見つけた 犬としあわせ

ニュースのファンジン、世界のニュースのサンプリング。 一枚のCDを聴くように一枚のコラージュを眺めるようにこれを体験して欲しい。

2010/07/06

イラン戦争 挑発にノー!



◇英独とUAEなど、イラン旅客機向け燃料供給拒否

ドバイ:イラン学生通信によると、英国、ドイツ、アラブ首長国連邦(UAE)などの空港が数日前からイランの旅客機向けの燃料供給を拒否している。イランに石油精製製品を供給する外国企業を対象とする米国独自の制裁法の成立を受けた措置とみられる。イラン側が対抗措置に出る可能性がある。

イラン航空会社連盟の幹部が5日明らかにした。イラン国営通信はクウェートも供給を拒否していると報じた。ただ、ロイター通信によると、UAEの空港当局者はイラン機への供給を続けていると述べた。

オバマ米大統領は1日、国連安保理決議を無視してウラン濃縮を続けるイランに対する米国独自の制裁強化法案に署名、同法が成立した。イラン経済の根幹であるエネルギー分野に踏み込んだ内容で、同国が輸入に依存するガソリンなどの供給を禁じている。

欧州や中東の各空港当局は石油精製製品の一種であるジェット燃料の供給も制裁法に抵触すると判断したとみられる。イラン国家安全保障外交政策委員会のファラハトピシェ委員は5日、「我々には報復の権利がある」と警告した。今後、独ルフトハンザやUAEのエミレーツ航空などイランに乗り入れる航空会社への燃料供給を拒否する可能性もある。

(日経 2010年7月5日)

◇反イランの挑発と戦争のおどし
 戦争が差し迫る?( 2010年7月1日)

6月最終の2週間に、アメリカ合衆国とイスラエル、イラン・イスラム共和国を巻き込む中東におけるいくつか重大な新事実を私たちは見てきている。米国の主流報道機関によってほとんど完全に無視される間に、世界、とりわけ中東を囲んでかなりの不安がある。これら新しい進展のいくつかは類がなく、米国・NATOとイスラエルの反イラン作戦行動、あるいは全面戦争たりとも、におけるはっきりした段階的拡大の記号であり得た。

反戦と前進する世界の人たちと組職は、次に述べることに注目すべきだ。

*6月18日、報道によれば少なくとも1隻のイスラエル船によって付き添われてアメリカ海軍の空母群団がスエズ運河を通り抜け紅海にそしてペルシア湾に向かって進んだ。ハリー・S・トルーマン航空母艦突撃部隊には、空母と誘導ミサイル巡洋艦、イージス艦クラスの駆逐艦、ドイツのフリゲート艦GGSヘッセンが含まれた。

*イランのファールス通信社によると、イスラエル空軍が近ごろTabuk市内に近いサウジアラビアの基地に軍事上の装置を積み下ろした。さらに不吉に、サウジアラビアはイランと交戦の場合にはイスラエル機のため空中回廊を考慮に入れたミサイル防衛システムを再編成してきていると報道される。

*中央アジアの国アゼルバイジャンに配置されるアメリカ部隊がイランとアゼルバイジャンの国境づたいにまとまってきている。いわゆるテロとの戦いの一部であるアメリカ部隊はアフガニスタンでの戦争を支えることになっている。イランの革命防衛隊は戦争警戒態勢に等しい領域に戦車や対空砲火装置を蓄えてある。

*7月1日、バラク・オバマ大統領はイランとその経済への制裁で歩調をそろえる国連安全保障理事会での交渉妥結に署名した。しかしながら英国放送協会(BBC)はたぶん中国が制裁の効果をそこなうだろうと公然と心配した。

*6月28日、イランはこの際に、ガザのイスラエル封鎖に異議を唱えるつもりはないと発表した。人道支援を運ぶイランの艇隊とイスラム教徒の赤十字社に相当する赤新月の飛行は、イラン海軍の艦船によって付き添われてガザへ行く途中だった。報道によればこの出軍にはロシアとトルコ両方ともの外交的支持があった。

