対する攻撃」を行い、国外のネオナチグループとも接触していたとみられる。同報道官は「われわれは、この8人をネオナチの活動にかかわった罪で起訴したい」と語った。
捜査を指揮した警察職員は公営ラジオの取材に対し、「イスラエルにナチス思想の支持者がいるということは信じ難いかもしれないが、まぎれもなく現実だ」と語った。
これまでの家宅捜索では、ナチスの制服、アドルフ・ヒトラーの肖像画のほか、銃、ナイフ、爆薬が容疑者宅で発見されている。
(AFP 2007年9月10日)

イスラエルの右派紙「エルサレム・ポスト」によると、今回ドラッグ所持などで逮捕され、軍事法廷にかけられるという20歳の兵士は、4年前に旧ソ連からやってきた移民で、ネオナチ信奉者であるのを自ら認め(左腕にカギ十字の刺青あり)、イスラエルを憎んでいると話している。
さらに、この兵士の母親も尋問に呼び出され、イスラエルに対する憎悪とネオナチ支持を告白したそうだ。
この親子が正規の書類手続きを経た移民でなかったのを指摘する記事のトーンには、いろいろな移民が入ってきてることへの不信感、特に「ユダヤ人でない」と公言するロシア系・旧ソ連系移民への不信感が強くある。
なんとも皮肉なことである。イスラエル国内のパレスチナ(アラブ)系人口の比率に脅威をおぼえて、ユダヤ人の人口を増やしたいがために、どんどん旧ソ連などからの移民を受け入れた結果がこれなのだから。
(2005年のユダヤ系新聞にすでに国内のネオナチの記事があるのを発見!)

写真はBBCとCBC Newsの記事からいただきました。一枚目の写真の腕の刺青、すごいですね!

悪魔のようにおかしいコーエン兄弟の新作


ローリングストーン誌のこの秋の映画新作案内ーその3
◇No Country for Old Men
全米公開は11月9日
今年、猛烈で悪魔のようにおかしい「No Country for Old Men」を超える、刺激的に打撃を与える映画はない。ジョエル&イーサン・コーエンが、およそ1980年西テキサスでの悪人とさらなる悪人の撃ち合いについてのピュリッツァー賞受賞作家コーマック・マッカーシーの小説と血縁関係を結ぶ。並外れてひどい髪型(おかっぱが怖い!)死人のように青ざめたハビエル・バルデム(「海を飛ぶ夢」でアカデミー主演男優候補)が悪を次のレベルにもっていく、この殺人マシーンが選ぶ武器は家畜用のスタンガンだ。彼の標的はジョシュ・ブローリンが演じるモス(出世する演技だよ)。狩猟するうちドラッグがらみの大量殺人に出くわしたモスは現場に残された2百万ドルをねこばばして歩き去った。
トミー・リー・ジョーンズがエド・トム・ベル保安官役で無骨な美点という新規格を売り出す。人々が敬称で呼びかけなくなって世の中は悪くなったとの考えを持ち、仕事に必要な倫理観のある保安官だ。
これは、物語の悲嘆に暮れさせる急所を見せることで我慢できないサスペンスに仕立てる、聴衆を惹きつける雄弁家の骨子だ。演技(バルデムの離れわざは絶対に忘れない)から、映画の撮影技術(ロジャー・ディーキンズは、目をくらますような日光の中でも気味の悪い脅威の場所を探し当てる天才だ)に至るまで、この一流作品の卵は、パワー絶頂期にあるコーエン兄弟のものだ。これを見逃したくはないだろう。

「ディボースショー」「レディーキラーズ」と、コーエン兄弟らしからぬ、ファンとしてはものすごく物足りない映画が続いてきました。でも、予告編を見る限り、初期の「ブラッドシンプル」「ミラーズクロッシング」「バートンフィンク」、そして「ファーゴ」あたりまでの「コーエン映画」に仕上がっているようで、公開が愉しみです。なにやらコーエン流の不気味さが感じ取れる西部の風景がとてもいいです。
個人的には「ブラッドシンプル」がいまだに強烈。マフィアの親分アルバート・フィニの運動力と存在感に圧倒される「ミラーズクロッシング」も大好きで、何度見ても(実際何度も見てますが)ハートにずしんときて、どこということなく、全体の映画のトーンに惹かれます。
写真は「No Country for Old Men」の一場面です。

