希望のひかり アイルランド
画像(一番左)、映画「ノーアザーランド」の共同監督ハムダーン・バラールがヨルダン川西岸の自宅でイスラエル人入植者らに集団暴行され、イスラエル兵によって連れ去られたまま行方不明になっている
彼らは「オスカーを受賞して以降、毎日攻撃を受けている」とイスラエル人の監督バーセルはハフィントンポスト誌に述べた
⌘不可解なのは、なぜわたしたちアイルランド人がイスラエルの蛮行に応酬したかではない。なぜ他の国々はそうしなかったかだ。わたしは歴史の正しい側に立つという考えを信じていない。将来の歴史は、わたしたちの責任の負うべき関心ごとではない。わたしたちが責任を負うべきことは現在だ。
IrishTimes Dec 21 2024 マーク・オコネル
数週間前、わたしは歴史家ラシード・ハーリディー(Rashid Khalidi)にインタビューした。最近、コロンビア大学歴史学部現代アラブ研究の教授を退任した彼はアラブ系アメリカ人の著名な知識人であり、何年も長きにわたり、イスラエル・パレスチナ間の争いにおけるアメリカの関与を最も強硬に主張する批評家のひとりだ。
ニューヨーク・レビュー・オブ・ブックスの最新号に出るこの対談は、イスラエルの現行のガザ襲撃とそれに対する世界の反応に焦点を当てたものだ。(2023年10月7日以降、ハリディの非常にすばらしい著書『パレスチナ戦争:入植者植民地主義と抵抗の百年史』はニューヨークタイムズ紙のベストセラーリストからめったに消えたことがない。わたしたちの対談がオンラインで公開されて数日後、ジョー・バイデン大統領がナンタケット島の書店からその本を小脇に抱えて出てきたところを写真に撮られた。この成り行きはイスラエル、パレスチナ双方の支持者をほぼ等しく怒らせたように思える。)
2022年、ハーリディーはトリニティ大学ロングルームハブの客員研究者だった、そこで彼はパレスチナとアイルランドの植民地行政で相似する点を情報収集し、イギリス国家がパレスチナに輸出を始める入植者植民地主義の実践のようなものの実験室としてアイルランドが役にたつ過程を調査研究した。会話の中でわたしたちは、国民の大部分がパレスチナの大義を支持する国として、ヨーロッパ内そしてより一般的に西側諸国内でのアイルランドの異例な状態の起因について言及した。その支持はさらに政府の外交政策によって薄められた形で反映されている。
アイルランドの歴史を考慮すれば、アイルランド人がパレスチナの大義に広く共感を示すのは理にかなうとわたしはハーリディーに伝えた。今日、わたしにとって直感的に理にかなうとは思えない同様の残虐行為が起こっていることもまた間違っているのを理解するのに、そのような植民地化の文化的記憶、外国の占領支配力の手によって自分の国で残虐行為が行われるという知識はある種必要な条件かもしれないとわたしは述べた。ハーリディーは植民地史の専門家であり、パレスチナの大義のために長年政治活動を行ってきたにもかかわらず、このことに少々困惑しているような印象をわたしは受けた。最も長い植民地経験を有する国としてアイルランドは「特別なケース」であることを彼は認めた。そのような驚くべき異例な歴史的条件が道徳の基本的要件になるかもしれないことはそう簡単には説明できないようだった。
アイルランドの植民地の歴史は単純な歴史ではない。北部の公民権運動、ブラディサンデー(血の日曜日)の虐殺、両方の側の長年にわたる残虐な準軍事組織のすさまじい暴力、このすべての事態が生々しい記憶の中に居心地悪く残る。わたしの祖父はキルケニー県でイギリス国民として生まれた。ウイリアム・フォークナーが言うように、過去は決して死なない。それは過去ですらない。
いずれにせよ、わたしたちアイルランド人がイスラエルの蛮行に対してなぜ応酬しなければならなかったかは不可解ではない。(死者の数、そして行方不明者の数をここで提供する必要があるだろうか?現在進行中の恐怖、悪行、子どもたちが狙撃兵によって撃たれる、パレスチナ人を飢えさせる飢餓政策、ガザの一般市民の生活とインフラの意図的な破壊について詳細に説明する必要があるだろうか?)不可解なのは、スペインとノルウェーを除いて、なぜその反応の強さが同じEU仲間で合わないのかである。
今週、ダブリンのイスラエル大使館を閉鎖するとの同国の決定を受けてイスラエルのギデオン・サアール外相は次のように非常に率直に語った:「パレスチナ国家の承認、イスラエルをジェノサイドの罪で告発する南アフリカの訴訟事件におけるICJ国際司法裁判所への介入、そしてジェノサイドに関して裁判所の介入の拡大を要請するなど、イスラエルに対するアイルランド政府の政策は我慢できないほどに“極端”で、サイモン・ハリス首相は“反ユダヤ主義”である」と。
知的もしくは道徳的にまじめな人なら、この主張を侮辱以外のなにものでもないとみなして不思議はない:これは、ICC国際刑事裁判所が戦争犯罪と申し立てるもので、首相に逮捕状が出された国による、誰であれ恐れずに明白な事実を指摘する者を中傷するグロテスクな試みを反映している。そしてこれは次には、わたしたちの時代の残酷な歴史的皮肉を反映している:イスラエルによるガザでの虐殺に対する批判での世界規範は、反ユダヤ主義の致命的な危険性とユダヤ人大虐殺(ホロコースト)は二度と再び容認してはならない犯罪だとの認識の存在に基礎づけられる。第二次世界大戦とホロコースト直後に確立する世界規範(国際法、人権)の体系は、「国際社会」と呼ばれていたものの沈黙と共謀の下方に埋もれ、今ではガザで噴煙を上げる瓦礫のなかに落ち込んでいる。
今週初め、パレスチナの新大使Jilan Abdalmajidの信任状を受け取ったとき、マイケル・D・ヒギンズ大統領はイスラエル外相のわが政府に対する反ユダヤ主義との非難はアイルランド国民への「重大な中傷」であると述べた。わたしにはそれはむしろ薄っぺらな中傷に思える:イスラエルがガザでジェノサイドを犯しているという当然の重大な告発に対する紛れもない不真面目な応酬だ。
大統領はさらに、歴史のおかげでアイルランド国民は土地の強奪や占領といった概念を直感的に理解しており、だからこそ国際法の重要性を強調しているのだと述べた。もちろん彼は正しいのだけれども、国や国民がこのようなことを理解するのになぜそんな歴史が必要なのか、わたしは改めて疑問に思う。ハーリディーが言うように、どうしてアイルランドが特別なケースでないといけないのか?わたしがイギリス人、アメリカ人、ドイツ人、オランダ人であったとしても、イスラエルが遂行している虐殺と破壊のキャンペーンに直面してそれが非道な行為であるとみなすことはできると思う。
アイルランドが特別なケースであるのはひどく残念だが、不名誉となるのはアイルランドの不面目ではない。わたしたちの国、その国民と政治体制が、他のほとんどの西側諸国の極度の静寂、黙殺にまさって声をあげていることは、今のところわたしたちにできる重要なことであり、誇りに思っている。歴史の正しい側にいるという考えをわたしは信じていない。未来の歴史はわたしたちが責任を負うべきことではない。わたしたちの懸念、責任を負うべきことは現在だ。そしてわたしたちの国は、少なくともこのひとつの重要な意味で正しい側にいる。