*6月30日、イスラム共和国の副大統領で核プログラム長官のアリ・アクバル・サレヒが、イランはさらに20パーセントに濃縮した37ポンドのウランを産出していると発表した。イランは署名した核不拡散条約の下、これを行う権利がある(そしてイスラエルはこれに署名してきていない)。彼らの核プログラムは平和目的のためとイランは主張する。意味ありげに、濃度20パーセントは核兵器を生産するのに必要とした濃度よりはるかに低いものだ。

*新たな制裁を実施するために米国とNATOがイランの船を詳しく調べるのをねらうとしたら、生じる衝突は戦争に通ずるかもしれない。

*米国の意図についてしっかりした警告を発してきている世界の指導者のひとり、フィデル・カストロは、核兵器を含めて貴国に軍事攻撃が迫っているというようなことを確かに認める。6月27日掲載の「リフレクション」の中で、彼はキューバ国民に関する重大性と、もしかしたら米国イスラエルのイラン戦争という成り行きのこともあった最も恐ろしい大災害ですら、どこにもここにも応じる準備ができている進行に重きを置いた。「最悪の状態は、前もってそんな発展性についてどのようにもニュースで聞き知ることなく、突然、本格的な成り行きのニュースに気づかされることだ。それによって当惑とパニックに陥る... 」
  
ほとんど分析は疑いなく、新しい進展より先の重大性を決意させることが不可避だ。この必要とする数ヶ月の段階での押し並べて広範な軍事行動が仮に積年ではなくても綿密周到な計画のであるのを忘れないでいるべきだ。ペンタゴンが主流メディアに彼らの計画を漏らすことを望んできていない事実は、そんな段取りが存在しないことを意味しない。けれども、世界を取り巻く反戦と反帝国主義者の最も直接の骨の折れる仕事はワシントンから由来するこれら挑発にすぐに応酬することだ、そしてイランに戦争をしかけるどのような企てにもすべて抵抗する覚悟をすることだ。

ただちにとりかかろう!
Sign the Petition - http://www.stopwaroniran.org/petition.shtml

(「Stop War On Iran」のメールより)

写真は燃料補給を断られるイラン航空機(BBC News)

2010/07/04

過去52年で最低のでき



◇前途を思いやる不運なマラドーナ 

ドイツによって彼のチームがコテンパンにノックアウトされたあとに、アルゼンチンのコーチ(監督)として彼の将来性を斟酌しているのをディエゴ・マラドーナは自ら認めてきている。

 「多分あしたやめるだろう」と、4−0準々決勝敗退のあとで彼は言った。

 「それについて慎重に判断しないといけない、また私の家族や選手たちと相談するつもりだ。この点で沢山の問題がある。」

選手として1986年にアルゼンチンをワールドカップの栄光に導いたマラドーナは、「だれが私の後を継いでも」チームの攻撃スタイルに従うべきだと言った。

だが、そのゴールに向かっての投入は、フォワードをすみやかに破ってカウンター攻勢に有効に出るより早くヨーロッパ人が完全な投入で守るとき、ドイツによってやすやすと無効にされた。

FIFAの年間最優秀選手ライオネル・メッシがちょくちょくセンターバックからのボールを取りに行くまで格下げされたケープタウンでの支離滅裂のパフォーマンスのあとに、アルゼンチンのストライカー、カルロス・テヴェスはちょうどそのように認めて、少しも言い訳しなかった。

「彼らの勝利に関してオレたちに言えることは何もない」とアルゼンチンが52年で最低のワールドカップ敗戦の経験をしたあと、テヴェスは言った。

「あんな風に負けるのは非常につらい。オレたちはヘタにプレーしたし、往々にして間違いをやらかしたときはいつでもホームグラウンドに帰る。」

マンチェスターシティのストライカーは付け加える。「どうしてもこじれることになって彼らがオレたちに攻撃させない経験をした。」

戦術的プランに注意を払うというよりも本能と想いによって、あるいは敵対力によってチームをリードするとしてトーナメント前にマラドーナはアルゼンチンであざけられた。

その批判の大部分は南アフリカでの4連勝で押し流されたが、彼のチームのプレーの集団的な本来の姿と言うよりも、ドイツが個々を容易に摘発したあとの今、頭をもたげるかもしれない。

