見つけた 犬としあわせ

こころがどきどきするもの見つけたとき、それを作品にしたり、思わずなにかの形にして人に伝えたくなります。 見つけたとき感じたしあわせ感覚がひとしずくでも誰かに伝わったら、ダブルでハッピーです。

2015/10/31

剣により永遠に生きる

◇ネタニヤフ:「我々は剣により永遠に生きる。」
すべてのパレスチナ自治領を無期限に支配する

27 October 2015

イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相が、“自治領のすべて”を支配して、”剣により永遠に生きる”との自分の計画を披露した。

PNNによれば、この所見はハーアレツ紙でジャーナリストBarak Ravidによる記事の中で報じられた。

Ravid氏は書く:「月曜日、二国民からなる国を望まないとはいえ、”この時は予測できる将来のために我々は自治領のすべてを支配する必要がある”とベンヤミン・ネタニヤフ首相は述べた。」

伝えられるところでは、ネタニヤフが出席している政治家に向けて「あなた方は魔法の杖がここにあると考えているが、私はそうは思わない。剣により永遠に生きるかどうか尋ねられるときはいつもイエスだ」と言ったのを、月曜にイスラエル国会外交問題防衛委員会の会合に参加したMKがRavid氏に伝えた。

首相はまた、東エルサレムのアラブ人居住者からイスラエルの市民権または居住者の身分を取り消すことになるかもしれない計画についても述べた。

Ayelet Shaked(Habayit Hayehudi)大臣によって率いられる法務省の遅れのために、事態にどのような”進展”もなかったと彼はぼやいた。

PLO(パレスチナ解放機構)の委員会メンバー、Hanan Ashwari博士はこの考えについて次のように述べた:

「この恐怖をいだかせるエスカレーション、非人間的で違法な措置は、ただちに止められなければなりません。」

「万一これが採択されれば、このような措置は何十万ものパレスチナ人の現時点の身分を”存在しない人”に変えて、庇護や健康管理や教育を含め、最も基本的な権利と便宜を彼らから奪うことになります。」

「これはまた、領域とその範囲を越えるいたるところに、深刻な副次的影響との対峙を引き起こします。」

http://www.imemc.org/article/73591

2015/10/28

入植者が国を乗っ取る

◇入植者のプロイセン
ICH by Uri Avnery 17 October 2015

イスラエルの民主主義が下り坂をすべっていく。紛れのないのを除いて、ゆっくりと不安を覚えずにすべっていく。

どこにすべりおちていくのか?極端なナショナリスト、人種差別的で宗教的な社会であるのを誰もが知っている。

この道のりを主導しているのは誰か?

そりゃもちろん政府だ。ベンヤミン・ネタニヤフによって率いられるこの前の選挙で権力を握ったこのやかましい取るに足らぬ人のグループ。

まさか。この大口をたたくけちなデマゴーグ、あれこれの大臣(誰がどの大臣か私にはまったく思い出せない)を全員捕らえてどこかに閉じ込めても何も変わらない。今から10年すると誰も彼らのどの名前も憶えていない。政府が主導していないなら一体誰がする?ことによると右翼の暴徒か?TVで見るこの人たちは憎しみにゆがんだ顔をして、声がかれるまでサッカーの試合で「アラブ人に死を!」と叫んでいるかまたはユダヤ人とアラブ人からなる町でのひどい事件のたびに「アラブ人は全員テロリスト!やつらを皆殺しにしろ!」と攻撃的行動を示す。

この暴徒(犯罪組織)は、ゲイ、判事、フェミニストなんであれ他の誰かに対して明日同じ攻撃的行動をとることがある。それは一貫していない。それは新しい秩序(統一性)を構築することができない。

いや、この国には入植者という十分強力で十分結合力があって国を乗っ取るほど断固とした唯一無比の集団がいる。

この前の世紀の中頃に偉大な歴史家アーノルド・トインビーが不朽の作を書いた。文明は、生まれて大きくなり成長しきって老化して死ぬ人間のようだというのが彼の中心となるテーゼ(題目)だった。これは実は耳新しいものではない、彼の前に(「西側の衰退」)ドイツの歴史家オスヴァルト・シュペングラーが類似したことを言った。だが、イギリス生まれのトインビーは彼のドイツ人前任者ほど形而上的ではなく、ほとんど結論も同然に推断しようと努めた。

トインビーの多くの洞察の中に、現在私たちに関心を持たせて然るべきことがあった。それは境界をなす地区が権力を獲得して国を乗っ取るまでの過程に関係する。

たとえば、ドイツの歴史。ドイツの文明は成長して、南部、次いでフランスやオーストリアで完全に発達した。豊かで洗練された上流階級が国中に広がった。都会では貴族のブルジョアジーが作家や作曲家に対して庇護者ぶってふるまった。ドイツ人は自らのことを「詩人や思想家界の人」とみなした。

だが、何世紀もの成り行きで、豊かな地域の若者や活気に満ちた者、特に何も受け継がなかった二番目の息子が自分自身で新たな領域を切り開くことを熱望した。彼らは東側諸国の境界に行き、スラブ人住民から新しい土地を征服して自分たちで新しい私有地を開拓した。

東の所有地はマーク・ブランデンブルグと呼ばれた。”マーク”とは(紛争中の)境界地域、どっちつかずの紛争地を意味する。有能な王子の家系の下で彼らはブランデンブルグが主役の権力になるまで彼らの国を拡大した。それに満足しないで、王子のひとりがプロシアと呼ばれる小さな東の王国を持参金としてもたらす女性と結婚した。そうして王子が王様になるとブランデンブルグはプロシアに加えられ、プロシアがドイツの半分を支配するまで戦争と外交によって拡張された。

ヨーロッパの中央に位置するプロシア国(プロイセン王国)は強力な隣国に囲まれ、自然の境界がまったくなかった、広い海もなければ高い山も、広大な川もなかった。それはただの平地だった。それで、プロシアの王様たちは人為的な境界、強力な軍を創設した。「他の国々は軍をもつ。プロシアでは軍が国をもつ。」とはフランスの政治家、カウント・ミラボーの名セリフだ。プロシア人自らが「兵士は国で一番の男」という表現法を造り出した。

他の大部分の国とは違って、プロシアでは「国家」の字はほとんど宗教上の地位をおびる。シオニズムの創始者でプロシア大崇拝者のテオドール・ヘルツル(失われた祖国イスラエルを取り戻すシオニズム運動を起こした一人)は、この理念を採用し、彼の未来の建設を”Der Judenstaat"(ユダヤ人国家)と名付けた。

洗練された国がさほど洗練されてないがより屈強で大胆な境界の人々によって乗っ取られるというこの事象について、神秘主義を好まないトインビーは世俗的な理由を見いだした。