2007/09/08

6人のボブ・ディラン


ローリングストーン誌のこの秋の映画新作案内ーその2
◇I'm Not There
アメリカ公開は11月21日。
「軽蔑して責める歌」として判断されるのはボブ・ディランをおこらせる。ミネソタのロバート・アレン・ジンマーマン(ディランの本名)のようなカメレオンをなぜ社会的プロテストの人に制限するのか?ということで、オーレン・ムーヴマンと「I'm Not There」の脚本を書いたトッド・ヘインズ監督は、たくさんの人物を提供する。若い黒人逃亡者(マーカス・カール・フランクリン)、詩人(ベン・ウィショー)、男でも女でもない中性的なロッカー(ケイト・ブランシェット)、映画スター(ヒース・レジャー)、説教師(クリスチャン・ベール)、そしてアウトロー(リチャード・ギア)と。
ヘインズは、ディランを伝記映画のぬきさしならぬ羽目に追い込むようなことは絶対にしたがらない空想家だ。ディランの歌に見つかると期待する超現実的なイメージと暗示を含んだ言葉の中を飛行中の彼をとらえて表現する。奇妙な割には映画はまるで夢のようだ、さらにいっそうあでやかな幻覚のようだ。俳優すべてが幸福の絶頂(最高の時)になるが、境界を限定され支配されることから起こる創造性の死と闘うすべてのアーティストをディランが象徴するのを理解する煽動者、ブランシェットはずばぬけている。

以下は9月5日付AFPのニュースから:
第64回ヴェネチア国際映画祭の7日目、9月4日にトッド・ヘインズ監督のコンペティション部門ノミネート作品「I’m Not There」が上映された。
同作品は6人の登場人物を通じてボブ・ディランを描く野心作だ。ディランはどこにでも存在する人物として描かれる。監督は、映画は「夢のように頭をよぎる」作品で、観客にはディランの史実に固執せず、身を任せて観て欲しいと語った。
映画はマーカス・カール・フランクリン演じる自称ウディ・ガスリー、黒人孤児の登場で始まる。続いてケイト・ブランシェットが男役を演じる人気上昇中のミュージシャン、ジュード。ジュードは反戦歌を捨てロックに転向する。リチャード・ギアはなぞめいた人物ビリーを演じる。ディランの人生と時代をそれぞれの登場人物が対照的に演じ、ディランがミュージシャン、大スター、カウンターカルチャーの象徴、信仰を新たにしたキリスト教徒、ディラン自身へと大きく変化した時代を呼び起こす。
映画は脚色、ドキュメンタリー、テレビの放送映像を通じて、ディランの性格や音楽の変遷を描く。それはアメリカ文化の歴史30年間におよぶが、「ボブ・ディランを定義づけ、またディラン自身が定義づけた」時代なのだとヘインズ監督はいう。
主題歌の「I’m Not There」は、1967年の「Basement Tapes」の中の1曲だが、アルバムは現在海賊版しか残っていない。66年ディランがオートバイ事故から回復したときに制作された。監督はこの事故がきっかけで、ディランはスポットライトから逃れたのだという。サウンドトラックはほぼ全曲ディランの発表曲で、ディランの有名な曲を現代アーティストが演奏した新バージョンが数曲含まれる。
「この作品は(ディランが)誰が彼の人生を演じてもいいと認めた初めての映画だ」。ディランの人生を限定するのではなく、彼の人生を広げて描く開放的な構成がこの作品の誇れるところだと、ヘインズ監督はいう。「I’m not there」は「この映画を描くのに完ぺきな素晴らしい曲だ。彼に触れようとするといつも、彼はそこにいないんだ」と監督は語った。

トッド・へインズ監督には衝撃的な作品「ベルベット・ゴールドマイン」があります。最近は「エデンより彼方に」で注目されました。
写真は映画より、若い頃のディランに瓜二つに見えるケイト・ブランシェットです。

2007/09/06

ダージリーン特別急行列車


ローリングストーン誌のこの秋の映画新作案内ーその1
◇The Darjeeling Limited(ダージリーン特別急行列車)
おかしな3人兄弟、オーウェン・ウィルソン、ジェイソン・シュワルツマン、エイドリアン・ブロディが父の死後、インドに行きます。ビッグにはなっても、ここ最近の作品に「天才マックスの世界」ですっかり虜になっためざましい「おかしさ」が欠けていて、ちょっと寂しかったファンとしては、「天才ウエス・アンダーソンの世界」が全快!といった予告編にいまから興奮しています。アメリカ公開は9月29日。日本ではいつになるのかなー。
以下、ローリングストーン誌の映画評より