「アルゼンチン人全部と同じくらいに私はがっかりする」と彼は言った。「私の国がフットボール試合に負けるのを見るのはシャツを着ている人間にとって非常につらい。」

ドイツに対するチームのパーフォーマンスに納得したかどうか質問したとき、マラドーナは「ふざけてるのか?」と加えた。

「こちらはフットボールで人生を十分に楽しみ、ひと息つかせる国なんだ。チームが4−0で負けるとき、だれも満ち足りてるとは思わない。」

(BBC 3 July 2010)

2010/07/03

代償を払っているのは誰



◇イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相は7月1日、2006年にイスラム原理主義組織ハマスに拉致されたイスラエル軍のギラド・シャリット伍長の解放と引き換えに、収監中のパレスチナ人1000人を釈放する用意があると述べた。

ネタニヤフ首相はテレビ演説で、「イスラエルは国家としてシャリット伍長の解放に高い代償を支払う用意があるが、いかなる代償でも支払うというわけではない」と発言した。

ハマス側は戦闘員を含む数百人のパレスチナ人の釈放を要求しているが、イスラエルはイスラエル人殺害に関与した人物の釈放には消極的。ネタニヤフ首相は、過去25年間に捕虜交換で釈放したパレスチナ人が再びイスラエルへの攻撃を実行する例が多かったと指摘し、「収監者の釈放決定は難しく複雑だ」などと語った。

イスラエル国内ではシャリット伍長の解放を求める世論が高まっており、シャリット伍長の家族と数千人の支援者は政府に圧力をかけようと、6月27日にイスラエル北部を出発しエルサレムまで約200キロの道のりを12日間かけて行進している。

(AFP 2010年7月2日)

◇イスラエルのギラド・シャリット・デモ行進が数千人を引き寄せる

捕まったギラド・シャリット兵士の解放を訴えるイスラエル中のデモ行進に2万人が参加してきていると主催者は話す。

デモ参加者らは国の至る所12日間のデモ行進の半ばにあり、デモはベンヤミン・ネタニヤフ首相の自宅外で終わる。

ネタニヤフ氏はパレスチナ囚人1000人を解放すると申し出ているが、兵士を捕らえるハマスには「どのような代償」にも報いない。

囚人交換にイスラエル社会から圧力が上がるのを軽減しようとしてネタニヤフ氏はスピーチを用意した。

だが、金曜のデモ行進に2万人が合流したと主催者が言っている限りでは、その措置が仇となるかもしれない。

「首相のスピーチが人々に影響を及ぼして一役買う決心をさせた」とフリー・シャリット・キャンペーン統率者のShimshon LiebmanはAFP通信社に語った。

シャリットの両親と支援者らはエルサレムまで行進する。彼らはネタニヤフ氏の官邸外で野営をするつもりである。彼らは現在23歳の息子なしでは引き揚げないと断言してきている。

兵士の父、ノーム・シャリットはネタニヤフ氏のスピーチを非難してきている。

「ギラドがハマスの秘密の地下室で生気を失ってきている4年の結果として、ベンヤミン・ネタニヤフ首相が何とかやってのけてきているのが彼の前任者の記者会見をリサイクルするだけなのを、私たちは残念に思う」と彼はイスラエル北部Rupinで言った。

ドイツの調停者を介してイスラエルとハマスとの刑務所交換取引に関する会談は昨年末に失敗した。

イスラエルが「人の死に対し責任がある」という数名をハマスが自由にしたがる限りでは、双方の側が囚人リストに承知できなかった。

彼らはまた捕虜が解放される場所についても不和だ。イスラエルは解放される捕虜をガザ地区に送りたい、ほとんどパレスチナ人は移動できないか、またはその領域より強制退去してきているために。ハマスはヨルダン川西岸地区出身者は西岸に帰還させたい。

ネタニヤフ氏のスピーチに応じて、ハマスは、シャリット曹長をめぐってイスラエルからどのような耳新しい申し出も受けてきていないと言った。

△写真はデモ5日目、金曜日の抗議デモのひとつ
(BBC 2 June 2010)