プロシア人は戦わなければならなかった。土地を征服し、そこの住民の一部を絶滅させ、村や町を造り、憤慨している隣国、スウェーデン人やポーランド人やロシア人による反撃に逆らいとおす。彼らはまさしく屈強でなければならなかった。

同時に、中心地の人々はうんとのんきな生活を送った。フランクフルト、ケルン、ミュンヘン、ニュルンベルグの市民はのんきに構えて金を儲けることができ、彼らの偉大な詩人の作品を読んで偉大な作曲家の曲を聴くことができた。彼らは原始的なプロシア人を軽蔑をもって扱うことができた。彼らがプロシア(プロイセン王国)のカイザー(ウィルヘルム二世)と共にプロシア人によって支配される新ドイツ帝国(German Reich)に自分たちがいることに気づく1871年までは。

この種の成り行きは歴史を通して多くの国々で起こっていた。周辺地が中心地になる。

古代において、ギリシャ帝国はアテネのようなギリシャの都市の洗練された市民によって起こされたのではなく、マケドニアの境界地出身の指導者アレキサンダー大王によって起こされた。もっとあとの地中海の帝国は洗練されたギリシャの都市によって始められたのではなく、ローマと呼ばれる周辺のイタリアの町によって始められた。

ドイツ南東部の小さな境界地、東の国境地方はナチスによって占領されてオストマルクに改名されるまで、オーストリア(Österreich、ドイツの”東ローマ帝国”)と呼ばれる巨大な多国籍帝国になった。例はたくさんある。

実際の歴史と作り上げられる歴史と、両方のユダヤの歴史にはユダヤ独特の例がある。ダビデという名の南部周辺出身の石を投げる男の子がイスラエルの王様になったとき、彼は首都をなつかしのヘブロンから彼がちょうど征服したばかりの新しい遺跡、エルサレムに動かした。その点で彼は新しい貴族政治がそれを安定させて繁栄させたあらゆる都市から遠かった。

ずいぶん後のローマ時代にガリラヤ出身の屈強な国境地の戦士どもが、今は洗練された貴族的な都市、南のエルサレムに降りてきて温和な市民に大いに優勢なローマ人との狂った戦争を押しつけた。ヘロデ大王の子孫のユダヤのアグリッパ王がフラヴィアス・ヨセフスによって告げられる印象的な演説で彼らをなんとか止めようとしたがムダだった。国境地方の人々が説き伏せるとユダヤ(ユダ王国の地)は反抗して第二の寺院が破壊された、そして今週、もしかすると神殿の丘(岩のドームとアルアクサモスクがあるアラビア語の”聖地”)で因果関係が悟られるかもしれない、そこでダビデの模倣者アラブ人の少年たちがゴリアテのユダヤ人模倣者に石を投げつけた。

今日のイスラエルでは、テルアビブのような裕福な大都市と大いに貧しい周縁部との間にはっきりした区別および対立がある、周縁部の住民は大部分が貧しい後進の東洋の国からの移民の子孫だ。

これは常にそうではなかった。イスラエルの国を起こす前、("Yishuv"と呼ばれる)パレスチナのユダヤ人コミュニティは労働党によって支配され、労働党は多くが国境地方に沿って位置した農業共同体の村、キブツが支配的な影響力をもった(彼らは実はYishuvの国境地方を構成したと言ってよかった)。そこで屈強な戦士の新しい子孫が生まれ、同時にわがままな都市の住人がさげすまれた。

新しい国ではキブツは単なる名ばかりのものになった、そして中心都市が文明の中心になり、周縁部によってうとまれ、嫌われさえした。それが最近までの状況だった。今はそれがどんどん変わっている。

1967年六日間戦争の翌日、新たに占領されたパレスチナ領土の入植地という新しいイスラエルの現象が頭をもたげた。入植地創設者は”民族特有の宗教的”な青年だった。

パレスチナのユダヤ人コミュニティYishuv時代の間、宗教的なシオニストはどちらかと言えば軽蔑された。彼らは肩身がせまい少数派だった。一方では彼らには非宗教的な社会主義のキブツの革命的な気力がまったくなかった。これに反して実際の正統派ユダヤ人はまったくシオニストではなかったし、シオニストの全企業を神に反する罪として非難した。(彼らの罪のためにユダヤ人を異郷生活を送る運命にして異教徒の中に分散させたのは神ではなかったのか?)

だが、1967年の征服の後、”民族特有の宗教的”グループが突然、中心勢力になった。東エルサレムにある神殿の丘と他の聖書による遺跡の獲得は宗教的熱意で彼らを十分満足させた。彼らは境界地方に住む少数派であることから強力な推進力になった。

彼らは入植者の運動を起こして、占領したヨルダン川西岸と東エルサレム中いたるところに多数の新しい町や村を据えた。右も左も両方のあらゆる継承政府の精力的援助を得て、彼らは増大し、繁殖した。左派の”ピース・キャンプ”が退化して活気を失う間、彼らは自分の手腕を十分発揮した。

かつてイスラエルの政界活動で最も穏健な勢力のひとつだった”民族特有の宗教的”グループは、ほとんどファシストの極右政党”ユダヤの家”になった。入植者もまたリクード党の優位な勢力になった。現在、彼らは政府を支配している。名ばかりの対立で入植者のリーバーマンはもっと右翼主義者の政党を率いる。中道派の人気者、Yair Lapidは、アリエル入植地で彼の党を設立して、今では極右主義者のような口をきく。労働党の党首、Yitzhak Herzogは彼らと肩を並べるために力なく努力する

どいつもこいつも全員が入植者特有の言い回しを用いる。入植者用語“ユダヤとサマリア”を使うのを除いて、彼らはもはやヨルダン川西岸について話さない。

私はトインビーにならって、辺境での生活で引き起こされる挑戦によってこの現象を説明する。

状況が今より緊張していない時でも、入植者は危険に向き合う。彼らはアラブ人の村や町に囲まれている(というか、むしろ彼らがアラブ人の中央に立ち入った)。イスラエルの町の人々が快適な暮らしを送る間、彼らは投石やハイウエーへの散発的な攻撃にさらされて、絶えず続く軍の保護下で暮らす。

もちろん、すべての入植者が狂信者であるわけではない。入植者の多くは、イスラエル本土では夢にも思えなかったヴィラ(大邸宅)と庭をほとんどタダで政府がくれたから入植地に住むことを引き受けた。彼らの多くがけっこうな給料の政府の雇い人だ。

多くの工場がイスラエル本土を出た、本土の土地を法外な金額で売り、ヨルダン川西岸への移転のために莫大な政府の助成金を受け取った。もちろん彼らは近隣の村から安いパレスチナ人労働者を雇う、適法の最低賃金またはどのような労働法も免れる。他の仕事がまったく入手できないためにパレスチナ人は彼らのために精を出して働く。