告白する:この映画にほれたよ。友人ロマン・コッポラやジェイソン・シュワルツマンと一緒に脚本を書いた、ウエス・アンダーソン監督のこれまでの作品、ボトルロケット、ラシュモア(天才マックスの世界)、ロイヤル・テネンバウムズ、ライフ・アクアティックでも、最高に自信のある円熟した作品だ。
ストーリーの外観は、3人の裕福な兄弟が企てるインドへの精神的オデッセイ(波瀾万丈の放浪の旅)、映画はやたらと愉快だ。ヒマラヤの麓で尼僧と一緒に働いている母親、アンジェリカ・ヒューストンを見つけるためインドをずっと列車に乗って旅するのが3人の目的だ。でも彼らはもっと激しいもの、父の死とずっと家族をばらばらにさせておく影響力に、対処している。
君は笑う、時々、泣き叫ぶのを抑えるためにだ。
オーウェン・ウィルソン、ジェイソン・シュワルツマンはアンダーソンをよく知るベテランだ。ニュアンスをことごとくつかむ方法をよく理解している。だが、映画がメランコリーと苦悩へともっと意識の底に進ませるとき、思いがけない発見がエイドリアン・ブロディだ。悲劇によって少し気のふれたブロディ演じる人物は、言葉にはしないが、「しばらくの間、自制してくれ」と求める。
ダージリーン・リミテッドは今年のベスト映画のひとつにして余りあるほどだ。自制したくなる映画だよ。

写真はウエス・アンダーソン監督です。

2007/09/03

バワリー街のシットホール


ローリングストーン誌の「ロックデイリー」によると、ニューヨークパンク発祥の地、CBGB創始者のヒリー・クリスタルが肺ガンとの闘病後に昨日マンハッタンで亡くなった。75歳だった。当初は、カントリー、ブルーグラス、ブルースなどを特別公演するためクリスタルは1973年バワリーのバーをオープンした。意志の強いイーストヴィレッジのクラブは70年代のパンクロックの活動の中心に発展した、その後、90年代後半には新生バンドが才能を特に目立つよう示すためのスポットへと徐々に進化した。ここ数年クリスタルは彼の大切なクラブをオープンさせておくため、誰もが知っている苦闘に従事させられたが、彼と彼の地主は結局、同意に至ることはなかった。2006年10月15日、パティ・スミスが最後のステージを降りた後、クリスタルは苦心してバーを解体した、そして記憶すべきことの最も貴重な片鱗をラスベガスまで船で運び、そこで彼は行為の現場(悪評プンプンの汚いバスルーム=トイレなどのすべて)を再開しようと計画した。
数ヶ月前にローリングストーン誌はクラブの歴史についてクリスタルと話をした。「大金を稼ぐ目的でこれをやったことは一度もない」と彼は語った。「オレが発見したか、発見されたか、または互いに発見しあったのが、この新しいミュージックだよ。そしてオレはこの人たちや彼らがやってたことにほれるようになった、もちろん他の連中がやってたことは嫌いだ。特にこの独創的ミュージックを精力的にやっているこの連中に機会を与えることで、とてものめり込むようになる。」
以下は、何年にもおよび、クリスタルのクラブでチャンスをもらうことで得をしたアーティストの追慕の情だ。

デボラ・ハリー(ブロンディ):「ヒリーが逝ってしまってとても残念。彼は何年もブロンディやニューヨークのミュージックシーンには大きな助けだった。彼のクラブCBGBはニューヨーク伝説とロックンロール史の一部になっている。」

パティ・スミス:「ヒリーの死が物事をどっと蘇らせる。クラブでの最後の夜、私たちが彼を大事に思っていることが彼にはわかった。彼が立ち上がると私たちは彼に挨拶した。ある意味でそれはいけすかないから、私はロマンチックにしないようにした。音はうんざりするようなものだったし、常に人が取り乱していて、グラスが割れ、人々が吐いていた、それに裏ではネズミが走りまわっていた、でもそれは私たちのシットホールで、最高に重要なことだった。私はいろんなところで演奏してきている、そこは私たちの場所だ、みたいに感じて演奏した唯一の場所だった。彼はコミュニティを有名にしていた。世界のどこにいようと構わない、人々にはCBGBのTシャツがある。市場で売るとか買うとかってことではないの。CBGBは単にヒリーとか、そこやニューヨークシティで演奏した人たちに関するものではなくて、若者の自由を象徴した。自由を意味する点において、私にはCBGBの名はスラングになってもおかしくない。ヒリーは私たちに無条件の自由を提供してくれた。」