◇首相に難題 拉致された兵と囚人を「交換」 譲歩求め1万人デモ

パレスチナ自治区ガザ地区でイスラム原理主義組織ハマスに4年間監禁されているイスラエル兵の解放を求める世論が、同国のネタニヤフ首相を窮地に追い込んでいる。最大1万人に達するデモ隊は北部を縦断中で、8日にはエルサレムに到着する。ハマスは、イスラエルに収監されているパレスチナ人囚人1000人との「交換」を要求しているが、首相は、人選を含めてどこまで譲歩するかの判断を迫られそうだ。

兵士は06年6月にハマスの武装勢力などに拉致されたギラド・シャリト曹長(23)。ドイツがかねて解放交渉を仲立ちしている。

拉致から丸4年がたったのを機に、交渉停滞に焦る両親らが積極的にメディアに出演し、世論を盛り上げた。また、政府が曹長の解放をガザ封鎖の主要な目的の一つに挙げていたのに、先月中旬以降、封鎖を緩和したことも国民の怒りを買っている。

行進は先月27日、家族が先導して同国北部を出発。最大紙イディオト・アハロノトが賛同者名簿を連日掲載するなどキャンペーンを張り、閣僚3人も加わると宣言した。同紙の世論調査によると、国民の72%が「交換」に賛成している。

ネタニヤフ首相は1日、テレビ演説で「家族と痛みを分かち合いたい」と話し、「1000人」との交換に応じる意思を表明した。しかし、ハマス側の要求には、イスラエル側が「第一級のテロリスト」と呼ぶ一部パレスチナ組織幹部らの釈放が含まれ、これは拒絶する構え。特にパレスチナ解放機構(PLO) の「次期指導者」と期待され、パレスチナ人の間で人気が高いマルワン・バルグーティ氏の釈放については応じないとみられる。演説でも「殺人者を釈放すれば、(新たな)犠牲者を生む可能性がある」と語り、世論を見極めようとしている。

国民皆兵のイスラエルでは、捕虜となった自国兵士を取り戻すことは重大な内政問題だ。人数に大差がある条件でも過去にしばしば交換が行われた。

・イスラエル兵拉致事件:
イスラエル軍のギラド・シャリト曹長(当時は伍長)が06年6月25日、同国南部のガザ境界近くでハマスの軍事組織などとの戦闘の末に拉致された。軍は同月28日にガザに侵攻、11月の停戦までに民間人を含むパレスチナ人400人以上とイスラエル兵5人が戦闘で死亡したが、曹長は救出できなかった。生存の可能性は高いとみられるが、正確な居場所は把握されていない。

(毎日新聞 2010年7月3日)

2010/07/02

マラドーナに勝ってほしい



南米のために、キューバのために、マラドーナのアルゼンチンに勝ってほしい!

昨年のカンヌ上映にこぎつけたエミール・クストリッツァ監督のドキュメンタリー映画「マラドーナ」をやっと見た。撮影開始は2005年のマラドーナの娘の誕生日だが、途中、マラドーナが死にそうになったり、いろんなことがあって、結局、2007年までかかる。
まさに二人の闘士(ひとりは映画を商売からアートに取り戻そうと闘う、ひとりはフットボールで血に染まった西側諸国のずるさと闘う)は会うべくして出会った。

まもなくドイツ対アルゼンチン準々決勝のキックオフ
間に合ったら、この映画を見てからの観戦をすすめる。

http://www.maradonafilm.com/
2008年の映画(2005年〜2007年に撮影)
マラドーナと監督エミール・クストリッツァ、同志の出会い

英国チャールズ皇太子の会いたいとのオファーを「彼は血に汚れている」と言って断り、アメリカとキューバからの功労賞のオファーにはキューバからのみ受け取る男、マラドーナ。もちろんカストロとも会って満面の笑み。そして世界の政治家でもカストロだけは違うと断言した。

エミール・クストリッツァは、マラドーナはフットボール選手というより革命家、まるでセックスピストルズのようだとも言う。実際、イングランド対アルゼンチン戦は「フォークランド紛争のあだ討ち」だったとマラドーナ自身が告白する。あの紛争で死んだ若者たちのために戦った、試合に勝利したとき、仕返ししてやった!と思ったと述べている。