だが、この”慰めとなる”入植者でさえも過激派になった、テルアビブの人々がカフェや劇場をエンジョイする間、生き残って彼らの家を守るために。万一に備えて、これらの古顔(年配者)の多くはすでに別のパスポートを保有する。入植者が国を支配するのも無理はない。

成り行きはすでに申し分なく進展している。新しい警察署長はキッパを身につけている元入植者。シークレットサービスの署長もそうだ。軍の士官や警官はますます入植者だ。政府において、クネセト(イスラエル国会)において、入植者が巨大な影響力を行使する。

約18年前、友人と私が入植地の製品のイスラエル・ボイコットを最初に宣言したとき、私たちは何が起こっているか会得した。これは、現在、イスラエルにとって事実上の戦いだ。

△Uri Avneryは、イスラエル人作家でGush Shalom平和運動の創設者です。十代でIrgunのメンバーのAvneryは、1965年から1974年と1979年から1981年までイスラエル国会の議員でした。

http://www.informationclearinghouse.info/article43159.htm

2015/10/22

2匹の翼のない天使たち

 ☆仲良しのユウちゃんの許可はもらってないけど、いいかな!
一足先に、今年七夕の日にお昼寝したまま逝っちゃって
ヴァーモスを待っていてくれた妹分のユウちゃんはまだ8歳
写真は、砂浜で「あっ、ユウちゃん」「あ、ヴァーモス!」と見つけ
取っ組み合って、だいたいヴァーモスが負けることで終わる
”遊び”のあとの成犬になる頃の二匹です
永遠になかよし
忘れないよ、ぜったいに!


難民危機の根本的原因

◇ドイツの議員:難民危機の根本的原因はアメリカが主導する中東の戦争

シリア、アフガニスタン、パキスタン、イラク、サハラ以南のアフリカ、その他地域での暴力と社会不穏を逃れるために今年少なくとも85万人が地中海を渡り、次にヨーロッパへ逃げ込むと現在国連は推定しています。今年すでに36万6000人がヨーロッパに到着しました。本日早くに欧州委員会委員長は、戦争で病弊した国々から合計16万人の亡命者を受け入れるよう欧州連合加盟国に求めました。私たち(デモクラシーナウ!)は、ドイツ連邦議会議員で左派党(Left Party)の人権問題代表のアネッタ・グロスと話します。彼女は先週ハンガリーから戻ったところで、彼女はブダペストの鉄道駅で足止めされる数千人の移住者に遭遇しました。「この大規模な人口移動の根本的原因は何ですか?」とグロスは尋ねます。「それは戦争、テロ、そしてその事に対して説明する責任のあるアメリカの前政権です。」

エイミー・グッドマン:番組”デモクラシーナウ!”にようこそ。アネッタ・グロス、あなたが見たことや、何をする必要があると思うかについてお話しいただけますか?

アネッタ・グロス:そうですね、私は実にいやな光景に遭遇しました、家族、多くの多くの家族が、赤ちゃんが地面に横たわっており、水はほとんど何もなく、トイレはほとんどなく、衛生設備も、医療の便宜もありません。それはほんとうにすさまじいです。そして私がそこで会った人々の幾人かはドイツにたどり着いたことがうれしいです。私はその幾人かと接触しています。ドイツ人いずれも皆が、彼らを温かく迎え入れたいものです、彼らはそうされて当然ですから、そうでしょう。彼らの後ろにはそのような実にひどい身の上話があります。従って、私は世界の誰でも皆にどうか難民を迎え入れて下さいと訴えるばかりです。

重要なのは、入念にニュースを聞くということです。つまり、この大規模な人口移動の根本的原因は何でしょう?それは戦争、テロ、そしてその事に対して説明する責任のあるアメリカの前政権です、それにNATO国の政府です。非常に残念ながらその通りでそれは全く真実です。イラクを侵略したのはブッシュでした。それにまたリビアですね、リビア、そのあとシリアを破壊したのはブッシュでした。さて、ドイツの武器の助けを借りてサウジアラビアがイエメンを侵略しています。イエメンは、私たちが難民を受け止める次の国なんですよ。中東の全領域が戦争とテロによって形成されるゾーン、従って、人々が彼らの国を見捨てて去っているのです。

(一部省略)

アネッタ・グロス:ギリシャから難民が殺到することはまったくもちろんのことと思います。だって、私たちは彼らをボートに追いやっているでしょう。彼らはいちかばちか生命をかけます、というのもヨーロッパの加盟国またはヨーロッパ諸国に合法的に出入りする手段がないからです。それで不幸にして彼らは非常にリスクのある違法な旅に出なければなりません。ということで彼らはギリシャ諸島に上陸しています。そうして、たとえばテッサロニーキ(ギリシャ北部の港町)に移送され、ブダベストに行く前に私がいたマケドニアとの国境に近いイドベニの国境までバスまたは歩いて進みます。そして彼らはハンガリーがセルビアとハンガリーの間に建設するフェンスが完成する前に、国境を越えてマケドニア、セルビアへ行きたいと望みます。来週、これがどうも事実になるらしいです。

それで、私は自問します、「その後どういうことになるか?」と。なぜなら誰もセルビアにもハンガリーにもとどまりたくないからです。そしてハンガリーはとてもとても反友好的な環境です、それゆえに、難民のために割当て制度を設定することに私はまったく反対です。彼らが行きたい国を選ぶべきだからです。私はハンガリーには行きません。そこの難民キャンプはひどいです。人間的ではありません。小さな赤ちゃんのいる家族に会いました。彼らは自由を奪われてそのようなキャンプに二日間いました、しかも水も食べ物も何もなくですよ。つまり、これはヨーロッパではないということです。私たちの政治家が常に言うように、私たちは人権、ヨーロッパの価値観を保護していません。でも、それは実にひどいものです。それゆえに、ポーランドにも誰も行きたがりません。それで人々はスウェーデン、ドイツに行きたがります、ある人はベルギーに、なぜなら多くのシリア人が私たちの国に家族の一員がいるからです。ドイツに住んでいる多くのシリア人がいます。ええと、私はここに姉がいるある人に会いました、ここに2歳の息子がいるある人に会いました、なぜって彼女は姉に息子を渡したからです。彼には滞在許可証がありません、そして母親は現在ベルリン、等々です。つまり、そうです、これが私たちがしなければならないことです。困っている人々、必要とする人々のために便宜をはかり迎え入れることを、私たちは国際法によって、ジュネーブ協定付随書によって、義務づけられています。

エイミー・グッドマン:アネッタ・グロス、あなたはドイツ連邦議会の議員です、現在見えてくる大規模な難民大災害と、武器売却、ドイツの武器売却やアメリカの武器売却との関連づけを生じさせています。説明していただけますか?