スティーヴン・ヴァン・ザント(2005年8月、NYワシントンスクエアーパークでのCBGBを救う慈善公演のバックステージで語る):新しいロックンロールバンドをサポートするというただひとつの理由で、ボクらはラジオ番組アンダーグラウンドガレージでスタートした。それがボクらが5年間やってきたことだ。CBGBは31年間ずっとそれをやってきている。新人バンドとして今でもクラブで演奏はできる、クラブの半分が人に負担させるからね、ほんとクールじゃないよ。新人バンドでラモーンズと同じステージに立てる。こいつはほんとクールだ。これをやりに日本やニュージーランドからやってくる。CBGBは歴史に残る現場ってだけでなしに、CBGBはボクに関する限りでは神聖な現場だよ。戻ってこない。」

トーキングヘッズのドラマー、クリス・フランツ(同じくCBGBを救う慈善公演のバックステージで語る):「ボクたちはCBGBが大好きだし、CBGBとヒリー・クリスタルがバンドとしてやる機会をボクたちに与えてくれたことすべてにとても感謝している。言わせてもらえば、CBGBはボクたちのバンドが生まれたところだった。それについてセンチになりすぎないで、ニューヨークにコネがなく経営の手腕がなくエージェントがいない若いファンには今でも実際すばらしい場所だと思う。CBGBに行けばそこでギグや演奏がやれるし、たぶん彼らもすばらしい成り行きになるかもしれないだろ。たとえ商売を主眼とした方向でならなくても、少なくともアーティスティックな方向ではなれる。彼らにはそれをする自由がある。ボクたちがあそこで演奏を始めたとき、誰もいなかった、たぶん10人くらいかな、そのうち8人はあそこで働いていた。」

B52のフレッド・シュネイダー:「CBGBがロッククラブの先端状態。演奏しなければならなかった当時に後戻りしろよ。ミュージックヴィデオはなかった、単独でやらなければならなかった、ラジオは曲をかけてくれなかった。CBGBはまさに無秩序な大混乱のおもしろみだった、世界で最悪のトイレとぴったり合体した、くすぶった酔いどれロックンロール。」

写真は、CBGBの前に立つヒリー・クリスタルと愛犬。なつかしいな、あの暗さといかがわしさと、臭いと。

2007/09/02

イーノとラノアがフェズでセッション


ローリングストーン誌の「ロックデイリー」8月29日付より
喝采して迎えられるアーティスト&プロデューサーのブライアン・イーノとダニエル・ラノアが、2004年の「How to Dismantle an Atomic Bomb」に引き続いてU2との次のアルバムの製作を開始していた。さあ、1984年のアンフォアゲッタブルファイアー、1987年のヨシュアトゥリー、1991年のアクトンベイビーが含まれる、U2の厄介なアルバムをプロデュースしてきたダニエル・ラノアからの掛け値なしの報告です。
「今回、ボクたちは作曲家として招待されている」とラノアは話す。「イーノとU2と3曲セッションをやった。1曲はモロッコのフェズで、2曲はフランスで。うまくいったよ、すごい。11月にボクたちは再編成されている。」彼は「レコードはまあそれ自体が招いたこと」だと付け加える。ラノアはやがて公開されるドキュメンタリー映画「Here Is What Is」にモロッコのセッションの場面を含めているが、そのシーンは映画の中で効果的だ。「意味をなしてるように思われてね、でもあの連中につけこみたくない。彼らはとてもよくしてくれた」とラノアは話す。「ラノア、君はレコーディングでボクらを見せることになている、ボクらはまだレコードを出してもいない、よしてくれって彼らは言っている、頼む、どんなことも見捨てたりしない、それにまたボクらはいっしょにやって25年になる、ボクにコインを投げろってボクは言った(笑)。」

写真はU2のボノとエッジとラリー

2007/09/01

go fuck yourself !