2005年11月4日、当時のブッシュ大統領がアルゼンチンに来るというので、「やつをアルゼンチンには入れない!」大反米集会が起こった。監督もマラドーナ、ボリビアのモラレス大統領らと同じ列車で向かった。この列車のなかの熱気がすごい、監督も言っていた、目の前で起こっていることに身が震えたと。大集会を仕切るのはベネズエラのチャベス大統領、彼もまた「マラドーナが来てくれた!」と興奮して紹介する。

ラスト、ストリートでマヌ・チャオが「マラドーナになりたい、マラドーナのようにプレイしたい」という曲を歌うとき、ストリートにいたマラドーナが実に感慨深くマヌ・チャオに近づき、向き合う。(わたしはマヌ・チャオの大ファン)すごいシーン!これだけでも見応えあり!ストリートでマラドーナを迎え囲むひとりにニール・ヤングの姿があった。

1986年Wカップ、イングランド戦で5人抜きの世紀のゴールを決める。
イタリアリーグ・セリエAのナポリに移籍、初優勝に導く。
だが、90年のWカップ・イタリア大会でイタリアと対戦し勝利した後、イタリアとの関係が悪化、その後コカイン使用が浮上して15カ月の出場停止処分を受ける。これについては(ナポリのオーナーとFIFA会長がなにやら企む)はめられたと言っている。
コカイン中毒、極度の肥満、アルコール依存症、危篤状態、もろもろを経て、いま、マラドーナはアルゼンチンの代表監督として南アで元気な姿を見せている。
マラドーナの「神の手」教というのがあり、おもしろい。
「コカイン中毒さえなかったら、まだプレイできていたと確信できる... ボールは汚れていない。」

◇マヌ・チャオが“クレイジー”なCDをプロデュース
アルゼンチンの「ラ・コリファタ」
vendredi 1er février 2008, par nahoko

「このディスクは、僕のキャリアでもとりわけ重要なものの一つになると思うんだ」マヌは語り始めた、絶えることのないほほえみ、ルポライターのタンタンのような風貌で。ラテンアメリカに恋をして、世界を渡り歩くミュージシャン。彼は2007年12月、アルゼンチンにいた、アルバムを、前代未聞のアーティストたちと録音するために。そう、ブ エノスアイレス、ラ・ボルダの精神病院の患者たち、自らのラジオ局「ラ・コリファタ」を運営し、そこでクレイジーな土地のスラングで話している彼らだ。 1991年、アルフレッド・オリベラという若い精神科医によって設立されたこのラ・コリファタは、アルゼンチンでは大いに成功し、海外にもファンがいる。 毎週土曜日、番組は、施設の壊れかけの壁の向こうに閉じこめられた500人の患者たちの隔離と苦痛を打ち破る。病院の権威者たちは無関心を装うが、この電波によるセラピーはなかなかの結果を出している。ラジオにかかわる何人かの慢性患者たち、いうなればコリファトスたちのうちには、施設を離れ家での療法に切り替えることが可能になった者がいるのだ。

「彼らは僕を激変させたんだ、初めて録音で聴くことができたその日からね。一目惚れだね、僕らは友人になったんだ。」マヌ・チャオはそう語る。 「言葉の壁はあるけど、世界中の人に聴いてもらいたい。彼らは僕にいろいろなことを教えてくれたんだ。彼らには幻覚を起こさせるような正気があるんだ、それによって人生の問題、愛、そして政治なんかを三言で総括する。それっていうのはね、純粋な状態でのポエジーなんだ、プレヴェールのね。それから、彼らの間にはかなりの寛容性があって、誰もが他の誰かのキチガイぷりを受け入れてるんだ!ぼくはといえば、キチガイの境目っていうのがわからない。僕にとっては、境目はそのキチガイが苦痛となったときだ。苦痛がないなら、何か問題あるかい?」

・スーパーわんぱく

お祭り騒ぎのここ数日間だ、ブエノス・アイレスから数キロ離れた田舎にある家、録音スタジオが隣接するここで、アルゼンチンのロックグループ、ロス・ピオホス(しらみたち)に参加している。バミューダパンツにひらたいカスケット姿の46歳、スペール・チャンゴ(超わんぱく)と、アルゼンチンの日刊紙がマヌ・チャオに名づけたまさにそのままにして彼は子供のように夢中になっていた。ここにいるのは自分の部族、ピオホスのメンバーたち、ラディオ・ ルーツのメンバーたち、バルセロナのストリートで出会ったアルゼンチンのミュージシャンたち、そしてコリファトスが12人ほど。