アネッタ・グロス:そうですね、またこれらの国々を弱め、破壊しているのは私たちの武器です。私の選挙区はドイツ南部にあるコンスタンス湖、そこにはドイツの全武器産業があります。非常に裕福な地域です。そしてドイツは第3位の武器輸出国ですよね、大規模な抗議にもかかわらず、極端にサウジアラビアやカタールと非常にいい関係にあります、りっぱな平和運動のように私の党は常に抗議します。私たちの政府はまだサウジアラビアに武器を引き渡しています。サウジアラビアはまたジハード主義者、ISを支援しています。これは一体なんです?私たちがそうするのは相当にばかだということですよ。つまり、それゆえ、すぐに止めるべきなのは武器ビジネス、武器輸出です。中東地域にはパンより多くの武器があるということです。そしておよそ3年前、この地域の大使との議論を思い出します。彼は他の議員および私たちを見て、「西側諸国は私たちにもたらした武器を集める時期だ」と言いました。まさしく真実に他なりません、そしてきわめてシンプルです。

エイミー・グッドマン:あなたはちょうどハンガリーから帰着しましたね。そこのハンガリーの極右政党Jobbikと関連するインターネットTVチャンネルがカメラ部員を解雇したとの報道があります。カメラ技師が移住者を蹴ってころばせる映像がソーシャルネット中に広がった後です。彼女はセルビアとの国境から100ヤードのところに位置する間に合わせの移転キャンプで警察から逃げている移住者をつまずかせるのをヴィデオに撮られました。けれども本質は彼女のことではありません。難民が入ってくるのを妨げるハンガリーの首相の見解を擁護して、ハンガリー南部のローマカトリック教会の高位聖職者が中東の戦争から逃れるイスラム教徒が繰り返し唱える(チャント)「Allahu Akbar」を引用して「彼らは難民ではない。これは侵略だ」と言います。アネッタ・グロス、あなたの反応は?

アネッタ・グロス:ええ、そのことはフェイスブックやソーシャルメディアで知りました。私はたまげて憤慨しました。私がそこにいたら、彼女の顔を叩きつけたと思います。そして彼女がすぐに解雇されたというのが本当なら、うれしいです。でも、司祭に関しては、衝撃を受けたと言わなくてはなりません。私の父は牧師です。実は私はこの素性の出の教会型人間なんですよ。そしてローマ法王の言うことにしっかりと従います。教会は少なくとも2人の難民に宿として彼らの家を提供しなさいと、彼はすべてのカソリックの司祭に言ったばかりです、というのも司祭の大部分には大きな家があるからです。私はこれはむしろ注目すべきだと気づきました。でもハンガリーの司祭が今まさに言ったこと、これは私にはまったく非キリスト教徒です。そして彼はすぐに免職されなければなりません。名前が何であろうと、彼は司祭職(地位)を解かれるべきです。

エイミー・グッドマン:ハンガリーの首相、Viktor Orbánは、「イスラム教徒の国からの移動は、ヨーロッパをキリスト教徒に保つ骨折りをだいなしにする」と言いました。

アネッタ・グロス:それはキリスト教徒が言うことではありません。つまり彼は非常に非キリスト教徒であるということです。私が信じるキリスト教徒とはまさに正反対です。聖書をご覧なさい。不正、人種差別、貧困に遭遇した場合には必ず、どこでも、私は助けなければなりません。これが人間の感じ方、態度だと思います。そして私のように考えるたくさんの人に、ハンガリー、マケドニア、ギリシャ、セルビアで会いました。難民を支えるのは実は地元の住民です、政府がおまけにEUが怠っているからです。それは途方もない恥です。そして私自身のも含め、教会は、たとえば国境を開放するようメルケルが要請した本当に熱心な声明を理解しそこなったと言わなければなりません。先週、沈黙がありました。たとえば、スイスの自由党の同僚を含め、幾人かの政治家に電話をしたのです。彼女は私のようにヨーロッパ会議のメンバーです。ブタペストでこれを見たとき、私たちは何かしないといけないと私は言いました。当時、メルケルが国境を開放させたにせよ少しも私は知りませんでした。でもそれは爆発でした。そして私がそこにいたとき、私はただ一人の政治家でした。たくさんジャーナリストがいて、彼らは私のように、すさまじいと感じました。彼らは衝撃を受けました。ほんとうに、ハンガリーは人権に基づく政府ではありません。「彼らは敵である、彼らは海に投じられるべき」等々と続く、Fidesz党の共同創設者のひとりに味方して述べた引用があります。ヨーロッパで激しい抗議はありません。私は一度ヨーロッパ会議の総会でそれに触れました。彼らは目を見開いて私を凝視します。だんまり。ぞっとするようなだんまり。

http://www.democracynow.org/2015/9/9/german_lawmaker_at_the_root_of?utm_source=Democracy+Now!&utm_campaign=c27741ca05-Daily_Digest&utm_medium=email&utm_term=0_fa2346a853-c27741ca05-190327541

2015/10/17

今こそ不買運動で結束

◇パレスチナの民衆抵抗運動と結束!今こそイスラエルを不買同盟で苦しめましょう!
#SolidarityWaveBDS

パレスチナ人はイスラエルの残忍な何十年も経つ占領、入植者植民地主義とアパルトヘイトの体制に反抗して立ち上がり続けています。歴史的に有名なパレスチナの全域で何万ものパレスチナ人が若者主導のデモに加わっています。1948年(イスラエル建国、第一次中東戦争)パレスチナ・イスラエルの北部のSakhninという町のデモに2万人以上が加わり、ガザからベツレヘム、ヘブロンからエルサレムまでの街々で抗議が猛威をふるっています。

今週初め、パレスチナBDS全国委員会はパレスチナの民衆抵抗運動と団結して、政府や機関や企業にイスラエルの犯罪における彼らの役割を止めるよう圧力をかけるために行動と抗議の高まりを要求しました。

反応は信じられないほどすごかったです。世界の全域17カ国で60以上の#SolidarityWaveBDS(BDS団結のうねり)抗議が起こります。私たちのウェブサイトを訪問すれば、今すぐあなたの近くの抗議の詳細が見つかります。

さあ、今週末の動員をできる限り大きくしましょう。パレスチナ人といっしょに抵抗してイスラエルのアパルトヘイトに対する国際的な支えに異議を申し立てましょう。

今週末、もしあなたがデモに加わっているなら、どうか#SolidarityWaveBDSを用いてアップデートを分かち合ってください。

友愛のために、
Palestinian BDS National Committee(パレスチナBDS全国委員会)