最近ケーブルTVで、ベルリン国際映画祭で監督賞を受賞し、アカデミー賞にもノミネートされた2004年の作品「イノセントボイス 12歳の戦場(Voces Inocentes )」を見た。
無名の俳優オスカー・トレスが、内戦で血なまぐさいエルサルバドルの村での少年時代の体験をつづった脚本を、メキシコ出身のルイス・マンドーキ監督が映画化したものだ。メキシコの映画会社で製作されたのは、内戦時の政府軍側が今も政権を握っており、エルサルバドルでは製作も正式な公開や販売も認められなかったという背景がある。
エルサルバドルの内戦には政府軍側にアメリカ政府の資金が大量に流れた。資金ばかりか、ヴェトナム経験者の手荒な軍人らが手ほどきした、ひどい拷問・殺人・レイプで悪名を馳せる「死の部隊」の存在がある。政府軍に参加するな!と人々にミサで呼びかけた直後に暗殺されたロメロ大司教のことも頭に浮かぶ。オリバー・ストーン監督の映画「エルサルバドル」にはこのロメロ暗殺にふれる場面がある。
脚本を書いたオスカー・トレスは祖国に家族や友人たちを残してアメリカに渡ってしまった自分にずっと罪悪感を感じていたという。
最近見た、クロアチアの戦争でひどい拷問とレイプを経験した女性を扱う映画「あなたには言える秘密のこと(この邦題はなんとも甘ったるい)」でも言っているが、生存者には肉体の傷手にまさるこころの傷手でも、生き残ったことを恥じる気持ちが一番の重荷だということ。この映画の犠牲者は優勢だったセルビア人の民族浄化とかの犠牲者ではない。同じ民族のクロアチア人兵士らによって拉致され、ホテルに監禁されてレイプやひどい拷問を受けた。国連がやってきたから解放されると思ったら違った、彼らもまた耳元で「すまない、すまない」と何度もささやきながらこれを行った。つまり、どういう戦争であれ、戦争という情況が人間をモンスターに変えてしまうということだ。

◇エルサルバドルは1969年サッカーワールドカップ予選の試合判定をきっかけにホンジュラスと「サッカー戦争」を起こしたことでよく知られる。この中米5カ国中で最も小さな国は、地主が小作人を支配する社会体制で、多くが外国、特にホンジュラスへ出稼ぎに出る。だが「サッカー戦争」を契機にホンジュラスはエルサルバドル労働者の受け入れを拒否。国内は混乱に陥り、ゲリラ活動が頻発する。1979年ニカラグアでサンディニスタ革命が起こると国内のゲリラ各派が触発され、1980年統一ゲリラ組織「FMLN ファラブンド・マルティ民族解放戦線」を結成。ソ連、ニカラグアの支援で勢力を拡大する。これに危機感を持ったアメリカ政府はエルサルバドル政府に軍事支援を開始。国内は10年におよび内戦状態となる。1992年国連の仲介で停戦に至るまでに7万5000人が死亡。特に政府軍が小作人を標的に行った2度の大虐殺はメディアに取り上げられ世界中から非難の声があがった。和平後ゲリラ組織は解体され政党となるが、依然として国内情勢は不安定のままだ。

◇エルサルバドル:1980〜1994
人権、ただしワシントン流 by ウィリアム・ブルム
エルサルバドルは、1960年代まで、中米で最も裕福であると言われたが、14家族と言われる大富豪が全国土の60%を所有し、政治・経済・社会を支配する状況が続き、貧富の差は極端だった。1970年代には、農民組合や共同組合、労働組合などの草の根の組織が発達するが、これに対し、米国の支援を受けた「死の部隊」が虐殺と過酷な弾圧を加えてきた。こうした状況下、カーター米大統領にエルサルバドル独裁政権への軍事援助を行わないよう要請したオスカル・ロメロ大司教が1980年暗殺され、これを機に、すでに活動していた反政府ゲリラの武装闘争が拡大して内戦に突入する。
1980年代には、「司祭を殺して愛国者になれ」というスローガンのもと、民衆組織に参加した多くの人々とともに、カトリック教会関係者が標的とされた。1980年代の政府軍と反政府ゲリラの内戦で、人口500万人の国で死者7万人、国内外の難民は10万人に達した。1992年、両者は和平に合意。1994年には議会・大統領選挙が行われ、「死の部隊」と関連を持っていたARENA(民族主義共和同盟)が政権党となる。以来、大統領はARENAから出ている。元ゲリラの対立政党FMLNもかなりの議席を占める。現在も、経済改革・農地改革は進まず、貧しい人々は貧しいままで、人権侵害も極めて悪い状況にある。