唄う者もいれば、詩を引用する者、その場で講演を始めだす者もいる。「アサド」(南米の肉のロースト)、伝統的な肉のグリルの後では、チームに分かれてベイビーフット(台についた棒で操作するサッカーゲーム)で仕事前のプレイだ。裸足で花柄ショーツのコリファトの1人、ユゴーは、怖じ気づきだした。彼はマイクという習慣がないのだ。

彼の脇に座ってマヌ・チャオは彼を元気づける。「オレは意地悪で、残酷で、エゴイストで、偏見に満ちていて、すべてを握っている。銀行も、石油も、水道も、戦争も起こす、人類なんて滅ぼして、たったひとりこの惑星の主人となりたいのだ、オレが神なのだ!」ユゴーがぜえぜえと息を切らせる。彼がこの、 ジョージ・ブッシュに捧げられた歌の作詞者だ。少し離れたところでは、エデュアルド、ビートと呼ばれ、にかっと笑うと歯が欠けている、彼が自分の番を待っている。「マヌは兄弟のようだ。俺らは離れて暮らしているのだが、けれども彼のお陰で自分たちを大事な者として感じることができる。だからさ死なせてなるもんかと決めたのさ。」

コリファタのメンバーとともに、マヌ・チャオはマリのグループ、アマドゥ・エ・マリアムとしたのと同じように仕事をした。そのアルバムをプロデュースし、彼らの歌やラジオのクロニークを録音しまた音楽を追加した。「コリファトスは、自分自身による収入源が必要だったんだ。僕は助手役はいやなんだけど、彼らにお金が入ってくるディスクならさ。」

ブエノスアイレスでは、マヌ・チャオはコンサートを行わなかった。ファンたちはクチコミでボルダの庭で夜更けまで彼を聴くことが出来る場所を知ることができた。あるいはプレス・コンフェレンスの間、自分の最新作「ラ・ラディオリーナ」について語っていた。その歌の一つ、「ラ・ビダ・トンボラ」は、アルゼンチン人を魅了したディエゴ・マラドーナだ。マヌ・チャオは2年前、エミール・クリストリッツァの助けで彼に会っている。

このセルビア出身の映像作家は、彼をナポリに招待した。そこで彼は、アルゼンチン人のアンファン・テリブル(恐るべき子供)たるフットボーラーのためのフィルムの一部分を回していた。彼こそマヌ・チャオが歌を捧げたその人だ。そこから、クリストリッツァが「レイニン・イン・パラダイス」のクリップを制作し、そこでラ・コリファタのメンバーに出会ったのだ。

現代というものが、常にこのミュージシャンの話すことのなかに存在している。「ラテンアメリカには希望がない、ヨーロッパにないのと同じように。」彼はそう評価する。彼は嘆く、「ヨーロッパ人たちは、ますます保守的になっていくんじゃないか。」ベネズエラで起こっていることには強く印象を受けたという、「若い子たちと話ししてると、何かが動いているニオイがしてくるよ。」

彼はヨーロッパのメディアを厳しく批判する。「ウゴ・チャベスをメディアにさらし、ベネズエラ大統領のポピュリズムを語る。だが、この国でほんとうに起こっていることには完全沈黙。これは情報じゃない、操作だ。」

マヌ・チャオはアルゼンチンには10月と11月に戻ってくることを考えている。ラ・コリファタのアルバムのプロモーションのためだ。それを待つ間、フランスのステージに戻るともアナウンスしている。彼が必要だと考えて戻ってくる、長い不在のあとで。「特に今、この政府だからこそ」と、彼は指摘する。 「事態はひどく緊迫している、若者にはもう未来が見えていない。これはラテンアメリカと同じたぐいの暴力ではないけれど、底知れぬ怒りの爆発なんだ。」

by クリスティーヌ・ルグラン
http://manuchao.jp/dossier/spip.php?article33