あなたの町または都市で抗議を組織していますか? このフォームに記入することであなたが計画しているものについて私たちに知らせてください。あなたの行動の写真や報告を wave@bdsmovement.net に送り、最新情報を共有してください。

http://www.bdsmovement.net/2015/call-out-international-wave-of-solidarity-with-palestine-13334


ばかな行為

◇ノルウェーの民主主義
「民主主義の礎(いしずえ)として、統治者は統治される者を反映する鏡であるべき」(26歳のノルウェーの「緑の環境党」専属広報顧問)

http://www.huffingtonpost.jp/asaki-abumi/norway-political-activities_b_8217496.html?ncid=tweetlnkjphpmg00000001

◇ばかな行為 辺野古の海は絶対に守る
琉球新報のニュース

米国のハーバード大学教授などを務めた海洋学者でサンゴ礁を研究するキャサリン・ミュージックさん(66)が25日、名護市辺野古沖の大浦湾を訪れ、ハマサンゴやアオサンゴの群集するポイントに潜り、視察した。「まだ大丈夫。美しい」と笑みを浮かべ「世界中で(美しい海が)失われている。辺野古の海は絶対に守る。私は諦めない」と話した。

ミュージックさんはこれまでプエルトリコの海やグレートバリアリーフ(オーストラリア)など世界各地の海に潜り、サンゴ礁の調査をしてきた。米軍普天間飛行場の移設に伴う辺野古海域の埋め立てについて「恐ろしい行為。ばかなこと」と批判する。

「辺野古の海には千種を超える魚がいる。サンゴも400種以上が生きている。新種もまだいるはずだ。こんなにも美しく、貴重な海は世界中どこにも残っていない」と指摘し「軍事基地ではなく、海洋公園にするべきだ。世界中の人に辺野古の海の美しさを知ってもらいたい。そうすればきっと、ばかな行為(新基地建設)は止められる」と語った。

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-232214-storytopic-1.html

◇日本の人文社会科学つぶしが学術界の気骨をぞくぞくっとさせる

日本の大学が実際に役立つ学科のほうを選んで人文科学や社会科学をやめている、そして世界的な懸念を誘発する

下村博文文部科学相が「社会的要請をいっそう効果的にくみ取って、より実際に役立つ職業教育」を提供するよう国立大学法人に迫った後、50以上の日本の大学が人文科学と社会科学学部を打ち切るかまたは人員削減することになっている。

この動きは世界中の学術界の注意をひいた、そして多くを刺激して反対意見をはっきり声に出して述べさせる。

「あきれました」とカーディフ大学英語講師のSophie Coloumbeauは言う。「決定は極端に了見の狭い先見の明のなさを暗示するし、社会が何を必要とするかについて見方を誤っていると思います。」

リバプール大学の法と社会正義研究所のFiona Beveridge校長が同意する:「将来の社会のニーズが作動軸(Stem)の大学卒業生だけで適えられるとは思いません。啓発的な創造力のある産業は人文科学の教養のある学生を必要とします。」

多くに関していえばすでに資金不足のイギリスの人文科学学部もまた、政府の理解力の問題に向き合っている。「若者の選択の自由の門戸を開放したままにしてあらゆる種類の経歴への扉をあけておく学部は、作動軸学部」との判断で、昨年、ニッキー・モーガン教育大臣が緊張を高まらせた。

(一部省略)

モーガンは断じて不同意の唯一の攻撃目標でない。近年、UKのさまざまな高等教育財政援助機構が非難をこうむっていて、Research Excellence Frameworkは、人文科学に対する偏見で責められていた。

「より奥義に達した少数の者に向けられる研究は重要でないことを暗に示す」とロンドンのSoas大学の副理事リチャード・ブラックは言う。「今のUKの政治レトリックが、金は直接社会に関連性のある研究に費やされるべきという、日本で遭遇していることをたびたび反映する。」

「だが、”影響力”のある分野だけに縮小しないで、文化や歴史の知識と、より理論的な研究に投資しなければなりません。現行の例として、古代文化の遺跡に脅威を与えるIS(イスラム国)を見てください。今は、これまでにも増してそのような遺跡が何を意味するか、研究する時です:知識のみが金を使うことに値します。」

(一部省略)

現在、日本に拠点を置く日本研究講師 マーク・ペンドルトンは、政府の動きに対するこの国の反応が希望的観測を提供すると言う。「日本であったことは間違いなく気がもめている、だが、人文社会科学が社会を扶養することに従事する全体的な議論といっしょに広く行きわたった反発があった」と彼は言う。「安倍政権はすぐに不人気になった、そしてこれらの改正がその理由です。それが元気づけている。」

http://www.theguardian.com/higher-education-network/2015/sep/25/japans-humanities-chop-sends-shivers-down-academic-spines?CMP=share_btn_tw

◇女性にもっと赤ちゃんを産むようしつこく求めた後、日本の政治家が女性に対する性差別を助長する者の列に続く

子どもを産むといえば国家の安寧を連想させることで戦時に立ち戻っていることを菅 義偉 官房長官が否定する

もっと赤ちゃんを産むことで国の安寧に貢献するよう女性に求めた後、日本の官房長官が女性に対する性差別の非難をはねつけた。

安倍晋三首相の親しい盟友で官房長官の菅義偉による発言は、国の軍国主義者の野心を支えるために政治指導者が女性に産むことを奨励した戦争時代への回帰を勢いづかせているとの非難を招いた。

最近の有名人(歌手 福山雅治と女優)の結婚についてコメントして、管(官房長官)は、「ふたりの結婚でもっと子どもを持ちたいというような気持ちによってお母さんたちが国に貢献することを私は願っている。どうか、たくさん子どもを持ってください」と言った。

フジテレビで言った彼のコメントは、安倍がこの10年間の終わりまでには公的部門と民間部門の管理職での女性の占める割合を30%に増大させることや総労働力にもっと女性を従事させるための押しの強さを続けるところへ出てきた。

国際的な男女差平等比較では日本は成果が不足がちだ。世界経済フォーラムの2014年男女差不均衡指針で日本は142カ国のうちで104位にランクされる。男性が84%であるのに比べて労働力における日本の女性の参与率は64%と、経済協力開発機構を構成する34の主要経済の中で最低に入る。帝国データバンクによる1万1000社の調査によれば、日本で女性が管理職に占める割合はたった6%以上。それがイギリスの34%、アメリカの44%に匹敵すると日本政府の統計は示す。

記者らによって疑問を呈された後、単に有名人の結婚で喜びを伝えようとしただけだと管は述べた。朝日新聞によると、管は記者に「ふたりの結婚への私の反応について尋ねられたから私はコメントをした、そしてふたりは非常に人気があって有名なカップルですから、誰もがこのニュースに満足だろうと思った」と語った。