◇自由の名のもとに犯される犯罪
ZNet 14 October 2004 by マーク・エングラー
ディック・チェイニーのエルサルバドル
2004年10月5日、チェイニーvs.エドワーズの論争でチェイニー副大統領が多数の歪曲を行なったのを私たちは承知している。けれどもチェイニーが1980年代のエルサルバドルの内戦をメチャクチャねじ曲げたことには、あまり多くの注目が注がれなかった。チェイニーがエルサルバドルの内戦を現在のアフガニスタンの困難に類するものと述べたとき、ラテンアメリカ問題の研究者はひどくショックを受けた。
「20年前、エルサルバドルが同様の状況にあった」とチェイニーは言う。「ゲリラが国の約3分の1を支配し、7万5000人が死んだ そして自由選挙を行なった 議会を代表して私は選挙監視員としてそこにいた テロリストたちが投票所にやってきて発砲したが、彼らがいなくなると有権者はすぐに戻ってきて並び、投票権の拒否など受け入れなかった そして今日、エルサルバドルは自由選挙のおかげではるかによい状況にある これはアフガニスタンにもあてはまる そしてイラクにもあてはまる」
7万5000人の人々はゲリラによって殺されたのではなく、チェイニーが支持したエルサルバドル政府とその手先である準軍事組織「死の部隊」によって殺されたという、極めて重要な関連事実を副大統領は省いた。次に重要な関連事実として、チェイニーが言及した1984年の選挙は、イカサマ選挙というので広く行き渡っていた。純粋な反対派候補の多くが殺されており、また、米国は結果を操作するのに1000万ドルをつぎ込んでいた。これが「民主主義輸出」のモデルであると言うのは、ネオコンたちがわれわれの前に何を準備しているかについて、極めて多くを語っている。
実際のところ、エルサルバドルが今日はるかによい状況にあるとすれば、それは政府に反対する運動が続いているからだ。1992年の和平協定の一環として設置された国連真実委員会は、レーガン一派が当時強固に否定し、忘れ去ってしまいたがっている事実を明確にしている。同委員会は、人権侵害の5%ほどはFMLNであるが、90%はエルサルバドル軍が行なったとしている(残りの5%は実行者が不明)。
この報告が公開された際、ニューヨークタイムズは次のように述べている:
「国連真実委員会は、レーガン政権が曖昧にしようとした真実をはっきりと示した。自由の名のもとで、エルサルバドル軍によって恐ろしい犯罪が行われたことである。報告では、1989年に6人のイエズス会士を殺すよう命じたのが元エルサルバドル国防相であったことを確認した。また、4人の米国人修道女殺害を隠蔽しようとした者の一人は別の国防相だったとも述べている。右派の政治家でジェシー・ホルムズ米上院議員の英雄でもあるロベルト・ダビッソンがロメロ大司教暗殺を命じたことも明らかにしている。」
ニューヨーク・タイムズのコラムニスト、アンソニー・ルイスはこう結論する:「米国は、殺人者たちが支配するエルサルバドル政府を支持するのに60億ドルをつぎ込んだ。われわれ米国がこれら殺人者に武器を与え、兵士たちを訓練し、その犯罪を隠蔽したのである。」
2004年のブッシュの対抗馬ジョン・ケリーは、「トンキン湾決議を振り返ってみると、カンボジアにいた兵士たち、遺体を数えた歴史、ベトナムの歴史の誤った解釈を振り返ってみると、そしていま中米の闘争を私たちがどのように解釈しているかを知り、CIAの関与を検討し、港に米国が機雷を設置したこと、コントラに資金を提供したことを考えてみると、私たちの歴史においてカンボジア・ベトナムに関与した時期と、現在中米に介入している時期との間には、直接の避けがたい並行関係が認められる。」と言っている。
ネオコンが言葉の意味をねじ曲げ続けても、並行関係は続いている。チェイニーが米国の中米介入の記録を例としてあげたことから、今後も長く「自由の名のもとの犯罪」を私たちアメリカが犯し続けることが確実にわかる。

チョムスキーが確かこんなことを言っていました。アメリカの目的は民主主義の実現などではなく、アメリカに都合のいい政府の実現だ。国民にとってよい政府はアメリカにとって都合が悪い政府。そういう政府をアメリカはたたく。中米の政策はまさにそうだった。ニカラグアのサンディニスタ政権は大多数の国民の支持を得て民主的プロセスを経てできたにもかかわらず、これはアメリカの言う民主主義ではなかった。国民に平等な政策が功を奏してきたと見るや、米国がたたきつぶした。

写真は、議会で相手に「クソったれ!」と言ったチェイニーの風刺マンガ 彼はよくクソったれ!と声を上げるようです。銃もよくブッぱなすようですし。