「結婚して子どもを持つことは個人の自由に関わる問題なのは明らかです。子どもがいて育てることに満足を感じる社会を確立することが政府の職務だと思っています。」

彼が戦争時代に立ち戻っているとの思いつきは「全く間違っている」と彼は説明して、彼の意見は女性に不妊治療を受けやすくする最近の政府の動きと矛盾がないと付け加えた。

管は、女性の主たる役割が子どもを作ることだと思いつかせる最初の日本人高官ではない。2007年、首相として安倍の最初の任期の間、当時の柳澤伯夫厚生大臣が女性を「子どもを産む機械」と説明して、女性に国の少子化を止めるために「最善を尽くす」ようしきりに迫った。

今年上半期に新生児の数はわずかに上がったが、平均1.4人の日本の出生率または妊娠可能年齢の女性にいるものと思われる子どもの数は、専門家が日本の人口を永続性のあるものにしておくのに必要だと言う平均2.1をまだはるかに下回る。

東京の国立社会保障人口問題研究所によれば、現在およそ1億2800万の人口は、出生率が現行のままであるとすれば2060年には8670万人に減少するものと思われる。同年までには、ほぼ10人に4人の日本人が65歳またはそれ以上であると研究所は言っている。

http://www.theguardian.com/world/2015/sep/30/japanese-politician-yoshihide-suga-in-sexism-row-after-call-for-women-to-have-more-babies?CMP=twt_gu

2015/10/09

日本で最も勇気ある人

沖縄タイムズ紙より

フォーブスの9月15日付電子版は、元国務省職員で、金融関係企業に勤務していたころに日本で暮らした経験があるというスティーブン・ハーナー氏の投稿文を掲載。翁長知事が日本政府と対立する形で辺野古の新基地建設に反対していることや、ゲート前の住民らの抗議行動を紹介した。
翁長氏があらゆる手法で建設を阻止する決意を持ち続け、9月14日に埋め立て承認取り消しを表明したことにも触れている。

◇沖縄県知事、翁長雄志に敬意を表する:日本の最高に勇敢な人
フォーブス誌 15 Sep 2015

沖縄県知事 翁長雄志は日本の最も勇敢な男性か?だれか他に、日本や合衆国の政府、米国のペンタゴン、時に暴力的で悪意に満ちた日本の政治右翼の過激派グループ、安倍に賛成なのを除きあまねく言いなりになる大多数や日本のメディアを大胆にも断固として拒み通す度胸があるのかと尋ねたほうがいいかもしれないね?翁長の前任者 仲井真弘多は、結局は圧力や脅威に耐えることができずに、またはこれらの筋からのおだて(甘言)に抵抗することができずに、最後には降参し、考えを翻した。多くの懐疑論や自信をなくさせる予想に反して、翁長はもっと断固たる人物であることが判明している。

翁長の申し立ては、沖縄の島の中型都市 宜野湾市の中央にある基地、普天間アメリカ海兵隊飛行場の名護市辺野古へのいわゆる”再配置(移転)”を止めている。実のところ、起こっていることはただの小さな基地の移転以上のものだ。それは1950年代以降初めて日本に建造される大規模なアメリカの基地、ばかでかい新しい多目的基地計画だ。沖縄の市民にとって、そして確かに辺野古居住者にとって、ずっと反対した新基地は小さな島の県にさらに一段と危険な軍隊、特に外国軍勢の集中の構成要素となる。少なくとも多くの日本人、ひょっとすると大多数の日本人(および海外で心配する多くの人々)にとっても、新基地は、日本における見たところでは永久の根深いアメリカの軍事プレゼンス(沖縄の居住者にとって決して終わらない治外法権を有する占領)の強く恨まれる不当で不必要なシンボル(そして現実)を意味する。地元の反対のせいで何年もの遅れのあとに、昨年、安倍晋三首相の政府は新基地建設の第一期工程で辺野古のすぐ隣りの湾の埋め立て作業を開始した。仲井真前知事による(彼がしないと誓ったこと)埋め立て許可の承認を受けて作業はすぐに始まった。激しい地元の抗議、裏切り行為の非難、そして作業を妨害する組織化された奮闘が結果として起こった。

11月の選挙で、新基地を止めるためには”なんだってやる”と誓った翁長が仲井真を破って基地に対する一般の反対の深さと広さを証明した地滑り的勝利を収めた。それ以来、翁長は確固として彼の公約を保持してきた、とりわけ、政府の申請書類と仲井真の埋め立て許可証の発行での手順を再評価するために環境と法律に関する専門家委員会を指名した。委員会の報告書は基地建設に関して政府に一カ月凍結を公布するのに十分深刻な根拠となるうる法的欠陥を見つけ出した。また沖縄に対処する東京政府の腕力に訴える戦術とレトリックで、日本全体の狼狽と動揺を建設中であった。ちょうど終わった凍結の間、相次ぐ安倍政府使節が翁長をだましおだてて彼の阻止のための活動をやめさせるために那覇へ行った、同時に翁長もまた彼の論拠を述べるために東京へ行った。すべて会談は行き詰まりに終わった。

9月14日に翁長は埋め立て許可取り消しの手続きをとるという”揺るがない”決定を発表した。県庁に呼び集めて地方および全国の野党(なかんずく、共産党、社会民主党、沖縄社会大衆党)代表会議で演説する翁長は、東京との苦闘において”新しい歴史のページ”の分岐点を宣言した。前例のない墓場で、もしかして大変動の衝突かもしれない前触れになる埋め立てを、安倍政府(およびアメリカのペンタゴン)はどうやら続ける決心であるらしい。目下の事情では、いやだとしても、来年夏の参議院選挙、ひょっとしたら訴訟(日本では必然的に泥沼になる)を通して、東京と那覇政府との間の行き詰まりが起こりうるように思える。沖縄・東京の劇的状況は、日本の戦後の平和主義、受け身な地理的に本質的制約のある自衛のみの軍事態勢に取って代わる新たな(ペンタゴンに支持される)防衛安全保障立法の国会承認のための安倍政権の最終的な全力を挙げての攻勢の背景に対して華々しく仕立てられた。立法にとって中枢は日本の”平和憲法”9条、戦争放棄の条項の解釈しなおしだ、特に日本の軍隊を”集団的自衛権”で交戦させること。すなわち、日本の軍隊または日本が攻撃されていなくても(アメリカの軍勢を守るために、と書いてある)同盟国が関係している交戦に参加することだ。

実際に、世論調査による判断として反対が増加している。9月14日に発表されたNHKの任意に選ばれた日本人の成人1088人の世論調査では、”集団的自衛権”のドクトリンを含め、45%が反対であるのに、政府の安保法案に賛成なのはわずか19%であることがわかった。新しい法律が抑止を強化して日本への攻撃の危険性を減じるとの政府の主張に対し、承諾できるかどうか聞かれて、25%が「やや承諾する」、37%が「承諾できない」、26%が「まったく承諾できない」と答えると同時に、わずか6%が「強く承諾する」と回答する。新安保法案は合憲か違憲か尋ねられ、わずか16%が「合憲」と答える一方で、優に32%が「違憲」と答えた。46%は決められなかった。

「世界は見ている:沖縄の新たなアメリカの軍事基地を先手を打って止めるための国際的な学者、アーティスト、活動家の嘆願書」は、2015年9月2日発表のアジア太平洋ジャーナル、Japan Focus、Vol. 13、Issue 35、No. 3の記事のタイトルだ。記事は嘆願書とそれに署名した109名の国際的な学者や平和擁護者の名前と肩書きを紹介し、翁長知事に「沖縄の人々への公約を履行する」よう激励する。嘆願書と署名者リストは興味深い読みものになる。そしてその主張は思うに非常になるほどと納得させる。機会があれば、私は見返りの代わりに躊躇なく署名する。彼にはせき立てる必要がないように思えるので、翁長をそれほどせき立てないで、彼に託し、彼に敬意を表す。

http://www.forbes.com/sites/stephenharner/2015/09/15/paying-tribute-to-okinawa-governor-onaga-japans-bravest-man/

2015/10/08

ヴァーモスが天使になった日

10月1日、9歳と4カ月でヴァーモスが永眠しました。

お水もドッグフードも吐き出してしまい、脱水状態からぐったりしだした9月23日、緊急で運んだ動物病院で検査入院してわかったこと。まずは8月30日から近所の動物病院で治療していた外耳炎(もしくは中耳炎)は実はレントゲンで外耳道を塞ぐ肉芽腫だった。これだけなら、全身麻酔は必要でも切開して取ってしまえば改善するのに。ヴァーモスの場合には食道が3倍にも拡張してしまう突発性(原因不明とのこと)巨大食道症(食道拡張症ともいう)にもなっていて、とにかく脱水状態を改善し、栄養補給をし、左に傾く顔面神経麻痺になんらかの効果を期待してがんがんにステロイドを投与して様子を見るしかなかった。

犬が巨大食道症になると、胃瘻をするか(全身麻酔しカメラを使って胃にチューブを通す)、立たせた状態で流し込んだ流動食を食道から胃に落とし込んでやるしかないと言われた。小型犬では治った例もあるということだが、大型犬は非常に難しいと言われた。

私たちの選択は、胃瘻はしない。とにかく、お家で、なんとか工夫して胃に流し込んでやる努力をするというもの。26日に退院し、ヴァーモスは生きようと力強かった。これまでいろいろに過ごしたお家のお気に入りの場所によろよろしながらも自分で行って横になったり、自分でいつもの場所に行き、おしっこも排便もした。私たちも椅子を使ったり、洗濯物入れのボックスを使ったり、赤ちゃんのおんぶ紐を使ったり、激やせしたとはいえ22キロあるヴァーモスを抱きかかえて、なんとか流動食とお水を流し込み、食道から下に落としてやろうとやってみた。最低30分をクリアし、まったく吐出しない日も2日ほどあったけれど、結局は2〜3時間して横になると、吐き出しては移動し、また吐くという、苦しみに追いやることになった。

そしてヴァーモスは、もう限界に思えた10月1日、朝の流動食を吐出しながら逝ってしまった。

5日間、わたしたちのためによく耐えて生きてくれたヴァーモス!
もう苦しみはないよ、お水も飲みたいだけ飲んでいいんだよ、ゆっくりおやすみ!
ほんとに出会えてうれしかったし、いろんなことあったね、全部が最高だったよ、ヴァーモス!
バイバイ

カウチにおすわりさせて、抱きかかえて食べさせたあとのヴァーモス
左目の瞼が閉じなくて麻痺しているから、ヒアルロン酸の目薬をさしてやり、瞼を降ろしてマッサージしていた。お水をやるスポイトを見せて「ばーちゃん、お水!いこう!」と言うと、わたしを見つめて、こっちにやって来る。飲みたい力は、スポイトをかじっちゃうほど力強かった!


2015/10/01

かっこいい日本人

安倍は醜悪でも、こっちはかっこいい!
世界のニュースから
◇日本の新しい反戦プロテスター世代が安倍に異議を申し立てる

日本の平和憲法を解釈変更して第二次世界対戦以来はじめて海外に軍勢を派遣することを可能ならしめる法案に反対して、学生たちがデモに参加している。5人の抗議者が理由を述べる

日本の政治の中枢神経の夜の支配的空気を押し分けて進む声がこの国の反戦運動の古つわものに属していないのは明白だった。ちょうどいいときに最初は普通のテンポで、次にはヒップホップを借用したリズムで、純然たる激怒に鼓舞された群衆が「安倍はやめろ!」の感度の高い叫びを繰り返した。今度は英語で、同時代の人びとが遭遇してこなかったようなこと、国民の不満という日本の夏の意味を明確にすることになるシンプルな意見表明、「This is what democracy looks like!」を繰り返した。

今週末までに安倍晋三首相と彼の連立与党は、終戦以来はじめて軍隊に海外で戦うことを可能ならしめるため、戦争を放棄する日本の憲法の一部を解釈しなおした一連の安保法案を通過させるものと思われる。変更は、より独断的な中国、核武装した北朝鮮、イスラム教徒のテロからの安全保障上の脅威に対して、日本をもっと効果的に応酬できるようにすると安倍は強く言い張る。世論調査は大多数の有権者がこの動きに反対であることを示す。

安倍が、もっと多くの群衆を街頭に連れ出すかもしれない5連休前の金曜までにこの法案を通す決意であるように見えるのは、抗議がもたらした心配のあかしとなるものだ。

安倍がこの法案を国会で強引に通過させるために連立の安定多数を悪用していることに感づき、前例のない数の上で十代や二十代の若者を街頭にもたらした。

最も突出するグループ、Students Emergency Action for Liberal Democracy (自由で民主的な日本を守るための学生による緊急アクション)、略してSealdsは、それをうけて内部告発者やジャーナリストが機密情報を明らかにすることや報じることで投獄に直面する2013年特定秘密保護法への公然の反対に起源を持つ。

国会の外に集結するたびに、Sealdsの仲間は、日本で抗議する人はある一定の年齢以上の普通でない変人またはマルクス主義に凝り固まった者でなければならないという概念に挑戦している。ファッションや音楽への興味について彼らは気恥ずかしい思いをさせないし、前任者の急進主義を自由とデモクラシーに対する単純な信頼と交換することについて彼らは気楽だ。

「彼らは他の世代のグループを駆りたてている」と東京上智大学の政治学教授、中野晃一は言った。「普通でファッショナブルであると同時に政治的でありうるというイメージをSealdsは生き生きと伝える。」

○はしもと べにこ 24歳 ファッション業界で働く

昨年ひとりでデモに来て、若い子がたくさんいるのに気がついた。政治のことを話し合う機会が多くなかったので、自分と同世代の子とデモをするのはおもしろかった。正直なところ、わたしは必ずしも政治に興味があるとは限らなかった。ニュースに遅れないでついていったけどわたしはいまだかつてデモに参加しようとは思わなかった。わたしにとって触媒のはたらきをしたのは集団的自衛権についての議論だった。デモに来るといやというほど一般社会の空気感をつかんで、もっとやるきっかけになった。
たとえ日本が攻撃されていなくても他国を攻撃するとか、たとえばアメリカといっしょに戦争に行くという考え方は道理にかなわない。アメリカは私たちの助けに感謝するかもしれないが、私たちはアメリカが私たちを守ると確かにできるのでしょうか?
いずれにせよ、アメリカは私たちを何から守ることになっているのか?私たちは中国がいかに日本の安全保障に脅威であるかについて常に聞かされているけど、事実はその通りなんですか?
一部の政治家が私たちを自分勝手と呼んでいるのは知っています。戦争に反対することが自分勝手なら、じゃあ、わたしは自分勝手です。日本の若者は他の国の若者ほど政治意識がありません。でも、それはそんな風に考えるように学校で学んできたからです。政権を握る誰かがすべてうまくいくと言うんだから、きっとそうだと信じる傾向が日本にはあります。安倍首相が日本が戦争に引きずり込まれるリスクはまったくないと常に言っているように。

○なかがわ えりな 19歳 大学生

わたしが反戦運動にかかわるようになったのはごく最近。6月のわたしの誕生日に座り込みデモの抗議に参加した。高齢の方がたくさんいて、一人の方がわたしにSealdsについてのパンフレットをくれた。
安保法案が国会で強引に通されるやり方は民主主義と憲法を破壊すること。日本の憲法は人権尊重を保証して平和に賛成する。憲法は、その意図を十分に理解するためにいっしょに取り組むようすべての人に求める、さて、安倍が現れると、そのすべてを壊すことが必要だと結論を下した。
自由を守るために私たちの責任から尻込みしないことについて話すジョン・F・ケネディのスピーチにわたしは常にやる気を起こします。その考え方は日本の憲法に反映される。ひとりの人物がある種の王様のように現れて、憲法を無効と宣言し無いことにできるのを、わたしは認められない。
政治の核心は公益をはかどらせること。だから、わたしたちがしていることで、わたしたちは自分勝手とは正反対です。わたしたちは権利を擁護している、それはまったく単純です。

○みぞい もえこ 20歳 大学生

わたしの祖母は福島に住んでいます、だから原発事故が起こったとき、政治判断が、本当にわたしの人生に直接影響を及ぼすと思ったのを憶えている。当時、わたしは高校生、でも友だちのだれも政治に関心がなかった。昨年、デモに行き、わたしと同じように感じる若い子が他にいることを実感した。
憲法は、特に国際紛争を解決する手段として戦争を放棄する9条は、わたしたちが大事に心に留めおくべきものです。過去70年の間、日本は海外で誰も殺してこなかった、また日本人は戦争で死んでない。それはすごいことです。集団的自衛権で国民が死ぬリスクはうんと高まる。
和解して私たちの考えを伝えるために個人の意見を聞かせる権利がわたしたちみんなにある… そういうわけで、ほとんど毎晩、わたしたちは国会前にいる。
わたしたちが自分勝手だと言う人たちは、戦争に行かせることを含め、どうも市民は国によって行使されるためにあると考えるようだ。それは逆でしょう、国は国民のためにある。
一般的に日本の若い子は政治に無関心というのに、わたしは同意する。学校にいたときを振り返ると政治のことを話せる友だちはいなかった、でもあとではっきりしゃべると実はたくさんの人が安保法制で起きてることについて心配してるのがわかった。

○たくや 16歳 高校生

初めて政治的にボクの人生に影響を及ぼすと思ったやばいことが起こっていたのでボクは十代の子の反戦グループに参加した。この法案が通れば、いかなる理由であっても、日本を戦争に行きやすくさせる。戦略的ばかりか、おそらく経済的にも。ボクだけじゃなく学校の友だちにも影響を及ぼす。
ボクの家族とか有名人に影響されたということではない。ただ、かかわりを持ちたい気になっただけ。オヤジは政治について話すし、ボクを励ましてくれているけど、母親は心配している。ボクらがしていることが少し危険だと思っている。
ボクの年齢であんまりおおっぴらにかかわりを持つことは勤め口の見込みを傷つけかねないと人は言っている。正直なところ、そのうちボクが求職している時に政治的な直接行動主義について聞かれるとは思わない。もし聞かれたら、ボクは正直に打ち明ける、そして職にありつけないとしたら、じゃあとにかく、ボクにうってつけの会社ではないんだろう、たぶん。
この運動は安保法案が通った後も続く。ひとつの問題に従事するだけじゃない、安倍政権について他にいらいらさせることがたくさんある。ボクは投票には若すぎるから、この抗議デモに参加することがボクの思いを知らせることができる唯一の方法。

○ひかる 16歳 高校生

ボクは6月に最初のデモに参加したけど、政治的めざめは2011年3月の福島での原発の災害後のことだった。なにがあったか家族と話した。姉貴はすでに反核活動家だったので、ボクをデモに連れて行ってくれた。そこでボクは同世代の子たちに出会った、それで当然かかわりを持つことにした。初めて安保法案について聞いたとき、ボクは悩んだ。ボクに影響を及ぼすと感じた… これが実際に法律になった場合にどうなるか、ずっと考え続けた。人はボクらのことをナイーヴと呼ぶけど、安保法案を支持している連中にしろ、だれが日本が戦争に行くのを本当に望むのか?戦争を避けたがるのが当然なので、ボクは自分がナイーヴだとか自分勝手とは全然思わない。
友だちは以前はボクがちょっと変わってると思ったものだったけど、友だちの数人が学校でボクに近づいてきて、「お前は正しいことをしている」と言ってくれた。
今、最も重要なことは民主主義を守ることだ、なんであれ決まっちゃう前に議論があるのを確かめることだ。両親がある程度はボクに影響を与えたが、ボクは常にビートルズが好きだったし、ジョン・レノンの大ファン。日本の忌野清志郎も、でかい影響を与えた人だった。

http://www.theguardian.com/world/2015/sep/16/japanese-anti-war-protesters-challenge-shinzo-abe?CMP=twt_gu